レイチェル・ニュース #705
2000年8月3日
環境保護への新しいアプローチ-2
ピーター・モンターギュ
#705 - Modern Environmental Protection--Part 2, August 03, 2000
By Peter Montague
http://www.rachel.org/?q=en/node/5152

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
掲載日:2000年8月10日
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_00/rehw_705.html



 レイチェル・ウイークリーは今後、隔週発行とします。名前はレイチェル・バイウイークリー(Rachel's Environment & Health Biweekly)と変更しました。【ピーター・モンターギュ】



 ニューヨーク・タイムズ紙が、科学者たちが地球上の生態系が破壊されていることを説明するために用いている比喩に関する特集記事を、7月4日、アメリカ合衆国の建国記念日に掲載したのは、全くの偶然である[1]。

 全ての動物の3分の1と全ての植物が絶滅の危機に瀕し、また先住民の90%が滅亡してしまったアメリカを含む全世界において、動物や植物や先住民の消滅が加速している事実を理解する上で、最も適切な比喩な何であろうか。
  • ”飛行機の機体に打ち付けられたリベット”が最良の比喩であろうか? 多少のリベットが抜け落ちても飛行の妨げにはならないだろうが、あまりにも多くのリベットが抜け落ちれば、飛行機はいずれ”墜落”する。

  • あるいは、カリフォルニア大学の自然保護生物学者であるカルロス・デビッドソンがニューヨーク・タイムズ紙の記者、ウイリアム K.スティーブンズとのインタビューで、地球上の生態系を”手の込んだ贅沢な織物”に例えた次の比喩が、より適切であろうか。  
    「織物から織り糸が一本抜けても、使用上及び美観上の影響はわずかである。しかし、もし多くの織り糸が抜ければ、特に同じ部分から抜ければ、その織物はすり切れて見えるだろし、その部分に穴があくかも知れない」。
     この比喩では”墜落(崩壊)”はないが、「世界の豊かな生物多様性が徐々に失われ、すり切れた布が残るように、わずかな生物種とわずかな自然と損なわれた美観、そして機能の縮小した生態系だけが残る」。
     この比喩によれば、 崩壊が起こったとしても−例えば漁業の崩壊−、それは比較的稀なことであり、またある地方でのことになる。

  • しかし、「人間による自然界への影響が多くの科学者が言うように広範囲にわたるなら、人間は単に織物をすり切れさせているだけでなく、明らかに元のものより単純で、鈍感で、機能の劣る全く新しい柄の布に織り直しているということになる。従ってこの織物の比喩は十分ではない」とスティーブンズ記者は述べている。
 最近、イギリスの科学誌ネイチャーに生物多様性の論文を寄稿した G.デビッド・ティルマンとケビン S.マックキャンによれば、人間が与える主要な影響は地球を単純化していることであり、単純化により生態系が崩壊の危機に瀕している[2,3]。多様性が生態系の安定のために重要であるということを科学者たちが述べるようになったのは、最近10年間のことである。デビッド・ティルマンはスティーブンズ記者に「我々は、地球を空前の規模で単純化している」と述べている。

 ティルマンは生態系が単純化すると崩壊しやすくなるということは間違いないと指摘しており、我々も現実は織物の比喩よりもリベットの比喩に近いということが分かった。
 災害時、例えば干ばつ時に、生態系が維持されるのは多様性のためである。多様性のおかげで、干ばつでも生態系の全てが死に絶えるのではなく、生き残ったものが生態系を再生するからである。
 著しく単純化された生態系は再生することができず、例えば砂漠化してしまう。(現在、世界の陸地の35%が砂漠化の危機に瀕している[4]。)
 人間の立場からすれば、単純な生態系の方が生産効率がよいが(例えば、農場でのトウモロコシ栽培)、それはもろく崩壊しやすい(例えば、1845-1851年のアイリッシュ・ポテトの凶作時には100万人規模の死者が出た)。それがある地方での”局所的”な崩壊であっても、そこの人々には大きな苦痛をもたらす。

 アメリカ科学振興協会(the American Association for the Advancement of Science)の前会長であったジェーン・ルブチェンコによれば、人間は主に 3つの方法で地球の表面を変えている。

  1. 土地の開拓、林業、放牧、都市化、鉱業、トロール漁法、しゅんせつ、等により陸地と海洋を変形してしまうこと。これら全ての行為を”開発”という不適切な名前で呼んでいる。

  2. 生息環境を変えたり消滅させたりすることにより、あるいは狩猟や漁業により、あるいは種の移入や侵入により、種や遺伝子的に個別な個体群を増減させること。

  3. 炭素や窒素や水や合成化学物質の生物地球化学的循環を変えること。
 多分、これらの問題解決の糸口は、新種の危険な化学物質による地球の汚染を取り除くことにある。ジェーン・ルブチェンコはこの問題について次のように述べている。
 「クロロフルオロカーボンからDDTやPCBのような残留性有機化合物に至るまで、新しい化学物質が日々合成され環境に排出されている。排出される数千種の化学物質のうち監視されているものもあるが、それらの多くのものの生物学的影響、特に複数の化合物による相乗効果や発育系、ホルモン系への影響はよく分かっていない」。
 ルブチェンコが挙げる事例は、オゾン層を破壊するクロロフルオロカーボン(CFCs)やDDT や PCBなど、全てが塩素系化合物であるということを心に留める必要がある。塩素系化合物は毒性をおびやすく、残留性があり、生態系とは相容れないものなので、事例として良い選択である。
 現在、モントリオール条約に基づいて世界各国が実施しているクロロフルオロカーボン(CFCs)の段階的廃止の様な方法で、塩素の段階的廃止を厳密なスケジュールのもとに実施することが地球の破壊を軽減するために必要である。

 塩素系化学物質の製造及び販売を行う会社の集まりである塩素化学協会(Chlorine Chemistry Council)は、塩素系化学物質の規制に関してはリスク評価を行って物質毎に規制すべきであると主張している。彼らがこの主張に固執するのは、それが塩素化学産業の縮小につながらないからである。

 唯一の理にかなった環境保護の方法は、全ての塩素系化学物質を段階的に廃止することである。”全ての化学物質を”である。もしあるものを残そうとすれば、個別の検討により、段階的廃止から免除することになる。言い換えれば、その立証の責務は公衆ではなく塩素系汚染排出者に移されるべきである。彼らはその製品が現在も将来も有害ではないことを示さなくてはならない。

 言い換えれば、ジョー・ソーントンが彼のすばらしい著書『パンドラの毒』で述べているように[6] 、一つの物質を製品として市場に出す前に製造者はその製品、副生品及び分解物質には残留性や生体濃縮性がなく、さらにそれらには発がん性、突然変異誘発性、細胞内神経系かく乱性(ホルモン、神経伝達物質、発育因子、細胞分裂、等による)がなく、また、微量であっても発育、生殖、免疫及び神経系に有毒性がないことを示すべきである。
 ほんのわずかな有機塩素系物質しか、そのような検査を受けていない。従って、このことは塩素化学産業にとっては非常に大きな負担となるもので、彼らもそのことを知っている。従って彼らは、一時の化学物質毎のリスク評価に基づく、全く役に立たない、現在の規制を存続させようとしている。

 ジョー・ソーントンが指摘するように、化学物質毎対応の規制が失敗に帰した理由が 7つある。
  1. 11,000 種の塩素系化合物が意図して作られ、数千種の副生物が意図に反して作られている。さらに、新規の化学物質が、毒性学者が危険性を評価出来るより早いスピードで、市場に送り出されている。1990年代初頭に、アメリカ環境保護局(EPA [U.S. Environmental Protection Agency] )は、128種類の化学物質の排出ガイドラインを設定し、100種類弱の化学物質の健康に対する評価基準を作り、10種類弱の化学物質について大気放出基準を発行した。これが30年間にわたり精力を注いだ努力の結果である。
     たった一つの有機塩素系化合物−ダイオキシン−の危険性に関する科学的評価についても、EPAは1991年に着手して以来、未だにドラフト版である。例えEPAが評価作業のために多くの人材を新たに投入したとしても、全ての有機塩素系化合物の評価作業を完了させるためには今後、何世紀もかかることであろう。

  2. 有機塩素系化合物は数千の化合物の混合物から成っており、副生物の大多数のものは特定できず、よく分かっていない。特定出来ていない化合物について物質毎に評価し、規制することなど不可能である。

  3. 例え我々の目標が、残留性、生体濃縮性又は毒性が最も高い有機塩素系化合物を排除することであったとしても、塩素系化学物質は残留性、生体濃縮性又は毒性のある副生物を大量に作り出さずに製造することは出来ない。従って有機塩素系化合物の排除を実現する唯一の現実的な方法は、それらの全てを段階的に廃止することである。
     ソーントンが指摘するように、意図的なPCBの製造が禁止されてから数十年経つのに、毎年数千トンのPCBが製造され続けているということが、化学物質毎の規制の失敗を如実に物語っている。ダイオキシンもまた然りである。ほとんど全ての塩素系製品とその製造プロセスは、どこかでダイオキシンを発生させるので、この猛毒な塩素化合物の発生を防ぐためには全ての塩素系化学物質を廃止しなくてはならない。

  4. 毒性学と疫学の限界により、化学物質毎の対応では健康及び生態系を保護することは出来ない。有機塩素系化合物は混合物として存在するが、ソーントンが言うように、「実際にはこれらの混合物のグループが原因となっている」ので、毒性学者や疫学者はどの化学物質がどの健康障害の原因になっているかを全て整理することは決して出来ないであろう。
     ソーントンは「これとは対照的に、有機塩素系化合物の汚染の原因となる技術に焦点を当てることにより、これらの混合物の形成を防いだり、特定出来ない化合物及び相乗効果の問題を取り除くことができる」と指摘している[pg. 351] 。

  5. 5番目の理由は経済的なことである。社会が一つの有機塩素系化合物(例えばDDT)を廃止すると、塩素産業界は他の塩素系製品のための市場を作り出す。このようにして塩素産業界は地球破壊のプログラムを維持し、加速させている。
     世界が必要としていることは塩素系化学物質の総量の削減であり、1つや2つ、あるいは10の特定化合物を削減することではない。個別化学物質対応の規制では塩素災害を防ぐことは出来ない。

  6. かつてテストが実施された有機塩素系化合物は、事実上どれも一つや二つの毒性効果を持っている。従ってテストの行われていない数千の有機塩素系化合物が良性であると仮定することは合理性に欠ける。
     化学物質を塩素化すると、ほとんど常に毒性と生体濃縮性が増大する。従って特定の情報により危険ではないと分かっているものを除き、全ての塩素化合物は危険であると仮定することが論理的であり、既存の知見とも矛盾しない。

  7. 有機塩素系化合物を特別なものとして扱う最後の理由は倫理的なことである。個別化学物質対応の規制では、個々の化学物質はその有害性が証明されるまで、無害であると仮定する。このことは個々の化学物質が有害であると証明する義務は公衆にあるということである。
     ソーントンが言うように(pg. 353)、その結果は、公衆を対象にした大規模な、そして文書化されない化学物質の一大実験であり、その実験によって生態系と我々の体が新しい化学物質によって汚染される。その影響はよく分からないが、恐らく有害である。
     「人々は合意なしには実験材料にされない権利を持っている。現在、我々の全てを汚染している有機塩素系化合物に曝される前に、そのことについて諾否の意思表示をする機会すら与えられていない」とジョー・ソーントンは非常に寛大に述べているが、塩素好きな人々−塩素化学の恋人たち−は、世界中で哀れな囚われの犠牲者に対し極悪非道な人体実験を行うことを許しているという点において、第三帝国のナチとほとんど異なるところがない。
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ピーター・モンターギュ
Peter Montague (National Writers Union, UAW Local 1981/AFL-CIO)
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[1] William K. Stevens, "Lost Rivets and Threads, and Ecosystems Pulled Apart," NEW YORK TIMES July 4, 2000, pg. 4.

[2] David Tilman, "Causes, consequences and ethics of biodiversity," NATURE Vol. 405 (May 11, 2000), pgs. 208-211.

[3] Kevin Shear McCann, "The diversity-stability debate," NATURE Vol. 405 (May 11, 2000), pgs. 228-233.

[4] http://www.funkandwagnalls.com/encyclopedia/

[5] Jane Lubchenco, "Entering the Century of the Environment: A New Social Contract for Science," SCIENCE Vol. 279 (January 23, 1998), pgs. 491-497.

[6] Joe Thornton, PANDORA'S POISON; CHLORINE, HEALTH, AND A NEW ENVIRONMENTAL STRATEGY (Cambridge, Mass.: MIT Press, 2000). ISBN: 0262201240.



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