レイチェル・ニュース #704
2000年7月21日
環境保護への新しいアプローチ-1
ピーター・モンターギュ
#704 - Modern Environmental Protection--Part 1, July 21, 2000
By Peter Montague
http://www.rachel.org/?q=en/node/5145

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
掲載日:2000年8月1日
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http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_00/rehw_704.html



 すばらしい本が2冊、MITプレスから出版された。両方とも環境保護への根本的に新しいアプローチについて記述したものである。今週からジョー・ソーントンの『パンドラの毒』[1]についての検証を始める。近々メアリー・オブライエンの『環境についてのより良い決定』[2]の検証も行う。この2冊の本は環境について、この15年間で最もすばらしい考え方を示している。これこそ我々が久しく待ち望んでいたもの−共通の目的と課題を有する環境コミュニティーからの多様な流れを統合することが出来る新しい環境保護システム−である。これは希望に満ちた力強い理論である。

 塩素系化学物質を例にとり、『パンドラの毒』は、どのようにして、そしてなぜ、現在の環境保護のシステムがみじめな失敗に帰したのかを明らかにしている。この失敗したシステムに替わる、根本的に新しいシステムについてソーントンは記述している。

 ソーントンは科学者、分子生物学者であり、彼の著作の大部分は塩素系化学物質が人間および野生生物に与えた広範囲にわたるダメージについて詳細に記述している。ソーントンは、わずか60年の間に石油化学産業が新しい毒物で地球上のあらゆる生き物を汚染し、それらのあるものは ppt(1兆分の1)のレベルで−これは10マイル(16km)の長さに連なったタンク・ローリー車に1滴落とすようなもの−生命の基本的な機能をかく乱するということを示している。
 ダウ、モンサント、デュポン、その他の化学会社が行った塩素系有機物の導入は、その結果何が起きるか知らないふりをしての、他に前例を見ない不遜な行為であった。もちろんそれは完全に合法的であり、認可をうけたものであり、世界で最も厳しい規制取締当局の監視を受けているものである。なぜこのようなことが起きたのか? それをソーントンが解き明かしてくれる。

 化学産業は今日、4000万トンという驚くべき量の塩素を毎年生産しており、それは11,000種類の塩素系生産物と数千種類の意図しない塩素系副生物−事実上それらのすべてには毒性があり、それらのすべては最終的には環境に排出されるが、多くの場合、自然はそれらを分解する有効な術を持たない−に合成される。これら毒性物質の多くは生物の基本機能に悪影響を与える。

 その結果、「現在、地球上のすべての種は人間も含めて、精子の数を減らし、女性の生殖サイクルを乱し、子宮内膜症を引き起こし、自然流産を誘発し、性的行動を変え、胎児に先天性欠損を起こし、脳の発達と機能に障害を与え、認識能力を減少させ、運動神経と体の組織の発達と成長を妨げ、がんの原因となり、免疫性に問題を引き起こす”有機塩素系物質”に曝されている。
 例え今後は、これらの環境汚染物質の排出を止めることにしたとしても、これらの物質は、環境や食物体系や我々及び将来の世代の体内に、幾世紀にもわたって残留するであろう」と、膨大な数に上る研究成果を要約しながら、ソーントンは述べている(pg. 6) 。

 ソーントンは、工業的に塩素を有機化学物質と合成したということは人間がかつて冒した最も大きな間違いの一つであったということを明らかにした。彼は多くの塩素系化学物質の生産を今後数十年間で廃止し、将来においてこれまでのように失敗することのない、環境保護のための新しシステムを採用するべきであると力強く主張している。

 ソーントンは優れた著者であるから彼の本は読みやすいが、しかし彼の本は毒物学、疫学、生態学、分子生物学、そして環境学と工業化学というように幅広い科学分野の情報を統合して読者を知的な旅に誘うものである。しかしソーントンはそこだけに留まらず、最終章では科学に関する歴史や倫理や哲学にまで踏み込み、有機塩素系の災いが地球上に広がることを許した現在の環境保護のシステムについて述べている。
 彼はこの失敗に帰したシステムを”リスク・パラダイム”と呼び、それに替わるものとして根本的に新しい環境保護のためのシステム、”エコロジカル・パラダイム”を提唱している。

 ソーントンは「パラダイムとは世界を覗く総合的な方法−レンズ−であり、それにより我々がデータを収集し、解釈し、それらから結論を導き出し、さらに必要があれば、どのような対応が適切であるかを決めるものである」と述べている(pg. 7) 。

 ”リスク・パラダイム”は規制者にどの問題が重要で、それをどのように扱うかを知らせてくれる。しかし残念ながらそれは、塩素系化学物質や残留性又は生体濃縮性のある水銀や鉛やアスベストなどの汚染物質、さらにはプルトニウムのような放射性元素を扱うには全く不適切な手法である。

 リスク・パラダイムは、化学物質の一時の排出が数値で決められた”許容値”を超えないようにすることにより汚染を管理しようとするものである。このアプローチは生態系が、ある”吸収力”−すなわち悪影響無く化学物質を吸収し分解する能力−を持ち、人間はその吸収力がどのくらいであるかを知ることができるという前提に立っている。リスク・パラダイムはまた、人間や鳥のような生物はある程度の化学物質に曝されても、それが毒性効果を発揮する”しきい値(threshold)”以下ならば、ほとんど有害な影響を受けることがないと仮定している。

 リスク・パラダイムでは、化学物質毎に”許容曝露値”を設定する。”許容曝露値”を設定するためには定量的なリスク評価を行い、その後に規制者は”許容曝露値”を超えることがないよう配慮して排出限界値を化学物質毎に規定する。次に産業設備では濾過器や洗浄装置の様な汚染物質除去装置をパイプ端末(end-of-pipe)に設置して汚染物質を捕捉し、それらを他の場所に移す。現在の環境保護のシステムはこの様にして設定され、運用されているのである。明らかにこのシステムは、自然がいかに機能しているかを発見し、個々の生体内と複雑な生態系における悪影響を予測し理解する上で、科学に絶大な信頼を置いている。しかしながら科学にそこまで期待することはできない。これは科学への過信である。

 ”エコロジカル・パラダイム”はこれとは全く異なるものである。ソーントンは「エコロジカル・パラダイムはまず最初に最も重要なこととして、科学の限界を認めることから始める。毒性学も疫学も生態学も自然についての重要な手がかりは与えてくれるが、個々の化学物質が自然界に及ぼす影響について完全に予測したり診断することは決して出来ない」と述べている(pg. 10)。このような科学の不確実性は避けられないことなので、自然界に対して重大なダメージを与える可能性がある場合には、例え科学的にはそのことが十分に立証できていなくても、そのような行為はしないということが適切な対応である。これはレイチェル・ウイークリーの読者にはすでにお馴染みの”予防原則”である(REHW #586 参照)。しかしソーントンは、予防原則だけでは我々が何をなすべきかはわからないと指摘している。そこで予防原則をさらに3つの追加原則−ゼロ排出(zero discharge)、クリーン生産(clean production)、逆責任(reverse onus)−によって補足する必要がある。これらの考え方は、環境保護のための新しい”エコロジカル・パラダイム”の根幹をなすものである。

 ゼロ排出は、残留性または生体濃縮のある物質は自然界に留まると問題を引き起こす可能性があるので、排出を許容するのではなく、排出させないということである。自然界には残留物質を処理する術がないことを我々は知っている。

 クリーン生産は、製品とその生産プロセスの見直し(再設計)を行い、毒性化学物質を使用せず、また発生させないようにすることである。クリーン生産の重要な点は、最も悪影響の少ない代替を探し求め、採用することにある。

 逆責任は、化学物質を評価する上での新しい考え方である。従来は化学物質が有害であるということは社会が証明しなくてはならなかったが、逆責任の原則では、新しい化学物質を製造したり使用しようとする側にその責任は移される。そのような人々は、その行為が重大な危険を伴わないということを事前に立証しなくてはならない。現在使用されている化学物質でこの基準に合わないものは、より有害性の少ない物に順次切り替えていく。

 ”リスク・パラダイム”では、ある化学物質についてデータがないということはその物質が安全であるということの証拠であると見なされるので、テストが行われていない化学物質は制限なしに使用することが許される。これが、誰かが重大な被害が起きたということを科学的確実性をもって証明するまでなにもしないという、現在の寛容で自由放任なシステムなのである。

 これとは対照的に”エコロジカル・パラダイム”は、人間が作り出す全ての物質の製造と使用を、残留したり生体濃縮する、あるいは生物学的機能に重大な又は根源的な影響を与えることが分かっているものから優先的に継続して減らしていくプログラムであるということができる(pg. 11) 。
 ソーントンは、「環境規制において責任の所在を変えるということは、現在、医薬品について実施されている基準−患者に薬剤を投与する認可がなされる前に医薬品会社は安全性と必要性を立証する−と同じように、エコロジカル・パラダイムにおいても環境を通じて我々の体内に入ってくる物質にこの基準を適用するということである。立証責任の所在を変えるということは、現在のシステムの−そこでは人間及び他の生物を、毒性があるかもしれないがテストされていない化学物質に曝すという大規模で幾世代にもわたる実験の材料にしているにもかかわらず、化学物質は人間のために作られたもので潔白であるという誤った仮定を我々は認めているが−ゆがんだ倫理を正すことになる」と述べている(pg. 11)。

リスク・パラダイムが失敗した4つの理由

理由1:
 リスク・パラダイムの出番は汚染の過程における最後の部分である。リスク・パラダイムにおいては化学物質は制限なしに製造され使用される。そして、その化学物質が環境に排出されようとする直前に捕捉され、処理され、そして埋め立てや焼却やその他の装置によって処分される。
 ソーントンが指摘するように、この”パイプ端末(end-of-pipe)”アプローチは以下の4つの理由により破綻する。
  1. 製品自体が有害である場合には、汚染物質除去装置は役に立たない。ソーントンは例として、畑に散布される農薬、塗装工に売られる塗料除去剤、建物に設置されるPVC(塩ビ)パイプ−いずれは焼却され大量のダイオキシンが発生する−等を挙げている。これらの例のどれに対しても、パイプ端末の汚染物質除去装置は役に立たない。
  2. 濾過器や洗浄装置のような汚染物質除去装置は単に汚染物質を一つの場所から他の場所へ−水中から地上へ、あるいは、地上から空気中へ(そしていずれは地上のどこかへ)−移動しているに過ぎない。捕捉された汚染物質もいずれは環境中に排出される。
  3. 機械装置と同様に、汚染物質除去装置もいずれは劣化して壊れてくる。従ってそれらの装置はいつも当初の設計通り機能するわけではなく、時間が経つにつれて汚染物質の環境への漏えい量が増えてくる。
  4. 汚染物質除去装置は、発生する汚染物質をある精度で除去するよう設計されており、それ以上の精度で除去しようとすると、その装置はとてつもなく高価なものとなる。従って少量の汚染物質は常に除去できず漏えいしている。全体の生産量が増大すれば漏えいする量もまた増大する。
理由2:
 リスク・パラダイムの眼目である”吸収力と許容排出量”の考え方は残留したり生体濃縮する化学物質に対しては有効ではない。自然界で直ぐには分解しない化学物質は食物体系を汚染しながら生体内に蓄積する。自然界はそのような化学物質に対する吸収力を持たないので、そのような物質の”許容”排出量などあり得ない。

理由3:
 リスク・パラダイムのもう一つの眼目である”リスク評価”は生態系における生体組織のように複雑なシステムに対しては有効に機能しない。その理由は:
  1. 個々の化学物質の決定的に重要な情報の多くが分からないままである。
  2. 我々の測定技術が未熟なために、有害な汚染レベルであると考えているものが本当に有害であるかどうかわからない。
  3. 我々は生態系における生物体の機能についてほとんど分かっていない。従って、生態系に有害物質を排出した時に、特に同時に複数の有害物質を排出した時に−現実の世界ではこれがほとんど常にあてはまるケースであるが−何が起こるのかを予測することが出来ない。
  4. 最後に、本当に驚くべきことである。リスク評価をする人は予め予測したある影響のみを探すかも知れないので、何も見つからなければその化学物質は安全であると宣言するかもしれない。しかし後になって、調査しなかったことや夢にも想像しなかったことに影響があるということが判明するかも知れない。
理由4:
 リスク評価は、十分に定義され、局所的で、短期間での危険性について取り扱うよう考えられている。しかしながら、主要な局所的ダメージを防止することはできても、膨大な数に上る技術的決定の累積結果である地球規模のダメージが徐々に蓄積することを防止することはできない。「リスク・ベースのシステムでの局所的な取り扱いでは地球規模の蓄積の問題を解決することは出来ない」(pg. 342)。地球規模の蓄積の問題とはDDTのような塩素系化学物質、鉛、有機水銀、そしてプルトニウムのような問題である。

 最後にソーントンは次のように指摘している。「1度地球規模の損傷が起こると、その損傷に対処するための現在のシステムによる手法もまた崩れてしまう。大規模な人間と野生生物の健康への被害や食物体系全体の汚染など、この種のダメージの範囲は非常に広大なので、それらを浄化したり、もとに戻すことはもはやできない。個々の原因に遡って因果関係を特定することは出来ないということは犠牲者は補償されず、過失者は法的な責任を追及されないということである。
 現在のシステムで最も問題な点は、問題発生の原因を除去するために行動を起こすには事前に因果関係を立証することが求められることであり−この要求は疫学の限界と明確な因果関係の欠如から決して満たされることはない−問題が顕在化した時にはすでにその被害を食い止めることが出来ないということである。現在の制度は非現実的な立証基準のために無力なものとなっている。
(次回に続く)

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ピーター・モンターギュ
Peter Montague (National Writers Union, UAW Local 1981/AFL-CIO)
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[1] Joe Thornton, PANDORA'S POISON; CHLORINE, HEALTH, AND A NEW ENVIRONMENTAL STRATEGY (Cambridge, Mass.: MIT Press, 2000). ISBN: 0262201240.

[2] Mary O'Brien, MAKING BETTER ENVIRONMENTAL DECISIONS; AN ALTERNATIVE TO RISK ASSESSMENT (Cambridge, Mass.: MIT Press, 2000). ISBN: 0262650533.



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