レイチェル・ニュース #702
2000年7月14日
ヒトゲノムは金の鉱脈
ピーター・モンターギュ
#702 - Pay Dirt From The Human Genome, July 06, 2000
By Peter Montague
http://www.rachel.org/?q=en/node/5129

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
掲載日:2000年7月14日
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http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_00/rehw_702.html



 生命の設計図であるヒトゲノムはほとんど完全に解読された。6月26日、ヒトゲノム解読完了の発表の席でクリントン大統領は「今日、我々は、神が生命を創造するために使った言語を知るに至った」と述べた[1] 。ニューヨーク・タイムズ紙は1面トップ記事で”人類の知識の頂点に立つ成功”と称賛した。
 人間の生命の設計図である30億の遺伝子情報が解読されたが、それらの情報の機能の解明はほとんどなされていない。従って人間の生命の源を解読することについては、多くの新たな医薬品がたちまちのうちに作り出されるであろうという点を除いて、実質的な意義は未だ定まっていない。
 残念ながら新薬は長所短所を併せ持った恵みである。多数の新薬は、それを必要とし支払い能力のある人々にとっては恩恵となるが、自然環境とそこに生息する人間以外の多くの生物に対しては深刻な問題となる。人間にとってさえも薬剤は既に環境に対する挑戦、最もやっかいな化学的挑戦、を意味するようになっている。
 人間の体を通して下水処理施設に入り、そこから河川に放出される薬剤や身体ケア製品によって、環境は既にひどく汚染されている(REHW #614参照)。増大する薬剤による河川、そして飲み水の汚染は、ほとんどの人が気がつかない「ヒトゲノム計画」の暗い側面の一つである。

 ヒトゲノム解読のニュースは、医薬品を驚くほどの速さでを進歩させるものとして迎えられた。ニューヨーク・タイムズ紙は「この広大な遺伝子情報の解読の成功は、DNAの構造が最初に発見され、発展の時代の到来を予測させた1953年以来、驚くべき速さで進んだ生物学の発展の証しである」と報じた[1]。
 同紙はさらに、医薬品製造業界の団体である”アメリカ医薬品研究及び製造協会”を代表するギリアン R. ウォーレット博士の言葉を引用して「その変化の速さは途方もないものである。実際に医薬品の製法はかつて想像すら出来なかったほどに変化している」と報じた[3] 。
 翌日、同紙のビジネス欄は各社がどのようにして科学の鉱脈から金を見つけ出すかについて解説した。ゲノム関連各社はそれぞれ異なった方法でゲノムビジネスを展開しているとして3社の例を挙た。
 「インサイト・ジェノミック社(カリフォルニア州パロアルト)は遺伝子に関するデータベースへのアクセスを製剤会社に提供している。ミレニアム製薬会社(マサチューセッツ州ケンブリッジ)は医薬品開発のために病気のプロセスを解明することを目的にゲノムを使用している。ヒトゲノム・サイエンス社(メリーランド州ロックビル)は薬剤を開発し、その情報を提供している。」と同紙は述べている[5] 。注目すべきことは、3社ともゲノムを新薬開発に活用しようとしていることである。

 昨年の12月、2人の科学者、クリスチャン G. ドートンとトーマス A. ターネスは、精読に値する専門月刊誌”ENVIRONMENTAL HEALTH PERSPECTIVES(環境と健康の展望)”において「ヒトゲノム計画」と新薬との関係について「莫大な遺伝子配列は多様化し、ヒトゲノムが染色体上に位置づけられるに従って増大していく。現在、薬剤がターゲットとする約500の個別の生化学レセプターがあるが、近い将来、ターゲットは20倍(薬剤ターゲットとして3,000〜10,000)に増大すると予測されている・・・」と指摘している[6]。
 ドートンとターネスはさらに「新薬の市場への投入拡大により、個別の生化学作用のほとんどが解明されていない多数の既存の化学配列に、さらに新たな化学配列が指数関数的に追加されていくことになる」と述べている。
 ドートンとターネスは医薬品と身体ケア製品が毎年環境に放出される量は、毎年使用される農薬の量に概ね匹敵すると述べている。大量の処方薬、生物製剤、診断薬、中和剤、芳香剤、日焼け止め、その他多数の合成物質が、当局の警告もなく、毎年、環境に放出されている。ドートンとターネスが指摘するように、これらの化学物質の多くのものは下記のようなやっかいな特性を持っている。
  • 多くのものは非常に寿命が長く、特異な化学的特性を残しながら他の長寿命の化合物に変換されていくが、環境中でのそれらの挙動はほとんど分かっていない。

  • 農薬は季節によって環境への放出が変動するが、これとは対照的に医薬品や身体ケア製品(PPCPs, pharmaceuticals and personal care products )は、家庭や産業用下水処理施設や畜産施設(例えば、養豚場のような密閉家畜飼育施設)からの排水により、年間を通じてコンスタントに環境に放出される。

  • 多くの農薬とは違い、ほとんどの薬剤や身体ケア製品は環境に与える影響についてのテストが行われていない。ドートンとターネスは「これは驚くべきことだ。多くの化学物質は内分泌や免疫や細胞形質の変換等のシステムを制御する(変える)ことを目的に作り出されており、明らかに環境中で内分泌かく乱物質となりうる」述べている[6,pg.908] 。

  • これらの化学物質の多くは生理的な影響を与えるよう作られているので、それらが、魚類、甲殻類、鳥類、せん虫類、かえる、昆虫、その他の生き物に影響を与えてもなんら驚くにあたらない。

  • 医薬品には予測できない、あるいは未知の副作用がつきものである。「対象外の水中生物に対し起こりうる作用と生化学的影響はほとんど理解されていない。多くはほとんど未知である」とドートンとターネスは述べている。

  • 多くの薬剤に関し、対象とする生物種に対する作用で未知のものがあるということを認識することは重要である。このような薬剤は対象外の生物に対しどのような影響を与えるかを予測することなど出来ない[6,pg.923]。

  • 多くの薬剤は病気を治すのではなく症状を抑えるものである。それらはコレストロールや血圧を下げたり、痛みや鬱(うつ)を和らげたりする。しかしながらこれらの効果を得るためには、薬剤を絶え間なく、しばしば永年にわたって服用し続けなくてはならない。従って相対的に短命の医薬品や身体ケア製品( PPCPs)であっても、環境に継続的に放出されるので、慢性的曝露の原因となりうる。

  • 水の環境中に生息している生物は、終生これらの汚染に曝されている。

  • 少なくともいくつかのPPCPs の生物的な蓄積と濃縮は有機塩素系殺虫剤に匹敵する[6,pg.910] 。

  • PPCPsのあるものは非常に高い水性毒を示し、他のあるものは非常に多くの生物種に対して重大な、しかし微妙な影響を与える[6,pg.910]。

  • 例え個々の薬剤の濃縮レベルは低くても、共通の作用を有する複数の薬剤による濃縮が合成されると重大なことになりうるということを認識する必要がある[6,pg.925]。

  • 多くの化学研究者は環境中のこれらの化学物質を検出するために必要なツールを持っていない。研究者はガスクロマトグラフ(GC)と質量分光計(MS)を使用している。これらの分析計からの出力信号はスペクトラル・ライブラリーと比較され、未知の化学物質が特定される。しかしながら、アメリカ環境保護庁(EPA)や国立標準技術件研究所(NIST)や国立衛生研究所(NIH)から入手可能な標準スペクトラル・ライブラリーにはほとんどの医薬品が含まれていない。従って通常の研究者は環境中の医薬品を特定することが出来ない。

  • ドートンとターネスは66のクラスに分けたリストを作成した。この中には抗うつ剤、抗ガン剤、精神安定剤、多種類の鎮痛剤、鎮静剤、抗高血圧剤(血圧低下剤)、防腐剤、殺菌剤、抗てんかん剤、気管支拡張剤、多くの脂質調整剤または抗コレストロール剤、X-線撮影用造影剤、筋肉弛緩剤、抗精神病剤、経口避妊剤、食欲抑制剤(ダイエットピル)、抗生物質、合成ホルモン(エストロゲンおよびタイロード)などが含まれる。アメリカにおいて1999年現在、最もよく使われている約200種類の処方薬についての詳細は下記のウェブ・サイトで見つけることが出来る。
    www.rxlist.com/top200.htm
    これらの200種は毎年アメリカで処方されるすべての薬の約3分の2にあたる。

  • 薬剤と身体ケア製品に対するほとんどの曝露は水中の環境で起こるが、それは陸上でも起こる。土壌汚染の主な原因は恐らく下水処理施設からの汚泥や動物の排泄物が埋め立てに使われたり、露天の廃棄物置き場からの浸出によるものである[6,pg.925] 。

  • ドートンとターネスは「理論的には作物畑に利用する汚泥中の医薬品や身体ケア製品は設備により処理することは出来る」と述べている[6,pg.921]。確かに、この問題に関しては汚泥を土壌と混ぜられる前に注意深く検査するべきだということには誰もが賛成するであろう。
 これは新しい問題であろうか。ドートンとターネスは「継続的に毎日、下水処理設備から河川にキログラム単位の量の薬剤が排出されており、それが持続的な濃縮をもたらし、水中生物を脅かす可能性があるということは、20年も前から分かっていたことだ」と述べている[6,pg.925] 。

 しかし20年間、当局も製薬会社もそのような問題は存在しないと言い張ってきたが、それは恐らく、彼らはどうしたらよいのか分からなかったからであろう。現在、この問題は3つの理由のために、より悪くなっているようにみえる。
  1. 上述したようにゲノムが新薬開発のゴールドラッシュを招いている。
  2. インターネットにより人々は以前は入手できなかった薬剤を購入できるようになった。
  3. 最近のアメリカ食品医薬品局(FDA) による公聴会で多くの処方薬が処方箋なしに購入できるようになった。前回のFDAによるそのような公聴会は1972年に開かれ、600の薬剤が処方箋薬から非処方箋薬に切り替えられた[7] 。
 アメリカ環境保護庁の科学者であるクリスチャン・ドートンは、環境科学者に対しもっと積極的にこの問題に注意を払うよう働きかけている。しかしながら、この問題はすでに、詳細な化学的分析には手に余るほど大きな問題になっているということをドートンは認識しており、「最終の分析において、薬剤の作用と副作用のメカニズムに関する膨大な情報が与えられたとしても、下水処理施設からの排出をチェックする毒性検査の総数は実現不可能なほど膨大な数になるであろう」と述べている[6,pg.923] 。

 今年の6月にドートン等はミネソタ州で科学会議を開催した[8] 。その会議でニューオリンズのツレン大学の土木技師、グレン R. ボイドはミシシッピー河、ルイジアナ州のポンチェトレイン湖、及びツレン市の水道水の中に薬剤を検出したと報告した。ボイドと彼のチームは検査したすべての水の中に低レベルの抗コレストロール剤クロフィブリック酸や鎮痛剤ナプロクサンや女性ホルモンの一種であるエストロンを検出した。ツレンの水道水からは平均35ppt(最大80ppt)のエストロンを検出した。

 当然、水中生物は文明化した人間が水中に排尿や排便をするという習慣から逃れることはできないので、水中のこれらの薬剤に曝されることになる。6月のミネソタ会議で、科学者のグループが、雄のコイとウォールアイ(訳者注:北米淡水産スズキ目パーチ科の食用魚)が通常は雌だけが生成する卵黄蛋白バイテロジェニンを非常に多量に生成していることを発見したと報告している。1998年にカナダの環境庁であるEnvironment Canadaは、全国の下水処理施設からの排水中に高レベルのエストロゲンと避妊用合成化合物が見いだされたと報告した。オンタリオ州ピーターバラにあるトレント大学のクリス D. メカルフはカナダ環境庁によって発見されたものと同等の実験室レベルの環境条件を作り、このような環境条件の下ではある魚は雄と雌の特性を備えた両性になると、6月に発表した。メカルフはすでに5大湖で両性の白パーチ(訳者注:スズキの類の食用淡水魚)を発見している。

 ドートンとターネスは「人間の健康に関してまだ議論されていない大きな問題は、非常に多くの種類の薬剤を極微量ではあるが毎日、数十年間にわたって飲み水を通して摂取し続けることによる影響である」と述べている[6,pg.923] 。
 我々の赤ん坊を低レベルの非常に多くの薬剤に汚染された水で育てるとどうなるのであろうか?(避妊薬、運動選手の足の治療薬、バイアグラ、Prozac、バリウム、Claritin、アモキシシリン (訳者注:経口ペニシリン)、Prevachol、コデイン (訳者注:鎮痛・咳止め・催眠薬)、Flonase、イブプロフェン (訳者注:抗炎症剤)、Dilantin、Cozaar、Pepcid、Bactroban、Lotrel、Lorazepam、Tamoxifen、Mevacor、その他よく効く薬剤類、及び抜け毛防止剤、防虫剤、日焼け止めクリーム、香水・・・)。誰も分からない。しかし明らかに我々はその結果を見出しつつある。

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ピーター・モンターギュ
Peter Montague (National Writers Union, UAW Local 1981/AFL-CIO)
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[1] Nicholas Wade, "Genetic Code of Human Life is Cracked by Scientists," NEW YORK TIMES June 27, 2000, pg. 1.

[2] Nicholas Wade, "Now the Hard Part: Putting the Genome to Work," NEW YORK TIMES June 27, 2000, pg. D1.

[3] Kenneth Chang, "Incomplete, Project Is Already Paying off," NEW YORK TIMES June 27, 2000, pg. D1.

[4] Andrew Pollack, "Is Everything for Sale?" NEW YORK TIMES June 28, 2000, pg. C1.

[5] Andrew Pollack, "Finding Gold in Scientific Pay Dirt," NEW YORK TIMES June 28, 2000, pg. C1, C12.

[6] Christian G. Daughton and Thomas A. Ternes, "Pharmaceuticals and Personal Care Products in the Environment: Agents of Subtle Change," ENVIRONMENTAL HEALTH PERSPECTIVES Vol. 107 Supplement 6 (December 1999), pgs. 907-938.

[7] Sheryl Gay Stolberg, "U.S. May Ease Sale of Drugs Over the Counter," NEW YORK TIMES June 28, 2000, pg. A1.

[8] Janet Raloff, "Excreted Drugs: Something Looks Fishy," SCIENCE NEWS June 17, 2000, pg. 388.



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