レイチェル・ニュース #701
2000年6月15日
結社の自由−(最終回)
ピーター・ケルマン(注・後記)
#701 - Freedom of Association--Final Part, June 15, 2000
By Peter Kellman
http://www.rachel.org/?q=en/node/5109

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
掲載日:2000年6月29日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_00/rehw_701.html



 今回で、アメリカにおける労働史を概観することは終る。環境保護の運動と何の関係があるのか? 労働者たちは再び動き始めており、その動きの一環として、将来の計画を立てるために自分たちの歴史を見直している。環境破壊についての驚くほど多くの事実を目の前にして心痛める者は、”何が悪かったのか?”と自問してみるのがよい。その答は歴史を検証することによってのみ見つけることができる。【ピーター・モンターギュ】


労働運動の抑圧

 1920年代、大企業は労働運動を抑圧した。この時期の企業経営者は、労働者の社会への関わり方として”アメリカ方式(The American Plan)”を採用することを望んだ。アメリカ方式では、オープンショップ制(訳者注:労働組合に加入していない者でも雇用する制度)、企業運営の福祉制度、企業運営の社会制度、企業支配の地方政府、等の実現を目指した。このアメリカ方式をうまく機能させるためには組合をつぶす必要があった。
 どの企業も次々に大幅な賃金の引き下げを宣言したので、組合はストライキでこれに対抗せざるをえなかった。”禁止令”によってストライキは鎮圧された。同時に司法長官は外国生まれの組合活動家を一斉検挙し、拘留し、犯罪人として本国に引き渡した。サッコとヴァンゼッティはぬれぎぬを着せられ、裁かれ、死刑に処せられた。企業エリートの権力にたてつく者は誰でも、まず新聞で指弾され、それから法廷で有罪判決を受けた。
 しかしながら、最も過酷な仕打ちを受けたのはアフリカ系アメリカ人であった。例えば、1918年〜1921年の4年間に生きながら焼き殺された数が28、1932年にリンチで殺された数が24。我々は”数”についての話をしているのではない。これらの数は”人間”なのだ。

 これらの事件について”ちょっとした赤の騒ぎ(Little Red Scare)”と評する歴史家もいる。しかし、これは決してちょっとしたことではない。数百人の組合運動家が国外退去させられ、殺され、投獄され、そして数千人がブラックリストに載せられた。1933年には、組合員数は民間労働者総数の5.2%にまで落ち込んだ。

労働者の復活

 過去のアメリカの不況時には、組合員数が減少するのが常であったが、”大恐慌”が深刻な状況になると労働者たちは再び結集し、組合に加入する労働者の数も空前のものとなった。10年間沈黙を強いられていた労働者たちは再び動き出した。

ノリス・ラガーディアと全米労働関係法

 今まで見てきた通り1901年から1928年まで、連邦裁判所は118件の労働関係の禁止令を出し、そのうち70件は労働者からの聴取もなしに雇用主の供述だけを基に裁定が下された[1]。
 1932年になると国民は”禁止令”にうんざりしてしまい、共和党は、ノリス・ラガーディア反禁止令法を議会で通し、共和党の大統領フーバーがその法案にサインした。この反禁止令法は、労働者が組合に加入すると自動的に解雇されるという”イエロー・ドッグ契約"(訳者注:yellow dog = 組合に入らない/支持しない労働者)を無効とし、第1条で「本法律に厳密に従う場合を除いて、合衆国のいかなる法廷も労働争議において規制又は禁止令を出す司法権限はない”と述べている。

 ノリス・ラガーディア法の第2条では議会は、労働者と雇用主のアメリカ国内における財産との関係について「現下の経済条件において、雇用主の財産は、政府の庇護の下に企業又は他の形態で確保されているのに対し、個々の未組織労働者は、契約の自由を行使し、労働の自由を守り、そして納得のいく雇用条件を引き出す力を一般的には持っていない。・・・」と述べている。

 議会はその解決として「・・・それ故に、労働者は仲間とのつき合いを断る自由はあるが、自身の雇用条件を交渉するために、結社の自由、組合加入の自由、そして自身の選択により代表者を選ぶ自由を持ち、また自身の代表者を決め、組合に加入し、集団交渉や相互援助や保護を目的とした共同行動をとるにあたって、雇用主やその代理人から干渉や抑制や強制を受けることがないようにすることが必要である。従って連邦裁判所の司法権と権限に関する制限について、次のように定義し、これを立法化する。」と規定した。

 この法律により、労働者を抑圧していた禁止令は撤廃され、”イエロー・ドッグ契約”も廃止されたので、労働者はこの法律の中で述べられているように「結社の完全なる自由を得、・・・、組合に加入し、集団交渉や相互援助や保護を目的とした共同行動をとるにあたって、・・・、雇用主からの干渉や抑制や強制を受けない。」ということを享受することができるようになった。
 労働者は権利、自由を保障する”マグナ・カルタ”を得た。結社の自由は法律となった。禁止令を廃止し、労働者が自由に結社することを認める法律を持つという全米労働総同盟の目標は達成され、文書に記録された。労働者は組織化することができ、ボイコットをすることができ、ストライキをすることができるようになり、一方、雇用主は最早、連邦裁判所の禁止令や雇用主の利益のために労働運動を妨害をする州の警察権力に頼ることはできなくなった[2] 。

 このような法的な勝利を得たにもかかわらず、大きな変化は起きなかった。1932年、アメリカは大恐慌の真っ最中であり、労働者の力は弱く、雇用主は切り札の多くを持っていた。翌年、大統領フランクリン・ルーズベルトはニューディール政策を打ち出した。
 このニューディール政策には労働委員会の設立も含まれていたが、もっと重要なことはルーズベルト政権が、国を大恐慌から救うために、組合の組織化を支援したということであった。
 ルーズベルトの労働委員会(後の全米労働関係委員会 (NLRB) National Labor Relations Board)設立の目的は生産活動を妨げるストライキを減らすことにあった。しかしながら、ルーズベルト政権は労働者がもっと組織化されれば賃金も上昇する考えていたので、組合は意を強くした。労働者が金をもっと手にすれば商品をもっと購入するであろう。従って商品をもっと生産することになり、国の経済は成長し、不況から脱出できる。緊縮政策ではなく拡大政策である。
 ルーズベルトが判事を入れ替えると最高裁を脅すまで、最高裁は彼の政策の多くは憲法違反であるとみなしていた[3]。1937年の全米労働関係委員会(NLRB)対ジョーンズ&ラフリン鉄鋼会社の裁判において、1935年の全米労働関係法は合法であるとの裁定が下された。法廷の意見はノリス・ラガーディア反禁止令法の中の次の言葉を反映したものであった。

 「雇用主が事業を組織化し、役員や代理人を置く必要があるのと同じように、従業員も組合を組織し、合法的な目的のために代表者を選任する権利を有する。従業員の組合加入や代表者選任の権利を行使することを妨害するための差別や威圧は、法的権威者による有罪判決のための有力な判断材料となる。かつて、我々は従業員を組織化する理由を述べた。我々は従業員は必要に迫られて組織化されると述べた。すなわち、従業員単独で雇用主を相手に交渉するのは難しいし、通常、従業員は日々の賃金で彼自身と家族を養っており、例え、彼が正当であると考える賃金の支払いを雇用主が拒否しても、その職場を離れることはできないし、気まぐれで不当な扱いに対して、1人では逆らうこともできない。従って組合は、従業員が雇用主と対等に交渉できる機会を与えるために重要である。」

 さらにノリス・ラガーディア反禁止令法は1938年に合憲であると認められた。これは労働者は組合の組織化とストライキの自由を得、ボイコットは合法であり、首切りはなくなったということを意味する。それは”イエロー・ドッグ契約”と恐ろしい労働関連の禁止令は歴史上のこととなったということである。このような明白な労働者の勝利にもかかわらず、大企業の雇用主が自動的に組合を認めるということにはならなかった。そこで労働者は雇用主に組合を認めさせるためにゼネラルストライキをもって全市を閉鎖し、工場を占拠せざるをえなかった。

 恐慌は深まるばかりであったので、労働者は組織化を続け、その力を増大し、ついには1936年の大統領選挙で、ルーズベルトは労働者の支援のおかげで再選されるということにまでなった。労働者の力が非常に強くなったので、1936年末には労働者がミシガン州フリントにあるゼネラル・モーターズの工場を占拠した時にも、州政府も大統領ルーズベルトも、会社の施設からストライキ実施者を排除するために軍隊を派遣するというようなことはしなかった。ストライキ実施者は勝利し、その後もゼネラル・モーターズの他の工場で18の座り込みを行った。
 しかし1938年5月、全米労働関係委員会(NLRB)対マッキー無線社との裁判で、法廷はストライキ首謀者の解雇を合法とする判決を下し、大幅な後退を示した。これにより会社を首になってまでストライキの権利を行使しようとはしなくなった[4]。さらに1941年、全米労働関係委員会(NLRB)対バージニア電力会社との裁判で、雇用主に組合信任の選挙で発言の自由を認める判決を下した。

 1947年には、議会は 次のようなタフト・ハートレー”奴隷労働”法を可決した。
  • 国民の健康と安全を危うくするような全米危急のストライキに対して大統領は禁止令を発動できるというタフト・ハートレー法を制定した。これにより1932年にノリス・ラガーディア法によって得られたものは無効となった。
  • 州議会がユニオンショップ制(訳者注:労働者は採用後一定期間内に労働組合に加入しなければならないという制度)を禁止することを許可した。
  • クローズドショップ 制(訳者注:労働組合員だけを雇う制度)を無効とした。
  • 同情ストライキやボイコットを実質的に違法であるとした。
  • 共産主義者を組合員から除外しない組合を全米労働関係委員会(NLRB)の選挙から締め出した。
  • 組合から年金と福利厚生基金の管理を取り上げた。
  • 雇用主が会社の中に組合があることについて、積極的にそして口頭で反対する権利を認めた。
  • 職長を組合から退会させた。
  • 不信任選挙(decertification election)の制度を設立した。
 1930年代を通じて労働者は組織化の努力を続け、労働史上短い期間ではあったが政府が労働者の側に立った。1933年には組合加入者は民間で働く全労働者の5.2%であったものが、1939年には15.9%に、そして最盛期の1953年には26.9%に達した。現在は10%前後で横這い状態である。組合の経済的そして政治的な力が衰退する中で、大部分の労働者の標準的な生計における実質的な賃金は、1973年以来減少している。

4.労働運動は憲法を拡大できるか

 しかし、いつも悪いことばかりではない。1830年代の反奴隷制運動、参政権運動、そして労働運動は、憲法の条文に述べられている”我々人民”という言葉を真摯にとらえて行われたので、奴隷制はなくなり、参政権は資産のある白人男性だけでなく、人種や性や資産の有無にかかわらず、全ての市民に与えられた。これらの運動の勝利により、憲法修正第13条、14条、15条及び19条が可決された。

 1830年代の初頭に労働運動によって掲げられ、その獲得のために闘われた多くの法律制定の目標、例えば職場での児童労働の保護、労働者の健康と安全の確保、無料の義務教育制度の実施、等は合憲であると裁定された。しかしながら結社の自由−組合を組織する自由−は未だに憲法に織り込まれていない。しかし労働者は現在、結社の自由を実施する”力”を持っている。
 従って現在、問われていることは”我々の歴史を鑑み、我々は次の全米労働関係法に何を望むか”を明確にすることである。

 まず始めに、新・全米労働関係法(a new National Labor Relations Act(NLRA))は憲法修正第1条、修正第13条、ノリス・ラガーディア法そして現在のNLRAの第7条を取り込むべきであり、現在のNLRAの様に憲法の通商条項は取り込むべきではない[5]。言い換えれば、組合の組織化をはかる労働者の権利を保護する法律は、雇用主を保護する基本法の一部であってはならないということである。労働者は商工会議所に加わって企業経営の意思決定に参画するようなことはしない。同じように、企業は労働者が組合を結成する過程に参画すべきではない。



(注)ピーター・ケルマンについて
ピーター・ケルマンは”企業と法律と民主主義のプログラム”(Program on Corporations, Law and Democracy (POCLAD))で活動している。POCLADに関する情報を入手するためには下記にコンタクトして下さい。
e-mail: people@poclad.org
web site: www.poclad.org
phone: (508) 398-1145
mail: P.O. Box 246, So. Yarmouth, MA 02664-0246

[1] Leon Fink, IN SEARCH OF THE AMERICAN WORKING CLASS: ESSAYS IN AMERICAN LABOR HISTORY AND POLITICAL CULTURE (Urbana, Ill.: University of Illinois Press, 1994), pg. 251.

[2] Norris-Laguardia did not prevent state courts from issuing injunctions in labor disputes but by 1941, 24 states had passed their own anti-injunction laws; see Harry Millis and Royal Montgomery, ORGANIZED LABOR (N.Y.: McGraw Hill, 1945), ph. 647.

[3] Roosevelt's threat to stack the court (which took the form of legislation, which failed) is merely emblematic of the kind of political pressure being felt by the Court, pressure which came from many directions.

[4] NATIONAL LABOR RELATIONS BOARD V. MACKAY RADIO , 304 U.S. 333(1938). Employer free speech case: NATIONAL LABOR RELATIONS BOARD V. VIRGINIA ELECTRIC & POWER CO., 314 U.S. 469 (1941).

[5] In principle, Section 7 gives employees the right "to self organization, to form, join, or assist labor organizations, to bargain collectively through representatives of their own choosing, and to engage in other concerted activities for the purpose of collective bargaining or other mutual aid or protection.

Descriptor terms: labor; constitutional law; human rights; freedom of association; boycotts; strikes; injunctions; contracts clause; corporations; intangible property; national labor relations act; norris-laguardia;



化学物質問題市民研究会
トップページに戻る