レイチェル・ニュース #698
2000年5月25日
労働者の組織化と結社の自由−2
ピーター・ケルマン(注・後記)
#698 - Labor Organizing and Freedom of Association--Part 2, May 25, 2000
By Peter Kellman
http://www.rachel.org/?q=en/node/5092

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
掲載日:2000年6月2日
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http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_00/rehw_698.html



 経済的に大きな不平等があると、健康に関する深刻な問題が社会に生じ、社会が不安定になる。労働組合はこのような経済的な不平等をなくすことに貢献しているので、(先週のREHW #697から)労働者の立場から見たアメリカの歴史を述べたピーター・ケルマンの啓発書を紹介している。【ピーター・モンターギュ】



 先週、REHW #697で見た通り、1776年には、アメリカの資産家たちはイギリスの課税支配から逃れ、アメリカの資源を自分たちが自由に使い、それらをイギリスの支配者たちと共有したくないと考えていた。

 アメリカの革命は主に2つのグループによって推し進められた。これら2つのグループの人々には3つの共通点があった。(1)資産階級である。(2)白人である。(3)男性である。
 第1のグループは、投機家、大地主、農場主、商売上の大きな利権を持っている人たち等である。第2のグループは小売商、熟練工、小規模の事業家、等である。これら2つのグループを合わせても、せいぜい全人口の10%であった。彼らが革命を起こし、彼らは1776年に13植民地が独立を宣言した時に権力を握った州政府の中心となった。彼らは”州連合共和国(the Republic of the United States)”を創設した。

 しかしながら、大部分の住民は共和国への参加から除外されていた。これらの人々の中には、完全に他人の所有物であるような人々もいた。それらの人々のうち、アフリカからの奴隷たちとその子孫は人口の20%を占めていた。また一定期間は他人の所有物である年季奉公人たちは人口の10%くらいであった。そして全ての女性たち、先住民たち、および資産の少ない人々には選挙権が与えられていなかった。例えば、1787年、サウス・カロライナでは”21歳以上で、・・・50エーカー以上の土地を持つ自由な白人”にのみ選挙権が与えられた[1]。しかしサウス・カロライナの役人になるためにはバーはさらに高く上げられ、1万ポンド以上の資産がなくてはならなかった[2]。

合衆国憲法
 1776年に、13の植民地は大英帝国からの独立を宣言し、1781年には、州となった各”植民地”は、お互いの関係を定義づけた”連合規約”と呼ばれる一連の規約を批准した。1787年に各州議会は代表を送り、”連合規約”を改訂するための会議を開催した。この会議は”1787年の憲法会議”として知られている。それは非公開の会議であり、その議事録が公開されたのは53年後のことであった[3]。

 1781年から1787年の間に、革命を成し遂げた上流階級の人々に将来を案じさせるような多くのことが起こった。州議会において、資産階級の人々の中に不和が見え始めた。資産階級内の争いが、やがて州政府当局に対する暴動となることもあった。

 小規模実業家や熟練工たちは、大実業家たちと利害がぶつかるようになった。小規模実業家たちは自分たちの小さな商売を守るために州の高い関税を望んだが、大実業家たちは、州間のいわゆる”自由貿易”を要求した。一方、土地を開墾した人々はそれを所有することを要求して、各所で州当政府局に対し暴動を起こした。例えば、ニューヨーク州の大地主に対するバーモントのグリーン・マウンテイン・ボーイズの暴動は、1777年に14番目の州としてバーモント州を設立させる引き金となった。しかしなんといっても、1787年の合衆国憲法制定に関わった大資産家達に最も大きな衝撃を与えたのは、マサチューセッツ州西部の農民達が、ボストンの大実業家達の政策に反対して、1786年から1787年にかけて起こしたシェーズの反乱であった。各州間の自由貿易を望んだ人々は、各州の市民軍では抑えきれない反乱を抑圧できる、強力な連邦政府と連邦政府軍を持つ必要があると感じていた。

 1787年に憲法制定のためにフィラデルフィアに集まった人々は全て資産階級の男たちであった。有名な歴史家、チャールス・ビアードによれば、憲法起草の主要人物であるジェームス・マディソンは一度ならず演説において、”利害の対立は避けられない”と述べた。彼は大会参加者に対し、この国で一番大きな利害の対立は、資産を持つものと、持たざるものとの対立であると述べた。
 さらに、ビアードは「農民たちのリーダーは、数ある望みの中で、まず第一に”組合を持つこと”、二番目に、事業を保護し、規制し、推進してくれる”連邦政府を設立すること”、三番目に、保護されるべき階級の利害に脅威を与える”州議会を解散させること”を望んだ」と述べている[4] 。

 以下に合衆国憲法の制定者達が提案した内容のいくつかを紹介する。

通商条項 − 最初のNAFTA
 憲法第1条、8(3)項の通商条項は”外国との、各州間との、そして先住民との”通商を規制するためのものであったが、これにより、小資産階級と大資産階級の利害の対立はより大きなものになった。憲法が批准されると、各州独自の議会はもはや、各州間の貨物の流れを妨げる保護関税を設けることはできなくなった。当時の大商業利権が、地方の産業を育成しようとする小企業を打ち負かしたのである。
 最近、似たようなことが起きている。多国籍大企業の利害が国内の企業と労働者の利害を打ち負かし、NAFTA(North American Free Trade Agreement、北米自由貿易協定)が議会で成立した。
 通商条項は北アメリカにおける最初の”自由貿易”協定で、NAFTAのようなものであり、非公開の会議で取り決められた。

契約条項
 さらに、憲法第1条、10(1)項の契約条項は、”各州は、契約の義務を損なうような、どのような法律も制定することは出来ない”と規定している。法理論では、契約は対等な関係にある者同士の合意に基づくものであるから、州は契約の内容について干渉することは出来ないとしている[6] 。例えば、州が、雇い主が労働者を働かせることの出来る最大労働時間を規定する”公的な法律”(PUBLIC law)を制定するとすれば、裁判所は、個々の市民が外部からの干渉なしに契約を取り決める権利を損なうものとみなすことになる。契約は”私的な取り決め”(PRIVATE law)である。従って1937年以前に州議会で制定されたほとんどの労働法は、アメリカ最高裁判所によって、契約条項に違反しているために、違憲であると裁定された。それらは、私的な取り決めに違反した公的な法律というわけである。意味するところは明白である。、憲法の序文で述べられているように、”公衆の福祉”を促進するための政府の義務は”私的な取り決め”、すなわち契約条項を優先させることであった。

 契約の精神は、契約の当事者同士が対等であるという前提に基づくものである。憲法制定者たちは、年季奉公人が主人と契約交渉を行う場において、あたかも主人と対等であるかのように、我々を信じさせようとしていた。その状況は、組合員が200人足らずの小さな地方の労働組合が、十分な金と人材を有する強力な雇い主と契約交渉を行おうとしているのとよく似ている。実際に、これでは対等な関係での契約交渉とはいえない。これは法律上の虚構であり、裁判所も、議会も、軍隊も、警察も、このゆがんだ常識を是認しているのである。

 1905年のロクナー・V ニューヨーク事件は、契約条項がいかに労働者階級の民主的立法活動を抑圧したかを示す古典的な事例である。世論の高まりの結果、ニューヨーク州立法府はパン職人の労働時間を1日10時間以内、週60時間以内に制限する法律を制定した。これに対し、アメリカ最高裁判所は合衆国憲法に違反するので、”主人と雇い人の雇用に関する契約の自由を禁止したり、干渉することは出来ない”と裁定した。今日、成人労働者の労働時間を制限する法律が連邦政府や州にあるであろうか。

 私的な取り決めが公的法律に優先するという我々の憲法により、労働者にとって労働条件を改善するための法的手続きは非常に難しいものとなった。これは憲法が、主に雇い主との契約関連の事柄に関し集団交渉することを制限し、さらにアメリカの労働条例がこのことに制限を加えているからである。”我々人民”のための政府は”公衆の福祉を促進するためにある”(We the People forming a Government to promote the general Welfare) と憲法の序文は約束している。問題は、誰が”公衆の福祉”を定義するかである。それは最高裁の判事となるようなエリート階級の弁護士であり、決して店員や教師や大工ではない。例えば、我々にとっての次のような争点の合憲性が問題となった時に、それを決定するのは最高裁の5人の判事である。週40時間の最大労働時間は合憲か?労働者は職場で表現の自由があるか?雇い主は組合の選挙において発言の自由があるのか?

奴隷返還条項
 人権は憲法創設者達の議題の中で重きをなしていたようには見えないが、労働者たちがそれを憲法に織り込んだ。
 憲法第4条、2(3)項は次のように規定している。”州法の下に年季奉公や奴隷労働に従事していた者が、他の州に逃げ込んだ場合、その州では年季奉公や奴隷労働から解放される。しかしながら、彼らが仕えていた主人からの返還要求があれば、彼らは主人に引き渡される。”

 ジェームス・マディソンやジョージ・ワシントンのような人々は、彼らの財産である奴隷や年季奉公人たちに、例え他州に逃げ出してもアメリカ憲法は彼らを引き戻すことを保証しているのだということをよく知らしめることを望んだ。  第4代アメリカ大統領であり、”憲法起草の主要人物”であるジェームス・マディソンは、彼の財産を守ってくれる大きな財政上の特権を持っていた。彼が、アメリカ革命の直後にイギリスからの訪問者に述べたところによれば、彼は黒人奴隷1人当たり年間257ドル稼いでいたが、かかる経費は12〜13ドルであった[7] 。ジェームス・マディソンは、ある時期に116人の奴隷を所有していた。彼が述べたことに基づけば、彼は年間 28,304ドルの利益を奴隷労働から得ていたことになるが、彼の奴隷たちは、非人道的な奴隷であるということ以外になにも得るものがなかった。
 もしあなたが奴隷や年季奉公人であったならば、あなた方の憲法を起草した”アメリカ憲法創設の主要人物”についてどのように感じますか?
(次週に続く)



(注)ピーター・ケルマンについて
ピーター・ケルマンは”企業と法律と民主主義のプログラム”(Program on Corporations, Law and Democracy (POCLAD))で活動している。POCLADに関する情報を入手するためには下記にコンタクトして下さい。
e-mail: people@poclad.org
web site: www.poclad.org
phone: (508) 398-1145
mail: P.O. Box 246, So. Yarmouth, MA 02664-0246

[1] Minor v. Happersett, 88 U.S. 162 (1875),172-173.

[2] Francis N. Thorpe, THE STORY OF THE CONSTITUTION OF THE UNITED STATES (N.Y.: Chautauqua Press, 1891), pg. 48.

[3] Jerry Fresia, TOWARD AN AMERICAN REVOLUTION (Boston: South End Press, 1988), pg. 47.

[4] Charles Beard, THE REPUBLIC -- CONVERSATIONS ON FUNDAMENTALS (New York: Viking Press, 1943), pg. 285.

[5] "Free trade" is the international equivalent of "right to work." A "right to work" law is a state law that prohibits union membership as a condition of employment, even though everyone in a place of employment receives all the benefits that the union wins under a collective bargaining agreement. As labor people know, "right to work" means the right to work for less. The reality of free trade is that workers in one country are forced to work for less to compete with workers in another country. "Free trade" = right to work for less.

[6] A contract is an agreement between two or more parties, a private law enforceable through court action. When a union negotiates a contract with a private employer, the contract is not voted on by the state legislature. Yet if one party to a contract reneges, the aggrieved party will go to court to force the offending party to live up to the "private law."

[7] Howard Zinn, A PEOPLE'S HISTORY OF THE UNITED STATES, 1492-PRESENT (N.Y.: Harper Perennial, 1995), pg. 33.

Descriptor terms: u.s. history; labor; organizing; nafta; slavery; indentured servitude; contract law; u.s. constitution; constitution; commerce clause; contracts clause;



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