レイチェル・ニュース #692
2000年4月13日
がんの主な原因−2
ピーター・モンターギュ
>#692 - The Major Cause of Cancer--Part 2, April 13, 2000
By Peter Montague
http://www.rachel.org/?q=en/node/5062

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
掲載日:2000年4月25日
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_00/rehw_692.html



 1896年エックス線が発見されると、医療に携わる医師たちは直ぐにその潜在的な利便性ついて理解し、手作りのエックス線機器で実験を始めた(REHW #691参照)。エックス線の発見の3週間後には、多くの実験者から、エックス線被曝により、手に痛みのあるやけどを負ったという苦情が出始めた。

 エックス線に加えて、1910年までに医療界では治療のために放射性ラジウムが広範囲に用いられていた。ラジウムは産業界でも、時計の文字盤の蛍光塗料、人形の眼、魚釣り用疑似餌、銃の照準器などに用いられるようになった。しかしながら1920年代中頃には、時計の文字盤にラジウムを塗る作業を行っていた多くの若い女性が死亡したことが判明した。彼女達の雇い主であるニュージャージ州ウエスト・オレンジのUSラジウム会社は、若い女性達は彼女達が不衛生にしていたから死亡したのだと言い張った。しかし1924年と1925年の作業場の調査の結果、すべての作業者は過度な放射線に曝されていたことが分かった。このような試行錯誤により、ラジウムによるアルファー線とガンマー線はそれらがたとえ微量であっても非常に危険であるということが分かってきた。

 1942年12月2日、人類初の原子炉がシカゴ大学スタッグ・フィールドのフットボール場地下に設けられた秘密の研究施設で運転を開始した。この原子炉の第1の目的は核分裂が実現可能(かつ制御可能)であることを示すことであり、第2の目的は原爆用のプルトニウムを作ることであった。アーサー・コンプトン博士が、アメリカの原子爆弾製造のためのコード名である”マンハッタン計画”を指揮した。

 当時、世界のラジウムの貯蔵量は約2ポンドであった。シカゴに、それからテネシー州クリントン及びワシントン州ハンフォードに建設された原子炉では、放射性物質の貯蔵量はウラン換算で数千トンに及んだ。これらの原子炉による多くの放射性元素は新しいもので、その特性はよくわからなかった。アサー・コンプトンと彼の同僚は、作業員を放射線の危険から守るための安全基準を作るべきであると主張した。

 1943年初頭、コンプトンは放射線安全基準を設定し、その基準に合致していることを確認するための測定器を開発するために、1人の放射線医学者、1人の化学者及び3人の物理学者を採用した。これら5人の科学者はヘルス(健康)に関わる物理学者と言う意味で”ヘルス物理学者”と呼ばれた。今日においても放射線の健康への影響を研究する科学者たちは自分たちのことを”ヘルス物理学者”と呼んでいる。エックス線スペシャリストは放射線医学者と呼ばれている。

 1943年に当初のヘルス物理学者のグループはテネシー州クリントンに移った。そこではウランを処理するための巨大な産業施設が建設中であった。これは後にオーク・リッジ国立研究所(ORNL)として知られるようになる。1944年、当初の5人のヘルス物理学者の内の1人、カール Z. モーガンはオーク・リッジのヘルス物理学部門のディレクターに任命された。彼は1972年に定年退職の年齢に達するまでの29年間、この地位にあった[1,pg.33]。

 モーガンはヘルス物理学の専門的職業としての確立及び世界的な放射線基準の設定に関し、中心的な役割を果たした。モーガンを暫定会長とするヘルス物理学会が1955年に設立された。引き続きモーガンは投票による初代会長に選出され、1956年から1957年まで会長職を務めた。1955年から1977年までモーガンは学会の専門誌”HEALTH PHYSICS”の主席編集者を務めた。1966年に30カ国の専門家からなる国際放射線防護協会(IRPA)が設立され、モーガンは初代会長に選出された。

 ほとんどの放射線基準は国際放射線防護委員会(ICRP)によって制定されたが、このICRPは、初期の基準設定グループであった国際エックス線及びラジウム防護委員会を継承するものであった。モーガンは1950年から1971年までICRPの13人のメンバーの1人として務め、この時期に彼は、内部被曝に関するICRPの委員会を主導し、後に世界的に採用されることとなった放射線基準を設定した。カール・モーガンがしばしば”ヘルス物理学の父”と呼ばれる所以である。

 近年モーガンはICRPの仕事について批判している。モーガンによれば、ICRPには2つの盲点がある。すなわちICRPは医療における過度のエックス線照射による国民への危害について取り組んだことがないということ、そして1960年代中頃までICRPは国民よりもむしろ原子力産業を防護するための放射線に関する基準作りを行っていたということであるとモーガンは述べている。

 現在もICRPの名誉会員であるモーガンによれば、ICRPは1960年代の初頭には深刻な放射線の危険性について無視し始めた。「アメリカ、イギリス、フランス及びソ連による大気核実験の行われたこの時期は文明史における悲しい1ページであった」とモーガンは述べている。それは疑いもなく数十万人に対しガンによる死をもたらした。この件に関しICRPは完全に沈黙するのみであった。この期間(1960年〜1965年)、ほとんどのICRPのメンバーは、直接核兵器産業に携わるか、または間接的に核兵器産業から多くの研究資金の提供を受けていた。恐らく彼等は餌をくれる飼い主の手をかむことに消極的であったのであろう[2]。

 1970年代になると一連の研究により放射線はかって信じられていたよりもはるかに危険であるということがわかり、事態は一層悪くなった。1974年、バルク・モダンは女性が乳ガンになるチャンスは1.6rem程度のエックス線照射によっても増大することを示した[3]。1977年トーマス・マンチュソー等はハンフォードのプルトニウム施設の作業者たちは多年にわたる蓄積による3rem程度の放射線被曝によりガンで死亡したと報告した[4]。(当時の作業者の安全基準は年間被曝5remであった。)モーガンによれば、これらの調査研究は原子力産業をパニックに陥れた。「もし国民がそのような低レベルの被曝によってもガンになるリスクが増大するということを信じたならば、自分たちの存在そのものが危うくなるということを恐れて、原子力産業はすべての挑戦者に対し積極的に対応するこを決めた」とモーガンは彼の自伝の中で述べている[1,pg.112]。その結果、「最近10年間にヘルス物理学はその高潔性が犠牲になった。雇い主を怒らせぬよう真実を隠すというようなことはしない真の専門家も確かにいるが、そのような人々は少数派である」とモーガンは1999年に述べている[1,pg.113]。

 ICRPは国民の健康に影響を与える他の問題、医療及び歯科におけるエックス線の過度の被曝、についても知らぬ振りをしていた。1950年代初頭、一連の調査研究によりエックス線はかって考えられていたよりもはるかに危険であるということが示された。1950年、H.C.マーチは放射線医学者は他の科学者より9倍、白血病で死亡しているということを示した[5]。1956年、アリス・スチュアートは1回の胎児へのエックス線照射により、子どもの白血病は2倍になるということを示した[6]。

 彼の1999年の自伝で、ICRPは医療診断における過度で不必要なエックス線照射に対する関心が欠如しているとモーガンは述べている。「・・・診断における過度で不必要なエックス線照射の問題を提起するたびに、それはレンガの塀にぶち当たるようなものであった」とモーガンは1994年に述べている[2]。「医療における過度の照射については、ICRPは決して関わるはずがないということを直ぐに理解した。というのはICRPは国際放射線会議(ICR)の賛助のもとに設立されており、放射線医学者は診断にエックス線を使用することを制限されたり妨げられることを望まないからである。私はICRのICRPへのスポンサーシップに関する深刻な利害の矛盾を感じて居心地の悪い思いをした。利害の矛盾は悪性の感染症のようなものであった」。

 1960年代の中頃、オーク・リッジ研究所のモーガンの部署ではアメリカの子どもたちが集団胸部エックス線検診によって受けるエックス線被曝について研究した。1950年代に、可搬型エックス線機器を積んだ専用トラックで学校に行き、数百万人のアメリカの子どもたちの胸部検診を行うことが始まった。オーク・リッジの研究調査によれば、これらの子どもたちはエックス線により2〜3remを被曝していた。モーガンはこれは過度な被曝であると考えた。というのはオーク・リッジ研究所の作業員は胸部検診ではたったの0.015remの被曝しか受けていなかったからである。言い換えれば、子どもたちは適正なエックス線フィルムを得るために必要なエックス線照射の130〜200倍の照射(実際にはほとんどの子どもたちは胸部エックス線検診など必要としないのであるが)を受けていたことになる。(アメリカの子どもたちの集団エックス線検診はモーガンやロザリエ・バーテル、イワン・ブロス等によるキャンペーンにより中止された[2]。

 1940年代及び1950年代に多くの靴店で蛍光透視(エックス線)の靴合わせ機が設置された。1949年までに調査研究の結果、靴合わせ機は子どもたちに高い放射線被曝を与えることが分かった。ICRPは再びこの件について興味を示さなかった。

 モーガンと彼の同僚は、医療用エックス線は全ての人工的な放射線源からの放射線の90%を占めるであろうと算定した[7,8]。1963年にモーガンは、平均的アメリカ市民は毎年自然界の放射線と同じくらいの被曝を医療用エックス線から受けているということを示した。言い換えれば、アメリカにおいては医療用エックス線によって、平均的な人間の放射線被曝は倍加されているということである。モーガンが指摘していることは、最新の機器と技術を用いれば、もっと低い照射でも同様な効果が得られるはずだということである。しかしながら医療界の多くはこれらについて耳を貸そうとしなかった。

 長年、モーガン達は医療及び歯科における過度で不必要な放射線照射の危険について、彼のことばによれば”20年に及ぶ挫折感”を伴う努力をもって、訴え続けた。リンドン・ジョンソン大統領が、アメリカのエックス線機器についての標準となった公法90-602「健康と安全のための放射線管理1968」にサインした時が我が人生のハイライトであったと、モーガンは彼の自伝(p. 121)で述べている(ウェブサイトwww.fda.gov/cdrh/radhlth/summary.html参照のこと)。しかしながらこの法律をもってしても過度で不必要な放射線照射を抑制することはできず、それは現在でも日常的に行われている。

 過去20年の間に、過度なエックス線照射を懸念した他の重要な科学者はジョン・ゴフマン博士である。モーガンは自伝の中でゴフマンについて次のように述べている。
 「・・・ジョン・ゴフマンは化学と医学の両方の学位を持つ科学者である。グレン・シーボーグとともにゴフマンはウラン-233を発見し、また彼はプルトニウムを分離した最初の人であった。このような功績にも関わらずゴフマンは栄誉をあまり受けていない。私の意見では、彼は20世紀の主導的科学者の1人であるとモーガンは書いている。

 20年以上にわたり、ゴフマンは低レベルの放射線照射の危険に関する研究について発表している。彼の最新の著書では700頁に渡り、”医療用放射線は20世紀におけるアメリカのガン死亡の非常に重要な、恐らく主要な原因である”という仮説について述べている[9]。言い換えれば、ゴフマンは医療用エックス線がアメリカにおけるガン(乳ガンを含む)と心臓病の主要な原因であると信じている。ゴフマンの仕事は注意深く、徹底的なものであり、その著述は明快なので、この世のほとんどのヘルス物理学者はそれらを無視することはできないであろう。

【次週に続く】
ピーター・モンターギュ
===== Peter Montague (National Writers Union, UAW Local 1981/AFL-CIO) =====

[1] Karl Z. Morgan and Ken M. Peterson, THE ANGRY GENIE; ONE MAN'S WALK THROUGH THE NUCLEAR AGE (Norman, OK:University of Oklahoma Press, 1999). ISBN 0-8061-3122-5.

[2] Karl Z. Morgan, "Changes in International Radiation Protection Standards," AMERICAN JOURNAL OF INDUSTRIAL MEDICINE Vol. 25 (1994), pgs. 301-307.

[3] Baruch Modan and others, "Radiation-Induced Head and Neck Tumors," LANCET (Feb. 23, 1974), pgs. 277-279.

[4] Thomas F. Mancuso and others, "Radiation Exposures of Hanford Workers Dying from Cancer and Other Causes," HEALTH PHYSICS Vol. 33 (November 1977), pgs. 369-385.

[5] H.C. March, "Leukemia in radiologists in a twenty year period, "AMERICAN JOURNAL OF MEDICAL SCIENCE Vol. 220 (1950), pgs. 282-286.

[6] Alice Stewart and others, "Preliminary Communication: Malignant disease in childhood and diagnostic radiation in utero,"LANCET Vol. 2 (1956), pgs. 447-448.

[7] Karl Z. Morgan, "Medical X-Ray Exposures," INDUSTRIAL HYGIENE JOURNAL (November/December, 1963), pgs. 588-599.

[8] Karl Z. Morgan, "You can drastically cut X-ray exposure below today's levels," CONSULTANT (March/April, 1970), pg. 16.

[9] John Gofman, RADIATION FROM MEDICAL PROCEDURES IN THE PATHOGENESIS OF CANCER AND ISCHEMIC HEART DISEASE (San Francisco: Committee for Nuclear Responsibility, 1999). ISBN 0-932682-98-7. $27.00; telephone (415) 776-8299. E-mail crnl123@webtv.net.

Descriptor terms:
radiation; x-rays; cancer; karl z. morgan; john gofman; heart disease;



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