レイチェル・ニュース #688
2000年2月24日
子ども達の知能を低下させる−2
(子ども達の鉛中毒−2)

ピーター・モンターギュ
#688 - Dumbing Down the Children--Part 2, February 24, 2000
By Peter Montague
http://www.rachel.org/?q=en/node/5025(リンク切れ)
(下記 US EPA ARCHIVE DOCUMENT に保存されている)
https://archive.epa.gov/projectxl/web/pdf/2-00.pdf

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/
掲載日:2000年3月11日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_00/rehw_688.html



 このシリーズの第1回目(レイチェル・レポート#687)は、ニューヨーク・タイムズ紙の1999年のレポートを紹介することから始まった。同紙によれば、アメリカの州政府は、子ども達に鉛汚染の検査を実施するよう求めた1989年の連邦政府の法律を遵守することを拒否している。
 鉛汚染は、たとえ低レベルであっても子ども達の知能指数を下げ、聴覚障害や発育障害をもたらす可能性がある。その法律はメディケード(低所得者用医療保険制度)の適用を受けている全ての子ども達は、生後12ヶ月と2歳の時に鉛汚染の検査を受けるよう求めている。検査費用と、検査の結果、鉛に汚染されていると判明した子ども達の医療費は連邦政府が負担する。
 しかしながら、議会の調査機関である”一般会計局 General Accounting Office (GAO)”の1999年の調査によれば、州政府はその法律に従うことを全く拒否している。その結果、高レベルの鉛汚染に曝されている数十万の子ども達が検査も医療も受けられないでいる。

 同紙はこのように述べている。(レイチェル・レポート#687を参照)
 我々は、「何故、州政府は子ども達を有毒な鉛にさらし続けるような政策を採るのか?」という問いに対する答えを探し求めている。

***

 幼児期の鉛汚染というのは新しい出来事ではない。鉛に汚染された子ども達に関する医療レポートは、アメリカでは1914年に現れている。1930年代までに、この問題に関する多くの情報が、医療関連機関誌で報告された[1,2,3]。第1次世界大戦の前に、この問題の明白な原因の一つが判明した。子ども達が暮らす家の壁、おもちゃ、家具などに塗られている鉛塗料である。柔らかく、灰色の有毒金属である鉛は、優れた白色顔料(他の色を加えることも出来る)となり、また耐久性のある保護皮膜としての鉛塗料になる。しかしながら、時が経つに従い、鉛塗料は乾き上がり、剥がれ、薄片になり、崩れて有毒な粉になる。その結果、乳幼児がこの有毒な薄片や粉塵に触り、それが口に入り[4,5,6]、しばしば脳障害を引き起こす原因となる。

 第1次世界大戦のかなり前から、このことは広く知れ渡っており、1909年にはフランス、ベルギー及びオーストリアが鉛塗料の使用を制限した。チュニジア、ギリシャ及びオーストラリアも1922年に同様な規制をもうけ、同年、第3インターナショナル(国際労働者協会)は鉛塗料の屋内での使用の完全禁止を勧告した。1924年にはチェコ・スロバキアが鉛塗料の使用を制限し、1926年にはイギリス、スウェーデン及びベルギー、1931年にスペインとユーゴスラビア、1934年にはキューバもこれに続いた。一方アメリカは1970年まで、これについては何もしなかった。

 鉛塗料が子ども達の鉛汚染を引き起こすという説に対して、塗料と鉛業界はどのように反応したのであろうか? 最近、ある訴訟の結果、塗料・鉛業界の多くの内部資料が初めて公開された。2人の歴史家、ジェラルド・マクロビッツとデビッド・ロスナーは先月、これらの文書を優れた史料としてとりまとめ、アメリカン ジャーナル オブ パブリック ヘルスに発表した[3]。

 当初、鉛塗料メーカーは、少なくとも個人的には、鉛は有毒であることを認めていた。1921年に、鉛塗料の有名な製品を製造しているナショナル・レッドの社長、エドワード J. コーニッシュがハーバード大医療校の学部長、デビッド・エドサルに送った書簡で、「塗料メーカーは、50〜60年の経験により、鉱山や精錬所からの鉛が直接口に入ろうと、あるいは鉛化合物(炭酸鉛、酸化鉛、硫酸鉛あるいは硫化鉛)としてであろうと、鉛が人間の胃に入れば有毒であることを認める」と述べた。
 すでに、1897年には、ニューヨークのある塗料メーカーは「アスピナルのエナメルは鉛を使用していないから安全」という広告を出していた。

 塗料業界の中でも鉛使用に対する慎重論があった。1914年には、塗料製造業協会の科学担当の重役は「鉛を含まない衛生塗料が開発されたので、鉛汚染はいずれ完全になくなるであろう」と予測した[3]。事実、鉛に代わって、チタンや亜鉛を用いた顔料が、19世紀の終わりには手に入るようになっており、有毒な鉛を用いた顔料を無理に使う必要はなかった。しかし、鉛は豊富にあり、利益も上がり、また、鉛の被害者達が組織化されていないという背景があった。

 鉛塗料に関する悪い評判が増えてきたので、塗料と鉛業界は、子どものイメージを使った広告や販売促進で、攻めの姿勢に打って出た。1907年にはナショナル・レッドはそのラベルに子どもを描いた”ダッチボーイ白色鉛塗料”の販売促進に乗り出した。1920年以前に、ナショナル・レッドは、子どもをその販売と広告の目標とすることを明確にした。1918年の販促資料は、小さい女の子が”ダッチボーイ白色鉛塗料”を買っている姿を示している。その販促資料は塗料の販売業者は”子どもをつかむ”べきことを勧め、「今日の子どもは明日の大人ということを考えたことがありますか」と問いかけている。1920年の販促資料は「子どもを忘れるな」の見出しのもとに、塗料販売業者は、親と一緒に店を訪れた子ども達には景品を出すよう勧めている。「親は、店が自分の子どもに少しばかり気を使ってくれたことに気をよくするものだ」とその資料には書かれている。ナショナル・レッドは公立学校においても鉛塗料を使用するよう攻勢を開始した。

 ”鉛産業協会 The Lead Industry Association (LIA)”は鉛使用の普及を目的として1928年に設立された。その当時は、ガソリンへの加鉛化も始まってはいたが、まだまだ鉛塗料が唯一の鉛の大口ユーザーであった。LIAは、子ども達の鉛中毒問題を認めつつ、そのことにより玩具や家具メーカーは鉛塗料の使用を避けるようになったと主張した。しかし自分たちの製品を検査した玩具メーカーは、それらが鉛塗料によって汚染されていることを見いだした。誰かが嘘をついている。

 鉛塗料業界のリーダー的な会社であるナショナル・レッドは子ども達を目標に、鉛塗料の販売を協力に押し進めた。例えば、同社は1930年に、ダッチボーイが2人の子どもと手をつないでスキップしながらやって来て、それから白い鉛を塗料に混ぜて、壁や家具を塗る様子を描いた子供向けのパンフレットを出版した。そのパンフレットには次のような詩が載っている。

 女の子も男の子も、とっても憂鬱。だって、おもちゃは古くてボロだもの。こんな所では遊べない。だって、お部屋はすっかりいたんでいるんだもの。そうだ、あの有名な鉛塗料のダッチボーイなら、お部屋をピカピカにしてくれる。さあ、すぐにお部屋を塗り替えよう。お部屋の壁塗りは楽しいなー。

 他の宣伝用資料には、よちよち歩きの幼児が塗料が塗られた壁に落書きをしている絵に「指紋がついても、汚れがついても、ダッチボーイの白い鉛塗料なら心配なし」という説明文が付いている。歴史学者マクロビッツとロスナーは「この宣伝資料は、直接的にはよごれた壁をきれいに拭くのは簡単だということを示しているが、間接的には幼児が鉛塗料を塗った木工品や壁に触っても安全であるというメッセージを伝えている」と解説している。

 鉛塗料の販売促進に子どものイメージを使うことに加えて、ナショナル・レッドは鉛は健康によいと強調した。ナショナル・レッドは1923年の初めには、”ナショナル グラフィック(NATIONAL GEOGRAPHIC )”に「鉛はあなたの健康を守るお手伝いをする」という広告を出し、また1920年代を通じて、雑誌”モダン ホスピタル(MODERN HOSPITAL)”に、「白い鉛塗料は医者のアシスタント」という広告を載せた。後者の広告では、鉛塗料で塗った壁は剥離して薄片になることはないと請け合っているが、これは明らかに嘘である。

 鉛産業協会(LIA)は1930年の販促用パンフレットで、「白の鉛塗料は家庭のインテリアの塗装に広く使われている」として、いくつかの家具が鉛塗料でピカピカに塗られたイラストを付けている。

 このようなやり方に対し、鉛産業内部からも批判が出た。1933年に、エチレン・コーポレーション(同社は、当時すでに、加鉛ガソリンを通じて数百万トンの有毒鉛により、国中の子ども達を危険にさらしていた)の医療科学者、ロバート・ケオエはアメリカ医療協会の機関誌で「子ども達の環境から鉛を取り除くことに、力を注ぐべきである」と、鉛塗料のことを指しながら、主張した。

 それにもかかわらずLIAは、1938年から数年にわたり、アメリカ中で”白の鉛塗料キャンペーン”を繰り広げた。このキャンペーンの目的は、家庭で鉛塗料を使用することの恐れや不安をぬぐい去ることにあった。3年後の1941年にLIAの事務局長、フェリックス・ウォームサーはキャンペーンは役に立ったとして、次のように述べている。「長期にわたるキャンペーンにより、鉛塗料の使用についての不安は、少しは払拭されるであろう。とにかく我々の業界にとっては、依然として深刻な問題である。厳しいことではあるが、今後も、当協会は鉛汚染問題に関して全力を傾けて行かなくてはならない」

 1943年にタイム誌(TIME)は玩具やベッドの柵や窓枠に塗られた鉛塗料による子どもの鉛汚染に関する医療研究について報告している。その結果は、鉛に汚染された子ども達の、学習遅延を伴う知能指数の低下であった。

 タイム誌の記事に対して、LIAのフェリックス・ウォームサーは反論して「幼児期の鉛汚染と、その後の知能発育遅延との関係はなにも証明されていない」と主張した。この「子ども達の後遺症が鉛汚染によるということは証明されていない」というのが、その後15年間、LIAがとり続けた姿勢であった。

 1941年の時点において、ウォームサーの論拠は科学的に弁護できるものではなく、支持もされなかった。ロバート・ケオエは彼自身の著述の中で、LIAの首脳に向けて次のように述べている。「鉛汚染から回復した子ども達の間に、深刻な知的発育障害が見られる。ウォームサーの論拠は、得られる事実に照らして、一貫性を欠いたものである。正確な検査が出来る装置を備えたアメリカ中のいたる所で、このような知的発育障害の例を見ることが出来る」。

 1950年代までに鉛と塗料の両業界は、彼らの製品が子ども達に有害であることは認め、新たに守勢に回った。1959年のLIA年次レポートにおいてLIAは、「鉛中毒、あるいはその脅威については、我々に反対する側によって毎年、多くの宣伝がなされている」と述べている[8] 。

 さらにLIAレポートは続けて「今日、鉛汚染のほとんどのケースは子ども達に起きており、子ども達に関する悲しむべきことなら、どのようなことでも新聞記者の餌食となり、世論にむさぼり食われてしまう。鉛汚染はスラムの問題であり、社会福祉の問題であるのに、世論は我々を痛めつける」[8]と述べ、”鉛に汚染されているのはスラムの子ども達だけ”ということを明確にほのめかしている。

 鉛が傷つけているのはスラムの子ども達だけだ。これが鉛業界の主張の中心となった。1955年にLIAの安全衛生担当重役は次のように述べた。「子ども達の鉛汚染は、私の”頭痛の種”のひとつではある。多くのケースでは予後の処置が十分でなく、本当の治療法は、相対的には教育を施すのが難しい両親をまず教育することである。これは、我々の問題ではなく、スラムの問題である」

 LIAの主張を要約すると、子どもの鉛中毒は、その両親がスラムに住んでいて教育を受けられないために、治療することができない、もっと言えば、鉛中毒はその両親のせいである、ということである。

【次週に続く】

ピーター・モンターギュ
===== Peter Montague (National Writers Union, UAW Local 1981/AFL-CIO) =====

[1] Richard Rabin, "Warnings Unheeded: A History of Child Lead Poisoning," AMERICAN JOURNAL OF PUBLIC HEALTH Vol. 79, No. 12 (December 1989), pgs. 1668-1674.

[2] John C. Burnham, "Biomedical Communication and the Reaction to the Queensland [Australia] Childhood Lead Poisoning Cases Elsewhere in the World," MEDICAL HISTORY Vol. 43 (1999), pgs. 155-172.

[3] Gerald Markowitz and David Rosner, "'Cater to the Children': The Role of the Lead Industry in a Public Health Tragedy, 1900-1955," AMERICAN JOURNAL OF PUBLIC HEALTH Vol. 90, No. 1 (January 2000), pgs. 36-46.

[4] Howard W. Mielke and Patrick L. Reagan, "Soil Is an Important Pathway of Human Lead Exposure," ENVIRONMENTAL HEALTH PERSPECTIVES Vol. 106 Supplement 1 (February 1998), pgs. 217-229.

[5] Bruce P. Lanphear and others, "The Contribution of Lead-Contaminated House Dust and Residential Soil to Children's Blood Lead Levels," ENVIRONMENTAL RESEARCH SECTION A Vol. 79 (1998), pgs. 51-68.

[6] Bruce P. Lanphear and others, "Lead-Contaminated House Dust and Urban Children's Blood Lead Levels," AMERICAN JOURNAL OF PUBLIC HEALTH Vol. 86, No. 10 (October 1996), pgs. 1416-1421.

[7] National Research Council, MEASURING LEAD EXPOSURE IN INFANTS, CHILDREN AND OTHER SENSITIVE POPULATIONS (Washington, D.C.: National Academy Press, 1993), pg.25.

[8] Richard A. Oppel, Jr., "Rhode Island Sues Makers of Lead Paint," NEW YORK TIMES October 14, 1999, pg. A18.

Descriptor terms:
lead; paint; children's health; national lead; lead industry association; lia;



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