ニューヨークタイムズ 2011年3月16日
日本の指導者からの曖昧な情報

情報源:The New York Times, 16 March 2011
Dearth of Candor From Japan's Leadership
By Hiroko Tabuchi, Ken Belson and Norimitsu Onishi
http://www.nytimes.com/2011/03/17/world/asia/17tokyo.html?pagewanted=1&_r=1&nl=todaysheadlines&emc=tha2

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会
掲載日:2011年3月18日
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http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nuclear/articles/110316_NYT_Dearth_of_Candor.html


【東京】日本の原発危機に対応している担当官らは婉曲な言い回しをするが、ひとつ足りないものがある。それは情報である。

 日本の福島第一原子力発電所における打撃を受けた多くの反応器のひとつで土曜日に爆発が起きた時に、電力会社の担当官は、最初、不明瞭で舌足らずの説明を行なった。

 ”大きな音と白煙”が1号機の近くで生じたことが報告されたと、東京電力の担当官はそっけなくメモを読み上げた。それについては”現在調査中”であると付け加えた。

 海外の原子力専門家、日本の報道関係者、そして怒りと興奮が増大した日本の世論は、原発危機についての明確で素早い情報提供をしない政府と電力会社の担当官らにいら立った。彼らは、矛盾した報告、曖昧な言い回し、そして最も基本的な事実の確認を繰り返し拒否することを指摘して、担当官らは破壊された第一発電所が及ぼすリスクについての重要な情報を知らせないか、はぐらかしているのではないかと彼らは疑った。

 土曜日の音と白煙は、冷却システムが地震と津波により不能となった後に、4つの反応器を制御可能にするための必死の闘いの端緒となった一連の爆発の中で最初に起きたものであった。

 情報価値のない説明の後に行なわれた過去5日間の曖昧な記者会見が危機感を深めた。戦後、日本がこれほど強い確固としたリダーシップを必要としたことはなかったし、統制の弱さや指導者不在がこれほど明確に露呈したことはなかった。地震、津波、原発危機が矢継ぎ早に起こり、狼狽の連続の中で、日本の指導者は、今までに訓練されたことのない手腕を求められている。世論の結集、即座の解決、強力な官僚との協力である。

 ”日本はかつて、そのような深刻なテストを受けたことがなかった”と学習院大学の佐々木毅(ささき たけし)氏は述べた。”同時に、リーダシップの空白がある”。

 政治家は、情報についてほとんど完全に東京電力(Tepco)に頼り切っており、彼らに告げられた、しばしば説得力のないことを、そのまま報告するだけであった。

 怒りを爆発させて、菅直人総理大臣は、火曜日早朝に原発で起きたふたつの爆発について政府に報告がなかったと東京電力幹部をしかりつけた。

 電力会社から報告を受ける前にテレビでこれらの爆発についての報道を観たと不平を述べつつ、”いったいどうなっているのだ?”と菅氏はジャーナリストの前で言った。彼は政府と東京電力の対策統合本部の発会の挨拶で、彼が設立したと演説し、あてつけがましく彼が指揮をとると述べた。

 国際原子力機関(IAEA)の事務局長は火曜日遅くのウイーンの記者会見で、IAEAは反応器事故について日本からの時宜を得た情報を得るのに苦慮しており、そのことが同機関の誤った声明をもたらしていると述べた。

 ”私は日本の当局に情報伝達をもっと強化し促進するよう要請している”と事務局長・天野之弥(ゆきや)氏は述べた。同機関の運用に詳しいウイーンにいるひとりの外交官は、これらの所感を繰り返した。

 当地の日本当局の反感を買わぬよう匿名という条件で、”日本からよい情報を得ようと努力することはとてもいらだたしいことである”とその外交官は述べた。

 婉曲な言い回しは、不快なことについて直接的に言及することを避ける、争いを好まない文化に根ざしている。最近まで、表向きは患者を苦しめないために、がん患者に診断結果を告げないことが普通であった。裕仁天皇でさえ、初めて第二次世界大戦における日本の降伏を表現する時に、日本の国民に”忍びがたきを忍ぶ”よう、要請した。

 また、政治的な配慮もある。原子爆弾の攻撃に耐えた唯一の国として、放射線障害への強い感受性は、当局がパニックを抑えるために努力し、政治的なダメージを抑制する動機を与える。左寄りの報道は長い間、原子力とその支持者について懐疑的であり、相互の不信感が電力会社と監督当局に対して平和主義者や環境主義者を含む広範な反対者をたきつけないよう原発操業に関する情報の流れを厳しく管理させる結果となった。

 それはキャッチ22(訳注:不条理な状況のこと。米国の小説家 Joseph Heller の同名の小説(1961))であると元・日本科学技術振興機構原子力計画のKuni Yogo氏は述べた。彼は、政府と東京電力は、”彼らが必要であると考えたことだけを発表しようと試みるが、一方、反原発の傾向があるメディアはヒステリックに反応し、そのことが政府と東京電力にさらなる情報開示をさせなくする”と述べた。

 日本政府はまた、過剰な説明は東京電力が反応器を制御しようとする努力をそらすであろうと考えて、反応器についての国民への情報の流れを制限することを決定していたと、原発産業のある上席役員は述べた。

 水曜日の東京電力の説明で、記者の間に怒りが走った。彼らの質問は、東京電力第一原発3号機から立ち上るように見える水蒸気に関して集中したが、その回答はほとんどなかったからである。

 ”我々は、確認できない”と東京電力は言い張った。”現時点で何かを言うことは私には不可能である”ともうひとりが言った。そしていつもの謝罪である。”ご迷惑をかけてすみません”。

 ”あなた方は、確認できないことがあまりにも多すぎる!”とひとりのいらだった記者が普通ではない強い調子で答えたが、それは恐らく形式的な謝罪など原発危機にはふさわしくないということを伝えるものであった。

 はっきりものを言う枝野幸男官房長官は比較的明晰なひとりであった。しかし時々、あまりにも早い危機の展開に理解できなくなっているように見えた。そして彼すらも、海外ニュース・メディアに対して非常に曖昧に話した。

 水曜日、枝野官房長官は、記者会見で、福島第一原発3号機から立ち上る煙のために放射線レベルが急上昇しており、全職員が”安全な場所”に移動するであろうと述べた。彼は詳しく説明しなかったので、外国人記者のあるものは日本の国営放送であるNHKの英語通訳によって、恐らくさらに混乱させられた。通訳者は、彼の発言を東京電力の職員が発電所から退去しているという意味に通訳した。

 CNN から AP、アルジャジーラまで、福島第一原発は放棄されようとしているという恐ろしい見出しが踊ったが、それと対照的に日本のメディアは冷静を保った。それは多分、曖昧な発言のニュアンスにうまく対処したためであろう。

 規制当局と東京電力に確認した後、施設の職員が一時的に施設内に避難しただけであり、決して放棄したわけではないということが判明した。

 政治家とビジネス役員との密接な関係がさらに原発危機の管理を複雑にしている。

 強力な官僚は、彼らがかつて監督したまさにその産業に高給で再就職する。いわゆる”天下り”である。この国の電力業界ほど規制当局と密接な関係にある業界は恐らく他にはない。規制当局と規制される電力業界は、ともに日本の化石燃料への大きな依存を低減するために、手を携えて原子力エネルギーを推進している。

 戦後の日本は、政治指導者が、外交政策の多くはアメリカに、そして国内政策は強力な官僚に、任せるというシステムの中で繁栄してきた。傑出した会社は、国民の日常生活に至るまで広い範囲の経営を行い、その経営は企業市民としての役目として称賛された。

 しかし、過去10年位の間に、官僚の権限は大きく弱まり、企業は経済が悪化するとともに権力と権威を失った。

 彼らに取って代わる強力な政治勢力はまだ出現していない。この4年足らずの間に4人の総理大臣が入れ替わった。ほとんどの政治アナリストは、地震、津波、原発危機が来る前に、すでに5番目の菅氏を見限っていた。

 2年前、菅氏の日本民主党は、それまでの50年間、日本の政治を支配していた、事実上の一党支配政党である自由民主党を打ち破った。

 しかし、政治における連続性の欠如と経験不足が菅氏の党をよろめかせた。この政治の中で唯一生き長らえているのは官僚だけであり、少なくとも民主党を信用していない。

 自民党以外の誰かと協力するなどということは、彼らのDNAの中にはない”と同志社大学の経済学者浜矩子氏は述べた。

 菅氏も官僚も東京地域を真っ暗にする計画には関わっていない。責任は東京電力にある。1970年代の整然とした停電とは異なり、今回の措置はほとんど警告もなく行なわれ、国民の不安を高め、災害の範囲と国民の幸福に及ぼす潜在的な脅威についての情報を共有することができる信頼される指導者の欠如を浮き彫りにした。

 ”政府と東京電力への不信は、原発危機が起きる前からすでにあり、人々は、入手している情報が不正確であるために怒ってすらいる”と大正大学の心理学教授Susumu Hirakawa氏は述べた。

 しかし、活力ある声がないのは、官僚と政治家、そして縦割りで運営される様々な省庁間の永年の対抗意識の結果である。

 ”東京の現在の政府には指揮権限が欠如していることは明らかである”とアメリカの国防省、エネルギー省、及び国務省で、また日本の二つの省庁で働いたロナルド・モースは述べた。”その程度は今回のような時に明確になる”。


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