ナノ物質規制 世界の動向
既存の規制はナノ物質規制のために適切か?
ナノ物質は新規化学物質か?既存物質化学か?

安間 武 (化学物質問題市民研究会)

情報源:ピコ通信第126号(2009年2月23日発行)掲載記事
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/
掲載日:2009年2月25日
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http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/japan/pico_126_090223_nano.html

1.はじめに
 世界中で次々と新しいナノ物質(材料)が開発されていますが、それらを含むナノ製品もまた、安全基準や規制がないままに次々と市場に投入されています。製造者によりナノ関連製品であるとして市場に出されている製品の数は800を超えていると言われており、その範囲は、電子機器、自動車用品、食品、衣料品、化粧品、スポーツ用品などあらゆる分野に及んでいます(ピコ通信119号)。

 一方、カーボンナノチューブ、フラーレン、酸化亜鉛、二酸化チタン、銅、銀などの様々なナノ物質について、その有害性を報告する研究が次々に発表されており(ピコ通信119号)、特に昨年は形状がアスベストに似たカーボンナノチューブがマウスに中皮腫を起こす可能性を示唆する研究が日本とイギリスでそれぞれ発表されて世界に衝撃を与えました。

 このような状況の中で、ナノ物質/ナノ製品の全ライフサイクル(製造・使用・廃棄)において、人の健康と環境への悪影響を最小にするためには、国は、総合的な「ナノ物質の安全管理の枠組み」を念頭に置きながら、下記のような個々の仕組みを早急に検討し、構築する必要があります。
 ▼ナノ物質の健康・環境への影響研究
 ▼ナノ物質に関するデータベースの構築
 ▼ナノ物質に関するデータ収集管理
 ▼ナノ物質取扱現場の労働安全衛生管理
 ▼ナノ物質の規制(ハザードベース)
 ▼ナノ製品の規制(リスクベース)
 ▼ナノ物質関連廃棄物の管理
 ▼人体及び環境中のナノ物質監視管理

 本稿では上記のうち、「ナノ物質の規制」及び「データ収集」に関する米欧日の動向と、アメリカで実際に一部のナノ物質について規制が開始されたことを紹介し、また当研究会のナノ物質規制についての意見を最後にまとめます。

2.ナノ物質規制の論点
2.1 英国王立協会・王立工学アカデミー勧告
 2004年7月に発表された英国王立協会・王立工学アカデミーの報告『ナノ科学、ナノ技術:機会と不確実性』(以後、英王立協会報告書)は、ナノ科学/ナノ技術の安全、規制、倫理の領域での新たな課題を提起し、英政府に21項目(R1〜R21)からなる勧告を行った。この勧告は英政府だけでなく、全世界に大きな影響を与えた。 その中に次のような勧告がある。
 ▼R8:全ての関連する規制機関は危険から人と環境を守るために既存の規制が適切であるかどうか検討し、どのように対処していくのかについての詳細を発表するよう勧告する。
 ▼R10:ナノ粒子又はナノチューブ形状の化学物質はREACHの下で新規物質として扱われるよう勧告する。

2.2 本稿での論点
 本稿では上記2項目の勧告に関連する
 ▼既存の規制はナノ物質規制に対し適切か?
 ▼ナノ物質は新規か?既存か?
という2点、及びナノ物質のデータ収集について、米欧日がどのように対応しているかを紹介する。

3.ナノ物質の規制に関する米欧日の動向
3.1 既存の規制の適切性
■アメリカ
 関連する既存の規制の適切性について網羅的に評価したものはないが、有害物質規制法(TSCA)については米環境保護庁(EPA)が2008年1月に発表した『TSCA ナノスケール物質のインベントリー・ステータス 一般的アプローチ』(以後、TSCA一般的アプローチ)では、TSCAにおけるナノ物質の扱いを規定している。そこではナノ物質管理のために既存のTSCAを修正する考えはないように見える。

■EU
 2008年7月発表の『欧州共同体委員会におけるナノマテリアルの規制状況についての報告書』(以後、EC報告書)は、"人健康、労働安全及び環境に及ぼす影響に関する法律は、化学物質、労働者保護、製品及び環境保護に分類される。全体として、ナノ物質に関する大部分のリスクは現行の法律によりカバーでき、現行制度により対応可能であると結論付けることができる。しかし、法律で定められている閾値を修正するなど、新たに収集される情報に基づき法律を修正する必要があるかもしれない"としている。

■日本
 アメリカと同様、関連する既存の規制の適切性について網羅的に評価したものはない。
 化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律(化審法)については、2008年12月22日に発表された厚生労働省、経済産業省、及び環境省による『今後の化学物質環境対策の在り方について(答申)−化学物質審査規制法の見直しについて−』(以後、化審法見直し報告書)が、"ナノマテリアルの安全対策、環境中への放出の可能性等について検討を行っているところである。今後の科学的な知見の蓄積や国際的な動向を踏まえ、対応策について引き続き検討していくことが必要である"と述べ、現状ではナノ物質規制のために化審法を修正するつもりはないことを明らかにした。

3.2 ナノ物質は"新規"か? "既存"か?
 物質がナノサイズになると物理的、化学的・生物学的特性及び、体内動態(ADME)が大きく変化する可能性があるので新たな有害性が懸念される。実際にその有害性を報告する研究が次々に発表されていることは前述の通りである。英王立協会報告書がナノ物質は新規物質として扱う事を勧告しているのはこの理由のためである。

 したがって、ナノ物質を規制する法律の下で、あるナノ物質が新規化学物質又は既存化学物質のどちらとして扱われるのかは、その物質の安全性評価を新たに行うのか/行わないのかに関わる重大事である。

■アメリカ:有害物質規制法(TSCA)
 ▼『TSCA一般的アプローチ』でナノ物質が新規か既存かの区分の基準を規定している。
 ▼TSCAでは、既存の化学物質はTSCAインベントリー(目録)に掲載されており、ある化学物質について既存化学物質の中に"同じ分子的同一性(注)"を持つものがない(すなわち、インベントリーに掲載されていない)場合に、その物質は新規化学物質であると定義される。
 ▼物質のサイズは分子的同一性の属性ではないので、化学物質のサイズは新規か既存かの決定に関係ない。
 ▼したがって、例えばカーボンナノチューブやフラーレンは、既存のカーボン物質と分子構造が異なるので新規化学物質となり得るが、酸化亜鉛、二酸化チタン、銀などのナノ粒子は、既存のバルク物質と分子的同一性が同じなので既存化学物質である。
 ▼このことは、酸化亜鉛、二酸化チタン、銀などは、これらのナノサイズの物質の有害性が報告されているにもかかわらず、新たな規制の対象とはならない。このようなことはひじょうに問題があると、当研究会は考えている。

■EU:化学物質の登録、評価、認可及び制限に関する規則(REACH)
 ▼EC報告書は、"すでに市場にあるナノサイズではない既存化学物質を新たにナノサイズの物質(ナノ物質)として上市する場合には、ナノの特性を示すための登録書類の更新が必要である。その場合、ナノ形態の分類、表示及びリスク管理方法といった情報を含む追加情報を登録しなければならない。なお、リスク管理方法と取扱条件については、サプライチェーンに伝達しなければならない"としている。
 ▼これは、REACHではナノ物質は実質的には"新規化学物質"として扱われることを意味し、英王立協会報告書の勧告R10に従ったことになる。
 ▼しかし、REACHでナノ物質を規制するためには、製造・輸入量の閾値を見直す必要がある。

■日本:化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律(化審法)
 ▼化審法見直し報告書では、ナノについては今後の検討課題であるとし、ナノに関わる改正は提案されていない。
 ▼2006年7月20日 経産省化学物質政策基本問題小委員会第3回及び2008年5月29日 第3回化審法見直し3省合同WGで、"化審法ではナノ物質は新たな化学物質と見なさないのか?"とのNGO側委員の質問に対し、事務局は"粒子径が小さいことをもって新たな物質と見なしていない"と答えた。

4.ナノ物質のデータ収集の米欧日の動向
 安全基準もデータ登録もなしにナノ製品が市場に出てしまっているので、米・英政府はそのデータ収集のための自主的プログラムを立ち上げたが失敗した。カナダは法的拘束力のあるデータ収集システムを検討中といわれる。日本政府は何もしていない。

■米環境保護庁(EPA)
 2008年1月に自主的な"ナノスケール物質スチュアードシップ・プログラム(NMSP)"を立ち上げたが、応募は基本プログラム/詳細プログラムでそれぞれ29社/4社だけと予想より大幅に少なく、米EPAは改めて有害物質規制法(TSCA)の下に強制力をもってデータを提出させることを検討し始めた。

■英環境食糧地域省(DEFRA)
 2006年9月に"工業的ナノスケール物質の自主的報告計画(VRS)"を立ち上げたが、2008年9月の2年間のパイロット期間にわずか11社の応募しかなく、DEFRAはその失敗を認めた。英国王立環境汚染委員会は、データ提出は法的拘束力のあるものとすべきと勧告した。

5.米TSCA 一部のナノ物質の規制を開始
5.1 TSCA の規制の概要
■製造前届出(PMN)
 TSCAでは『TSCA一般的アプローチ』に基づく年間製造・輸入量が10トン以上の新規化学物質(TSCAインベントリーに収載されていない化学物質物質)は、製造・輸入開始の少なくとも90日前に所定のデータを届け出なくてはならない。健康・環境への影響に関するデータは、手持ちのデータでよい。

■同意指令(Consent Order)
 懸念のある化学物質に対する規制は、個別の申請毎にEPAと届出者で協議し、きめ細かい措置を講じることになる。

■TSCA第8 条(e):相当なリスクに関する情報の届出の義務
 化学物質の製造・輸入者は、健康や環境に相当なリスクを及ぼすという情報を入手した場合は、速やかにEPAに届出なくてはならない。

5.2ナノ物質規制の事例
■英Thomas Swan社/カーボンナノチューブ
 ▼英Thomas Swan 社は、多層及び単層カーボンナノチューブの製造前届出をEPAに提出し、同意指令をEPAから受け、EPAと協議し、アメリカでの生産を許可された(2008年)。
 ▼90日間のラット吸入試験を義務付けられたはずであるが、詳細不明。

■米Nano-C社/フラーレン
 ▼連邦政府官報は、EPAが Nano-C社のフラーレンに関する4つの製造前届出(PMN)を受領したことを告知した(2008年12月)。
 ▼フラーレンのタイプはC60, C70, C84 。

■BASF社/カーボンナノチューブ
 ▼EPAは、TSCA第8 条(e) 相当なリスクに関する情報の届出の義務に基づき、BASF社からカーボンナノチューブに関する届出があったことを告知(2008年10月)。
 ▼BASF社は、ラットにおける吸入試験の結果を報告していた模様(2008年6月)。

6.ナノ物質規制に関する当研究会の意見
 日本政府は早急に下記を含むナノ物質規制を暫定的に実施するとともに、総合的な「ナノ物質の安全管理の枠組み」を別途構築すべきである。
 ▼ナノ物質は全て新規化学物質とみなす。
 ▼製造・輸入者に、試験データを含む所定データの提出を義務付ける。
 ▼国は提出されたデータに基づき暫定的に安全性を評価し、管理グレード(許可、制限、禁止)を決定する。
 ▼新たなナノ物質は、管理グレードが決まるまでは市場に出すことはできない。
 ▼ナノ製品には表示を義務付ける。

(注)分子的同一性
 EPAの定義する分子的同一性とは、分子中の原子のタイプと数、化学結合のタイプと数、分子中の原子の結合、分子内の原子の空間的配置のような構造的及び組成的特徴に基づくものとし、これらの特徴のいずれかが異なる化学物質は異なる分子的同一性を持つ、すなわちTSCAにおいて異なる化学物質であるとみなされる。(安間 武)



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