チャタム・ハウス(王立国際問題研究所)報告書 2009年9月
ナノテクノロジーの約束を確実にすること
大西洋をまたぐ規制の共同作業に向けて
エグゼクティブ・サマリー


情報源:Chatham House Report, September 2009
Securing the Promise of Nanotechnologies Towards Transatlantic
Regulatory Cooperation
Linda Breggin, Robert Falkner, Nico Jaspers, John Pendergrass and Read Porter
http://www.chathamhouse.org.uk/files/14692_r0909_nanotechnologies.pdf

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/
掲載日:2009年10月8日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/europe/090910_Chatham_House_global_mandatory_register.html

エグゼクティブ・サマリー


 ナノテクノロジーは産業社会を変革するものである。ナノテクノロジーは、分子レベル(一般的には100ナノメートル以下のスケール。1ナノメートルは10億分の1メートル)での物質の操作又は構造の生成を可能とする。それらは、ヘルス・ケアーから食品、化粧品、化学物質、情報技術、エネルギー貯蔵まで広範な応用分野での便益を約束する。

 ナノ物質はすでに多くの消費者製品中で使用されており、今後数年の間にもっと多くの応用が期待される。同時に、ナノテクノロジーの発展と、ナノ物質がどのように環境や人体と作用するのかについての我々の理解との間にひとつのギャップが生じている。今までの研究結果は、全てのナノ物質が安全であるとは言うことができないことを示唆している。現在行われているナノテクノロジーの拡大は、現在は未知の形態の危険性(ハザード)を引き起こす新奇なナノ構造を生成するかもしれない。潜在的リスクに効果的で釣り合いの取れたナノ物質のガバナンスを開発することは、既存及び新たに出現するナノテクノロジーの将来の成功のために重要である。

 欧州連合とアメリカは、ナノテクノロジーの科学的及び商業的発展における世界のリーダーである。彼らの潜在的なリスクに対する規制的対応は世界に重要な信号を発信するであろう。過去に、彼らは、経済協力開発機構(OECD)及び世界貿易機関(WTO)を通じて、彼らのそれぞれのリスク規制を調和させるための国際的な取り組みにおいて協力してきた。成功した場合には、そのような取り組みは科学者及び産業が大西洋をまたがる経済空間で自由に活動することを可能にしつつ、高いレベルの保護を促進してきた。

 しかし、ある場合には、大西洋をまたぐ調整と協力は困難をもたらした。法的枠組み、規制的文化、社会的リスクの認識の相違が規制の対応の相違に影響することがある。これは、例えば、有名なホルモン処理牛肉及び遺伝子組み換え食品に関する大西洋間の論争がそのケースであり、それらは大西洋間の関係と貿易に悪影響をもたらした。これらの経験は、政策策定プロセスの早い時期に技術的リスクを特定し、国際協力を促進することの重要性を示した。

 この報告書は、新たに出現しているナノテクノロジーのリスクに対し、いかに最良に対応するか及びEUとアメリカにおいて調整され収束するアプローチをいかに促進するかに関する議論に寄与することを目的としている。それは大西洋両岸からの研究機関からなるコンソーシアムによって実施されたプロジェクトの主要な発見を提示している。それらの研究機関は、イギリス側からロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)とチャタム・ハウス(王立国際問題研究所)、アメリカ側から環境法研究所(ELI)とウッドロー・ウィルソン国際学術センター/新興ナノテクノロジーに関するプロジェクト(WWICS/PEN)である。

 このプロジェクトは欧州委員会からの研究助成、及び大西洋両岸のナノ物質規制に関わる専門家と利害関係者との広範な協議に基づくものである。それは、化学物質、食品及び化粧品の主要な領域のEUとアメリカの規制の枠組みの詳細で包括的な分析を提供し、ナノ物質規制における大西洋両岸のより大きな協力と収束を促進している政策策定者と規制当局のために選択肢と課題を提供する。

ナノ物質の規制的課題

 先進産業国の政府は現在、ナノテクノロジーのリスクに対応するにあたって、潜在的なギャップをふさぐ又は不確実性を排除するために特定の法とその実施に微調整を行いつつ、環境・健康・安全(EHS)に関する既存の枠組みに依存している。規制当局はナノ物質の潜在的なリスクに対応するに当たり、多くの課題に直面している。これらの課題は、ナノ物質の開発と商業的応用、ハザードと暴露経路、技術的変化の方向とスピード、及び既存の規制の枠組みの適切性と有効性に関連する一連の不確実性に関係している。

急速な技術的変化: 現在の規制の焦点は不活性なナノ物質に向けられているが、将来の展開は活性なナノ物質を含み、情報、バイオ及び認識技術のような他の技術と収斂するように見える。これらの次世代ナノ物質は予測するのが難しい様態で進展するするであろう。規制当局は科学的及び工学的探求の複合領域をカバーする彼らの知識ベースを常に拡大し、常に変化している技術的環境に柔軟に対応する必要がある。

商業化の方向の不確実性: ナノ物質を使用している既存の商業製品の数は増大し続けているが、将来の商業化の方向に関しては不確実性が存在する。商業的応用の範囲は拡大するので、政府は、異なる産業と商業的応用分野をカバーしつつ、ナノ物質リスクの規制範囲について既存の不確実性が増える可能性がある多様な規制状況において、ナノ物質の潜在的なリスクに目を向けなくてはならない。

ナノ物質のリスクに関する不確実性

 あるナノ物質の有害性と暴露経路に関するデータが欠如していることは、既存のテスト手法の適用可能性についての不確実性とあいまって、規制の効果的な実施に対する障害となっていることは広く認められている。従って、既存の規制の枠組みが潜在的なリスクに対して効果的となりえるかどうかを決定するのは時期尚早である。

規制の枠組みの適切性に関する不確実性

 現行の法はナノ物質のある応用について適切な監視を行えるかどうか、又は新たな法的文書が必要かどうかは、既存の法令及び規制がどのように実施されているかに非常に強く依存する。実施のための適切なガイダンスと規制監視のための必要なリソースの準備はしたがって効果的な規制対応を開発する上で重要となる。

規制及び科学のためのリソースに関する不確実性

 ナノテクノロジーのような新興技術がもたらす課題は人的リソースの著しい投資を要求する。法令が必要であるが、もし規制当局が実施能力、科学的専門性及び展望に欠けるなら、成功はおぼつかない。公共部門は、これらの新興技術分野における手腕について、産業部門とますます競合しなくてはならなくなる。

規制的有効性と収束に向けて:政策勧告

 EUとアメリカはもっと有効で収束するナノ物質の規制を促進するために何をなすべきであろうか? 下記に我々の研究と関連する専門家や利害関係者との協議に基づいて得た、このプロジェクトにおける主要な政策関連の発見を示す。我々は、最も重要な領域として特定した3つの問題に焦点を当てる。リスク評価に必要な科学的なビルディング・ブロックの生成;ナノ物質の商業化と潜在的なEHS評価に関する既存の知識のギャップをふさぐこと;そして、社会的及び倫理的展望の問題点、及びそれらがリスク管理においてどのように対応されているのか−である。我々は、国際的に統合された市場と新興経済における新たなナノテクノロジー生成者の世界におけるナノ物質規制の開発についての地球規模の課題に関する展望をもって勧告する。

科学的なビルディング・ブロックの生成

 我々が協議したほとんど全ての専門家らは、リスク評価のための確固とした科学的ベースを確立することの必要性に同意した。ナノ物質の定義と特性化、測定、テスト手法に関する科学的なビルディング・ブロックの多くはいまだに抜けているか又は国際的に標準化されていない。これらの領域における共通の手法を開発することは、もっと効果的な規制に向けての重要なひとつのステップであり、リスク評価の重要なビルディング・ブロックである。アメリカでもヨーロッパでもその他どこでも、規制当局と専門家らは現在、様々な国際フォーラムで協力することで既存のギャップを埋めようとしている。我々の研究は、リスク評価のための科学的なビルディング・ブロックを生成する現在の活動がもし時宜を得た結果を出そうとするなら、もっと速度を上げ拡大する必要があることを示唆している。ナノ物質の商業化の急速なペースはこの領域におけるもっと高い緊急性を求めている。

 OECDは、リスク評価のためのビルディング・ブロックに関する協調を推進するにあたり広範な妥当性を持っており、大西洋をまたぐ規制の収束という文脈において中心的な機関である。同時に、政策のためのエネルギーとリソースがOECDプロセスにもっと投資される必要があり、もっと高い透明性と包含性がその作業で達成されるべきである。

知識のギャップを埋めること

 さらに、規制当局は、ナノ物質の製造と使用、及び商業用製品中のナノ物質の存在という EHS に関する二つの重要な知識のギャップに直面する。これら二つの領域の不確実性は密接に関連しており、効果的な規制対策の追求を複雑なものにする。どのようなタイプのナノスケール製品が市場に出ているのか、どのようなタイプのナノ物質が使用されているのか、そして、それらが可能性ある製品ライフサイクルを通じてどのようの移動するのか−について可能な限り速やかに知ることは、EHSリスクの分野での研究の必要性を確立するためにある基礎を提供するものである。これらの領域の大西洋両岸における不確実性はアメリカ及びEUの規制システムを等しく悩ませる。ナノ物質の商業利用に関する不確実性を及びEHSリスクを低減することについての大西洋をまたぐ協力は、ある規制の課題に対応することについて両岸双方の助けになるであろう。

 従って優先事項としては、大西洋の両岸の政府はナノ物質のEHSリスク研究のための資金を著しく増やす必要がある。国際的な共同研究には限界があり、達成することは難しいかもしれないが、改善された大西洋をまたぐEHS共同研究の便益はコストを上回る。緊迫した公共財政と緊急な研究の必要性という背景に対して、強化された大西洋をまたぐ協力は既存の研究の取り組みに対する戦略的方向性を与え、将来に向けての持続した研究資金調達の流れの基礎を強化するであろう。

 さらに、我々は、政策策定者と規制当局が、ナノ物質に関するEHSリスク関連データについて、商業的に微妙なものは保護されるという前提で、よりよい情報共有を促進するために、それが国内的改革を通じてであろうと国際的合意を通じてであろうと、入手可能な全ての選択肢を精査するよう強く勧める。

 第二の知識のギャップはナノ物質の商業化の状態に関係する。多くの会社自身が自分達の産業の中でそのような物質が使用されていることについて不確かであり、大西洋の両岸の規制当局は、商業的に取引されている商品中のナノ物質の存在について包括的な知識を現在持っていないことを認めている。最近導入された自主的な物質報告プログラムはそのような知識ギャップを埋めることができるようには見えない。

 もし、これらの知識のギャップが続くようなら、大西洋の両岸の政府は既存の義務的な報告要求を強化すべきであり、必要なら、ナノ物質の商業的利用の包括的な監視という観点から新たなプログラムを策定すべきである。もし、アメリカとEUの間に高い経済的相互依存性があるなら、改善された報告スキームを通じて市場の透明性を強化するどのような努力も両岸政府による調整された取り組みから便益を生み出すであろう。

リスク管理と消費者製品表示

 国際的協調と協力を促進するための取り組みは現在、リスク管理に必要な科学的ビルディング・ブロックを確立することに注力している。相対的に、大西洋をまたがるリスク管理の協調の努力は生産的ではないように見え、多分、時期尚早であり、大きな障害に突き当たるであろう。同時に、ナノサイエンスとナノテクノロジーの国際化は、大西洋両岸の関係により鋭敏な影響を及ぼすリスク管理アプローチに必然的に相違をもたらすであろう。ナノ物質はますます商業的に採用され、地球規模のサプライチェーンに入り込んでいるので、国家の又は地域のリスク管理アプローチは国境を越える商品の自由な流れを複雑にすることになりかねない。この理由のために、リスク管理の領域における協調は今後数年、国際的議題で重要な位置を与えられる必要がある。

 ひとつの重要な、しかし議論あるリスク管理の要素は消費者製品表示である。現在までのところ、アメリカにもEUにも、ナノ物質に特化した法的拘束力のある消費者製品表示義務はないが、状況は特にEUでは技術的に特化した表示システムの導入の方向に動いており、ある限定された表示要求が、例えば食品規制中にすでに存在する。我々のインタビューを受けた人たちは、もっと包括的な表示要求作り出すことによってこの状況を打破する必要性に関して、またもっと収斂したアプローチをこの領域で開発することができるか及びされるべきかどうかに関して、全く異なる見解が述べられた。

 表示に関する議論ある特質に照らして、一般的必要性と実施の特定の様態という観点から、アメリカとEUは現時点で新しい義務的な表示要求を作り出す、又既存のものに調和の取るための国際的な努力を優先するべきであるとする主張が圧倒であるとする状況ではないと結論付ける。しかし、アメリカとEUの規制当局は、特に国際的貿易義務の文脈でナノ物質の潜在的に異なる消費者製品表示要求の影響を精査すべきである。

 さらに、もしアメリカとEUがナノ物質の表示のための共通のアプローチ又は標準の開発の可能性を探るということであるなら、そのような重大な作業は、様々な商業上及び倫理的懸念に十分に重みを置くために、産業及び市民社会からの関連団体を関与させる複合利害関係者フォーラム(a multi-stakeholder forum)のようなものを巻き込むべきである。そのような取り組みはリスク評価のためのビルディング・ブロックの生成よりも緊急性は高くはないかもしれないが、それ自身の権利として重要である。

世界的な側面に目を向けること

 ナノ物質規制のために公式で条約ベースの国際的な枠組みを作りだすための努力はまだなされていない。我々の研究は、ナノ物質規制に関する国際的な条約を作り出すという野心的な目標を追求することへの関心をほとんど示唆していない。そのようなプロジェクトにつぎ込むのに必要とするであろう政治的エネルギーは、国際的な協調のための既存のフォーラムの強化と必要に応じて国内の規制の枠組みを調整することに使われる方がよい。しかし、ナノテクノロジーの発展と商業化のグローバル化という特性があるなら、特に途上国からの新たな役者が世界のナノテクノロジービジネスに出現するかもしれないという状況下で、国際的な枠組み条約の必要性が将来、生じるかもしれないという可能性を誰も排除することはできない。

 ナノテクノロジーのグローバル化が進み、それが加速されているという状況で、EUとアメリカは、広い意味でナノ物質から生じる地球規模のガバナンスの課題を認識すべきである。OECDは先進的工業国間の調整のためのフォーラムとして重要な機能を果たすかもしれないが、その作業は他の領域における国際的ガバナンス能力の開発により完成するべきであり、そこには途上国の大きな関与がなくてはならない。国連環境計画(UNEP)や世界保健機関(WHO)のような他の国際組織が世界の環境保護及び健康促進というそれぞれの領域で重要な役割を果たしているが、ナノ物質のEHSリスクについてはあらたに出現した懸念ある領域として、やっとそれを特定し始めたばかりである。国際的なガバナンス能力の開発における現在の不均衡は直すべきであり、途上国が世界の規制共同作業により多く参加することを確実にすべきである。



化学物質問題市民研究会
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