EHP 2013年10月
水銀に関する水俣条約:
将来の世代を守るための第一歩

レベッカ・ケスラー

情報源:Environ Health Perspect; DOI:10.1289/ehp.121-A304
The Minamata Convention on Mercury: A First Step toward Protecting Future Generations
Rebecca Kessler is a science and environmental journalist based in Providence, RI.
http://ehp.niehs.nih.gov/121-a304/

訳:安間 武(化学物質問題市民研究会)
Translated by Takeshi Yasuma (Citizens Against Chemicals Pollution)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/

掲載日:2013年10月30日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/mercury/news/131001_EHP_Global_Mercury_Treaty.html


 1956年7月、日本の不知火海に面する水俣市の近くの漁村で、坂本しのぶという名前の女の子が生まれた。彼女の両親は、何かが変だとすぐに気が付いた。健康な赤ちゃんなら首を支えることができる3か月になっても坂本さんはできなかった。彼女の成長は遅く、這い這いもを始めるのも通常より遅かった。3歳になってもヨダレがひどく、まだ歩くこともできなかった。彼女の両親は彼女を生活させるために地域の病院に送り、彼女はそこで4年間、歩き方、手の使い方、その他の基本的な機能訓練のための療法を受けた。早くに何人かの医師は彼女は脳性小児まひであるとの診断に同意した。

 しかし、坂本さんの症状は、なにかもっと大きな問題の一部であるような兆候があった。彼女が生まれる数年前、死んだ魚やその他の海の生物の死骸が水俣湾で見られ始めた[1]。飛ぶことのできなくなった海鳥もいた[2]。多くの猫がは、地元の住民が「猫踊り病」と呼ぶけいれんを起こして死に始めた[1]。坂本さんが生まれる2か月前に、漁村地域の漁民家族の中に未知の神経学的疾病が発生したことが初めて報告された。坂本さんの姉であるまゆみさんや、近隣の何人かがこの不思議な病気であると診断されたが、その原因は金属で汚染された海産物の摂取のせいであるとされた。1957年に科学者らはこの病気に「水俣病」と名付けた。翌年、まゆみさんはこの病気で死んだ。

 原因汚染物質は、チッソ社の現地の化学工場から排出されていた廃水中のメチル水銀であることが最終的に特定された[3]。被害者の数は増大して不知火海周辺に明らかに広がり、1962年に坂本さんを含んで、当初脳性小児まひと診断された子どもたちの集団は、先天的な水俣病の被害者であると認められた。しかし政府は、工場からの排出を止めさせるために、また人々が魚を食べないようにするために何もせず、工場が水銀使用をやめた後に初めて同工場が水俣病の原因であったということを認めた。それは1968年のことであった。その時、坂本さんは12歳になっていた。

 坂本さんの家族全員を含んで、数千の人々に被害をもたらした水俣大災害は、メチル水銀中毒の最初の大規模な出来事であった。しかしそれは水俣だけのことではなかった。水俣と同様で規模の小さなメチル水銀事件が新潟県で1965に明るみになり、また1969年にはカナダのオンタリオ州の先住アメリカ人の中にも起きた[4, 5]。

 工場からの排出が止まってから数十年経過した現在でも、これらの事件の数千人の生存者者らは、震え、めまい、頭痛、記憶喪失、及び視覚や聴覚の障害など、多くの神経学的な症状に未だに襲われており、最も厳しいは場合には発達障害、認識障害や運動機能不全、そして身体的異常がともなう。”水俣病はまだ終わっていません”と坂本さんは言う[6]。今日、57歳となった坂本さんの手は曲がり、彼女は今では介護なしには歩くことはできず、風呂にも一人では入れない。彼女は働くことができなかったが、水俣の被害者のための主張に数十年間を費やしている。

 強力な神経毒性であり、現在は胎児、幼児、小さな子どもに特に危険であることが知られている水銀の破滅的な影響に、水俣は世界の目を向けさせた。水俣病以前は、胎盤は胎児を有毒物質から保護すると考えられていた[2]。

 しかし、そのように厳しくない水銀汚染でも問題があると現在では知られている。”我々が水俣病について知り始めたのは50年前からであり、過去には我々が安全であると考えていた用量が、現在では明らかに安全ではないということを知っていると、ハーバード大学公衆衛生校及び南デンマーク大学の環境健康科学者フィリップ・グランジャンは述べている。”我々は現在、世界中に広がる海産物を食する人々の曝露について懸念している”。

 2013年10月に、水銀排出を規制するための新たな条約の署名が日本で開始する。水銀に関する水俣条約と名付けられたこの条約は、一国だけでは解決できない世界的な問題であるという認識に対応するものである。この条約は策定するのに4年を要し、先の1月に最終条文が130か国以以上により合意されたものである。それは、様々な排出源からの水銀排出を規制するための、ある製品や産業プロセスの水銀を廃止するための、水銀貿易を制限するための、そてし水銀の採掘を廃絶するための、義務的及び自主的な措置の両方を含んでいる[7]。

水銀の発生源

 水銀は自然に存在する元素であり、温度計からある種の電灯から化学的触媒まで、無数の製品や産業プロセスで使用されている。それは化石燃料の燃焼、セメントやある金属の製造時にも放出される[8]。

 国連環境計画(UNEP)による2013年の報告書によれば、2010年には、人間活動により大気中に1,960トンの水銀が、そして少なくとも水中に1,000トンが放出されている[8]。この報告書は、1990年から2005年の間の明らかに安定した期間の後、地球規模の大気中への排出はある分野では再び増大しているかもしれないと述べている。

 急速に工業化が進むアジアは、大気への水銀の最大排出源であり、総排出が世界第3位である中国を擁している[8]。一方、ヨーロッッパや北アメリカはその排出を著しく削減している。アメリカは廃棄物焼却炉を浄化することにより、その削減の一部を達成した。そして火力発電所は2016年までに、水銀及びその他の汚染物質の排出を劇的に制限する新たな連邦基準を遵守しなくてはならない[9]。しかし水銀は環境中に残留する傾向があり、最近のモデルによる研究は、今日の海洋表層の水銀汚染の半分は、アメリカとヨーロッパの寄与がアジアからの寄与を超えていた1950年以前の排出に起因すると見積もった[10]。

 この調査は、もし2015年に水銀排出が完全に止まれば、大気中の残留レベルは直ちに30%低下するという良いニュースを示した。しかし、その後、低減は鈍り、大気中の水銀が約半分になるまで、そしてまた海洋表面の水銀が3分の1になるまでに85年、2100年までかかるであろう。そしてその予測は気候変動を考慮しておらず、それは複雑なことが起きる、例えば北方のツンドラが解凍されて長期間貯蔵されていた水銀が環境中を循環するかもしれない。著者らは、たとえ積極的に排出を削減しても、海洋中の現状の水銀レベルを単に維持するだけであろうと結論付けている[10]。

 人間は、従来考えられていたよりもっと多くの水銀を環境中に放出してきたことが現在は知られている。大気のレベルは7倍、そして海洋表面のレベルは6倍、人間による排出が始まったと信じられている紀元前2000年の頃より現在は高い[10]。

 排出水銀は風や海流に乗って遠くまで移動することができる[11]。いったん水銀が土壌中や水路に入れば、微生物がそれを最も毒性の高いメチル水銀に代謝し、食物連鎖中に蓄積する[12]。人々は、典型的には汚染された海産物を食べて、メチル水銀に暴露する。生物多様性研究所と国際POPs廃絶ネットワーク(IPEN)による2013年報告書によれば、世界中で特定された多くの汚染ホットスポットから集められた人間の毛髪中の水銀濃度は、これらの地域で魚を定期的に食べる人々は米・環境保護庁の基準により安全ではないとみなされることを示した[13]。生物多様性研究所の主席科学者デービッド・エバースは、この調査は、規模は小さいが、地理的広がりという点でユニークであると述べている。しかし、どのように世界中の人々の水銀暴露が広がっているかいう重大な疑問には答えがないままである。

 広範な研究がメチル水銀の発達毒性を報告している[14]。メチル水銀暴露の症状をほとんど示さない女性でさえも、水俣の例が示すように、彼女たちの胎内の子どもに破壊的な用量を伝えることができる[15]。水俣では、住民の毛髪水銀レベルの中央値は30ppmである[2]。しかし、いくつかの研究が、胎内で低用量水銀に暴露した子どもたちでさえ、様々な神経心理学的問題のリスクにさらされているかもしれないことを示唆している[14]。例えば、あるひとつの研究によれば、たった1ppmの毛髪水銀レベルを持った母親から生まれたこともたちは、8歳になった時には注意欠陥多動症に関連するリスクが増加していた[16]。

 グランジャンと彼の同僚らによる最近のある研究が、欧州連合内では少なくとも180万人の水銀レベルが高い子どもたちが毎年、生まれており、その結果は毎年600,000 IQ ポイントの損失で、90億ユーロ(119億ドル)の経済的生産性の損失となると計算した[17]。メチル水銀はまた、魚の健康にも影響を及ぼしており、数百万の人々と魚を食する動物のための重要な食物供給を脅かしている[18]。

協定に向かって

 水銀排出に関する拘束力のある協定に対する世界的な支持により、その構築は2003年に始まった。しかし、アメリカは、法的に拘束力のある条約は成功の見込みがないとして、排出を規制するために自主的な措置を主張した[19]。しかし、オバマ大統領が就任してすぐ後の2009年UNEP管理理事会で、アメリカは拘束力のある協定に向けて交渉に参加すると発表した。

 管理理事会は交渉プロセスを直ちに確立した。その骨子は、5回にわたる一連の交渉会議を開催し、議決権はない外部団体からのしっかりした情報提供と働きかけを受けつつ、参加国の代表が条約テキストについてとことん話しあうことであった。

 国務省環境管理局副長官ダニエル・ライフスナイダーが交渉におけるアメリカの任務を統括した。アメリカは加盟していない残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約や有害化学物質を制限する他の国際的な協定に言及しつつ、”我々は、交渉するために通いなれた道ではなく、実施することができない道をたどるを恐れており、したがって何か意味あることを交渉するには柔軟性が重要である”と彼は述べている。

 2010年にストックホルムで開催された第1回交渉会合で、IPENとスウェーデンの環境団体からの代表は、40か国からの参加者の毛髪水銀をテストした。全てのサンプルは明確な結果が出て、3分の1以上が米・全米研究評議会の参照用量である1,000 μg/kg (1 ppm)を越えていた。貧しい国からの参加者の水銀レベルは平均1,182 μg/kgであり、富める国の平均レベルは669 μg/kgであった。ひとつのサンプルは20,000 μg/kgを越える突出したレベルを示した[20]。

 これらの結果は、しばしば外交辞令で覆い隠されていた抽象的概念のベールを効果的に外したと、IPENの上席科学技術顧問であるジョセフ・ディガンギは述べている。”代表者らは交渉会議のテーマが自分自身の体の中にあることを実際に見つけた時に、かなり多くの人々が、それを信じることができなかったと彼は述べている。”私に何が起きているのか”と彼らは言った。

 それから2年半の間に、さらに3回の会合が行われた。ジュネーブでの第5回目の最終会合では徹夜の議論で代表者らは疲れ切ったが、2013年1月19日午前7時に条約は公式に採択された。誰に聞いても最も重要で解決が困難な議題は、廃棄物焼却炉、製錬所、そして石炭火力発電所のような施設からの水銀大気排出をどのように規制するかということであった。火力発電所は、世界第二の大きな水銀排出源であり、世界の全排出の24%を占めるので、議論の中心であった[8]。さらに、大きな途上国は、彼らの市民に電気を供給するのに安い国内の石炭に依存して彼らの経済成長を推進している。

 いくつかの開発途上国は当初、煙突の排出から水銀を除去する技術のコストの前に立ち止まった。国務省のライフスナイダーによれば、アメリカは、中国とインドを、特にこの分野の義務的な規制はいわゆる最良の利用可能な技術の適用を通じて達成することができると熱心に説得した。容認できる技術の詳細な記述は未解決のままであるが、それらは新たな排出源だけに求められ、最終的には、アメリカは説得に成功した。ライフスナイダーは、この結果を、”意味あるあるものとして十分に堅固であり、実行可能であるものとして十分に柔軟性がある”と述べている。

 3つの交渉会合に参加した世界石炭協会の政策マネージャであるアレクサンドラ・トムチャックもまた、満足して帰った。”我々の意見では、それは実際、環境保護の優先度と開発目的のバランスを的確にとっている”と彼女は述べている。

 しかし、IPENのディガンギのような批判家は、この措置はエネルギーを生成する単位当たりの水銀排出を削減するであろうが、国が生成能力を増大することは自由なので、総排出量はおそらく増えるであろうと述べている。”条約はある水銀排出源には対応するが、増大する水銀排出について行くことはできない”とディガンギは述べている。”言い換えれば、それは勾配を変化させるであろうが、水銀汚染の量はやはり増大するであろう”。

 批判家らはまた、実施のための時間枠が長すぎるという。各国は条約で求められる新規排出源を建設するまでに5年、そして既存排出源からの排出を削減するための目標を確立するまでに少なくとも10年の期間を持つことができる。しかし、時計は条約が批准されるまで、計時を開始しせず、そのためにさらに数年を要するであろうと、天然資源防衛協議会(NRDC)の上席環境分析者スーザン・イーガン・キーンは述べている。”あなたは基本的に適用免除を受けて、何もせずにただ座っている間に数千トンの水銀が排出される”とキーンは述べている。”あなたが見逃している水銀は大変な量である”。

 もう一つの重要な問題は水銀の最大の排出源である人力小規模金採鉱であり、世界の排出の3分の1以上を占める。小規模で、しばしば暫定的な金の採掘操業は、金価格が上昇しているので世界的にブームとなっている。恐らく300万人の女性と子供を含む約1,000万から1,500万人、その多くは極めて貧しい人々がこの分野で働いていると推定される[21]。

 鉱石から金の小さな粒子を分離するため、採鉱者らは一般的に、彼ら自身も、彼らの家も、環境も保護せずに、大量の水銀を使用する。キーンによれば、水銀は安く、採鉱者は容易に入手できる。彼女は、ボルネオの採鉱現場を訪れたときに、ひとりの労働者がソフトドリンクのビンからを注いだ水銀で金とのアマルガムを何気なく作るのを見たことを思い出す。彼女は後に、そのビンの水銀の量はコンパクト蛍光灯6万本分の水銀にあたることを計算した。彼女は、採鉱者らは毎日、このビン1本を優に使っているかもしれないと言う。「さらなる情報:“Quicksilver and Gold: Mercury Pollution from Artisanal and Small-Scale Gold Mining” in the November 2012 issue of EHP」[22]。

 様々な国が、人力小規模金採鉱での水銀を禁止しようと試みてきたが、この採鉱手法から移行するために採鉱者らを支援しなければ、それは単に隠れて行われるだけであったとキーンは言う。条約は、諸国に採鉱での水銀を削減する、又は廃絶するための自身の計画を策定するよう指示するという正しいアプローチをとったと彼女は言う。この計画のガイドラインは、この分野の産業を公式化し、最も汚染する実施方法を廃絶し、子どもと妊婦を水銀暴露から保護するための戦略を義務付けている。しかし、条約は人力小規模金採鉱のための水銀貿易を続けることを許し、水銀使用のための廃止期日が示されていない。

 この条約は水銀を2020年までに、農薬やある種の電池、電灯、スイッチ、化粧品、及び測定機器を含むほとんどの製品中の水銀を廃止する。広範な議論を引き起こしたひとつの製品は歯科用アマルガムであった。環境と健康団体の連合体であるゼロ・マーキュリー・ワーキング・グループは、人体の火葬、及び排水中に流される廃棄アマルガムによる水銀排出が相当な排出源であることを指摘して、条約にアマルガムを含めるよう主張した[23]。条約は、9つの選択肢があるリストから少なくとも2つの規制措置を採用するよう国に指示することにより、水銀含有の歯科アマルガムの使用を”縮小”−徐々に削減するが廃絶ではない−する。

 もうひとつの熱い議論のあった製品は、水銀を用いたワクチン保存剤ティメロサールであった。先進国では、ほとんどの子ども用ワクチンからチメロサールは排除されているが、ワクチンの複数回用量分の容器保存を可能にし、著しく低コストにすることができ、遠方への輸送や流通を容易にすることができるので、開発途上の世界では広く使用されている。

 アメリカの二つの連合体組織、セーフマインズ(SafeMinds)と水銀を使用しない薬品を求める連合(Coalition for Mercury-Free Drugs)は、子どもの健康にリスクを及ぼすと主張して、条約がチメロサールの使用を廃止する又は縮小するよう働きかけた[24, 25]。しかし、世界保健機関に率いられた世界の多くの保健機関がこの保存剤は安全であり、命を脅かす病気から世界の最も貧しい子どもたちを保護するワクチン計画にとって重要であると主張して、チメロサールを保護するために結集した[26]。多くの開発途上国は交渉期間中にチメロサールについての懸念を表明したが、最終的には彼らはその使用を継続することを支持し、条約は特にチメロサールを対象外(免除)とした。

 条約はまた、特定の製造プロセス、とりわけ水俣病の原因であったアセトアルデヒド製造での水銀を廃止することにした。2020年までに、国は、塩化ビニル(PVC)プラスチックの主原料である塩化ビニル・モノマーの製造における水銀の使用を半減しなくてはならない。中国は、水銀を触媒として使用する塩化ビニル・モノマー製造を行う世界で唯一の国であるが、IPENは、中国産業の使用量は不明であり、”潜在的に膨大な”排出源となっていると述べている[27]。

 開発途上国は交渉で、他の二つの論点にも働きかけた。ひとつは健康問題に特化した条項を含めることである。キーンによれば、条約に金のかかる公衆衛生プログラムを含めることに道を開くことになるというのが大きな理由で、先進国はこの条項を含めることに反対した。最終的な条約は、国家に対して水銀暴露から国民を保護する一般的な措置を実施するよう促す単純な記述ではあるが、この条項を含めた。

 開発途上国はまた、条約を効果的に実施するために、十分な国際的資金調達を確保することについて懸念した。多くの議論の後、最終的に条約は、資金メカニズムとして、地球環境ファシリティ(GEF)(訳注)を選定したが、供与国がこの基金にどのくらい貢献するのか、したがって、受領国はどのくらい供与を受けるのかについては、今後だ決定されなくてはならない。”条約制定はひとつのプロセスであるが、それを実施するということはもうひとつのプロセスであり、能力構築、リソース、理解など、多くの他の課題が出てくるであろう”と、ケニアの代表リチャード・ムエンダンドゥは述べている。

 今までのところ、この条約は、批判家からでさえも、重要な第一歩であり、水銀排出を抑制するための世界で初めての統一行動として称賛されている。”もちろん妥協もあったが、それは水銀の排出と放出は深刻な健康と環境の懸念をもたらすという世界の合意を反映している”と生物多様性研究所のエバースは述べている。

条約に水俣の名をつける

 日本政府は条約に水俣の悲劇の名前をつけるよう押し通した[28]。しかし被害者のグループは、事件が明らかになってから60年近く経つのに、チッソは十分にその責任を果たしておらず、汚染は適切に浄化されていないと述べている。さらに彼らは、日本政府は、人の健康と環境への被害の十分な検証をしておらず、被害者への適切な補償もしていないと言う。

 政府は、水俣と新潟での事件の患者3,000人足らずを公式に認定しているが、その半数以上はすでに死亡している。それらの患者はある補償と医療費を受けているが、一方、その他の約1万人が”適用条件”を持つとして、もっと額の少ない補償を受けていた[29]。しかし報道によれば、65,000人以上の人々が、新たな特別措置法の下に補償と医療費を求めて申請した[30]。

 交渉の間に、いくつかの水俣病被害者の団体とその他の組織が、もし条約に水俣という名前を付けるなら、日本政府はこれらの問題をまず日本で解決しなくてはならず、条約は同じような悲劇を防ぐよう十分に強くしなくてはならないと主張した。坂本しのぶさんは、2011年1月の第2回交渉会合のために千葉まで行き、このメッセージを支持する短い声明を発表した。しかし最終的にこの条約はこれらのグループを失望させた。東京を拠点とする化学物質問題市民研究会のコーディネータである安間武は、この命名の問題を指摘して広く活動していた。”このような名前は、水俣の被害者の名誉を損なうものである”と彼は述べている。

 条約が発効するには、少なくとも50か国が批准しなくてはならないが、ライフスナイダーは、その数は概ね2017年になるまで達することは期待できないと述べている。しかし、各国は今月から日本で条約に署名し、条約を順守するために必要な立法を開始する。記者会見でライフスナイダーは、米国務省は、米国が参加するかどうかを公式に決定する前段階として、”もし米国が参加するなら、どの様にその義務を実施するかを検討するための条約の評価のための慣例的プロセス”を実施中であるとの述べている。

 条約が発効したなら、環境中、野生生物中、及び特に人体中の水銀を監視するための強いプログラムによってこそ、人の曝露を削減するという基本的な目的をよく達成しているかどうかを知ることができると、エバースは言う。条約は、そのような監視プログラムの骨格の概要を示しているが、エバースやその他の科学者らはそれに肉づけをするために活動している。しかし彼は、ヒトの監視要素は不確かであり、ある国はそのためのコスト、後方支援、及び、危険な水銀レベルにあることが判明した人々への対応についての潜在的な責任について懸念を持っている。

 画期的な達成であると歓迎しつつ、ハーバードのグランジャンは、水銀暴露についての食事の助言と日常的な妊婦のスクリーニングなどを行うことにより、特に子どもの健康を保護することについて、各国はその義務を越えて行うことを希望すると述べている。

 しかし、たとえ条約が新たな排出をうまく削減できても、我々は既に長い間環境中にある水銀を押し付けられることになるであろう。”マグロやカジキ中の水銀濃度は、短期間では減少しない”とグランジャンは述べている。”これには、おそらく数世紀すら要するであろう”。

参照と注

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化学物質問題市民研究会
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