■焼け堕ちた村は、三夜を越えた今も焦げた匂いを放っていた。
すでに誰もいなくなった村に、二人の人影が遅れて訪れているのが見える。

一人は、廃墟の暗い陰りの中でも鮮やかな青い髪を揺らす、長身の青年。
整った面立ちに装いも凛としていた。大国ミラマの紋章を襟元に見せる、ミラマの第一王子ニュエズ・マラハーン。
そして、後ろに控えながら、連れのエルフの男性はむっつりと不機嫌な顔で廃墟を細く睨んでいた。
王子の良き友人でもある、宮廷魔術師のサダ・ローイ。
長い金髪に煙の匂いと死臭が染み付きそうで、早くここを立ち去りたいように王子に告げる。
「ニュエズ王子、こんな場所、長居は無用ですよ。<炎の石>もザガスに持って行かれたようですし・・・。ユイジェス王子達を探して、合流しましょう」

「・・・・。遅かったようだ。炎の槍は・・・、リモルフの脅威の武器となる。ユイジェスにかかる負担が大きくなってしまった」
「王子・・・」
間に合わなかった事に落胆を示す、ニュエズ王子にサダは眉根を寄せていた。
死者の冥福を祈り、村に背を向ける王子が自分の横を通り過ぎる。
サダは顔を上げ、強い口調で王子の背中に制止を言い渡した。

「王子、私は、私は・・・。納得がいきません!貴方はどのようなお考えで、そのまま受け入れられているのですかっ!ユイジェス様のため、ですか?それともサエリア王女のため?あまりに悲しいではないですか」
サダ・ローイは数日前に、聖地に呼び出され、王子に告げられた『炎の宿命』を嘆いていた。王子に従いながら、その後は常に不機嫌そうな顔を隠していなかった。

「サダは、喜んでくれないのかい」
「喜べませんよ」
エルフの友人はつっけんどんに返事する。
「私は、知りたかったのだよ。自分が生まれてきた意味を」
呼び止められ、振り返ったニュエズ王子は爽やかに笑っていた。それが更に彼を悲しく見せてしまう。

「これで、『二人の王子』の理由が理解った。・・・嬉しい事だとも。大きな使命だ。これでいいのだよ、サダ。私は煉獄の槍を手に取り、アイローンに逢う」
「・・・・」
「そんな顔をするな。行こうか。多分、この近くにいるはずだ」
王子の生真面目な顔は、友人にとってはこんな状況では痛いものにも成りえた。

廃墟を去る王子を追いかける、サダには何ひとつ言葉が出てこなかった。


遥か昔、世界を救った青い髪の青年、アイローンの生まれ変わりとも言われたニュエズ王子。しかし、アイローンが残した風の剣は弟王子を選んだ。
そして大地の精霊王もユイジェス王子を選ぶ。

伝説の王子は弟王子だったと言う訳だ。
・・・では、兄の存在は、一体何のためだったのか。

彼はずっと考えていた。
そしてそれは聖地にて彼に告げられた。
第一王子を呼び出した聖地の最高司祭によって。


■世界の中心に浮かぶ島、聖地には四人の神の娘と、四つの精霊王を象徴する像が島の中心に置かれている。
四人の娘、命の神アリーズ、心の神パルティア、真実の神トューレイ、そして変化の神、リモルフ。
四人の娘はそれぞれ東西南北に並び、間に四つの精霊が位置していた。
炎の精霊王ガラーム、風の王ジーク、大地の王ダイルーン、水神イセーリア。

円をなす八つの像の中心には、創造神の白亜の像が高く世界を見据えていた。
聖地はジュスオース王国の領内になるが、聖地の最高司祭は王国の王妃でもあった。司祭の名はマリティ、レーン王女の母親にもあたる女性である。

司祭は命の神アリーズを信仰し、創造神の声をも聞くと言われていた。
世界を最も視る者だとも称される。

司祭は、ミラマの第一王子と、シャボールの王女サエリアを聖地に呼び出していた。
ミラマの王子ニュエズには彼自身の宿命を伝え、そして王女には彼女自身に関わる一つの質問を投げかける。

「サエリア王女、貴女は・・・。自らの『心』を、どのように捕らえていますか・・・」
「え・・・?」
白亜の神殿で司祭に畏まっていた王女は、質問の意味を理解できずに戸惑った表情を見せた。
長い黒髪の、美しい娘だ。ニュエズ王子と婚約したのだと訊いていたが暫く行方不明になっていた。その間に、彼女はミラマの第二王子と旅をしていたという。
彼女もまた、数奇な運命の元にいる、司祭の視線は辛そうに彼女を見定める。
「私の、心、ですか・・・」

「そうです。心の神は、消えそうな自らの心を育てるために、その心を人の中に降ろしていました。何度も命を繰り返し、心の息吹を重ね、強めようとしたのです。しかし、貴女は今自分の心を否定しようとしています・・・」
「・・・。わ、わた、し、が・・・」

サエリアは、自分がその『心の神の心を持つ者』なのか?
それに驚愕を示し、繋げて考えた、   「否定」、思い当たった事柄があったのか、彼女は口元を押さえて顔色を青く変えた。

彼女の鼓動が激しく打ち、見下ろす司祭の視線を彼女は正視できなくなる。
「否定なんて・・・、していません・・・」
「また、その言葉も「否定」です。自分を殺そうとしているのですね」
「司祭様・・・!私は・・・!」

取り乱し始めた、王女の腕を司祭は掴み、酷とは知りながらも彼女に勧告をするのだった。
「お聞きなさい。心の神は、今の貴女と同じ悩みを、苦しみを、ずっと考え続けていたのです。答えの出せないまま、それは何度命を繰り返しても輪廻してきたのです。心の神は神でありながら人を愛しました。心の神パルティアはアイローンを愛していたのです」

「アイローンを・・・?」
それが私なら、生き写しなユイジェスに惹かれたのも避けられなかったのだろうか。
「女神は許さず、自分の心を殺したのです。それは自らの存在を否定すること・・・。心の神が消え去る時、世界から「心」は消え去ります。今貴女が自分を殺そうとする、それがこの世界から「心」を奪い去る」
「あ・・・。ああ・・・っ!そ、そんな、こと・・・」

司祭が両腕を掴んだのは、彼女が耳を塞ぐ事を防ぐためだった。
最後まで彼女に聞かせるがために。

「貴女からは、「否定」の叫びが聞こえます。苦しいのでしょう。そんな苦しみ、痛む心など、消えてしまえばいいと願っているのでしょう・・・。どう考えますか?この世界に散らばる心は全てが苦しみ悲しみと共にいます。貴女ならそれを全て消し去れます。この世から「心」を抹殺できるのです」

「・・・ううっ・・・!ううっ・・・!」
両腕を掴まれた王女は嗚咽し始め、固く瞳を閉ざすと大粒の涙が音を立てて床に落ちる。
「この聖地で、自分と向き合うと良いでしょう。心の神の元へ、貴女自身が導きます。申し訳ありませんが、貴女を国に帰す事はできません。了承下さいね」


司祭との話の後で、ニュエズ王子が部屋の外で待っていたのに出会う。
顔を合わせたが、彼女はそこでもひたすらに泣くのだった。

王子はディホル王国の<炎の石>の元へ向うと告げる。
泣く自分を心配してくれるのだが、優しく抱き寄せようとされると思わず体は拒絶していた。
「あ、・・・!ご、ごめんなさい。ニュエズ様・・・」
「・・・・。また、戻ってくる。ここにはフィオーラ司祭も来ている、君の事は彼女に頼んであるから、何かあったら彼女に」
「はい・・・」

王子は従者のサダ・ローイと共に魔法でディホル王国に飛び、サエリアは神殿内に部屋を案内され、一人自問自答していた。
シャボールから司祭フィオーラはこちらに向かい、動向の気になるサエリア王女を傍でずっと見守っていた。

黒髪の司祭フィオーラは、ルーサス・ディニアルのためにラマス神殿を追われた元水神の司祭だが、シャボールでの事件解決後もシャボールに残り、その後の経過を見定めていた。
フィオーラとしては、サエリア王女は城を抜け出して、ユイジェス王子に会いに行くのだとてっきり思っていた。
実際の王女は何処にも向おうとはしなかったけれど。

サエリア王女は、部屋の中では一人、おそらくは延々と泣き濡れているのだろう。
食事もろくせず、日に日に彼女はやつれていった。

気の強い司祭フィオーラが、ほとほと呆れて行動を起こし始めるまで。


■「失礼致します。サエリア様、私はこれからユイジェス様を迎えに行って参ります。暫しお傍を離れますがご了承下さい」
フィオーラの申し出に、扉口の王女は言葉を失っていた。
「このままでは堂々巡りでしょう。貴女様には、どうしてもユイジェス様が必要のように思います。私も世界を案ずる者の一人として、お二人は向かい合うべきと存じます」
「・・・・あ、でも・・・」
「聖地からは各地への転移印が御座いますので、そう時間は要しません。それでは、それまでご休息下さいませ」
「あ、ま、待って・・・!」

きびきびとした態度で、即座にも発とうとするフィオーラに、サエリアは送れて慌てた反応を示した。
「ユ、ユイジェスは、でも、呼ばれても・・・」
とても話なんてできそうにない、そう言いたそうに王女の眉根は辛そうに歪んでいる。しかし、フィオーラは厳しくも一点の曇りもない瞳で言い据える。
「時間の無駄です、サエリア様。貴女は王子に会いたいのです。そうでしょう」
「・・・・・」

カツカツカツ。
潔い音を鳴らして司祭は王女の眼前から去った。
扉を閉めることすら忘れて、サエリアはその場に崩れ落ちた。

    会えない。会えないわ。一体どんな顔で会えるというの!

シャボール城では、会いたいと思っていた。
礼も言えないままに彼らは旅立ってしまって。
寂しくて、城が息苦しくて、でも、今は会うのがとても怖い・・・!

「さよなら」したのだから。
会っても、私には何も言えない。会いたくない。
もう、会ってはいけない、会えない。
ユイジェスには、会ってはいけなかったのよ・・・。



「また、否定するのですね・・・」

胸がきしむ、そんな自分に囁くのは、悲しい女性の囁き。

「・・・そうです。私は、彼に出逢ってはいけなかったのです・・・」

なにかに閃いて、サエリアは顔を弾かれたように上げて辺りを見回した。
回廊には誰の姿もない、けれど、何処かで顔を覆って嘆く女性、別人なのに、自分の心に自らの記憶のように悲しみが迫ってくる。

「やめて・・・っ!痛い・・・っ!聞きたくない・・・っ!」
両耳を押さえ、サエリアはその場から逃げ出した。耳を押さえても、壊れそうな慟哭が襲ってくる。彼女の悲しみと、自分の痛みが混雑して、心が張り裂けそうに悲鳴をあげた。

「消してしまいたい・・・。けれど、消えないのです・・・」

「私は貴女じゃない!帰って下さい!帰って!聞きたくないっ!」
声は、何処から響いてくるのか、彼女にはわかっていた。
島の中央、心の神の像の前にサエリアは駆けてきて女神と対峙する。

「そう・・・。貴女も、私を、自らを否定する・・・。私は、このまま、存在を失くして還るべきなのでしょうか」
「・・・・・っ!もう、もう、嫌・・・!」

女神の像にサエリアは腕を伸ばす。
そのまま、像を押し戻そうとでもするように。
けれど、像は彼女の腕をするすると飲み込んでいく。
「!?なっ!は、離してっ!」

「貴女は、私。私です・・・」

聖地から、サエリア王女の姿が消える。心の神の像の中へ。


■湿った空気、そして暗闇。
女神の嘆きの巣の中に落ちたように、サエリアは落下感に襲われ、さまざまな感情の波に翻弄される。

    オギャア、オギャア!
赤ん坊の泣き声。
それは、誕生の喜びではなく、悲鳴のように闇にこだましていた。
「双子の娘だ・・・。なんて恐ろしい。王家に風の王の呪いが降り注ぐことになる。王家にかかる呪いは国を滅ぼしかねん・・・。この娘は殺してしまうべきだ」

ぴしゃり。
サエリアは冷たい水の上に微かな音を残して降り立つ。
素足で、浅い水溜りの上にひとり。水は何処までも波紋を広げていった。

「シャボールの王女は、このサエリアただ一人。妹は風の王に捧げられるのだ」
暗闇は忌まわしい過去を彼女に見せるようだった。
    オギャア、オギャア!
呪われた風の塔に捨てられるのはサエラ。助ける事もできなかった悲しい妹。
寒さと、飢えと、孤独に苛まれ、妹は死んでいく。
その頃、私は温かい腕の中で、裕福さに溺れて眠っていた。
ぱしゃぱしゃぱしゃ。
駆ける水音。後じさって、サエリアは目を閉じて逃避し始める。

「逃げるの?」
前にふっと妹の姿が浮かび上がり、サエリアは往生して立ち止まった。
妹の瞳が水よりも冷たく、彼女を責め立てる。
「許さないわよ。わかっているのでしょう。私はお前が憎いの」
「サエラ・・・。ごめんなさい。ごめんなさい・・・」
浅く浸水した世界に、両手をついて姉は壊れた人形のように謝罪に伏した。

「お前は、消えたいのでしょう。自分ではなく、私の方が生きていれば良かったのだと思ってくれるようね。それなら、お願いがあるわ。その体が欲しいの」
闇に浮かんだまま、妹は視線だけを眼下の姉に下ろす。
姉は、謝罪の言葉を止め、冷えた体を凍りつかせた。

「私は、心だけは、まだ残っているわ。その体を頂戴。王女になりたいのじゃない。国も親もいらないわ。私はユイジェス王子に会いたいの。彼に愛されたいのよ」
妹の声は淡々としていた。
しかし、それが逆に真実味を深く姉に伝える。姉の体は思わず後ろに下がり、微かに怯えに震え始める。

「彼に優しくされたいの。きっと優しくしてくれるわ。双子なんですもの、体なんてほとんど同じ。私は生きたいのよ」

「大丈夫。忘れないよ。これから先も、絶対にサエラのこと忘れないから。こんな塔はもう消える。後には綺麗な花でも植えるよ。好きな花とかない?」
「青い花がいいわ」


自分の最期に青い花を願ったのは、彼の色に包まれていたいと思ったから。

「初めて、私を抱き上げてくれた人よ。お前は兄王子と一緒になる気なのでしょう。けれど、そんな偽りは失礼だわ。私はユイジェス王子が一番大事よ。お前は兄王子も不幸にするわ。自分が嫌ならさっさと消えて、その体を明け渡しなさい。私は自分の心のままに生き抜き、二人を不幸にはしないわ」

「・・・・・」
サエリアは何も返せず、悔しそうに唇を噛みしめて耐えていた。
逃げない事だけ、貫く事が精一杯の努力のようにわなわなと震えて。

「嫌なの?早くしなさいよ。嫌いなのでしょう!消えたいくせに!早くその体をよこしなさい!」
「イヤァッ!」
怒りの形相で肩を掴んだ妹に叫び、姉は両腕で激しく抵抗を見せる。

「・・・・卑怯者。お前は望んでいるのよ。一緒になれないと言いながら、他の女と結ばれることなんて見たくないのでしょう。お前は人一倍、ユイジェス王子を求めているのよ」
「違うわ!私は、ニュエズ様を!」

パシ   ン。
暗闇の世界は、ガラスが砕けるように亀裂を発して浅瀬に崩れ落ちる。

ピシッ。ピシッ。
心が壊れる。
嘆く女神が心に浮かぶ。
壊れゆく世界の中で、それでも最期に求めた人物は。


ああ、私も、同じね、サエラ・・・。

私も、青い花がいいわ。
壊れた世界に埋めるなら、果てしなく、何処までも、空までも。
どこまでも、永遠に青い色。



「私が生まれ、世界に心が生まれた」

「けれど、それから、命は悲しみを知ってしまった」

「私の存在は許されるのか。私は悩み続けてきたのです。自分自身の許されない思いとともに」



「どうして、私達には心が残っているのだろう・・・」
女神の嘆きは断末の声。
消え行く自我の最後の疑問は、誰に訊けば答えを貰えたのだろうか。

女神が創造神の涙に眠った時、そのまま失っていれば世界は泣かなくて済んだのに。私は泣かなくて済んだのに。

青い髪の王子、あなたを消して下さい。
それができぬなら、この心を消して下さい。
私を、消して下さい。


■ディホル王国の港町で、ユイジェス達は船が見つからずにくすぶっていた。
ロイジック王国へ行くとなると船以外は手段がないが、魔物や、海賊の出現により、世界の海運はほとんどの道を絶たれている。

船を調達しようにも、当然の如く港の船は先に出た盗賊たちに火を放たれていたために、すぐに出航できる船もみつからない。

手をこまねいていた彼らを、女性が一人尋ねてきた。
ルーサス・ディニアルとは因縁も深い、元水神の司祭、フィオーラ・ミサ。
フィオーラは逆にまだこの国にいてくれて良かったと言い張り、ユイジェス王子の前で手を胸に頭を下げる。


「ユイジェス様、聖地にお向かい下さい。サエリア様が貴方を必要としています」
「シオルが・・・?」
呼びなれていない、名前ではなく仲間としての彼女の名前が口からは飛び出す。
「あっと、いえ、どうして、サエリア王女が・・・。聖地にいるんですか」
ユイジェスはその名前から起こる動揺を隠すように務めて、冷静な態度をフィオーラに表した。

「心の神の娘のことは聞きましたか?心の神は人の中にいるのだと。王女は心の神の、心を宿す人の娘です。彼女は心の神パルティアの『心』なのです」
「それはそれは・・」
嫌味なのか、皮肉を含んでルーサスは横の王子の驚きを確信していた。
それはレーンにしても同じことが言える。

「心の神の、『心』・・・?じゃあ、シオルは・・・、パルティアと向き合って、いえ、自分と?向き合おうとしているの?心の石は?」
「レーン王女、事は急ぎます。詳しくは聖地で」

レーンも、ルーサスも、当然司祭の申し出を断る理由が無い。
封じられた神々の涙、心の神、心の石に関わる事なら尚更。

ユイジェスの足だけが出遅れていた。

「ユイジェス?どうした、行こうぜ。シオルが待ってる」
心配したような仲間の魔術師、ユイジェスは何かを心に決意して彼に応えた。
「うん。そうだね。行こう」

彼女に会うのは、あくまでも、世界を救う伝説の王子として。
彼女の婚約者の弟として。



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