最終話    世界が変わる時





■サラウージ大陸、北の王国、ロイジック城が盗賊ザガスの手に渡ってから、早や四年の月日が流れていた。
その間に、城は盗賊、流れ者、傭兵などの溜まり場になり果て、たった一人の生き残りの王女は生きる屍と化す。
この国の人質とも言える、ジッターラ王女は今日も変わらず無表情で空を見つめていたが、もたらされた報告には美しい顔も歪んだ。

ザガスが帰ってくる。
それは聞き捨てならない知らせだった。
ジッターラ王女は雪のように白い腕で、震える自分を抱きしめると、冷たい汗を顎まで伝わらせた。
考えるだけでも震えてしまう。あの男は、そこに居るだけで恐怖の対象だった。
何年経っても、王女の中でそれは色あせてゆく事はない。

もう、ディホル王国で、目的の物を手に入れたのか・・・。
「封じられた神々の涙」が、ザガスの元に集まる日は近いのだろうか。

あの魔術師の少年は・・・?

考えたところで、王女には答えが見つけ出せるはずもなく、誰もいない自室で彼女は独りまぶたを伏せる。何を見ても仕方がないように。

いつまで、私は生きているのだろう・・・。
死んだ方が、楽になれる。滅んだ国の民も「夢」を見ないで済む。
私を殺されるのを防ぐために、ザガスに組する国の者もいるのだ。
私がいるから民が苦しむ。

何故、自分が生きているのか。
それはもう自分で知っていた。
待っているのだ。ここに来るはずの、一人の少年を・・・。

窓から見える空には、重たい雲が晴れることなく永遠のように敷き詰めていた。
何処かの空の下で、その少年が今日も戦っている。
そう思うからこそ、私は図々しくも生きているのだ。

ザガスを迎えるために、ロイジック城内は密かにさざめき立ってゆく。


■盗賊ザガス本人は、船上にてサラウージ大陸の姿を微かに確認していた。
そして、船は拠点であるロイジックに到着し、馬でいち早くザガスは王城に戻ってくる。その横には赤みがかった髪をした少女が連行されていた。

短く髪を切った、少女の名前はリカロ。

リカロはディホル王国でザガスに連れ去られ、ついに悪の巣窟に辿り着く。
全ての悪夢の始まり、一夜にして落ちた栄光は過去に消えたロイジック王城に。

船旅ですっかりリカロは憔悴していた。
船にも酔ったし、扱いも酷い。何もされなかっただけましだけど、すごく船内は不潔だったし、盗賊たちも下品極まりなかった。何度不愉快な思いとしたことか。

数日の船旅も二ヶ月にも三ヶ月にも感じられた。早く帰りたい。
ルーサスに会いたくて、不安で仕方がない。

ロイジック城は湖の中ほどに堅固に二人を待っていた。
昔は澄んでいただろう湖も、今は泥のように泥水を貯めていた。良く見れば、泥の中を泳ぐ魔物の姿に気づいたかも知れない。
城へと繋がる桟橋は装飾品を根こそぎ外され、今にも崩れそうにあちこちが腐敗していた。城内の壁には四年経った今でも消えない惨劇の証を残し、黒い染みは匂ってくるようで目眩を覚えた。

廊下を連れられている間、品定めをするような、盗賊たちの舐めるような視線がずっとリカロを追っていた。
時々、何処からか女の悲鳴が聞こえてくる。

まさか。・・・嘘だよね・・・?

今日は自分が餌なんじゃないだろうか。嫌な想像をしてしまってリカロは総毛立つ。
命より身体の危機を感じて、リカロは目の端に涙が滲んで来るのを我慢できなかった。でも、どうやってここから逃げるの・・・!?

知らない土地、大勢の盗賊たち。そして盗賊ザガスは身のこなしも早い上に恐ろしい変化の神の魔法を使う。
ぎりぎりで張り詰めている心が砕けたら、何処までも恐怖に落ちて壊れてしまいそうだった。今にも泣き叫んで逃げ出したい。

「逃げようなんて、考えない事だな」
見知ったように、前を歩くザガスが振り向いた。
「俺の見えない所では、連中は何をするか分からぬ。殺された方がましな目に会っても構わないなら逃げ出すことだ」
「・・・・ううっ」
ザガスの言葉は冗談ではなく、身震いする視線にも吐き気がしてくる。
「ルーサス・・・」
さるぐつわのために言葉は喋れない。けれど本気で彼を思ってリカロは泣き始めていた。
早く助けに来て。早く帰りたい・・・!


リカロは不意に、広い部屋に縛られたまま乱暴に放り込まれた。
「大人しくしていれば何もしない」
去り際、床に転がったリカロの腕に、ザガスはそっと手を伸ばす。

バチッ。
また、<水の腕輪>は他人の手を弾き返す。
「当たり前よ!中にはサーミリア様がいるんだもの!誰もさわれるもんかっ!」
強く心の中でリカロは叫んで睨みつける。
『水』を拒むルーサスの代わりに自分が腕に嵌めている。

暫く沈黙していた、ザガスは奇妙な行動を見せた。
リカロのさるぐつわと腕のロープを外し、再び水の腕輪に触れる。

「・・・・・えっっ!?」
するり。何故だか理由は分からない。
けれど腕輪が突然にリカロの腕から逃げて行った。
「な、なんでっ!サーミリア様っ!!?」
腕輪は当然のようにザガスの手の平に納められる。慌てて、リカロは取り返そうと腕を伸ばした。

「きゃっ!」
ザガスの指、変化の神が宿る石、それは指輪の姿を持ってリカロを向こうの壁まで弾き飛ばす。
「ルーサス・ディニアルが来るのを、せいぜい大人しく待つんだな」
ザガスは鍵を閉め、腕輪と共に消え去る。

「・・・う、うそ・・・。嘘ッ。どうしよう。やだっ。どうしよう・・・!」
閉じられた扉に貼りつき、リカロは狂気に所在無くわめき出す。
「・・・。ふえっ・・・。あああんっ!もうやだっ!やだよっ!誰か助けてっ!ルーサス!ルーサスー!!」

カタリ。
「!!!」
部屋の中で物音がし、何者かの気配にリカロは撃たれたように振り向いた。

「・・・・。貴女は・・・?ルーサス・ディニアルの、お知り合いですか・・・」
部屋には気づかなかったが、一人の女性の姿があったらしい。
広い部屋の奥、寝台から、女性の声がか細く自分に問いかける。

カーテンから覗いた女性は、やつれてはいたが相当に美しかった。
「あ・・・」
蝋人形のように白い肌と、腰まである栗色の髪。
リカロは我も忘れてその女性に見とれていた。
簡単なドレスを身に纏い、ロイジック王家の紋章の刻まれた銀鎖を首から下げている。リカロには彼女が誰なのかが分かり思わず平伏した。

「あ、・・・。ジッターラ王女様・・・、ですよね?私は、リカロ・ラーミャ。ルーサス・ディニアルと一緒に旅をしていた者ですっ」
「・・・いかにも、私はジッターラですが・・・」
頭を下げるリカロの傍まで王女は歩み寄り、その小さな肩をそっと押さえる。
「もう、滅んだ国の王女に、そんな礼は不要ですわ・・・。リカロ、可哀相に、捕まってしまったのですね・・・」
「え、えっと・・・。は、はい。すみません・・・」
ジッターラ王女はリカロの手を引き、前ぶりも無く強くリカロを抱きしめる。
「お、王女様?!」
ジッターラ王女は激しく震えていた。
「炎の石は・・・、ザガスに、ザガスに奪われたのですか・・・?」
「・・・・わからないですけど、・・・・。多分・・・」
でなければ、ここに帰るはずがないと思った。
今さっき、水の石も持って行かれてしまった。
王女の震えに自分の不安も爆発しそうになってゆく。

「大丈夫。大丈夫です。ルーサスが、きっと助けに来てくれますから。ユイジェスは伝説の王子様だもの。きっと・・・!」
言いつつも、しゃくり上げている自分は滑稽に見えただろう。王女を抱きしめて、リカロも助けを求めて声を上げて泣いた。

泣いても泣いても、まだ泣き続ける。
王女も、こうして誰かを抱きしめて泣きたかったんだろうな。
そう思うとまた悲しくて涙が落ちる。


■「石を持ってロイジック城に来い」
それがザガスから残された伝言だった。
リカロが<水の腕輪>ごと連れ去られた事を知り、知らせを聞いたルーサスはその場にへたりと膝を折り、大地に両手を付いた。

額に真実の輪を当てた緑の髪の魔法使い、ルーサス・ディニアルはその瞬間から瞳に光を失った。
横に立ち尽くしていた青い髪の王子、ユイジェスも茫然自失に堕ちて行く。その後ろに立つ金の髪の王女レーンも暫く何も口を開く事ができなかった。
逃げた盗賊たちの足取りをすぐに追ったが、ザガスとリカロは早急に船でロイジックへ向ったらしい事がわかってくる。

悪い知らせはまとめて届くようだった。
盗賊の足取りを追う内に、盗賊によって隠れ里が一つ、焼かれていた事が発見された。ユイジェス達がいた村からそう遠くはない、山岳地帯の火山ふもとに隠れていた古い村を焼き討ちにした後が翌日発見される。

「多分・・。ここに<炎の石>があったんだろうな」
焼け落ちた廃墟に立ち、ルーサス・ディニアルは仲間に確認を取るように呟いていた。一人、去って。また一人いなくなった。
今は三人の仲間たちと。

「・・・早くリカロを助けに行こうよ。きっと待ってるよ。早くしないと手遅れになる」
すでに何度口にしたかわからない台詞を、ユイジェスは繰り返した。顔を下に向けて押し黙っているルーサスに対して、これ以外の話題はなかった。
今すぐにでも難色を示す、ルーサスの腕を引き上げて、ロイジック城へ乗り込みたい衝動に駆られてくる。
「村に戻ろう。・・・日が暮れるまでには、答え出してよね」

ユイジェスはため息をつくように告げると、踵を返してレーンと共に廃墟を離れ始めた。ある決心を、固く心に決めていたからである。

「駆けつけて、間に合うなら、そうしてる・・・」
青い髪の王子の気配が消えると、か細い呻きがルーサスの唇からこぼれ落ちる。
「死に物狂いで駆けつけて、それでも、間に合わなかったんだ。目の前で殺されたんだ。大事な者を殺された事の無い、お前に分かってたまるか・・・」
ルーサスの暗い記憶がもたげてくる。
永い間の盗賊生活、反してのラマス神殿で母と過ごした短かったけれど安らかだった日々。ロイジック城陥落。
中池に浮かんだ母親の死体。燃えた町や村。
そしてリカロとの旅・・・。

もしもリカロが
またあの池に浮かんでいたら・・・!


「・・・・!!」
ルーサスは自分の頭を掻きむしり、恐ろしい幻覚を振り払おうと頭を揺さぶる。
「アイツがリカロを無事で返すはずがない」
正直、怖くてたまらない。俺のせいで不幸に殺されてしまう。

正気を保つ事さえ必死な程に自分は怯えていた。
足が動かなくなる。何も見たくなくなるんだ。
「くっそう・・・!」
歯噛みし、両手を握り締めてルーサスは振り向き歩き出す。
「・・・リカロに何かしてみろ。ぶっ殺してやる・・・」
恐怖を消すもの、それは憎しみであるかのように、歩き始めた彼の視線は殺意に燃えていた。


■焼き討ちにあった廃墟では、数人の生き残りが保護されていた。
宿を取っていたユイジェスは、その保護された人々に話を聞こうと救護施設にレーンと二人で足を運ぶ。
生存者は誰もが重症で、白魔法の使えるレーンの登場には誰もが救われた。
聖地を抱えるジュスオースの王女ならますます、彼らには女神にも映ったことだろう。

意識を取り戻した生存者の中には、焼かれた村の長老が混じっていた。
「青い髪・・・。もしや、ミラマの王子殿では・・・」
長老、老婦人は視線の先にユイジェスを捕らえて声が震えた。
「はい。ユイジェスです。ミラマの第二王子になります。長老、よくぞ無事でおられました」
「ユイジェス殿・・・。村は、村は・・・。炎の石を厳かに護っておりました。そこに盗賊共が現れ・・・。申し訳ありませぬ。<炎の槍>は奪われましたのじゃ・・・」
レーンに肩を支えられながら、長老は王子に深く何度も詫びた。
「炎の槍・・・。炎の石は槍に埋め込まれているのですね」
「炎の精霊王、ガラームの宿る煉獄の槍ですじゃ。変化の神の、手元に渡れば全てを焼き尽くす破壊の悪魔となりますじゃろう・・・」

すでに、炎の槍は持ち去られた。
変化の石を持つ盗賊ザガスの元に。

「アレは・・・。ひたすら、隠さねばならぬ力じゃった・・・。リモルフ以外の誰の制御も聞かぬ、破壊の力じゃ・・・。アイローンの王子でも、抑えられぬ炎の力だったのですじゃ・・・。あああ、もうこの世界は終わりじゃ・・・」
長老は恐怖にわななき、何処か定まらぬ視界でガタガタと震える。
「リモルフ、あの悪神が、この世界を滅ぼしに来るのですじゃ・・・。ああああっ」

    悪神。リモルフは邪神とも罵られているが、
俺たちは変化の神を滅ぼしに行くのだろうか。

「そんな。大丈夫、大丈夫ですよ、長老様っ!神々の涙は他にもあります。私達が必ず守ってみせます!」
運命として受け入れてしまうような長老の恐れに、飲み込まれないようにレーンは強く叫び始める。
「諦めないで下さい。私達は勝ちます!」
必死なレーン、しかし、長老はその前向きな意見を汲みはしなかった。

「変化の神の姿を、焼け落ちる村の背後にわしらは見たのじゃ・・・。リモルフは復活しておる。わしらは、大いなる変化の中で、過去と共に消し去られる運命なのじゃよ・・・。誰もアイローンの王子でさえも、抗うことはできぬ・・・」

「そんな・・・!」
周りに休んでいる、他の生存者たちにも諦めの匂いが漂う。
感じてレーンはやり切れなさに唇を噛みしめた。
「・・・・。新しいもののために、古いものは捨てられていく・・・。それは、それは、現実にある話です。捨てなければ作れないものもあるでしょう。でも・・・」
ただ一人、発言したのは青い髪の王子だった。
千年前にこの世界を救った、アイローンの末裔であるユイジェス王子が。

「僕は・・・、守りたいです。アイローンだってそうだったはずです。まだ終わりなんて、諦めないで欲しいです」

この世に、変わらぬものなど存在しない。
それが変化の神の力の大きさを物語っている。
それに比べて、対する唯一の力、「真実」の儚さはどうか。
この世は嘘だらけである。人の心は荒み、裏切りなど日常茶飯事で、愛や友情を語り私腹を肥やす者もいる。
この世に「真実」などない。

諦めないでと口にはしても、ユイジェスには「真実」の名前すらまだ分かっていないと言うのに。
気を抜くと、周囲の絶望に飲み込まれそうになってしまう。

なんて情け無い「伝説の王子」なんだろう。
ユイジェスは沈む気持ちを自分ではどうしようもないと思った。


■宿に戻る足取りは重く、宿で合流したルーサスに事態の報告をする口取りも沈んでいた。
「・・・行こう。リカロが心配だよ。まだ見つかってない石もあるけど、まずはリカロを助け出そうよ」
事務的に話を聞いていたルーサスに、ユイジェスは身を乗り出して説得を始めた。
「わかってる」
ルーサスは視線を合わさないが、良く見えないけれど顔には苦悩の色が滲んでいた。窓辺に立ち、西に傾き始めた夕日を睨みつけてはぼそりと話し出す。
「行くしかない・・・。あそこにザガスがいる限り。俺にとっては、あそこがいつも始まりだった。呪われた城だ・・・」

運命を呪う、彼の呟きだった。
例え待っているものが破滅でも、俺は行くしかないんだ。
ルーサスは心中の憤りを吐き捨てて顔を歪める。

「もう、諦めてるの?リカロのこと・・・」
レーンは、悲しそうにルーサスの後姿を見つめた。
どうして、誰も彼も、何処に行っても、希望は薄れているのだろう。

ユイジェスは、ルーサスがロイジック城へ向う事を恐れていた気持ちが少し分かる。
自分にも悲しくて、目を背けたい場所が残っている。
思い出したくない悲しみが襲う場所には、近付きたくない気持ちが分かるんだ。

ユイジェスは、黙って下を向いていた。
何か明るい言葉を考えても浮かんでこない。

「・・・俺も馬鹿だな。本当に。気づいた時には、いつも終わっていた」
ルーサスは声を上げて笑い出す。
「もう、何ひとつ残っちゃいない。こんな命なんて、いつでも投げ出してやるぜ」
「ちょっと・・・」
嫌な顔をするレーンも無視して、ルーサスの自虐はまだ続いていた。
「一体、何を信じて戦えばいい?何のために戦えばいいんだ・・・。アイツまで犠牲にして。この先に一体何があるって言うんだ。・・・真実って一体何だよ。ユイジェス教えてくれよ」

懇願する、緑の瞳にはやり場の無い怒りが宿っている。
深い悲哀の色も込めて。
自分の方が教えて欲しいくらいだとユイジェスは思った。

「ルーサス、まさか・・・。死ぬ気・・・?」
勝っても負けても、その先に何もないと言い張る彼は、生きていく希望を失う者達の仲間入りをする。
まるで雷を受けたかのようにユイジェスの全身を衝撃が突き抜けていった。
まさか、ルーサスからそんな言葉を聞くなんて。
ユイジェスの顔から一気に血の気が失せていた。
「ルーサス・・・」

自分は、兄を越えたくて、この旅に参加した。
それは叶うのか?想う人を兄に渡して。
リカロの生死も危うい。
レーンの目的は兄さんだった。思いは決して叶わないが。
ルーサスの願いは?そこにはリカロが必要だったんじゃないのか?

誰の願いも夢も叶えられない?
夢はきっと叶うなんて、一体誰が何を根拠に言ったのだろうか。

「ごめん・・・。俺には何も、わからない・・・」

ただ、ザガスを倒したいと思った。大地の王の悲しみをなくすことができればと思った。誰にも泣いて欲しくない、世界にも。
シオルを守りたいと思った。
はたして勝てるかどうかも分からない。
変化に対抗する「真実」が何かも分からないのに・・・。

伝説の王子の答えは、余りに希望に欠いていた。

「・・・俺も、・・・どこかに、消えてしまいたいのかも知れないな。ミラマにも帰れそうにないし・・・」
そこには辛い暮らしが待っているから。
兄と結ばれる人の姿が痛すぎる。

「馬鹿!!」

突然、たまりかねた様にレーンが鋭く二人を叱り付けた。
そして二人の頬に連続で平手打ちが決まっていく。
ユイジェスもルーサスも目を丸くして、わなわなと震えるレーンを見つめた。

「なんなのあなた達・・・!それでも男なの!?」
もう一発くらい叩きそうな右手を、まぶたに押し当てて、レーンはぼろぼろと涙をこぼす。珍しく彼女が大泣き始めたのを見て、男二人はすっかり呆然としていた。
「たった一人しか見えてないのね・・・。私もそうかも知れないわ。でも・・・。本当にたった一人なの!?たった一人しかいないの!?」

男二人に冷水を浴びせるような彼女の言葉。
「私たちって一体なんなのよ・・・!!」
自分の叫びが伝わるようにと、両手を組み、レーンは祈りの言葉の様に叫び続ける。その姿はどこまでもまっすぐに強く輝いて見えた。

「負けるから・・・?誰がそんなこと分かるの?誰が決めたの?どうして死ねるのよ!何処へ消えたいのよ!何も信じられないって・・・?!自分も信じられないの!?仲間を・・・、信じられないの!?私は!
私は信じてる!だから一緒にいるのよ!」

青い瞳はいつも光を失わない。
改めて男二人は彼女の強さを知った気がした。
「私だって、こんな風に泣き叫びたい時もあったわよ。意地とか、みっともないとか思って、泣かなかったわけじゃない。あなた達がいてくれたからよ。リカロやシオルが居てくれたからよ。いつでも勇気を与えてくれたから。だから今までやって来れたんじゃないの、違うの!?」

「ごめんレーン・・・。俺、大事な事忘れてたよ・・・」
ユイジェスは心から彼女に謝った。
ルーサスも、悪夢から覚めたような顔をしていた。
「馬鹿!もっと早く気づいてよ!」
怒りながら、その顔は嬉しそうに見える。
「・・・ありがとう。なんか、レーンが泣くと、ビックリするよ。いつも」
涙を拭くレーンの肩に手を乗せて、ユイジェスはその頭を軽く撫でた。
兄さんのことで泣いた時もビックリしたっけな・・・。気の強い娘だと思っていたから。

「本当にな」
驚いたことに同意を示して、ルーサスはバツが悪そうに頭を掻いた。
「うるさいわよ。ルーサス、あなた、リカロに会ったらきちんと好きだって言いなさいよ。あれだけ取り乱しておいて、もう隠しようがないわよ」
「・・・・・・」
レーンはユイジェスに甘えたまま、ルーサスに意地悪に笑った。
「そうだよ。リカロ、喜ぶよ。言った方がいいよ」
「お前まで・・・」
それには素直に「うん」とは言わなかったが、ルーサスはユイジェスに素直に謝った。
「八つ当たりしちまったな。悪い。どうかしてたんだ」
「いいよ。俺もね・・・」

「きちんと告白しないと、ばらすわよ。馬鹿」
「・・・あのなぁ・・・」
しつこく言い張るレーンにルーサスは苦笑していた。
「生きてたらな・・・」

自分はリカロの村を焼いたザガスの息子で、リカロの家族を殺した男の息子で。
そんなことばかり気にしていて、いつもリカロに冷たく接してきたけれど・・・。
いなくなってみて始めて分かる。
自分にとって彼女は核にも等しい存在だったということが。

「全部片付けられたなら、その時はいくらでも言うさ」
「うわっ。いくらでも?・・・言ったわね」
泣き顔も晴れて、レーンが明るく笑ったのを見て、ユイジェスは泣くほど感動できたことに感動を覚える。

「みんなに会えて、良かったな。本当に・・・」
嬉しくて、ユイジェスの顔はほころんだ。
誰にでもなく口にした、その言葉はとても温かいもの。
仲間たち、五つの心があの日出逢って、それぞれ同じ夢を信じて歩き始めた。

具体的に「何」とは言えない、「何か」を信じてる仲間達との絆。繋がり。
人は誰も違うけれど、でも、とても実は良く似ているんだよ。
バラバラのようで、一つで、もろいようで強いんだ・・・。

この世に、真実などない、か。認めようとしていた、考えをユイジェスは今否定する。

人が信じているもの、何か分からずとも、信じて疑わないもの、その「何か」が、レーンの母親の言う「真実」なのではないか・・・?

「レーン、ルーサス、俺、頑張るよ。二人の事も必ず守るから。この世界も必ず守るから。一緒にこれからも行こう」
「そうこなくっちゃ」
「ああ。もう、大丈夫だ。突っ走ろう」

ほら、今、心が一つに重なった。
侵されそうだった弱い心に、これ程染み渡る勇気の元は無いだろうと思った。
それだけで、世界すら変わって見える。
初めて会った日と同じ、笑顔がそこには変わらずに輝いてゆく。
手を取り合って、ユイジェス達はまた歩き始める。



BACK     NEXT