■王城を見上げた旅人達は、すぐさまに異変に気がつき、対処に走り出していた。
遠く離れた砂漠の地から、隣国のシャボール王城までは徒歩では途方もなく時間がかかる。しかし、彼らは特別な別路を辿ってここに辿り着いた。

それは、地下に流れる、水脈。
<水の腕輪>を身に付ける明るい茶の髪の娘、リカロは<石>に宿る精霊の指示を受け、地下水脈を辿る道を選んだのだった。水神はすでに力を失い、<石>に宿るのはかつてのラマス神殿の神官、サーミリア・ディニアルなのではあるが・・・。
枯れつつある水脈を辿り、なんとか城に辿り着く。

すぐさまに、魔術師ルーサス・ディニアルは忌まわしき魔の胎動に気がついた。
犯人は知っている、例の魔女だろう。
古に伝説の王子アイローンが封じた魔界への入り口を開き、そこから魔物を呼び出している。その入り口が近くにあるのが彼には察知できた。

「あの<塔>の下だ!」
ルーサスは一人で嵐の様な風の中に飛び出して行く。相棒のリカロは、慌てて、彼の後を追いかけようとして地面を蹴った。
「リカロ!フィオーラは城へ行け!誰かいるかも知れない!」
「え・・・」
「何もなかったら後で来い!いいな!」
「はぁー・・・い」
不服そうにリカロがふくれて返事をしていた。


城に隠れるように、薄暗く構えていた<風の塔>。ここに封印された<風の石>があったのだと聞いている。しかし、魔女によって封印は解かれた。
それを伝えたのはミラマで出会ったシオルだった。

切り裂くような強風がルーサスが塔に近付くのを激しく拒んでいた。
しかし、それは<風の王>のもたらす力、そして魔界の力に反する力をルーサスも額にあてがっていた。<真実の輪>をするルーサスには、魔界の扉を抑える事のできる力がある。
魔の変化の神に対抗するのは真実の神、ルーサス・ディニアルは真実の「印」を空に描き、魔女によって開かれた魔界への扉を塞ごうとする。

「真実の神よ・・・!この地から「魔」を消し去れ・・・!!」
そびえ立つ悪しき塔の前にルーサス・ディニアルは両手を掲げ、神への言葉を語る。
「在るべき姿に戻れ・・・!我は見定める目を持つものなり・・・!」


魔の力の抵抗は暫く続いた。
急いでここまでやって来たその疲労とも重なり、ルーサスは徐々に顔色を悪くしていった。
けれど、嘘のように、吹き荒れていた風がおさまっていく。
     諦めたかのように。


「・・・・・・・。ユイジェス、いるのか・・・?」
ルーサスは塔を見上げた。そこに別れた仲間の王子がいるような気がして。

魔界の扉も不意に息を潜める。奇妙な程に魔女の力が姿を消していった。
ルーサスは疲れのあまり塔を見上げたまま地面に座り込んだ。
終わったのだろう、そんな確信のもとに。

「ルーサスー!!」
相棒が声を上げてこちらへ走って来ていた。彼女にも状況は見えていただろう、風の力が消えることは、ユイジェスが勝ったのだと理解できる。
「お城の中にも人はいたよ。・・・少ないけど。レーンもサダさんもいたよ。危なかったけど、怪我もフィオーラさんが治して・・・。ユイジェスが塔に行ってるんだって!」
「・・・そうか」
その後に、足を引きずりながらレーンとサダと、フィオーラも塔の前に静かに集まった。

満身装威だったレーンとサダは、どうみても安堵の表情には見えなかった。
「ニュエズ様は・・・、どうしたかしら」
「その王子にやられたのでしょう?すっかり魔女に利用されて・・・」
痛切な横顔を見せていたレーンに、遠慮もなく黒髪の神官フィオーラは言い捨てた。
「ユイジェス王子が治めたようですが・・・。心配です」
風の塔をそのフィオーラが昇っていこうとするのを、ルーサスが腕を掴んで止めた。
「塔が崩れる。離れて待とう」
「なんですって」

いつの間にか震動は響いていた。
光を遮り続けていた、暗雲も静かに晴れようとしている。呪われし<風の塔>に、久し振りに陽が射そうとしていた。


■サエラの姿が消え、慟哭の去った後、沈黙を守る<風の石>をユイジェスは剣の柄に嵌め込んだ。
そして、静かにシオル、サエリア王女の頬を叩き、目を覚まさせる。

サエリアはうっすらと瞳を開け、微かに日差しの差し込む、風の無い塔の景色をぼんやりと見つめた。
「あ・・・」
遅れて、横のユイジェスにはっとする。
ユイジェスは壁に縛り付けられていた彼女の両手を自由にし、悲しげに軽く笑うのだった。
「起こしてすぐにごめん。兄さんの怪我が酷いんだ、治せる・・・?」
視線の先に倒れて動かない第一王子の姿を見つけ、サエリアは頷いて彼の傍にたどたどしく座り込んだ。彼女の白魔法の実力は知っている。
ユイジェスは二人を離れて見つめ、安堵の息をついていた。

兄の出血が止まり、サエリア王女が一息つくのを見ると、ユイジェスは彼女の横に膝をつく。剣の柄の<石>を示し、消えたサエラの事を伝えなければならない。
「ごめんね。サエラは消えてしまった・・・。でも・・・、彼女の心は、救えたんじゃないかと思ってるよ・・・」
「・・・・・・」
「この塔はこれから崩す。その後で、ここに青い花を植えるんだ。それが彼女の願いだから」

「青い・・・」
どうして”青”なのだろう、サエリアは青い王子二人に囲まれて不思議に思った。
「ありがとう・・・。ごめんなさい、ユイジェス。私は・・・」

さまざまな思いが渦巻いて、何から話していいのかわからなかった。
サエラを救ってくれた、信じられる。だから「青い花」が望みなのだろうと。
自分の嘘も、罪も、ただ苦しくて、情けなくて、涙がこぼれる。

「サエラのこと、忘れないよ。これからも。それで、この塔の浮かばれない魂たちも、風の王も、俺がこれから救っていくんだ・・・」
「それは、私のすることよ・・・」
この国の王族はもはや自分一人、国の始末は自分でつけなければならないと思っていた。
「サエラの望みなら、いくらでも私するわ。青い花、この場所を、この国一番の綺麗な場所にするわ」
「そうだね」

ユイジェスの言葉の後に、兄王子の呻きが微かに届く。
「兄さん、大丈夫?」
サエラに刺された背中の傷、魔法で塞いだが出血が多かったためにまだ心配だった。
「ユイジェス・・・」
「ごめん。ごめんね、兄さん・・・。俺、謝るよ、今までのこと、全部」

初めて、素直に兄に謝る弟がいた。
兄も、自分のしたことを覚えているのか、首を振って弟に謝った。
「ユイジェス、すまない・・・」
「俺、兄さんと、サエリア王女の結婚、盛大に祝うよ」
兄弟は抱き合いながら、心の中でお互い謝罪の言葉を繰り返していた。

この塔に古に、風の精霊王ジークを封印したのは伝説の王子アイローンの娘だったと言う。ユイジェスは風の剣を構え、その呪縛とも思える封印を今断ち切ろうと剣を床に突き刺した。
待っていたかのように、ひび割れた床から、塔は二つに崩れ落ちていく。


■呪いの象徴にもなっていた<風の塔>が崩れ落ち、数ヶ月晴れることの無かった暗雲も姿を消した。魔物も現れなくなり、残党はまだいるだろうが、国は平和を取り戻すように見えた。

朽ち果てた王城や、魔物に踏みにじられた近隣の町や村。
残された王族もサエリア王女一人。再興する国力もシャボールにはすでに残されていなかった。生き残りと、運良く逃げ延びていた家臣も戻るが、今後の事で王城内は口論に荒れていた。

国を救ったミラマの第二王子、その仲間達も暫くは城で養生していた。
サエリア王女には近づく事もできないままに、後味の悪すぎる事件の終末から数日。彼らは被害の少なかった城の離れの客室で先の事を相談していた。

何度目かの夜、寝付けずに、リカロはベットの上でごろごろと転がっていた。
「・・・・まさか、シオルがサエリア王女だったなんて・・・。はぁぁ・・・、嫌だな。もう、一緒にいられないのかな・・・」
リカロは同室のレーンにぼやいていた。もちろん、その事実にレーンも傷ついていたのを知っていたが。王女はニュエズ王子の婚約者、心中穏やかでは決して無い。
ユイジェスは多分、無理をして笑っていた。もう二人を祝福するとは言っているけれど、何処まで本気なのかいまいちよくわからない。

「そうね。だから、私に遠慮がちだったんだわ、きっと」
「うん・・・」
「サエラのこと、サエリア以外は内密にしたがっているようね」
「えー・・・。そんな・・・、気持ちはわかるけど・・・」
「国にもう力もないし、結婚を急いで、ミラマに合併されたいみたい」
「・・・・」

「王女なんて、飾りのようなものよね。皆こぞってニュエズ王子に媚び売ってるわ。私にも声はかかってくるけど、もう面倒臭くって」
「・・・・シオル、本当に結婚してもいいのかなぁ・・・」
リカロの疑問はレーンにとっても無視できないものだった。
「国のためには、それしかないでしょうけどね」
「国・・?シオルはきっと、ユイジェスのこと好きなのに・・・」
用意されたベットの上で、リカロは自分のことの様に辛そうに呟いた。
「決めるのは、自分自身でしょ」
「・・・レーン、ひょっとして怒ってるの?」

冷たく言い捨てた仲間に、リカロは起き上がって不安になった。
こんな時に、仲間たちまでぎくしゃくしたくはない。
「・・・、怒っているわよ。イライラするわ」

全てはサエリア王女の態度が問題なんだ。もし、心を偽っているのなら許せないし、そんな気持ちでニュエズ王子を悲しませて欲しくはない。
彼女の決断で未来は大きく変わっていく。
「いつまでも、ここでのんびりしている訳にもいかないわ。私は聖地に行く。何度でも、<命の杖>に挑みに行くのよ」
「・・・・・」
レーンの性格からして、怒りは最もだと思えた。リカロは寂しい気持ちが溢れて、ベットの上で大きな枕を抱きしめる。


王城で過ごす数日間、ユイジェスは崩れた塔の後片付けに頼み込んで参加したりしていた。後で青い花を植えることを指示したり。
サダ・ローイは兄王子と共に忙しい日々に追われていた。シャボールの被害の修復や、自国への申請や。ニュエズ王子も助けてくれた弟やその仲間にゆっくり謝る時間もなく、まとわりつくシャボール家臣の対応などに追われていた。

神官フィオーラは<水の腕輪>をリカロに預けると伝え、王宮の手伝いに参加している。水神の神官である彼女には<水の腕輪>は最重要事項なのであるが、どうしてもリカロが離さなかったからだ。
ルーサスには強固な姿勢を崩さないフィオーラではあったが、どうにもリカロには弱い様子だった。

レーンはその日の夜に旅立ちを促した。
隣の男二人の部屋に意志を伝えに来たのだ。
「そうだな。ここに今いても、サエリア王女と話もさせてもらえないようだし。いない方が喜ばれるみたいだからな」
ルーサスは腕組みをしてユイジェスの意思を求めた。
「うん。あとは、この国の問題だと思うよ。兄さん達もいるし、もう、大丈夫だと思う。レーンの国へ行こう」
仲間の予想とは裏腹に、ユイジェスは笑顔で返事を返した。

・・・ここにいるのが、辛いんだな。
一人、ルーサスは仲間の王族たちの心中をそう読んでいた。


■礼をすべき仲間達がすでに城を去った知らせは、失望させるほどに後になって彼女に届けられた。荒廃した城内はおおかた修復されたが、王女の心中は日増しに荒むばかりだった。

捕われていた間の衰弱も取り戻せないままに、シャボールの残された王女は自室でぐったりとベットにもたれて沈んでいる。
塔が崩れて数日間、ひとときも気が晴れる時がなかった。
身の世話をしてくれる従者の存在も、結婚をせかす家臣達も、婚約者の王子と並ぶ時も自分は息苦しさを覚えてしまっていた。

自分自身を呪う・・・。
無残にも殺されてしまった妹よりも、自分の方が呪われていると思った。

妹を救うこともできなかった。
助けてくれた仲間たちにお礼の一つも言えなかったなんて・・・。
レーン、気の強い彼女はきっと怒っているだろう。ルーサスは?リカロは?
せっかく友達だと言ってくれたのに。私は裏切ってしまったの・・・。

そして、ユイジェス。
記憶の最後の彼は、寂しい風を感じさせた。
一緒に過ごした間に見ていた、底なしの笑顔は、もう、二度と自分には見せてくれないような気がしていた。     これは、「さよなら」?

夫の弟になる、彼。
広がった空を見るたびに思い出す彼が、義弟に変わる。
空は、彼に会うまでは、ニュエズ王子の象徴だった。


思い出したのは予感がしたせいだったのか、その婚約者が彼女を尋ねてやって来た。
仕事の合間に、自分を気にして時間を作ってくれたのが伺える。
空の色の綺麗な髪に、整った双眸で、王女をそっと労う。

「疲れているだろう・・・。今日はもう、休んでいればいい」
「ありがとうございます。ニュエズ様」
出迎えたサエリアに、そっと王子は髪をなでて彼女を抱き寄せた。
「君が無事でなければ・・・。ユイジェスには、何度感謝しても足りない。シャボールは、私が守るよ。君も・・・。安心して欲しい」
抱き寄せられ、サエリアは彼に心を預けた。
「はい・・・」
そっと自分の腕を添え、目を伏せる。

情景が浮かんでくる。この優しい王子との思い出たちが。

今となれば、「呪われし双子の姉妹」その残った不吉な姉として、城から殆ど出される事のなかった縛られた自分の境遇が理解できる。
恐れられていたのだ。親からも、国からも。
自分は「不吉」の象徴だった。
私はいつも孤独を感じて、外を知らないで、外に憧れ、けれど決して外に出る勇気を持たなかった。

私の手を引いてくれたのは、青い髪の王子。
何度か国を訪ねていた、ニュエズ王子のことを両親は気に入っていて、始めから婚約の話を伺っていた。もちろん国のために。私は、国の意志のままに、流されてもよいと考えていた。
けれど、王子は個人としても、惹かれた。

不意に私は外の世界に誘われたの。
もちろん隠れて。身分を隠して、私は王子と町へ初めて外出をしていた。
普通の町娘のように、買い物をして、二人でお店で食事をして。
知らない事ばかりで、全てが楽しくて。幸せだった。

それから、王子と外へ出る時は一つの名前を使うように決めていた。
シオル・スプレアラ。これはニュエズ様が考えた名前。なにかの物語からの、名前なのだと話していた。
王子からの愛の言葉。
私は初めて優しさにふれたの。
ニュエズ王子をひたすら愛した。
愛したはずなのに。


      なぜ、私は追いかけたのだろう。
ミラマの城下で初めて彼に会った。
ニュエズ様でなく、そう、彼から聞かされていた、弟王子のことを。

今また、彼が瞳の中で私を呼んだ。
「俺、兄さんと、サエリア王女の結婚、盛大に祝うよ」
ユイジェスはそう、決めたのに。重なった唇の記憶も消される。
「さよなら」でしょう・・・?「さよなら」なのよ・・・。

今私にしなければならないことは、国を守る事。
この国を呪いから解放すること。
呪いの前に消えた命を弔う事。

「愛しています。ニュエズ様・・・」
サエリアは王子を見上げて、自分から爪先立った。
微かな体の震えを無視しながら。


■砂漠の国、シャボールを抜け、ミラマとの国境からユイジェス達は西へ向い、港町からレーンの目的聖地ライラツへと船に乗る。
レーンの国、ジュスオースの領地の中で、聖地ライラツだけは孤島として独立していた。転送印に乗れば一瞬で大陸と繋がるのだが、その通路を通るのは許しのある者だけだった。

聖地は世界の中央に浮かぶ小島で、そこには四人の女神と四つの精霊、そして創造神の像が島の中央に置かれている。
<命の神>アリーズを崇める大きな神殿は、ジュスオース王国の女王、レーンの母親が最高司祭を務めていた。そして神殿には封じられた神々の涙の一つ、<命の石>を宿す杖が封印されている。
王女レーンは何度も、命の神にお目通りを母親に頼んでいたが、その度に断られては悔しい思いをしていた。

最高司祭マリティ・ポスドは、娘の帰還を軽く迎え、同行していたミラマの第二王子に深く敬礼を施した。真実の輪を額に当てるルーサス・ディニアルや、水の腕輪を自称預かっていると言うリカロにも、ひれ伏すように司祭はかしこまり、床に膝を折ったのであった。

「よくぞおられました。待っておりました。この日を深く感謝致します」
娘と重なる輝く金の髪をまとめ上げ、りりしくも美しい司祭であった。
「お母様・・・」
娘は、変わらぬ強い瞳で母に毎度の願いを頼む。
「レーン、・・・今、あなたは怒りに捕われていますね。それでは無理です」
「なっ・・!」

娘の状況を母はあっさりと見破り、司祭は一人、ユイジェス王子のみを別室に誘う。
「ユイジェス王子、あなたにお話したいことが御座います。こちらへどうぞ。皆様はレーン、島の案内を。宜しければ島の景色にふれて下さいませ。旅の疲れも御座いましょう」
「お母様!」
娘は反発するが、慣れているのか、母は我せず気にせずでユイジェスを案内して消えて行く。
まさか、ユイジェスに<命の杖>を渡すつもりなのか。
レーンの唇が噛みしめられる。
「せっかくだから、聖地を見ておきたいな。創造神とかな」
ルーサスが諭すように誘い、しぶしぶレーンは仲間を神殿の外へ案内し始める。


ユイジェスが案内されたのは、杖を抱える、ひとつの女神像の前。

神殿の中心の祭壇を過ぎ、大きな重い大理石の扉を抜け、地下に入る。
階段を降り、扉を何枚も開け、暗い静かな小さな部屋、石像の前に二人は立つ。
壁に埋め込まれた光彩石が薄く灯りになっていた。
島の中央にも創造神と共にある、命の神の石像だ。唯違うのは、その手に杖を抱いている事。
薄昏く、神秘的な光彩石の光に照らされた女神像は、悲しげに杖をそっと守っていた。

レーンはシャボール王城へ向う前に一度ここへ訪れた。
しかし、女神は彼女の言葉には応えなかった。事実を司祭は王子に伝える。

「あなたはご存知でしょう。神々は、創造神を失い、女神の結束を失い、力を失っています。アリーズは、「語る」こともできないのです」
「・・・・!」
司祭の発言に、ユイジェスは息を飲み込んだ。
「命の神は、必死です。女神が消えれば、世界から命は失われます。今は何もできないのです。消失に耐えうる事で精一杯なのです」
「そうですか・・・」

深刻さに、ユイジェスはため息のように返事を返した。命を失うわけにはいかない。アリーズの壮絶な戦いが想像できるようであった。
「王子、大地と、風は、あなたの元に。水も、・・・真の力の導きはあの少女が知っていましょう」
「・・・リカロですか」
「ええ。水神も最期のために、今は身を潜めています。命の神も。そして心の神も」
「心の神・・・!司祭は<心の石>の所在を知っているのですか」

ルーサスに真実。そしてユイジェスが風と大地の石を手にした。
砂漠でリカロが水の石に出会う。正式な持ち主は別にいるとリカロは言うが・・・。
命はこの聖地に。ここにはザガスも手が出せない。

盗賊ザガスが持つのは変化の石。
残る<封じられた神々の涙>は、炎と心。どちらもその所在はまだわからない。

「心の神ハルティアは、・・・人の中にいるのです。王子」
驚く事実を司祭は告げる。
「心の石は深く海の底に沈んでいます。心の神は薄れゆく自らの力を補うために、心を育てるために、人の中で人として生きています。石は、その娘のみが探せるでしょう」
司祭は、その娘すらもすでに知っているかのような眼差しでユイジェスを見つめた。
「娘・・・。司祭は、ご存知なのですか。その娘を・・・」
司祭は微笑み、ユイジェス王子の両手を手に取る。

「心苦しいです。ユイジェス王子。あなたばかりに頼るしかない私達なのです。この世界は、あなた方二人の王子に希望を託すしかないのです」
「兄さん・・・」
ユイジェスは目を見開いて司祭を見つめ直した。

司祭マリティは、兄の何かを知っている・・・!?

兄の役割。兄にも意味がないはずがない。
ユイジェスは何かが、どくどくと脈打つのが感じられた。
聞き出したい、全てを!二人の王子の意味を!

「心の神は、・・・消えかけています」
「!!」
また、司祭の言葉はユイジェスの胸を打つ。
「娘には・・・、あなたが必要です。心の神に「出逢える」のはあなた一人。あなたを今も呼んでいるのでしょう」
「・・・・・・」

「王子には、「真実」を伝えておきましょう。ニュエズ王子が背負うものは、「炎の宿命」。あなたがしなければならないことは、「真実の名前」を知る事です」

炎の宿命?
真実の名前?
心の神に、「出逢う」。
第二王子の頭の中で、重い言葉がぐるぐると渦を巻いて交錯する。

「アイローンがこの世に生んだ青の王子。世界は崩れかかっています。これから、気候の変化、自然災害、世界は悲鳴を上げ出すでしょう。変化の波が襲ってくるのです」
全てを見透かす司祭は、固くユイジェスの両手を掴み、未来を諭す。

「変化に対抗できるのは真実のみです。真実だけは、変えられないものなのです」

     なるほど、ユイジェスは思った。
確かに、ザガスの持つ変化の石を見破れるのは、ルーサスの持つ真実の輪のみ。
自分は、その「真実の名前」を探さなければならないと言う。

それは一体なんなのだろう・・・。
「誰しもが持っています。あなたには、きっと解りますよ、王子」
「・・・はい」
確信のない返事をユイジェスは返した。
「ディホルに、<炎の石>があります。ザガスがディホルに渡っていると言う情報も入っています。王子もこれから向うと良いでしょう。追って、ニュエズ王子にも連絡します」
ジュスオースの隣の王国、司祭は新たな道を示す。
兄の背負う「炎の宿命」と言うのは、やはり炎の石に関係しているのだろう、だから兄に連絡するのだと思った。

兄の名前には、小さく胸に棘を刺される。
その理由も自分で持て余しながら、ユイジェスは仲間達の元に戻る。


■聖地の空は気持ちがいいほどに爽快に晴れ渡っていた。
創造神に最も近い島と称される聖地、この島には魔に近いものは踏み入れられないと言う。この世で最も安全な場所でもあった。

爽やかな風に身を任せながら、リカロは水神イセーリアの像の前でぼんやりとしていた。自分の装備する腕輪には水神をその身に宿すサーミリア・ディニアルがいる。ルーサスの母親、親子の再会はいつ叶うのだろう。
想うと胸が苦しくなる・・・、その想い人はレーンとの会話を中断して自分の横に並んだ。

「そろそろ戻るぞ、リカロ。いつまでぼうっとしてるんだ」
「・・・・・」
切ない目で責めるように見つめると、ルーサスは、「なんだよ」と文句を言った。

「・・・寂しいよ。シオルいないし。レーン、シオルのこと、怒ってるし。ユイジェスも、・・・元気ないし。皆ばらばら・・・」
塔が崩れた、その時一緒に全てが崩れてしまったかのよう。
なかったはずの壁ができた、楽しかった仲間達の間に。
「会いたいよ。帰りたい・・・。またシオルと会いたいよ」
友達なのだから。そう言った時シオルは泣いていたんだ。嬉しくて。

「仕方ないだろ。もう、決まっていた結婚なんだ。国があんな状態じゃ、ミラマに頼るしかないのも頷ける。例えば後に会ったユイジェスの方を好きになったとしても、もう後には戻れないのさ。兄の面子や、誇りや、兄を止めて弟の方になんて、ニュエズ王子は笑いものにされる。ミラマだってそれは許さないさ。シャボール再興の手伝いだって手の平返しかねない。・・・王族の宿命だな」

「そんな・・・」
半分泣き顔で、リカロは悔しそうに唇を噛んだ。
リカロは、ルーサスの言葉にじっと彼を見上げた。気がついた事がある・・・、いいえ、本当は耳に残っていた噂。まさかルーサスもそんな事を言うのなら・・・。

「ルーサスも、好きでもない人と、・・・例えばロイジックのジッターラ王女と、国のために結婚するの・・・?」
リカロは捨て猫の様にルーサスを見つめていた。
可能性がないわけではなかった。旅の中、何処かで耳に入った噂話のひとつ。
サラウージ大陸を立て直すために、北のロイジックと南のラマスはお互いに協力しなければならないだろう。その証として、ロイジックの生き残りの王女と、ラマス神殿の正式な後継者であるルーサスとが結ばれるのは、むしろ自然のように見えた。

今のシャボールの状況と似ている。
ザガスに占拠されたロイジックを取り戻しても、復興するにはあまりにも力が無い。
南のラマスとの協力は必須だ。ジッターラ王女は、美しい王女だったと言われている。ひょっとしたらお似合いなのかも知れない・・・。

「何、馬鹿なこと言ってんだよ」
考えた事も無かったのか、ルーサスは意外な程にうろたえた。
リカロの視線に困り。口元を押さえて返す言葉を選ぶ。
「俺は、神殿は継がない。いつも言ってるだろう。後のことはあのフィオーラに任せるさ」
「皆ルーサスを待ってるんだよ?」
「・・・・・」
リカロは、そんな言葉を待っているんじゃない。分かってもルーサスには何も言えなかった。
「・・・とにかく、俺は神殿とは関係がない。王女は助けるがな」
「うん・・・」

その時、そんな話が進んでしまったなら、自分はどうするんだろうとリカロは途方にくれた。傍から見れば、未来をつなぐ素敵な話に思える。
私一人我慢すれば皆が幸せになれるなら・・・。
ルーサスも、自分を好きと口にしたことは無い。
ジッターラ王女は?彼女はどう思うだろうか?彼女に会った後でルーサスは・・・?

「そろそろ戻りましょう」
島の中央、神々の像の前で立ち止まっていた二人を、レーンが遠くから呼び戻す。
ルーサスの背中を見つめながら、リカロは泣きそうになっていた。
いつまで追いかけていられるの・・・?

離れた仲間達。
崩れた塔。

壊れたものは、もう戻らないよ。
そこから何が作れるの      
壊れるのは一瞬。一瞬で充分なの。

神殿に戻る後姿を、神々の像は静かに見送った。


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