■国境の町ギマを旅立ったユイジェス達三人は、時折遭遇する魔物たちを倒しながらも、シャボールの王城までの道を馬を奔らせていた。
乾燥地帯なこの国は、荒野が続く。
王城は山岳を越えた先にあり、馬に大きな負担をかけながらの行軍となっていた。

魔物は何処から流れてくるのか、荒野にはふらふらとその姿が垣間見れる。シャボ−ルの異変は、全ては<風の石>の封印を解いた魔女サエラの仕業なのか・・・?
その真相も、突き止めに行かなければならなかった。

国境から岩山を二つ越え、時に酷い砂嵐に襲われ足止めをよぎなくされる。
深くフードを被り、ユイジェスは岩壁を背に強風を凌いだ。
「暫く進めませんね・・・。王子、王女。少し先に休める場所があります。そこまで馬を引きましょう」
「うん。ありがとうサダ」
周囲の様子を見に離れていたサダが戻ってくると、ユイジェスはレーンと共に案内されて、小さな横穴へと逃げ込む。
その日はそこで一晩過ごす事になりそうだった。


夜更け、交代で外を見張りながら眠りに就く。
ユイジェスは、風の音もはなはだしい、穴の外を眺めながらマントをぐっと引き寄せた。
あの日から繰り返し、自分に語りかけるシオルの姿が離れないでいる。
あの、氷のような瞳をした、サエラを知っているようだったシオル。二人はよく似ていた。黒い髪に青い瞳。同じ顔だったと言ってもいい。
これは、魔女が見せた幻覚だったのかも知れないけれど。

あの時シオルは口がきけていた。シオルは本当は、何かの、多分あの魔女のせいで喋れなかったのだろう。
記憶の中のシオルは泣いていた。

前にも、自分に甘えて泣いたっけ・・・。理由はわからなかったけれど、彼女は何処かいつも辛そうにしていた。

どうして、今は、泣き顔しか思い出せないんだろう・・・。
楽しい事だって、短かったけれど一緒にいた時間、そのなかに確かにあったはずなのに。妹を助けたいと俺に頼んだ、そして、妹に会うのが怖いと震えた。

今、君はどうしているんだろう・・・。

気持ちが重い。膝を抱えるユイジェスは、気持ちを入れかえようと顔を上げた。
きちんと、話をしなくちゃいけない、そう思う。
俺は、シオルに会って、伝えたいことがあるんだ。
思えば痛くなる、この胸の中の君の存在を、伝えないと、どうにかなってしまそうだよ。
渇いた唇に、忘れていない感覚が残っている。
今目の前にシオルがいたのなら、きっと自分は走り出す、確信できていた。
初めて誰かを抱きしめたいと思った。


深夜、何体かの魔物は横切ったが、眠る二人を起こす事もなくユイジェスは剣で対処していた。
自分でもよくわかる。
過去の自分ならもっとおどおどしていただろうな・・・と・・・。
こんなに自分が奮い立っているのは生まれて初めてだった。

誰にも負ける気がしない・・・?
思って、ユイジェスは軽く笑った。

シオルのおかげかな。
誰にも、譲りたくはない。彼女を救い出すことだけは。
彼女だけは自分で助けなければならない。
ユイジェスはもはや相棒とも思える、細身の<風の剣>をぎゅっと握りしめるのだった。


■先を急いだ三人は、数日後、暗雲立ち込めるシャボール城を視界に見つけることができた。
城に近付く程に魔物の数は増えたが、ユイジェスの<風の剣>と、サダの魔法、レーンの白魔法とで強引にも道を切り開いていく。

シャボール城の白い外観は昼なお暗き重い雲に見下ろされ、禍々しい装いで三人を飲み込むように待っていた。
魔物はどうやら、城から増殖しているらしい。
「嫌な感じがするわ・・・。邪悪な感じよ」
白魔法を扱うレーンには特に悪しき匂いが伝わるのか、顔色を悪くしてレーンは呻いた。

「果たして、本当に王女なのか・・・。おそらく違うでしょうが、しかし王女の名を語って、本当の王女サエリア様をどうにかしたことは明らかです。ニュエズ王子の行方も気になりますが・・・。とにかく城へ行ってみましょう」
ミラマの宮廷魔術師、エルフのサダは杖を手に、意気込んで乗り込んで行く。
「あれ、見て。城の奥、塔が見えるわ」
ここまで自分を乗せて奔ってくれた馬に別れを告げ、レーンは暗い雲の渦巻く、空の先に影を落とす古びた「塔」を睨みつける。

「あれ、確か・・・」
シオルから聞いた話では、<風の石>は王城の隅、忘れ去られた朽ちた塔に封印されていたのだと聞いている。
美しい王城の影に隠れ、昼でも暗い景色の中でそれは大地に刺さったとげのように空に向けて尖っていた。細い、無駄に高い塔に見える。もろそうな装いで、その高さで何故折れないのかが疑問に思える尖塔だった。

「城には・・・、誰もいないのかしら」
金の髪を頭の後ろで結んだ、気の強そうな瞳の光を現す、レーンは片思いする王子の安否を心配していた。
王城に繋がる道筋では、他の誰とも出会うことがなかった。そして、城門までたどり着いても人の気配には全く会うことができずにいる。
婚約者が盗賊にさらわれたとの知らせを受け、この城に向ったニュエズ王子の行方がわからないままに。弟のユイジェス、兄王子の理解者サダも、思いはレーンと同じだった。

城門は薄く開かれたまま、随分長い事放置されていた様子で、三人は不安を募らせながらも門をくぐり抜ける。

ゴオオオオオォ・・・・・!

城に向えば向うほど強くなった風は、ここに来てますますその鋭さを増していくのであった。このまま塔に近付けば、肌を切り刻むかまいたちに変わるに違いないと思えてくる。
強風に倒れた木々が庭園に見えた。美しかったであろう城内の景観も強風にガリガリと削り落とされ、風の音がその悲鳴のように響く。
暗く、城が啼いているとさえ思った。

呪われている・・・。
風の叩きつける音が阿鼻叫喚のこだまにさえ聞えてこないだろうか。
でも、止まれない理由がある。
「酷い有様ですね・・・。これは・・・」
サダ・ローイは烈風の最中、塔の入り口を目前にまできて辛らつに罵った。
戦いの痕が見れた。


王城敷地内には、放置されるがままの亡骸が無数にも重なっていた。
石の封印が解かれてから想定数ヶ月、あの魔女や、出現し出した魔物たちとの壮絶な戦いがあったのに違いない。中には魔物の腐敗死体も混じって転がっていた。
壁や石畳に残された血の痕も、思わず目を背けたくなる。

どうか、無事でいて欲しい・・・!

助けたい彼女と、行方不明の兄と。
塔の周囲は敷地内とは思えない程に荒れ果ててしまっていた。周囲は草も伸び、木々は蔦が絡み、鬱蒼とした陰湿な淀みを覚える深い森。
塔自体にも蔦が血管のように薄気味悪く絡み伸びていた。

ふと、ユイジェスは空気の変化に足を止める。
風が止んだ。

「王子!」
「きゃあっ!」
突然に後方から二人の叫びが聞こえ、ユイジェスは振り向いて事態を確かめた。
突風、かまいたちに襲われ、吹き飛ばされたのだ二人は。

「レーン!サダ!」
(待っていたわよ。第二王子)
背筋が震える魔女の声に呼び止められる。魔女の幻影が目の前に現れ、シオルと同じ顔で冷笑を浮かべた。黒い長い髪、しかしユイジェスの周りに今風は吹いていない。魔女の髪も一つも揺れてはいなかった。
(邪魔者は塔には入れないわ。<剣>を持ってきてくれたのでしょう・・・?お礼に貴方だけ塔へ歓迎してあげるわ)

「この・・・!シオルは!兄さんは無事なんだろうなっ!」
(ふふ・・・)
答えにならない冷笑を浮かべ、魔女の幻影はすうっと消える。
「サダ!レーン!聞こえる?!俺は塔へ行くから!二人は城に行ってみて!人がいるかも知れないし、兄さんやシオルも何処かにいるかも知れない!」

魔女に遠くに吹き飛ばされた二人は何かを叫んだが、向こうには強風が吹いているせいか、内容はうまく聞き取れなかった。
けれど、多分、理解ってくれたのだと思った。
<風の塔>には、自分だけしか入れない。それでいいと思った。
彼女を助けるのは自分でありたいと思ったから。


■一人塔に向ったユイジェスを見送り、レーンとサダの二人は城内へと引き返した。
城内はやはりここも人の気配は無い。その代わりに徘徊する魔物と、戦いの痕だけが繰り返し彼らを迎えた。
灯りもなく、昼とは思えないほどに城内は静まりかえり、暗く沈んでいた。

炎の魔法を操り、玉座付近の魔物を一掃したサダは、玉座の脇に倒れた、新しい死体に気づく。この城の騎士だろう、甲冑に身を包み、しかし敢え無くここでこと切れた。
「・・・待って!まだ生きてるわ!」
レーンが叫び、すぐさまに命の神へ祈りの言葉を唱え始める。騎士はうっすらと目を開けたが、視界は定まらない様子でレーンの顔さえ見えていない様子だった。

「も、申し訳、ありません・・・。ニュエズ、王子が・・・」
騎士は怯えたように、驚愕の名前を呼ぶ。
「ニュエズ王子!?王子は何処にいるのっ!?」
「食料も、手に入らず、・・・。王子は、サエラ様と共に・・・」
レーン王女は、思わず驚きに息を飲み込んだ。
「しっかりしなさい!この城に生存者はいるのですか!?」
サダが髪を乱し騎士の頬を強く叩く、騎士はようやく自分の状況を知った。

玉座の部屋の片隅、隠された通路に繋がって、生存者数名は小さな部屋で篭城を余儀なくされていた。騎士が数名。召使いや、役員達が数十名。
逃げ遅れた城の者達が数十名、衰弱の果てに寄り添い合い恐怖に震えていた。

倒れていた騎士はレーン王女の白魔法で回復し、王女の少し持っていた水を飲み、意識をしっかりと取り戻してくれた。
「一体何があったと言うのですか。王家の方々は無事なのですか?」
疲労の濃い隠し部屋には、深い絶望の色が見えた。
ここに残った者はもっといたのだという。しかし、食料や水を求め、外へ出て行った者は二度と戻らなかった。中には、城からうまく脱出できた者もいたかも知れないが・・・。

しかし、外の様子では、それも皆無だと思われた。

「国王、王妃は、魔女によって、すでにもう・・・」
若い召使いが、代表するようにサダの質問に答えを返す。
「・・・・・・・」
隠し部屋に、重い空気がまたのしかかる。サダもさすがに眉をひそめ、続く問いにためらった。
「サエリア王女は・・・?サエラってのは何者なの?ニュエズ王子は・・・?ここへ着たでしょう?彼はどうなったの?」
そこへたたみかけるように、レーンが焦った質問をぶつけた。

「サエリア王女は・・・。わかりません。ずっと姿が見えなくて・・・。サエラは、サエラ様は・・・。もう一人の、この国の王女様です」
召使いは、助けを請うようにレーンを見上げた。
「魔女です・・・!<風の王>の怒りにふれてしまったのです・・・!この国はもうお終いです・・・!」
年配の大臣が恐怖に震え頭を抱える。狂気は連動し、部屋の者は次々と恐怖の叫びをわめき始めた。
「だから、もっと早く国を出ていれば良かったんだわ!双子の王女なんて生まれた時に・・・!」

「え・・・?ちょっと待って」
レーンは人々の叫びに混乱していた。この国の王女は一人だ。サエリア一人。

「シャボールは呪われているんじゃ!風の王などミラマに押し付けられて・・・!」
「殺された王女の呪いなのよ!みんな殺されるんだわっ!」
「皆さん、落ち着いてください!」
皆を落ち着かせるために、サダとレーンは身の上を明かし、助けに来たのだと説明する。しかし、その言葉も隠し部屋にはたいして光明をささないようであった。

「・・・。魔女に、勝てるかどうか・・・。あの、ニュエズ王子でさえ、今は魔女の手先なのですよ・・・!?」
「なんですって!?」
召使いは一言で二人を青くさせた。
「王子が、まさか・・・」

先ほど二人に助けられた騎士が、残念そうにも通告する。
「私が倒れていたのは・・・、王子に攻撃されたからです。王子は・・・。おそらく操られているのでしょうが・・・」
「何処にいるんですか!教えて下さい!」
騎士に詰め寄り、レーンは肩を揺さぶる。すぐにも王子を助けに行きたい気持ちで何も見えなくなっていた。
「私が会ったのは・・・。サエリア王女の部屋あたりでした・・・」
「わかったわ!」
直情的なレーンはすぐに隠し部屋を飛び出し、ここへ来る途中横手に伺えた王族の部屋の方へと一目散に消えて行ってしまう。
「王女!・・・全く」

追いかけようとしたサダのマントを、召使いの一人が掴んで引き止めていた。
「お願いします!私達は、ここから、ただ逃げたいだけなんです・・・!この国はもう終わりです。魔女には誰も敵いません・・・!魔物を従えて、<風の王>を従えて・・・!お願いです!私達をここから逃がして下さい・・・!」
サダに誰もが懇願した。
「・・・・。わかりました。約束しましょう。ここを動かないで下さいね」
持っていた水と食料を残し、サダ・ローイは走り出したレーンの後を追いかけて行った。


■玉座から東側、大きなバルコニーを抱えた一室が王女サエリアの個室になっていた。全体的に白で統一された清楚な部屋。

レーンは、しかし、無残に荒らされたその部屋の中に静かに入って行った。
天蓋やカーテンは切り裂かれ、掛けられた絵画なども全てがズタズタに剣で傷物に変えられていた。その部屋の中央に、鮮やかな青い髪を風に揺らす、一人の青年の姿があった。
開け放たれた窓から打ち付ける風も気にしないのか、まるで棒立ちのままに。

「ニュエズ様!」
レーンは彼の背中に呼びかけた。変わりない親しみと恋心も隠さずに。
横を向いていた彼は気づいたのか、ゆっくりとこちらを振り返った。青い髪が揺れて、懐かしささえ覚えるその素顔とレーンは対面する。思わず両手で口を押さえ、彼女は安堵に涙を浮かべた。

「無事だったんですね、ニュエズ様。良かった・・・」
「レーン・・・。よく来たね」
彼は優しく笑顔を返す。
「ニュエズ様・・・!」

久し振りの再会に、そのまま彼女は彼に駆け寄り、強く抱きつくはずだった。
しかし、彼に届く一歩手前、彼は自然な動きで長剣を鞘から抜き、息つく間も無くそれは彼女に突き出される。

「レーン王女!!」
後方から追いかけてきたエルフの魔術師の制止の声。間一髪身を翻し、レーンは床に倒れた。しかし逃げ切れなかったその右横腹を剣先が深くえぐっていった。
信じられない、そんな表情で彼女は王子を見上げる。

「ニュエズ王子!わかりませんか!?レーン王女ですよ!?」
杖を構えるサダに第一王子は不敵に笑う。見たことも無い冷たい瞳で、二人に剣を再度構える。
「ユイジェスは着たか・・・。待っていた・・・」
「ニュエズ様・・・」
王子は待ち望んだ獲物が来たかのように、辛辣に歪んだ笑みを浮かべた。
「王子!なりません!魔女如きの術中にはまっては!目を覚まして下さい!」

「王子は二人もいらない。そうは思わないか・・・」
昏い瞳のニュエズ王子は、弟への嘲りを含んだ言葉を、二人への決別のように言い渡す。
「王子・・・!!」

ニュエズ王子の中に、あってもおかしくはなかった。嫉妬、劣等感、憎しみ、選ばれた弟に対しての。
レーンは床から身を起こしながら、青くなりながら唇を噛みしめた。

「サダ、レーン。選ぶんだ。お前達はどちらの「王子」を選ぶ」
「そんな・・・!」
サダは思ってもいなかった選択をせがまれ、言葉も返せずにうろたえて後じさる。
「ニュエズ様・・・」
レーンは傷の回復をしながら、心の中で少し迷った。
ニュエズ王子を選んであげたい。自分は彼を選びたい。けれど、事実では選ばれたのはユイジェスなのだ、誰がどうあがこうとも。ニュエズ王子の事を思えば、悲しみも襲ってくるけれど。

「神々に選ばれたのは、ユイジェスです。それは貴方も知っているはずです。今更、そんなこと、無様ですよ、ニュエズ様」
敢えて、彼のために冷たい言葉を吐く。
痛みもわかるけれど、彼だからこそ、それすらも越えていって欲しい。越えていけるはずだから。


彼の顔は醜く歪んだ、かと思うと、稲妻のように彼の閃光は襲いかかってきた。
すでにこの城で魔女の意思のままに、何度も振るわれてきた、煌くような剣先を。
王子の強さは二人共熟知していた。しかし、魔にとりつかれた彼の速さは二人の認識を遥かに越える。
「サダ・・・!」
稲妻は血飛沫とともに部屋の天井にまで届き、エルフの魔術師は白い壁に赤い絵を描くように激突し、ずるりと床に沈む。
レーンの叫びも空しく、魔法は強いが、打たれ弱いサダはもう動けそうに無い。
どうしよう・・・!!迷う間もなく、王子の攻撃は次にレーンに翻されていた。
殺される・・・!!

必死に剣を両手に剣戟を押さえる。
「ああっっ!!」
しかし、剣戟の重さに腕が悲鳴をあげた。吹き飛ばされ、彼女も壁元まで無様に転がされる。
王子はすぐに追いかけて来ると足音でわかった。
王子には例え二人がかりでも勝てそうにない・・・!珍しく簡単に負けを認めてしまいそうになった時、サダの魔法が王子に炸裂していた。

まさか、自分の仕える王子に使用することになるとは思ってもいなかったに違いない。殺す気はない、足止め程度の軽い呪文。足を狙って抑え目の火球をほうる。
レーンは、苦しみに呻きながら立ち上がろうと床に手をついた。


そこに、壁に飾られていただろう破かれた絵画の切り端が見える。
絵師が描いた、肖像画が伺えた。
ニュエズ王子と、王女の二人の肖像画。

          え!?
王女の肖像に、何か引っかかるのを覚え、レーンは思わず破れた絵画をかき集めた。
その絵を見下ろせば、全ての疑問が、答えが紡がれていく。
二人の王女。・・・双子・・・?
そしてニュエズ様。魔女サエラ。妹を助けたいと話していたシオル。

まさか・・・。あなただったの・・・・?

視界は不意に暗くなる。
頭上には悲しい、片思いの王子。
彼には不似合いなはずの、血の滴る長剣を携えて。


■ユイジェスは一人<風の塔>へと侵入していた。<神々の涙>を封印する、神聖な場所のはずが、なんなのだろう、この不気味さは・・・。
気味の悪さを、第二王子は不審に思いながら上を目指していた。

封じられた神々の涙は、どれも例外なく、神聖なものとして守り、崇められているはずだ。ユイジェスは、何か不安を胸によぎらせる。
<風の王>は最初は、変化の神側にいたらしいが、ミラマの伝説の青い髪の王子、アイローンが風の王を呼び戻し、剣として共に変化の神と戦った。

剣はミラマに、剣に嵌められる<石>は隣国シャボールへと封印された。
そのへんの事情は知らないけれど・・・。

「大地の王は、何か知っている・・・?」
ユイジェスは左手に<大地の石>をもつ手甲を装備している。その石の中には霊山で逢った大地の王が宿っているのだ。

「風の王ジークは、アイローンを恨んでいたようだ。剣は、始めはシャボールに置かれていた。しかし、呪いを放ったために、石は外され、アイローンの娘巫女によって<塔>に封印された」

主の問いかけに、大地の王は地響きのような低い声を返してくる。
「恨んで・・・」
果たして、自分の声を聞いてくれるんだろうか?大地の時とはあまりに違いすぎると、ユイジェスは目眩を覚えた。不安はますます色濃くなった。
「呪い・・・。そんなことする程に・・・」
「娘巫女は、双子の王女、妹の方の王女であった。風の王ジークは・・・。それ以後、シャボールで生まれた全ての双子の姉妹、妹を無残に斬り裂いた」
「え・・・」
それは・・・、酷い。その子達に罪はないのに・・・。
そうだ。そんな事をしていたのなら、風の王のいるこの塔が寂れていても納得がいく。

「風の王を恐れた民は、双子の姉妹が生まれるのを恐れた。生まれた赤子は祝福されず、妹はこの塔に捧げられた。見殺しにされたのだ」

「そっ・・・!!」
まさに今自分の足を置く塔に!居心地が悪いはずだった。
静かに流れる風の流れすら、無残にも死んでいった女の子達の嘆きが響いてきそうに思う。
いくつもの目が、自分を見ているとさえ思った。

「駄目だ!弱気になるなよ!俺はシオルを助けなくちゃならないんだから!」
奮い立たせるために敢えて自分に叫び、ユイジェスは風の剣を腰に、長い螺旋階段を昇り始めた。塔の中をぐるぐると回る、螺旋階段。
壁に丁寧に炎が灯り、第二王子を誘うようであった。

塔への入り口をくぐった後に、扉は重く閉ざされた。
閉じ込められたのだが、逃げるつもりなんて毛頭なかった。
シオルと兄さんを助け出し、仲間達と無事に帰るんだ。


「無事にここまで、これるかしらね。あの王子」
塔の最上階、壁の一部が朽ち、吹きさらしとなった一室に魔女は余裕で嘲笑う。眼下に廃墟のような王城を眺め、言葉は背後の少女に向けられたものだった。

「第一王子がここにくるまでの間。少し遊んであげようかしら。余りに弱いと、兄に会うまでもなく死んでしまうかも知れないけれどね」
サエラは高く哄笑に酔い、壁に両手を縛りつけられた、黒い髪の娘は目を伏せて神に祈る。
(やめて、お願いよ・・・!)
娘の肩は小刻みに震えていた。魔女サエラはそれを確かめ更に高く笑った。

「私は誰にも負けないわ・・・。そう、私には、ミラマの王子でさえも跪く・・・。風の王、そして、最強の女神リモルフの名の元に・・・」


そんな、魔女の哄笑は聞こえないが、螺旋階段を昇っていくユイジェスには、しかし魔女がこの先に自分を待つのを強く感じていた。
(この先に、あの魔女がいる。そして、シオルもきっといるんだ)

その由縁からか薄気味の悪い塔の内部は、何処かうす寒く、息が詰まる思いがする。やけに階段は長く最上階は遠く感じられ、時々ユイジェスは立ち止まって逸る心を抑えるために息を吐き出した。
背筋は寒いのに、汗は髪を伝って首筋に流れてきていた。
あとどれくらい昇ればいい?窓一つもない螺旋階段、ずっと同じ場所を繰り返し昇っている錯覚を覚える。

不意に、壁に灯る炎が照らした、先に揺らめく影が視界を掠める。
ヒュウッ!っと、予兆もなしに一つの魔物が上から跳びかかって来た。
「うっ!・・・このっ!」
左手から召び出した<大地の盾>にて魔物の突撃は受け止められた。大地の王が必要に応じて作り出す半ば変幻自在の盾だ。重い衝撃は来たが、魔物は階段の下に飛びず去り、慌てずにユイジェスは風の剣を抜いて対峙する。
キマイラと呼ばれる異形の魔物だ。
胴が獅子、後ろが山羊、蛇の尻尾と、頭も獅子、山羊、竜と三つも供えている。本でしか見たことのない上級の魔物だ。実際に遭遇したものも少ないだろう。

炎を吐いてキマイラは再び下から跳びかかって来る。炎は盾で受け、横をすり抜けるその前足を細身の剣先で掠める。
三つある頭からは、それぞれ別の攻撃が成される。山羊の頭からは見たこともない「印」の呪文が弾き出されていた。魔族を生み出したと言われている、変化の神、おそらくリモルフの「印」。

ユイジェスに強い耳鳴りが襲いかかる。精神に作用する呪文だったらしく、足が重くなるのを歯噛みして耐えた。
「負けるか!!」

自分にも魔法はある。自らの体に「印」を宿し、「印」の名前で魔法を行使する、呪文を用いない望んでも会得できない特殊な魔法。
ユイジェスが宿す「印」は炎と風と大地の三つ。ユイジェスは炎の「印」を呼び出す。
「ギェエヤァァアアア     !!」
耳障りな奇声を発して山羊の頭、隣の獅子の頭が炎に焼かれた。
「食らえ!!」
何段か上の階段にキマイラが降り立つ、そこを後ろから風の「印」と共に剣で鮮やかに斬りつける。<風の剣>は細身ながらもやすやすと大柄な魔物の体を両断し、返して十字を斬った後にはキマイラの姿は微塵もなくなっていた。


「そんな馬鹿な・・・!」
自分が差し伸べた魔物が消滅したのを知ったサエラは、驚愕にわなわなと震えた。
「キマイラがこんなにも容易くやられるなんて・・・」
悔しそうにするサエラに、安堵するシオルの視線にさえ彼女は気がつかない程動揺していた。
「おのれ・・・。こうなれば仕方ない・・・」

壁に縛り付けられたシオルは、サエラが何事か呪文を唱え始めたのに気がついた。
この世のものではない。魔界の言葉である。
シオルにはその呪文の効果は解りかねたが、サエラの咆哮に戦慄し震え上がる。

「風よ!変化の神よ!我に力を与えたまえ!魔界への扉を開きたまえ・・・!」


       何かが押し寄せてくる。
ユイジェスは初めて後ろを振り返った。
・・・サダとレーンは大丈夫だろうか?今頃ルーサス達は何処にいる?


ユイジェスは一人、何処までも続く階段を駆け上り始める。
途中何度も何度も魔物と戦わなくてはならなかったが、サエラのよこしたそれは足止めにもならなかった。気ばかりが焦る。感情が止められなくなっていた。

ただひたすら上だけを目指していた。
遠慮がちに大地の王が休憩を促したが、ユイジェスは聞かずに決して足は止めなかった。したたかに負傷し、息切れも激しいユイジェスは、流れる汗を拭いながら微笑んだ。

「解ってるけど・・・。ごめん。休んでなんかいられない」
それは、ほらまた、目の前に浮かぶ彼女が悲しそうに自分を見つめるから。
「止まらないんだ。早く、会いたいんだよ・・・」

日に日に、強く想う。
サエラから自分を逃がしてくれたシオルを今度は自分が助ける番なのだ。
一人で悩み、苦しんでいた彼女を助けてあげたいと、必死に特訓してきた成果を、今ここで見せなければ、一体何処で見せると言うのか。
今まで、自信のなかったユイジェスの、自信にもつながった彼女。

誰にも譲りたくない。シオルだけは、俺が助けたいんだ・・・。
炎が照らす暗い足元を、また一つ昇り上がる。


       もうそろそろ、辿り着いてもいい頃だ。
なりを潜めた魔物の襲撃に、魔女に近付いたのを予感させる。

「はぁっ・・・。はぁっ・・・!」
足が重く、一段一段が非常に苦しかったが、ミラマの第二王子は強く前を睨みつけた。乱れた青い髪は汗や血に濡れ、その姿は畏怖にも値したが、彼の視線の先に視界が開ける。
空気の流れが懐かしく、彼の汗を乾かしていくようだった。
最上階、一変して壁の一部が朽ち、風が激しく吹き込んで暴れていた。

今の今まで、別れてから、彼女のことを想わない日など有り得なかった。特訓も、この漲る勇気もみんな彼女のためだった。

自信のなかった第二王子。
兄に勝てるとすれば、彼女への想いだと何処かで思っていたのかも知れない。
誰かを強く想う気持ちは、兄とだってきっと張り合える。
彼女も、自分を待っていてくれる、それが何より力になるのが分かっていた。

最上階には黒髪の娘が二人、一人は風を背に悪魔のように、もう一人は壁に両手を縛り付けられ、死んだようにうなだれていた。
魔女が風に揺らす、ドレスの衣擦れの音だけが呪われし塔の静寂を破ってみせる。
緩慢な動作で、魔女は王子を振り返り出迎える。


「ようこそ。アイローンの王子」
魔女のシルエットは尚昏く、この塔に宿る娘達の恨みの化身のように見えた。


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