■風が激しく少女の周りを舞っていた。疾く、そして鋭く。
長い髪が暴れるが、そんなことは微塵も気に止めていなかった。空に暗雲が立ち込め、紅い稲妻が時折激しい音を立てて大地を貫こうとする。
彼女が立っていたのは古い塔の最上階であり、いくらか朽ち果てて、天井や壁はところどころ吹きさらしになっていた。眼下には荘厳な城があり、彼女は感情のない瞳で下を見つめていた。
眼下の城も、強風に晒されている。
そして稲光に時折照らされ、その白い城壁を表わにするのだった。


暗い空の下、少女はドレス姿で<風>と話をする。
「・・・魔界への入り口も、日に日に大きくなるわね・・・」
<そうだ。これで、変化の神も力をまた取り戻す・・・>
風の中から声が届く。彼女の耳元に響かせるのだ。
「忌々しいアイローン・・・。待っていて、すぐにこの封印を解いてあげるわ。そうして、私達は『外』へと出るの。『自由』を手に入れるのよ」
両手をかざして、風を受け止めると、少女は不敵に笑った。何歩か歩いて、冷たい、朽ちた壁に手をつく。凍てつく瞳で城を睨めば、彼女の心に反応したかのように突風が吹き荒れた。

「このシャボールから、魔物が流れ出すわ。そうして、アイローンの世界を壊すの」
一人、滑稽と言わんばかりに、彼女は嘲笑う。
「このシャボールも壊れるの。城ももう誰もいない。ねぇ、哂えるわ。青き勇者でさえ、私に手出しできないのですもの・・・!」
声を上げて哂う。そう、アイローンのよこした青き勇者。その一人はもうこの城へやって来た。
その頃はまだ力も弱かったが、第一王子も噂ほどにもない。
「シャボールの次はミラマよ。もう一人の王子も、・・・<剣>を持っていても、私には勝てない」
幸せそうな微笑。しかしその背後に黒い影が見える気がした。
「私にはリモルフの力があるのだもの」
嬉しそうに笑う。心内を知らなければ、ただの無邪気な少女のように見えたかもしれない。
(早く来ないかしら。もう一人の王子。そして・・・)
笑顔は、突然消えうせ、暗い瞳が戻ってきた。
どんな風に痛めつけてやろうか?そう憎む人間がいる。
今はまだ力が足りない。使い魔なら塔から出せるが、それ以上はできない。
(早く戻ってくるといい。逃げ出したあいつもな・・・)

昏い瞳には憎悪が見れた。
激しい風とは対照的に、彼女は最上階から動かない。
動けないのだった。


■盗賊ザガスを追っていたルーサスとリカロがユイジェスに会い、シオルに会い、一月余りの時が過ぎた。途中で、ジュスオースの王女レーンも加わって、五人の仲間となっている。
シオルも、苦手と見えたレーンとも親しくできるようになってきて、暗い表情も見えなくなり、一行は楽しく南下していた。

ユイジェスはシオルのことを意識してしまっていた。ルーサスが冗談をいったせいで・・・。
最初の頃のように普通に接してくれるようになったのに、二人でいると緊張して動作がおかしくなっていまう。レーンは変わらずジト目だし、その視線が痛くてうろたえてしまうことも多い。
リカロもルーサスも何も言わないけれど、すっかり公認扱いされていた。

(馬鹿よね・・・どいつもこいつも)
とくにユイジェスを見てレーンはそう思うのだった。明らかにシオルを意識してるのが見えて、可笑しい。
ミラマをシャボールに向けて南下して、もう国境も近い。
その分、魔物騒ぎのせいか、逆方向へ行く人々が目立つようになっていた。
国から逃げていく人々。家族を失った者も多い。気候も良く、国力も強いミラマに皆逃げてきているのだった。
そんな中、やはり馬車の中、レーンは数日前の会話を思い返していた。

シオルの気持ちをレーンもリカロも疑ってなかった。
恋の話は密かに楽しいものだし、シオルともできるかと期待してた。
でも、シオルは、微妙な答えを返した。
「優しさに甘えただけって、納得できる?」
隣のシオルに、小さな声で文句をこぼす。レーンは窓側。シオルの顔は見てないが、彼女に向けて言った。
シオルは、レーンに対しては、「諦めなくていいと思う」と告げた。
このシャボールの混乱で、ニュエズ王子の婚約もどうなるか解らないと。
確かに王女にもしもってこともあるし。城の状況も不穏だった。
(なんで私には「諦めないで」って言いながら、自分は諦めるのよ)

絶対に嘘だと確信していた。シオルはどこかきっと諦めている。
シオルは態度は変えない。レーンは悔しくてたまらない思いがした。
「私は、まだ諦めないわ。そうね、せめて、王女に会うまでは。ニュエズ様の愛した、その人に会うまでわね」
私は貴女とは違う。そう匂わせた台詞だった。
シオルが、その横顔を見て、「それでいい」と微かに頷いていたことは、誰も気づかなかった。


窓の外を眺めていたレーンは、横に突然現われた馬に驚いた。
並んで走るその馬に見知った顔が見れたからだ。この間ミラマの王城で留守番を頼んだ、エルフの宮廷魔術師サダ・ローイが馬上の人となって乗り合い馬車に並行している。
向こうもこちらに気づき、後ろに乗っている女性に何やら声をかけている。
(何かあったのかしら)
サダがこんなところにいるなんておかしい。ニュエズ様に何かあったのかも知れない。窓を開けて、レーンは声をかけていた。

この出来事に、乗客は皆「何事?」と見ていたが、一人ルーサスだけが顔色を変えて腰を上げた。
「あの女・・・!!」
レーンの横の窓から見える黒い髪の女神官。彼女もこちらを見やる。
重なった視線、女神官は目を細めて図るように彼と彼の連れを見た。

「なんでサダがっ!ちょっとどうなってるの」
狼狽してから、ユイジェスはルーサスの様子がおかしいことに気づく。青ざめた、険しい表情だ。
「・・・・・やな奴との再会だな・・・」
睨み返していれば、彼女は逸らす事もなく、殺意を込めてルーサスを見下している。長い黒髪は癖があり、額に水神の『印』の刻まれたサークレットをしていた。
「何?知り合い?」
「ルーサスっ、あの人、神殿の人?」
続けざま隣にリカロも座って聞いてきた。どう見たって、彼女はルーサスに敵意を剥き出しにしていた。心配になってルーサスに確認に来る。
ラマス神殿は水神イセーリアを崇める、その『印』を女神官は身につけていた。
ルーサスは、席に座りなおした。不安気な、とくにリカロに彼は笑うのだった。
「あれが、神殿の本当の後継者だ」
笑われても、そんな諦めたような笑顔じゃ、不安は消えない。
戦慄するリカロの心は早鐘を打ち始めた。


■馬は暫く馬車の横を奔っていた。他の乗客を気遣ってか、馬車を止めたりすることはなかった。それが逆にリカロには不気味でもあった。
街にはすぐに着いて、ルーサスはすぐに降りて神官の元へ行った。
馬から降り、彼女は髪を直し、静かに言った。
「覚えていてくれたようね」
「忘れるわけがない。何しに来たんだ。ご丁寧にミラマの魔術師まで引き連れて」
遅れて、リカロが走ってくる。
訳がわからないユイジェス達もやって来ると、女神官フィオーラは深々と頭を下げた。
「ご無礼失礼いたします。ユイジェス様、レーン様」
「王子、レーン王女、こちらに!」
馬を置いて、戻ってきたサダは何故か強く二人を誘った。
「・・・なに?」
二人は顔を見合わせて、とりあえずそちらへ行くが。

「何かあったの?無事でよかったとか言ってたけど・・・」
「大いに非常事態ですよ。そちらのお嬢さんたちも、何も知らないのでしょう。こちらに来た方がよろしいですよ」
シオルとリカロに、サダは声をかける。リカロの顔が険しくなった。
「向こうに行ってもいいんだぜ。お前も」
「行くわけないでしょ!」
怒って、リカロはルーサスの腕にしがみついた。自分は絶対に離れない!そう意識を見せる。
乗合馬車の停留所、馬舎の影、もう他の人影もない。シオルはそう言われても困惑していた。まるで彼と一緒にいてはいけない様なエルフの魔術師の態度。

「ルーサス・ジョーンと知っての行動ですか」
女神官フィオーラは頑なに彼に寄りそう幼き少女に問いかける。彼はルーサス・ディニアルのはずだった。
「ルーサスは、ディニアルよ!サーミリア様の子供だよ!あなた一体誰なの!」
「私は・・・、フィオーラ・ミサ。ラマス神殿の神官です。そいつのためにもはや神殿を追われてしまいましたが」
(なんだ、なんだ)
動揺して、サダに王族二人は問い詰めている。非常事態って、どうやらルーサスが問題らしい。
サダは、王子達を抑えて、一歩前に出る。
「ルーサス、答えてもらえますか。貴方の父親の事を」
夕暮れが迫ってくる。翳ってきた空から冷え始めた風が吹く。ルーサスはもう、覚悟していたのか、臆した様子もなかった。

「私はニュエズ王子に言われ、貴方を信頼していましたが・・・、そうなっては、完全に信用するのも憚られます。聞けば、長い事彼の片腕としても、働いていたと言う・・・」
サダは、横にいるフィオーラに聞かされた。彼の過去を。
生まれを。そして過去の所業を。

「貴方はラギール・ジョーン・・・。盗賊ザガスの息子なのですね・・・・!」 

声と共に吹き付ける風。リカロは目をつぶって堪えた。ルーサスは動じず、受け止めていた。
リカロを離して、一人で立つ。
「そうですね。事実です」
驚く仲間たち。シオルは口を覆って、思わず後ずさった。
「サーミリア・ディニアルの夫が、盗賊に、まさか、ザガスだったとは・・・。始めから、神殿や、その力、<真実の輪>を目的に、彼女は騙されていたと・・・」
あっさり認められてしまい、エルフの魔道士はわなわなと怒りに震える。

「思惑どうり、貴方は彼女の力を奪った。神殿さえも、手に入れようとしている。父親と共に、貴方は世界を手に入れようとしているのか。今度は王子達を騙して!」
さすがに、話が見えてきた仲間たちも顔つきが変わった。
ルーサスの返答を神妙に待つ。

極めて、平然と彼は答えた。

「俺はもう、ザガスとは手を切っている。確かに親父だがな。親父の真意なんて知らない。母親を殺されて、憎んでいるのは俺も同じ。俺は、母さんの、力を奪ったわけじゃない。神殿も、どうでもいい。<真実の輪>も、今は必要だから持っているだけだ。親父さえ倒したのなら、何もかもアンタに返してやるさ」

フィオーラに告げたのは本心だった。彼女を追いやるつもりはなかった。しかし、自分に反発し続けた彼女は、神殿の神官司祭達に不評を買った。神殿内に俺を残そうとする者、消そうとする者、消そうとしたミサの者は神殿を去った。神殿を追われた。
「返すだと・・・」
彼女の顔が歪む。腰に下げた槍の柄を組み合わせ、彼に構える。

「その気だったのならディニアルの名を語るな。お前がザガスを追う必要はない。私が<真実>を引き継ごう。お前の存在がサーミリア様を穢す。お前の意思に関わらず、お前の存在自体がザガスの思惑の内だ。お前は生きていてはならない」
槍の切っ先が光を放つ。
彼女は本気だった。
ユイジェスとレーンは焦って止めようと体が動いた。が、サダが引き止める。
「なんで止めるんだよ!このままじゃルーサスがっ」
「信用したいのも解りますけれど、何を信用しているのですか」
「何って・・・」
言葉に詰まる。
「神官フィオーラも、<真実の輪>を所持できるそうです。そして、実際に、彼はザガスと共に動いています」
サラウージ大陸は今閉鎖されている。逃げ場がないのだ。その理由の一つに、ラマス神殿から聖地ライラツへ繋ぐ転送印が消された事がある。これが残っていれば、外へ助けを求める事も逃げる事も容易に出来た。食料も今ほど困っていないだろう。

それを破壊したのは他でもない、目の前の少年ルーサス。
父親と共に姿を消してから、数年後戻ってきたルーサスが転送印を破壊した。
それは、神殿の一部の者しか知らない事実だった。
ルーサスは、神殿に、母の元に帰って来たわけではない。父に言われ、『印』を消しに来ただけだったのだ・・・。

「その後居座って、結局、サーミリア様の力を引き継いだがな・・・」
忌々しそうに、憎しみの限りを込めてフィオーラは罵る。
「ミサと共に、神殿を護ってきたディニアルはもう、サーミリア様で終わったのだ。返してもらおう。その<血>を」 
突きつけられた槍の柄を掴み、ルーサスは断る。
「誰にどう言われようが、今はこの命くれてやるつもりはない。アイツを殺るのは俺だ!他の誰にも渡さない・・・!たとえアンタでもな!」 
邪魔するなら相手になってやる、そう意気込んでルーサスまで構えだした。
フィオーラも熱くなって奔りだそうとした。命を奪う事に何の躊躇いもない。今まで、神殿を去ってから奴をずっと見張っていた。
そして自分自身の戦いも多くあった。
自分なりの、ラマスを護る戦い、ザガスを討つ戦いだった。
彼を処分すべきだと、訴え続けた自分の一族は愛した神殿を追われた。それがどれ程の屈辱だったか・・・。それが国のためだと、神殿のためだと信じて疑わなかったのに。

「やめてくださいっっ!!」 
リカロの絶叫。
ルーサスの前に飛び出してきた彼女を危うく切っ先が掠めそうになった。
「どきなさい」
「嫌です」
静かに、しかし冷ややかなフィオーラの命令。リカロは何度も拒んだ。
ルーサスがどけようとすると、リカロは振り返りフィオーラに背を向け、ルーサスを見上げた。
「私は、ルーサスを信じてるもの!誰よりも私が一番、ルーサスを信じてるもの!」


  


■フィオーラは唖然として言葉を失った。今槍を向ける自分に背を向けて、   そう、後ろから刺されてもいいと言っているのだ。小さな少女が、何をそこまで叫ぶのかが解らない。
フィオーラを無視して、リカロはルーサスにだけ訴える。
「ねぇ、ルーサスも、例えザガスを倒した後でも、死んでもいいなんて、思っちゃ嫌だよ。私に言ったじゃない。死ぬなんて言うんじゃないって。言ったよね」
「・・・・」
記憶にはあった。でも、リカロと自分は違う。

リカロは再びフィオーラに向き合う。
神官戦士は槍を下ろし戦意を半ば失っていた。
「フィオーラ様、どうしてですか?どうして、ルーサスは確かにザガスの息子かも知れません。でも、サーミリア様の息子なのも本当です。それよりも・・・。ううん。そんなこと関係なく、私はルーサスを信じています」
空はもう赤くなっていた。夕焼けに照らされる少女に、何故かフィオーラは圧倒される。

「ごめんね。皆も・・・。でも、聞いてね。ルーサスは確かに、盗賊だったんだ。悪い事も、してきたんだと思う。でも、今はザガスの仲間なんかじゃないよ。それは絶対に保障できる。私は見てきたもの。フィオーラさんのいなくなってからの、ルーサスは盗賊なんかじゃない」
忘れない、忘れられない日々。彼に会ってから、リカロの人生も変わった。
「私も、ザガスは、許せない・・・。私の町も、ザガスに焼かれた町のひとつ。お父さんも、お母さんも、お姉ちゃん達も、みんな、みんな、友達も、みんな死んでしまった。もう、死んでもいいと思った・・・。生きていてもしかたがないと思った・・・。でも、助けてくれたのは、ルーサスなの」 

リカロが住んでいたのはラマスでも南の方、小さな港町だった。
港町は国を閉ざすために狙われて、次々と盗賊の焼き討ちに遭い、廃墟と変えられていた。リカロの町もその中の一つ。
突然襲った盗賊たちは好き放題に暴れて行った。こんな小さな町が戦場になるとは思いもしなかった。略奪に破壊。殺戮。襲われる女の子達もいた。

リカロは、自分の見てきたものを話してくれた。
フィオーラの知らない、それからの彼の話を。
きっと永遠に忘れられない、彼との出会い。


自分の親は武術の覚えがあって、もちろん三人いる姉達も、懸命に戦った。でも、盗賊は大勢で・・・。
勝ち目がなかった。大好きだった町が、大好きだった家族が、大好きだった友達が、お店の人が、隣の人や、町の人々が、次々と殺されていった。
連れて行かれるのを拒んで、自ら自分を殺す人もいた。
とくに交流のなかった人の死さえ、地獄絵図のように頭から離れない。
絶望した私。いつしか、盗賊への怒りも失っていた。
もう、いい、と思った・・・。

足が震え、逃げる事ももう無意味で。
死ぬのなら、家で死にたいと思った。もう、燃え始めていた家に私は隠れていた。このまま、この家と、側に倒れるお父さんお母さん、お姉ちゃん達と、一緒に燃えてしまえばいいと。
煙に咳き込むのも、崩れる家に押しつぶされるのも、怖くはなかった。

いつしか、外は静かになった。
自分はまだ生きていて、家の火も消えていたみたいだった。でも、崩れかかった物置の中は、もう身動きできなくなっていた。足も動かない。
動けても、動かなかった。
ここで、寒さや、飢えで死んでいくのも同じ。外で声がする。生存者を求める声。
でも、私は答えなかった。助けてもらう必要はなかった。

運悪く、私は見つけられた。緑の髪の少年に。自分よりちょっと年上ぐらいの彼に助けられる事を拒めば、彼は怒り狂って、私を張り倒した。

「・・・どうしてよ。私は生きていたくないの。死にたいの・・・!助けないでよ・・・!」
手当てしようとするその手を乱暴に拒んで、運び上げようとするのを顔を引っ掻いて拒んだ。
泣き喚き、引っ叩き、彼のナイフで自分の喉を貫こうとする。
激しく頬を打たれて、彼に言われる。
「死ぬなんていつでもできるんだよ!!今はお前は生きるべきなんだ!!」 
手を縛られて、文句を言われる。

「必ずラマスは蘇る。だからそれを見てから、それでも死にたかったら死ね!」
ラマスが蘇っても、死んだこの町は戻らない。それじゃ意味がない。
「私も、皆と一緒に行きたいだけだよ・・・行かせて」
懇願する。泣きむせびながら。
「お願い。だって、もう、何も、何も・・・、ないよ。生きていけないよ。どうやって、生きていけばいいって言うの・・・?今も、未来も、何が変わるの・・・」

彼に、襟首をつかまれる。今まで見たこともないような強い瞳が、すす汚れた自分を映していた。
「今だけ、しっかり見ろ!必ず希望は見えてくるんだ。あんな奴のために、この国は終わらない!その時国に誰もいないんじゃ困るんだ。笑っていてくれる人たちがいないと困るんだ。戦う意味がなくなるんだ。死ぬなよ。もう、死ぬな。誰も死なない。誰もこの国で死ぬな・・・・!!」 

私は大人しくなった。彼が、悲しむ気がしたから。
縛られて、焼け残った民家で他の生き残りの人と共に、その日の夜を越した。私のように、悲しみに暮れ、生きる気力を無くした人が殆ど。
彼は同じように声をかけている。
「必ず希望は見える」と。
彼は魔法が使えるようで、人々の手当てをしていた。彼一人。
食事も、与えてくれる、彼一人で。私はじっと、動かず見ていた。彼だけが忙しく動いていた。

彼は先の事も色々と指示していた。近くの神殿のことや、何処に行けばいいか。頼りのある者には、どの道で行けば安全か。
よく見れば、彼も負傷していたのに。もう、ボロボロで、きっと、盗賊と戦ったんだろうに。焼けススにやられ、ドロを被り、汗だくになりながら、疲労ももう限界じゃないのかな。それでも、時間が惜しいかのように、彼は休んでる時が無かった。

彼が探してきた毛布をもらって、転がるように眠った。もう、死ぬ気はないからと、ロープも外してもらった。焦げた臭いの消えない風が、ひび割れた窓をうるさく鳴らしていた。
夜中に目覚めれば、町で、物音がする。
彼が一人、町の人たちを弔っていた。土を掘って、簡単な墓を作って。いくつも。


    涙が出た。

誰かも知らない、この町に来た事すらないかも知れない、そんな彼が、どうして、そこまでしてくれるのだろう。港町の風は潮の匂いがして、突き刺すように冷たい。
今は焦げた臭いや、血の臭いで気分が悪くなる。
暗くて顔は見えない。後姿は、とても寂しくて、悲しくて、泣いてるように見えた。

泣きながら、彼を手伝っていた。
やがて、そんな人も増えていた。その中の一人が言っていた。
「さすがサーミリア様のお子様だ」と・・・。
一度だけ、サーミリア様は見たことがあった。本神殿で子供の私に笑いかけてくれて、奇跡の魔法を見せてくれた。女神様みたいに綺麗で、とても優しい女の人。

彼を見る目が少し変わった。
何処にも行く当てのない私は、彼について本神殿に行った。
でも、そこでの彼は想像とは全く違った。
サーミリア様の息子と言えば、きっと人に好かれて、サーミリア様のように笑顔を振りまいて。そう、女神と思った私のように、彼も神殿の誇りなのだと思った。

何故か、彼はいつも一人だった。
笑っているところも、見たことがない。人の前に出ない。彼に助けられた人は他にも大勢いるし、感謝の意を伝えようとする者も多い。でも、彼はほとんど神殿にいなかった。
いつも一人で、神殿には、報告や様子見に来てるだけみたいだった。
私は、神殿の仕事を手伝いながら、いつも彼を待っていた。会っても、何をするわけでもなかったけれど。でも、彼の帰りをいつも気にしていた。

一度、聞いた事がある。神官の一人に。
「どうして、ルーサス様に、誰もついて行かないのですか・・・」
一人では手に余ると思っていた。彼のしている事は。
よくしてくれた若い神官は、何でも教えてくれたが、彼のことはいつも口ごもった。
「彼が一人でいたがるのですよ・・・」
神殿に神官は足りない。一人でも欠けるのは痛いという。彼はそれを知っているから、誰にも頼らないのだという。
「・・・ロジルさんは、ルーサス様のこと、嫌いなんですか・・・」
若い神官ロジルは、激しく動揺したものだった。「とんでもない!」と訂正したが、いつも彼や、彼だけじゃなく、他の人も皆誰も彼によそよそしかった。それが当たり前みたいな神殿内だった。
暗黙の了解みたいだった。

「複雑ですね。むしろ、私達より、御子の方が、誰も寄せ付けないのですよ・・」
困ったように話す。神殿にも、事情があると言いながら。
ロジルさんなどは分かり易い人で、彼の事を、どこか恐れている感じがいつも見れた。どうしてなのか解らない。
「でも、ルーサス様は、このラマスの希望でしょう?この国をしょって立つんでしょう?サーミリア様みたいに、全てに愛されるはずでしょう?」
相手の神官の反応は、リカロにはショックだった。戸惑いと、驚きが見れた。

(違うの) 

次に彼が戻ってきた時、無理やり自分もついていった。無視されても、「足手まといだ」と罵られても。何度振り払われても、笑って黙ってついて行った。
神殿にいるよりも、彼といる危険な外の方が笑えた。
彼はいつも難しい顔をしていたけれど、少しでも、負担を軽く出来るのが嬉しかった。

あるとき彼は、どう言っても帰らない私に業を切らして、自分の事を少し話した。
何か勘違いしていないか、と。自分はお前の考えているような、ルーサス・ディニアルではないと。

「お前、ロジルの奴に言っただろう。俺がラマスの希望とかなんとか。勘違いするなよ。俺はそんな、お前の憧れるサーミリア様の息子とかじゃないんだよ」
「わかってるよ。全然違うもの。でも、おかしい。おかしいよ」
疑問は消えない。彼も必死に人を助けているのに。
「・・・おかしくない。当然だ。俺は盗賊なんだよ。お前の町を襲った奴らと、なんら変わらない。あの中に昔俺もいた。俺が「希望」なんて、はなはだおかしい」
彼の過去の話は、確かに衝撃的だった。
ザガスの所業は、あらゆるところで聞けた。自分も憎い。その、諸悪の始まりの息子だという。
ラマスの女神と悪魔の息子だという。
悪魔の手として何年もいたと。これでもう、私は去っていくと思っていたみたいに、彼は私に言い聞かせた。

でも、離れられないよ。忘れられない。
「ラマスは必ず蘇る」
それは貴方がやるつもりなんでしょう。
「必ず希望は見えてくる」
もう、最初から見えてたよ、みんな。
「誰もこの国で死ぬな」
あなたもね・・・。私、生きてて良かったと思ったよ。蘇ったラマスを見たいよ。
あなたが果したその先のこの国を。



生きていたい・・・。 



そう思ったのは貴方のおかげ。貴方のためかな。

「でも、やっぱり、一緒に行くね!」
何も解ってないように、笑顔で打ち明けたら、本当にルーサスは驚いた顔をしていた。「信じられない」って顔をしていた。
その時、分かったことがある。ルーサスは言った。戦いが終わった時に、誰も笑ってくれる人がいなかったら困ると。確かにそうだと思う。
私はそのときまで、最期の一人になっても笑っていようと思った。

その「役」のために、生きてもいい。


「私は、いつでも、信じてきました。だってそれだけのことを、いつでもルーサスはしてたから」
話しながら、邪魔になった涙を何回か指で擦った。
「たくさん、たくさんの人を、助けてきましたよ。それも、ザガスの思惑の内なんですか・・・?お願いです。ルーサスは、戦っています。お母さんの仇のために。死んでしまった人々のために。そして今生きている人々のために」

フィオーラは無言だった。
屈辱的なほどに、目の前の少女を無視できない。ただ槍を掴む手だけがわなわなと震える。
「過去の事は・・・消せません。それを許せなくても、仕方ないかなって思います。でも、償いのために、今も、未来も、変わっていけます。そのために生きてはいけませんか」
フィオーラは言った、ルーサスは「生きていてはならない」と。
その言葉に今罪悪感を感じた自分が悔しい。
フィオーラは思い出していた。

前にも、こんなことがあった。

ミサの者は皆ザガスを許さなかった。当然のことだった。
ザガスはラギール・ジョーンと名乗り、もはやこれも本名かどうかわからないが、サーミリア・ディニアルに近づき、彼女と結ばれた。
しかし狙った<真実の輪>はどうしても奪えず、子供を人質に奪って出て行った。
やがて、その男がザガスであったことをサーミリアから聞かされる。彼女は彼が盗賊と知りながら愛していたのだ。
ミサはその事も責めたが、子供が戻ってきた時、その処刑思想は半端ではなかったのだ。
その時も同じように、母親であるサーミリアが彼を庇った。
「この子も被害者なのです。この子は罪を洗うために、神殿に戻されたのです。<あの人>もここに帰ってきます」
彼女は、ロイジック城にザガスを説得に行き、そのまま帰らなかったが。

その時のサーミリアの姿が、今のこの少女に重なって見えた。


もう日は暮れた。フィオーラは背を向けて歩き出した。
「今日は、引いてあげるわ。命拾いしたわね」
サダに、「今日はこの町に泊まります」と告げ、険しい顔で町に消えていった。


■リカロは緊張がほぐれたのか、大きく溜息ついた。
「サダ、それで、連れ戻しに来たの?」
ユイジェスに声をかけられて、遅かれながらサダは我に返った。
「でも、ごめん。ルーサスのこと、疑う気にはならないや」
ユイジェスも知っている。ルーサスの母の死への悲しみ。夢でうなされる程の。責められる事も慣れていると言った。そんな彼を今更疑うことなどない。
サダから離れてルーサスの方へ行けば、ちょっと笑ったルーサスの表情が見れた。
「いいのか。本当に俺の方に来て。フィオーラだって、お前を導けるぜ」
軽く冗談っぽく、そんな台詞にユイジェスも笑った。
「最近は、ちょっとひねた魔術師の方が、付き合いやすいみたい」
リカロも一緒になって笑う。
「悪いわね、サダ。私もルーサスと行くわ」
レーンまで言い出して、サダは面食らった。
「ちょっと待ってくださいよ!確かにいい話でしたが!」
「貴方は留守番してればいいのよ。誰を信用しようが、勝手でしょ」
レーンは言ってのけて、ルーサスの元へ。
リカロを後ろから抱きしめて、「まぁ、ルーサスって言うより、私はリカロを信用するって感じかな」と、舌を出した。
「ありがとう〜!」
シオルもサダに悪いなとは思いながら、仲間の元へ。彼は、素っ気無い感じもするけれど、そんなに冷たい人でもない。
呪いの事も知りながら、協力するとも、言ってくれた。

「〜〜〜〜〜!」
サダは悔しそうにわなわな震えた。
「解りましたよ!!勝手にしてくださいっ!!」
とりあえずサダはフィオーラを追った。彼女のこれからの事も聞いておきたかった。その後でまた、王子達とは話すこともある。

「すっかり日も暮れちまったな・・・宿探すか」
「そうね。お腹も空いてるわ」
何事もなかったかのように、五人組は歩き出した。それぞれ思う事はたくさんあった。
ルーサスのこと。リカロのこと。そしてザガスのこと。
サーミリア・ディニアルや、あの、女神官フィオーラ・ミサのこと。

夕食時や、その後の部屋でも、仲間達は会話が尽きなかった。レーンやシオルはますますリカロが好きになったし。尊敬も出来た。
何より、二人の事がよくわかった気がして、それが嬉しかった。

サダは、フィオーラが暫く彼らを見ていると言うので、自分も残る事にしていた。
それに、ここまで来た以上、第一王子のことも確認したい。
彼からはまだ何の知らせも来ていないのだ。いくらなんでも、それはおかしかった。魔物出現の話もあって、一度シャボール城へは行っておきたいところだった。

明日には国境の町に着く。
誰もが、考えながらの夜だった。



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