■シャボールは砂漠を抱えた国のために、国境近いこの町の風もどこか乾燥して砂をまじえていた。
宿に落ちついてから、元水神の神官フィオーラは、窓辺で外を眺めつつ怖い顔で自問自答を繰り返していた。
(私は間違っていたのか)
椅子を窓辺に運び、片手で頬杖をつく。あれから自問自答は止まらない。
今まで、疑問は感じなかった。こんなに揺らいだ事はない。
(あの娘も、サーミリア様も・・・・何故)
サーミリア様には息子だ。庇うのも解らなくはなかった。どんな男の子供でも、母親からすれば愛せるのだろう。
あの娘は助けられたと言う・・・。
何より信じきっているところが不可解だった。


(信じていたな。神殿も)
愚かしいことだと思った。ただ一人、ミサの者で彼を信じた従兄弟を思い出していた。
疑いながら、その力に、存在に恐れながら、常に気にかけていた気弱な従兄弟の青年の姿を。
「僕は・・・正直、恐ろしいよ。御子が、本当に恐ろしい・・・。いつか、ザガスのように変貌するのかも知れない。激しい憎悪も、冷たい視線も、背筋が凍ることもある」
気の弱い、従兄弟は腰抜けだった。優柔不断といつも指摘したものだ。
「それでも、御子は、やっぱり、このラマスの希望なんだ・・・」
珍しく、従兄弟は一人、自分の意思を貫き神殿に残った。

ルーサスは確かに、今は、ザガスとは相容れないのかも知れない。
しかし、<変化の神>に心を奪われないとは言えない。<真実の神>はリモルフには邪魔であり、その存在はどうにかしたいはずだった。
ザガスの息子である以上、もう、リモルフの息は彼にかかっている。
後々、彼を生かしておいたことに後悔する可能性が高い。

(<真実の神>は何処にいる・・・)
<輪>に<神々の涙>、<真実の石>は嵌められているが、女神が現われたことはない。サーミリア・ディニアルは知っていたかもしれないが・・・。
女神の声を聞いた事があったかも知れない。

なにが「正しい」のか、見失いそうに思う。
今は見ているしかないのだろうか。
その時が来たのなら、また彼の元に刃を突き出そうか。
王子も、おそらく彼についていくのだろう     

自分も、自分の戦いを続けるしかない。
結局のところ、いつも答えは同じところに辿り着く。
彼女も彼女で探していた<石>があった。
かつてラマス神殿にあった<水の石>は<真実の輪>と交換され、滅びた国の砂漠の何処かに眠っている。
彼女はずっとそれを探していたのだ。
そして、石探しと平行して、また一人彼を見張っていようと決意する。
<石>を追う限り彼らとも離れない。


翌日、五人組は国境の町ギマに着く。
フィオーラとサダも、それぞれギマに到着していた。フィオーラは単独で五人の後を密かに追い、サダは王子たちに同行を拒否されても強引に居座っている。

シャボールからミラマへ行くにはギマを必ず通るので、町には人が溢れていた。もちろん、魔物騒ぎから逃亡しようとしてる団体も多く見られる。
砂漠の民らしき風貌の人々も多く、目的の近さを実感できた。

ここから目的の<塔>のある王城付近までは、普通なら三日もあれば辿り着く。しかし、今はその手段の多くが封鎖されていた。
現在、シャボールでは魔物が王城付近で多く出没していて、多くの町が封鎖していると言う。腕に覚えでもない限り、誰も町から出ないような状況だった。

王城へは、いくつか岩山を越えなければならない。その山にも魔物がいて、今は誰も近づかないと忠告された。砂嵐も凄まじいのだという。

昼にギマに着き、五人組足す押しかけエルフは昼食をとって進路を討論していた。
サダは、シャボール王城へ赴いたことはない。この国の事は人づてに、第一王子から聞くばかりだったようだ。
シオルはシャボールから来たと聞いているので、地元民として彼女の意見は尊重された。それでもやはり岩山越えの道以外はないらしく、五人は山越えの準備に勤しんだ。

空いた時間、ルーサスとリカロは情報収集に。サダとレーンはニュエズ王子の行方を捜しに町へ出て行った。ユイジェスも、レーン達と一緒に兄の情報を探そうと思ったのだが、一人シオルが宿に残ったので自分も残った。
泣いた夜から、シオルは普通に笑っていたけれど。いよいよ自分の国が近づいてきて、その顔は緊張が濃くなって、どこか遠くを見つめることが多くなった。

留守番とは言いながら、シオルも一人町へ出ていた。
でも、町並みから離れ、外れの寂しい丘に立つ。木のない山並みの向こう、あるはずの王城を眺めて。砂っぽい土の上に座って、一人うなだれて何かを考え込んでいた。
横に、ユイジェスも座る。
「ごめん・・・・その、気になって・・・」
ばつが悪そうに頬をこすりながら。
シオルは首を振った。なんとなく、来てくれるような気がしていたから。


■暫く言葉もなく、並んで座っていただけの二人は、やがて眩しい日差しに目を細めた。影はいつの間にか移動して、西日が当たってくる。
手を翳したユイジェスに、シオルは手帳に書いて話しかけた。
「ルーサスもシオルも、立派ね」
「私も、逃げずに、戦いたいわ」
「本当は、とても怖いの。帰るのが、怖い」
最期の文は、書く手が震える・・・。
「妹に会うのが怖い」 

「・・・なんで?妹って・・・」
突然の突風。手帳が風に飛ばされていった。
「あっ」と目で追えば、その手帳を手に取った人物に差し当たる。
その人物を中心に激しい砂嵐が起きて、ユイジェス達は腕で目を覆った。
「随分、面倒くさい事してるのね」
くすくす笑う声の持ち主。一瞬見えた姿はドレス姿の黒髪の少女。
「うるさい声を封じたまま、逃げるからこんな手間かけることになるのよ」
怒りを込めて、声の主は手帳を風でズタズタに切り裂いた。この声にユイジェスは聞き覚えがあった。<風の王>を従えた魔族の女に違いない。

終わらない砂嵐は三人と外界を隔てる壁のように立ち込め、薄目を開けるのが精一杯にされてしまった。だが女の声だけは何故か風の中でも良く響く。
シオルはユイジェスに寄り添って、風に抵抗しようと相手を睨んだ。
「サエラ!」
(えっ!)
後ろのシオルから馴染みのない声が   聞こえた。
シオルも自分の声が出たことに驚く。サエラが呪いを今解いたのだ。意を決してシオルは風の中の彼女を睨む。
「もう止めて!魔物を呼び出したのは貴女なの?!城の人たちはどうなったの?!」
「私よ。城の者達はもう」
声に潜むのは昏い怨念か。唇が静かに微笑を形つける。
「誰もいないわ・・・」
魔女は祝い事のように告げた。
ユイジェスに寄りかかり、シオルはずるずると崩れ落ちていった。目の前が真っ暗になっていった。
誰ももういない。彼女はもう全員を殺してしまったのか・・・。
「城って!お前誰だ!<風の石>を返せ!」
「私はシャボールの王女サエラ。あなたを迎えに来たわ」 



(何だって?)
彼女には風は障害にならないらしい。手を差し伸べて、ユイジェスにそっと近付く。
(シャボールの王女って言ったのか今)
混乱してくる。シオルが喋るし、魔族は王女だし。王女は第一王子の婚約者だ。
(嘘だ)
王女は攫われたと聞いている。兄は王女を助けに行っているんだ。きっと今頃助け出してるさ。
「兄さんは!兄さんが城に行ったはずだ!お前は誰だ!」
「来たわよ・・・。私と一緒にいるわ。私の恋人・・・」
声だけ聞こえる、愛おしそうに。
「嘘だ!」
ユイジェスは信じようとせず、自称王女のサエラは悲しそうな声を零す。
「酷いわ。愛し合っているのに。祝福してくれないのね」
そのまま切なげにユイジェスの前に立ち、頬に手を差し伸べると恋人にせがむように贈り物をねだった。

「あなたの命が欲しいの。祝福はそれがいいわ」






優しい声。優しい笑顔で。だが瞳は殺意に光っている。
砂嵐のさなか、垣間見えた笑顔にユイジェスは眉を寄せる。


そこに見えたのは「シオル」だったのだ。


どうしてそこにシオルがいるのかわからない。
服が違う。そしてシオルは、今自分の横に膝を着いているのに。

油断した、躊躇した隙に、王女と名乗るサエラはユイジェスに口付けていた。
横にいたシオルは戦慄し、次の瞬間ユイジェスは激しくむせ込み、苦しそうに胸を押さえる。立ち上がってシオルはサエラに対峙した。
顔が青ざめるのは押さえられず、咄嗟にかける非難の言葉も浮かばない。
「魔族からの祝福よ。この毒が回ったら、もう意識は魔に染まるわ・・・」
激しく咳き込みながらユイジェスは倒れて、血反吐を吐いて地面に寝返り打つ。
「ユイジェス・・・!」
泣きそうな声で彼にすがりつく。でも、こんな毒の消しかたは知らない・・・!それでも、必死に<命の神>に祈ってみる。
「無駄よ・・・これはリモルフの力。誰にも消せないわ・・・」
変化の神の力は絶大である。    絶望に、シオルは泣き崩れそうになる。悔しいほどに涙が零れて頬を塗らした。
砂嵐の中で、サエラの体が揺らいでくる。
どうやらこの彼女の姿は幻覚らしかった。

「・・・どうして、どうしてこんな事するの・・・?城の人もいなくなってしまったら、あなたは何処へ帰るの・・・それじゃ、あなたは救われない・・・!」
サエラは右手をかざし、かまいたちでシオルを痛めつける。ユイジェスも、共に撃たれてしたたかに流血する。
「もう時間ね。このまま王子はもらっていくわ。<剣>もね」
魔女の姿はかき消える。
苦しみ呻いて、ミラマの第二王子は目も開けられない状態だった。その体が風と共に消えようとしている。

彼一人、連れ去る風の魔法が残されたのだろう、このままじゃ彼が魔族にされると思った。
それでも、<命の神>の白魔法では毒は消せない上に、この風の魔法も消せない。
ユイジェスの体の上に風の『印』が浮かんでくる。
どうしたらいい?ルーサス達ならなんとかできる?<変化の神>の力、<真実の神>なら対抗できる?風の魔法を消すにはどうしたら・・・!
周りを吹き抜ける風はユイジェスの元に集結してくる。顔色を失ったユイジェスが痛々しすぎて涙が止まらない。


    はっとする。
ユイジェスの下げる<風の剣>、これなら風の魔法に効果があるかも知れない。

鞘を掴んで引き抜こうとする。
抜けない。ユイジェスでなければ抜けないのだ。
彼の手を取って抜かせる。彼の手に握らせたまま、浮かぶ『印』を斬り捨てた。
『印』は斬れた。
気がしたが消えはしない。またユイジェスに光り始める。
誰かひとり連れ去らなければ消えないようだった。

一度振り返り、ユイジェスを見つめる。
死んでしまいそうな白い顔。吐血も止まらない。口や喉を押さえて地面に転がる。
「ごめんなさい・・・」
精一杯の謝罪。もう一度<剣>で『印』を斬り、その『印』を抱える。
『風の印』はシオルに宿った。風の矛先が変わる。
泣きながら抱きついて、彼の頬に頬を重ねた。
何故かもう、二度と会えない気がした。今生の別れのような気がした。
本当は温かいはずの頬。こんなに冷たいの・・・。

胸はとても温かかった。あんなに温かかった、安心できた、悲しい場所はなかった。
でも、もう帰れない・・・。
気を失ったユイジェスに、今だけ言葉にしても許されるかしら。

消してしまいたい自分の声。今はいらない。誰も聞いて欲しくない。いつの間にか止まらなくなった自分の気持ち。変わった自分の気持ち。
「ユイジェス・・・」
髪にふれ、彼の両手を握る。力ない、冷たい手が私にはお似合い。
シオルも彼に口付けていた。渇いた、冷たい、変色した唇。私にはそれでいい。
きっと、彼にも誰にも聞こえない。
こんな風の中。回りにあるはずの景色もよく見えないもの。
「好きよ・・・」
声は出なくてもいいのに。音にならなくていいのに。

「でも、さよならなの・・・」
力の限り抱きしめて、溜まった涙もまた落ちた。
また会いたい。それすらも叶わないように思う。
シオルの姿は風に消されていた。


(きっと、ルーサス達が、サダ様が、助けてくれる・・・!)
神に祈って彼女は消えた。
多くの砂を撒き散らして。


■町外れの動かない竜巻に、周囲の建物も剥がされ崩壊しつつあった。そこには人も集まり、しかし、近付く事も出来ず騒ぎになっている。
魔力を感じたルーサスはすぐに駆けつけたが、余りに大きな力に反発されて否応なしに切り刻まれる。
それもそのはずなのだった。この風は<風の神>の力だったのだから。
遅れてレーンとサダ、フィオーラも姿を見せていたが、何を試してもびくともしなかった。魔族の気配は感じた。集まった人の話から、そこにいたのはユイジェスとシオルだったと解っている。二人の無事を早く確認したかった。

時刻は夕刻前、西日が強烈だった。
風が治まってくると、風の起こっていた中心に倒れている人影が見えた。青い髪の王子、ユイジェスだ。まだ風の残る中、駆けつけて抱き起こす。
「王子!王子!いけない!これは・・・!」
抱き起こしたサダは    ガタガタと震え始めた。レーンはいち早く、かまいたちだろうと思われる傷を回復する。
ルーサスにも、サダの震える意味が解った。愕然として立ち尽くす。

ザガスと同じように、第二王子はリモルフの力に汚染されようとしていた。
魔族への変貌は詳しいところではないが、魔物に魂を明け渡した者を魔族と呼ぶ。魔族が更に人の姿から変貌した者を魔物と呼ぶ。魔族も魔物も始めは普通の人間だったのだ。
「シオルは?シオルがいないよ!」
リカロが気づいて周囲に呼びかける。
「・・・ああ。誰か転送されたと思ったが・・・シオルだったんだな・・・」
「嘘・・・どうしよう!」
それよりも目の前のユイジェスが大問題だった。サダの指示で、近くの<命の神>の神殿に運ぶ。幸いこのギマには小さいながら神殿があった。
町の後片付けは町の者にサダが指示を出した。こちらはシャボールの管轄ではあったが、今はミラマの方が信用されていたために、指示はすんなりと受け入れられた。

運ぶ間に事態を知り、リカロもレーンも、血の気が失せた。
レーンは「お母様なら」と言う。しかし、<命の神>の魔法では傷は癒せても毒は消えない。体力や、消耗は癒せるかも知れないが毒の効き目を遅らすぐらいしかできそうにはない・・・。
それでもレーンはひたすら祈りを続ける他になかった。

女神官フィオーラも、王子の側に助けに現れた。昏倒しているユイジェスを見つめ、ルーサスに手を突き出す。
「<真実の輪>を渡してくれないかしら」
王子の倒れるベットの横に立ち、ふてぶてしさ爆発で言いつける。
「なにぃ?どう言うつもりだ」
「決まってるわ。<真実の輪>の中の、<神>の声を聞くのよ」
二人の間に火花が散るのが、誰の目にも見えただろう。プライドがぶつかり合って、周囲の方がヒヤリとしてしまうほど。

「・・・聞けないな」
「<真実の神>の力以外、きっと助けられないわ」
歯噛みするルーサスは、不安げなリカロやレーンの視線に負けて、ユイジェスの横の椅子に座り込んだ。気合を込めて、深呼吸する。
「ユイジェスは俺が助ける。心配するな」
<真実の神>の魔法は、いくつか知っている。『印』はひとつで、さまざまな呪文がある。この際手当たり次第試していた。
『印』だけを描き、魔力だけを撃ち込んでみる。
それの連続。

レーンも、フィオーラも、よこでそれぞれ『印』を描いて祈っていた。

夜更けまで、誰もやめようとはせず、サダとリカロが交代した。
なんとなくこうなる気がして、サダもリカロも仮眠を取っていた。頑固な三人を寝かせて、サダとリカロでユイジェスを見守る。
意識は戻らない・・・。
微かに、時折思い出したように呼吸する。そんな感じだ。

リカロが心配して、ユイジェスの髪を撫でている。軽く頬を叩いて、声もかけてみる。
「ユイジェス〜。しっかりしてよぉ〜・・・。シオルは何処行ったの・・・」
現われたのは<風の王>を従えた魔族で、それに連れて行かれたのなら、心配で仕方ないのに。

薄目が開く。
遅れてリカロは気がついた。慌ててサダに知らせる。
ユイジェスはかけられる声が、遠くに聞こえていた。
「がはっ!」
いきなり王子に嘔吐されて、びっくりしてリカロは走り回った。桶に背中を叩いて吐かせて、びくびくと激しく痙攣する体を諌めようとする。ユイジェスは唸り苦しみ、吐くものもないのに、いつまでも咳き込んだ。
「シオル・・・は・・・?」
冷たい汗をかいて、ユイジェスは背中を叩くリカロに訊ねる。
「こっちが聞きたいよー・・・。大丈夫?どうしたらいい・・・?何か飲む・・・?」
「王子・・・」
憔悴しきっている王子に、サダは告げる。その毒は<変化の神>の、魔への力なのだと。どうにか抵抗してもらわなければ、王子は魔族になりかねないのだと。

しかし、サダは思っていた。もう、十時間は経つ・・・。
それでまたこうして戻ってきた抵抗力は奇蹟的ではないかと。
ユイジェスは息も荒く、苦しそうに体を縮こめて耐え凌いでいた。
体が震えている。

「ユイジェス、寒いの?」
毛布をかけても、震えは消えない。この国は気温が高い。それなのに、震えは止まりそうもない。
「ユイジェス・・・ガンバッて・・・!魔族なんてならないでね・・・!」
手を握るリカロが、薄目に見えるその姿がシオルに重なった。

再びユイジェスは昏倒する。


■幻が見える    

シオルの姿をした王女。
そして喋りだすシオル。
魔族の女は、シャボールの王女だと言う。兄の婚約者。愛した人?
名前は・・・確か、サエラ。

シオルに似ていたのか、それもそう見せた幻覚だったのか。
自分が幻を見ただけ?はっきりとは思い出せない。
シオルは、あいつを知っていたみたいじゃなかったか・・・。

「あなたの命が欲しいの」

突然のキス。激しい悪寒、吐き気に倒れた。シオルは泣いていた。
髪が風に煽られていて。

「ごめんなさい・・・」

どうして、謝ったの・・・。
まるで、自分が何もかも悪いみたいに。
自分に『風の印』を向けた。
俺の変わりに消えようとするシオル。泣きながら抱きついてきたの。
何故か、その温もりは残っている。
初めて、彼女の声で呼ばれた名前。

「ユイジェス・・・」
もう、見えたものはない。頬に触れたもの、髪に触れたもの。
かさつく冷えた唇に触れたもの。
なんて言った・・・・?



やめてよ。

「さよならなの・・・」

「でも」・・・・?

気持ちだけ伸ばした手。現実にならない。
行くな。
泣いた顔。笑った顔。困った顔。戸惑い。振り払った手。自分の胸。
何処へ行くの・・・・。

「でも、さよなら」



「嫌だ」 



意識も定まらないまま、ユイジェスはベットから這い出していた。
止めるサダとリカロの声も聞こえていなかった。
「行きたいんだ・・・!行かせて・・・・!シャボールへ・・・!」
    うるさい・・・。この苦しみが。

邪魔でしょうがなかった。空すら飛んで行きたいのに。この邪魔な<力>が。
邪魔な<変化の神>の力。
ルーサス達も起きてきて部屋に駆けつける。
うわ言のようにシオルの名前を呼んで、必死に立とうとするユイジェスをなんとかベットに戻していた。
「邪魔なんだ、この<力>が・・・」
自分の体の中で淀んでいる力がある。いらない・・・!

今飛んで行きたい!
確かめたいんだ・・・・本当のことを・・・。
今歩き出せるそれだけでいい。

ちゃんと目を開けて見たかったんだ。シオルの顔を。
知りたいんだ本当のことを。
俺も、そう。言いたい事があるよ。本当の気持ちを・・・!

仰向けに寝ていたユイジェスの体が弓なりに浮かび上がる。
「なんだっ!?」
仲間達は誰もが叫んで、ルーサスはまさか魔族化か?!と冷や汗かいた。しかし明らかに違う。<変化の神>の力じゃない。
「・・・・・これは・・・」
フィオーラは、その光に心を奪われた。王子は光る『印』を胸に現わし微かに浮いている。本人の意思はないようだが、その『印』は到底意味深だった。
「なんだ。これは・・・真実の印か?それとも、変化の印なのか・・・?」
真実と変化の印は、お互いの逆さ印となっていた。
それが合わさった『印』をユイジェスが今照らしている。





ものの数分、その光は消え、静かにユイジェスはベットに降りた。
レーンが覗いて、「・・・顔色がいいわ・・・息も落ち着いてる」安心とも驚きとも混じった顔で言う。
確かに、もう、リモルフの力は感じられなかった。
「なんだったんだ・・・今のは・・・」
もうひとつ、ユイジェスの中にある『印』なのだろうか。
ユイジェスは風と大地と火の『印』を生まれたときから宿しているが、他にも在るのかも知れない。サダも、今の印のことは知らなかった。

サダは一人王子に付き、他は別部屋で眠らせた。
王子が起きたら聞く事もたくさんある。
忙しくなりそうだった。


「しかし・・・」
静かに眠る第二王子の汗を拭きながらサダは唸った。
「今のが<真実の神>の『印』ならば・・・・」
衝撃な事実だと思った・・・。
この幼い王子の中に、まさか、と思い始める。
世に知られる各神々の『印』と、実際のその神自身の力の『印』とは似ていて実は違う。王子の中に見た『印』が<真実の神>の『印』なのかも知れない。
世に知られる『印』というのは実は簡略版という事である。

噂に聞くサーミリア・ディニアルも、『印』を宿していたという。
水神イセーリアの印だ。知られる印より複雑になる。
「うぅむぅ・・・」
神殿の借りた一室にサダの唸る声は暫く続いた。


■翌日、昼ごろユイジェスは目を覚ました。
ふらふらしながらそれでも城へ向かおうとしたが、そこは全員に断固として止められた。暫くは絶対安静命令が下されて、説教もされ、ユイジェスも折れて軽い食事ももらった。さすがに身分も知っているため、神殿の人たちも良くしてくれる。
一応おおっぴらにするのは避けてもらったが、待遇は特別だった。
竜巻に剥がされた建物も、今日から修理している様子だ。

落ち着いたユイジェスは、あそこで何があったのか、分かることだけぽつぽつと話し出した。
「サエラ・・・ですか。王女は、確かサエリア・・・サエリア王女だったと思いますが」
サダは首をかしげた。何しろあの風の中だ、聞き間違えたとも言えない。
そしてシオルに良く似ていた事。これも幻覚かも知れないけれど。
確かなことは、シオルは本当は喋れた事と、サエラを知っていた事。
「・・・その王女が、呪いをかけてたんだろうな。その女・・・王女かどうかは知らないが、シオルと関係あるのは、まぁ、はっきりしてるな」
「・・・ねぇ、妹って・・・」
控えめにリカロも発言する。
「妹が魔族で王女なの・・・?」
訝しげにレーンの言葉。レーンには王女が魔族なことも、その王女とニュエズ王子が一緒にいるというのも大問題だった。
「王女に姉はいませんよ。王女は一人です」
「うー・・・ん・・・」
解らずに腕組みするリカロ。真相はとにかく城に行くしかなさそうだった。


黙って、ぼんやりと仲間達の話し合いをユイジェスは聞いていた。
(兄さんの婚約者が、俺の命を欲しいと言った・・・)
城にはもう「誰もいない」と言った王女サエラ。兄さんと二人、自分を待っているんだろうか。
(愛し合ってる・・・?その祝福に俺の命)
突然ユイジェスは両手で頭を覆った。頭を振って自分の考えを否定する。
今、最低な事を考えてしまった。
レーンは兄は弟の自分を大事に思っていると言った。でも、そんなこと誰にも解らない。いつも反発した弟を本当は良く思っていない。剣に選ばれた弟を恨んでいるかも知れない。恋人と二人で、俺を何処かにやろうと思ってるのかも知れない。
(違うよね兄さん!ごめん!)
毛布を被って反省していた。


具体的に、これからどうするのか、それはフィオーラが進言していた。
「王子やサダ様はともかく、あなたたちに力が無さ過ぎるわ。城に着く前に無駄死にするのが落ちね。私は<水の石>を取りに行くわ。どうするかしら」
ルーサスにけしかける様に。また二人の間に火花が走るのをリカロは見た。
「砂漠に埋もれた噂だぜ。見当がついてて言ってるんだろうな」
「だてに、私も水神を信仰してる訳じゃないのよ」

ルーサスは不服だがすぐに話に乗った。自分も、確かにあの<風>に対抗できなかった。レベルが足りないのだ。だいたいの魔物程度なら負ける気はなかったが、あの王女には太刀打ちできない。
相手が水神イセーリアなら、これも譲る気はなかった。
「砂漠って言っても・・・シャボールのじゃないでしょう。もう、遥か先、チェミーロの砂漠でしょう?ものすごく遠いわよ?」
ちょっと待ってと止めたのはレーン王女。チェミーロはシャボールからミラマを跨いで西の広大な砂漠地帯。人口も殆ど無い、名ばかりの王国が岩山の中にある。
行って帰って、その間シオルの無事は全く保障できない。
「ちゃんと考えがあって言ってるんだろうよ。ミサのトップがな」
「見くびらないで欲しいわ。ご安心くださいレーン様。砂漠までなら、直ぐに行けます」
今こそ、<水の石>は行方不明だが、遠い過去には神殿があったと言われている。その頃の神殿と各地神殿を繋いでいた転送印はまだ微かに残っていた。
「転送印の力を分けた護符を持っています。ただし、三人までですが」
「三人・・・?」
声が重なる。三人は残らなければならない。

ルーサス、フィオーラは行くとして。リカロも行くだろう。
「俺、先に、城を目指すよ」
横になって話を聞いていた、ユイジェスが別行動を立候補した。
「サダ・・・助けてくれる?」
「も、もちろんですよ!」
頼りにされて、大いに感動するサダだった。かつてこんな風に頼られたことがあっただろうか、いやない。
「・・・そうね・・・私は、聖地に戻って、<命の杖>をもらってくるわ」
もう一人残ったレーンは言う。何度目かは忘れてしまったが、また母に頼んでみようと思うのだ。
「え・・・・じゃあ、暫くお別れ・・・」
リカロは心底寂しそう。
シャボールの王城で会おう。そう言ったのはルーサスだった。


■ルーサス達は、直ぐに<水の石>を探しに転送していった。
以前の神殿までは行けても、そこからは朽ちた神殿、果てしない砂漠が広がるのみ。小さな腕輪一つ、砂の中から見つけなければならない。
そしてそこから、帰りはシャボール城への転送などできない。旅立ちは早いに越した事はなかった。
別れを惜しんだものの、「また」と約束して仲間とは別れた。

ユイジェスは暫くの間は体力の回復と剣技の練習に終始していた。
何しろユイジェスは今や<大地の盾>はあって、防御はいいとしてもそれに伴う体の動かし方や身のこなし、剣技を持っていないのだから。

いきなり魔物の中に飛び込んでも痛い目を見るだけだと言えた。
ユイジェスはサダに魔法、歴史、剣技を進んで教えてもらっていた。
この町のギマの神官戦士にも、一緒に訓練したりしてもらう。
初めてみる第二王子の真摯な姿にサダはおいおい涙を流して喜んだ。
王城までの旅の仕度と合わせて1週間。国教の町ギマでユイジェスは足止めしていた。

レーンはサダ達が乗ってきた馬を使いギマから西方向へ。自分の国へ戻って聖地に赴くと言う。今度こそ<命の杖>を手にして、戻って来たら一緒にシャボール城へ行こうと約束して別れた。

     約束したものの、

気持ちは、いつでも走り出したい衝動でいっぱいだった。

その間サダはミラマの城に連絡を入れ、魔物がミラマに押し寄せた場合の対処に走っていたようだ。

「ねぇ、父上達、心配してたよね・・・?・・・それとも、怒ってた、かな・・・」
「当たり前です!」 
聞けば、ムキになってサダは返したものだった。どっちに対して言ったのか解らなかったけれど。
申し訳なく思った。いつも反発してばかりいて、こんなことになって・・・。
ルーサスやリカロなどは家族ともう決別していて。
自分はあんなにも恵まれていたのに。

(早く、助けに行きたい・・・)
いつも、気を抜くとそればかり考えていた。あの王女は自分の命は欲しいとは言ったけれどシオルには特に攻撃はしなかった。
なんとか無事でいて欲しい・・・。

もはや幻のような別れの台詞。
「・・・俺も・・・」
指を組む手に力が入って、思わず言葉が出ていた。
「何か言いましたか?王子」
同じ部屋で調べ事をしていたサダが聞きつけていた。
「何でもない・・・」


■王女レーンは国境ギマから西へ。港町から船を使って自国へ戻っていた。
ジュスオースの王城と聖地は海を越えても「転送印」を通して行き来できる。父王への挨拶も程ほどに、彼女はすぐに聖地の母の元に向かっていた。
この世界の中央に浮かぶ小さな島、聖地ライラツには各神々の彫像が祀られ、そこには<創造神>の姿もある。
<命の神>の最高神殿にこの国の王妃、彼女の母親司祭が常に在る。
島全体に聖なる力が溢れ、そしてここには<命の神>が在た。

<神>の眠る杖が神殿に安置されている・・・。
レーンも、その姿を見たことはない。

神官に案内され、数週間ぶりに彼女は母親に会った。
「・・・その顔は、ただ旅を終えて帰ってきた、と言う訳ではないようですね」
肯定するように微笑む娘。もう何度目かの問答が始まる。

「解っているのでしょう?もう、<神>は目覚める時に来たのだと・・」
「封印は解く訳には参りません」
相も変らない母親の態度。この日ばかりはレーンも簡単には引かなかった。
「お母様ならできるはずでしょう・・・?何故現実を見つめないの。<命の神>が目覚めを望まない・・・?そんなはずは無いわ!」


神殿の祭壇に母と娘二人きり。この奥の扉の向こうに<命の神>は眠っている。
「命を軽んじる、貴女には無理です。貴女にはまだ早い」
いつものように、母は一行に折れない。
「戦うのは、守りたい人がいるからよ!それも守れないで、生きてなんかいたくない!」
母の言うとおり、自分は好戦的だった。でも、戦う事が好きなわけじゃない。
「命は、私の命は、守るためにあるんじゃないのよ!生きるために、大事なものを守るために、かけるためにあるのよ!」
母親司祭は嘆息して、娘の瞳を見つめた。
この娘の瞳は昔からまっすぐで、親の言う事など聞きもしない。頑固だけれど優しい子だった。
「肌で感じてみるといいでしょう。<命の神>の悲しみを・・・」
背を向けた最高司祭は、祭壇奥へと静かに歩いた。
見えない母親の嘆いた顔に娘は気づかない。
初めて、奥に行ける。
そう思ったレーンは、一瞬だけ戸惑い、しかし次の瞬間には勇ましい顔になっていた。

祭壇を過ぎ、大きな重い大理石の扉を抜け、地下に入る。
また、また、階段を降り、扉を何枚も開け、暗い静かな小さな部屋、石像の前に二人は立つ・・・。
壁に埋め込まれた光彩石が薄く灯りになっていた。
島の中央にも創造神と共にある、命の神の石像だ。唯違うのは、その手に杖を抱いている事。

今、王女レーンは<神>に逢おうとしていた。


■シオルが目を開けると、そこは光一つ無い闇の中だった。
風の音だけが微かに聞こえている。この闇の中、うつ伏していたシオルは体中の痛みにその美しい顔をしかめる。

(あれから、どれくらいたったのかしら・・・)
苦しそうに両腕を伸ばして体を起こした。その場所には窓も無く扉も無く、ただ高い壁だけがあった。
壁は、ぐるりと円形にシオルを囲っていた。シオルはぎゅっと自分を抱きしめて寒さに震えた。
(塔の中・・・?)

「やっと目が覚めたようね」
突然、王女サエラの声が響いた。
闇の中どこからか現われて、シオルの髪を掴み上げる。
「どうしてお前が来るの。あの王子が欲しかったのに」
シオルは哀れむように彼女を見つめていた。その眼差しにサエラは目を細める。
「あの、王子・・・何故か思うとおりにならなかった・・・。安心?」
「・・・」
声にはしない、でも、今、きっと表情は緩んだ。
乱暴にシオルを床に捨て、サエラは舌打ちした。


「・・・いいわ、お前にいいものを見せてあげる。それまで生かしておいてあげるわよ」
冷たい、見下した視線で、シオルを捕らえる。
「・・・これ以上、何をする気なの」
去りかけた、王女にかすれた声。喉も渇いていて、搾り出すような声になる。
「ニュエズ様は・・・、来たのでしょう・・・。どうしたの」
足を止めるサエラ、振り返って、不敵に笑った。
「気になる?だから、いいものを見せてあげると言っているじゃない。二人の王子の殺し合いも、きっと見ものよ・・・」
戦慄に震え、きっと顔から血の気が失せた。
「・・・解るんじゃない?お互いが憎しみ合う理由も」
顎を上げて、ますます王女は捕えた娘を見下す。

「二人も要らないのよ、王子は」
不安が押し寄せてくる・・・。
「生きるのは、唯一人よ」
嘲笑が周囲に反響し、シオルは固く両手を握り締めて唇を噛んだ。
「楽しそうね。楽しみよ。あの王子は、お前を助けにのこのこやって来る。待っているのは最大の裏切りよ!どんな顔するのかしら!」
王女は興奮が抑えられず声を張り上げて笑う。
「・・・・!」
耐えられず、シオルは俯いた。
「見せてやる。お前に。お前の目の前で殺してやる」
全ての憎しみを込めて言葉はシオルを討った。
王女は消える。再び闇だけが辺りを包んでいた。

「ユイジェス・・・」
来て欲しい。でも、会えない。会いたい。サエラを止めて。
唇に指の背で触れれば、また思い出してしまう。

自分の事は考えないように、正座をし、無心で彼女は祈った。
二人の王子のことを。二人が争わないことを。
サエラのことを。

塔には、冷たい風が常に吹き付けている。
その頃、カシルーン大陸の西、ディホルの国に降り立った者がいた。

ディホルに眠る炎の精霊。<炎の石>を探すため。
その男の指には怪しく光る指輪が嵌められている。
男の背後に、黒い影が、時折見える気がした。盗賊たちがその後に続いている・・・。




第二話 封じられた神々の涙 終わり


戻る

第二話  後書き


ちょおと二話目は長かったかな・・・(本人もぐったり)
ああ・・・でも、たくさん泣きつつ書きました。シオルもリカロも泣かせんなよこんちくしょうみたいな。
フィオーラさんはお気に入りです。
リカロの過去話は今回始めて書きました。どうかな・・・なんて。
第三話はシオル話かな。そして二人の王子。そして<水の石>は・・・。

頑張りますvどうぞこの先もお付き合いくださいv