■必死に、必死に、ひたすら走り続けて、やがてユイジェスは倒れこんだ。
一体どれくらいの距離を走り抜けて来たのだろう。石造りの道端にユイジェスは仰向けに寝転がった。ぜいぜいと肩を上下させながら、「あー疲れた」と潮風にさらされながら疲れを吐き出す。
「こんなに走ったことないよ。暫くはこれで大丈夫だろう・・・」
伸びていると、人の足音が近づいてくるのに彼は今更ながらに気がついていた。
ユイジェスは一瞬ギョッと思った。もう追っ手が来たかと余計な心配をして飛び起きる。足音が止まって、代わりに小さな息遣いが聞こえた。
そこにはハトに餌をあげていた、天使のようなあの少女が微笑んでいたのだ。

「あ・・・・れ・・・?」
ユイジェスは最初幻かと思った。
しかし幻ではなかった。腰の袋からハンカチをだし、ユイジェスの汗をそっと拭う。その少女は自分も汗びっしょりなくせに、こっちを先に拭いてくれた。
「どうしてついて来たの・・・??」
質問に、困ったような顔をした。ユイジェスは「あっ」と洩らす。
(この娘は、口がきけないんだっけ・・・?)
「えっと・・・」
ユイジェスはゴソゴソと背中のリュックを探る。彼女は「?」と見ていたが、すぐに彼の意図は理解できた。
「あった。これ、使っていいよ」
と言ってユイジェスが渡したのは、少し古びれた小さな手帳とペンだった。
「これ、字、書いてさ」
追いかけて来た少年は、初対面の少女にくったくなく笑う。潮風に揺られた青い髪が眩しい。少女はその手帳とペンを取り、スラスラと文字を記入していった。
「助けてくれて、ありがとう」と。

彼女の名は、シオルと言った。


■港の辺りまで移動していたユイジェスとシオルは、少し場所を変えて海の見えるテラスへとやって来た。
正直なところ、二人とも昼食をまだ取っていなかったので腹ペコだった。
そこは船乗り達の集まる場所でもなく、船の出港待ちの旅人や恋人同士、家族連れなどが客層のメインで落ち着いていた。

歩いてる途中いろいろな事を彼女から聞いて(書いて)もらった。
声が出ないのは生まれながらの病気とか、船に乗ってシャボール王国からやって来たとか、追いかけてきたのはちゃんとお礼がしたかったからとか、怪我が心配だったこととか・・・。

ユイジェスのことを話そうとしたら、彼女は彼がミラマの王子であることを見抜いていた。これにはユイジェスは腰を抜かして驚いた。
「なんで、それを・・・外に顔はろくに出してないし、名前聞けば確かに分かるかも知れないけど・・・」
ひどく狼狽して、せっかくひいた汗を逆流させてくる彼を見てシオルはくすくす笑った。
[青い髪をした魔術師なんだもの。すぐわかるわ]
慌てたユイジェスは、そこで初めて帽子が無くなっていることに気づいていた。
でも彼女は、ユイジェスが城を出てきた理由に意外そうな顔をした。
「・・・無理なことは百も承知なんだけど・・・でも、いつか兄さんに追いつきたいな。どんなことでもいいから・・・」
一通り食べ終えて、独り言のように呟く。
非の打ち所もなく、神の子とまで崇める者もいた、青い髪の王子、ニュエズ・マラハーン。ミラマに生まれる青い髪の王子には、神の力が与えられると王国創生時からの伝説があった。
だがユイジェスには、そんなものどうでもいいとしか思えないのだ。
シオルは、ユイジェスにもきっと何かの力があると考えていた。紅茶を飲みながら、少し思案する。
手帳に「頑張ってね」と綴った。
暫くのんびりしていて、はてこれからどうしよう?と、ユイジェスはかなり前から考えていた議題を思い出した。それに、この娘とは・・・?
「とりあえず外に出よう・・・」
ここも一応外なのだが、ユイジェスの言う外とは店の外をしめす。二人が花がもられたアーチから出てくると、頭上から人影が降ってきた。


■声を上げる暇もなく、ユイジェスは背中に回していた剣を強制的に奪われた。その動きにはスキがなく、鮮やかなものだった。ユイジェスは瞬間的に賊と判断し、そいつを睨みつける。あろう事か、それはユイジェスと同じような少年だったのだ。
思わず「何するんだ!」と声を上げる。

「ルーサス、それがそうなの?」
気づかぬ内にもう一人、ショートカットの女の子が盗賊の隣に顔を出した。そこでおや?とユイジェスは思う。
「・・・いや、違うな。偽者だ。魔力を全く感じない」
ルーサスと呼ばれた少年の額の石から光が放たれている。ユイジェスが城から勝手に持ってきた細身の剣をじっくりと眺めていたが、首を振る。
「えっ?じゃあ・・・本物は何処に・・・」
ショートカットに大きな瞳のリカロ、そこまで言ってからユイジェスと目が合う。
「思い出した。たしかいきなりぶつかってきた・・・」
「あ、その時はごめんね。じゃなかった!すみません王子様っ!」
ユイジェスはカチンとした。ただ単に王子様と呼ばれたからだった。しかし、ふとなぜ俺のことを知ってるんだ?と論点がすりかわる。

シオルの方は、リカロの態度を見て安堵し、ほっとため息をつく。ルーサスは剣をユイジェスに返して、厳しい口調で声をかけてきた。
「王子、この剣の本物は何処にある?」
吊り上った、深い緑色の瞳がユイジェスを貫くように見つめていた。少したじろぎ、彼の方は困惑する。
「本物?これが偽者なんてことも、知らないよ!」

      その時だった。
四人を狙う男の視線に、ルーサスが気づいたのは。
その方向から呪文の波動が流れてくる。
「危ないっ!!伏せろ!!」
咄嗟に叫んだが、時はすでに遅かったのだ。


■見たこともない、魔法の印が頭上を掠めていった。印は壁にぶつかり、壁は泥のように溶けて落ちてきた。ブスブスと激しい煙と異臭を放して。
「なっっ!?!何だ!今の!あんなの見たことない!」
ユイジェスは目を見開いてマジマジと見つめた。魔法の印は四大精霊の印と、命の神の印(白魔法と呼ばれる)しか存在しない。
いや、実際にはあと3つほど可能性があるらしいが・・・。
教科書に見ない魔法の存在に驚愕し、冷静な判断を見失い困惑する。
「何ボサっとしてんだ!逃げとけ!!」
罵声を飛ばしてルーサスはユイジェスとシオルを後ろへ追いやる。しかし盗賊らしき連中が周りを囲っているのが見えた。


「剣と王子と、お前とその<輪>、それ以外に用はねぇよ。女達は逃がしてやってもいいんだぜ」
盗賊の一人がルーサスに声をかけてくる。しかしそれには彼の相棒、リカロが答えた。
「私とルーサスは一蓮托生よ!逃げたりなんかするもんかっ!」
リカロはタンカを切ってユイジェスとシオルの前に庇うように構えた。
「ごめんね!でも絶対守るから!」
「いや、守るって・・・」
ユイジェスは混乱していた。こんな状況に陥ったことはない。
ルーサスはそんな雑魚たち盗賊に用はない。今の魔法を放った相手「唯一人」を探している。





「ザガス!!そこかっ!」
呪文を唱え始めればすぐにわかる。
ルーサスが呪文に入る。しかし男はそれを無視し、ユイジェスの方に跳んだ。
「邪魔な王子、今のうちに死んでもらおうか」
「うわっ!!」
偽者と称された    取り返した剣を抜いてユイジェスは必死に相手の剣を受け止めた。男の背中を氷の刃がざくざくと突き刺さる。ルーサスの魔法が効果を表していたのだ。

巻き込まれた立場の少女、シオルは戦えない。足手まといになるのがわかりながら、けれど店の客達のようには逃げ出せない。無茶を承知で、護身用の短剣を取り出し、リカロのフォローに入った。本当はユイジェスを助けたいのだが、あの長髪の男との間には入れそうもない。

リカロは器用で。魔法用の杖を棒として使い、うまいこと格闘していた。杖には魔法の印が込められているようで、炎が要所要所で噴出した。
ユイジェスが押されているのを助けに行きたいのだが、なかなかそうも行かなかった。何よりユイジェスの相手は[ザガス]だ。
迂闊に手を出せばルーサスが黙っちゃいない。

ユイジェスの剣の腕前はお世辞にもうまいとは言えなかった。それ以前に真面目に教えを聞いたこともないのだら仕方なかったんだろう。
今ユイジェスはそのことをものすごく後悔していた。相手の男は哂っている。いつでもとどめがさせそうなモノを、いつさしてやろうか楽しんでいるのが手に取るようにわかる。
したたかに流血して、ユイジェスは唇を噛んだ。今日は厄日だ。人生最大の厄日だ。殴られるわ、いきなり斬り付けられるわ、命は狙われる(?)わ。
「外」はこんなに危険で野蛮なところなのか。
兄さんや父は、一体何をいつも管理してる?いつも俺のことを「しっかりしろ」と言うくせに、自分たちは自分達の仕事を果していないじゃないか。
関係のない怒りがこみ上げてくる。そして勝手に決められた婚約者のことも。
一瞬、心が離れたユイジェスは次の瞬間肩口から大きく斬り倒されていた。
「王子様っ!!」
リカロが絶叫した。シオルは真っ白になって座り込んだ。
「ザガス貴様!!」
他の盗賊を撒いてルーサスが飛び込んできた。男はそれを跳躍して交わす。
声も上げず、どうと倒れこんだユイジェスに、シオルが体を引きずるようにしてなんとか駆け寄る。おそるおそる傷口を見るが、シオルは自分まで気を失い、倒れそうな気がした。
これほどの傷、魔法でなければ、致命傷になりかねない。
シオルは無心で印を描き続け、傷口に手を当て、手を組んで祈り、両手を当て、繰り返し繰り返し祈り続けた。


■「・・・・・すごい。白魔法、サーミリア様みたい・・・」
慌てて駆けつけたリカロは、シオルの白魔法の効き目にふうと胸を撫で下ろした。王子はこれなら大丈夫そうだと。
ユイジェスは薄目を開けて、痛みに一度呻く。
視線の先には長髪の男と、緑の髪の少年、ルーサスがお互いに剣を抜いて戦っていた。

ユイジェスは血の流れを感じながら、同時に傷口が熱くなって来るのを感じていた。シオルの魔法が効いているようだ。ユイジェスは、必死に上体を起こして、戦っている二人の姿を目で追った。髪を振り乱し、アクロバットを演じながら剣を振るう男と、先程の少年。
信じられないスピードでテラス内を駆け巡り、息もつかせないほどだ。
遠い場所から、様子を見ていた群集も彼らに釘付けになっている。
大体の盗賊たちを遠ざけたリカロも、ユイジェスの横で二人の戦いを見ていた。
「あれ・・・、助けなくて、いいの・・・」
心配そうなのに、手を出そうとはしないリカロに声をかける。
「あれはザガスだもの・・・邪魔すると叱られるの・・・」
「ザガス・・・?」
どこかで聞いた名前だった。ユイジェスはもう一度その男に注目する。長い髪に、年は二十代後半といったところ。細身だが逞しい体つきに細い目は不敵に笑っていた。なぜか酷く嫌な感じがする。
「・・・巻き込んじゃったみたいで、ごめんなさい・・・」
すっかり手離し、落としたままだった細身の剣を拾い、彼に手渡すと、リカロは申し訳なさそうに謝った。

話している隙に、周りから悲鳴があがる。
一対一で戦っていた二人に横槍が入ったようだった。弓を何本か背中に受けたルーサスが、テーブルを撒き散らして激しく倒れるのが見えた。
「誰だ。邪魔はするなといつも言っているだろう・・・」
ルーサスではなく、ザガスが怒りに周りを睨みつけていた。すかさずリカロは飛んでいった。

「甘いぜ。俺達が正々堂々もないだろうが」
「俺達はそのガキと遊ぶつもりはないんだ!好きにやらせてもらうぜ!」
盗賊たちの中に、仲間割れの不穏な空気が見えて、周りはまた騒ぎになった。おそらく親玉なザガスを無視し、また襲ってくる盗賊たち。

「大変だ・・!寝てる場合じゃない」
魔法が効いて、なんとか動けるようになったユイジェスも戦おうと立ち上がった。シオルが止めようとするが、魔法なら自分だって使える。
まだ倒れているルーサスに、襲いかかろうとする賊をリカロが一人で相手している。
「こんのぉ!!」
杖を一閃。炎と共に。盗賊の横っ腹に命中し、地面に墜落する。続けざま後方の敵に再び杖の攻撃。前触れもなくルーサスが立ち上がり、リカロと背中を合わせて立ち構える。
「ルーサス!」
大丈夫なのだと知り、喜びの声をリカロはあげた。しかし、ルーサスはわずかながらその肩を震わせている。
顔をうかがうとその顔は真っ青だった。
「ご丁寧に毒塗りの矢だ・・・クソ野郎が」
ルーサスは歯噛みして唸る。

「二人とも伏せてっっ!!」

ユイジェスの声。
「なん・・・・!?」
風が起こる!その前兆が見れた。頭より体で反応したルーサスはリカロを巻き込んで倒れる。
その付近を中心に小さな竜巻が生まれて、弾けるように盗賊を巻き込んで周囲に刺さった。店のテーブル、イス、けたたましい音を立てて辺りにぶつかり破損する。
(今、呪文唱えたか?!あいつは!)
ルーサスは息を止めて目を見開いた。
不可能だった。呪文を唱え始めれば、自分なら必ず感知する。目に見える距離なら寝ていても気づく。
呪文なしでも魔法が使える者もいた。確かにいたが、そんな奴は世界でただ一人しかルーサスは知らなかった。

ザガスも、完全に不意をつかれ、壁に打ち付けられた。風が止んだ時には誰も動く者がいなかったぐらいだ。
「大丈夫・・・?動ける?」
頭上に青い髪の王子の姿があった。ルーサスはぎょっとして目を丸くする。
「お前・・・・!!今呪文なんか使ってねーだろ?お前もなのか?まさか『印』を宿す術士だって言うのか・・・!?」
「・・・・・・えええっ!?」
遅れて驚くリカロ。ユイジェスは「うっ」と後じさって、ただ黙った。
シオルが厳しい顔でやって来て、ルーサスの毒を消そうと魔法を使う。

「悪い・・・後で礼はする。しかし、王子のせいで気を取られて、ザガスに逃げられちまった」
「な!俺のせい!?」
ムカーっとして、ユイジェスはふくれる。
「あ、でも、城の人たちも来たみたい。だから王子様のせいじゃないよ。ルーサスどうする?逃げようよ」
リカロはせかした。城の兵士から逃げるいわれはないが、面倒は御免だった。彼らはいつも人の目をはばかった。
「そうだ。俺も逃げないと・・・」
「じゃあ、一緒に!ね!」
強引に手を引っ張られていた。ちょっと待て、ユイジェスは考える。
(いつの間に意気投合してないか?)
この二人はいきなり人の剣を奪おうとしてやってきた。本物、偽者とわけのわからないことを言って・・・何者かどうかも知らない。
シオルはともかく、この二人は信用がならない。
嫌そうに手を引かれながら、シオルを連れて二人から逃げ出す方法を考えていた。
そこでユイジェスは戦慄した。
聞き覚えのある声を聞いたからだ。





「ユイジェス王子!!」
人ごみを掻き分けながら、散乱した店内をズンズンと歩いてくるその声の主。怒りに燃えた顔をして、ぶつぶつ説教じみたことをすでに言いながらやって来る。
とがった両の耳から、エルフという種族だとわかる。顔は半分髪で隠れていた。ユイジェスはきびすを返して全力で逃げ出した。
「サダだ・・・!一番嫌なのに会っちまった・・・!!」
「王子!待ちなさい!何が何でも連れ戻しますよ!!(檄怒)」
追いかけて、他の三人も走る。リカロはなんだか楽しそうだった。サダは王子の世話係。ユイジェスを捕まえる時いつも使う呪文を唱えてくる。
「おい!魔法を使ってくるぞ!」
ルーサスが横から伝える。
「きょ・・・今日こそは逃げてやる・・・」
頼りない返事だ。ルーサスはがっくりして、早口で呪文を唱える。呪文を跳ね返す水の鏡の呪文だ。水神の印を描き走りながら相手に突き出す。
サダは驚いたが時すでに遅く、魔法は鏡に反射され、次の瞬間地面から生えた土の精霊の手に足を絡め取られていた。
「王子様、こっちこっち!」
うまいこと追っ手をまき、彼らは街に身を隠した。
もちろん、家庭教師が歯噛みしたのは言うまでもない。この後、王子を見つけた者には金一封と言いふらしていたほどだ。
しかし、その日はもう第二王子の姿が見られることはなかった。


■初夏の太陽も傾きかけ、ようやく昼食にありつけた二人がいた。半日近く駆けずり回っていた、ルーサスとリカロの二人だ。元々取っておいた部屋に、食事を運び上げてもらい、遅すぎる昼食を楽しんでいる。
一応二人部屋だが、テーブルにイスは四つ。ルーサス、リカロに加えて、第二王子ユイジェスと口のきけないシオルが座っている。
丸いテーブルに、ルーサス、リカロ、シオル、ユイジェスと時計回りの配置だ。
「よく食うなー・・・お前。俺なんか遅すぎてもう、たいして入らねぇよ」
「だって、お腹すくよー!あんだけ走ったんだよ?!もう死にそうだったんだからねっ!食べないと力出ないよ」
リカロを見ながら、ルーサスはスープをちびちび啜っていた。頬杖ついてため息をつく。
「・・・で、話の続きだけどな・・・」
「話」とは、とりあえず自分達の素性を明かした話である。

ルーサス・ディニアル。緑の髪に深緑の瞳。吊り目。額にはめているのは『真実の輪』と呼ばれるものらしい。現在17歳でユイジェスと同い年。身長はユイジェスの方が少し高い、元盗賊の魔術師。
ここ、ミラマのあるサロール大陸から遥か西南のサラウージ大陸、その南、ラマス王国からやってきたと言う。
サラウージ大陸と言えば、「盗賊」に侵略され、治安の悪さが噂になっている不穏な大陸だった。

リカロは赤みのある茶色のショートカットに、こげ茶の大きな瞳。ユイジェス、ルーサスの年下の15歳。親が武闘家だったらしく、武術をやっていたが、魔法を見てから魔術師に憧れ、現在修行中。

この世界では、魔法には必ず「印」が必要になる。白魔法には命の神アリーズの印がいる。それは聖地ライラツで洗礼を受けられ、女性であれば行使できる。洗礼も誰にでも下る物ではないが。
炎、風、水、土の四大精霊の力に属する魔法は、それぞれの「印」を使う。
「印」と呪文によって精霊の力を引き出すのだ。
精霊魔法は精霊と契約しなければ使えない。今は精霊が人の前に出て来ないため、魔法は血や伝承によって引き継がれるだけで、新しい契約は発生しない。魔術師の数が少ない由縁だ。

リカロも信仰の国ラマスの出身。両親を家事で亡くし、ルーサスに着いて盗賊ザガスを追っている。ユイジェスでもわかることだが、リカロはルーサスが好きだ。

ついでに、ユイジェスとシオルの方も代弁してユイジェスが話した。
シオル・スプレアラ、彼女は口がきけない。黒くまっすぐな長い髪に、藍色の澄んだ瞳。大人っぽいと思ったのは当然といえる19歳。
かなり力のある白魔術師らしく、ミラマから南の小国、シャボールから船でやって来たと言う。
生まれながら出ない声を治す為、薬を探す旅をしていると彼女は告げた。

ユイジェス・マラハーン。この国の第二王子。
ミラマに伝わる伝説の青い髪、大きい黒い瞳。17歳で四人のなかでは一番の長身。兄にコンプレックスを持ち、城を飛び出してきたがその裏には、ジュスオースの王女との婚約騒動もある。
シオルとはひょんな事で会った。今もいるのは成り行きでしかない。
彼女も色んなことがあってまだ混乱しているようだった。

「ところで、お前。さすが伝説の王子様は、「印」まで宿されてんだ?」
ルーサスが皮肉を含みつつ声をかけてきた。
「・・・・好きで持ってるわけじゃない」
低い声でユイジェスは答えた。心底嫌そうな物言いだった。
「好きで持ってるわけじゃない、だ!?」
眉を吊り上げてルーサスは腰を上げた。両手をテーブルの上で握り締める。
「望んでも手に出来ないモノなんだよ。俺なんかがどんなに望んでもな!」
ユイジェスは相手の剣幕にただ黙った。目をそらして唇を噛む、それしかできない。

「知ってるか。そんな精霊に愛された存在なんて、過去に一人しかいなかったんだよ。伝説の王子を除けばな!」
「ちょ、ちょっとちょっと、ルーサスってば落ち着いて」
リカロはあたふたして、慌ててフォローしようとした。知ってはいるけど彼は短気だ。口も悪い。
「俺達はわざわざ呪文で力を呼び寄せなけりゃならない。しかも、精霊に対して「印」はひとつ。お前が持ってる「印」の基本でしかないんだ。それ以上はない。お前がいくつその身に宿してんだか知らないが、その特殊な「印」の名前を言うだけでお前は魔法が発動する。俺なんかには及びつかない強力な力でな。第一王子も在るんだとしたら、とんだ兄弟だぜ」
「俺はこんなものいらないっ!!」
ユイジェスも立ち上がった。
「魔法だって今日はたまたま使えたんだ!いつもは失敗する。ただ呼んだだけじゃ俺だって使えない!勘違いするなよ!」
ユイジェスまで叫びだして、女二人はどうしていいかわからなくなってしまった。二人とも本気で睨みあっていた。
「兄さんはもっと上手に魔法を使うさ!呪文だろうが、なんだろうが!」

「俺は特別じゃない!!」

苦しそうにユイジェスは叫んだ。


暫くの沈黙       
リカロが静かに、話し出した。
「ルーサス・・・悔しいのもわかるけど、ユイジェスはやっぱり特別なんだよ。だって、私たちが必要とする、その力を持つ人なんだよ?私たちは、ユイジェスに勝ちに来たんじゃない・・・力を借りに来たんだもの」
二人の袖を引っ張って、座らせる。
「ザガスを倒すには、絶対ユイジェスの力が必要だよ。わかるでしょ?」
「だから・・・俺は<特別>じゃないって・・・」
沈んでユイジェスは呟く。隣でシオルが「そんなことないよ」と言いたそうな目をしていた。

「お前を襲ったのは・・・あの有名な、大盗賊ザガスなんだ・・・」
何処か遠い目をして、ぼそりとルーサスは語り始めた。
「ザガスって、知ってるけど、もうかなり年いってるはずじゃない・・・?40代位って聞いた様な気がするけど・・・」
ユイジェスの知識にあるザガスとは、40代位の男で、サラウージ大陸の北の国ロイジック城を占拠し、王女を人質に取り、今度は南のラマス王国に侵略を開始している極悪盗賊だ。
その事をルーサスに伝えると「その通りだ」と呟いてから、額のサークレットをそっと外した。

「この世には『封じられた神々の涙』と呼ばれる宝石がある・・・」

「全部で8つ。その中のひとつ、
「自分の姿を自在に変えられる石」
をあいつは持っているんだ・・・・」

「ええ・・・?」
信じられない言葉に、ユイジェスは聞き返していた。
そんな石本当にあるのだろうか。
「アイツの使った魔法、「印」を見たな?見たことないだろう・・・。<変化の神>の「印」だ。あいつしか使えない」
しまったとユイジェスは思った。神々に対する伝承など真面目に覚えてはいない。世界には四つの精霊と四人の神が存在している、おぼろげにしか覚えていない。

「アイツは・・・別の姿をまとって生きているんだ。だからこそ、ただの盗賊がここまで力をつけることができた・・・。世界中の裏世界の住人を力で押さえつけ、一つの国を完全に牛耳るほどの、力が今の奴にはある・・・。姿を変えていけば、盗みを働くことも、人を殺すことも簡単にできる。あいつが、<変化の石>を持っている限り、世界は危機に晒されているんだ・・・」

そうルーサスが言ってから、暫く誰も喋らなかった。
重い空気に耐えられず、ユイジェスはぬるくなったコーヒーを一口啜った。
ルーサスは手に取っていた<輪>をテーブルの上に静かに置いた。
「ねぇ・・・」
声をかけようとして、呼び名に戸惑った。
「ルーサス、で、いいかな」
「・・・どうぞ。そうだな、俺も、もう王子なんて呼ばないよ」
わかった様に、言った。ユイジェスもその方が嬉しかった。
「じゃあ・・・、ルーサス。自由に姿を変えられるのに、どうしてザガスを見つけることが出来るの」
もっともな意見だった。シオルもそれを知りたそうに彼を見る。
「『封じられた神々の涙』は全部で8つだと言っただろ。変化を司どる石があるのなら、それを打ち破る力を持つ石だって存在する」
ルーサスの眼光が鋭くなる。手にした<輪>を強く握り、続けた。

「ザガスの偽りの姿を見破ることができるのは、世界でただ一人。<真実の輪>を持つ俺だけだ」

<真実の輪>それは澄んだ赤い石の込められた銀製のサ−クレットだ。これをルーサスは片時も離さず身に着けていた。
ザガスにとっては、この<輪>をする者が最大の邪魔者と言える。相対する火と水のように、二つの石は反発する間柄だった。
「そうか・・・だから・・・」
ユイジェスは、『神々の涙』などという宝石は知らない。しかし、彼らは嘘を言ってるようには見えない。
ルーサスとリカロはザガスから自分を守ろうともしてくれている。

あの後、この宿に案内されて、きちんと傷の手当てをした。しかしザガスや城の者がユイジェスを探すだろうということで、今匿ってくれている。
ルーサスは一度ミラマ城に忍び込んだらしく、俺がどういう王子だったのかを知っていたらしい。
城に帰せば金を貰えるのに、とユイジェスは思う。

「ま・・・そういう事だ」
ルーサスは再び<真実の輪>をはめ直す。
「ザガスは、他の石も集めようとしてる。他の石もみんなすごい力があるの。わかるでしょう?私たちそれを阻止したいの」
ユイジェスに、リカロは言う。彼だけに熱のこもった瞳を向けて。
「<風の石>には、<風の剣>が必要で。それを使えるのは伝説の王子だけなの。ユイジェス!お願い力を貸してっ!」
手を取られて、ユイジェスは圧倒された。なら兄さんに言えばいい。自分は伝説の王子じゃない。
「だって、この<剣>も偽者なんだろう?本物なんて知らない」
剣を抜いて確かめてみた。どうせ持っていくなら「いい物」がいいと思って目をつけたのがこれだった。軽くて手にも馴染んだ。
「ごめん。あんまり、城の伝説とかって、知らないんだ、俺・・・」
突然、少し投げやりに見ていたルーサスがイスを倒して立ち上がった。
「なに?!また、またなんか怒ったのルーサスっ」
三人はその行動に驚いて、びくびくと彼を見つめた。ルーサスは時が止まったかのように<風の剣>とユイジェスを交互に見ていたが・・・。

「ユイジェス、お前・・・・」
死刑宣告のようだった。
「お前、やっぱり特別みたいだぜ」


■<剣>は、ユイジェスが手にした時だけ微かな魔力を発していた。
おそらく、<輪>をするルーサスだけが気づく、その瞳は真実を見逃さない。
よく見れば、剣の柄には石が無く、おそらくそこに石をはめるべき穴が開いている。
「・・・ひょっとしたら、ザガスを出し抜けたかも知れない。奴はこれを偽者と思ってる、おそらく」
「・・・待って!それは俺が青い髪の王子だから!俺だけが特別ってわけじゃない」
「この剣、あの王子には抜けないと思うぜ」
この期に及んで、わめくユイジェスをルーサスは睨む。確信はある。第一王子はこの剣を携帯していない。
こんな言われのある剣を。伝説の王子だともてはやされる王子が抜こうと試していないはずが無い。絶対と言い切ってもよかった。
ニュエズ王子には<剣>は抜けない。

ユイジェスは茫然としていた。そんなはずはない。リカロは喜んで万歳をする。シオルは笑顔で拍手した。
「兄貴に会って、確かめてくるか?それでもいいさ。いつまでも信じないのなら。いつまでも違う違う言って、逃げ帰るなら」
「・・・・・」
選ばれた?微かに震えを止められず、<剣>をまじまじと見つめる。
どうして俺を選んだりしたんだろう。確かに兄さんを拒んだのか?<剣>に聞きたくてたまらない。

何故?

ルーサスは見ている。強い意志を感じさせて。リカロは勝手に大喜びだ。<剣>も王子様も仲間になった!なんて言って。
シオルはやさしく見ていた。皆自分に期待している。苦手な視線だった。
ユイジェスは自分に自信がない。だから信じられても、期待されてもいつも困った。
期待されることが一番嫌いだった。
兄のニュエズ王子も、家庭教師サダもそういう目をよくする。だから二人とも嫌いだった

「お前、何のために城を出てきたんだ・・・?」
駄目押しして、知っているかのようにルーサスは訪ねた。
シオルは悩むユイジェスの顔を覗き込んで、思い立ったのか肩を叩く。
「話してくれたよね?」語らない瞳がそう告げる。

完璧すぎる兄を、一度でいい、一瞬でいい、越えてみたい。
それが長年の夢だった。例え無理だと誰かが笑っても、それが世界中の全ての人だったとしても。
いつから、諦めていたんだろう。口先ばかりで。

「俺、行かせてもらうよ。最初は、足手まといになるかも知れないけど・・・。それでもいい。『俺』が選ばれたのなら。ルーサス達が俺を必要だって言うんなら。俺が・・・俺にも何かが出来るなら!」

「よし」
初めて、ルーサスが笑った。シオルもにっこり微笑んだ。
気がつけば、ユイジェスも笑っていた。




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