「殺したくない…!殺したくないよ…!」
幼い僕はずっと、そう泣き叫んでいた。
姉は僕の手を強く握りしめて、
追いかける町人たちから必死に逃げ道を探す。

「殺したくない。殺したくない」
でも、殺されたくない    !!

それは同時には叶わない願いなの?
「この裏切り者!…死ね!」
追いかける人々は叫ぶ。
裏切ったのは誰?裏切ったのかな僕は。

王国は?王家の兄弟たちは?
誰が間違っていたの。誰が正しいの。
僕は咎人ですか。裁かれるべき人は何処にいますか。
…ただ僕は、何も望まずに、
静かに生きていたかっただけなのに。

僕を殺そうとしたのは、国?
それとも魔物。狂った民。
それとも運命。


「廻る夜 3」


 テドンの町に踏み込み、僕は姉との別れの場面を思い出した。
 あれから、姉さんはどうなったんだろう。
 別れた場所を目指して、脇目もふらずに僕は奔った。優しくて、綺麗で、大好きだった姉さんは、あれからどうなった…!?

 僕は、ネクロゴンド王家に生まれた。

 でも、家族と呼べる人には会った事がなかった。独りで、城壁の外に出る事はなく、僕の傍には子供もいなくて。大人もいなくて。
 大人たちの世界に僕は映っていないと思っていた。
 それでも、自然は僕に優しかった。人と遊べなかった代わりに、僕は自然や動物たちと遊んでいて……。


 シャンテ姉さんは、僕と同じ王家の人間。親族の中の一人。
 でも、家族を僕に教えてくれた。
 厳しかったお付きの騎士を変えて、年の近い騎士見習いの少女が僕の傍についた。それも姉さんの計らい。

 シャンテ姉さん、そして騎士見習いのミレッタ。三人で過ごした数年間はとても楽しかった。シャンテ姉さんは毎日のように僕に会いに来てくれて、ミレッタは周りの目が無い時は友達のように一緒に遊んでくれた。
 ミレッタは名高い騎士一族の娘だったけれど、他の騎士と違い、僕にとても温かく接してくれていた。

 礼儀正しくて聡明な、真面目な女の子だった。明るい蜜柑色の髪と、青い瞳の魔法騎士。僕と目が合うと、はにかんで笑っていた。
 ミレッタはどうなったんだろう。僕たちと離れて…。
 徐々に甦る、記憶を追いかけて僕は滅びた町を奔っていた。


 世界が変貌したのは、ギアガの地に大きな穴が口を開けてから。
 王城の横に突如、孤島を一つ砕き、大きな暗黒の穴が開き、そこから魔物が沸いてくるようになり、世界中が魔物に怯え対策を練った。

 僕は初めて国王様に呼び出され……。
 魔物からの要望により、お前を差し出すと、通告を受ける。悲しかったけれど、それで国が助かるならそれでもいいかなとは思った。

 オーブを渡して、結界を失ってネクロゴンドは果たして無事でいられるのか。
 疑念を抱いたのは僕だけではない。
 僕も何度も国王、王子様方に話をしたけれど、想いは届かずに。姉さんとミレッタは二人で僕を守ろうと画策してくれていた。

 僕でさえも知っていた、アリアハンの勇者オルテガを「殺せ」と要望される。
     違う、半ばそれは命令に変わりつつあった。

 嫌だった。人を殺すなんてとても怖かった。
 勇者オルテガはきっと強い人。
 そして、そんな人に弓を放ったら、僕はどうなるんだろう?
 もし当たっても、殺すのは怖い。もし外れたら、僕はやり返されるのかな?
 斧を振りかぶって、魔物に与した僕は一刀両断されて……!

 眠れない夜、悪夢の主はいつも勇者オルテガだった。
 悪夢が怖くて眠れない、日に日に僕は衰弱していった。
 ある晩、姉さんとミレッタとで準備した脱出計画が行動に移され、僕は城内から初めて外へと飛び出す。

 姉さんが昔暮らしていたテドン地方の小さな村へキメラの翼で飛び、姉さんと僕は聖弓を取りにテドンへ向かい、ミレッタは別れて、南方向へと向かった。
 ミレッタには協力者に彼女の実の兄が付いていた。
 兄の馬の後ろに乗り、彼女はいつまでも、消えるまで後ろを振り返ったままでいた。
「リュドラル様!どうかご無事で!約束の祠で、お待ちしています!」
 その当時、ミレッタは十四歳。
 もし生きていれば十九歳になっているはずだった。


 逃亡に追っ手は素早く、向かったテドンにはすでに裏切り者の王子のことが知られていた。目指す弓になかなか手が届かず、人目をしのぎながら姉さんとじっと機会を伺ってテドンに潜伏していた。
 人に追われる事に恐れ、人に罵られる事に怯え、初めて出た外の世界に僕は怯え続け疲れ果てていた。

「怖いよ…。姉さん…。もう、いいよ。帰りたい…」
「シッ。駄目よ。帰ったら魔物に渡されて殺されてしまうわ」
 身分を隠して潜伏していた宿屋で、呟くのは泣き言ばかりだった。

「ずっとこんな風に逃げ続けるの?嫌だよ…」
「もう少し我慢して。国を出ればなんとかなるわ。ミレッタたちと合流したら、ランシールへ逃げるの。あそこならあなたを保護してくれるわ」
 泣いてばかりだった僕を、安心して眠れるように、姉さんは夜中じゅうずっと子供の僕を抱いてくれていた。それでも、僕は不安に震えていた。

「ランシールはミトラ神信仰の国、聖女はラーミアの卵を守っているの。あなたが弓の継承者であることもすぐに分かるわ。そして守ってくれる」
「うん…。姉さん、姉さんもずっと一緒にいてね…」
「…ええ。ずっと一緒よ…」

---

「光よ。女神よ……!」
 シャンテ姉さんの声は高く、天に祈りを捧げる。
 別れる直前、姉さんは泣きながら懸命に、僕のために微笑んでくれた。
 口元から、血のすじを零しながら、それでも……。



「いたぞ!リュドラル王子!シャンティス王女だなっ!捕まえろっ!!」
 眠りは妨げられ、姉に手を引かれて、僕は町を逃げ続けた。
 路地に逃げ込み、僕をゴミの山に隠して、姉さんは一人鞭を手に、町へ出て行こうとする。
「何処行くの?行かないでシャンテ姉さん!」
「静かに!声を出さないで!」
 小声で咎め、姉は僕には見せない盗賊の顔をさらけ出し、通りを駆け巡る町人たちに瞳を昏く沈める。

 姉はゴミに隠れた僕に視線を合わせて屈み込み、にこっと優しく告げた。
「弓を取りに行くわ。ここでじっとしていて。私以外の人が来ても、声を出しちゃ駄目よ」
「……。うん…」
「いい子ね。大好きよ」

 でも、そこに人がやって来て、僕は戦慄に青ざめる。
「いたぞ!王女だ!!」
 何か言う前に、姉のひとさし指が口の前に動いていた。追っ手に気づかれないようにほんの刹那、僕に声を出すなと警告した。

「王女一人か!?…裏切り者の王子は何処だ!!」
「もう、テドンにはいないわ」
 立ち位置は完全に僕を隠していた。被ったゴミ袋の隙間から、姉の様子を伺う。会話から、たくさんの人に囲まれてしまっているのが分かって、動きたくないのに、体が言う事を聞かずに震える。
 歯ぐきがガチガチ音を鳴らしていた。
 路地は袋小路で、姉にも僕にも逃げ場はなかった。

「王女を捕まえろ!王子の居場所を吐かせるんだ!」
 外野から歓声のような声が上がり、姉の腕が騎士のような男に捉まれる。

「……ね、姉さん!!」
 姉と離れる不安に耐え切れなくて、僕はゴミの山から這い出し、背中にしがみつく。姉は咄嗟に行動方針を変えて、鞭を振るい前面にいた騎士たちをなぎ払い、僕を背中に庇って構えた。
「姉さん…!」
「大丈夫よ。あなたは私が守るわ」
「このっ…!王子も一緒だ!…やれ!!」

 目の前で起こった戦闘に、僕は腰を抜かしていた。
 姉さんは強かったけれど、倒れてゆく人を見るのも怖かった。人を恐れず倒してゆく、姉さんを初めて怖いと思った。
 狭い路地裏での戦闘は一対一になるので長く続いたけれど、やがて姉さんの動きは疲労から鈍り始めてしまう。

「この…!」
   うっ!」
 腕に騎士の剣を受けた姉さんは、鞭を落とし、足元がふらつく。
 攻め入る騎士に圧され、後方に下がった姉は僕の足とぶつかり、これ以上下がれないと知ると覚悟を決めたのか、


 誰も予想できなかった、祈りの言葉を突如謳い始める。

「光よ。女神よ…!天に召します神の翼。どうぞこの子をお守り下さい」
 祈る姉は鬼気迫り、殺気走った男たちもひるんで思わず傍観者となる。

「神の空の月を手に、この子はあなた様の傍に参ります。加護を、どうか…!」

 剣を構えた騎士に背を向け、姉は負傷に息を乱しながら、それでもこの僕のために笑ってくれる。
「ごめんなさいね。ひとまず、お別れよ。あなたはきっと、神に愛される」

    ドスッ…!
 嫌な音を立てて、姉の背に剣が突き立てられたのを見た。
 僕は声もなく、ただ自分がわななくだけを感じて…。
 後ろ手を付いて、地面に腰を抜かしたままの僕の前にふわりと座り、姉さんは愛おしそうに僕の首にしがみつく。

「愛しているわ。ずっとよ。元気でいてね…」

「…嫌だ!嫌だ嫌だ!姉さんー……!!」
 声を上げて泣く、頬にキスをする。
 姉は精一杯に腕を伸ばす。

「…ふん。裏切り者に女神の加護などあるものか!二人まとめて死ね!」
 姉の背に足をかけ、騎士は剣を更に押していた。
 姉の胸を貫き、剣先は泣き叫ぶ僕の喉元に近付く。
 腕を伸ばし、姉は抵抗していた。

「…リュー、…往きなさい。あなたは、女神の元へ」
 ごぼりと、背中から胸に剣を通した、姉の口から血だまりが零れ落ちる。首を振って別れを拒み続けた、僕の肩を回して、姉は背を向けさせる。

 騎士の剣は柄まで姉にうずまり、剣の先は僕の背中に少し刺さっていた。
 もちろん騎士は姉の背中を足で踏みつけ、姉ごと僕を貫こうとしている。右の肩越しから左下腰へ、剣先はずぶずぶと移動して行った。

 姉を挟んで、僕の背中にも薄く刻まれる。
「ね…さ…!シャンテ、ねえさ    !」

「どうか、…『光』よ・・!!慈悲を!導きを・・!この子を守って下さい!バシ、ルーラ…!!」


 姉が魔法を使えたとは知らなかった。
 …ううん。何か脱出のために、魔法アイテムを入手したと聞いていた。
 対象を違う場所へ移動させる僧侶の呪文。

「…姉さん…!!ねえさああ…ん…!!」
 光に包まれて空へと浮かび上がる、その眼下で姉が力尽きて倒れる。




            

 僕は、忘れたかったんだろう。
 こんな惨劇を。忘れなければ、心が壊れそうだった。
 何も、誰も信じられなくなりそうだった。



「大丈夫…?待って、今、魔法をかけるから」
「おい…。魔法は…」
「大丈夫だよ。早くしないと、間に合わなくなっちゃう」




 堕ちた先は、見知らぬ島国、アリアハン。
 子供の声が耳元で微かに響いていた。
 かけられた回復魔法は、何度も、何度も僕を癒した。




      癒してくれました。

 それはとても温かくて、光が見えて…。自然と心が安らいだ。
 彼の存在は、僕において全てが救いでした。

---

 あれから、姉さんはどうなったんだろう。
 別れた場所へと駆けた僕の前に、テドンの中央、教会の前に貼り付けにされた姉さんの姿が場面転換して現れた。
 十字に貼り付けられた姉さんは、片足首を落とされて、血の痕を教会前の石畳に浸透させている。
「……なんて、ひどい、ことを…」

 僕との別れ際、背中から胸に裂かれた痕もまざまざと残り、姉はおそらくあの日に事切れていた。
 それなのに、死者に鞭打つ酷い仕打ち。
「オーブは何処だ…!王子は何処へ行った……!」
「ネクロゴンドの宝を取り戻すんだ……!」

 民衆の目は狂気に燃え、姉は首を落とされるまで、ずっと教会の前で雨風に晒されていた。
「姉さん…。ごめんなさい、姉さん…」
 僕のために、こんな事に。過去の幻の前に泣き崩れ、僕は懺悔し続けた。

 王子は見つからず、オーブも弓も見つからない。
 それからどうなったのだろう。
 求めたものの行方を探す為に、この町に現れたのは、僕ではない。

 魔物はおそらく始めから、取引など守るつもりはなかったのだろうと思う。
守護が消えてネクロゴンドを攻めるに容易くなり、もちろん魔物にもオーブは欲しい物にあった。オーブを探してテドンを襲い、見つからずに国中を蹂躙して行く。

「オーブは何処へやった……!」
「王子は何処だ…!探せ…!」

 魔物たちは容赦なく民を引き裂き、町を壊し、生きる者全てに「恐怖」と「死」を分け隔てなく与えた。
 人々の恨みの声が僕の周りに渦巻いて、真っ赤に染まった大地から亡者は這い出し、腕で僕を絡め、地に引きずり込もうとする。

「助けて…!」
 必死に僕は祈っていた。
 僕を飲み込もうと伸びる、亡者たちの腕からただ逃げたくて。

 でも、同時にひどく迷っていた。祈っていいのかな。僕は助けられて許されるのかな。そして、一体誰なら僕を助けられるの?
 背中の傷が傷む。…けれど、姉の感じた痛みはこんなものではきっと足りない。
 殺されてしまった人々の恨みはこんなものでは背負いきれない。

「何処にいるの…!?誰なら、助けられるの?」
 僕は『誰か』を懸命に探していた。消える事の無い、深い懇願のままに。

「助けて…」
 赤い血の色に染まった大地は、もはや誇り高い王国の名を捨てようとしていた。

「何処へ、行くの。僕のせいで、姉さんは死んでしまったのに!」
「この町は襲われたのに!みんな死んでしまったのに!」
「この国は僕のために滅びてしまったのに!始めから、僕が魔物の所へ行けば良かったんだ!そしたらここまでは……!!」



「ゲハハハハ」

 くぐもった不気味な声…。
 地面から地響きのように起こり、巨大な緑色のぬめった手がずぼりと僕の下から突き上げる。巨大な生き物の手に僕は捕まり、指に締め付けられぎりぎりと骨を軋ませた。
「ぐっ…!な、なんだ…!?」

「待っていたぞ…。ネクロゴンドの王子よ。ゲハッ、ゲハハハ。その通り、お前は我の元へと来れば良いのだ…」

 地面から手だけが見える、僕でもその邪悪さに魂が震撼する。
「ま、さか。魔王…バラモス…」

「いかにも!ゲハッ。二つのオーブは何処へ隠した?祠の扉を開けろ。神の弓を渡せ!グリーンとシルバーの力は、人に持たしておくには厄介なもの」

 ネクロゴンドに居座る諸悪の根源。
 ニーズさん達が倒そうと目指す、魔王が汚く僕を握り締めて笑う。
 口の中にまだ食べ物でも残っているのか、汚い音をぐちゃぐちゃさせながら笑うのが耳障りだった。

 幻の廃墟の世界は昏く闇に覆われ、人々の恨みの叫びが風のように旋回していた。
空がかき混ぜたように渦を巻く。
 殺された人々の血の匂いが鼻に染み付く。

 僕はオーブの行方も弓の在り処も知りはしない。
 知っているとしたら、姉さん。そして騎士見習いのミレッタ。
「僕は知らない!ミレッタは、王城そばの祠で待ち合わせたミレッタは!?彼女はどうしたんだ!?」

「知らぬな…。その様な者。祠に逃げ込んだ小娘はいたがな…。おそらく死んでおろう」

「……!!」

「安心せい。キサマはまだ殺さぬ。オーブを手にしてから、闇の供物にし、ラーミアの卵を崩壊させる穢れにさせてやろう」

「なっ…!!」
 そんな、僕は…!またしても、世界の希望を壊すような、「材料」にされようとしているの     !!
 オルテガさんだって、考えるのも申し訳ないのに。
 誰かを殺すか殺さないか迷った、そんな葛藤の全てが恐怖だった。
「…い、嫌だ!死んだ方がましだっ!アイザックたちの邪魔になるくらいなら!誰かが不幸になるくらいなら!」

「ゲハハハハっ。嘆くな。貴様にもう選択はできぬのだ…。オーブの行方、ゆっくり吐かせてやろう…」

「い、嫌だ!助け……!!」
 バラモスの手は僕を掴んだまま、地面の中にじわじわと沈んでゆく。
 飲み込まれたら、もう二度と帰って来れない予感がして必死に抗う。
「離せ!!この、化け物    !!」
 圧倒的力で指は食い込み、暴れてもびくともしない。バラモスの手は昏い大地に沈み、僕の足先までが闇に浸る。


ピシャアアアアァァアアアッッ      !!


    うわっ…!!?」
 暗闇の世界は突如、一陣の閃光によって白く引き裂かれた。

「ギャアアアアアアアアアアアア!!!」

 闇の空にひとすじの雷光が奔り、撃たれたバラモスの手は凄まじい悲鳴を上げて僕を手放した。地面に落下する前に、誰かが僕の腕を掴んで引き上げる。
「帰れっ!魔王バラモス!このまま全身も灼かれたいかっ!!」
 幻は消え、視界は元の廃墟に姿を戻す。
 ただ寂しい、夜明けを迎えようとしていた故テドンの都市が鮮明に蘇る。

「我より出でて…、天を裂き、大地に降り注げ…!聖なる光よ!」

 僕の手を掴んで、立っていたのは白い服に黒い髪の勇者。
 苦痛も交えて呪文を構成し、放つ指先に合わせて稲妻が大地へと迸る。まるで、夢を見ているかのような神々しさに全身が震えた。

「お、おのれぇ…!邪魔するか!キサマなど、ユリウス様に……!」

「空を裂け!竜と神との光の閃光よっ!」

「覚えておれ…!全ては闇の御元に…!!」

    ライデイン…!!」


 もう一度、稲妻が緑色の手を貫く。
 バラモスの手は焼けただれ、悔しそうに地面に潜り姿を消す。
 完全に気配が消えるまで、勇者は肩を揺らして廃墟を睨み続けていた。


「…もう、行きましたね。バラモスは去りましたよ、元ニーズさん」
 ひょっこりと、勇者の反対側から陽気な賢者が顔を出し、ぽんとその肩を叩いて緊張をほどかせた。

「はぁ…。良かった…」
 胸を押さえて彼はがくりと膝を折り、何回か咳き込む。
「雷、練習したかいがありましたね。私もいくらか喰らったかいがあったと言うものです」
 場違いに賢者ワグナスさんはにこにこしていて、呪文の疲労を見せる勇者は呆れ顔で恨めしそうに眺める。

「…と、間に合って良かった。リュドラル王子。怪我はない?」
「……。ニーズさん…」
 ぶわりと涙が溢れて、泣かれたニーズさんも本気で驚いていた。
「生きて…。良かったです。本当に、良かったです。ニーズさん…!ニーズさん…!」

 アリアハンが魔物に襲われて、殺されてしまったのだと今いる弟さんから聞いていた。とても悲しくて、信じたくないと思っていた。
 ムオルで彼に会ったと教えてもらって、どんなに嬉しかった事か。

 生きていてくれた、それだけで喜べた。
 生きてさえ、いてくれるならそれだけで希望になった。
「会いたかったです!ニーズさん!会いたかったです!!」

 どうしてこんなに僕が、この人を求めていたのかがようやく解る。
 僕は大地に両手を着き、思いの全てを彼に願う。

 探していたのはずっとこの人だったからです。
 この人以外に、誰も叶えてくれる人はいない。
 僕の探していた『光』はここにしか存在していないから。

「助けて下さい…!ニーズさん!いえ、勇者ニーズ様!ネクロゴンドは背信の王国です。でも…!それでも、僕は王子としてこの国を救いたい!悲しい呪われた魂たちを助けて下さい!」

 もはやただ一人の生き残りかも知れない、僕の願いは国全体の叫びに代わろうとしている。崩壊の傷を背負う者として、僕は両手を着いて頭を下げる。

「助けて下さい…!僕を、助けて下さい……!!」

---

「リュドラル…」
 ニーズさんが返事をくれるまで、僕は頭を下げたままでいた。

「僕は…あの頃、何もできませんでした。今だって、何もできないかも知れません。あなたにこうして頭を下げる事しかできません。ネクロゴンドはオルテガ様を…。あなたのお父様を罠に嵌めようとしました。ネクロゴンドの火山に落ちて亡くなった以上、この国も関与していたのかも知れません。でも…!」

 僕の国がしようとした事。
 彼の父にしようとした事。
 僕が無力であった事。
 全ての償いを彼に預けようとする、僕は卑怯者かも知れない。

「許されようとは思っていません。ただ、この地にかけられた呪縛だけを、どうか外して下さい。他の国の誰かが流れてきて、復興して暮らすのもいい。眠りだけを与えてあげて下さい。お願いします…!」

「…顔を上げて。手を着いて謝りたいのは、僕の方だよ。リュドラル王子…」
 ニーズさんは、僕に肩を上げさせて、深く頭を下げた。
 僕を王子と呼んで、かしこまって跪く。

「ネクロゴンドを我が父は守護するに間に合いませんでした。火山に落ちたのはあなたのせいではありません。王家に信頼されなかったのは父の責任でしょう。バラモスを倒すのは約束します。国も…、あなたも、救うべく戦うのがこの私です。遅くなって申し訳ありませんでした」
「……。本当ですか…?ありがとうございます。ありがとうございます。ニーズさん…」

「元ニーズさんはリュドラルさんの危機と聞いてですね、それは大急ぎで飛んで来たんですよ。ずっとリュドラルさんを気にかけていたみたいです」
 まさかの彼からの謝罪に、更に賢者が付け足した言葉は感動に拍車をかける。

「ちょっと、ワグナスさん…」
「いいじゃないですか。海水浴の後でも後悔していましたよね?」
「………。それは…」
 ニーズさんは戸惑い、言いにくいのかずっと下を向いたまま、またしても僕に謝ってしまう。

「…と、ごめんね。リュドラル。気づいてくれたのに、逃げてしまって…。僕は、まだ出て行けない理由があって…」
「…え?理由…。まだ帰れないんですか?どうして、皆待ってるのに」
「おほん。それはですねリュドラルさん♪かくかくしかじかで〜…」

 廃墟に訪れようとしていた朝日は完全に姿を見せ、賢者の嬉しそうに説明する姿を照らしてくれる。僕はその説明に寂しそうに俯いている、ニーズさんの横顔ばかりを見つめては考える事があった。

「お互いの成長のために…。それは、解りました。(元)ニーズさんは、一人なんですか?誰か一緒にいるんですか?」
「…ううん。ワグナスさんは行ったり来たりだし。だいたい一人かな。聖女様なども来てくれるけどね」
「………」

 この人と話をするのは、実に三年近くぶりになる。
 随分と、印象が儚くなったと思って、じっと見つめて考え込んだ。
 線も細くなった気がする。あれより痩せた…のかな。まだやっぱり病気がちなんだろうか。
 弟のニーズさんにもお母さんにも会えなくて、一人で、寂しくないのかな…。

「あ、あの…。僕、あの…」
「うん?」
「その…。もし良ければ、一緒に、その、戦わせてくれませんか…。あれからニーズさん達が旅に出てからも、訓練はしていて、自分の身も守れます。決して足手まといにはなりません」
「え……」
「…駄目、ですか?自分の国を助けてもらうのに、自分だけただアリアハンで待っているのも…。ニーズさんの力になりたいんです。お願いします。一緒に居させて下さい!」

「良いと思いますよ。ランシールでも歓迎されますね。それにもう魔物にリュドラルさんの事は知れてしまったわけですし、今後も狙われる可能性もあります。共にいる方がいいと思いますね」
「そ、それは……」
 ワグナスさんはすんなり賛成し、ニーズさんにも勧める。


「…いいの?また、危険な目に会うかも知れないよ?リュドラル」
「はい!僕は、あなたの手助けをしたいんです。お願いします」
 まっすぐに見つめ、自分の決意を伝えるために、精一杯の覚悟を込めてこの人に伝えよう。ようやっと口にできる、いつか信念を語った親友のように、僕も。

 意表をつかれて、驚愕に固まっていた彼の表情は、
 …ゆっくりと、照れ笑いに代わってゆく。

「……。ありがとう…。嬉しいよ。まさか、そんな事言われるなんて…。ずっと、無視していたのに、ごめん…」

「えっ…。あの…」
「謝りたかったんだ、本当は。僕はずっと他人に心を許せなくて、リュドラルの事も、アイザックの事も。好意を無下にしていた、ごめんね」
「……。僕は、ずっと、ニーズさんとも友達になれたらいいなと思っていました。仲間でも…。色んなこと、話せるような、相手になれればいいなと…」

「…………」
「……。ニーズ、さん……?」
 僕を映した青い瞳は、突然の申し出に瞬きも忘れて止まる。
「ごめん、思わず泣けてきて…。だって、本当は辛かったから、僕も」


     誰なんだろう…。この人…。
 失礼な事に、片手で口元を押さえて、涙を堪える目の前の人を、僕は「知らない」と感じた。

「ありがとう。すごく嬉しい。…ありがとう。実は友達なんていなかったから、本当に泣けて…」
 僕の方が面を喰らう。
 だって、ニーズさんは「絶対」に人に弱さを見せたりしなかった。
 オルテガさんの葬儀の時も、具合が悪い時も、涙も見せない、誰にも甘えない、頼りにしない、心配されるのを拒んだ。

 …これが本当のこの人、なの……?


 泣くのを恥ずかしそうに指で交互に拭きながら、ニーズさんは右手を差し出した。
    見せた事もなかった素の笑顔で。

「どうしよう…。ごめんね、突然泣き出して。ありがとう。本当は僕も弱いから、時々助けて貰うかも知れないけど、それでもいいなら…。僕の方からお願いしたいよ。僕を助けて。…僕の方こそ」

 今まで知らなかった、彼の笑顔がとても柔らかいこと。
 なんだか壁が消えていた。とても近くにいてくれた。
 数年の時間が過ぎて、この人は変わっていたんだ。柔らかく、もっと自分を見せて笑うようになった。きっとずっと優しくなったんだ。

「…はい!よろしくお願いします!」
 僕も彼の手を握りしめる。やっと、こうして手を取り合うことができた。
 きっと、ずっと、僕はこの日を待っていた。
 勇者のために旅立つこの日を。



「うっうっうっ。いいお話ですねぇ…。ほろり。爽やかな友情物語に感動です」
 横で気がつくと、ワグナスさんがハンカチを片手に涙していた。

「しかし、リュドラルさんもオーブの行方を知らないとなると…」
「多分、シャンテ姉さんが知ってると思います。でも、今何処にいるのか…」
「ふむ。少々お待ちを。…月の神よ、今ひとたび姿をお見せ下さい。この地に夜の灯火を。ラナルータ!!」

 賢者ワグナスは不思議な呪文で辺りを闇に染めて、得意げに微笑む。
 周囲数メートルの廃墟が夜に姿を変えて、僕もニーズさんも驚きに目を見開いた。時間を少しずらした奇跡、範囲内の昼夜逆転の呪文だった。

「多分、シャンテさんは夜しか姿を見せられないようでしたから…。気づいて出てきて下さると良いのですけれど…」

---

 賢者が作ったかりそめの夜の町に、姉さんはすぐに姿を現してくれた。
 アリアハンで擦れ違った、その姿のままで、…そう、姉の姿が別れた当時のまま、僕だけが成長していた。

 姉は幻のようで、闇から染み出すように姿を現す。
 そしてすぐに、駆け寄った僕と姉さんはしっかりと抱き合って再会を喜んだ。

「姉さんっ!ごめんなさい!あんな酷い目にっ!僕のせいで……!」
 余りに痛い姿を思い出しては、強くしがみついて、涙が滲んでくる。
「会いたかったわ…。リュー…。いいえ、何も辛い事なんてなかったわ。あなたが無事でいてくれたのだもの。それだけでいいのよ」

 抱き合えば、姉の体は冷たくて…。
 聞かなくても、姉が確かに過去に死した人なんだと、思い知らされて悲しくなる。

「…姉さんも、夜だけ現れる、この町の亡霊なの?ミレッタがどうなったかは知っている?」
「私は、夜にしか姿を現すことができないわ。場所も、ここか、あなたの傍にしか行けないの。ミレッタは、…多分、私と同じ、〈オーブと同化して〉存在していると思うわ」

 僕より背の高い姉は、抱きつく僕を優しく見下ろしながら、不思議な言葉で沈黙させる。
「あの日、私は確かに死んだの。けれど、女神は私を守ってくれたのね。私の想いを守護して下さった。グリーンオーブの持っていた力は『守護』。私の魂はオーブと同化して、今ここに在るわ」

 ここに、    と姉は自分の「胸」を押さえて、僕、そして勇者と賢者に伝える。

「けれど…。ごめんなさいね。オーブは例え他の何者が望もうと、この子以外に渡すつもりはないの。…多分、ミレッタも同じ。あなたが望むなら、私は今すぐに消えてオーブを残すわ」

「消えて…。消えてしまうの、姉さん」
「なるほど…。見つからないはずですね。では、シルバーオーブも…」

 僕が、しんみりしていると、空気を読んで、ニーズさんが提案してくれる。
「まだ、全部のオーブは見つかっていません。所在がしっかりしているなら、シャンテさんが消えるのも、全部見つかってからでいいと思います。…せっかく会えたのに、もうさよならなんて…。ね」

「いいんですか、ニーズさん…」
「うん。そうしよう。たくさん話したい事もあるよね」
「はい。たくさん…。ありがとうございます」

 シャンテ姉さんは亡霊であって、オーブの力によって実体を持つことができている夜にだけ会える幻。
 それでも、少しでも長く、一緒にいられれば嬉しいと思う。


「ありがとうございます。勇者様。それまで、私の魂はオーブと、この子と共に」
「あ、姉さん。聞いて、僕はね、ニーズさんと一緒に戦う事にしたんだ。これからは暫くランシールに行くよ」

「……。そう。そうなのね…。やはりそれが、あなたの往く道なのでしょうね」
 頭を撫でて、姉さんはふと、視線をテドンの町の中央に移す。

「この町の教会、裏の墓地にリーラと言う女性の墓があるわ。その墓を掘りなさい。棺の中に、神の弓、クレセントアローが隠してあるわ」
 三日月の名を冠した、ラーミアを守護した戦士の弓。
 引き継ぐ者は、僕であると言われてきた。

「本当は生きてるうちに会わせてあげたかったけれど…。あなたの母親の墓よ。何度も子供を返してくれと頼みに来て、あなたの事をばらそうとして殺されたのね。でも、今まであなたの弓を守ってくれたわ。この町の僧侶だった。母の愛ね」
「…お母さん…」
「ミトラは遥か空にて、ラーミアは風と共に空を舞う。隼は大地を奔るひとすじの閃光。神の通る道を光で拓くもの。そして神の三日月は、ひとすじの光を放ち、翼の通る道を拓く」
 姉は教えの一つを標し、僕の背中をそっと押す。

「隼の剣と対を成す、ミトラ神の聖なる弓よ。…あなたがあの子と惹き合ったのも、きっと導きなのでしょうね」
「……!そうか…。じゃあ、僕はこれで、本当にアイザックと並べるんだ!」


 神の弓へ、そして母へと向かう足取りは逸った。
 もう一人の勇者を守る僕の相棒。隼の剣をイシスで思いもかけずに手にして、正式に剣に認めて貰うのだと、ランシールへ向かう。
 意気込み溢れて強い瞳で僕に話してくれた。

 勇者を僕も、「彼」と同じように守ることができる。
 僕がアリアハンへ飛んだのは、二人の勇者と、君と言う相棒に逢う為。
 大地を奔る隼、そして、    空を守る、三日月。



ネクロゴンドの呪いは、まだ解けてはいない。
魔王バラモスを倒すまで、テドンの夜は廻り続けるだろう。

でも、呪われた夜を貫く、月の光を僕は手に入れる。
諸悪の根源魔王バラモスを、僕も的に射止めるために。



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