「助けて…!」
必死に僕は祈っていた。僕を飲み込もうと伸びる、
亡者たちの腕からただ逃げたくて。
「何処にいるの…!?誰なら、助けられるの?」
僕は『誰か』を懸命に探していた。
消える事の無い、深い懇願のままに。

「助けて…」


赤い血の色に染まった大地は、
もはや誇り高い王国の名を捨てようとしていた。
「何処へ、行くの。僕のせいで、…さんは…!」

「この町は…!」
「この国は…!」




「廻る夜 2」

-ISSAC-

 女にしてやられて、朝方近くまで俺とニーズは湖のほとりで動けずに、寝たまま放置されることになった。
 毒針には麻痺毒が仕込まれていたらしい、おかげで寝返りを打つこともままならず、身体はギシギシと嫌な軋み音を鳴らしている。悔しくて、俺は眠る事もできなかった。

 体もすっかり冷え切り、朝方、ニーズと二人で鼻をすすりながら町へと引き返してゆく。そこには在るはずの都市は待ってはいなかった。
 在ったのは、魔物にでも襲われたかのような崩壊した町。
 しかも、昨夜のうちに滅びたわけではない。

 建物、血の痕、数所に転がった魔物や人の骨。あちこちに我が物顔でうるさく鳴く大ガラスたち。建物の傷みも年季もので、ここが崩壊してから数年経ってしまっている事を明白に報せていた。

 何かに化かされたような気分で、暫く俺たちは廃墟を呆然と眺めているしかなかった。多分、本来テドンはきっと、
    こんな姿だったんだ。と、気づくまで、いくらか時間を要した。



 ワグナスなどは何か知っているのかも知れない、期待して泊まる予定だった宿(らしき廃屋)に戻るが、あの賢者はまた何処かへ行ってしまい不在。
 その代わりジャルディーノが、一人決意を固めたような面持ちで、廃墟にずっと祈りを捧げて待っていた。
 シーヴァスとサリサは具合が悪くて外出しなかったらしいが、俺たちはむかつく女の報告をひとまず行う。
 全ての疑問は、類まれな力を持つ、僧侶ジャルディーノの口から語られる事になる。

「テドンは、五年前にすでに崩壊していました。ネクロゴンド王国崩壊の、さきがけに」
「なんで、町があったんだ?皆で夢を見た…?まさか」
 あれだけリアルだったのに。
 俺が口を挟むと、赤毛の少年は「俺」に対して話し始める。

「この町は、時間が歪み、止まっています。また今夜、『同じ夜』が訪れます。『彼』が来るまで、永遠に」
「彼?」
「僕は…。ここに来る前におそらく、テドン崩壊の一部を夢に見ました。この町はある王子の…。裏切りによって、崩壊しています」

 王子の裏切り?
 俺だけでなく、仲間達は顔を見合わせた。
 ネクロゴンドは、王家の者の「裏切り」によって滅びたと過去は教えるのか…。

「時間の歪みは、人々の恨みと怨念を集めて、魔王バラモスがかけた呪いです。その王子を呼び戻すために。この町、いいえ、おそらく、この国の民は…。裏切り者の王子のせいで死んだのだと、果てしない憎しみを燃やしています」
 もったいぶる、ジャルディーノの語りはだんだん辛そうに震えてくる。
 何故か俺に対して、酷な宣告でもするかのように。

「ジャルディーノ…。まさか、その王子って言うのが…。言わないよな」
 急かして、ニーズは返事を求めた。
 俺は、答えに     聞くことに、一瞬恐れを抱く。そんな事あるわけないと、頑なに心の中で繰り返しながらも。

「ネクロゴンドを守護していた二つのオーブ。そして国宝の聖弓を持ち出し、王子は国を裏切り、…王国を魔物に明け渡そうと…。オーブと弓を失った国は、力を失い、瞬く間に占領されて…」
 話の重みに拍車をかけるように、背景にカラスの鳴き声が響く。そんな演出は欲しくはなかった。
「この町の呪い、僕には解く事ができませんでした。民は待っています。裏切り者の王子が戻り、自分たちに裁かれる事を。…つまりは、王子の『死』なくして、彼らは浮かばれる事がないのです」

 ジャルディーノの瞳に苦渋が滲んで、俺は口元を押さえて信じられずに、呪われた地面を見つめた。
 言わないで欲しいと思った。
 俺が知りたかったのは、そんな宣告じゃなくて     

「裏切り者の王子の名は、リュドラル=ウル=ネクロゴンド。アイザックさんの友達です」
 ざわりと、全員の感情が、風のように渦巻いた錯覚が見えた。


「…んな、馬鹿な…。アイツが、裏切り者…?国を、売った?魔物に……」
「間違いないです。…すみません」
「は、はは。嘘だ。…オーブも、そんな弓なんかも持ってない。嘘だ。嘘だ!なにかの間違いだ!!」
 ジャルディーノを疑いはしない。
 けれど、冗談にしたいと思った。

「信じられるかそんなもの!違うって!!」

 重い空気を吹き飛ばしたくて、俺は叫び、すぐ横で愕然としているニーズに向き直る。
「ニーズだって、知ってるだろ!?アイツそんな奴じゃない!いい奴じゃんか!優しいだろ!?人違いだ!有り得ない!!」
 一人動揺して、俺は同じくリュドラルを良く知るニーズの襟首を掴み、必死に同意を求めて揺らす。

 色んな事が頭で回って、視界がニーズと交互にフラッシュバックする。
 一緒に城へ訓練へ行ったりしたんだ。近くの森へも二人で小冒険に行ったりしたんだ。祝いの日にはお互いの家に遊びに行って、泊まり合ったりしていたんだ。
 畑仕事も良く手伝ってくれた。
 いつもほのぼのしてて、気回りがきいて、いい奴だったんだ。
 優しい奴だったのに………!!

「……。俺も、信じられない。記憶が無くたって、人の本質なんてそうそう変わるもんじゃない。今まで、アイツにそんな悪どさみたいなモノを、感じた事がない」
 俺の肩に気遣ってふれ、ニーズはジャルディーノに悲しそうに視線を流した。

「…僕も、本当は信じられません…。でも、民は待っています。あのリュドラルさんを待っているんです。憎しみを晴らすために」

「なんだよ!まさか、アイツを差し出すとか言わないよな!」
「……。だから、あの女も、リュドラルを連れて来るのを止めたのか…?」
 俺の肩を制止したまま、ニーズはぼそりと呟く。
「知らない方がいい事もあると。…背中の傷は、…裏切り者への制裁か?

 …本当に……。
 
 本当にそうなのか。裏切り者なのか。国を売ったのか。
 アイツのせいでネクロゴンドは崩壊したのか。
 事実目の前に滅びた町の姿を捉えて、俺の視界は真っ暗になる。

「そう言えば、アイツ。オルテガさんの名前…。聞くといつも嫌な顔してた。まさか、本当にアイツ魔物側なのか。そんな…。あああああっ!嫌だ!疑うなんて最低だっ!!」
「すみません…。でも、多分、オーブの行方はリュドラルさんしか分からないと思います。どうしますか…」
「呼べるわけないだろう!?アイツを殺したがってるような町に、なんでのこのこ連れて来なきゃならないんだよ!見殺しにするのかよ!ふざけるなっ!!」


「……。アイザック、少し落ち着け。…落ち着いて、少し考えよう」
 取り乱して、頭が回らない。
 ニーズは廃墟から一度出て、女と会った湖の傍で休憩しようと皆を移動させる。

 顔を洗って、それでも、思考はグラグラしていた。
 陽が昇り、山間の湖をキラキラと輝かせる。
 でもそんな景色を見ても、俺の気持ちは一行に晴れはしない。

 女二人が朝食の支度を始め、俺も食事に呼ぶが、断ってずっと草の上に座って湖を眺めていた。
 朝食の時間を過ぎて、昼飯時も過ぎて……。

 このまま、何も聞かなかった事にして、リューには何も知らせずに…。それでいいじゃないかと思った。
 でも、それだとオーブの情報は手に入らないかも知れない。
 ネクロゴンドの呪いは解けない。
 友を犠牲にするのか、先に進むのか…。



「アイザック…」
     !!」
 考えていた本人が、後ろから俺を呼んだ。
「朝も昼も食べないで、皆心配してるよ?はい、おにぎり」
 多分サリサ辺りが持たせたおにぎりを差し出して、金髪の少年は俺の隣に座り、少し悲しげに微笑む。
「ワグナスさんが迎えに来たんだ。話はだいたい訊いた。僕って、ネクロゴンドの王子様だったんだね…」
 せっかくおにぎりを二個貰っても、俺は胸がいっぱいで。一口も食べれずにずっとこの手に掴んだまま動けない。
 悔しくて、胸が張り裂けそうだった。

「…ちっくしょ…。なんで来るんだよ。お前、殺されるかも知れないのに…」
「それだけの事をしたなら。しょうがないと思ってるよ」
 遠くの景色をただ眺めて、穏やかな瞳は悲しいことを言い始める。

「ありがとうね。心配してくれて。でも、きっといつかは来た事なんだよ。背中の傷も消えない僕には、避けられない運命みたいなもので。今まで本当に楽しかった。アイザックにも感謝してるよ」

「さよならみたいな事言うなよ。お前が裏切り者なはずないだろう……?」
「ひょっとしたら、僕ってば忘れてるだけで、すごく悪い奴だったのかもね…。もし魔王側で、皆の敵になるようだったら、アイザック、遠慮しないで倒してね。僕の事を…」
 たまらずに、顔を上げて横顔を見つめる。
 なんて事言うんだよ。そんなことできるわけがない。
 そんなこと悲しすぎる!

「最期かも知れないから、言っておくね。本当にアイザックとは、いい友達でいられた。毎日楽しくて、幸せだった。ありがとう…」

 これで見納めなんだろうか?
 品のいい笑顔で、握手を交わし、ずっと一緒にいたはずの友人は立ち上がる。

「ま…!待てよ!リュー!!」
 追って立ち上がる、俺を背中越しに見たリュドラルは、どこか威厳を持って俺を制止させた。
「僕にも、戦わせてよ。ずっと羨ましいと思っていたんだ。アイザックみたいに、ニーズさんに僕も着いて行ければ良かった。ナルセス君みたいに、新しい修行までも始めて」
 俺を言い聞かせるために、友人は知らなかった胸の内を語る。
 多分俺と同じように、リュドラルにも自分なりの信念がその胸中に宿っていた。

「せめて自分の運命ぐらい、僕だって立ち向かいたいよ。もう、お母さんたちには言ってあるんだ。アイザックが戦いに赴くのと、なにも変わらないよ。僕も戦士なんだ。黙って見送って」


 見送るしかなかった。相方だった戦士を信頼して。
 あまりにこの国の風が冷たいと思った。



 テドンの町にかけられた呪いは、リュドラルが町に踏み入れた事で発動するのか。
 …分からない以上、警戒して、ワグナスとジャルディーノがリュドラルに付き添い、俺たちは後方にて様子を見守る。

 それを支持したのは賢者だった。
 今思えば、多分わざと俺たちを離した。

 陽は空に高く昇り、寂しい廃墟を眩しく照らしていた。
 町へと数歩入り込むとリュドラルは立ち止まり、何か気になったのか、周囲の風の流れを追いかける。

 懐かしい匂いが風に漂う、しかしいるはずの人影は    ない。
「…知ってます。この場所。…姉さんは?」

 自分で口にした名前に、リュドラルは自分ではっとして驚いた。

    そうだ!…姉さん…。シャンテ姉さんは…?姉さんはどうなったんだ?あれから…。アリアハンでも会ったのに!」

 姉の存在を思い出して、リュドラルは廃墟の町を奔り出した。付き添いのワグナスとジャルディーノも追い、その少し後方に俺たちも続く。

 …が、突然竜巻のような、空間の歪みが俺たちを押し戻す。
 風のうねりではなく、空間が歪んで俺たちを弾き飛ばす。ジャルディーノもワグナスも俺たちも吹き飛ばされ、それぞれ各所に叩きつけられて痛みに呻いた。

 賢者ワグナスは巧く着地し、先に奔ったリュドラルの姿が消えた事を確認していた。空間の唸り声が徐々に拡散して往き、邪悪な気配に敏感な僧侶二人は波動を受けて悲鳴を上げた。

 地面に吹き飛ばされていたサリサは、邪悪な気配が体を横切り、全身総毛立って悲鳴で空を引き裂く。
「ハアッ…!何これっ!きゃ…!きゃああああアアアアアッッ!!!」
「サリサ!しっかりして下さい!」
「さ、寒い!寒い!サムイーーー!!!何かいるーーー!!!」

 シーヴァスが駆けつけたが、サリサは全身を青くしてガタガタ震えて地面に這いつくばった。
 ジャルディーノは吐き気がするのか口を押さえ、とんでもない名前を叫び、空に挑むように立ち上がる。
「魔王バラモス…!王子をどうする気なのですか!?」
 空はたちまち暗雲を巻き、くぐもった歪んだ空から何者かの邪悪な声が嘲笑を交えて闇に木霊する。

「ゲハハハハ」

「王子はオーブを手にするのに必要でな…。ネクロゴンドの祠も王家の者にしか扉が開かぬ。王子は大事な生贄よ。ラーミアの守護たる血筋、継承者を、ずっと待っておったわ…」


「魔王バラモス!?リュドラルを返せっ!!!」
 隼の剣を抜き、俺は空間の竜巻に対して斬りかかろうと奔る。
 しかし信じられない相手にそれは阻まれる。
 杖を操作し、隼の剣を叩き飛ばした、…のは緑の髪の賢者。

「リュドラル王子には、オーブの在り処を思い出して貰わなければなりません。そして弓の在り処もです。酷ですが、これも必要な事」
「ワグナス!貴様!!」
「…すみませんね。全てにおいて最優先されるのは、個人ではなく、全体、故」



 後悔した。
 激しく後悔した。

 大事な友達を、みすみす敵に渡してしまった馬鹿な自分の事を。
 しかも賢者に嵌められて、まんまと友達を目の前で消された。

「大丈夫です。信じて下さい。リュドラルさんは、…戻って来ます」
 いつものように、にこり。バラモスの気配、空間の歪みが消えるのに合わせて、ワグナスまでもスウッと姿を消す。

 賢者の笑顔一つで、俺の後悔が消えたら世話がない。
 弾き飛ばされた隼の剣の光が、酷く悲しく地面でぶれていた。

 力を失い、俺はへなへなと朽ちた大地に座り込み、肩を落とす。
 廃墟にもう人影はない。
 友人の姿が、もう見えな    

-NEEZ-

 無駄だとは解っていたが、それでも滅びた町の中を俺たちは懸命に探した。
 消えた王子の姿を。
 痕跡さえも何処にも見当たらず、やがて日が暮れ、都市は再び栄華な姿を映し出す。ぼんやりと町が霞み始め、闇の中にテドンの都市は復活する。
 滅びの夜がまた今日も、繰り返されようとしていた。


 アイザックを無理やり休ませ、夜の町へは俺一人で再び入って行く。
 昨夜見た光景が重なる時も度々合った。本当に同じ夜が繰り返している。

 町を行く途中で、同じようにここに来ている海賊頭のミュラーに出くわすと、念のためリュドラルか、もしくはあの女を見なかったかどうかを訊いた。
 どうせまやかしの、意味の無い通行人達に聞かれるのも構わずに、道の中央で女頭はぼやく。
「はて、その女…。その容姿から言って、シャンティス王女じゃないかしら。私も情報は掴んだわよ?裏切り王子の共犯者。でも、この町で見せしめに殺されているわよ?それはもう、むごたらしく…。別の町の文献に残っていたわ」

「な、に……」
「逃げた王子をおびき出そうと、公開死刑。でも王子は現れなかった。ってね。でもその後で結局、ネクロゴンドは魔物に総攻撃されておじゃんだったんだけどさ」
「………」
「なあによ。王女の亡霊でも見たん?ん〜?」
「…なんでもない」
「あ、それとさぁ…」
 去り際ミュラーは耳元で、「今度追加料金払ってね」と断りながら、オーブに関する情報を一つ置いてゆく。

「どうにも、この町奇妙だわ。山彦の笛もね、夜にだけ反応して、山彦を返してくるのよ。しかも返って来る山彦も妙。曖昧で、場所も特定できないのよね。ちょっと変わった状況で保管されてるのかも知れないわ」
「……。わかった。またサリサがいいなら連れて行ってくれ」
「わお!勇者様ってば話がわっかる〜!毎度あり〜♪♪♪」
 スキップするように足が浮かれたミュラーは、鼻歌まじりに反対方向の群集に消えて行った。

 消える前にリュドラルが口にした名前、シャンテ。
 シャンティス王女、姉、おそらくあの女がそう。
 でも、殺された……?


 じゃあ、あの女は一体なんなんだ。亡霊?
 俺は振り返り、もう一度このテドンの町を凝視する。多くの人間が通り過ぎて行く。今となってはすでに死んでいる、幻の人間たち。

 この町で死んだ王女。この町の夜に出逢った女。亡霊。
 あの女の腕は、ひどく冷たくなかったか?まるで死体のような…。

 途端に、町をうごめく人々が、全て恐ろしく見えてきた。
 公開処刑、この町で行うなら、何処でやる?

 見せしめなら町の最も目立つ場所で。俺の足は中央の大通り、観光名所にもなっている大きな噴水公園に進む。
 教会と噴水公園は繋がり、美しい公園には夜でもカップルなどが溢れていた。
 探していた、女は確かにそこに彫像のように微動だにせず、教会の女神像の前で俺を待っていた。

 女神像は良く見るルビスとは異なり、背中に翼が生えていた。
 アリアハンでも、今まで訪れた他の国でも、そんな女神像は見たことがない。


「……。お前、シャンティス王女か?」
 女神像と対峙していた、長身の美女に俺は後ろから声をかける。
 振り向いた女は、燃えるような瞳で、すぐさま俺の頬を力任せに叩き撃つ。

 視線は殺意も見えるほどに激昂していた。顔に暗い影を落とし、ぶたれたまま、動かない俺をもう一度反対から大きな音を立ててぶつ。
 殴る方も痛いだろう、音を残して。

「何故、あの子を連れて来たの。何故!助ける事もできないくせに!守る事もできないくせに!『光』もないくせに!」
 叩かれた意味が予測できたから、俺は何もやり返さないで、じっと責め苦を聞いていた。

「あなたなんて勇者じゃないわ。ままごと遊びよ。あなたには誰一人だって、守る事はできないわ。あなたは弱いもの。どうして…。どうしてアリアハンでそのまま暮らしておけなかったの。あの子はそれで幸せだったのに!」
 連れて来たのは俺じゃなかったが、止めなかった俺は素直に謝った。

「すまない。…教えてくれ。リュドラルを助けたいんだ。俺は何をしたらいい?お前は姉のシャンティス王女なのか?お前はもう、守っても仕方ないか?」

「……!私なんて…」
 瞳の端に涙がよぎったが、顔を背けて、女は周到にそれを隠す。
 女神像に片手をかけ、淡々と彼女は自分を教えた。
「私はシャンティスよ。でも、そう呼ばれるのは嫌いなの。私はシャンテ。名目上は王女、でも、扱いは王女じゃなかったわ」
「そうか…。じゃあお前も、この町の亡霊なんだな。ここで、殺されたのか…?」

 海賊頭は言っていた、見せしめに、むごたらしく殺されたと。
 水浴びの時見えた背中の傷、あれがそうなのか。それともそれだけじゃない?

 一体どれだけの、悲しみをこの女は背負っているのか。

「……。あなたじゃ、あの子を助けられないわ。私はすでに死んでいるもの。守るなんて馬鹿馬鹿しい」
 亡国の王女、シャンテは自虐的に含み笑う。
「そうか。でも、こうして話せるなら、リュドラルとも話せる。…本当は会いたかったんだろう。アリアハンでも見てた。ずっとリュドラルの傍で見てたんじゃないのか?本当は話したくて」
「……。やめてくれる…?あはは…。笑えるわ…」
 女神像から離れて、教会の影に隠れるように、シャンテは静かな足取りで逃げて行く。追いながら、背中に呼びかけていた。

 どこかで、きっと、共感していたせいかも知れない。

「バラモスに捕われたなら、魔王を倒せばリュドラルは救われるか。魔王バラモスを倒したら、リュドラルも、お前も救われるなら、約束する。必ずバラモスは倒す。どんな事をしても」
 夜の教会に明りはなく、建物の影に隠れた女の表情は読めない。
 教会の壁に寄りかかり、不思議そうにシャンテは俯きながら俺を見つめる。

「どうしてそんなに必死なの。罪悪感がそうさせるの?」
「……。言っただろう。リュドラルは友人なんだ。そして、俺の兄貴も、多分大事に思ってる。リュドラルの奴、アンタの事心配してた。きっと再会を喜んでくれる」

 罪滅ぼしと、境遇への共感、
 必死だったのは…多分そのせい。


「記憶が無い間も…。リュドラルは心配していたよ。誰か大事な人を忘れてるような、ってさ。きっとお前の事だったんだ。お前にだって、大事な弟だったんだろう…?姉弟離れてるなんて、そんな辛い事はない…」
 忘れている以上に、悲しい事なんてあるか。
 大事な家族の事を。

「確かに嫌な事も思い出しただろうが、お前の事を忘れているよりはましだとか、思うかも知れない…。アイツなら」
「ふふ…」
 笑い声じゃなく、女は涙に肩を揺らした。
「いやだわ。…あの日から、泣いたことなんてなかったのに…」

 最近、ますます身に染みて思う。
 女が泣くのは苦手だった。
「ねぇ、ちょっとあなた。胸を貸してくれないかしら」
 珍しくあどけない表情を見せて、俺を誘う。
「本当は、あなたじゃないの。あの子を抱きしめたいのよ。今まで、できなかった。私を忘れて、全てを忘れて、幸せに暮らすあの子の前に、私が出て行ったら全てが壊れる」

「……。冷たいな、お前。他の町人はそうでもないのに…」
 宿代のやりとりや何かで触れた町人は、ここまでは冷たい体をしていなかった。シャンテは俺の胸に寄り添って、弟の代わりに俺の背中に腕を回す。

「それはそうよ。彼らは死ぬ前のまぼろしだもの。私はすでに死んだ者。火に当たっても、このままよ」
「リュドラルに会ったら、好きなだけ抱きつけよ。きっともっと幸せになれる」

 …俺も、想っていた。
 会いたいな。ニーズに。


「あの子はたった一人の家族よ。血じゃない、絆をくれたのはあの子だけなの。国も世界も、最期には見えなくなった。あの子を…、助けて…。私の、希望なの…」

 ひとしきり、声を殺してシャンテは泣き、俺は気が済むまで泣き終わるのを待っていた。公園通りを通り過ぎる人影はまばらになり、女の慟哭も息を潜めてゆく。
 宥めながら、月を見上げて、俺は質問する。
「俺は信じちゃいないが…。本当にお前らは国を裏切ったのか。オーブと弓を盗んで、魔物側に与しようとした?違うだろ」

「………。ふふふ」
 笑う、声には…黒いものがこもる。

「信じてくれてありがとう。…そうね、でも…。『国は裏切った』、のかも知れないわ。だって、この国が世界を裏切ろうとしたんですもの…」
 悲しい女だけれど、俺は垣間見た。憎しみを抱いているのは、殺された国民だけではない、ここにも存在していることを知る。

「誰も知らなかっただけよ。ネクロゴンドが、オーブと弓を渡して、自国だけ助かろうとした事なんてね…」
 国を憎む、女の瞳は復讐心に燃える。

-SYANTE-

「何から、話したらいいのかしら…。胸を貸して貰えてすっきりしたから、話してあげるわ。信じるも信じないも、自由よ」
 夜風が吹いて来て、少し彼が寒そうだったので、私は教会の裏口を開け、礼拝堂に案内する。

「お前は盗賊なのか?」
「いろいろと覚えなければ、生きていけなかったのよ」
 私は勇者の戸惑いも笑いながら、何度見ても胸が傷む、女神像の前に立つ。

 翼を持った女神像、それはネクロゴンドでも特定の場所にしか置かれてはいない、神聖なるこの国の隠された女神。

 珍しそうに礼拝堂の中心に祭られた女神像を見上げる、黒髪の旅人に私は内緒話で教えてあげた。
「知らないでしょう?ラーミアよ。ラーミアを女神として信仰しているのはネクロゴンドだけ。…でもね、ラーミアってね、王家だけが知っているけれど…」
 手を添えてこっそりと教える、旅人ニーズは残念なことに反応は薄かった。

「……へぇ。知らなかったな。そうだったのか」
「ネクロゴンド王家は、ラーミアの守護者だった神の戦士の末裔らしいのよ。神の与えた弓も国に在ったの。誰でもが使えたわけじゃない。…考えれば、全てはそこから始まったのかしら」
 私は礼拝堂をゆっくりと一周しながら、滅びた王家の確執を一つ一つ、編み物にして彼に渡すことにする。

 礼拝堂の高い天井、横に並んだステンドグラス。
 ステンドグラス越しの月明かりは鮮やかに、薄暗い礼拝堂の床に色を映す。
 一色ごと踏むようにして、私は礼拝堂で舞った。

「ネクロゴンドは、世界の頂点に立っていたわ。確かに領地も大きく、豊かで、神の加護もあった。軍事的にも強国だったわね。国には二つもオーブが在ったの。元はラーミア、魔王によって砕かれた神の鳥の六つのかけらの二つ。ネクロゴンドがラーミアの守護者の末裔だったのだから、オーブがあったのはまぁ当然ね。それによって、国は結界を張ったように守られていたわ」

 ニーズは、礼拝堂を周る、私を棒立ちで目で追っていた。

「私ね、王家が嫌いだったわ。プライドばかり高くて、血筋や面子にこだわった、固い人間ばかりだった」


 可哀相に、リュドラルは…。
 王位継承権の最下位、果て地にいながらにして、聖なる弓の継承者の証を持って生まれてきた。
 大勢いた王子の中の、一度の過ちで生まれてしまったような子。
 継承者の証たる『聖痕』を体に持っていたがために、母から奪われて、けれど王族に名を連ねる事も無かった。
 母にもその後会わされることもなく。『聖痕』も封印された。

 殺すこともできない、面倒な子供、王家は彼を監視下に閉じ込め、継承者も不在として隠し続けていた。
 弓に選ばれなかった者たちのやっかみも受けながら、それでもあの子はとても優しく生きていた。


 私も、王家の姫が浮気先で孕んだような娘。
 生まれてから浮気がばれて、慌てて捨て、後々その浮気相手と再婚したがために呼び戻された。
 けれど、王室の暮らしが合わず、私は常に浮いていた。

 …当然よね。捨てられた私は、盗賊をやって生きていたのだから。
 偶然、あの子と私は王城敷地の最も隅の隔離塔にて出逢った。

「あの子は可愛かったわ…。素直で優しくてね。偶然会ったのだけれど、素性を話したら、じゃあ同じ王家の、お姉さんなんですねって喜んで…」
 今思い出しても、楽しかった光景が鮮明で、自然と頬が緩む。
 私がまだ二十歳にも満たない頃で、リュドラルは十歳にも満たない幼子だった。
 友達が作りたくても作れないから、城の周りに棲む動物たちと親しくなって寂しさを凌いでいた。
 動物が好きで、自然が好きで、風や空や雲が好きだった子。
 そして、私をとても好いてくれた。


「初めて家族を感じたのよ…。弟になったの。私は姉になって…。時間を見て、私は通って。お菓子を持って遊びに行ったり、本を読んであげたり。外の話をしてあげたり。幸せだったわ、…ギアガに穴が開くまでは」

「ギアガの大穴、あれだろう?そこから魔物が出てきたって言う…。本当にネクロゴンドの城の真横だもんな。同情する」
「他の国に開けば良かったのにね。…。けれど、ネクロゴンドにはオーブの守護があったから、魔物も攻めあぐねていたの。ネクロゴンドを頼って、世界の国々も話し合いをしたわ。そのどの国もが、救援を要請する。はっきり言ってうざかったのよ。他の国が」

 女神像の前にまだ立っていた、アリアハンの勇者の正面にまで歩みは進み、私は中央の絨毯にまっすぐに、参列者のように佇む。
「人の言葉が解る魔物がやって来て、王家と取引をしたの。二つのオーブと、神の弓、そして、…弓の継承者を、差し出せと」

 女神の御前、けれど、私は復讐を祈ります。
 私は王家の人間を、「人」とは思わないからです。
 この国を焼き討って欲しい。消し炭になるまで。

 こんな場面でも、私は笑ってしまいます。だって、そうでしょう。本当に辛い時、私は笑うしかなくなったのだもの。


「用件を飲めば、ネクロゴンドだけは襲わないと。魔物は言ったそうよ。喜んで王族はオーブと、弓と、あの子を見捨てようとしたわ。大喜びだったのよ。自分の国は助かる。邪魔なあの子を消す大義名分もできて」
「笑うなよ。…こっちが痛い」
 礼拝堂の向こうから、勇者は声だけ伝える。
「それでお前、…逃げたのか」

「そうよ。国を裏切って、あの子を連れて逃げたの」
 半周終えて、再び私の足は礼拝堂の壁ぞいを伝ってゆく。
「王家の中や、仕える者達の中にはましな人もいてね。何人か協力者を得て、オーブの封印の解き方、持ち出す経路、逃亡先、死に物狂いで私は動いた。盗賊であった事を初めて嬉しく思ったわ」

「あの子は、最後まで迷っていたけれど」


 優しいあの子は、自分が魔物に売られる事には文句を言わなかった。
 ただ、オーブを魔物に渡してはいけないと王たちに進言して、生意気だと叩かれて帰って来る。その時にリュドラルは偶然にも、「もう一つの魔物側の条件」を聞いてしまっていた。


 もう一つの条件、それは…。

「勇者オルテガを罠に嵌めて抹殺する、手助けをすること。」


 あの子が盗み訊いた相談の中では、オルテガ抹殺を、リュドラルの弓で行おう、との暴言もあった。
 世界の希望の勇者抹殺を、それすらもまだ当時十一歳だったリュドラルに押し付けようとして。
 人殺しを要請されて、あの子は壊れ始めた。
 しかも、世界の希望の勇者を。
 自分は魔物におそらく殺されると言うのに。
 ネクロゴンド王家は後々、勇者殺しを問われても、きっとあの子のせいにしたのだろう。

 許せなかった。


 国を裏切る事に躊躇いはなかった。
 「殺したくない」「殺したくない」と哭く、あの子の手を取って私はオーブと弓を奪って逃げた。
 グリーンオーブは私が持ち、シルバーオーブはリュドラル付きの騎士(監視役)だった少女が持って逃亡。弓は先に偽者と摩り替え、本物はテドンに隠してあった。
 弓を持ち、騎士の少女と落ち合う場所も決まっていた。

 しかし、もちろん王家の追っ手はかかる。
 王家はこう思ったのか。なにも、差し出す継承者は、死体でも構わないだろうと…。
 初めてリュドラルは王子として国に名前を出され、顔を貼り出された。
 国を守護するオーブと弓を奪い、魔物に国を売ろうとした裏切り者の王子。晴れて「裏切り者」として、ネクロゴンドに名前が轟く。


「テドンで、私たちは追い詰められたわ。私は、あの子だけを必死で逃がした。そして、私は…」
 礼拝堂を一周して、額に額冠をした旅人の前に私は戻ってくる。
「人って、恐ろしいのよ。自分が悪と信じた者には、容赦が無いの。私は貼り付けられて、毎日どこか一つずつ斬り落とされていったわ。それでも良かったの。あの子が生きていたから」
「笑うなって。だから……!」

 どうしてか、わからなかったの。
 何故彼が苦しそうに、彼の方が泣きそうに悲しみを噛みしめていたのかが。

「あの子に友達がいて嬉しかったわ。ありがとう」
「……。お前を、生き返らせてやる術はないか。探す」

 遠慮がちに、彼は私の肩に手を置いて呟く。
 先ほど弟の代わりに抱きしめた距離から、半歩ほど離れて。
「…無理よ。嬉しいけれど、もう無理なの」
「そんな、…あんまりだろう。やるせない…」
「……。あなた、あの子みたいに笑わないけれど、優しいのね。ありがとう」

 抱きしめたいと思った相手は二人目。
 今度は弟の代わりではなく、間違いなく相手を感じて全身で抱きしめる。

 翼ある女神が私達を見つめていた。
 救われないさまよう魂と、それを哀れんだ勇者を。



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