「ゼニス様とラーミア様は、将来を約束されていると聞いています。もう何百年も、あなたを待ってくれているそうですよ」
「え…?将来…?結婚するの…?」
驚いて頬を染めたあの日から、
私は彼の人に早く会いたいと願って止みませんでした。
少しずつ天上での記憶は甦り、ぼんやりと、優しくして頂いた、あの方のぬくもりを思い出す。
永いこと、私を待っていて下さったあの方を、私は・・・・・・。
「堕ちた先」 |
聖女ラディナードの移動呪文でランシールへと戻り、私は一人白い部屋の奥、壁に彫り刻まれた主神ミトラの像を見上げていました。 「お父様…、許してくれますか…?」 いまだお会いしたことのない神の父。もしかしたら私の所業を許さないかも知れない。 …そう思うと、息は苦しくなり、勇気がしぼみ、私は暫く俯くばかりだったのでした。 「ルタ様・・・・・」 か細い声で、歌を教えてくれた夢の世界の神様を呼ぶ。 夢の世界ゼニスを治める天上の楽師、ルタ=ゼニス様。名前を繰り返しても、お会いできるかどうかは分からなかったのですが、私にはこれしか手段がありません。 「ルタ様…、お話したいことが御座います。どうか…」 願い祈る私の元に、やがて静かな竪琴の旋律が流れ、音色は意思を持つかのように、私の周囲をくるくると優しく廻り始めた。 ランシール神殿内の白く神聖な部屋にうっすらと霧が発生し、霧に雲のように腰かけて、待ち望んだ男性は演奏者として出現する。 唐突に開かれた、雲の上での演奏会。招待された私は曲が終わるまで静かに、そっと胸を押えて耳を傾けていた…。 「ようやく、呼んでくれましたね。シャルディナ」 美しすぎる演奏が終了すると、中世的な男性はふわりと雲より降りいでて、弟子に対してに柔和に微笑む。 蒼と翠の中間色をイメージとして、この方の印象は霧のように優しく、人を包む露気に満ちている。 私はきゅっと唇を引き絞り、今一度覚悟を決めた。 「ルタ様に、謝らなければならないことが、御座います」 「…お話なさい」 話す言葉の一つ一つでさえも、この方には演奏なのでしょう。言葉はふわりと私を促し、ルタ様の竪琴は指をふれずとも可愛い音をポロポロと鳴らし遊んでいる。 「わ、私は…。ずっと…。ラーミアとして甦ったなら、空へと帰って、ルタ様と一緒になるつもりでした。でも…、ごめんなさいです。できなく…なりました…」 緊張と不安とで、鼓動が激しく胸を打つ。ずっと待っていてくれたこの方を、裏切ることに良心がズキズキと痛んで苦しい。 「申し訳、ありません…。本当に、ごめんなさい…」 「貴女がよろしければ、理由を聞きましょうか。何故ですか」 「・・・・・・・・・」 数刻の間、呼吸するばかりで、言葉を生み出すことができませんでした。 「それは・・・・・・」 なお戸惑い、口ごもる私を見かねて、ルタ様は珍しくクスクスと笑った。 同調したように、竪琴も悪戯に軽快な高音を鳴らす。 「すみませんシャルディナ。本当は知っています。…と言うより、あなたがいつ話してくれるのかと、待っていたぐらいです」 「え…、え……!」 「あなたは私に言いました。自分のことはラーミアとは呼ばず、シャルディナと呼んで欲しいと。今この地上では、シャルディナなのだと・・・・・。ですから私は、その時にすでにもう、あなたは地上に残りたいのだと知ったのです」 すでに知られていたことに、私は両手で口を覆い、真っ赤になって小さくなる。 恥ずかしくて、顔から火が飛び出してしまいそうでした。 「あなたはシャルディナでいたいのでしょう。知っていましたよ」 「…は、はい…。地上に、残りたいです…」 「あなたも、ルビスも、ラーもワグナスも、地上の人が大好きですね。少し羨ましいです。そして…、翼を取り戻したのですね、シャルディナ」 ルタ様は背中の翼にそっと触れ、懐かしそうに瞳を細める。 過去に自分でむしり取った翼、今は少しずつ私の誇りに変わりつつあった。 「お聞きなさい、シャルディナ。ラーミアはとても勇敢で、美しく、そしてこの地上をどこまでも愛していました。この世界の危機に、まだ若いラーミアは自ら戦いに赴いたのです。眩しかったですよ。とても・・・・・。あなたは地上に堕ちて、飛び方を忘れてしまったのですね。あなたは本来自由な鳥。ラーミアはいつも自分の望む場所へ、奔放に飛んでいたものでした。もう思い出したでしょう。お行きなさい。あなたの好きな空へ」 「ルタ様・・・・・!」 腕を伸ばし、私は涙を流してその胸に飛び込んだ。 何度も謝り、そしてお礼を繰り返し、涙を拭う。 背中を優しくなで、ルタ様は詠ってくれる。 「あなたを縛るつもりはなかったのですよ。許して下さい。あなたは私だけにではなく、神々においても大切な娘です。全神々、そして世界が、あなたの未来を祝福するでしょう。ミトラ神様もです」 「お父様も…、許してくれますか…?」 家族に咎められることは悲しくて、想像するだけで泣きたくなってしまう。まだ見ぬ父に嫌われてしまうことは悲しい。 「隼の剣が彼に渡っているのです。彼も認められていますよ」 「…そ、そうですか…」 私は安堵して、指で濡れた目元をこする。 ルタ様は再び霧状の雲にふわりと腰かけ、祝福の音楽を奏で始めました。 どこまでも優しい音楽のような方。ふと私は思い立って…、物知りなルタ様に質問していたのです。 「あの、ルタ様は…、太陽神ラー様とは親しいのですか。ラー様は、何処にいらっしゃるかご存知ではないですか…?」 サマンオサで戦いながら、常に太陽神と重なる赤毛の僧侶、彼のことが気になっていた。ラーの鏡を本当に使用した、彼がどんな存在であるのか、賢者ワグナス様でも明確な返答は貰えていません。 詳しく訊ねたくても、ワグナスさんは暫く誰も姿を見ていないのですが・・・・・。 ルタ様ならご存知かもしれないと、期待に胸は高鳴る。 竪琴の指を止め、夢の世界の神様は、意外そうに数回まばたきして、呆気に取られていたのです。 「…呆れました。ラーは、まだあなたに会いに来ていないのですか」 「えっと…。はい…。まだ、何も・・・・・」 会いに来てくれる予定だったのでしょうか? 意外な反応に私も驚き、口元に手を当てて考え込む、ルタ様を眺めて不安に揺れる。 「ラーは仕事真面目ですからね。ラーミアと過ごす時間は殆どなかったようですが、あなたは会いたいですよね。どうにも寝坊しているようなので、起こしに向かいます」 「寝坊?何処かでお休みになっているのですか…?」 「…もうじき会えます」 意味深に微笑んだ、ルタ様は竪琴を弾きながら遙か上に視線を向ける。 「あなたやラーを見習って、私も準備を進めています。私にできる事の準備を…。ルビスを取り戻すための笛も、もうじき完成します。私も共に戦います」 心強い言葉に感動し、手を合わせて喜んだ。 「嬉しいです!ありがとうございますルタ様!」 ルタ様に見送られ、私は部屋を後にしました。 一人霧の中に佇んだ夢の神様は、ミトラ神の彫像を前に、一人ごとを呟いている。 「…はい。ラーミアはこの戦いが終わった後は、神の力を別に封印して、人として地上で暮らすことでしょう。それから、ラーは、私が迎えに参ります。…丁度、彼の周囲に不穏な動きが見られるのです」 話す夢の神は、見せたことのない鋭い視線で決意を語る。 穏やかな吟遊詩人の奥にも、確かに戦意は存在していたのです。 「…我々は常に後手後手ですね。…ええ、でも、必ず間に合わせます。ラーまで『石』になど、決してさせません」 やがてひとり言は聞こえなくなり、周囲に立ち込めた霧もスーッっと晴れてゆく。 ミトラ神の彫像は物憂げに、世界を見つめているように見えた。 |
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サマンオサ城下町に再び魔法で戻った私は、街の中で働く彼の居場所を探す。 人に訊ねて回るけれど、忙しい彼の居場所は聞くたびに変わっていった。 城内での野菜の千切り作業から、民家の修復の手伝いや、木材の配送やら…。通りがかったおばあさんの荷物を運びに家まで行ったとか、とても彼らしくて笑ってしまう。 夕刻迫り、陽は傾き始め、大きくなった太陽は赤みを増していく。 追いかけて走る私は何故かタイミング悪く、彼が移動した後に辿り着くばかり。呪われてるのかなと疑ったほどでしたが…。 でも、どうしても早く伝えたい。 街を走り回り、たった一人の少年の行方を追う。 「あ、あのっ…。ここにアイザックがいると思うのですが…」 「おおっ。女神様!アイザックなら、この先の民家の応援に行ったよ。ついさっきだ」 「そ…、そうですか…。ありがとうございます…」 「そんなに息を切らせて大丈夫ですか?女神様」 「ハア…、ハアッ…。は、はい…」 ようやく、会えるかな?とドキドキしつつ、数件先の民家をうかがう。 壊れた民家の修復作業に汗水流し働く彼を見つけて、私は思わず物影に慌てて隠れていました。 彼はいつも、健康的な汗を流している気がします。すっかり町の人達に溶け込んで、馴染みの作業仲間のように、わき合い合いと働いている。 「・・・・・・・」 こっそりと隣の民家に隠れて見つめていると、彼の告白を思い出して、ボッっと体温が上がり真っ赤になった。 「あっ。やだっ。どうしようっ!」 一人でジタバタしていると、私に気づいた子供達が袖を引く。 「ねえねえ女神様。おうた歌って」 「また歌聴きたい〜」 今の私は翼があるので、実は相当目立っているのでした。子供数人に歌をせがまれ、周囲の大人たちには「何してるんだろう?」と言う目で、注目を浴びているのに今頃気がつく。 「あ、ごっ、ごめんね。今忙しいの…。また明日…」 「えーーっ」 「やだやだ〜!うわ〜んっ!」 小さな女の子に泣かれてしまい、仕方なく一曲だけ路地裏に屈んで小声で歌う。 いつの間にか子供が増え、なかなか抜け出すことができず、結局五曲も歌うことになってしまいました。 西の空が真っ赤になり、気がつくと、作業場から彼の姿が見えなくなっているじゃないですか。 「あああ、あのっ。ここにアイザックがいたと思うのですが…っ!」 「もう帰ったよ」 「えっ。ど、何処へ…!」 「さあ?宿じゃないかな?」 残っていた男性に慌てて尋ねると、彼はもう、ここにはいないと知らされる。 泣きたい気分に襲われながらも、向かったと言われた方向に飛び出して走る。通りの先にそれらしい後姿を見つけて、私は名前を叫んでいました。 「待って!アイザック…!」 「あっ。女神様」 「こんばんは女神様」 多くの人が親しげに声をかけてくれるのですが、今となっては障害以外の何者でもない。人をかき分け、かき分け道を走り、曲がり角で左右を見てはまた走った。 人ごみの中に見失い、取り残された気持ちに沈んだ私は、ついには翼をはためかせることに決めた。 本当はむやみに飛びたくはなかったのです。目立つし、抱えて飛んで欲しいと願う人も多かったから。 けれど、そんなことは言っていられない。 空へと舞い上がり彼を探す。 …そうだ。嫌だな、私ってば。 随分、冷静さを欠いていたみたい。 彼は私の『羽根』を持っているのだから、冷静になれば居場所はすぐに見つかったのに。深呼吸をすると、ゆっくりと彼の頭上に降りてゆく。 「アイザック…!」 「…ん?…うわっ!!」 突然斜め頭上から伸びて来た白い腕。 首に絡んだ腕に驚き、アイザックは危うく前のめりに倒れそうになった。それをこらえて、後ろを振り返れば、誰が抱きついているのかなんてすぐに分かる。 「ど、どうしたんだよシャルディナ。びっくりするだろ」 またしても周囲の注目を集めてしまったので、アイザックの腕を引っ張って空へと逃げ出した。オレンジ色の空を抜けて、人があまりいない郊外へと飛び、樹木の枝にようやく落ち着く。 高い針葉樹の枝の一つにストンと座ると、ようやく私も息をついた…。 「何かあったのか?シャルディナ。そんなに慌てて…」 いきなり目の前に彼の顔が展開すると、跳ね上がって私は幹にしがみつく。枝に並んで座った彼、やはりいざ目の前にすると、赤面するばかりで動悸が治まりそうもない。 「 「はぁ?」 背中を向けさせて、ようやくまともな会話ができるようになった。 彼は隣に座りつつも、そっぽを向いてくれている。 「あ、あのね…。今日ルタ様に会って来たの…」 背中を向けさせた上でも、彼を見つつ話すことはできませんでした。足の上で両手を握りしめ、全身紅潮しながら、こわごわと話し始める。 「私…、謝らなくちゃいけないの…。嘘は嫌いだって言われたのに、私は嘘ばかりついてた。アイザックに嘘ついた…。本当は、一番つきたくなかった嘘を…」 サリサさんに指摘されたように、私は彼の気持ちを軽視しようとしていた。 どこかで信じないように、自分を嘲笑って誤魔化してしまった。 きっとあなたなら 「私は・・・・、本当は、嬉しかった。嬉しかったの…!あの時、びっくりしたけど…、嬉しかった。ごめんね…、傷つけて。ごめんなさい。本当は私も・・・・!」 その先が、なかなか言えなくて、何度も息を飲み込んだ。神妙な彼は横を向いたまま、返答に困っている様子。 真っ黒な、髪が好きです。日に焼けた頬も好きです。 広い背中も大好きです。真面目で、強くて、まっすぐな君が大好きです。 勇気を振り絞って、思い切って私は彼の背中をそっと掴んで震えた。 「まだ…。私のこと好きと言ってくれますか…。まだ間に合いますか…。断ってしまったけど…。君が大好きでした。あの時も、その前も・・・・」 背中を掴んだ指先から、私の震えと熱さが伝わってしまいそうに思った。 夜が近付き、冷えてゆく気温にも逆らって、私は燃えて塵に変わり、ふっと吹けば、どこまでも飛んで行ってしまいそうに揺らいでいる。 「シャルディナ…。俺、そっち向いてもいいかな…」 気の遠くなるほどに、私にとっては長い時間、沈黙していた彼は、ようやくぼそりと、そう聞いた。 「だ!駄目!絶対駄目!」 彼からは見えないのに、必要以上に首を振って禁止する。私とはうって変わって、冷静に思えた彼は、「じゃあこのままで」と言葉を繋げた。 「俺は、その言葉を信じていいのかな」 嫌な意味かと思い、一瞬にして体温が冷え切る。 もう、私の言葉なんて信じてくれないのではないかと・・・・・。 「やっぱり後で、夢の神と一緒になるとか言われても、すんなり引き下がれる自信、ないから。お前が俺を選ぶって言うんなら、俺だって覚悟決めなきゃならない」 「行かないよ。ルタ様許してくれたの。アイザックの傍にいても、いい、かな…」 「 禁止してたのに彼は振り返って、目が合うとさすがに彼も照れて、視線をそらした。 夕闇に照らされた横顔は、お互いますます紅い。 でも、彼はしっかりと気持ちを言える人です。 少年らしく爽やかに、彼の宣言はとても気持ちが良いもの。 「・・・・・・、うまく言えないけど…。俺、シャルディナのこと大切にするよ。必ず守る。もう二度と言わないと思ってたけど…、お前がいいっていうなら、何度でも言うよ。好きだ」 「…ありがとう。嬉しい…」 「 うっすらと最初に輝いた星を見つけて、彼は指差して教えてくれた。 完全に日が沈むまでに、二人でいくつも星を数えて競争する。 「…そうだ。…聞いて」 「なんだ?」 「私ね、思い出したの。自分が戦う力を持っていたこと。私はアイザックのことを守れるし、この世界のために戦うこともできる。これからは、私もアイザックのこと守るね。皆を、必ずバラモス城まで連れて行く」 「…今更だけど、シャルディナが女神様なんだって気がつくよ」 今までどんなに近くにいても、例えばふれ合ったとしても、どうしても遠く感じた二人の距離。それは私のせいでした。 月がくっきりと姿を見せてもなお、二人は樹上で並んで空を見つめたまま。 私の耳には、小さな白い花のイヤリングが光っています。 そして彼のポケットには、私の贈ったお守り。 |
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地上に堕ちたその日から、私は独り、 暗闇に閉じこもったままでした。 忘れていた勇気を、 思い出させてくれて、ありがとう。 解放された心はどこまでも上昇して、 きっと君を連れて、果てしない空への道を拓く。 |