「堕ちた先 2」


「ただいま…」
 家に戻ったのは、実に一年ぶりにもなった。
 予告もなしに家出娘は家の扉をくぐり、驚いて玄関に飛び出し集まる家族達のなんとも言えない視線の集中豪雨を浴びる。

・・・・・・。たくさん心配かけて、ごめんなさい…」
 素直に深く頭を下げ、金の髪が足元に向かって流れて落ちる。私の後ろには魔法使いのシーヴァスもいたけれど、家族の視界には私しか入っていなかった。

「こ…、この…!どれだけ心配したと・・・・!」
 父親は私の頬を初めてぶって、怒りの言葉も出ずにわなわなと震えた。怒りと喜びとの間で顔がくしゃくしゃに変動してゆく。
「おねえちゃんの馬鹿!ひどいよ!」
「サリサ・・・・・。私達、地球のへそからいつ帰ってくるかと…。毎日通ったのよ」

「ごめんなさい…!」
 最初にお母さんが私を抱きしめ、地球のへそに届いたお弁当を思い出した私は、ただ申し訳なくて泣くしかない。

「お弁当、ありがとうお母さん。嬉しかった。すごく美味しかったよ…。お父さんごめんなさい。ごめんねリーベル…」


 家族との玄関での再会が済んだ後、私はランシールまで連れて来てくれたシーヴァスを紹介して、彼女と共に家にあがった。
 彼女は家族との再会を心配してくれたのもあるし、仲間の代表として、うちの家族に挨拶したいとは前々から言っていたこと。


 お茶や昼食に招かれ、これまでの旅のことや、仲間のこと、地球のへそでのことなどに話題の花を咲かせる。
 旅の概要をあらかた話したところで、私は本題を毅然とした態度で提示していた。

「お父さん。私ね、勇者と一緒に戦いたい。私にもできることがあったの。危険もたくさんあると思う。でも…、行きたい。行かせて下さい」

 お父さんはきっと私が居ない間にも、考えていてくれたのでしょう。
 そしてこう、私が言う事もきっと解っていたはず。

・・・・・・。そうか…。分かった。もう止めないよ。サリサは、あの頃より、随分いい顔をするようになった。…シーヴァスさん達のおかげなのでしょう。ありがとうございます」
 横のシーヴァスに敬意を払った、父親は深く頭を下げる。
「そんなことはないです。私もいつも助けて貰っています。…必ず、皆無事で帰って来ます。どうか信じて待っていて下さい」

 許しを得られて    、そっとシーヴァスと二人で微笑みを交わす。
 これからは…、隠れることもなく、時々手紙も書いて、時々家に顔を見せよう。
 他の仲間とも、いつか挨拶ができればいいな。

 和んだ昼食も終わり、食後のデザートに果物を出しながら、母親はふとある人物の事を思い出したらしい。
 色々ありすぎて、随分遠い過去のような記憶の奥にあり、すっかり忘れていたこと…。


「そうそう。サリサ、あの朱色の髪の男の子。彼にもお礼を言っておくのよ。私達に気遣って、お弁当を持って行くと言ってくれたのは彼だったの。ずっとあなたのことを守っていたみたいだし…。ちゃんとあなたを連れて帰って来てくれた。彼は…、あなたの彼氏?」

 甘いオレンジが口の中から吹き飛ぶほどに、私は仰天してテーブルを両手で叩く。
「ち、違うよっ!全然違う!」

 母親は残念そうに、必死の弁解に戸惑っていましたが、嬉しそうに横でエルフ娘がポンと両手を叩く音が響いた。

「でも、アドレスさんはサリサを好きと言っていました。確か交際を申し込んでいましたね。サリサ返事したのですか?」
「きゃーーーっっ!!シ、シーヴァス!言わないで!!」

 慌てて弁解しても後の祭り。
 お父さんはいくらか不機嫌になり、お母さんは嬉しそうに笑う。弟は身を乗り出してシーヴァスに詳しい話を催促する始末。

「お母さんは、あの子好きだわ」
「僕も、嫌いじゃないよ」
「あ、あのね。お母さん達は彼の正体を知らないからそんなこと言うんだよ!か、彼はふにゅうちゃんであって、えっと、言っていいのか分からないけど、ド…、とにかく人じゃないんだよっ!」
「私もエルフですよ。人ではないです。種族の違いで断るのですか?」

 余りに手痛いシーヴァスの言葉。
 私はパクパク金魚のように開いた口が塞がらない。

「前向きに考えてみてはいかがでしょうか。お似合いだと思います」
「う…。う…。ううう・・・・・・
 その場にいた、父親以外の全ての人に勧められ、ほとほと困り果てた私は黙ってオレンジを食べることにする。

 ナンパの誤解は解けた。確かに本当は竜族だとしても、大きな問題じゃない。問題にはしたくない。じゃあ何が嫌なのかって・・・・・
 まだ、彼の事は良く分からないから・・・・・


 久し振りに家で一日過ごし、私の部屋でシーヴァスと二人泊まって、翌朝まだ忙しいサマンオサへと戻って行った。

「行って来ます!」
 晴れ晴れしく、手を振って家を出る。
 見送る家族はみな笑顔で手を振っていました。


==


 サマンオサに戻った足で、シーヴァスとは宿で別れ、うきうきと町へ出て行く。
 家族に会って来た事を報告しようと、スヴァルさんの元へ。

 ガイアの一族への誤解は解け・・・・、海賊たちは私達同様、国の復興のために尽力つくして活動していました。
 主に物資補給に皆さん奔放していたのですが、スヴァルさんは特別に、国王様とご一緒に居ることが多くなっていたのです。

     と、言うのも、彼は今のところ国王様の護衛兼相談役。
 国王様は時折城下を回り、民を勇気づけて歩く時は傍に彼を指名していました。
 友に似た容貌の息子に気が許すのか、国王様は今後のことなど良く彼に相談しているようなのです。
 誤解を解かれたと言っても、彼を供に歩くことで、更に友好の証を民に示す。
 …おかげで、勇者サイモンに似た姿を持つ彼でも、人に広く受け入れられるようになっている。

 この日も、スヴァルさんは国王様と二人で城下を回り始めていました。


「あ、スヴァルさ…!」
 老人に握手をして激励している、国王様の後ろに黒い服の彼を見つけて、弾むように街道を駆けてゆく。
 けれど    同じよう彼を求める人は私だけではなかった。
 彼に声をかけようとワッと人が集まり、私は人垣の向こうで立ち往生に陥ってしまう。

 最近は、良くある光景が広がっていました。
 それは、彼の周囲に女の人が集まっている光景です。あの戦渦の中で助けられた人や、差し入れにくる女の子とか…。

     まぁ、当然といえば、当然のこと。
 今まで「かっこいい」と思っていても、近づけない人も多かった彼。反動のように女性達は一生懸命アピールしているみたいなのでした。

 スヴァルさんは私に気づきましたが、彼は集まった女性に対して無下には対応しない人。私は静かに順番を待つ。


 その私の肩を、なかば強引に掴み引っ張った人がいた。
「探したぜ、サリサ。何してるんだ?」
 現れたのは暁の空みたいな髪をした、紅い瞳の野性味溢れる少年。裾の長いコートをラフに着こなして、随分顔を近くにして覗き込む。
「で、出たっ!アドレス君…!」
「出たって何だ?なぁ、今日休みを貰ったんだ。デートしないか」
    デート!?」

 思わず大きな声を出してしまい、人の目はふとこちらに集まってしまった。慌ててアドレス君を引っ張って、とにかくスヴァルさんから離れる。
 聞こえちゃったかも知れないけど。


・・・・・行かない」
 路地裏に引っ込んで、私はムスッとして答えた。
「何でだよ。サリサも今日休みなんだろ。シーヴァスが言ってた」
「シーヴァスったら…」(ぼそ)

 私は、私を誘う竜の生き残りを躊躇いながらもじっと見つめる。正直を言うと、私はこの余りに直球的なアプローチが苦手でした。
 紅い瞳と見つめ合うと、そのまま、またキスされそうな気もして・・・・・

「あの…、アドレス君は、どうして、その…、そんなに私を…言うの?」

 ナンパでないことはすでに認めてる。サマンオサ城内でもちゃんと守ってくれたし、デボネアさんのように他の女の子にまで声をかけてるわけでもない。
 強かったし…、優しいとこもあるし、ちょっとかっこいいのも分かってる。でもなんで自分を好きなのかが分からないから困ってるんだ…。

「…そうだな。ちゃんと話そう。俺は、地球のへそでのサリサをずっと見ていたんだ」
 ぎょっとする報告。
 思い返せば     あれ程の醜態を彼に見られていたなんて…。

 弱かった自分を。嘆いた自分を。諦めた自分を・・・・・

 彼はひょいと路地裏の樽に腰かけて、それは眩しい夢を語ってくれた。
 私にとっては痛い醜態を、綺麗な夢のように。
「お前は自分を嫌いだと言っていたけどな。俺は初めて人の姿を美しいと思ったんだ。ボロボロのくせに、一生懸命でな…。人は俺達に比べれば随分非力で儚いと思っていたが、その分言い知れぬ底力を持ってると思ったよ。俺はお前に心打たれた、それが理由だ」

・・・・・・・
私は長いこと、思い返しては、考えていました。

「…ありがとう、アドレス君。まさか、そんなこと言われるなんて、思っても見なかった」

 複雑ではあったけど、私はもう、この自分のままでいるしかないのだと思い知ったのだから、上ばかりを追うのは辞めたのだから。
 自分の一番嫌な部分を受け入れるこの人を、私は感謝しなければならないんだ…。

 今までの自分なら、きっと反発したと思う。
 過去の自分を受け入れる、自分は少し涙が滲む。

「あの、お弁当届けてくれて、ありがとう。それから…、傍にいて、守ってくれてたのかな?ありがとうね…。私、多くの人に守られてたんだね。知らなかった…」
「サリサ…」
 彼は樽から降りて、そのまま強く私の体を抱きしめてくる。
 彼の首元には、私がふにゅうちゃんにあげた、赤い宝石飾りのついたチョーカーが揺れている。もしかしたら本当に、一生大事にするつもりなのかも知れないな…。

「サリサ、俺と付き合えよ。お前のいいところたくさん見つけてやるから。お前の隙間、全部埋めてやる」
 あまりに強い、彼の瞳、そして想い。
 委ねたら、私は長年の願いを叶えられるのかも知れない。

 誰よりも、私のことだけ見ててくれる人が欲しかった。その願いを…。


「アドレス君…」
 悩みながらも、そっと彼の背中を掴んだ     私の視界、表通りからこちらに気づいた男性が立ち止まる。


 抱き合う二人の姿を見られた。
 私を探してくれたのだろう、黒服の美青年は珍しく、数秒の間確かに凍りついていた。

「あ…。     っ」
 慌ててアドレス君から離れると、不審に思った彼も振り向く。

「あ、…あの…っ!スヴァルさん、あの、少しだけお話したいことがあったんです」
「俺達これからデートだけどな」
「アドレス君…っ!」
 狼狽してる私に彼は構わず、肩に腕を回して青年に挑戦的な視線を向ける。

 何故かざわざわと…、胸の内がうるさくざわめき、音を立てる。
 反比例して、美青年は唇を引き締めると、いつもの調子で冷静に伝言を残しただけでした。
「邪魔したな。サリサ、夕方宿を訪ねる」


 ・・・・・理由は解らなかったんです。
 いつも聞きなれた冷静な口調も、後姿も、わけも知らず泣きたい気持ちにさせてくれた。

 私を引っ張る陽気な彼と、背中を向けた冷静なあの人と、中間地点で私は行き先に迷っている。


==


 母親の墓の前で、ミュラーさんはその人物に会ったと話してくれました。
 朽ちた墓石たちを綺麗に修復し、ひとまずの事件の終わりを母親に報告しに行った、その墓前に新しい供え花とフード姿の旅人の姿が見える。

「アンタ、うちの母親の兄弟か何か?」
「さあ…」
 旅人はおどけた返事を返し、海賊女頭はしかし気にした風もない。

「母親に似てるもの。おおかたそうなんでしょ。…この墓に、自分以外にも花を供えてる奴が居ることは気づいてた。…ありがとう」
 旅人は否定も肯定もせず、そのまま墓前から離れてゆく。

「また来てよ。いつでも待ってるわ。母さんも、私もね」
 背中を向けたまま、旅人が口の端を上げたのを、彼女は知らないけれど…。



「…と、話していましたよ、デボネアさん。シャトレーさんはその後どちらへ行かれたのですか?」
 今日の私は王城前広場にて、子供達にサインを書く係りです。
 中には変身してくれとせがむ子もいるのですが、魔法を見るだけで我慢してもらうことにしていました。やはり、危険だとは思うのです。

「竜のお姉ちゃん、どうしたら僕も竜になれるかなぁ?」
 母親に手を引かれた男の子が、ベンチに座った私に真顔で訊く。
「そうですね…。まずはお母様の言う事をちゃんと聞いて、好き嫌いなく食事を摂ることだと思います。勉強もしっかりしましょう」
「そっかー!僕頑張るよ!」

 私の左右には、どちらにしても不機嫌そうな、男性二人が時折睨み合いながら座っています。
「またね!竜のお姉ちゃん!」
 子供が途切れると、片方、エルフの男性は身を乗り出して抗議するのでした。

「アイツのことなんか知らないですよ。それよりシーヴァスさんっ!本気でこんな奴といつまでも交際してるつもりですか?その内化けの皮を剥いで、あなたにどんな愚業を行うことか。今からでも間に合います!さあ!私と是非いい日旅立ちを!」
「そればかりですね。デボネアさん…」
 ころころ笑う私を間にして、彼らの視線は火花を散らしている。

「いい加減諦めて、とっととどっか行けよ。どうせ誰でもいいんだろ?」
 ベンチの反対側、行儀悪くだれて座っていたルシヴァンは、立ち上がるとエルフ盗賊を荷物ごと蹴り倒す。
「何すんだこの野郎!このド悪党!・・・・おっと!」

 蹴り落とされ、ばら撒かれた彼の荷物から、一つだけ奇妙な動きを見せる骨を慌てて拾い、デボネアさんは袋の中に押し込む。
 盗賊ルシヴァンの目は、その不気味な骨を見逃しませんでした。

「おい。今の骨…。もう一回見せろ」
「はん?・・・・嫌だね。コイツは俺の戦利品なんだよ」
 あかんべーをしたデボネアさんを、ルシヴァンは襟首を掴み、喰うように見つめる。どうやら、真剣に欲しい道具のようです。

「いくらなら売る?金ならいくらでも出す」
・・・・・・・・・。へぇ…」
 盗賊二人の交渉は、随分と不穏な空気が漂う。エルフ盗賊の目に、確かに意地悪い笑みが浮かんだ。

「金じゃあ売れないなァ…。なんでこの骨がそんなに欲しいのか知らねーけど、俺様の交換条件はたった一つだ。…解るよなァ〜」
「まさか・・・・

「そうだ!今すぐシーヴァスさんと別れろ!それが条件だっ!」

 高らかに宣言し、デボネアさんは彼に指を突きつける。
 さすがに私も、「まさか」と彼を見上げた。

 返答に悩む、彼の横顔に私は立ち上がり、不安の風に打たれる。
 信じたくはありませんでした。
 これまで積み上げてきた関係が、たった一つの不気味な骨によって・・・・・


==


 事件の終結から数週間、僕は復興の手伝いからもうじき商人の町へと戻る、ナルセスさんの見舞いを受けていました。

「ジャルディーノさんも今回は大変だったようで…。でももう普通に起きてられそうですね」
「はい。そうですね…。僕も皆さんの手伝いをしないと」
 今日はまだ宿のベットの中でしたが、明日からは外に出て、復興のために働こう。
 そう決めて、開け放たれた窓の向こう、傷痕の残る街並みを見やる。

「ラーの鏡でしょう?すごいですよね〜!さすがジャルディーノさんですよ。太陽神しか使えないものまで使えちゃうなんて!」
・・・・・・。ナルセスさんも見ますか?」

 鏡で仲間を見るのは、少しやはり緊張します。
 元ニーズさんのように、恐ろしいものでも見たりしたらと思うと…。

「綺麗ですね〜!おおっ!映ってる映ってる!」
 円く美しい鏡にターバンを巻いた商人は喜び、手にとって自分を映す。
 僕はこっそり「ほっ」としていました。

 鏡が戻ってくると、手元に邪気を感じて、ハッとして鏡を確かめる。


 円い鏡には、ナルセスさんが映っていました。
 薄暗い、何も無い部屋の隅、焦燥感に満ちた表情の彼が一人座っている。何処かから差し込む光は、何本も線状の影を彼に向かって伸ばしていた。

      !」
 それはただの部屋じゃない。線の影は柵の影。そこは、牢獄。

「何か映りましたか?ジャルディーノさん」
 本人も覗き込んでは、言葉を失くした。
 牢屋越しに誰かが彼を呼び、柵を挟んで二人は何かを話している。鏡では、声までは聞こえてきません。
 必死に何かを訴えているのは、僕のイシスでの友人、ドエール。

 ナルセスさんは首を振り     


 そこまで来て、激しい痛みに襲われ、僕は胸を押えて悲鳴を上げた。
「あううっ!!」
    !鏡が     !!」

 円形の鏡の部分が、ピシピシと音を立てて石化してゆく。僕の手から離れ、床に転がり落ちたラーの鏡は、ゴトリと嫌な音を立てて横転していた。
 ただの石細工として。

 言いようのない恐れが喉元を通り、吐き気となって襲い来る。
「大丈夫ですか!ジャルディーノさん!」
「ナル   セス、さん・・・・・

 僕の肩に手をそえた、友人の腕を強く掴み、その顔を見上げた僕は、自分自身の感覚に嫌気が差した。

 ナルセスさんに、死相が見える     


==


 建造物のどれもが、この街は新しい匂いをまだ放っている。
 小さな家を間借りして、私と弟は二人静かに生活していた。

 突然倒れ、数日間苦しみ続けている弟を、見舞いに通う少女。彼女は、弟にとって初めての身近な友人。
 …弟は、認めないでしょうが…。


「でも、熱は下がったみたい。…良かった。これレモンの蜂蜜づけだよ。食べてね。早く良くなって、皆で街のお披露目パーティしたいよね」
・・・・・・・・・
 弟は冷えたタオルで顔を拭かれながら、苦しいのか言葉はありません。
「…、もう、来なくて、いい…。大丈夫、だから…」
「そう?…んー…。やっぱり駄目!ファラ君は遠慮しすぎなんだよ!困った時は皆で助け合わなきゃ!突然苦しみだして、ほんと皆心配してるんだからね!」
・・・・・・・・・
「お姉さんの言う事聞いて、いい子にしてないと駄目だよ!じゃあね、また来るね♪」

 亜麻色の髪をピンクのリボンで結んだ、明朗快活な少女はパタパタと帰って行く。
 少女が帰った後で、弟はげんなりとしてため息をついた。

「姉上、…今度あの女が来たら、追い返して下さい。もうこりごりです」
「そんなことはないでしょう?本当は嬉しいのに」
「は…?もう、うるさくて仕方ない…」

 お見舞いに貰ったレモンを弟に食べさせようと容器を持つと、部屋の空気が変わり、弟の崇拝するもう一人の『姉』が姿を現す。
 長い銀の髪と、深紅の瞳が静かにベットの中の弟に降り注ぐ。
     と、弟は高熱の中弾かれた様に半身を起こし、回らない舌でひれ伏し弁解をまくし立てた。

「申し訳御座いません!姉上…!せ、せっかく迎えにまで来て頂いたところを…!あ、あの鏡さえなければ!全て巧くいったはずだったのです…!どうか、どうかお許し下さいませ…!」
「…首一つ失くしたのですもの。さぞかし苦しいでしょう…、ファラ。別に構いませんわ。おかげで面白いものも見れましたしね…」

 弟の首筋を、冷たい汗が何度も滴り伝うのを見た。私はその後ろで、深くユリウスの背中を睨む。
「あなたの首一つでは、あの僧侶には勝てないに決まっています。この街で決着をつけますから、あなたはゆっくりと休んでいなさい」
「は…はい!ありがとうございます!ありがとうございます…!」

 ユリウスの去った後、なんとも言えない怒りを秘め、私は弟をもう一度横にさせた。


「…ねえ、ファラ…。もう、止めない?私達と同じになろうとすることは…。あなたには、別の生き方ができるはず…」
「…?何を…?」
「生み出すものに、ならない方がいい。あなたは闇から生まれた魔物ではないのだもの。どうして闇に堕ちようとするの?あなたは…、竜族。人と一緒に生きることもできる」

 願いを込めた、私の言葉。
 弟は、真剣に驚き。    そして、軽く、渇いて嘲り笑い飛ばす。

「ハ、ハハ、ハハハ…。僕は確かに魔竜ヒドラの生き残りです。こうして人化もできる。でも、僕は人と生きるなんてまっぴらご免だ。…知らないのですか?気高き竜族が、人なんかとつるむから魔族からどれだけ小馬鹿にされてきたかを。あげくの果てに人に裏切られ、こうして殆どが滅びてる。僕はそんな馬鹿な奴らの二の舞はご免です」

・・・・・。それでも…。あなたは一族のことを背負いすぎなのよ」
 弟を見つめる瞳は悲しみに沈んでいる。逆に弟はそれに苛立つ。

「何が不服なのですか…?僕は、オロチだって造り出せたんです!蛇と竜との結合体。ボストロールだってあのまま人を喰らっていれば、更に上級の魔物になれた。自分の中に魔物フレイムも飼っています。僕はあなたたちと『同じ』になりたいんです…!」

「あなたは、あの娘を殺せるの…?あなたを友達として慕う、初めての人間を…」

「当たり前です!八つ裂きにして、飲み込んでやりますよ!」
・・・・・・あなたは、今回のことに、参加しなくていいわ。私だけで足ります」
「何を言うんですか!僕だって…!」

「もう一度、考えて。私があなたをこの町に一緒に連れて来たのは、人と暮らす中で、あなたが人に親しみを覚えてくれればと願ったから。あなたは、まだ引き返せる」

 苦悩する弟に、少女の持ってきたレモンを勧めた。
「…いりません」


 少女には、私も好感を持っていた。
 いつも明るくて、人懐っこくて、孤独な弟に親身になってくれている。彼女なら、あなたの正体を知ろうとも、きっと手のひら返したりしない。
 だから
・・・・・

 孤独な竜を飼い潰そうとしている、ユリウスを私は心の底から憎んでいました。
 弟のように思えばこそ
・・・・、私はこの竜を引き止めたいと願い続ける。

 自分の果たせぬ願いを、この子には掴んで欲しくて……。


 弟はすねたように顔を背け、私はレースのカーテン越しに活気溢れる街を見下ろす。
 もうじきこの新しい街に、輝く日が落ち、闇を迎える黄昏時がやって来る。





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2005・6 UP