唐突に、新たな魔物の咆哮が空を裂いた。
 遙か過去に滅びたと伝えられていた、今となっては伝説上の生き物。爬虫類のトカゲに姿は似ているが、遙かに巨大で、翼を持ち、神にも等しい「力」を持つとまで言われている神獣。

「あのエルフ、竜の血も引いていたんだな」
     ランシールで、竜族の生き残りが僕にそっと囁いた。


「…本当、だね…」
 街に攻め込もうとする、魔物の集団を外壁前で食い止めながら、僕は一人自嘲めいて呟く。
 滅び行く竜族。最後の竜の子…。
 彼女も「そう」なのだと、現実は強烈に思い知らせてくれるようだ。

 銀色の竜の登場に、敵も味方も民衆も際限なしで驚き面食らう。
 けれど、これだけは断言できる。

 竜の出現によって、最も衝撃を受けていたのは『自分』であると……。



「飛翔」


 ラーの鏡を聖衣の内にしまいながら、赤毛の僧侶は勇者と共に王城をひたすら目指し駆けていました。
 城前広場から数メートル、堀に架かる橋上で骸骨剣士数匹に遭遇し、やむなく武器を手に立ち向かう。堀の水面からはマーマン達が顔を出し、這い上がって背後から襲いかかろうとひしめき合った。
 空には魔物の姿がちらほらと横切る。この上、空から狙われたら…。
 僕とニーズさんは背中を合わせて前後の敵と向かい合う。

「わらわらと…!面倒くせぇな!ベギラマ!」
 城手側に群がる、骸骨剣士の群れに勇者は火炎呪文を炸裂させる。骨の焦げる臭いが充満し、けれど骸骨の蠢く音はそれだけではおさまりはしない。
 なお忙しそうに六本の腕を動かし、各手に握る剣を容赦なく叩きつけてくる。
「聖上なる風よ    裁きの十字架をっ!   バギクロスッ!!」
 勇者と背中を合わせ、僕は竜巻を生む風の呪文で地上と空を撃つ。

 先を急ぎながら…。けれど僕らは知らなかったのです。
 魔物軍勢の攻撃も、遙かに凌ぐ脅威の追っ手の存在を。


「…キリがない。突破するぞ!ジャル!」
「はい!」
 強行突破を勇者が告げ、僕は後について行くべく駆けた。
 その足首を、誰かが物凄い握力で掴み取る。
「痛っ    !」
 橋の上にうつ伏せに転び、苦痛に顔をしかめながら掴まれた自分の足を振り返る。自分の影の中から細い腕が伸び、掴まれた右足は今にも折れそうな軋んだ音を鳴らしていた。
「ジャル     !?」
 勇者は慌てて戻って来てくれる。けれど、それよりも相手の方が速かった。
 悲鳴を上げると、腕の主が影の中から顔を出す。

「逃がさない。お前は…!」
 紅い双眸が殺意に輝き、反対の手にはすでに火球の呪文が完成していた。

「燃え尽きろ!メラゾーマ    !!」

 至近距離に巨大な火の玉が展開する。僕の足元から業火が火を噴く。
「うわああああっ!!」
 火だるまと化し、炎の中で黒い影としか見えなくなった僧侶の足元に、勇者は深々とジパングの宝剣を突き立てた。
「この野郎っ!」
「邪魔   するなっ!」
 手ごたえはあった。しかし黒い魔法使いは影より全身を現すと、勇者を恐ろしい瞳で射抜く。人では有り得ない、魔形たるもの故に人を支配する眼光。

「なッ!     ウッ!    !」
 剣を構えた視線で麻痺し、勇者は必死に身体を動かそうと全身をひねりあがいた。
 獣じみた鋭い爪が勇者を激しく切り裂く。鮮血が橋上に散り落ち、歯噛みする勇者も敢え無く崩れ落ちてしまう。

「あはははっ!は    !」
 またしても魔法使いは哄笑しようしていた。
 わずかに黒いローブに裂かれた後が見え、切れ端が焼けた風にチラチラと揺れている。草薙の剣に裂かれた跡と思われたけれど、出血の類いは何処にも見つかることは無い。

 『彼ら』はおそらくは、人のような実体を持っていない魔物    


 火球の中で身を焼かれながら   僕は手にしていた理力の杖を構え、「魔」への突きに渾身の力を込めた。
 魔法使いは寸前で気づき、理力の杖は惜しくも空を斬る。
 火炎は鎮まり、聖衣や髪、皮膚をいくらか焦がした僕は、杖で身体を支え、片膝をついた姿勢で強く相手を見据えた。

 正直、立っているのが不思議な程の火傷を負い、回復呪文を唱えるにも動作が遅い。呪文のために呼吸を制御しようとしている、僕を、魔法使いは嫌悪を込めて罵った。

「これでも死なないか…。本当に貴様人間か」

 鋭い爪を持って、歩み寄った魔法使いは何度も頬を殴り、焼けた身体を蹴りつける。十字架の刻まれた帽子が飛び、堀の水面に空しく浮かんだ。無数の火傷痕が裂け、血のすじが橋の板まで流れて落ちる。僕はたった一つの悲鳴もあげない。

「ジャルディーノ!おいっ!貴様やめろ!」
 麻痺して橋上に転がる勇者の周囲には、骸骨剣士やマーマンなどがすでに包囲して事の行方を見守っていた。
「うるさい!黙れ!おかげで僕の計画が散々だ。みんなコイツのせいだ!巧く行ったら、姉上に褒美が貰えるはずだったのに!これで僕のことが認めて貰えて、真の姉弟になれると思っていたのに…!」

 勇者はなんとか腕を動かし、腰の道具袋から満月草を探していた。薬草を噛めば麻痺は解消する。この魔法使いに反撃が可能になると。


「ハア…。ハア…!」
 殴り疲れ、魔法使いは血塗られた手をひとたび舐めて拭った。
 ボロ雑巾のように討ち捨てられた赤毛の僧侶は、気にしていたのか、悲しげに魔法使いに反論を言いつける。

「僕は…、人間です…」
「ハァ…?」
 心底呆れ、彼は横たわる僕の頭を踏みつけると口上した。
「人間如きにラーの鏡が使えるものか。貴様はラーのよこした戦力、使いなんだろう。神の小間使いだ。ルビスの蝿と同じだ。神がよこした使い捨ての道具だ!」
「…………」
 小さな僧侶が、心穿たれたのを察知したのでしょう。
 彼は愉悦を感じてまくし立てる。

 それは楽しそうに。…歌い踊るように。


「知らないか?神なんてな、所詮自分が戦いたくないから、そうやって身替わりを投入しているんだよ。どうなってもいい使い捨ての駒をさっ!可哀相に。お前らは神にとっては道具、人間どもにとっては盾さっ!」

 …そう、なのでしょうか。
 …そう、とは思えない。 でも………。


「聞くなっ!ジャルディーノ!そんな奴の言う事に耳を貸すな!」
 道具袋から満月草を取り出し、叫ぶ勇者は乱暴に薬草を飲み込む。
 その青い双眸は怒りに燃える。

「……うるさい勇者だな。お前だって、…お前なんて、ただの木偶人形の分際で、何を偉そうに」
 麻痺した身体に無理をさせ、立ち上がろうとする黒髪の勇者。その姿はどこかゆらりゆらりと灰(ほの)めき立つ、蒼き炎にも感じられる。
「お前は人形だからな。勇者の偽者として造り出された身替わりの人形。それが何必死になって勇者ぶって戦ってるの?笑っちゃうよ。さっさと死ねばいいのに。姉上がお遊びで生かしてやってるの分かってる?」

「言いたい事は…、それだけか…」
 正眼に構えた勇者は、彼以上に相手を見下す冷めた視線を放つ。

「それがどうした。アイツのために生まれたことは、俺の誇りだ」
「なにぃ…っ!?」
 魔法使いは意表をつかれ、蒼い炎に思いもかけず怯んでしまう。

「…訂正しろ。ジャルディーノは、道具でも、盾でもない!」
「………生意気なっ!」
 反発して、迫る勇者に魔法使いの牙が剥く。

「ニーズ、さん…」
 熱く込み上げるものを覚えながら、震え立ち、自分に回復呪文を完成させる。

 どうしてか。僕はいつからか。自分のことしか考えなくなっていたのでしょうか。
 人との違いに怯える。それは何も自分だけの苦しみではなかったのに…。

「二人まとめて殺してやる!」
「マホステ    !」
 魔法使いの呪文が完成する前に、周囲に怪しい霧が立ち込めた。初めて見る呪文、その声には覚えがある。
 呪文を止め、黒い魔法使いは一瞬躊躇する。が、背後に立ち上がった赤毛の僧侶に狙いを定めた。
「呪文が使えなくても    !」

 貫こうとした闇の手は、僕の鳩尾を確かに穿った。
 何か固い物にぶつかり、彼の拳は受け止められる。
「な…!     あっ…!アアアアアアッ!!」
 一体何にぶつかって止まったのか、気づいた彼はそのまま聖光に灼かれ、悲鳴を上げて後方に飛び逃れようと試みた。
 かろうじて離れたが、彼は右肘までを完全に失い、余りの事に彼自身も目を見開いて当惑に震える。

 彼は『鏡』に直接触れてしまい、太陽神の陽に焼かれたのか。
 理力の杖で彼を追った僕は、その血通わぬ肉体を貫くと、僕の恐れていた「力」の全てを叩き込む。

「ウオアアアアッッ!や、止めろ…!焼かれる…!」

「消えて下さい!これで…!!」


 周囲は魔法の霧と、ラーの光にて視界が塞がれていた。彼は正体を見せ、鋭い牙で僕の身体を噛み潰す。
 『鏡』ごと、そのまま全身を砕かれ、飲み込まれるかと覚悟を覚えた。

「させません!」
「ジャルディーノ!」
 黒き魔物に左右から宝剣と杖が釘のように突き立てられる。闇の魔物は鼓膜を破るような悲鳴を上げて     邪魔者を身震いして吹き飛ばした。

 大きな顎より僕は逃れ、信頼する、敬愛して止まない勇者の保護を受けて涙まじりの視界を開く。
「ありがとうございます…。ニーズさん…」
 お礼の意味は、今助け出してくれた事だけにではありませんでした。
「待ってろ、今回復してやる」

「大丈夫ですかお二人さん。…城へ?」
 補佐に駆けつけてくれた賢者は守護に立ち、後ろを振り向き状況を訊ねる。砂煙の中にはまだ邪悪な魔法使いが確かに苦痛の声を上げのたうっている。
 ダメージを受けて、更に凶悪さが増していると言ってもいい。
「ワグナス、俺達は城の地下の国王を助けに行く。暫くコイツの相手できるか」
「分かりました。ゆっくり行って来て良いですよ」

 ニーズさんは回復呪文をかけると僕をおぶり、城内を目指し駆けて行く。
 気がつくと、周囲の魔物の群れは綺麗にみな倒されている。抜け目ない、賢者様の働きにはいつも感心するばかりでした。


「ニーズさん…。僕も…、自分の力を、誇りに思える日がくるでしょうか…」
 おんぶされる事に思わず甘えてしまって、顔が見えないことに甘えてしまって、到底答えにくそうな質問なんて零れ落ちる。

「お前、誇りに思っていないのか?それだけの力を持っていて?なんでだよ」
「それは………」
「お前さぁ…。お前は僧侶ってだけでなく、お前ってだけでも人を救っているんだぜ?俺だって感謝してる」
 初めて訪れるサマンオサ城門にて、勇者は過去の王城間取り図を思い出して駆けて行く。城内にも魔物の姿は垣間見れた。
 ニーズさんはなるべく敵との接触を避けて地下を探す。

「お前はイシスの誇りなんだろ?お前の家族にだってきっと誇りなんだ。あのドエールにしたってそうだ。…お前は頼りになるよ。誇れる仲間なんだよ」

 僕はニーズさんのマントを湿らせて、後で怒られることになる。


==


 あの日と同じように、この街が燃えている。久し振りに気持ちよく晴れたと思ったら、逆に乾燥したこんな日は火の回りが速い。
 「紅の夜」によぎる苦い感情を噛み潰しながら、彼女は勇ましく、短剣を携え疾走し続けていた。

 彼女は都市火災を予測し、消化準備を街の各地に用意してあった。
 海賊子分たちは風上、火の手の届かぬ場所へと民を誘導し、動ける男達には消火活動や、腕に覚えのある者には魔物退治も手伝わせる。
 彼女の方針は、『自分たちの手で国を守る』ことだった。だからこそ、彼女は町人と一丸となって街を守ることに尽力つくす。

 街の数箇所にある井戸にはすでに汲み置きの水が用意され、子分や町民が混じってのバケツリレーが開始される。
 何処かから桶を手にした町人たちは必死で消火活動に取り組んだ。

 彼らは      率先し、街の消火活動に指示する者を、自分達が今まで数年に渡って憎んできた『ガイアの一族』なのだと言う事はまだ知らない。
 今は気付く余裕もない。


 海賊女頭は民を逃がしながら、単独影より生まれたオロチの足止めに奮闘していた。
「これ以上は行かせないわよ!」
 先回りし、炎を吐くべく開かれた顎に果敢に飛び込み、そのまま縦に両断する。オロチの吐く火炎すら短剣は切り裂き、彼女の身を焦がすことは決してない。

 しかし八本存在するオロチの首は、切り落とされても、影ゆえか何事も無かったかのように復活してくる。

 …もしかすると、あの術者を倒すまで消えることが無いのでは?
 炎の熱に玉のような汗を皮膚に滑らせながら、彼女はさすがに息を巻く。

 自分のためにオロチは殆ど進行してはいない。
 しかし一人で八匹もの大蛇を同時に相手はできない。
 大見栄切って、別地域に向かわせた弟の存在に頼る気持ちが滲み、苦笑して彼女は手早く受けた傷に布を巻く。
 無人の民家の影に隠れ、軽く体制を整えると、再び彼女はオロチの前に踊り戻る。

「ギャオアアアアア!!」

 不意にオロチは騒ぎ始め、何かに触発されたのか酷く苦しそうに暴れ出した。頭上を見上げ、彼女は眉を潜め周囲の気配を探ったが、異変は感じられない。
 八本の大蛇は紅の瞳を縦に見開き、苦痛にけたたましい悲鳴を上げその身をよじる。巨体の動きに合わせて街も揺れた。

「な、何よ…!耳が破れるかと思ったじゃない!」
 我を忘れ、オロチは不規則にのたうち回り、各首で建物を叩き壊し、空や大地に炎を撒き散らす。もしかすると呼び出した術者に何か異変でもあったのだろうか?
 彼女は何度も大蛇の首を叩き落しながら、前へ後ろへ、横へとオロチの注意を引き付けて街への破壊を牽制していた。



「ハァ…!ハァ…!コイツ、一体どうすれば…!」
 数刻     大蛇たちの障害となり、彼女の疲労が体力の限界に迫ってゆく。
 何度か牙に捕まりかけ、肉を削いだ牙の毒に視界が眩む。
 ジパングではパープルオーブの力もあり、牙の毒も脅威的破壊力だったと言うけれど、さすがに影で造られたオロチの毒にそこまでの殺傷力はないらしい。

「やばいわね…。このままじゃ…」
 毒により、視界が濁るのを感じ、足元がふらついた彼女は珍しく弱音を吐いた。頭を振り、目元を押さえ、馴染み深い街並に片膝をつき何回か咳を繰り返す。
 店で売ってるような毒消し草が効くかどうかは分からなかったが、無いよりはましかと、彼女は上着のポケットに手を伸ばして薬草を掴んだ。
 その時、またしても咆哮が空を裂いた。空を仰ぎ、彼女は意外すぎる神獣の出現に何度も目を擦って閉口する。

「…誰よ…?ワグナス…じゃないわよね…。敵…?」
 判別はできないが、とりあえず彼女は毒消し草を噛んだ。

「今すぐ楽にしてやるよ!」
 その足元から忘れもしない、耳障りな少年が叫んだのが確かに聞こえた。
 彼女は足元の自分の影に目を見張ったが、そこには誰の姿も無い。けれど、確かに邪悪な意思を彼女は感じ取った。
    けれど、その彼女に一斉に八本の黒い影が殺到する。

「ミュラー!」
 名前を叫び、彼女に手を伸ばした。その手は届かずに、彼女の身体はオロチに咥えられ空に攫われて行く。

「………っ!!ワ、ワグナス!」
 彼女は抵抗したのですが、複数の大蛇に噛み付かれ、悲鳴を上げなかっただけでも並みの精神ではない。
 彼女はそのまま空に持ち上げられて行くが、更に抵抗して大蛇の首に短剣を刺した。
「おとなしくさせろっ!腕も足も引き千切れ!」

 私は不本意にも未収穫で地面に降り立ち、すでにローブもボロボロとなりつつある魔法使いを細く見つめた。
「…やめなさい。彼女はもう動けませんよ」


 勇者とラーの僧侶を城に向かわせた後、魔法使いファラとの因縁の対決は数十分もの間激しく続いた。
 彼は冷静さを失い、狂気に憑かれ、攻撃は自分でさえも消し飛ぶ程の破壊力を惜しみなく湛えている。
 一瞬の油断も許せない激戦。彼は苛立ち、追い詰め追い越し繰り返す内に、彼は「彼女」の存在に気がつき標的を彼女に向けてしまった。


「お前の弱点は知ってる。お前はこの女が大事だからな。動くなよ。動くと女は殺す」
 彼の黒髪は乱れ、右手は肘より下を消失し、爪は伸び口元には牙が覗く。彼の本性が抑えられなくなっているのでしょう。
 ラーの僧侶によって随分『力』をそぎ落とされた、焦りからの姑息な手段。
 私は、…ゆっくりと、大きく息を吐いて怒りを鎮める。
 冷静さを欠くことは死を意味する。過剰な感情は常に私の嫌うところでした。

「…みっともないですよ。ファラさん。ユリウスさんならそんな手段は取りません。所詮あなたは二流なんですね」
「何ぃ!!」
 短気な彼は、私の挑発にも面白いように引っかかる。火のように激昂し、私に掴みかかってくる。それは、    こちらへの誘導でした。

 左突きの連打を全て杖で受け止め、彼が息を吸い込んだ仕草で炎の吐息に備え、フバーハの呪文を唱える。熱風が吹きつけ、前髪が激しく上に薙いだ。
 怒りで判断力を失った彼は、私の狙いにまだ気づいていない。

 ひたすら守りに徹し、方向転換し彼女に近付いてゆく。
「…幻と遊んで下さい。    マヌーサ!」
 目くらましの残像の霧を残し、大きく後方に飛び上がると、一回転して彼女を捕える大蛇の首を杖で切り落とす。
 すぐさま追って来た黒き魔法使いの姿は確認していましたが、今は何より彼女の無事が最優先でした。

 落下する大蛇の首に破邪の呪文を当てて消し、しかと彼女の身体を受け止める。
 地上に足が届く前に、彼の呪文の詠唱に対抗呪文を用意する。

「二人まとめて消し飛べ     !!イオナズン…!!」
「マホカンタ!」

 直撃すれば、もはや二人だけに被害は収まらない、魔力を集結し大爆発を生み出す呪文に相応の反射呪文を広げてみせる。
 呪文は反射され、上空で激しい暴発を起こす。広範囲で悲鳴が上がり、爆風に人は伏せ、多くの民家の屋根が吹き飛び破片が流星のように降り落ちる。
 爆発による噴煙が立ち込め、一瞬にして陽を遮り周囲を暗がりに陥れてしまった。

 爆風に耐え、私は彼女の盾となってオロチの足元に暫しの間身を隠す。
 案外大きな生き物というものは、自分の足元には注意が向かず、周りばかりを探して足元が留守になる。オロチは敵を探して上空で忙しく首を交差させていた。

「ミュラー、すみません。いま回復しますね」
 彼女は毒が回り、混濁した意識の中で何事かをうめくだけ…。
 青ざめて苦痛に歪む表情に、私の胸は軋んだ音を立てています。

 でも、もうじき…。もう少しの辛抱ですから。
 心の中で謝罪し、間髪いれずに次の呪文詠唱に移る。

「こんなとこに隠れやがって!」
 回復の途中で彼に見つかる。けれど私は一つの芝居を興じることに。
「ミュラーに手出しはさせませんよ!」
 彼女を庇い、相手に対して背中を向ける。
「死ね!ワグナス    !」
 彼が爪を閃かせ突撃してくる。それは解っていました。魔法反射の呪文の効果があるうちは、呪文攻撃ができないのですから。

 魔の爪は私に届きはしたものの、更に深い傷を彼にもたらす代償。

「ば…馬鹿…な…」
 背中より、胴を貫いて胸元から刀身が覗く。魔法使いはわなわなと震え、背後の男の正体を知った。
「………」
 彼により、家族を奪われ、国に負われる立場に堕とされたガイアの一族の生き残り。黒い帽子で表情は見せないにしても、口元は苦い思いに固く引き締められていた。

「そのまま捕まえていて下さいね。スヴァルさん」
 彼が姉を心配して、こちらに戻って来ていた事に気づき、魔法使いの注意を自分に集中させていた。オロチの足元には彼も潜み、じっとチャンスを狙っていたのです。

 元凶の魔法使いを憎しみながら、けれど何か罵倒をしようとしても、言葉の出てこない苦悩…。弟は僅かに開いた口を噛みしめ、伏せる瞳に力を込めた。

 彼も大切な友人でした。
 今日その苦しみも解放される。
 私が解放しなければならなかったのです…!


 私自身も人と戦うことによって学んだ行動でした。かつてイシスでジャルディーノさんが見せた、破邪の力を     

 主の危機に伴って、頭上からオロチの首が襲って来る。それさえも、待って、私はにこりと仲間にするように微笑み向ける。
 それは「さようなら」の意味合い。

「…消えなさい。     ファラ…!!」
 オロチの首をぎりぎりまで引き付け、至近距離でニフラムの呪文を唱える。邪悪な存在、不死者などを聖なる光を持って消し去る呪文。
 ミュラーを片手に抱えたまま、片手に賢者の杖を構え大地に刺し、突き立てた杖を中心に聖なる主の御力全てを注ぎ込む。

「ギャアアアアアーー!!」
 オロチはそのまま、影を光に消し飛ばされてゆく。私は目を伏せてなお、傍の魔を感じることができる。全身に力を込め、魔を消し去るために全身全霊の魔力を放出してみせる。

「うわああああああああっ!!」
 オロチが完全に消滅し、主たる少年はたまらぬ光にわめきながら逃げ出そうと抵抗する。しかし彼の背にいる男が肩を地面に押さえつけ、更に抜いた短剣を再度背中に突き立てた。
「はっ、離せ!離せ離せっ!ギャアアアアアアッ!!」
 追い込まれて、弱者なった途端に彼は子供のように駄々をこね始めた。
 灼熱の鉄板に押さえつけられた子供に等しく、彼は「ぎゃあぎゃあ」叫んで見苦しく手足をばたつかせて泣く。

「助けて…!姉上っ!消える…!嫌だっ!嫌だ…っ!」
「……嫌か。でもお前は、女子供も容赦なく殺した」
「当たり前だ!人間なんて魔物の餌なんだ!餌がなくなったら困るから、飼ってやっただけだ!サマンオサは飼育場だったんだ!お前らの肉と負の感情は全て魔の餌だ!」

「黙れ………!」

 光の中を、彼の怒りの声だけが支配する。



 魔力の全てを放出し、私はにわかにミュラーを抱えたままうなだれていました。
 肩で息をしながら、しずかに瞳を開く。
 オロチの姿は無く、黒いローブの魔法使いが短剣を背に貫かれうつ伏せているだけ。

 完全に弱った、敵を視界に確認しながら、私の腕の中から彼女が弟の元へするりと移動するのを微笑ましく見送る。
「スヴァル…!」
 弟にひしと抱きつき、彼女はこれまでの苦渋を労って頬や頭をひたすらに愛撫繰り返した。ひとまずの結末に、謝罪も感謝も込めて優しく。

「姉さん…」
 姉に帽子を外されて、素顔のさらされた美男子はふっと表情を緩めて笑顔を見せた。姉は自分の短剣を引き寄せると、因縁の相手に垂直に短剣を構える。

「随分長い間、世話になったわね…!」
 初めて遭ったのは賢者の塔だった。それから数年間の怒りを込めて、彼女こそが引導を渡すに相応しい。
「うっとうしいのよアンタ!燃えちまえ…!!」

 策に嵌め、一族を陥れ、サマンオサを悪政にて支配してきた、魔法使いが炎に包まれ最期に求めたのは姉だった。

「姉さん…。ねえさん…!」
 忌々しい黒いローブが燃えカスに変わってゆく。ローブの中の少年も溶ける様にして消滅してゆく。

 短剣を握りしめる、姉の手に弟の手が重なると、豪気な彼女は顎をしゃくって言ってのけた。
「ハン。そんな何処ぞの姉弟にうちが負けるわけにいかないのよ!!」

 …最もな意見に私は微笑していました。



「御頭ーー!!」
「ミュラー!スヴァルや!」
 邪悪が消え去り、止まっていた時間が動き出したかのように、街角から海賊団の子分二人が駆けて来る。先に辿り着いた若い男性はすかさず疲労の濃いミュラーの体をしかと抱きしめ、それはそれは労った。
 …少なくとも、「出遅れた」とは心の隅に感じました。

「完全に消えたのか!奴はっ!?」
 海賊団の幹部であり、彼女の幼なじみで片思い中のチェスターさんにトゲのある質問をされ、しぶしぶ私は答えていました。
「……。そうだと思ったのですが…。申し訳ありません。私の封印はまだ残っているようですね…」

「向こうはあらかた片付いたぞい。あとはあのボストロールぐらいのもんじゃ」
 老体ゆえにのんびりと駆けつけて、海賊団の老魔法使いは巨人を顎で示す。そこでは巨人対、竜の信じられない対決が繰り広がっていたのでした。

「チェスターさん。ミュラーのこと、よろしくお願いしますね」
「当然です。あなたはサッサと勇者たちを助けに行って下さい。ここはあなたの管轄じゃありませんから」
「そうですね。…そうします」

 幼なじみの腕に支えられ、ミュラーが何事か言おうとしたのが分かったのですが、言わせずに私は背中を向け、自分の「管轄」へと戻ってゆくことにする。

 すぐさま死角の路地裏に入り、周囲に魔法使いの気配を探った。
 
 けれど    
 見つける事もできずに、杖を手放し賢者は音も無く地面に倒れ落ちてゆく。
「は…、ははは…。さすがに魔力を使い過ぎましたね…」
 見つめた指先が薄くなっているのを知り、私は先程の自分の言葉を思い出していました。

 それは本心でした。
「ミュラーのこと、よろしくお願いします」と…。


==


 偽の国王の正体を暴き、巨人との戦いが始まってから、どのくらいの時間が経過したのでしょうか。
 シーヴァスさんが竜変化して、戦況はかなり良い方向に向いていました。
 隼の剣士アイザックによって棍棒を砕かれ、巨人の武器は今は手足しか残っていない。竜が行く手を遮り、進退も自由にならずにその場で暴れているばかり。

 力技で押しきろうとする巨人と、こちらは仲間が五人。チームワークで打ち勝てるはずでした。

「シャルディナさん!?大丈夫?」
 情けないことに…。最初に脱落してしまうのは私…。
「うう…っ。苦しい…っ!」
 後方支援しかしていないのに、真っ先に疲れてしまい、思うようにオーブの力が使えなくなって胸を押さえて倒れてしまう。僧侶サリサさんが駆けつけてくれるのですが、私の容態を見るとそう判断するしかなかった。
「すごい熱…。シャルディナさんはもう休んでて下さい。それとも先に何処かへ離脱した方がいいかも知れない」
「そ、そんな…」

 せっかくここまで戦っていられたのに。先に結末も見ないで帰るなんてできない。
 私は自分が情けなくて仕方がない…。
 気持ちだけは熱く燃えるのに、身体は手を着いたまま、一人で立ち上がる事も出来ない。こんな状態じゃみんなの足を引っ張ってしまう。

 私は進退を迫られていました。


    そこへ、手の触れた地中を、移動する『力』を感じて瞳を見開く。

『レッドオーブ』が、ボストロールから地中に吸い取られ、
何処かへ逃げて行こうとしている?

 
 総毛立ち、訪れるだろう結末に心底ぞっとして唾を飲み込んだ。

 オーブは逃げた。
 このままでは勝っても、目的のオーブは手に入れられない     


「待って…!どうしよう!オーブがっ。オーブがっ!ああっ!」
「オーブがどうしたのシャルディナさん!」
 動揺のために説明は覚束ない。けれどサリサさんはほんの数秒だけ迷い、その後で信じられない言葉をかけてくれたのです。

「追って!ここは大丈夫だから!オーブを追えるのはシャルディナさんしかいないんだから!アイザックと二人で追いかけて…!」

 様子に気づいて心配した彼がやって来て、二人でオーブを追うことに決定される。
 私は彼女の言葉を反芻し、ずっと「ぽかん」としていた。
「シャルディナ!行こう!どっちか分かるか?」
 彼は私をおんぶして道を急かす。私の心は、私の瞳はただ彼女だけを見つめて真意を探していたのでした。

 …本当に、いいのですか?
 二人で行ってもいいのですか…?

 ただオーブを追いかける事への許しを貰えただけなのに。それだけなのに。
 『二人で』を、二人でいることを、許された思いがして胸が熱くなる…。


「ありがとう。サリサさん」
 あの日、私を強く叩いた彼女を、真摯な想いでまっすぐに見つめた。どこか寂しそうだけれど、彼女はふっと笑って見送ってくれる。
「ちゃんとオーブ見つけてね」

 アイザックは私をおぶって街道を走り始める。振り返る私の視線の先、サリサさんは小さくなり、けれど以前のような尖った印象は覚えなかった。

 胸が、どきどきして止まらない。…どうしよう。
 嬉しくてたまらない。
 私の臆病さに呆れて、「嫌いだ」とぶった人が、私を許してくれる?

 私に笑ってくれたの……?


「…泣いてるのか?シャルディナ」
「…うん。…嬉しくて」
 消化や救出活動に人が大勢行き交う街並みを駆けながら、振り返らずに彼は訊いた。彼だって、私達のことを心配してくれていた。彼にはどうにもできないのだとしても。

「…サリサとも、仲良くなれたらいいな」
「……。うん…!」
 彼の背中、本当はずっと遠いものだと諦めていた。手を伸ばせば、いつだって届くことができたはずなのに。

 ……あなたも許してくれるかな?ずっと嘘ばかり口にしていた私を。
 本当の気持ちを言えなかった私を…。


「すいません!どいて下さい!急いでるんです!」
 アイザックは私の指示によって、人をかき分け右往左往に追いかけ奔る。
 彼だって疲れているのに     後頭部を見つめながら私は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。でも同時に、落ち込むのではなくて、沸き立つ想いに自分自身興奮するのを無視できない。

    こんな気持ちは初めてでした。
 彼が走ることで、横に流れ動く景色が、何故か鮮明で眩しい。
 気持ちと鼓動が、比例して一緒に加速してゆく初めての『気持ち』。


 オーブを持った魔族の気配は、ゆっくりと街の中心から外へと移動するようで、区画化された道を進んでいるうちはどんどん距離が離れて行くばかり。
「悪いな。建物が崩れて、ここは通れないんだ。あっちを回ってくれ!」
「くそっ!迂回するぞっ!」
 本来なら通れたはずの道も、巨人の行軍によって多くが通行止めに変わっていました。多くの邪魔や道の誤りにぶつかり続け、焦って私は身を乗り出す。

「離れてく…!間に合わない…!」
    急いで。急ぎたい。
 おぶられた存在ながら、私の気持ちは前へ前へと進み、無茶を彼にさせてしまうことになる。どうしよう。どうしたらいいのか。

 お願い。間に合って欲しい。間に合って欲しい。
オーブは私の力だから     !!


 人を背負いながら、彼は今日も一生懸命でした。
 巨人と戦い、その後で私をおぶって街を奔り、汗を拭う暇さえない。重いとも、疲れたとも、決してひと言も文句を言わない彼は優しい。
「シャルディナ、諦めるなよっ?シャルディナ……!?」

 暫く私が無言なので、背中に居る私を勇気付けるために呼ぶ。
 …嬉しかった。
 まるで空も飛べそうなぐらい。
 景色が横に流れてゆく。私の心と一緒に加速を増してゆく。
 今までずっとこうだった。君は私の心をいつも走らせてくれるね。

 心が軽い。指先からつま先まで、全身が熱いのに、とても気持ちが良いの。背中に熱を感じる。心も身体も熱くて軽くて、このまま飛んでしまいそう。

「シャルディナ…!お前…!」

 大地を走っていたはずの彼の足は、ふわりと宙に浮かび、数回何もない空間を漕ぎ彼は慌てふためいた。
 私は後ろから彼を抱きしめ直して、背中の『熱』で風を掴んで上昇する…。

「うおおおおおおおっ!!」
 加速する横の風景。瞬く間に離れた地面。彼は上空から城下を一望して歓声を上げた。
 街を空から見下ろしたことなんて彼には無かったことでしょう。屋根の連なり、上空から見て初めて分かる道の流れ。
 視界を巡れば王城も、巨人と戦う竜の姿も確認できる。
 街の遙か先に広がるのは緑の山並み。
 火災による煙によって空は膜を生んでいたけれど、もれた陽射しは心震えるほどに美しいと思った。


 この背中にもう「羽根」なんて要らない。
 幼き日に自らむしり取ってから、再び翼が欲しいと思ったことはなかったのです。
 親に気持ち悪いと言われてしまった。災いの種になって多くの犠牲を呼んでしまった。子供の頃の小さな翼では、空を飛ぶこともできず逃げることもできなかった。

 私にとっての翼は、いつも逃げるための「手段」だった。

 オーブを集めて、ラーミアに戻って、空を飛びたいと願った。
 それは「帰りたかった」だけの願いだったのです。
 自らの羽根で風を掴んで、大空を往きたかったわけじゃない…。

 初めて心によぎった思い。
 自分でも信じられなくて、鼓動が身体の外まで溢れ零れてしまいそう。

 心が軽くなり、共に体も空へと上昇していった。
 初めて飛びたいと思ったのです。



自分の力で飛びたいと。



 自分で捨てた、白い翼が背中に甦り     大きく強く羽ばたく。
 私は人目も気にせず翼を広げ空へと翔けた。彼だけじゃない、多くの人が私を見て驚き沸き立つ。

「すっ…!すげーよ!シャルディナ飛んでるよ!飛んでる!」
 初めての空に彼ははしゃいで、私も思い出して感動していました。風の優しさを、空の温かさを。この喜びを。

    !アイザック、見つけたよ!」
 彼を抱えたまま旋回し、目的地目指して翼をはためかせる。
「キキーッ!キキッ!」
「…あっ!…きゃっ…!」
 すかさずガルーダやヒートギズモなどの飛行可能な魔物たちが攻撃してきて、バランスを崩し私はよろめいてしまった。
 滞空してアイザックが隼の剣で応戦するけれど、気づいた魔物たちは次々とこちらに方向転換するように見える。

「えっと…。ど、どうしよう。逃げる…?」
 さすがに私も長時間は飛んでいられそうにないし、彼も掴まれた状況では戦いづらい。
 だいぶ外壁に近づき、地中を這う魔物も逃げて行ってしまう。焦って強引に振り切ろうとしても、圧倒的に飛行速度で勝る魔物たちが前に回りこんで襲ってくる。

「ギャアア!」
「ウギャアー!」
 思いがけず、遠方から閃光の矢がほとばしり魔物数匹が落下していった。
 驚いて二人で同じ方向を振り返ると、矢は再び一匹の損ないもなく接近する魔物たちを射落としてゆく。
 考えなくても、そんな事のできる人物は一人しか有り得ませんでした。
 数十メートル先の外壁上で声は届かないけれど、彼が短く手を振るのが見えて思わず笑顔をつくる。
 アイザックのアリアハンで共に過ごした友人、そして私にとっても見知った友人、神の弓を持つリュドラル王子は外壁の守護に当たっていたのでした。

「ありがとなリュドラル!行くぞシャルディナ!」
 彼も手を振って、私は狙いを定めて急降下してゆく。彼のおかげで追っ手はない。



 移住区を過ぎ、さびれた墓地へと続く道上空を飛行してゆく。
 この付近まで来ると人の姿は見えなくなる。逃げる魔族も、人目を避けているのかも知れませんでした。
 道も整備されていない、郊外の荒地です。支障になる建造物もなく、好機は今だと彼が提案し行動に移した。

 逆光を背負い、私の手を離れ、彼は隼の剣を逆手に構え飛び込んで行く。

「うおりゃあああああっ!!」
 むき出しの地面に深々と刀身は突き刺さり、勢いに負けて少量の土がえぐられ飛び散る。私の感じた通り、その場に確かに魔族は存在していた。

「ギャアアアアアアッ!!」

 刺された大地から魔物の悲鳴が炸裂し、息切れした黒髪の少年がうっすらと半身だけを見せて呻く。
「ううっ……。うううっ…。な、なんで分かったんだ…」
 すでに彼は実体を持つのも難しいらしく、地面から半身だけが半透明で現れるだけでした。黒髪も結いがほどけボサボサで、黒いローブも着ていない。
「レッドオーブを持ってるだろう。渡しやがれ!」
 アイザックはすでに弱り果てている、魔族の腕を掴み剣先を突きつけて凄む。

「……渡すか、よ。バーカ…。これは姉上に渡すんだ…」
 彼の姿はするすると再び地中に消えてゆこうとする。
「待って!返して…!」
 私は地面に降りると必死でしがみつく。両手は大地に潜り彼を掴み取った。
「返して!お願い返してっ!返して…!」
 腕は肘あたりまで沈み、抵抗する魔族は私の腕に爪を立てて振り払おうと肉を裂く。

「これは私の力なの!お願い!返して!返して…!!」
 死に物狂いな私を見て、アイザックも大地に手を突き髪を掴んで引きずり上げる。姿が見えると何度も剣を突き立て私と魔族の間に入ってくれた。

「もう充分だろう?お前はここで消えろ!!」
 私の願いに呼応したのか、隼の剣は朝日のような煌々とした輝きを発っする。十字を描いた連続攻撃が命中し、魔族は悲鳴も無く一瞬で無に帰した。

「はううっ   !」
 引き合った片方の力が無くなり、反動で私はひっくり返り反対の地面に飛んでゆく。土埃にまみれて数回咳して、彼が抱え上げたのに視線を合わせた。
「大丈夫かシャルディナ!」
 私の腕はズタズタに裂かれ、出血し、くっきりと掴まれた痣が黒く呪いのように染み付いていました。
 でも、私はそんな腕をむしろ勲章のように誇らしく思い掲げる。

 何故なら負傷した両手には、欲しかった『赤い光』が輝いていたからなのです。


「やったぁ…。嬉しい。嬉しいよ…。私、頑張れたんだ。…私、頑張ったって、言ってもいいよね…?許してもらえるかな。認めてもらえるかな……」
 大切に、大切に、私はレッドオーブの赤い光を自分の胸に宝物のようにしまい込んだ。

 もう動けなくてもいいと思う程の、達成感と言う感動が押し寄せ、とめどなく涙は溢れて落ちた。今頃になって、様々な恐怖を思い出して、緊張が解けて身体ががくがくと震えてくる。
 城に潜り込んでいる間も、巨人を追いかけている間も、レッドオーブを追いかけて飛んでいた間も、サマンオサにいる間中ずっと怖くて仕方が無かった。

 でも「怖い」と口にすれば、私は負けてしまうから。
 ただ泣いて、怖いと言って、安全な場所で待っているだけの自分にはもう二度と会いたくない。

「シャルディナは頑張ったよ。凄いよ!誰もお前のこと馬鹿にしたりするもんか。そんな奴いたら俺がぶっとばしてやる」
 彼は晴れ晴れしい笑顔で、私を抱き上げると街への道を引き返し歩き始めた。
「……。ありがとう…」

 彼は、背中を支える手の位置に戸惑い、改めて私の翼に視線を注ぎ、私の姿を改めて見直して言うのだった。
「シャルディナは、翼があった方がいいな。似合ってるよ」
「えっ……」
 何気なく彼は言うけれど、その言葉がどんなに私にとって嬉しいことか。
 思わず嬉しさと、気恥ずかしさが同時に込み上げて、私は俯いて赤面を隠した。

「竜の姿が見えない…。シーヴァスの魔力が尽きたか?急ごう!」
 仰いだ空には巨人ボストロールの姿しか見えず、彼は再び街を駆けて行く。



「あらあら。ファラったら…。待ち合わせ場所まで辿り着けないなんて…。いけない子ですね。クスクス…」
 二人が去った後、灌木の影から髪の長い女性が姿を現し、薄い笑みを浮かべて戦いの痕跡を見下ろしていた。
 女性はそのまま、いつしか溶けるように姿を消している。



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