「竜の娘に祝福を」



「すまぬ。サイモン、すまぬ     !!」

 鏡に映った小さな魔物、呼ぶのは数年前に投獄されてしまった旧友の名前。

 僕は鏡を手に顔を上げ、救い出さねばならない「真の国王」の所在、眼前のサマンオサ城を仰ぎ見た。

 右からジパングの宝剣を携えた勇者が、左から隼の剣を薙ぐ戦士が、屈辱的に当惑していた魔法使いと緑の魔物ボストロールへと斬り込んでゆく。
「当てが外れて残念だったな」
 右手側ボストロールには勇者の斬撃が炸裂する。重い棍棒を持ち上げ、ボストロールはからくも受けると、反動で大振りし勇者を弾き飛ばす。
 歓迎の宴用に陳列されていたテーブルに飛び込み、勇者はけれどすぐに起き上がり攻撃範囲に復帰する。

「魔物の好きにはさせない!覚悟しろ!」
 黒いローブの少年魔法使いには、隼の戦士が連続攻撃で降って来た。
「くそっ!!」
 魔法使いは吐き捨て、しぶしぶ持っていた杖で攻撃を受けざるを得ない。不気味なへんげの杖は、隼の剣を受けても折れはしない。

 飛び出した二人の後方に、がくりと赤毛の僧侶は膝を下ろた。
 ひとまず、僕の役目は終わった。この後は    

 赤毛の僧侶の後方では、賢者が音もなく木製の杖をくるりと回す。
    ピオリム!」
 賢者から迸ったのは素早さを上げる呪文。待っていたとばかりに呪文を受け、あっという間に魔法使いの手元を紅い閃光がかすめて行く。
「うっ!」
 矢のように閃光は戦士と対峙する魔法使いの腕に激しく噛み付いた。かと思うと   その手から魔族の杖を奪い飛び去る。

 朱色の閃光は、賢者の肩上でバサバサと羽音を立て、振り返り滑空してみせた。
 閃光は小型の竜の姿を持ち、不気味な杖をくわえて満足そうに笑っている。
「貴様、あの時の竜!」
「ふにゅっと、ふにふに!」
 多分、「ざまあみろ」と罵り、小さな飛竜は杖奪還を果たすと、賢者に渡し僕の脇にふわりと降り立つ。

 正体を暴いてから杖を奪うまでの時間はたったの数秒     
 打ち合わせどおり巧く事が運んでくれた。
 みるみる魔法使いの顔は醜悪に歪み、反比例して賢者は嫌味な程の微笑を浮かべ、黒い影を密かに口調に忍ばせる。
「ようやっと、会えましたね。この杖はランシールで封印させて頂きます」

 因縁深き相手に贈る冷笑は、前に居る僕の背中にも氷を注ぐ。
 賢者の杖で貫くよりも、時に言葉は強烈な殺傷力を持ちかねない。風も微かに、渦を巻き賢者の背景を不穏に装う。


 諸悪の根源たる魔族の杖。
 魔族にしか扱えない魔器に普通の人は触れることができない。邪気にあてられ、その手に少なからずダメージを負うためでした。
 賢者はその役を買い、耐魔に優れる竜族の生き残りも杖奪還を自ら名乗り出た。

 瘴気を振りまく魔族の杖を手に、緑髪の賢者は瞬く間にルーラの呪文でランシールへ飛んで行く。早急に杖は封印され、もう二度と魔族の手に渡ることは無いでしょう。
 数刻の間ルビス神の従者は不在となりますが、作戦は何より安全を重視していました。

「ファ、ファラ様ぁーっ。どおするですか〜!」
 勇者の攻撃を牽制しながら、ボストロールは指示を求めて情けなく後ろを振り返る。
 巨体をどすどすうるさく動かし、自分の体重の十分の一にも満たない少年に助けを求めて寄り添うと、しかし少年の余裕を感じて、途端に強気に身構える。
 正体の暴かれた兵士達は往生したまま    。呆気に取られていた民衆達はようやく事態を飲み込み始め、遅い悲鳴を上げつつあった。

「どういう事だ…?王様が魔物になった…?」
「兵士たちまで皆魔物だぞ…?」
「あの鏡はなんだ…?勇者たちは一体何をしたんだ…?」
 ざわめきは広がるごとに強さを増してゆく。

 僕は毅然たる態度で鏡を天に掲げ、立ち上がると最大音量で叫ぶ。
 僕に迷いが見れれば、きっとその迷いは民に伝染してゆく。僕は正しさを主張し、宣言する要を自覚していた。

「これはラーの鏡。真実を映す神の鏡です。僕はイシスにてラーの化身と名打たれた僧侶ジャルディーノ。皆さんこれが今のサマンオサの姿です!この国は魔物に支配されていたんです!」

 水を打ったかのように民衆は息を飲み込み、もう一度かつて『王』であった魔物たちを見張った。


「あーっ、はっはっはっはっはっ!あーっはっはっはっはっはっ!」
 追い詰められた魔物たちの中で、首謀者であると思われる少年一人、壊れたように大声で笑った。
 麻痺毒に侵されてしまったかのように、魔物も、僕たちも、そして疑問の渦に飲み込まれた民衆も誰一人動けなくなっていたのです。
 高笑いする少年の眼差しは陽光の元でも色濃い闇をかもし出す。

 魔法使いの少年、ボストロール、正体の暴かれた魔物数十体。数は多くても太刀打ちできない数ではありませんでした。
 味方には元ニーズさんたち、そして海賊たちも民を守るべくしっかりと配置されていたのですから。

 完全に浮き足立った魔物たちの中で、彼は一人狂気の中、哄笑続けて僕を視線で呪った。
「はははっ。さすが姉上の言う事は正しかったみたいだ。初めに消すべきは赤毛の僧侶。まずはお前から殺せってな!」
「………」
 ごくりと、唾を飲み込み、僕は無意識のうちに一歩後ずさっている。鏡に黒い影が数本揺れているのが視界に霞む。

 この人の正体は       !!



「あんまり、僕をなめるなよ?」
 紅い双眸が不気味な閃光を放ち、正面の僕達は咄嗟に目をつぶり、身を屈めて石畳に伏した。
 視線に撃たれ、後方の民衆たちがバタバタと倒れていった。叩いても起きないような、深い眠りの中へ堕とされてしまう強烈な催眠の眼光。後ろを確認して戦慄に青ざめた、けれど、彼の恐ろしさはそれだけに納まらない。
 少年は両手を掲げ、魔族の言葉を詠唱始める。くぐもった呪文は早口に終了し、自身の影から一匹の魔物が姿を現す。
 黒い影が触手のように彼の影から伸び、蛇にも似たその魔物は次々と炎を吐いた。蛇は全部で八匹。いや、違う。あれは     

「まさか……!」
 仲間たちの誰もがぞっとしたことでしょう。
 そんなシルエットはもう二度と見たくなかった。炎を吐く影の姿はジパングで遭遇した凶つ神。確かに倒し、消滅したと思ったのに。彼は冥府から凶つ神を呼び戻したといわんばかり。
 あの時と違うのは、オロチの実体が全て『影』であったことだ。瞳すらもない、影絵が命を得て動いているかのような不気味な存在。
 ジパングで見た時よりも一回り小さいけれど、二階建てくらいの背丈は持っている。

 彼を中心に左右にオロチとボストロールが展開する。
 邪悪な波動が広がり、吐かれた炎によって周囲は瞬く間に火の粉に包まれてしまった。城前広場は炎の海と化し、オロチが出現する際地面は激しく揺れ、僕たちも散乱するパーティ会場を右往左往に転がった。

 これまで感じたことのない巨大な邪悪な意思がそこにいる。
 小柄な少年から押し潰されそうな暗黒の波動が溢れ止まらない。
 人々は狂気に追われ、人垣の中でパニックを起こし多くの悲鳴が爆発していた。

 瘴気に口を押さえて彼を睨むと、数メートル先からでも鮮明に、彼は僕だけを視殺していた。彼の最たる標的は、この小さな僕自身。

 冥府からオロチを召び出し、炎を背負い、赤い絵の具を撒いたように空の色さえも変えて、彼は僕に死を宣告する。

「…後悔させてやるよ。犯罪者になって捕まっていれば死ぬのはお前達だけで済んだのに。可哀相に、頭に来たからこの国もネクロゴンドのように全滅させてやる」
 オロチはゆらゆらと左手側、市街地へと進んでゆく。

「殺せ!喰らい尽くせ!全てを焼き尽くせ!」


 彼の恐ろしい宣言により、魔物の総攻撃は開始された。
 八つ首の影は市街に向け、炎を撒き散らし続ける。右手側に向かっては、黒き魔法使いは「フーフー」と何度か息を吹いた。
 吐かれた炎は手足を形成し、中心には顔が浮かびあがる。炎の魔物フレイムと呼ばれる、狂ったように踊り続ける炎の精霊と変わり、彼らも「ケケケケ」笑いながら町を飛び回る。
 身の毛もよだつような、黒き魔法使いは恐ろしい『炎の化身』だったのです。

「ボストロール!お前はこれだ!」
 魔法使いより、『炎の玉の如き宝玉』が放たれた。そのままボストロールのたれた腹へと潜り込み、緑の巨人は激しく痙攣し始める。


「な……!?」
 僕は赤い空に、膨張し巨大化して行く緑の魔物に恐れ怯んだ。
 元々ボストロールは人より二回りぐらいは大きい。しかし巨人は獣の咆哮を上げながら、縦に横に膨張し、しまいには周囲の建物からはみ出し、三階建ての建物の屋根を長い舌で舐めてしまう。

「うわああああっ!に、逃げろおおっ!!」
 様々な悲鳴を上げ、取るもの持たずに民衆は逃げるしかない。更に恐慌は収集できない程に噴火している。
「いやアアアッ!助けてーー!!」
「化け物ーーっっ!殺されるーーーっ!!」
 押し合いへし合い、思うように進めない。足を取られて誰かが転び、立ち上がれずに哀れな誰かが多くの足に踏み砕かれた。
 緑の皮膚の怪人は遙か上から勇者達を見下ろしていた。長い舌からよだれが垂れ流れ、重い棍棒が軽そうに持ち上がる。

「ぐひゃひゃひゃひゃっ。さすがファラ様だ〜!これでも喰らえ〜!!」
 炸裂する打撃は王城広場周囲の建物を粉砕し、多くの民衆を一瞬で叩き潰した。
 
 恐ろしさに    僕達は勇者の元に集まって指示を仰いでいました。

「…何て奴等だ!ジャル、あの巨大化は解けないのかっ?!」
「えっと、…すいません!へんげの魔法とはちょっと違うみたいです。むしろあの状態が本体と言うか…。ああされてしまったと言うのか…!」

 言い方は悪いですが、後のことは考えていない無理な巨大化。おそらくあのボストロールは捨て駒にされたのだと思った。
 巨大なレッドオーブの力で破壊だけをもたらす魔獣。いずれその肉体は崩壊するでしょう。けれどボストロールの崩壊が先か、この町の崩壊が先かは分からない。

 ニーズさんが舌打ち、僕は慌てて伝えていました。
「聞いて下さい!城の地下に王様が捕まっているんです!スライムに変えられてますけど、本物の王様が生きているんです。助けに行きましょう!」
「何だって!」

 戦況に、勇者の視線は素早く動き、思考は一瞬の間にぐるぐると回転する。

「町の方はうちの奴らに任せて!オロチはアタシが引き受けるわ!アンタらはそのデカイのをお願い!」
 声は頭上から。海賊の女頭が隠れていた建物の上から飛び降り、眼前を横切りながら大声を何度も繰り返す。

「落ち着いて!逃げたってしょうがないわよ!戦うのよ!外に逃げたって魔物が待ってるだけよ!戦うのよ!アンタたちの国でしょう!!」
 その後に彼女の弟も従い、共に民の扇動を訴えた。

 外に逃げても魔物が居る。逃げ場所なんてなければ、家で震えていても焼かれてしまうだけ。ならば火を消し、民も戦うしかない。彼女らは町人に決起を叫ぶ。
 広場に集まっていた民衆の中には、彼女らの子分たちも当然潜入させていた。
 彼らは勇ましく、裏切られた祖国のためにも誇り高く戦う。
 町の方は彼らに任せるしかない。その代わりに、僕たちが為さなければならないのは、この緑の皮膚の化け物を止めること。

 ここに居るのは勇者と戦士と僧侶。賢者はひとたびの戦線離脱中。竜の子は人の姿に変わって骸骨剣士数体を殴り倒していましたが、作戦通りに城下町の外壁へと移動始めている。
 町全体を襲う乱戦はすでに予想の範疇。外から襲い来る魔物には竜族アドレスさんの他、頼もしい味方が配置されていました。町や民を襲う魔物には海賊たち、そして僕たちには更に応援が待っているから      


「お兄様…!」
 パニックに陥った民衆の阿鼻叫喚の中から、ようやっとエルフの魔法使いの声が一際高く響き渡る。
 彼女は広場を見下ろす古い教会の屋根に立ち、とんがり帽子と黒いマント姿で焦げ臭い巻き風に打たれつつも力強く立っていた。暴れるボストロールに冷気の呪文を炸裂させ、共に戦いに参加する意志を明かす。

 レッドオーブ、炎系の力で暴走する相手に対して冷気の呪文は効果的かと思えた。
「おでの邪魔をするなぁ〜〜〜!!」
 しかし皮膚の表面をわずかに凍りつかせただけで、巨人は建物を粉砕させる棍棒の一撃を振りかぶる。

「シーヴァス、こっちだ!」
 屋根の上にはもう一人、盗賊がエルフをさらって隣の屋根に飛び移る。
 城内侵入を手伝い、脱出後も一緒に行動していた男盗賊に彼女は飛びつき、共に逃れほっとする。
 古い教会を棍棒で叩き潰し、巨人は大口を開くと火炎を吐き出した。予想外の攻撃に、屋根上の二人は危機に窮し、男盗賊は彼女を庇って抱きしめる。

 吐き出された火炎は、恋人たちを焼き焦がす前に、外側から霧散し消えてゆく光景を誰もが見た。
 吐かれた炎が、外部から無意味なものに抑えられてゆくさまを。

 僕たちの視線よりも速く、彼女を貫いたのは黒き魔法使いの視線でした。
 混乱の街角から姿を現し、両手に青い光を抱えて凛と立ち誇っていたのは、長い金の髪の少女。

「…レッドオーブの力は、私が抑えます」
 儚くも神々しく、彼女は戦地に赴く。
 守護するように傍には、僧侶娘が十字架の聖剣を携え構えていた。
「遅くなってすみません!彼女は私が守ります!」

 城に潜入していた彼女達は、城内の結界を解くために奔放し、脱出したはいいものの、疲労の為にぎりぎりまで休息を取るよう気遣われていたのでした。

 仲間たちが揃い、ニーズさんは駆け始めながら告げた。
「城には俺とジャルで行く。すぐに戻るから、それまでなんとか持ちこたえろ!」

 鏡を手に、僕は国王救出の為に城の地下を目指して奔る。


==


「…逃がすかよ…」
 勇者と赤毛の僧侶が城を目指して駆けて行く、その後を追ったのか、黒ローブの魔法使いはするりと土中に潜り消える。

 国王救出のために二人が抜けた。それでも巨大化したボストロールは残された私達だけで止めなければなりません。
「これでも喰らえ…!ぐひゃひゃっ!ぎゃひゃひゃっ!」
 建物を叩き潰してゆくことが面白くなったのか、楽しそうに巨人は棍棒を振りまくる。

「させるかよっ!この野郎!」
 素早い動きで隼の剣士は回り込み、連続した二回の剣戟で巨人に数歩の距離を後退させる。うるさそうに巨人は炎を吐くけれど、その炎も彼に届く前に霧散させられた。

「ありがとな!シャルディナ!」
 吐く炎は彼女が抑えてくれる。その彼女には常にゾンビキラーを装備したサリサが守護についていた。
 その姿を見ると、私は戦渦にあっても、わずかに喜びが浮かんでくる。
 城内でサリサは彼女に助けられた。サリサは自ら、返すために彼女を守る役割を担った。二人が徐々にでも近くなってゆくことは、私にとってとても嬉しいこと。


「…足止めにもならないな。分が悪すぎる」
 私の傍に居てくれる、盗賊が戦況を見て危機を訴えた。
 巨人は無尽蔵に町内を叩き潰し、逃げる民を踏み潰してゆくが、こちらは非常に戦いづらい。火災の消化に、踊る炎の討伐に人は行き交い、逃げる人々も妨げになってしまう。わざわざ建物を迂回して巨人の前に出たり、高い所から攻撃を仕掛けたくても、町は火災の進行激しい。
 建物に昇ることも下手すれば命取りになってしまうこんな状況下。

 私の冷気呪文も足止めにならない。
 正直、責めあぐね、更に守りあぐねていたと言っていい。圧倒的に戦況はこちらが不利でした。
 シャルディナさんの力は比較的広範囲に及ぶけれど、追ううちに後方の彼女達とはぐれてしまった。
 先に行ったアイザックも頑張っているのだろうけれど、決定打は撃てていない様子。
 本来トロール族は、自己回復能力に優れている。弱いダメージならば、彼らは数分で回復してしまえる。

 早く止めなければ、町の崩壊は深刻さを増してゆくばかり    


 火災によって脇の建物が倒れ、中から炎の魔物が笑いながら側転してくる。
 逃げ遅れたらしい子供が母親を探して泣いていた。
 ルシヴァンが炎の魔物にダガーで斬りつけたが、斬った痕はすぐに繋がり、炎の魔物は「ケケケ」と笑って踊り狂う。

「ちいっ…。生半可な武器じゃこいつら斬れもしねぇ!」

     ドクン。
ドクン…。

 炎の光景に、鼓動が先走って行く。
 冷気の呪文は足止めにならないけれど、一つだけ、その呪文なら、緑の巨人を止めることが可能になる    
 思い立った私は、焦げる匂いの中で心の底から葛藤していた。

「…………」
「シーヴァス?どうしたよ?」
 紅に染まる町並みに立ち止まり、鬼気迫った私に、彼は腕を引こうと手を掴んだ。

「…ルシヴァン、私…。私のこと、嫌いにならないで下さいね…」
 こんな時に何を言っているんだ?彼の瞳は口にする前に心情を語る。

 ハラハラと火の粉が舞い、喧騒のさなかで、私は竜の杖を彼に預けることにする。
 ランシールで、喪服の聖女がくれた杖。杖の先で翼を広げる竜のように、私は今町を守る『盾』になろうと決意している…。

「お前、まさか」

     その、まさか。
 だって、それしか、ないでしょう…?
 体格の差は、戦いにおいて大きな戦力の差を生む。足元を奔放しなければならない私達は深刻に脆弱だから。

 せめて、「大きさが同じ」になれば、きっと戦況は変わってゆく…。


 答えは去りゆく私の細い瞳の中に。
 人ごみを避け、私は場所を探している。けれど走っても人が傍に居ない場所など見つからなかった。
 忙しく首を左右に振り、けれど充分な場所が取れそうな空間は見つからない。

 燃え上がる民家を眺め、ふと思案する。
 火災の中では、確かに人は存在していなかった。家屋が降り注いでも、私は押し潰されたりしない。

 あれ以降、変身するのは初めてのことだった。
 恐れは尽きない。うまく戦えるか自信は無い。
 けれど、巨人を足止めできる大きな壁にはなれるはず。

 竜変化の呪文を口走りながら、私は灼ける民家の中へ飛び込んでゆく!


 火災のせい以上に、私の身体は燃え上がり、高揚に咆えながら私の姿は変貌してゆく。火を吹く柱を掴み崩し、崩れかけていた民家を踏み、視界は開け、展望したのは赤い空。
 人の住まう町並みを、眼下に初めて見下ろす。
 空は高く青いのに、地上との境だけが紅く変色している。生きた炎が人の町を飲み込もうと蠢き揺れる。

 新たな獣の咆哮に、サマンオサの国中が驚いて空を見上げた。
 しかも首をもたげ、翼の具合を確かめ、じっと燃える町並みを見据えていたのは、伝承でしか生きぬ幻の生物だったのだから     

 ボストロールは倦怠に振り返り、何度も目を凝らして、暫し呆然と大口を開けていた。
 国民達は指を差し、新たな恐慌に陥った。国を蝕もうとする、新たな怪物、そう判断し、人々は泣き叫び、剣を握る。

 先ほど母親を探して泣いていた子供が、私を見上げて足元で怯えて泣いた。
「わああああっ!助けてーーー!お母さん!」
 その姿は変貌した私にはますます小さく見えた。

 …違う。私は、人を守るために…。

 声は、人語にはならず、獣の声に子供は更に泣き叫ぶ。
 足を一歩踏み出そうとして、瓦礫の上に乗せた右足はバランスを崩し、大きな身体は建物を巻き込んで倒れこむ。
 なんとか子供は避けて倒れたけれど、気がつくと潰した建物の下敷きにされてしまった人々が数人。
 救助の人が駆けつけ、動揺する私に容赦ない罵倒は浴びせられた。

「畜生!化け物め!よくもやってくれたな!」
「サマンオサから出て行けー!!」
 どれもこれも私を非難する叫び。銀色の竜はたじろぎ、進みたいのに、道に人がいるために進めなくて困惑する。

 …そんな、私は、ただ…。

 躊躇する竜に、一度は驚いたものの、人に囲まれ動けないことを知るとボストロールは再び破壊行動に戻ってゆく。

 ああ、待って!行かせたくない!

 ちくちくと、肌を痛みが突き刺す。
 剣を叩き込む者、弓を絞る者、石を投げる子供達。
 直接の痛みよりも、行動が悲しくて、竜の目にも涙は浮かぶのかと疑問に思った。

 やはり、わたしは…。
 …人には受け入れられないのですね…。


 小さな手をたたみ、首をすくめ、翼も動かさずにじっとしている。
 動かせば、大きな身体は人を巻き込みかねなくて怖かった。

 悲しいですね。
 変身なんてしなければ良かった…。


「死ね!化け物!」
 町人は槍を投げつけ、私の皮膚から血が流れた。
「魔物なんか嫌いだ!」
 子供達の投げる石は、何より心に鋲を打つ。
「よくもサマンオサを…!殺してやる…!」

 頭が混乱し、足元がふらつくのを覚える。いけない…。倒れたら、人をたくさん潰してしまう。呪文の解除を…。
 解除したら、エルフの娘が倒れていたなら、人はどうするんだろう?

 恐ろしいことを考えてしまいました。
 だって、エルフも人にとっては『敵』ですから。
 人にとっては異形であって、化け物に違いがないのだから…。

 私はきっと殺される。
 敵方にエルフも混じっていたから殺した。ただそれだけで終わってしまう。

 嫌っ         !!



 死にたくない!助けてお兄様…!!

 狂気に吠え、銀色の竜は腕を振り、羽根を動かしまとわり付く人々を吹き飛ばす。誰でもいいから優しい仲間の元に帰りたいと願った。
 竜の姿であるのも忘れ、数歩駆け出し、余りの身体の重さにふらつき、またしても轟音を立てて町並みに倒れ込む。
 燃え上がる民家に倒れ、熱さに目の前が眩んだ。

「逃がすな!捕まえろ…!」
 倒れて呆然とする竜に、さまざまな武器を手にした町人が押し寄せる。
「倒れたぞ!今がチャンスだ!」
「待って!やめて…!あの竜は…!」
 誰かが止める声が聞こえる。けれどただ一人の声など、大勢の叫びに埋もれ誰も耳を貸さない。

 痛い…!止めてっ!殺される…!
 無抵抗の竜に刺さる無数の矢。その正体は怯えて地に伏せ震えるエルフの娘、それだけなのに。
 まぶた辺りを撃たれ、血で視界が霞んで見えなくなった。
 
やめて…。

 ゆっくりと首をもたげ、喰らいつこうとするかのように、私は牙を剥き出し身震いするような咆哮を轟かせる。
    いけない…。
 混乱して、『地球のへそ』で衝動したように、私は自分を制御できなくなってしまう。
 体が燃え、吐炎しかけるのをかろうじて抑える。
 咆哮に人は少し遠ざかり、安堵したのに目の前を人が通る気配に体が反応を示した。

「お母さん!良かった会えた…!」
 殺気立った竜の前に、飛び出したのは子供。
 竜騒ぎによもやと駆けつけた、民衆の中にはぐれた母親を見つけ、無謀にも化け物の前を横切ろうと小さな足で石畳を駆けて行く。
 慌てすぎたのか、子供はつまずいて転び、弾かれて道の反対側から母親が飛び出して我が子をしかと抱きしめた。

 喰らいつこうと思ったわけじゃない。
 けれど、それは衝動で…。

 混乱し自我を見失っていた私は、牙を光らせ親子に迫っていました。確実に牙に捕え、高く喰らえ攫おうと     

 母子は抱き合い、悲鳴を上げた。母子の悲鳴の直後    、悲鳴を遮って、私の脳裏に鮮明な音が飛び込んでくる。
          !!」

「ア、アンタ、何してるんだっ!危ないぞっ!」
 母子の前に言葉どおり降って来た、若い男に民衆は避難を訴えた。軽装の若者は母子を連れ出すわけでもなく、竜を攻撃するのでもない。
 降って来たかと思うと、彼は意を決したように    笛を吹く。


==


 若い男は木製のオカリナを一心不乱で吹いて聴かせた。
 笛の音は柔らかく、素朴な深みを持ち、状況に合わないしっとりとした空間を生み出し世界を包んでゆく。
 竜の顎は男の鼻先にまで迫っていたが、笛の音に時間が止まった。

 笛の音はどこからかはね返り、山彦のように同じ音色を反芻する。竜は口をすぼめ、彼の前で反省したかのように瞳を細めた。
「…落ち着いたか、この馬鹿。一人で突っ走るからこうなるんだ」
「クアウゥゥ…」
 ごめんなさい、と私は鳴く。

 忘れることはない、私の心に響いた鮮明な音色。繰り返し響く山彦。
 突然飛び込み、彼は混乱した私の頭に確かな冷水を打った。

 男が笛で竜を手なずけた(?)場面に町人はどよめき、母子も抱き合ったまま逃げる事も忘れている。
 男は意気消沈したらしい竜の頬に手を伸ばして、その皮膚の固さを確認していた。
「ほんとにお前、竜なんだな…。かっこいいじゃねーか。惚れ直したぜ」
「………!!」

 訝しがる、民衆の前で明らかにその竜は、    照れた。



 同時に思わず泣いてしまいそうで…。
 だって、こんな私の姿を見て、そんなこと言われるなんて思いもしなかったから…。

「泣くなよ。しょうのない奴だな」
 彼は誰もが恐れる竜に頬寄せて、口付けで祝福を捧げる。
 声にならない驚きが、観衆を震撼していった。

「しっかりしろよ。お前の相手はあの巨人だろ?この町を助けに来た勇者の妹なんだからな」
 彼はあえて周囲に聞こえるように大声を張り上げる。

「聞け!この竜は敵じゃない!勇者ニーズの妹シーヴァスだ!竜変化の術を使える、竜の娘!竜の娘が助けに来たんだ!」

 そんな言葉が信じられるはずがない。けれど…。

「行くぞシーヴァス。こんな事してる暇はねぇ。あの戦士一人に任せっきりじゃさすがに可哀相ってもんだ」
「クゥゥ…」
「弱気になるんじゃねえ。俺も一緒だ。背中に乗らせて貰うぞ」

 返事も待たずに、盗賊の彼は身軽にごつごつした背中に足をかける。
 そこまでしても従順な竜を見て、今頃子供を抱えた母親は立ち上がり、助けてくれた若い男に礼をいう。
「あ、ありがとうございました…。本当にその竜は、大丈夫なのですか…」
「見ての通りだ。コイツこんななりして、正体は美人エルフの魔法使いだからな」
 竜の背中から、彼はいつにも増して飄々と母親に挨拶を返す。
「……」

「アンタらを襲おうとしたわけじゃないんだ。血で目が見えなくなっていただけなんだよ。分かってくれよな坊主」
「……」
 盗賊ルシヴァンは陽気に手を振り、母親に抱かれた子供は、男と同様に自分を見つめていた竜の瞳をじっと見上げた。
 まだ視界は霞んでいたけれど、幼子は母親の腕から身を乗り出して竜に叫ぶ。

「りゅ、竜のお姉ちゃん!あの…、化け物を、やっつけてくれる…!?」
 その子の問いかけは、確かに竜である自分に向けられたもの。

「フオオオオオッ!」
 奮い立たされて、私は町を踏み荒らす先の巨人を睨み吼える。
 小さな命、懸命に悪政に耐えてきた人々を救うため、私は戦います    


「勇者の妹、竜の娘が通るぞ!道を開けろ!」
 戸惑いつつも人々は道を開け、ルシヴァンの指示通りに私はゆっくりと足元を確かめながら巨人を目指す。

「シーヴァス!大丈夫!?ごめんね助けられなくて!」
 道が開くと、ようやっと辿り着けたと息を切らして、仲間のサリサが横手から駆けて来た。一歩遅れて、人ごみからもう一人の金髪少女も駆けて来る。
 すぐさまサリサは私に触れ、回復呪文へと入る。
 その間、背中越しにルシヴァンは教えてくれた。
「サリサにバシルーラして貰って、お前の前に降りたんだよ」     と。


「…かっこいいね。シーヴァス。…びっくりしちゃったよ…」
 傷を治してくれて、こわごわと皮膚に触れたサリサは、けれど恐れる事なくいつも通りに上に向かってにこりと笑う。
「すごいね…。なんだか綺麗。頑張って!私達も頑張るから!」

「アオオオオオオッッ!!」
 喜びに咆哮。
 見事に不安は消えてゆく。

 新たに二人も加わり、人と行動を共にする竜の姿を見て、ルシヴァンの報告は信憑性を高めてゆく。
 人をどかしながら近付き、基本的に後方にサリサとシャルディナさんが補佐につく。

 人との衝突を避け、銀色に鈍く輝く竜身は、いよいよ巨大化したボストロールに迫ろうとしていた。ぎょっとして振り返り、すかさずボストロールは棍棒を持ち上げ殴りつけようと舌なめずりする。
「噛みつけ!」
 指示されて、私は思い切り緑の太い腕に喰らいつく。
「いっいでえっ!こんのー!」
 反対の腕でたまらず巨人は殴りつけてくる。痛みに咆え、後ろに流された首を戻し、牽制のために火炎を吐く。レッドオーブを内臓した巨人にとってはくすぐったい程度。

 炎を首を振って避け、勝ち誇った巨人。けれど竜の首元から何かが飛来し、淀んだ目に針のように突き刺さる。それは私の背中から放たれた短剣でした。
「ぎやおああああっ!目がっ、目が〜っ!」

「おりゃあああ    !!」
 わめく隙にもう一人、私の肩を踏み台にして戦士の剣が舞い踊る。瞬時にして剣先はクロスを描き、巨人の武器、巨大な棍棒を叩き斬る。
 地上で忙しく人々が逃げ回り、破片は重い音を立てて次々と突き刺さった。

「…よし!これでなんとか…!」
 降り立った戦士の元には、髪を三つ編みにした少女が駆けて行く。
「アイザック!…大丈夫!?」
 暫く一人で巨人の相手をしていただろう彼は、さすがに無傷ではいられるわけがない。近付くと分かる、撃たれて砕けた鎧、そして腫れて変色した皮膚から出血やら火傷が多数見つかる。
「アイツ中途半端な攻撃じゃ回復しやがるんだ。オロチよりかは遅いけど、俺もなかなかいい足場が無くて   
「うん。分かってる。でもシーヴァスさんが来てくれたから…。それに武器は再生できないものね!」

 吟遊詩人は戦士に再生の紫光を注ぎながら、簡単に空いた手で彼の血汚れをハンカチで拭いてゆく。
 少年戦士も息が上がっていたけれど、気遣う彼女の方も息が荒いことに彼は気がついた。
「…シャルディナ…、大丈夫か?」

 思えば城への侵入から、緊張や戦闘の連続、走り回って疲れているのは明らかだった。暫く宿で休ませたものの、不安や緊張などで眠りは浅かったに違いない。
 彼女にとっては初めての戦闘らしい戦闘。まだ慣れていない力の連続使用。
 燃える町を走り回るのも体力の無い彼女にはきつい。

「…う、うん。大丈夫…」
 伝う汗を拭いながら、彼女は一生懸命に微笑んだ。
「…もうすぐだ。もう少し我慢してくれ。すぐに終わる」
 彼女をサリサに任せて、隼の剣士は再び巨人へと奔り出す。


 武器を壊されたとしても、巨人の腕や足はそれだけで凶器となる。暴れるのを竜は羽交い絞めにしようとしがみつき、巨人は激しく抵抗する。

 竜も巨人も、互いに負傷しつつも咆え合い、一歩も譲らない。
 巨大な生き物が争うさまは、人々の視線を集め、そして多くの疑問の声を沸き起こす。二匹の魔物の戦いは今や国中の注目を浴びていた。

 火の手から逃れ、比較的落ち着いた街を囲む高い塀の傍で、人々は竜の姿に様々な討論を交わしていた。
「あの竜は一体何なんだ。何処から着たんだ。どうやら巨人と戦っているようだが…。どう言う事だ」
 たいていは同じ内容を呟く。誰も答えを知らないのだから、疑問は止むことが無い。
「仲間割れか?」
 魔物同士の仲間割れと捕える人も多数いた。
「でも、竜って滅びたのではなかったの!?」
 始めてみる幻の存在に、畏怖を訴える者もいる。
「魔法使いが蛇の化け物を呼び出すのを見た!あれもきっとそうやって呼んだんだ」
 間近で事を見て、声高く言い切る者もいる。



「……違うよ」

 集まる民の中で、母親に手を引かれていた幼子がぴしゃりと討論に水をさした。
「あれは…、勇者の妹なんだって!味方だよ!」
 母親と頷き合うと、子供は手を上げて声援を送り始め、周囲をそれは別の意味で黙らせた。

「竜のお姉ちゃん!頑張って    !」
 子供は「そこだ!行け!」と必死に背伸びをしながら右手を振り翳す。
 母親は両手を組み合わせ、戦う竜に祈りを捧げた。


 竜であっても、エルフであっても、
 私は人々に受け入れられるのは難しいことなのだと思っていました。
 単身では、心優しい人もいます。
 でも「民衆」という大きな単位になるとそうはいかない。


 けれど…、たった一つの声援でも、確かな私の力になる。




私は、独りではありませんでした。

空は高く、紅に燃える街は小さく、
けれどとても尊い。




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