太陽神の持つ鏡、
それは自分自身を写すもの。



「ラーの鏡」


 就寝前に伝達係として留守にしていたワグナスさんが戻り、仲間たち四人は同室で休んでいました。

 夜半過ぎ、宿の部屋に音もなく忍び込み、そっと僕の肩を美しい指先が揺らす。
 見上げた先には長い髪、その先に長いまつ毛が隠す綺麗な瞳が見える。滅びた都市テドンで知り合った、盗賊シャンテさんが僕を訪ねてくれたのでした。

 同室の仲間も全員目を覚ますと、彼女の報告は始まりました。
 へんげの杖によって謀られていた国王。城内での振舞い。そしてただ倒すだけではジパングの二の舞になりかねない状況。
 そのためには『ラーの鏡』が必要である事…。


「僧侶さんはご存じないかしら?鏡の在り処を。賢者様はどう?どうやら方法はそれしかない様子なの」
「………」
 僕はベットから半身を起こし、ぼんやりと思考を巡らせていました。
 賢者ワグナスさんは僕の横に寝起きとも思えずスッと立ち位置を取ると、横目に気遣いつつも謝罪する。
「申し訳ないですね。実は太陽神様とは全く面識がないのです。遠巻きにお姿を拝見したことがあるのみでして…。ラーの鏡のことは知っていますが、所持は太陽神様ご本人であると思いますよ」

 続けて、ワグナスさんは苦笑を見せた。
 初めて知らされる神々の不祥事とも言える事実。
「それから、実は太陽神様は、大魔王封印以降、姿を隠していられます。居場所は一部の神のみが知る重要事項のようで、私のような下の者には何も伝わっていません。参りましたね」
「………」

 シンとする部屋の中、僕は昼間墓場で出会ったエルフ盗賊の言葉を思い出していました。


『お前なら     『鏡』を使えるかも知れない』


   約束をしました。
 必ずこの国を救ってみせると      


 両手を膝の上で組み、その手にぐっと力を込める。
 僕は    僕自身に挑まなければなりません。その時が来た事を感じて、身震いが抑まりませんでした。
 そして、太陽神さまご自身に出会わなければならないのなら、それさえも逃げるわけにはいかない。

 『ラーの化身』と名打たれた僕は、けれど神の声を聞いたことは今までありませんでした。力を感じ、恩恵を魔法として形に現しながらも、まだ信じるラーの姿も声も知らなかったのです。
 けれどそれが普通でした。普通の僧侶なら、それで良かった。
 普通の僧侶なら…。


「ラーの鏡の伝承は、たくさんあるんです。色んな時代、場所、世界でそれらしき鏡の伝承は残されています。太陽神様から神託が頂けるかは分かりませんが…。太陽神様が鏡を手にした時の逸話は知っています。僕はそれに賭けてみたいと思います」

 何をする気だ、と訴える仲間二人の視線が僕に及ぶ。
 返答は先に送り、気の急く僕は賢者様の知識に頼る。

「ワグナスさん、大きい鏡のある場所を知りませんか?もしくは波の無い大きな泉ですとか…。姿の映る大きなもの。できれば神聖なものの方が良いのですが…」

 太陽神は鏡に映した自分の姿を、すくい取り円形の鏡に変えたと、逸話の一つが語り伝えていました。それから、ランシール以降僕が見続けている「幻」。
 幻の青年がもし太陽神さまご本人なら…。


「それなら、丁度良いのがサマンオサにありますよ。南に行くとサマンオサ最大の湖が広がっているんです。その中央の島に洞窟があるのですが、その中に聖なる泉が湧いています。今は魔物が棲んでいますが、昔は僧侶達が身を清めに立ち寄ったりしていたそうですよ。洞窟内の泉は円く、鏡のようだと噂されていたようです」

「…では、そこに行きましょう。僕は暫く瞑想に入ります」
 言うが早いか、僕は身支度に移っていました。身の回りの物を荷袋に詰め、着替えて武器を腰にくくりつける。
 時刻は夜明け前、まだ空は深遠たる深い闇の中。町並みも空も不気味に寝静まったまま、僕は人知れず単身町を離れるつもりでした。

「俺達は…。行くわけにはいかないよな。いつ王から連絡が来るか分からないし…」
身支度始めた僕を横目に、アイザックさんは心配そうに、同行できないことを悔しがってニーズさんに零していました。
「でもジャル一人では行かせられないだろう。ワグナス暇ならついて行け」
「暇じゃないですけど、お供しますよ♪」
 ニーズさんが指示し、「はいはい」と機嫌のよい返事が返ってゆく。

 ニーズさんは動くわけにはいかず、かといって勇者一人残してアイザックさんが僕に同行するわけにもいかない。
 二人は宿に残り、僕はワグナスさんと二人で洞窟へと向うことに決まります。


「また夜に来るわね。頑張って僧侶さん」
 僕の頭を優しくなでて、シャンテさんは夜霧に消えてゆきました。
 身支度を終えて階下に降りると、そういえば短い間姿が見えなかった、仲間のお二人が慌てて見送りに走って来たのです。

「ジャールー!待った待った!コレ、朝飯!」
「えっ?何…ですか?」
 布包みを手渡されて、僕は二人の顔を交互に確かめています。
「俺とニーズで作った握り飯だ。ちゃんと喰えよな。中味は梅干とか漬物だけど」
「えっ!?ニーズさんも作ってくれたんですか!?」
「………。まぁな」
 寝起きで機嫌の悪いニーズさんはぼそりと呟く。多分つき合わされたのでしょうが、でも、嬉しかったです。…涙が零れ落ちそうでした。

「…ありがとうございます。大事に食べますね」
「あの…、私の分は?」
  途端にアイザックさんが口を丸くして「しまった」という顔に変わる。
横から顔を覗かせた、ワグナスさんはシクシクと悲しみに暮れてしまうのでした。
「あ、あの…っ。ワグナスさん、半分こしましょう(汗)。では行ってきますね!」

 笑顔で手を振り、見送りの戦士も大きく腕を振り続ける。


 宿に残った二人には、夜明け間もなく、城より王の使いが現れる。
 翌日国王自ら、勇者ニーズの歓迎パーティを城前広場にて開催するとの報せ。
 早急な事に、二人は顔を見合わせて思ったのでした。
 城内で結界を破壊しようと動いている女の子達、それから、鏡を求める僧侶は果たして間に合うのかと…。


==


 東の空が白み始めた頃、僕とワグナスさんはサマンオサ城下を抜け出していました。外出を守兵に見られるのを避け、ワグナスさんのルーラで町を囲う壁を越え、僕の知らない小さなほこらへと降りてゆく。

「もう少し応援を呼んで行きましょう。と思いましてね。ちょっと寄り道です」
 いつも通り悪戯に笑うと、賢者様は古びたほこらへと歩み寄る。ほこらは古いせいもあったのでしょうが、明らかに故意による裂傷が見え、焼け落ちた壁は魔法の痕を思わせました。

「ここは城の東、旅の扉があったほこら。この通り壊されてしまっています」
「はい…」
 前もって話は聞いていたのですが、このサマンオサは他国との連絡が断たれて久しい。その大きな原因の一つが他国から繋がる『旅の扉』の閉鎖。
 魔法攻撃を受けて、転移に使われる不思議な聖水が涸らされた、その現状に僕は悪意を覚え、苦虫を噛んでいる。

 半崩壊のほこらに入ると、中には二人の旅人が休息を取っていました。
 こちらに来ているとは聞いていなかったので驚き、同時に嬉しさもこみ上げる。
 一人はアリアハンにいた頃からの友人、美しい月の弓を携えた亡国の王子、柔らかく明るい印象のリュドラルさん。

 賢者がリュドラルさんに説明している間、僕の視線はもう一人の旅人の元へ。
 毛布にくるまり、荷物に頭を乗せて寝息を立てていたのは、ニーズさんに良く似た人物、もう一人のニーズさん、通称元ニーズさんだったのです。

「彼らはランシールとこちらを行き来して、呪いを壊し、涸れた旅の扉に聖水を注ぎ、途切れた魔法を修復しようとしている最中なのですよ。だいたい終わっていますから、少しジャルディーノさんを手伝って貰いましょう」
「い、いいんですか?そ、そんなっ!」

 宿で待っている二人にはとても申し訳なかったのですが、元ニーズさんと一緒に行動できるなんて嬉しすぎます。
 光栄すぎて、あたふたしてしまうぐらいなのです。

 元ニーズさんは快く了承。僕はすっかり舞い上がっていました。
 この方も、大事な大事な僕の助けるべき勇者様でしたから。思えば初めての共同作業になるので、嬉しくて声が弾んでしまう。

「あ、あの…!元ニーズさん、良ければおにぎり食べませんか?ニーズさんも握ってくれたんですよっ」
「え…?本当…?あははっ、頂くよ」
 朝食に頂いたおにぎりは丁度四個。全員で一つずつ分けて食べました。
「皆元気?仲良くしてる?弟がわがまま言ってない?」
「皆さん元気ですよっ。仲良しですっ。ニーズさんはとっても優しいです!」
「私には相変らず冷たいですけどね…。よよよ」(泣)

 終始談笑しつつ、楽しい朝食を終えると、ワグナスさんのルーラで洞窟付近まで一気に移動。東の山並みから朝日が顔を出し、大きな湖は朝日を受けてキラキラと美しい光を放っています。
 湖は果てしなく広がり、見る限りでは海にも近い。中央に小島が見えて、そこまでは桟橋がじぐざぐに伸びています。

 サマンオサ城から南東、山を越え森を越え、魔物はいるけれど湖の水は綺麗なまま、到着した僕は胸を撫で下ろしていました。

「…なんだか、魔物が騒いでるね。森が荒れてる」
 人の寄り付かなくなった湖には水陸ともに魔物の姿が見え、隙をうかがって僕達は桟橋を渡り洞窟へ。
 狩りに出かける事の多かったリュドラルさんは、動物の気配を読むことに長けていました。魔物の興奮状態に不安を訴え、入り口付近で弓を携え何発か矢を放つ。
 牙を剥き出す魔物たちは、群れをなして洞窟まで追い立てる勢いを見せている。

「向こうも動くつもりなのでしょう。魔物を城に集めようとしているのかも知れません」
 洞窟内を照らす灯火の魔法を呟き、賢者は洞窟の入り口に用意していた聖水を振りまくと、洞窟の最下層を目指す。

 洞窟内で随分魔物は凶暴化していましたが、賢者にもう一人の勇者、そして神の武器を持つ弓使いを前にしては行く手を阻む壁にはならない。
 洞窟の奥、泉で瞑想に入る僕にとっては集中こそが要。
 途中で魔物が出現したりして気を取られてはならず、洞窟内の全ての魔物は倒されるか逃がすかのどちらかに徹底。


 完全に静寂が洞窟を支配するまで、数時間。
 僕も戦いに参加しようと思ったのですが、それは丁寧に断られたのでした。
 神の声を求める僕の、精神力、魔力を温存するために呼んだ応援。僕は彼らが用意してくれた完全な静寂の中に招かれ、頭を下げました。

「洞窟の中、魔物はもういなくなりました。この泉には魚も棲んでいないですし、完全にジャルディーノさんお一人になります。我々は入り口付近で邪魔が入らないように見張っていますね。ジャルディーノさんなら太陽神様にお会いできると信じていますよ」
 ワグナスさんは涼しい顔で、僕も感謝の笑顔を返します。

「頑張ってね。ジャルディーノ君。待ってるよ」
「……。何かあったらすぐに大声で呼んでね。駆けつけるから」
 元ニーズさんがポンと肩を叩き、その後にリュドラルさんが気遣った言葉を残してゆく。一人きりになって、静寂に包まれた僕の、視線は重く下がって行きました。


 用意された舞台に、一人上がる心境は、
 もはや一人で魔物と戦うことよりも恐ろしく…。

 湖中央の地下、最下層には聖なる泉の根源が湧き出て、泳げる程の円形の泉を形作っています。泉は浅く、膝までつかる程度。水面に一切の揺らぎはなく、暗がりの中、泉は本当に自然のもたらした神聖なる鏡のように     


 きっと、待っていたのです。僕を。


 最下層の空間には、賢者の魔法によって薄く灯りが灯る。
 僕は靴を脱ぎ、泉の脇に揃えると、緊張の唾を飲み込み泉との境に立つ。

 黒い水面には、見慣れた自分の姿が映っていました。
 炎のような赤いまっすぐな髪、大きな目と、低い鼻と、ちょっとばかりのそばかすと。
 着慣れた十字架の刻まれた法衣に覆われた身体は、同年代の男子よりも小柄で細い。素足で水鏡の中に浸食してゆく。
 僕は冷たい泉の中央で跪き、両手を組み合わせると、強く、深く、祈りへと降りてゆくのでした。


==


          ピチャリ…。

 どれだけの時間、静止していたのでしょうか。
 自分の呼吸音と、時折何処かで滴る水雫の音。
 心は静まり返り、僕はずっと                 待っていました。
 
 呼吸だけを繰り返し、水も飲まず、食事も避けて。

 水に浸かりながら、不思議と冷えは襲ってこなかった。
 『水』がそこに存在しているという感覚も希薄で、僕は巨大な鏡の上に正座していたに等しい。

 鏡に映っているのは僕ではない、赤毛の青年。
 その彼も、じっと長い時間微動だにせずに待っていた。


「……。ジャルディーノは…、相当、僕に逢うのが怖いみたいだね…」
 待っていたのは、水鏡に映る自分に良く似た青年が、言葉を発するその『瞬間』。青年はすぐに姿を見せたのに、自分は押し黙ったまま話しかけることもしなかった。

 いいえ。

 正確には、動くことも、口を開くこともできなかったのです。

「君は訊いたね。あなたは一体誰なのかと。知っているのに知らない振りをするのは、太陽神に会ってしまったら、また君は普通の僧侶でいられなくなってしまうから」
 赤毛の青年は、それこそ幼い僕の心を見透かし、それでも責めるでもなく、解きほぐすようにそっと微笑む。

「はい…。そうです…」
 胸を押さえ、はみ出したのは嗚咽まがいな僕の声。
 だって、僕には啼くしかできなかったんです。

 小さな僕は、本当に勝手でした。
 これ以上人との違いなんて欲しくない。優れた力も必要ない、神にも選ばれなくてもいい。けれど、結局力あっても無くても、僕は無力に苦しむことになる。
 力があったって、例え神様でも全てを救えるわけではないのだから。

 この苦しみは永遠に終わらない。


 太陽神を信仰していながら、神に正面向いて出遭うことのなんて恐ろしいことか。
 真実を照らし出す鏡の前に、僕は自分を映すことは怖くてたまらなかったのです。

「…悲しいね。解るよ…。今君が僕に感じる畏怖は、君が周囲から受けてしまう畏怖と等しい。心に秘め事のない、何一つ嘘も罪もない、人間なんて存在していないから。『鏡』を持つ君は敬意と畏怖を同時に背負う」

ピシャリ、ピシャリと     
 音をさせるのは僕の落とす雫たち。

 涙を受け、わずかな波紋を重ねる太陽神の姿は、鼻をすする僕を優しく見守ってくれていました。同じ苦しみを分かつように、むしろこの人はすでに知っていたかのように。

 真実を映す鏡、手にするのが怖い。
 何故なら僕は、見たくないものだってたくさん見てきたのだから。見たくないものだっていつも覗いてしまう、僕は人の真相を覗く嫌な奴なんです。

 泉の中央に座る、僕は腰まで冷たく浸水されていました。
 冷たさを認識始めると、途端に震えが止まらなくなり両腕を押さえて身を縮める。
 嘆く間も、静かにゆっくりと、涙が頬を下りてゆく間も、水に映る青年はただまっすぐに僕を見つめていたのでした。
 魔法の薄明かりの中に、憧憬はゆらゆらと揺れて      



          ピチャリ…。

 また数刻過ぎて、何処かで水滴が落ちた音が響いた。
 青年は思い出したように微笑むと、心もち苦く囁いた。

「思い出して、ジャルディーノ。君はもう『鏡』を持っていたんだよ」
 水鏡は、不意をついて僕の慟哭に句読点を刻んだ。そこから広がる、ざわめきの真相。心の音が不協和音を奏でようとリズムを変える。

「でも真実を視ることに抵抗のある優しい君は、その鏡を隠して、夢の中で鏡の映す映像を見ていたね。必要さを知って、無意識ながら君は鏡の力を使っていたんだよ」
「そ……。んな   

 まさか。

 まさか。

 動揺して、鼓動が音を立てる。喉が渇いて舌が貼りつく。

「しっかりと鏡を見つめて。受け入れて欲しい。自分を鏡に映せない者に、鏡の力は使えない。君は僕の鏡。思い出して…!」

 強張った表情が、太陽神のように笑顔に変わるまで、一体どれくらいの時間がかかったのでしょうか。
 涙はずっと、止まりません。思い出すのは、空白だった記憶の中の、自分の言葉。


「竜であったこと、悲しいですか?でも、その力は、同時に多くの人を守れる力なのですよ…」
 自分が口にしたことでした。この口から零れた激励の言葉。
 僕だって悲しいです。僕だって悲しくてたまらない。

 サマンオサの民は、騙されていたことを知れば大きなショックを受けることでしょう。長い間の苦渋が、無意味であったと知った時の怒りや悲しみは何処へ流れていきますか?罪の無いガイアの一族を攻撃してきてしまった、拭えない罪悪感は?

 真実を知らされることは大きな衝撃を伴う。誰しもがそれに耐えられるわけじゃない。必ずしも僕が褒められるわけじゃない。

「帰りたい、ですよね?みんな待っています。大丈夫ですよ。あなたは自分を恐れずに、信じればいいんです」
 僕が微笑む、柔らかい赤毛が揺れて。
 …そう。
 僕だって、帰りたいです。サマンオサの民が感謝しなくても、逆に僕を恐れても、それでもきっと待っていてくれる人がちゃんといる。

 急に手渡されたおにぎりの味が口の中に甦って、どうしようもなく悲しくて、鼻をすすって涙を激しく水面にとり零した。
 どうして僕は皆さんと『違う』んでしょう?
 魔法が使えなくても、剣が使えなくても良かった。それよりもお母さんが生きていてくれた方が何倍も嬉しかった。


「怖くはないですよ。あなたの心は負けないです」

 どんな顔して、僕はこんな事を言ったんだろう?
 本当は僕はこんなに弱いのに。怖くて仕方が無いのに。

 けれど、それは鏡。人に向けた言葉はそのまま自分へと還って来る。
 僕が、僕に勇気をくれる。僕を通して伝えられた太陽の言葉も、光も、僕の弱さも絡み合って反射して、僕という姿を拡散させてゆく。

 自分は、どういった存在なのでしょうか。
 生まれた時からずっと悩み続けて来たこと。


「思い出しました。僕は。僕は……」
 泉に両手をつき、至近距離で僕は鏡を受け入れる。
 ルビス神の従者である「賢者」でもなく。ミトラ神の意思を受ける「聖女」でもなく。

 ずっと自分の『力』とはどういうものなのか疑問に思いながら、明白な答えを見つけずに生きてきました。
 母親の力をただ継続してきた。これは自分の力ではなく譲り受けた力なのだと誤魔化しながら生きてきた。

 けれど違う。
 僕は明らかに自分のものとしてその力を持っていたのです。

「ラーの鏡を持っていました。何度も使っていました。僕は、ラーの鏡なのですね」
 肯定するように、水上の青年はわずかに頬を上げ、両手を水面へと当てます。その両手に小さな自分の掌が重なると、泉は煌々と眩い光を放ち始めた。

 円い泉の光は凝縮されてゆき、僕の手元に集まってくる。
 触れているのは水面のはずなのに、そこには確かに人が存在していました。光に前髪が浮き上がり、僕は瞳を伏せると、光の盆をスッとすくい上げる。

 顔ほど大きさの、美しい鏡が僕の両手に輝いていた。
 生まれた時からこの僕が持っていた鏡。

 円い鏡に映る少年は泣いていました。
 何度も何度も、繰り返し自分に言い聞かせながら。
「この力は、多くの人を守れる力。助けることのできる力…!」


==


 ラーの鏡を手に、僕は洞窟の入り口へ。
 朝方洞窟に臨んだのですが、すでに空には星が見えていました。時間の経過を確認すると、途端にどっと疲れや空腹が襲ってきます。
 入り口で魔物の侵入を防いでいた三人は僕を労い、そして鏡を覗き感嘆の声を上げていました。

「これがラーの鏡ですか。私もじかに見るのは初めてですよ。さすがジャルディーノさんですね」
「綺麗な鏡だね。これに真実の姿が映るんだ…?」
 賢者様に続いて、僕の持つ鏡を黒髪の勇者が覗き込んだ。

「う         あっ!!」
 何気なく見つめていた鏡面に映った「もの」。
 驚き、僕は危うく大事な鏡を取り落としそうになる。慌てて掴み直し、思わず恐怖に鏡を裏返した。
 いつの間にか僕の顔は青ざめ、鏡を持つ手が激しく痙攣起こす。

「あ、すいませ…」
「…ジャルディーノ君……?何が見えたの?」
 本人も不審に思い、声に神妙さが混じりました。口をぱくぱくさせて、何も言えない僕の手から鏡は移り、黒髪の勇者の姿を正面に映す。

     はずでした。
「………。なんで…。どういう事…?」
 両手で鏡を掴んだ、勇者の姿は鏡に映ってはいなかった。鏡は黒一色に染まり、艶もなくなり何ひとつ映さなくなってしまう。
 戸惑って隣のリュドラルさんが鏡を手にすると、鏡は命を噴き返し彼の姿を映し出した。賢者の姿も、僕の姿も映る。鏡は元ニーズさんだけを拒絶していた。

「…鏡に嫌われてるのかなぁ。僕は…」
「あのっ…。ごめんなさい。多分僕の調子が悪いからだと思うんです。だからあの…。気にしないで下さい!」
 鏡を抱きかかえ、必死に僕は頭を下げていました。

 下げながら、僕のこめかみを冷や汗が伝い落ちてゆく。
 恐ろしいものを見てしまいました。誰にも、口が裂けても言えない。見間違いだと言い聞かせて頭を振って幻覚を打ち消します。

 鏡に映った元ニーズさんの身体には、死神の手足が絡み付き、寄生していたのです。長い銀の髪も、全身に血管のようにまとわりついていました。
 赤い双眸がこちらを睨み、目が合った。
     そのまま石化してしまいそうで、背筋がぞっとした。



 無理やり頭から切り離し、僕とワグナスさんは城下の宿へ。
 元ニーズさん達は作戦に沿って別行動へ。
 宿でニーズさん達と合流し、翌日に迫った王との謁見のための準備に走る。

 恐ろしく迅速に、勇者の歓迎会は設定されてゆきました。
 早朝国王からの使者が訪れ、翌日城前広場で歓迎の宴を開くとの報せを受けた。一日がかりで会場が準備され、さびれた町並みに無理やりに装飾を付けて回る兵士達。
 パーティは城の関係者のみの参列でしたが、警備外からの民衆の応援は自由でした。

 突然の催し事に国民は沸き立ち、前日から設置の様子に人だかりを作るほど。
 勇者の噂が飛び交い、振舞われるだろう豪華料理に羨む声も囁かれている。

 僕は準備に奮闘する兵士や召使いたちの姿を、裏路地から細く見据えていました。
 蠢く影たちに眉をひそめ、両肩を抑えて僕は武者震いを抑える。生唾ばかり繰り返し飲み込んで、飲み込めばおぞましさも消えるのではないかと何度も…。

「…大丈夫だ。全員指定位置についてる」
 一緒にいた勇者の手が、僕の後頭部に乗せられる。
「…はい」

    実は、僕は隠れて、もう一人の勇者ニーズさんの事も『鏡』で確認していたのでした。額冠閃く勇者の姿は、しっかりとそこに映っていた。





 陽光が射し、深紅の豪華なマントを翻した国王レイモンドは、堂々として勇者の前にその身を現し、久し振りに民の歓声を浴びた。
 両側に列を作る衛兵達がトランペットを吹き鳴らし、給仕たちが並べられた丸テーブルにせっせと料理を運んでいる。

 警備兵の向こう側には国民達が押し寄せ、それぞれ歓迎や応援の言葉を異国の勇者に投げていました。

 アリアハンから訪れた勇者ニーズは、勇者オルテガの息子であり、すでにイシスやジパングを救ってきた偉業を持つ。
 青い宝玉をあしらった額冠を目印に、黒髪の勇者は数名の仲間を連れて国王の前に肩膝を折り敬礼しました。
 勇者の同行人は同じくアリアハン出身の戦士、イシスより派遣された僧侶、そして精霊神の従者、賢者ワグナスの三人。

 国王は用意された簡易玉座から立ち上がり、勇者に顔を上げるよう命ずる。

「よくぞ参られた、勇者ニーズ。そなたの噂は聞いているぞ。是非このサマンオサも助けて欲しい。すでに知っているかも知れぬが、この国はサイモンの謀反によって呪われてしまっておるのだ」
 国王の話に、民衆もざわめき揺れていた。
 絢爛な王城を背景に、彩られた広場で国王の演説は朗々と響き渡る。

「ガイアの一族を根絶やしにしなくてはならぬのだ!奴らは海賊としてこの国を侵そうとしている!勇者ニーズよ、ガイアを討て!」
 王の威勢に民も便乗し、地響きのような歓声が次々と轟く。
 ガイアを見事倒したなら、勇者ニーズはこれ以上ないこの国の英雄になったことだろう。けれど、黒髪の勇者は冷笑すると、国王の前でジパングの宝剣を引き抜いた。

「ガイアを討つ必要は無い。全ての元凶はお前だ。偽の国王」
 勇者の剣先はまさかの国王の喉元へと向いている。
 乱心の勇者に、国中の視線が集中する。国王は豪快に腹を抱えて勇者の冗談を笑った。

「何を言うか。勇者よ。気でもふれたか」
「目を覚ますのはこの国の民だ。しっかり見るといい。この国を支配していた化け物の姿を!」
 馬鹿にして笑い転げる国王に、アリアハンの勇者は問答無用で剣を叩きつけた。一撃で殺害する気は無かったのだろう。王は軽く腕で遮ったが、その腕からみるみるうちに血が滲み石畳の上に滴り落ちる。
 国王は大げさに倒れ、動かなくなった。
 遠めに見れば国王暗殺の瞬間     この国が凍りつく。

 民衆は息を飲み、何処かで誰かがにやりと口の端を歪ませた。
 勇者の双眸に変化はなく、いたって平然と濡れた剣先を引き戻す。
「貴様っ!よくも国王様を!!」
「勇者ニーズを捕えよ!」

 武器を手にした兵士達が詰めかける。それでも勇者は冷然と、一歩横に移動しただけに終わった。
 兵士たちは勇者の影から現れた、小柄な僧侶の手元に注目し硬直する。

「…見えますよ。この鏡には映っています。人に化けた魔物たちの姿が」
 僧侶は鏡を両手で高く掲げ、その力を一気に解放させた。

 光は間違いを正しながら広がってゆく。
 国王は緑の皮膚の巨人に変貌し、兵士達は腕が六本の骸骨剣士に戻ってゆく。給仕していた召使いたちも影の魔物や、ベホマスライム、仮面で顔を隠したゾンビマスターなどに次々と正体を暴かれてゆく。
 サマンオサは魔物に巣窟されていた。

「ラーの名のもとに、僕はこの国の真相を映し出しました。偽の王様ボストロール。本物の王様は一体どうしたのですか!?」
 事態に対応できず、泡を喰うボストロールに僕は強く問い正す。
 正体が暴かれることなど考えもしなかった、魔物たちは全員が戸惑い、咄嗟の行動に移ることができない。

「なぁっ、なんだってラーの鏡が〜!どうしたら良いのですかファラ様〜!」
 緑の皮膚の巨人は泣き言をわめき、振り返った先、巨人の影からぬっと黒い人影が這い生まれ、それは怒りに燃える紅い瞳を持っていた。

「馬鹿な…!『ラーの鏡』なんてあり得ないっ!そんな馬鹿なっ!貴様一体…!」

 強力な魔法を打ち消し、消耗して肩で息をした僕の前に、右に勇者、左に戦士が剣を構えて守護に入る。
「当てが外れて残念だったな」
「魔物の好きにはさせない!覚悟しろ!」

 二人は同時に走り始め、僕は後方でがくりと膝をつく。
 同じ瞬間走り出していた多くの存在。仲間たちも敵も同時に動き始めた。
 まだ鏡は鈍く光を放っているのに気がついた。
 汗を拭ってかいま見る、城の地下道、捕われた小さな魔物の姿が、友の名前を呼んで助けを求めているのに気がついた。

「サイモン。すまぬ!すまぬ      !」








「思い出して、ジャルディーノ
君は僕の、鏡」



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