「 国蝕 」
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「ちえっ。これが掘り出し物かよー。シケてんなぁ…。ハァ。酒もまずい…」
闇市で手にした品を目の当たりにして、男はぶつくさとぼやいていた。
実は買うまで袋の中味は不明、開けてびっくりお楽しみ。
『いわくありげな呪いのアイテム、もしかするとお宝の在り処を示すものかも…』と書いてあれば、自称トレジャーハンターな自分としては、買わないわけにはいかなかった。
「しっかし気味悪いなぁ…。この骨…」
取説によれば、何処かに沈んだ船の船乗りの骨だとか…。
腕かどこかの骨一本、紐で結んだだけの代物。しかし、不気味にこの骨は移動するのだった。今も酒場のカウンターに置くと、ひとりでにカタカタと震動を始め、骨は何処かへ帰ろうとする。
「ったく、何から何までシケた町だ…」
カウンターに頬杖をついた男は、地下の酒場に新客を感じて、深くかぶっていた皮のフードで顔を隠す。
顔と言うよりは、目立つ金の髪と、種族特有の「耳」を隠さなければならなかった。
さびれた酒場であったが、それには理由があった。
決してここは正規の酒場ではない。ガラ悪い連中も、外面は偽善者な悪党も、もうけ話を求めてこそりとやって来る悪のギルド。
そこに新たに、女を三人連れた男が来店する。
「ブホアアアッッーーー!!」
不味い酒を豪快に噴き出して、男は丸イスから思わず転げ落ちる。
店の奥に女を引き連れた男が消えた。
女は三人。見目麗しい美少女が三人も。
この町の悪い噂は聞いていた。人身売買なんて酷いことするなとは思ってはいたが 、自分は女性の味方ではあったが、しかし単身で国に立てつこうなんて正義の味方じゃあるまいし、考えはしなかった。
しかし、駄菓子菓子…!
三人のうち二人は知り合いの少女であり、彼女らは可哀相に縛られ、口も塞がれている。これを助けたならきっとウハウハ感謝されるに違いない。
男は骨をしまい、奥の様子を伺った。
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夢を見て、目が覚めた。
この国は降り立った時から嫌な感じがして、ここ数日間の眠りは浅い。
特に城下町に到着してからは、不快さに拍車がかかります。
サリサさんも邪悪な気配に敏感ではあるのですが、敏感なのに耐性の弱い彼女は、気分を悪くしていました。破邪の呪文などで鎮静させたとは言え、これから城に侵入する彼女たちのこと、心配でたまりません。
海賊さん達のアジトを出発して、僕たちはサマンオサ城下で宿を取っています。
同じように、同室にはニーズさんとアイザックさんが滞在している。
海賊さん達は別行動で、城に侵入する女の子三人はルシヴァンさんが手引きをし、賢者ワグナスさんはそれらの間を行き来する、伝達係。
僕は、目覚めて、じっと鏡を見ています。
「あなたは、一体誰なのでしょうか…」
ランシールで聖女様に案内され、僕は主神ミトラ様の声を聞いた…?
会った。ような感覚は確かに残っているのに、内容は何も思い出せない。
それからランシールにいる間じゅう、記憶が抜けていたり曖昧な部分が多くて、ずっと僕は不安定でした。
いつの間にか自分のものになっていた、「理力の杖」も気になるし…。
妙に自分の手に馴染む、特殊な装飾の理力の杖。ワグナスさんは「それはあなたの物ですよ」と言った。
それだけじゃなくて…。
それから、鏡や窓ガラス、水鏡、僕を映すものに時折はっとして凍りつくようになった。そこに違う、「自分」が横切る時があるせいで 。
今朝も、部屋に取り付けられている鏡に違う自分が映っている。悪意は感じられなかった。僕が訊ねると、決まってその人は、にこりとして消えてゆく。
赤い髪は僕より少し長く、年齢は少し上。背も高くて、落ち着いている感じがする。
朝食時、僕の手は止まりがちで、気がつくとアイザックさんが心配そうに僕の顔を覗き込んでいました。
「ジャル、ここの所ずっとぼうっとしてるな。お前も気分が悪くなったのか?」
「…いいえ。僕は大丈夫です。すみません。ちょっと気になっている事があって…」
心配をかけないように、僕は首を振る。
宿の一階は軽食屋を運営している。客は乏しいけれど、僕達は好んで最端、隅のテーブルで食事を取るようにしていました。
向かいに座っていたニーズさんは、チラリと窓の外に視線を放った。
「そうだな。上手いこと城には買われることが決まったようだが…。こっちは王の返事待ちだ。向こうがどう出るか、だな」
勇者ニーズはサマンオサ城を訪れ、国王への面会を求めた。
世界を救うために旅している勇者が訪れ、呪われしこの国を救う。普通なら歓迎されてもいいはずだが、なかなか王からの使いはやって来ない。滞在している宿すらも自前。
城の兵士も密かに監視についている有様に、ニーズさんは鼻を鳴らしていた。
「なんとか引っ張り出したいところだけどな。面会に呼ばれて、待っていたのは罠ってこともあり得る。でも中に誰も入れないんだろう…?どうするつもりなんだろうな」
「この宿が闇討ちされるかもな」
食べ終えて口を拭くアイザックさんに、返すニーズさんの返事は不吉なもの。
「今日僕、ちょっと町を見てきていいですか?」
単独行動はつつしめと怒られるのですが、僕には一人で行動する理由があったのです。短時間との約束で、僕は町へと出かけてゆきます。
町の様子は凄惨たるもので、活気はなく、人々の目は暗く沈んでいました。
事情は海賊さん達から聞いてはいたのですが…。サマンオサは魔物が凶悪になり、国も閉ざされ食糧難に襲われています。
それも全てガイアの一族のせいにされてしまっている。
国民に対して、町の各所に立っている兵士たちの目が、恐ろしくギラギラ光っているのも気がかりでした。勇者たちだけではなく、この国は監視されている 。
お金を持ってると人に配ってしまう可能性がある僕は、アイザックさんに財布を取られて無一文で出かけていました。
だから途中で、花を買うこともできなかったのです。
僕が向かったのは墓地。墓参りするお墓は始めから決まっていました。
花もなく、僕は祈るだけ。心無い人によって砕かれた、墓石の前で膝をつき祈ります。
さびれた町の、更に外れ。墓地は手入れがされていなくて、雑草も目立つ。周囲を覆う裸な木々の黒い影は、暗い空の元で不気味に軋んでいました。
木の上に、フードをかぶった男性が現れる。
動作は鮮やかで、熟練した盗賊の身軽さ。立ち上がり、見上げた僕は悲しみを胸に、けれど微笑んでその方を迎える。
「…さすがに、何でもお見通しだね。赤い少年」
説明の必要がなくて、楽でいいよと彼は言いました。
「お姉さんのお墓ですね。悲しいです…」
彼以上に嘆きの影を落とす僕に、彼は木上に腰かけたまま沈黙する。
僕は、夢を見た。
この人が求める救い 悲しい過去の惨劇。
彼の姉はこの町で娘を庇って殺され、そして墓さえも砕かれてしまっている。
「この国の異常にも気づいたかい?お前ならこの国から魔物を追い出せるかな」
悪戯な試練を言いつけるように、この方は言いました。
「追い出して欲しいのですよね。ようやく僕は気がつきました。シャトレーさんは、神も勇者も信じていないのに、僕のことは信じようとしてくれています…」
アリアハンで出会ったエルフの盗賊は、肯定も否定もせずに、誰にでもなく、呟く。
「長い間生きているせいか、人よりも物は知っているつもりだよ。あの塔でお前の持っていた石に気がついた。もしかしたらと考えた。イシスへ行って確信が持てた。お前なら 『鏡』を使えるかも知れない」
鏡。
僕にあの日からつきまとう、『僕を映すもの』。
人気ない墓地にエルフの盗賊は降り立ち、擦れ違いざま、僕の肩を強く掴んだ。僕は正面、誰もいない寂しい墓地を細く見つめながら、彼の言葉に胸を絞められる事になる。
「俺は神は信じていないんだ。…でもお前は特別だ。お前がこの国を救ってくれたら、それ以降全てにおいて協力していい。お前が言ったように、人間と生きる道を模索してみてもいいよ」
「本当ですか?」
飛び上がるような、喜びを得る。振り向いた先の背中に、僕は気が付いて笑っていました。
「シャトレーさんは、これまでだって助けてくれていました。頑張りますね!僕、必ずこの国を救って見せます!」
決意の先で、「見知らぬ僕」も微笑んでいる、そんな気がしたのです。
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私達はいよいよ、王城への侵入を果たそうとしていた。
顔の割れていないルシヴァンさんが取引を行い、私達は縛られて連行されながら、攫われて泣いている娘を演じている。
サマンオサ城、裏の深い森を抜け、隠された地下通路から城内を目指す。
鬱蒼とした森は夜の闇に乗じて、更に闇を重ね、闇の取引も光から隠そうとしていた。月の姿も、幾千の葉影が隠すように 。
この道もミュラーさん達は知っていたけれど、ここもある部分から、結界に阻まれて侵入が不可能になるという。
今日、連れて来られた娘は私達三人だけ。
酒場で左肩後ろに不気味な焼印を押されてからは、終始体に力が入らず、襲うのは得体の知れない吐き気。
おそらく、今は魔法を使うことができないだろうと思われた。
両手を縛られ、さるぐつわをし、武器も当然無いので、ひどく私達は無力状態にある。
緊張に、胸がドキドキと脈を繰り返していた。
売人のルシヴァンさんとも、いよいよ別れることになる。
二人組みの兵士に娘を明け渡すと、銀髪の盗賊は背中を向け、皮肉じみた笑いを浮かべる。
「悪く思わないでくれよな。娘さんたち」
彼も嫌な役を演じていたけれど、その背中は悔しそうに見えた。名残惜しそうにその背中を、横でシーヴァスが静かに見つめている。
兵士の一人がおかまいなしに、三人娘を繋いだ紐を引いてゆく。もう一人の兵士は見張りのためにそこに残る。
結界に侵入したことは感覚で察した。一瞬、背筋がぞっと冷えた線がある…。
城内に向かえば向かうほど、嫌な匂いに眉をひそめた。
呪われた死者の町テドンの時ともまた違った、サマンオサ城下は鬱蒼とした不快感を募らせてくれる。一緒に縛られている美少女、シャルディナさんも白い顔をまた蒼く変えて、微かに震えていた。
薄暗い地下道を歩く、その後方で人の声が反響した。
売人役ルシヴァンでも兵士でもない、新たな人物の声。
「もう一人忘れ物。逃げ出した女を捕まえてきたんだ。コイツもよろしく頼むよ兵士さん」
どうやら別の売人がもう一人女性を連れて来たらしい。細い地下道の奥からは声しか聞こえなかったけれど…。
遅れて連れて来られた女性を引き取るために、私達を連れた兵士は数歩ばかり道を引き返して行く。
新たな売人によって売られてゆく、女性は美しい鮮やかな金髪のエルフ美女。女性にしては長身で、エルフにしては豊満な身体。服は品が良く、足首まで隠す長いスカートを揺らしていた。
しくしくと可哀相なぐらいに美女は泣きぬれていて、売人は乱暴に美女を明け渡すと姿を消した。彼女の肩の焼印を確かめると、兵士はエルフ美女も奥へ連れて行こうと紐を引く。
と、その時だ。
思いもがけない異変が起こった。
エルフ美女は突然長いスカートから長い足を旋回させ、兵士の足をすくい転倒させる。鎧が倒れる音が地下道に響き、「えっ!?」と思った瞬間には、彼女はロープを抜け、両手を呪文の構えに振り下ろしていた。ロープもさるぐつわも緩いものだったみたい。
「バギマ !」
しかし風の呪文は巻き起こらない。
「げッ。魔法が封じられてやがる。ちっ!」
エルフ美女は軽く舌打ち。すぐさま襲い来る兵士二人に彼女は身を翻し、側転の反動を利用して、二人ごと兵士を蹴り飛ばした。
私達娘三人は揃って呆気に取られて、目をしばたく。
「この…!」
鉄兜の奥から、兵士の殺気満ちた視線が光る。
兵士二人は腰から剣を抜き美女に襲いかかる。美女は動きづらい長いスカートでさえも、驚くほどに身軽で、スルリスルリと剣戟の間を縫うと、胸元のボタンに手をかけ、引き千切るとそれを指で破裂させた。
「オーーーッホッホッホッホッホ!これでも喰らいなさいっ!♪」
エルフ美女は勝利に酔いしれ高笑い。ボタンから破裂した粉(?)は兵士二人を巻き込んで軽い爆発を撒き散らし、地下の天井からは埃がパラパラと降って落ちる。
「特製爆弾岩の粉の次は、まだらくも糸で絡まっておしまい!」
彼女は、昏迷していた兵士二人に、また胸から……。いえ、えっと、胸が、まだらくも糸製だったようで………???(汗)
くも糸に絡まり、兵士たちは暫く身動きが取れない。
豊満だった胸が片方平らになったエルフ美女は、更にまたボタンを弾き飛ばして、眠りの粉を撒いた。兵士たちがウトウトとし始め、突然彼女はシュタッとシーヴァスの肩を掴んだ。
「さぁシーヴァスさん!逃げましょう!貴女のために、ええ貴女のために、この愛の戦士デボネアが助けに来ましたよ!!」
彼女訂正彼は、髪飾りに仕込んでいた刃物でシーヴァスのさるぐつわやロープを外す。
「まぁ…、デボネアさん…?お久しぶりです。何故今日は女装なのですか?」
ずるっと転びそうになるほどに、こんな時でもエルフの魔法使いは悠長です。
「おい。何やってる。こいつらは中に入るためにやってるんだ。余計なことするな!」
騒ぎに慌てる、ルシヴァンさんが結界の向こうで叫んだ。
「派手に音も立てやがって、城の奴らにも感づかれたらどうするんだ!そいつらはわざと中に入るんだよ!」
「なんですってぇ〜〜〜!!」
まだ微妙に女言葉で、デボネアさんは大げさに驚く。事情を知らずに、助けに来ちゃったんだろうけど…。それは嬉しいんだけど…。
「ええ。なので、私達はこのまま中に行かなければならないのです。…でも、デボネアさん、入ってしまっていますね。帰れないですよ?」
「NOおおおおおおおおお〜〜〜!!」
外に出ようとしても、目に見えない障壁が遮るのを体感して、デボネアさんはうるさい悲鳴を上げた。
「 っ!とにかく、お前らは早く行け!ここは俺がなんとかするから!」
障壁ぎりぎりで、ルシヴァンさんが指示を出した。
目立たずに侵入するはずが、とんだ大騒ぎになってしまって……。
正直走りながら不運を嘆いた。
それから…。
城の地下道を走り、城壁近くの庭隅に土を乗せた扉が口を開く。そこにもやはり見張りの兵士が数名いて、私達は暫く演技で逃げたものの、頃合を見て大人しく捕まった。
女装の崩れていたデボネアさんは一人ではぐれ、まだ追っ手が城中を走り回っている。(あんまり心配はしていなかったけど)
私達は使用人用の部屋に押し込まれ、外から鍵をかけられた。
二人用の部屋に三人だけれど、まだベットも毛布もあって、思ったより待遇がいい。
ロープもさるぐつわも外されて、体は自由になったけれど、その代わりに「これに着替えておけ」と衣装を渡されている。
「はぁぁ〜…。予想はしてたけど…。やっぱり踊り子衣装なんだね…」
思い切り衣装を手に、私は脱力して床にへたりと座った。
「私アッサラームで着ましたよ」
「えっ!?着たの!?」
シーヴァスは恥ずかしい踊り子衣装を手に、逆に嬉しそうに「はい」と答える。
気がつくと、シャルディナさんは壁や窓に触れながら、ひととおり部屋の中の確認をしていた。窓は開けられるし、ここは一階。意外と監視は薄い。
ここから逃げても、城からは絶対に逃げられない。その自信の表れ、なんだろうけれど。
「城の中に…微かにレッドオーブの痕跡を感じます。でも、もしかしたら、今はここには無いのかも知れないです」
「え…。そんな…」
目的の一つが不在と言われて、私はショックを隠せない。
「上手く説明できないのですが…。力は残されているのですけど、本体はここには無いような、そんな感じがします…」
「それは困りましたね。でも、目的はそれだけではないですから。王様に会うのをまず考えましょう」
「…そうですね…」
暫くの沈黙が続いた。
どうにも私はシャルディナさんとは上手く話せないので、シーヴァスとだけ話すようになってしまう。それも彼女を孤立させてしまうようで、心苦しくなり、話すことも止めてしまうのだった。
重い沈黙に困っていると、カーテンを閉めた窓を叩いてデボネアさんが顔を出す。
城内での兵士との追いかけっこにも怪我一つなく、女装も解いて男装に変わっていた。元々長い金髪は三つ編みにして、背中に一つに下ろし、化粧も何処かで落としてスッキリしている。
ニーズさん達と最初に会ったのはアリアハン。
私やシーヴァスに会ったのはイシス。
シャルディナさんとは初対面になり、とっても遅い自己紹介に移ってゆく。
エルフの盗賊、であって魔法使い(?)なデボネアさんは、かいつまんだ事情を聞いてシャルディナさんの手を取った。
「なんて勇敢な方なんだ…。このデボネア、貴女のためにもオーブを見つけてみせましょう!」
「あ、ありがとうございます…」(おどおど)
「…デボネアさん…。言っておきますけど、シャルディナさんは好きな人いますから。あと、シーヴァスにも恋人ができましたから。もう諦めて下さいね…」
行動を予測して、あらかじめ私は釘をさしておくことに決めた。
なんていうか、その、全く困った人です。デボネアさん…。
「なんだってエーーーーー!!」
あわあわ、がくがくして、デボネアさんの首はギギギとシーヴァスの顔を捕える。
「はい。デボネアさんも先ほど会いました。あの人が私の恋人です」
「アイツかーーー!!」(憤怒)
「でででも、人間となんて、上手く行かないですよ?もしかしてシーヴァスさんは騙されているのではっ?悪どい顔でしたし!」
「………」
「デボネアさん、言いすぎですよ。あれは演技なんですから!」
言いつつも、自分も最初は同じように思っていたことを思い出してしまう。でも今は、二人を見ていると羨ましいと思うくらいなんだ…。
「…いいのです。私は、エルフでも、それ以外でも。彼はそれでいいと言ってくれましたから…。私、彼がとても好きです」
つけいる隙もないような、エルフ少女の満面の笑み。
デボネアさんは天を仰いで嘆き、がっくりと情けないぐらいにだらりと首を下げたのでした。
「残念です…」
言ったデボネアさんの視線がシャルディナさんに向いたので、私は間に入って遮った。
「…駄目ですからね」
「サリサさんは?まさかサリサさんまで、どこぞの野郎のものに…」
「わ、私、私は…」
当然、何も無いので私には返す言葉がなく。
「 とにかく、全員駄目です!」
ぴしゃりと閉じることしかできなかった。
その後、デボネアさんは一人で城内を調べに外に戻って行った。
盗賊である彼はそういう事に長けているし、一人の方が動きやすいと言って。
その直後、部屋の扉が叩かれ、鍵が開けられた。
「着替えたか?せいぜい、王の癇癪に触れないように、精一杯踊ることだな」
兵士は誰もがくぐもった瞳をしていて、妙にぞっとする。
言葉に昏さが忍び、口元は不気味に哂っていた。
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踊り子の服に着替えて、私は最後に 部屋を出ました。
ずっと周囲に気を配りながら、私はずっとレッドオーブの行方を探しています。確かに在るのに、場所が確定できないような、濁らされた城内の空気。
…怖くはない。…大丈夫。
連れられて行く、怯えた娘たちの列の中で、私は胸を押さえて、緩むと顔を出しそうになる怯えをじっと堪えていました。
城の廊下を照らす、ランプは頼りなげで、格子越しの夜空はランプの明りで紅く照らされて見える。思い出すのは、別れ際の彼の言葉でした。
「シャルディナ…。俺は何も分からないけど…」
城下町で彼らと別れる時、短いけれど彼が励ましの言葉をくれた。
「頑張れよ。俺たちも、すぐ傍にいるからな!」
いつものように爽やかに、彼は鎧を鳴らして走っていった。城下の宿屋で王からの連絡を待っている、彼のように私だって強くなりたい。
連れて行かれたのは、玉座の間。
なんという事でしょう…。玉座の間は、飲めや歌えやのお祭り騒ぎ。玉座に国王はふんぞり返り、下品に食べ散らかしていたのです。
「ぐはははははっ!いいぞ!いいぞ!もっと踊れ〜!もっと酒を持って来い〜!」
あれほど町は貧困に苦しんでいたのに、国王は贅沢三昧。若い娘たちを買い取り、踊らせ、酒を注がせ、広い食卓には新鮮な食べ物が溢れ踊る。
けれど見る側にしても、そこに楽しそうな雰囲気を見つけることはできませんでした。
騒いでいるのは国王と、一握りの大臣や兵士長のみで、踊る娘や楽師たち、給仕たちの顔は青く、恐怖に誰もが引きつっています。
玉座の間の左右の壁には兵士たちが陳列している。その顔は誰もが無表情で、人形屋敷のようで気味が悪い。
新顔の私達は、幸運にも国王直々に呼ばれ、お酌を命令されます。
一歩ずつ、国王に近づく、その度に私の確信は強くなる。
顔は確かに国王その人。
過去に確かにあったはずの威厳も聡明さも見当たらず、共に呼ばれるサリサさんも、シーヴァスさんも、嫌悪感をあらわにしていました。
「ひゃっひゃっひゃっひゃっ。綺麗だなぁ、お前。お前もいいなぁ」
「ううっ…」
国王の吐く息、おぞましい臭いがして、私達は全員が口を押さえて後ずさりました。口臭が臭いとかいうレベルでもない。この臭いは明らかに人の道を外れていました。
「そうか。歌が得意か。いいぞ、歌え。歌え〜!」
気が遠くなりながら、私は懸命に歌い、サリサさんは王に食べ物を与え、シーヴァスさんはお酒を注ぐ。
国王は酒や食べ物を私達にも勧めたのですが、とても食欲なんてなく、私達は首を振るばかりでした。
宴会は続き、国王は泥酔し、それに比例して王の振る舞いは人を越えていったのです。肉の骨まで噛み砕き、よだれの滝も気にしない。
給仕の娘が一人、震えながら果物を差し出すと、王は果物の山を一掴み、皮ごと果汁を撒き散らして飲み込んだ。
「ひ……っ!ひいっ !!」
ガシャ ン…。
娘は皿を取り落とし、玉座の間に水を打ったような沈黙が訪れる。
音楽も止み、踊り子の動きも止まった。
誰もがこの後の惨劇を恐れて慄えあがり、唾を飲み込むことさえも躊躇うほどの緊張感。給仕の娘は、慌てて両手をついた。
「もっ、申し訳御座いま、せん…!お許しください…!国王様…!」
娘から冷たい汗が、赤い絨毯に向かって落ちてゆく。
国王は舌で口元を舐めると、気だるげに娘を見下ろし玉座より立ち上がった。周囲の娘たちが、瞬間両手で顔を覆う。
「貴っ…様ぁぁ…。貴様は、こないだも…そうやって皿を落としたなぁ〜…」
「申し訳御座いません…!申し訳御座いません…!」
娘は床を後方に後ずさってゆく。腰を抜かして、立つことも敵わない。
国王の傍で私達は、行動に迷っていました。
彼女を助けるか、でも、助けたら私達は一体どうなる?
そんな迷いも一瞬のこと。
豪勢な赤い毛皮のマントを翻した国王は、腰に一振りの杖を忍ばせていました。
爬虫類の皮膚のような、ぬめりのある不気味な柄の杖。青い宝玉は美しく、次の瞬間宝玉に血飛沫は弾け飛ぶ。
国王レイモンドは、杖で給仕の娘を貫いた。
返り血を浴び、けれどその瞳は恍惚さに光を帯びる。
娘がどさりと床に倒れた後、たった一人で、けたたましく王はのけぞって哂う。
「ひゃっひゃっひゃっひゃっ。ぐひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっ!」
腰を抜かして、私は血塗られた光景に言葉を失くす。
「デザートはお前だぁ!」
国王はよだれを撒き散らしながら、歓喜に満ちて杖を掲げた。血の斑点を刻んだ青い宝玉は輝き、青い霧に包まれた国王は …
その夜、再度音楽が鳴り響くことはありませんでした。
国王の皮膚は不気味な緑色に変わり、原始的な毛皮をまとった巨大な魔物が一匹、長い舌をぬめらせながら哂っている。
背丈は高い天井にも迫るほどで、太い腕は娘の亡骸をひょいとつかむと、果物と同じように口に放り 飲み込んだ。
魔物の中でも凶悪で醜悪であり、恐れられている種族、トロールがそこで満足そうに汚く哂っている。
私の脳裏には、同じような光景が甦る。
娘たちの赤い雨が降った、ジパングの悪夢が甦る。
あの東国でも、魔物が人に化け、人を支配しようとしていた。
ヤマタノオロチは魔竜の系図に属していて、人に化ける能力も持っていたようだけれど、このトロールは魔法など使えない。
全てを知り、嘲笑うように輝くのは、不気味な杖の青い宝玉。
「ひゃっひゃっひゃっ。おではもう寝る。腹いっぱいじゃあ」
国王が退室し、宴会は終了。私達は声もなく部屋に帰って行った。
誰一人、若い娘たちは口を開くこともできなかったけれど…。
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踊り子の衣装は脱ぎ、元々自分たちが着ていた衣服に戻ると、毛布をかぶって誰からでもなく、私達は部屋の中央に集まっていました。
鳥肌立つ悪寒は、消えそうにありません。あの血の臭いも、国王の生臭さも、鼻から離れそうにないのです。
「王様が、トロールだったなんて…。悔しい…!」
二人用の部屋なので、毛布は二枚しか置いてありませんでした。
サリサさんとシーヴァスさんは一緒に一枚の毛布にくるまり、止まらない震えをお互い噛みしめ合っている。
廊下には見回りの兵士がいるために、部屋の中央に座り寄り、相談する私達の声は終始小声でした。
「あんなこと…。早く止めなくちゃ。あんな馬鹿っぽい魔物のために、スヴァルさんが、ミュラーさんが…」
薄闇の中でも、サリサさんの悔しさが手に取るように分かります。彼女は、給仕の貫かれる瞬間、飛び出しそうになっていたのです。
「あれは…。へんげの杖です」
国王の持っていた不気味な杖、私はその存在を遠い過去に知っていました。
「魔物が使うことのできる、その名の通りの魔法の杖です。自分や、相手を別な姿に変える事ができます。過去に封印されていたはずでしたが、封印が解かれたのですね、きっと…」
「これで分かった。全部あの杖のせいなんだ。あの魔物の策略で…。スヴァルさん達は陥れられた。勇者サイモン様も、無実。濡れ衣。あの魔物を倒して、無実を証明すればきっと…!」
「………」
気持ちが逸る仲間の横顔に、エルフの少女は思案に俯く。
「そうですね、倒せれば…」
「…そう、上手くはいかないと思います」
私は一人、膝を抱えて否定する。
「どうして?」
「ジパングでも、そうでしたね…。せっかくオロチを倒したのに、民は誰も信じてくれなかった。サイカさんまで疑われ、追い出されることになった」
「…………」
サリサさんは、きっと容易に想像できたのだと思います。
トロールを倒しても、それが王様だったと証明できなければ人は信じない。
彼女の目的は、ただ倒すだけでは意味がない。ガイアの一族の濡れ衣を、何より解かなければならなかったのだから。
「人は、目の前で起こった事しか信じません。王様が魔物であると民衆の前で暴き、なおかつ魔物を倒したなら、民は勇者を信じてくれると思います」
「………。民衆の前で…。私達が剣を向けたら、正体を晒さないかな?」
「晒さないでしょうね…。あのトロールは知能の低い魔物ですけれど、彼の背後にいる魔族が、させないと思います」
「背後にいる魔族…」
「いると思います。トロールが策を講じたりできないし、結界なんて作る技術はないですから…」
「確かに、そうですね。賢そうには見えませんでした」
だんだん彼女達は、深刻さに表情が曇ってゆく。
「それに、あの杖の魔法は絶大で、あの杖でかけた魔法は、あの杖でしか解除ができません。使えるのは魔物のみで…。王様のまま倒しても、死体は王様のままです。その時は、私達は『国王暗殺の犯罪者』にされてしまいます…」
「そんなっ!困るよ!誤解を解くどころか私達までなんて!」
手塞がりの状態に、サリサさんも、シーヴァスさんも悔しそうに唇を噛むしかない。
私は一人抜け道を知りながら、膝に額を押し付け、言葉に詰まっていました。
あの人は 、もしこれが成功したなら、一体どういう存在なのだろうかと。
期待と、不安とに胸が波打つ。
彼のことは、嫌いではないけれど。
何故か彼と向き合う時、私は緊張してしまうのでした。
訊きたいけれど、訊けない。そんな葛藤が苦しくて。
「一つだけ…、方法があるんです」
膝に額を押し当て、髪はするりと床に向かって流れてゆく。
「へんげの杖の魔法を、見抜き、その魔力を打ち消すことのできる方が、一人だけいます」
「…誰ですか?シャルディナさん。その方に協力を頼みましょう」
「その方は、『真実を照らす鏡』を持っていました。その鏡さえあれば、民衆の前で偽の王の正体を暴けると思います。その鏡を使える方は、一人だけ」
遙か遠く、記憶の果てにおぼろげに見えるだけの優しい神。
会えるのでしょうか。私の事をどう思うのでしょうか。
「天界にいます、太陽神ラー様。ただ一人です」
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