「未再生 2」


 サマンオサ城下から戻った後、僧侶娘は子分たちと共に食事の支度などを手伝い、夕食の片付けの後で私を隠れて誘っていた。
 自室に戻ろうとした私をたたたっと追いかけて、人目を避けて(特に弟)手短に願う。

「後でミュラーさんのお部屋に行っていいですか。聞きたいことがあるんです」
 声を潜めた、その細声だけで深刻な話題であるとの予想がつく。
「いいわよ〜。待ってるわ」
 思い詰めた少女の顔に、私は思惑が当たった事を知って微かにほくそ笑んでいた。そうやって、弟を心配してくれる事が私の願いだった。

 寝る前に一杯やるのが好きな私は、当然のように地酒をあおりつつ来客を待っていた。酒が入ってるとは言っても、私の思考が衰えることはない。
「あの、それで…。聞きたいことと言うのは…」
 ソファーの隣に腰をかけた、僧侶娘の横顔は神妙さに曇ってゆく。

「このサマンオサに何があったのか、知りたいんです。どうしてスヴァルさんがあんな目に会うのか…。分からなくて…。お願いです。教えて下さい」
「ん、じゃあ話すわ」
 相手に差し入れされたワインを開けて、グラスに注ぎながら、私はあっさりと承諾した。意表をつかれたような僧侶娘を横目に笑いながら、色鮮やかなワイングラスに口をつける。
    脳裏に描かれるのは、あの日抱きしめた小さな弟の姿…。

 長い話になる。
 そう予告すると、私はグラスを回しながら父親の面影を辿り始めた。

==

 アリアハンの勇者オルテガと同様に、このサマンオサにも勇者と呼ばれた男がいた。
 大地と炎の神ガイアよりガイアの剣を託され、この世界に使わされた戦士。
 神の意を託された者としては、確かにオルテガやランシールの聖女たちとも同格の英雄と言えた。

 魔法は使えなかったが、ガイアの剣によって炎を操り、時には地殻も揺すったと言われる。戦闘力において、この国で奴に敵う相手はいなかった。
 勇者の名前はサイモン。私の、一応   父親。

 勇者サイモンは、魔物を掃討したり、賊に立ち向かったりとそれは活躍したのだが、勇者として感嘆の声を浴びるばかりではなかった。
 腕力としてもこの国一番だったが、女好きでもこの国一番。

 そんな法律もないくせに、奴は一人で『一夫多妻制』主義者であり、とにかくいいと思った女には声をかけるようにしていた。
 奴の言い分はこうだ。
 世界を救うため、ガイアの一族を増やしたいのだ、と。
 当然そのためには生んで貰わなければならない。いい女に会えば、「俺の子を生まないか」と声をかける。勇者は楽しそうに種を撒いていた。

 不思議とそれでもいいと言う女は多く…。
 うちの母親は唯一のエルフ族の妻だったけれど、何処がいいのかあんな親父を心底好いていた。

……確かに顔は良かったんだけどね……。

 いや、強かったし。背も高かったし。口も上手かったし。女にも子供にも優しかった。友情に熱かったし、一夫多妻とは言っても、全ての女を平等に愛していた。
 ずっと一緒に暮らしてはくれないが、女に生活の苦労をさせなかったし、(報奨金などを配り歩いて)生まれた子供にも良く会いに行った。

 でもね…。当然揉め事が絶えなかったのを覚えている。
 妻を寝取られたと殴り込んでくる男がいたり、恋人を返せと抗議してくる男がいたり。可哀相に、当然他の男など、顔でも腕っぷしでも奴には勝てなかった。
 卑怯なぐらいに勇者サイモンは「無敵」だった。

 一部では大人気であり、一部では男の敵で、女の敵。
 長身で、引き締まった無駄の無い身体と、まっすぐな金髪に鋭い瞳。情に熱く、愛想もいい。国内敵なしの戦闘力。喝采も恨みも同等に買い占める。

 海賊業は、殆ど成り行きで始めたのだといった。
 賊を成敗している内に、海賊どもに「海賊」と恐れられるようになった。
 積荷を横取りしていくし、女をなんだかんだで持っていくし、海賊さながらの豪胆ぶりであったしで…。
 それならホントにやっちまうか、とで始まったというから「さすが」というのか。
 人望があったのか、常に仲間はたくさんいた。


 私が十三歳になった頃、唐突に親父はガイアの剣を三振りに分けた。
 幼い頃から好き好んで親父に戦いを教わっていた私は、すでに冒険者としても一人立ちする時期になり、それは親父からの祝いとして与えられたもの。

「なんで三振りなのよ?もう一本は?」
「ガイアの剣を使えるほどの、力の強い子供はあと一人いるんだ。スヴァルというんだがな。お前の一つ下だが、いい使い手になるぞ」
「ふーん…」
 その弟には会った事もなかったが、同じくガイアの短剣を渡された、近しい者なのだとは認識していた。


 そうそう。仲間以外に、親父にはありがたくも二人の親友が存在していた。
 一人はサマンオサ国王、レイモンド。
 親父と同い年であり、王位に就く前から親父とは無二の親友であったという。
 なんでも、幼少時は体の弱かった王を守っていたのがうちの親父らしくて、この王子は親父と似通った放蕩王子であり、良く城を抜け出しては城下で遊んでいたと聞く。

 実は気の合う悪友というやつだね。

 もう一人は、言わずと知れた、アリアハンの勇者オルテガ。
 『自分が一番』、な親父がオルテガにある意味協力する側なのが不思議だったんだけれど、その理由は昔一度だけ聞いた事がある。
 なんでも、親父とオルテガは『ある勝負』をしたらしい。
 何かにつけて張り合い、親父は勝負を挑み続けたが、どうにも互角だったのだという。そこで親父は自分の最も得意であり、最もオルテガが不得手と睨んだ、女勝負を挑んだ。
 そしてあろうことか敗北してしまった。

 …まぁ、つまり、それ以降、奴はオルテガに勝負を吹っかける事ができなくなったらしい。馬鹿な話だね…。

 更にその勝負のせいで、オルテガは結婚してしまったと言うから、親父はとんだお膳立てをしてしまったと嘆いていた。
 悔しくも、親父は二人を祝福したし、オルテガに協力し、二人で魔王を倒すために約束もしていた。約束の場所は、ネクロゴンドの火山。
 そこから二人の勇者は魔王討伐へと旅立つ約束を交わしていた。

 けれど、親父は約束の場所に行けなくなった。

==

 この世界に異変が訪れようとしていた。
 ネクロゴンドのギアガ島には闇を噴出す穴が開いているが、数百年間ここは封印されていた。
 それが静かに蠢き始め、世界にはより凶悪な魔物が闊歩始めるようになる。

 ダーマの塔で賢者の封印を表面だけ解いた後、長い船旅を終えてサマンオサに帰国した私は、強くなった魔物たちを掃討することに奔放することになった。
 親父と共に国を駆け、時には苦戦を強いられつつも、不安をなぶるように戦い続けた。

 国に生息していた魔物たちの強さが増し、更に数も膨大に膨れ上がり、いくつかの小村が壊滅し、討伐の兵も多くが倒れてゆく。
 人々の不安は募り、世界の終わりを嘆く気持ちが、流行のように口に溢れた。
 私は親父を焚きつけて、さっさと元凶を断って来るように尻を叩いた。
 勇者の決意に民衆は奮い立ち、国は勇者を送り出す士気に多いに湧いた。

 問題の夜、親父は旧知の友人に個人的な別れの挨拶をしに外出していた。翌朝私に会いに寄り、それから勇者はネクロゴンドの火山へと向かう。

 何故ネクロゴンドの火山が待ち合わせ場所なのか。
 ガイアの剣を分け与えられた私は理由を知っていた。だからこそ、朝方私は短剣を父親に返さなければならなかったのに…。

 親父は、オルテガだけでなく、私との約束さえも守れないことになる。


 その夜、闇が隠してしまったのか、不気味な程に空には星が見えなかった。
 ネクロゴンドに次ぐ、強国であったサマンオサは自由な国風が自慢であり、暮らす人々も自由奔放で活気に満ちていた。
 他国に比べると良い意味でも悪い意味でも騒がしい国ではあったけれど、私はこの国が好きだった。サマンオサという故郷を愛していた。
 要塞じみた王城も、堅固な城壁も、良く訓練された軍隊も、何かあるとすぐ「決闘」でかたをつけるような国風も肌に馴染んでいた。
 その城下が放火されていた。

 王城と兵舎、そして城下町を囲む、厚い壁の縫い目である門の全てに火の手が上がり、たちまち城下は喧騒に包まれた。
 火の手は全て同時に噴き上がり、現場から逃げていく複数犯も目撃されて追っ手がかかる。
 犯人たちの目的はこの城下の壊滅だった。そして   


「…何の騒ぎ…?一体どういう事なのよ…!」
 木材の灼ける焦げた匂いと、人々の狂気の声に眠りから覚めると、私は瞬時にして短剣を片手に外へ飛び出していた。
 愛した故郷の町が赤く燃えて黒い煙を上げていた。風は無風に近く、それなのに火は生きているかのように手足を広げ、豪速で家屋を飲み込んで行く。

 エルフの血を半分引いている、私は夜目が効く。視界に捉えた炎は確かに意志を持って生きている、自然ならざる炎。
 認識してしまった自分は深層心理で冷や汗を覚えて往生していた。

 「まさか」    と恐れが頭を横切って消えていった。
 炎を生き物のように操る、そんな事をする存在を私は一人だけしか知らなかった。短剣を握りしめ、炎の力を鎮めようと試みているのだが、動揺のせいか上手く制御ができない。
 炎は私よりも強い力で、確かに誰かに操作されていた。
 熱さに玉のような汗が噴出し、けれど首を伝う頃には冷たく寒気を覚えさせた。
 うねる炎の蛇は縦横無尽に城下町を包囲し、建物も人も飲み込んでゆく。

「なんて事を…!」
 同じように母親も家から飛び出すと、私の背後で炎を前にして硬直を余儀なくされた。
 常に冷静沈着だった母親もさすが狼狽を見せ、暫し次の行動に躊躇している。
 多くの妻の中でただ一人、うちの母親だけが森の種族の出身であり、唯一の異種族の女。
 エルフの中でもまれな漆黒の髪を戦慄に揺らし、紫紺の瞳が細められると、母親も同じ疑惑を抱いたことを理解していた。
「母さん!アタシ親父を探して来るわ!親父なら火を消せるかも知れない!」
「ミュラー…!待ちなさい…!」
 母親の制止の声は一秒ほど遅く、そして火災によって崩れた家屋の音に遮断されてしまい、娘に届くことはなかった。


 私は城を目指し、火災の中をひたすら奔った。
 旧知の友人、レイモンド王に親父は挨拶に行っているはずであったし、火災を止めようと親父なら動くはず。奔っていれば必ずはち合わせるはずであった。
 消火活動の騒ぎをすり抜け、王城を見上げると城の一部でも煙が立ち昇っているのに舌を巻く。
 騒ぎに紛れて城内に侵入し、上から状況を見るために城壁に昇ると、城前広場に向けるバルコニーに負傷した国王の姿が発見できた。

 レイモンド王は何者かに刺されたのか、胸元の傷を押さえ、その場から大声で兵を誘導していた。
 顔は青ざめ、瞳は復讐者のように殺意に歪んで燃えている。

「皆の者!サイモンを追え!彼奴は国を裏切った!我を殺害しようとして逃げた…!」

 信じられない言葉に、私はどれ程の間呆然と見つめていたのだろう。
 計ることはできなかった。国王暗殺の勇者を追い、兵士たちは血気盛んに次々と出奔してゆく。
    嘘だ。    嘘に決まっている。

 王は人が変わったように激昂し、光無い夜空に呪いの言葉を放出繰り返す。
「ガイアの一族を全て捕らえよ…!彼奴に与する者を全て許すな!女子供とて逃がすな!殺せ!この国に魔物が増えたのはガイアの呪いのせいなのだ!彼奴らが消えぬ限り、魔物は増え続けるぞ…!」

「…馬鹿な…」
 ようやっと、否定の言葉を搾り出して、私は城壁から町に視線を巡らせた。
 生きた炎は魔法使いの氷の魔法などもあって、いくらか鎮静されているようではあったが、まだまだ火災は闇夜を紅く染めていた。

 親父をますます見つけなければならなくなった。確かめなくてはならなかった。
 国王の言葉を取り消すために      


 城壁から降り立ち、兵士が親父の子分たちを縄で縛り、連行している場面に擦れ違う。王の命に忠実たる兵士たちは海賊子分を捕らえ、投獄しようとしていたのだ。中には奴の妻もいるし、泣き叫ぶ幼子まで混ざっている。
「親分がそんなことするわけがねぇっ!離せこの野郎!」
「きっと何かの間違いです!お願いです!」
 男どもは頑なに否定し、女はサイモンの無実を願った。子供達はわんわんと嫌がって泣き叫ぶ。
 騒ぐ親父の関係者たちに対して、苛立つ兵士たちの行動は乱暴で粗悪さに満ちていた。怒りの余りに我を忘れ、気がつくと私は兵士数人をなぎ倒して肩で息をしていた。

「サイモンの娘だ!ガイアの剣を持っているぞ!捕まえろ!」
 遠くから新手が剣を抜き近付いてくる。
 もう、何がなんだか分からない。何を信じていいのか思考が錯乱し、煙のためか頭痛がしている。
 殺しはしない、私は兵士たちをやり過ごしながら、炎の饗宴たる町へと駆けた。

 捕らえられる知人たちを見るたびに吐き気がするが、こまごまと助けている余裕はなかった。親父一人見つけて、誤解を解けば彼らは解放される。
 親父一人見つければ…!


 紅い町並みを、兵から逃れながら奔った。
 奔って、ついに私は親父を見つけ、駆け寄る足先がもつれて転ぶ。
 路地の上に倒れて、乱れた呼吸のままに父親を首だけで仰いだ。
 紅い世界に浮かんだ黒い人影は、ゆっくりと振り返り、娘に対して微笑みを作る。親父らしからぬ、陰湿な口の端だけで作る微笑みだった。


 炎のはぜる音が、親父の僅かな靴音を消し去り、靴先はいつの間にか私の目前に迫ろうとしていた。焼けカスの降る石畳の路地上に、私はうつ伏せたまま親父の返答を懇願していた。

 金の髪の男は、普段通りに不敵に炎を背景にして君臨している。
 数時間前に別れた時と同じ姿で、奴はガイアの短剣を肩に乗せると、小さな娘との遭遇を喜んだ。
「探していたぜ。娘よ…」
 声には不穏が響いていた。私は初めて父親に震え上がって総毛立つ。在り得ないことだった。

「ガイアの剣を返して貰わないといけないからな…。さあ。返してもらおうか」
 声に反射的に立ち上がり、私はもつれる足で距離を取った。
「親父!…これはどういう事よ!早く仲間たちを助けに行きやがれ!アンタのせいでこんな事になっているんじゃないのよ!」
 精一杯の虚勢を張り、生意気な態度を示す。短剣を握りしめる手はガクガクと震えてしまうのだが、それすら隠すように強く威嚇した。

「やめたんだよ。俺は魔王の側につく。サマンオサも、オルテガもぶっ潰す」
 娘を見下ろし、父親は陰湿な冷笑を見せ、私は短剣を路地に落とした。

    カシャン
 石を敷き詰めた路上の上に空しい金属音が鳴り響く。

 父親から渡され、私の誇りだったはずのガイアの短剣、最期は力なく路地の上に眠ることになるらしい。
    続いて、少女の私も紅に染まった路地に座り込むと動かなくなった。

「お前も、今一緒に逝くか…?」
 ガイアの剣を振りかぶる、父親の影が炎に照らされ路上に映る。


 終わりを覚悟した。


 自分でも信じられない位に、私は衝撃に痺れていた。
 本来なら、親父が暴挙に走るなら、私が止めなければならなかったのに…。

 全身が痺れてしまったかのように、指一本も自由に動かすことができなくなっていた。目を閉じた私に温かい液体が降り注ぐ。
 けれど痛みは体の何処にも生まれては来なかった。
 瞳を開くと、路上には誰かの足が新たに加わっている。赤い雫はその女性からこそ流れ落ちることに気がついた私は、息が止まる。

 ドサリと、細い女性の肢体は緩やかに石床に倒れ落ちた。
「貴方は、何者ですか…」
 女性は夫を夫と認めずに、鋭い視線で射抜く。
「邪魔をするな」
 男は女の肩を踏みつけ、石畳に擦りつけた。女に優しかった男の、信じられない行動に目を疑った。

「逃げ…なさい。ミュラー…。この人は…」
「母さん!   貴様ァ…!!」
 倒れた母親は、必死に私に逃げることを伝えようとしていた。
 堕ちた勇者は容赦なく剣を突き下ろす。喉を貫かれ、母親はもう二度と鳴くことができなくなった。

 取りこぼした短剣を拾い、殺意の限りを込めて男に飛びかかる。
 勇者は旅立ちに向けて皮のフードを着ていたのだが、その長い生地に亀裂が奔るが、本人に負傷はなかった。鮮やかにかわされ、憎悪に濁った私の反応は鈍り、振り向きざまの首を危うく落とされかけて後ろに二回転転がった。
「くそ   ッ!」
 痛みに呻き、視線を上げると、炎の竜の顎が頭上に複数迫っていた。
 炎の力では、父親に敵わないことは生まれた時から承知していたが、それでも私は炎を裂くべく剣を構えて立ち向かわなくてはならなかった。

「ミュラー…!!」
 名前を呼んで、私を連れ去った人影があった。
 間一髪私を抱えて横に飛び、炎の竜が路に突き刺さるのを横目に確認すると、舌打ちして逃走に走った。
 幼なじみの少年、チェスターは私を連れてひたすらに燃え盛る町を駆けた。
 狭い路地に入ると、そこで待ち合わせていたらしい彼の父親と合流する。豪腕戦士の父親に私を担がせ、引き続き親子は逃亡して消えた。

 やがて、視界はただ焔の赤さだけに包まれて、
     私は混沌の意識の中に堕ちていった     

==

 夜は明けた。
 火災も鎮火され、ひとまず城下は落ち着きを取り戻しつつあった。
 私の心はいつまでも燃える夜のまま、視界には同じ場面がぐるぐると回り続けて、寝ても冷めてもそれは消えることがなかった。

 私は数人の仲間に助けられ、城下町から数キロ離れた裏山の洞窟で暫く身を隠していることになった。


 城下を覆った火災の主犯は、国王暗殺を謀ったサイモンを中心とする、海賊団「暁の牙」によるものだったとの正式報告が後日発表された。
 異議は受け付けられることは無かった。
 サイモンも翌朝には捕まり、全ての罪を認め、投獄。
 その身に巨大なガイアの呪いを宿しているらしく、遠方に隔離し、その地で処刑されると国王が民に報せた。

 温和だったはずの国王は、捕えた海賊子分たちを数日後には見せしめに全て殺害し、城の東方、毒の沼地に投げ捨てさせた。

 勇者サイモンはサマンオサを魔物に明け渡し、魔物の軍門に下ったのだと国王は言った。国には強力な呪いがかかり、それ故に魔物が勢力を増したのだと…。
 その呪いを解く方法は一つしかない。ガイアの一族全ての殲滅。
 王は宣言し、国に討伐令を放ち、サイモンと関係を持った女たちも全て捕えて処刑するように通達した。子供でさえも例外ではなかった。

 ガイアに与する者は全て死刑。
 ガイア神信者でさえも疑われてゆく、悪政が始まろうとしていた。


 紅の夜から数週間後、私は遠方の牢獄へと移送されてゆく父親の姿を遠巻きに見送ることになった。
 酷い拷問を受けた様子で、両目を潰され、両腕も使い物にならなくされている。鎖に繋がれた男に生まれた感情は侮蔑だけ。
 ガイアの短剣は奪われ、剣は国王の手に握られていたが、王は特に残る二本の短剣所持者を執拗に追いかけるように命令していた。

 私は悩んでいた。
 こんな剣などに愛想は尽きたし、ガイア神にすらも興味が薄れた。逃げ続け、そうまでして生きていくのは何のためなのか、私には答えが見つからない。

 ただ一人の家族、母親の遺体は毒の沼地に捨てられ、腐液に溶かされてしまい、国王に言い知れぬ憎しみを覚えている。
 母と親しくしてくれていた、近所の人が好意で隠れて墓を立ててくれたのだが、その無人の墓さえも荒らされているのを知った時、私は憎しみに自分を忘れた。

 人目を避け、墓に母はいないと知りながらも、私は母親に会いに行った。
 陽の昇る前の早朝。こんな時間に荒廃した最果ての墓場に墓参りにゆく者などそうそう居ない。
 好意で建てられたはずの墓は悪意によって叩き割られていた。
 今まで守っていたはずの国の者の手によって…。


 一体誰のせいなんだ…?私は墓の前で自問自答していた。
 私の中ではサイモンも国王も同等に憎悪の象徴と化していた。
 この手で親父を殺してやる。裏切った父親を。母を殺したあの男を!
 自分の手で始末しなければこの恨みは晴れそうにない。

 国王も許さない。墓を荒らした民衆も許さない。
 この国を許さない。誰もかれも、何もかも、憎しみのままに切り裂いてやろうと牙を剥き出した。
 こんな国、こちらから捨ててやる     
 私は私でなくなり、「人」を捨てる。
 私は「魔物」になろうとしていた。

 短剣を構え、無差別に私は獲物を探して疾走を始めた。相手は誰でも良かった。
 人目を忍んで訪れていた荒廃した墓場には、運悪く一人だけ墓参りの人影が存在していた。
 朝焼けを待たずに、そこで人影の人生は切断されるはずだった。

 喉をかき斬ってやろうと、剣先は放たれる。
 フードをかぶり、祈りを捧げていた人影は迫る殺意に微動だにしなかった。緩やかに、迫った私が起こした風だけが、通り過ぎてその者のフードをめくり下ろす。

 ただその者は大事そうに、短剣の鞘を抱きしめて、叩き崩された墓石の前で涙を流していただけのこと。

 首を掻き切る一秒前の動作で固まる、私に人影は呟いた。
「…ミュラー…、姉さん…」

 若返った父親が、私を見つめたと錯覚してしまう。

 暗闇にも眩しい金の髪に、見透かすような紫の瞳。突然闇夜に星が光ったかのように、少年は鮮明な光を放って私を見つめようとしていた。
 驚くほどに勇者サイモンに生き映していた、もう一人の短剣の持ち主に初めて出逢う。私の名前を呼ぶと、弟はわずかに悲しげに瞳を伏せた。

==

 相手の名前は知っていた。
 確認するまでもなく、それはスヴァル。

 剣を構えたままの私に臆することもなく、静かに抱きしめていた鞘を腰に戻すと、真正面から私と向き合い見つめ合う。

 早朝の墓場は冷え切り、吐く息は白く霞む。
 私も厚いローブに身を包んでいたが、興奮状態にあり寒さは感じていなかった。
 それなのに、驚くような温かさに次の瞬間戸惑う。
「会いたいとずっと思ってた。でも、ずっと隠れていた。一人にしていてごめん。ミュラー姉さん…」
 私は短剣を落としてしまっていた。初対面の弟に優しく抱きしめられて、私はまばたき一つもできなくなる。

 それは、弟は荒んだ心にあまりにも温かくて、優しくて。
 重なっただけで溢れるような私への憧憬を感じてしまったせい。


「俺は、父親に似ていることで、…期待されることも、非難されることも嫌いだった。だから町にも行かずに隠れて生活していた。戦うことも、避けたくて…。ごめん、なさい」

 何に反応していたのだろう。
 理由もはっきりしないまま、私の目には涙が溢れてこぼれ落ちる。

「母さんが、ここで待ってる。父さんを助けに行かなくちゃならない。一緒に行こう、姉さん」
 弟は外見は父親に似ていたが、声は反比例するほどに優しく柔和で、私を安心させてくれた。
「何…、言ってるのよ。あんな奴、助ける必要なんてない。アイツは母さんを殺したんだ。私だって殺そうとした。あんな奴父親でもなんでもない!」
 腕を回して吐き捨てた、罵りの言葉に弟は賛同してはくれなかった。

「姉さんは、父さんを疑うのか?」
 弟は、どこまでも純粋に、父親を信用していたことに目を見開いた。
「あの夜、遠くから炎を見ていた。あれは破壊だけの炎。火には悪意が込められていた。知っているはず。ガイアの灯は破壊の炎じゃない。大地の奥底に流れ、生命の脈動を司るもの。あれはガイアの灯じゃなかった」

 紅に染まった、燃える呪われた夜を、弟は別な炎で灯すような存在。
 弟は「灯」に対して、特別な洞察力を持っているようすだった。炎の意志も、人に宿る「灯」もその目で察知できるような…。

「俺は、誰かの策略だと思ってる。俺は、家族を疑いたくない」
     !!」
 弟のまっすぐな視線に、私はある魔法使いの言葉を思い出していた。
 何故忘れていたのだろう。大地の血族全て根絶やしにすると、捨て台詞を残して消えたあの魔法使いのことを…!

 憶測が急速回転する私は青ざめ、心配した弟は腕に強さを込め、姉を安心させるために決意を耳元で囁いた。
「必ず父さんを連れて帰る。姉さんのためにも戦う。サマンオサは、大事な故郷なんだ。こんな事をした奴を必ず捕まえる…!」

 父親に似すぎている、弟の顔をもう一度見つめ直し、心の底から短剣が三本で良かったと感謝した。

「そうね…。スヴァル。ありがとう。アンタに会えて良かったわ…」
 頬を擦って喜び、らしくない程に涙をこぼした。
 スヴァルは大切なことを思い出させてくれた。会ったばかりなのも越えるほどに、誰よりも何よりも大切だと思った。

「忘れていたみたいよ…。ありがとう。大好きよ。アンタのおかげで私は灯を取り戻した。一番大切なことを…!ありがとう…!」

 整った顔立ちの弟は涙も美しかったけれど、私は濡れた頬を擦ってやると、姉さんぶって勝気に笑ってみせる。
 弟が笑ってくれれば、私もきっと笑うことができる。
 そしてこの先、そうやってお互い支え合っていくんだ。

「男がそんなに泣くもんじゃないわ。…平気よ。何も心配要らない。寂しい思いもさせない。私がアンタの母親になってあげる。姉であって、母親でもあるとも思ってくれていいわ」
 スヴァルは意外だったようで、まばたきをして驚いていた。

「残念なくらいに、アンタ馬鹿親父にそっくりよ…。一緒に来て。アンタの命、守らなくちゃならないから」
 こんな容姿じゃ、このまま普通に生きていくことはできないだろう。
 私こそ、この弟を守る決意を固める必要が生まれた。

「この先、私も家族を絶対に疑わない…!」
 道は決まった。弟の手を取り、今は逃げ回っても、必ず父の汚名を晴らす。
 帰りを待っている、妻たちのためにも。
 親父を慕った仲間たちのためにも。
 
 そして、私自身のためにも      

「姉さんは、そういう人だと思ってた」
 弟は遠慮がちに優しく笑う。その背景が、今は幸せな故郷ではなかったがために。埋め合わせるように私は慈しみの限りに抱きしめていた。
 抱きしめながら、救われていたのは、確かに自分の方だと知っていた。

==

 あらかた話終えて、私は座りなおしてソファーに寄りかかった。
 静かに話を聞いていた僧侶娘は、目を擦って礼に及ぶ。
「話してくれて、ありがとうございます。ミュラーさんが、スヴァルさんを想う理由が良く分かりました…」

 長い話であり、夜も更けて、アジト内部もすでに就寝時間を過ぎ、シンと静まり返っていた。僧侶娘、サリサは自分なりに考え始め、いくつか私に質問してくる。

「サイモンさんは、偽者だったと考えているのですよね…?どういう事でしょう。モシャスの呪文?でもガイアの剣は本物であった訳ですし…。偽者だとしたら、本物は何処に、ということもあります。王様は変わった可能性ありますね。そこまで変貌してしまったのなら…」
「そうね。ガイアの一族を恨む位ならまだしも、人買いともなるとね。そんな馬鹿王ではなかったもの。うちらは国王のことは疑っているわ」

「もしくは、ワグナスを封じていたあの魔法使いが、王を操っているのか。でも確かめる手段が悔しいけど無いのよ」

 紅の夜から数年、私達は何もしていなかったわけではない。
 けれど、真実はいまだ分からないままなのだった。

 父親が移送された牢獄は、世界中の極悪人が送られる極地にあるのだが、本来その孤島に向かうための海路がまた別の呪いによって通行不可なっている。

 「オリビア岬」の呪いは船乗りの間では有名になっていた。島に向かおうとする船は全て岬で嵐に遭い、沈没してしまう。
 元々島周辺は海流が激しく、岬より近付くしか方法はなかった。
 真実を聞くために親父に会いたくても、それすら叶わない。

 変貌し、圧制を敷くようになった国王レイモンドの方も、王自身も斬られて以降、ガイアの呪いのために病弱になり、人前に姿を現すことが極端に減った。
 そして更に、当然私達は城に侵入を試みた。
 なのだが、城壁より先、侵入者を塞ぐ結界のような障壁があり、そこに触れると仲間の誰であろうと弾き飛ばされて負傷を負った。

 その頃から、城仕えの兵や給仕たちに、統一された焼印が義務付けられるようになった。表向きは呪い対策と言っているが、どうにも胡散臭い。
 焼印のない者は弾かれるらしく、調査では買われてきた娘たちは、皆焼印を押されてから城入りしていくことが分かっていた。
 焼印イコール、王の忠実なる部下であり、庶民の敵という図式が完成している。


「じゃあ、私行きます。中に入れば何か分かるかも知れません」
 サリサはスヴァルに助けられなければ、そのまま城に入っていたのかも知れなかった。息巻いた申し出に、私はあっさりと首を振った。

「駄目ね。一人じゃ危なくてとてもとても。それに、こっちでも試したことがあるのよ。中に入った協力者が居たけど、誰一人として帰ってこなかった。それに、どうやらあの焼印は精神操作の類いと見てるわ。魔法も使えなくなるみたい。あと、中に入った後は外には出られない。兵と奴隷とでは、印も違う。奴隷に逃げられては困るしね。出られない印のようなのよ」
「じゃあ、一体どうすれば…」
 サリサは苦悩して、唇を噛むが、私もため息をついてしまった。

「それでこないだ、城内にレッドオーブがあることが山彦の笛のおかげで判別したの。炎はきっとオーブで生んだ炎だったんだわ。結界はワグナスでも破ることができなかった。アイツでもオーブの力には負けるから、当然だったのよね…」

「オーブ…。でも、私達はオーブの力にも勝ちました」
「そうね。もうじき勇者たちがここへ来るわ。ワグナスも以前より力を取り戻しているし、赤毛僧侶の力で、もしかしたらとも思ってる。アイツらは皆ランシールで新しい力を手に入れたしね」

「………」
 仲間の話題が浮かび、決別していたサリサは沈黙して思考に集中していた。やがて彼女はぽつりと呟く。どうしても、為さねばならない事項のように。
「一人でなければ、行ってもいいですか…?」
「誰と一緒に行くつもり?」

 コンコン♪
「こんばんは〜。お邪魔しますよ〜」
 場違いな陽気な口調で、突然賢者が顔を覗かせた。気まずいサリサはぎょっとして飛び上がり、小さくなって賢者から視線をそらせる。
 私は特別驚くこともなく、立ち上がって出迎えることにした。

「どこら辺から聞いてたの?」
「「ん、じゃあ話すわ」からですよー」
「全部でしょうよ!」(殴)
 挨拶のように頬に拳をめり込ませて、大歓迎してやる。
「今日もミュラーは元気ハツラツですね〜」
 頬をさすって自分にホイミしながら、全く気にした風もなく賢者は話に割って入ってくるのだった。

「朗報ですよ、ミュラー。上手く行けば、結界を破れると思います」
 賢者は朗報とやらを私の耳元で囁いた。
「…本気なの?大丈夫なの?それ」
「万全の保障はありません。ですが、開けてみなければ何も分からないという事もあります。勿論我々は全力で彼女たちをサポートしなければなりません」

 彼女たち    緑の髪の賢者は、意味深な視線をソファーに座ったままの僧侶娘にまで流して、止めると微笑んだ。
「誰と行かれるおつもりですか?サリサさん」
 分かりきっていて、訊いているのだ。彼女も質問の意図を知り、俯いたが、上げられた時にはすでに覚悟は決まっていたようだ。

「私と一緒に行ってくれる女の子なんて、一人しかいません。彼女の力が必要なんです…」
 観念したように、サリサは立ち上がり、賢者の前に謝りにやってきた。
「私は…、本当に、馬鹿ですね。自分一人では何もできないです。私の事をきっと皆怒ってる。でも、それでも私はお願いしたいです。サマンオサを助けて欲しいと…」
「ではお願いしに行ってみましょうか?皆さんカンカンですけどね」
 全くカンカンではないと、言っているような口ぶりだった。
 久し振りに僧侶娘は吹き出して、その後で瞳が滲む。

「ありがとうございます。ワグナスさん…。そして、ごめんなさい。本当にごめんなさい…」
 泣く少女を宥める賢者を見ながら、私は総力戦に腕組みして覚悟を決めていた。

 最優先事項は、城内に侵入する娘たちの命となる。
 自分は顔が割れすぎていて侵入できないがために、他人を危険にさらすしかないのが歯がゆい。
 敵地に大事な娘たちを送らねばならない、心中はそれは複雑だった。
 そして同時に、闘志も燃えてゆく。



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