「未再生」


「と、いう事で、サリサさんはご無事でした。暫くは海賊さん達と一緒に居るようですよ。今は帰ることを渋っているようです」
 イシスから同行していた、仲間の僧侶娘が勝手に飛び出して翌日、早くも行方は明らかになった。

「それから、ミュラーのところで知ったのですが、サマンオサ王城にどうやらレッドオーブが在るようです。当然行きますよね?」

 奔放していた賢者は報告すると老人ぶって休息し、仲間たちはひとまず胸を撫で下ろした。
 夜を徹してランシール界隈を探し回り、更に嵐に打たれた事もあって朝方から夕方近くまで俺たちは疲れて眠りこけていた。
 もたらされた吉報に仲間たちは喜び合ったが、一行をまとめるリーダーであるところの、自分の心中はそれは複雑だった。


 すでにその日の夕闇が押し寄せていたが、ずっと心配ばかりしていたエルフの魔法使いは休もうともせずに、俺にすかさずすがりつく。
「迎えに行きましょう、お兄様。私、謝らなければならないのです」
 親しい友人が消えたとあって、それは妹の憔悴ぶりは激しいものだった。
 地球のへそから帰って数日、ようやく取り戻してきた気力体力を、すっかり再び削ぎ取られてしまっているのが色濃い。

 あてがわれている男部屋に一同集まって受けた報告の後で、誰もが妹の意見に賛同したように俺の前に詰めよった。
「…そうだな。俺も、謝らなくちゃならないよ」
「きっとサリサさん、待っていますよ。迎えに行きましょう」
 仲間のアイザックもジャルディーノも、妹と並んで『いい仲間』っぷりを披露する。

「却下だ」
 いたって冷静に、きっぱりと俺はその意見を踏み倒した。

 みるみる妹は泣きそうになり、誤解して俺の両腕を掴んで揺さぶる。
「そんな…!待つとお兄様は言いました!怒っているのですか?」
「待つとは言った。迎えに行くとは言ってない。当然怒っているさ」

 騒然とする仲間三人の前で、俺は預かっているサリサの置き手紙を片手に開き、一読するとそれを破いてゴミ箱に投げた。
「アイツは『戦う意志を見失った』と言っているんだ。そんな奴連れて行けるような旅じゃない。仲良し連盟じゃないからな」

 三人は反論できずに、愕然として沈黙する。
「ただの友達なら、迎えに行ってもいいさ。でも仲間としてなら、迎えに行くな。戦う意志がなければこの先居ても邪魔なだけだ。だいたい、考えてみろ、この中の誰もが俺が来るなと言っても、俺と別れてもどこかで戦っているような頑固者ばかりだ。ワグナスもナルセスもそうだ。そうでなければ認められない」

 サリサの残された荷物も、ゾンビキラーも、保留のまま残されていた。
 聖女も、すんなりとサリサの言い分に納得したりはしない。
 俺にしても、憮然とした思いは当人を前にしなければ晴れないことは解りきっている。

「……。確かに…。サリサは、ニーズに反対されれば、来ないな。来なかった」
 意志の細さを指摘されて、フォローできずにアイザックは小さく嘆息している。
「イシスでは曖昧になって許したけどな、元々アイツの動機はアイザックだっただろ?だからこそこんな有様だ。そんな目的じゃもはや仲間にはできない」
「………」
 無言となった戦士を通り過ぎて、俺の言葉は妹に注がれる。

「それから、馬鹿げた手紙も却下だ。俺に面と向かって別れも言えないような、俺と並べないような奴は、俺は要らない」
 冷たいようだが、俺には俺の決意があり、そこは譲ることがもうできない。
 
 何故なら、俺は『対等な者』になりたいからだ。
 その俺とさえ、肩を並べない者に用は無い。

「アイツが戻るのは、俺に直接謝罪をして、こんだけ迷惑をかけたことを全員に詫びて、尚且つ戦う意志を示す時だけだ。俺に罵倒されても戦う意志があったなら、その時は認めてやるよ」


「…サリサさんは、きっと戻って来ると思います。僕は信じます」
 深刻に陥った妹シーヴァスに対して、やたらと朗らかに微笑んだのは、当然の如くジャルディーノだった。
 妹の肩を叩いて、重くなった空気を持ち前の呑気さで吹き飛ばす。
「大丈夫ですよ。サリサさんは、ゾンビキラーに認められた人なのですから。そして優しい強い人ですから。きっと戻って来ると思います」

「…だといいけどな」
 やれやれと俺は話題から外れて、頭を掻きながら自分のベットに腰をかけた。

「…そうですね。きっと…。帰って来ますね。私も信じて待つことにします」
「はい!」
「そんな事よりも、シーヴァスお前は自分の事を何とかしないとならない。怖くて町も歩けないようじゃこの先支障をきたす。お前のリハビリを終えたらサマンオサへ向かおう」

 自分が『竜の娘』であると打ち明けたシーヴァスは、いまだにまだ自分自身に怯えているのを否めなかった。ようやく仲間たちと居ることに慣れたが、まだ外を歩くことに抵抗がある。
 自分が変貌してしまった時、どうなるかに不安が消えないのだった。

「…はい。…そうですね。分かりました」
 別れてしまった友に会うために、心中で妹が決意を固めたことに気がつく。

 そういうものを見てしまうと、尚更の如く、俺はアイツにムカッ腹が立つのだった。
 地球のへそで何があったか知らないが、失恋がどれだけ辛かったが知らないが、何も話さずに出て行くなんて俺たちに対する非礼でも何でもないだろうと。

 ムスッとしながらも、俺は確かに決めていたんだ。妹との約束に違わず、あの僧侶娘を待つことを    

==

 航海は緩やかに、船は心地好い揺りかごのように私を運んで揺らしていた。
 疲れが一気に表れ、ずっと寝込んでいた間中、波の音と風の音は子守唄に代わり、私は贅沢な程に傷心を癒した。

「到着だ、サリサ。サマンオサの、俺たちのアジトだ」
 案内に海賊団副長が部屋を訪れ、私は見たことも無い大陸に不安を隠せずに、視線を忙しく動かした。

 深い入り江内部に船を入れ、口を開けていた洞窟に飲み込まれると帆をたたみ、碇を降ろして停泊する。
 完全にサマンオサの大地には初上陸となる。
 未知の世界に私はすっかり浮き足立っていた。


 サマンオサ大陸はランシール王国の遥か西に上下に果てしなく広がっている。
 北部は未開の地であり、実際に開けているのは中部だけらしいけれど、船窓から覗いていた大陸に人里は見えず、おそらく海賊アジトは南部の未開地に隠されているようだった。
 強国ネクロゴンドの滅亡した後で唯一の軍事国家であり、本来ならばサマンオサはネクロゴンドに代わって世界を魔物の侵食から守っていくべき位置にありました。
 そのサマンオサ王国は世界から繋がりを絶ち、数年前から孤立していた。

 一体王国に何があったのか、出身者に尋ねたけれど、スヴァルさんでさえも私には教えてくれなかったのです。

 人攫いはサマンオサ国王に娘たちを売るのだと豪語していた。
 つまりは、『国王が腐っている』と証明したことになる。
 そんな国に暮らす、彼らのことが少し気がかりではあった…。


 彼らは「恐ろしさ」が無いので、普段は気にしないのだけれど、さすがに海賊のアジトに連れて来られた私は半ば緊張して、手の平に汗を滲ませていた。
 洞窟内部を改造して作られたアジトを案内されて、くぐった扉の向こうで出会うのは海賊団の女頭様。
 今まで恐れたこともなかったのに、この場所で面と向かった彼女は不思議と風格があり、迫力に圧される思いに身を縮めた。

 彼女の執務室のような、資料の類いが整理された部屋に強張りながら立っていると、彼女は車の付いた椅子に足を組んで座っていた、その足を組み直して私を見据えた。
「おかえり。事情はワグナスから聞いてるわ」
「そうだろうと思った。…考えたんだが…」
 同室する弟が口にする前に、姉の命令はすでに完成されていた。

「ようこそ海賊アジトへ、歓迎するわ。でもここに入る限りはこちらのルールに従って貰う。つまりは『働かざる者喰うべからず』。アンタにも働いて貰う、   ってことね」

 ここまでは、指令を言い渡す恐ろしい女頭領さながらだった。
 しかし、突然立ち上がった彼女は、満面の笑顔で逆にこちらを仰天させた。
「アンタ達二人で墓参りに行ってらっしゃい!私はもう行っちゃったし♪さぁさぁ、今晩はここで休んで明日にでも!」

 事態の良く分からない私は、隣の美青年が顔面蒼白になるのにまた驚愕していた。姉弟で、この態度の差に混乱を覚える。

   姉さんっ!城下になんて、連れて行けない!しかも俺となんて、…危険すぎる。断る」
「そこはアンタが守ればいいでしょお〜♪」
 海賊頭、ハーフエルフのミュラーさんはるんるんで、対峙するスヴァルさんは蒼白として本気で反発見せていた。

 私はスヴァルさんとの墓参りなんて、何も問題ないけれど…。首を傾げる私の横で彼の苦悩は深く、けれど口論ではこの場は姉の方が勝った。(ようだ)
 姉は腕を組み、含んだ口調でわざと独り言を囁いた。

「王城に、レッドオーブがあるようなのよね…」
 にわかに、私の瞳が反応して見開かれた。
 しまったと思った。何故なら、オーブなんて、もう私には関係のないはずだったから。
 オーブの名にスヴァルさんもおののき、私を横目に見やると、唇を引き結んだ。

「その内勇者たちも来るわ。アンタも現状を知って貰いなさいよ。いずれ知ることよ。それからアンタ」
 二度目の「アンタ」を私に指差し、ちょいちょい、っと彼女は手招きをする。おずおずと彼女に近付くと、陰謀めいて彼女は耳元で笑う。
「助けられてばかりじゃあフェアじゃないわよねぇ。何が何でも一緒に行って、アイツを助けてやって頂戴。これが仕事よ」

「そうしたら、ずっとここに居てもいいわ。簡単でしょ?」
 離れて、再び花を放射するような満面の笑みをミュラーさんは浮かべ、私はとにかく頷き、見上げるスヴァルさんの顔は苦渋を飲んでいた。


 入り江の洞窟を改造したアジトは、抜けるとそこには小さな集落が拓け、海賊たちの家族たちが数件家を作って自給自足の生活をしていた。
 少数ながら家畜もいて、畑も広がり、その柵の向こうには集落を隠すように森が広がっている。

 明日はサマンオサ城下へ向かうとして、今夜の宿は集落の民家の一つにお世話になることに決まっていました。
 「暁の牙」の古株で、会計のような仕事をし、妻子を持ってここで生活している珍しい部類の方。(若い人も多いけれど、やはり妻子持ちの方も少数ながらいるんだね)
 私がいると若い子分たちが騒がしいというので、配慮されて「ここ」なのでした。


 三人家族の小さな家の部屋の一つで、私はようやっと数日間の気持ちの整理を始めていた。すでに遅いことも重々承知しながらも。

 船旅の間はずっと(何故か)スヴァルさんの服を借りていて、ここでは奥さんの服を借りることができた。
 久し振りに民家で過ごすと、様々なことを思い返しては胸が痛んだ。

 「もう、何も言うな。お前は嘘ばかり口にする」    と、スヴァルさんに止められてからは、私は自分を罵る言葉を失くしていた。
 正確には、何も言えなくなってしまった。何かを叫ぶことに疲れて。何も考えない方が楽で。今は空虚な胸が心地好いと感じていた。
 スヴァルさんに甘え、地球のへそでのこと、アイザックとのこと、シャルディナさんとのこと、シーヴァスとのこと、ただ苦しみだけを吐き出した。

 謝罪と、自責と、後悔を伝えた。そして自分がとても嫌いなことや、自分が嘘つきであることも。本当はとても自信がないことも…。
 スヴァルさんはずっと話を聞いてくれて、私を嘲笑うこともなく、ただ優しかった。
おかげで、今の私は空っぽになっていた。

 恥ずかしいので、実はその後スヴァルさんとは上手く目を合わせられずにいる。
お礼すらもちゃんと言えていない状況で、私は脱力感を感じて、そのまま枕に顔を埋めていた。
 久し振りの陸地に、何時間か緩やかな眠りに就いた。


 何度か寝返りを打ち、短い髪に違和感を覚えて、真夜中に私は眠りから呼び戻されてしまった。
 サマンオサの海賊アジトは、洞窟内はともかく、集落は寂しいぐらいに深遠としていた。生活する人数が少ないのもあるけれど、やはり知らない土地というのに怖さを感じてしまうみたい。
 ベットから起き上がり、肩掛けを羽織ると小さな窓を押し開けた。軋んだ音を立てて、闇に沈んだ小さな集落が展開されていく。
 これから自分はどうなるんだろう…?
 そう考えると、窓辺ですっかり黄昏れる人に変貌する。


 不意に、アジトである洞窟の方から、ランプの明かりが零れ落ちた。
 見回りをしているのか、狭い集落を明かりは一周し、私が傍観する窓辺にひょっこりと老人が顔を出す。
「ふうむ…。お主がスヴァルの連れて来た娘じゃな」
 白い息を吐きながら、ランプに照らされた老人は随分と奇妙な装備の持ち主でした。
 目の模様が縦に並んだ不思議なとんがり帽子をかぶり、ランプを持つ手の反対にはドクロの魔術師の杖。
 豊かなヒゲに長い前髪で瞳を隠した、不思議な老魔法使いが私を知っていた。

「…あ、はい。こんばんは…」
 老人はじっと何かを凝視していた。それは私の首から下がった預かり物のガイアの石だったのに気がつき、反応に戸惑う。
「娘さんは、ガイアの灯の話を知っておるかの」
「…自らの灯を決して消すな、ですか?人の中にも炎が波打っていると…」

 窓を通して会話しながら、私は話題に上った琥珀色の石を手の平に乗せて見つめる。いつでもこの石は温かい。
 石であるのに、どんな時にも冷たいと思わせることはなかった、大地の一族の大事な守り石。
 実はその一族の証であるその石のことを、私は良くは知らない。それを悟ると、老人は物語を読み上げるがごとく、深夜の集落に小話を紹介してくれる。

「その石はな、大地の一族がそれぞれ身に宿したり、手に握って生まれて来る石なのじゃ。全てが炎を操れるわけではないのじゃがな。その石の大きさもまちまちと言われておる」
「生まれた時に…」
「生まれる前に、一族の者はガイア神から灯を授かってくるのじゃ。灯とはこの大地と等しく流れる熱流の証、情熱であり、魂ともいえるのう。不思議と、その者が死した時、灯の石は消し炭となって大地に還るのだという。意志が死んだ時には冷たくなるらしいがのう…」

 ちょっと待って下さい。耳を傾けながら、私は心中で停止を訴えていた。
 私はそんな石を捨てようとしてしまいました。
 ガイア神様から授かった魂を、私は捨てようとしてしまったのですか。

「ガイア神の加護も備わっておるからのう。よほどあの子は娘さんが大事らしい」
 老魔法使いは言うけれど、私はその理由が分からなかったのです。
 
 思うことは、ひとつ。
 どうしてそんな大事な物を私に預けているのですか。
 もう海水浴の時の、お詫びも何も、返したと思うのに     

==

 サマンオサ城下へは、なんとキメラの翼で向う手はずになっていました。
 城下へは数日森を歩き、山を数個越え、湖を越え更に数日かかると言うのです。
 海賊たちはなにかと城下付近へ出向く用事があり、キメラの翼改良版(賢者作)を、すでに愛用していたのでした。

 こちらはサマンオサ城下と海賊アジト(現在の場所)限定ですが、何度往復しても壊れない物凄い貴重品で、私もワグナスさんの凄さを再確認させてもらいます。
 けれど後日聞いた時には、「ミュラーってば無茶な注文ばかりするんですよ〜」と賢者様は泣くのだけれど。(笑)

 ミュラーさんや、他の子分の方たちに盛大に見送られ、私は一人浮かない顔のスヴァルさんと城下へと飛んでいました。


 その後で、僅かに姉であるミュラーさんの瞳が細くなり、陽気な子分たちの中で一人、女頭の心中を労ったのは黒髪の男性だけでした。
 女頭の横に立ち、視線は前に固定したまま小声で彼女を案じている。
「一番見せたくないところを、見せることになるのでしょうね。貴女でさえ、弟以外の者と墓参りには行きませんのに。本格的に、…彼を守る場を取られてしまうかも知れないですね」
 彼女も視線を前にしたまま、誰にでもなく返事を返していた。
「始めからそのつもりよ。アイツのこと、守ってくれると信じてるわ」

 見送りが済むと、僅かに寂しそうに姉は自室に戻って行った。


 キメラの翼で空へ飛び上がり、光から降下して、城下町外れの郊外へと着陸する。
 まず先に、感じたことは風でも陽の光でもなく、風景でもなく、違和感だった。
 奇妙な目眩を感じて足が折れ、私はいきなり嘔吐感に襲われてしまう。
 理由はとにかく、邪悪な、魔物の匂い    、魔物の群れの中に突如落とされたかと錯覚してしまうような、邪悪な瘴気に口を押さえて呻いた。

「大丈夫か?サリサ」
「………。は、はい…。なんとか…」
 数秒後ようやく立ち上がり、遅れて世界を認識してゆく。
 見上げる先には大きな不気味な王城が灰空の下に威圧的に立ち、視界をカラスの群れが横切って消えた。
 肌寒く、昼間とは思えない不気味な霧が郊外を覆って視界を塞いでいる。感じる悪寒は呪われた廃都テドンと酷似していた。
 
 まるでこの王国が呪いを受けているかと疑うほどに    

「早く済ませて、帰ろう。悪いな。つき合わせて」
 黒い帽子を深くかぶり、マフラーを口にまで引き上げ、スヴァルさんは私にさえ顔を見せないようにして歩き始めた。
 その背中はどこか「壁」を作り出し、私は着いて行くだけで、ひと言も声をかけることができずに城下町への柵を越える。
 …なんだろう。随分と空気が重かった。そして気分も。

 吐き気のために口を押さえながら、サマンオサ城下の柵内に入った私はすぐさま足を固めることになってしまった。
 さびれた郊外から入った印象だったけれど、魔物の侵入を阻止するためであろう石壁を越えた先、視界に映ったものは広大な墓地。
 第一印象から最悪で、一層不快感は極まる。
 管理された墓地とは思えない程に、墓地はひしめき合い、乱雑と墓標が並べられてしまっている。まるでもう場所がないと主張するかのように。

 私は更に目を疑った。
 その墓地に、運ばれていく棺の列が見える。
「シクシク…。お父さん…」
「私はこれから一体一人で、どうやって生きていけばいいの…」

 そう、悲しいことにそれは連なる行列だった。
 魔物の襲撃に遭い、多数の被害が出てしまったのか。棺の数は十近くにも数えられてしまった。あまり見たこともない悲惨な葬列に出くわして、ささやかながら私もその場で黙祷する。

 通り過ぎる家族たちが、泣きむせいで恨み言を口走っていた。
 ありえない恨み言を。
 泣き叫ぶ子供は、恋人の死に嘆く娘は、妻を失くした男性は、揃って同じ存在を恨んで嘆いていた。

「畜生…。ガイアの一族のせいで…!」
 勿論、私は耳を疑いました。
「奴らがいるから、こんなことに…」
「全て大地の奴らの仕業なんだ…!」

 私は凍りつき、葬列はやがて最後尾までが墓地に向かって消えていく。
 悪い夢の一部のようだと疑い、私は否定して欲しくて彼を見上げていました。
「行こう」
 彼が発した言葉はただのひと言だけに終わる。


 嘔吐感も消えず、不安も押し寄せ、私は歩いている気持ちさえしないまま、彼の後ろにただ従ってゆく。
 城下町は活気が無く、人通りすらもまばらで、道端には物乞いさえ見える程に荒廃していました。
 城下を監視しているのか、所々に武装した兵士達が我が物顔で歩き、食べ物を乞う孤児たちを乱暴に蹴散らしていた。
 とにかく耐えられない重苦しさでした。こんなに居心地の悪い国は初めてであり、人々の生活は困窮の極みだと感じた。

 兵士を見かけると、路地に入りスヴァルさんはやり過ごす。
 そんな時も彼は無言で、私も息苦しいだけで、何も聞くことができない。
 彼は、人の目を避けているのは明白でした。それは疑惑をかけられているせいなのでしょうか。そんなことも訊くこともできなくて…。


 途中の花屋で花を買うのを頼まれ、私は一人で細い花束を買ってきます。物価の高さに戦慄しましたが、とにかく予算内で買えただけの数本の花を手に、墓地へと向う。

 彼が踏み入れた墓地は、尚一層の荒地でした。
 とても死者を弔う霊地とも思えず、入り口で私は棒のように立ち尽くし、呼吸以外の事を忘れてしまう。
 空き地に墓石だけを乱雑に並べただけの墓地で、何故か無数に幾つかの墓石が崩れ落とされているのが目に障る。
 カラスが枯れ木でうるさく合唱し、花束を手にした黒服の美青年は、私をそのままにして一つの墓石の前で膝をついた。
 彼が祈る墓石は風雨で崩れたのか、粉々にされ、跡形もなくなっていた。場所だけあれば問題ない、と祈り人は訴えるのか。
 私の思考回路は麻痺しかけて、喉も渇いて貼りついていた。

 廃墟の中の、荒れた墓地で祈る黒い影、それは世の終わりの一枚絵かと見間違った。

==

 祈り人は、私にとっては、長いこと朽ちた墓石の前で祈りを捧げていました。
 寂しい花束をむき出しの地表に乗せ、瘴気臭い湿った風がそんな花束さえも吹き飛ばしてしまいそうに思う。

 私はゆっくりと、彼の傍まで地面を踏みしめて近づいていく。
 数歩先の彼には、これ以上近づくことができなかった。見えない拒否の壁が見えて、足はすくみ、声を搾り出すだけに終わる。
「…お母さんの、お墓、ですか…」
 問いかけておきながら、答えて貰えない予感が襲った。
 城下に降りてから、一度も顔を見せてくれなかった彼は顔を上げ、短いながらも大人として質問には答えてくれた。
「そうだ」
「お墓、崩れちゃってます。直さないと…」

「帰ろう。もう用はない」
 細い花束だけを残し、亡人の息子は立ち上がり、私の質問を流してしまった。

 墓石の前を去りながら、墓参りに訪れた親子連れと擦れ違った。
 くたびれた感の父親と、暗く世を呪うように死んだ魚の目をした子供が二人、親に手を引かれてよけた私の横を会釈もせずに過ぎていく。

 子供は物心ついたばかりの幼い兄弟で、どちらもつぎはぎだらけの貧しい身なりで、靴にも穴が開いていた。
 目的地の墓石に辿り着く前に、兄弟は朽ちた墓の前に置かれた寂しい数輪の花束に足を止める。
「花なんか置いてある…。ガイアの一族のくせに…」
「本当だ…。こんなもの…!」
 弟は罪もない花束を踏みつけ、私は声もなく衝撃に飛び上がった。

「こいつらのせいで、母ちゃんは殺されたんだ!みんな苦しいんだ!これでもくらえ!」
 すでに崩壊して散らばっている墓石を、兄の方が何度も踏みつける。止めないのかと疑った、父親は傍でその光景を感情のない目で黙認していた。

 私は兄弟を止めるために身を翻した。
 一歩も進むことは叶わず、強い力で私の腕は繋ぎとめられていた。
「何も言うな。帰るぞ」
「どうして…」
 有無を言わさず、彼は私の腕を引いて早急に立ち去る。

「どうして何も言わないんですか…。お母さんのお墓があんなことに…」
 強引に腕を引かれながら、彼の後姿に様々な場面がフラッシュバックしていく。

 恐れられていた海賊の副長、ガイアの短剣、いつも優しかったこの人の、私の知らない過去。誰かによって殺されてしまった母親、彼のうわ言。
 サマンオサを許さない。

 そして、それを壊すな     



 墓地は遠くなり、商売区域にまで戻る頃、ようやっと理解したように、手を離された私は彼に確認していた。
「あの壊された墓たちは、人為なんですね。なんて酷いことを…!」
「……嫌なものを見せたな。もう忘れてくれ。帰ろう」
 冷めた物言いはいつものことだ。
 けれど、私はその時何かに弾けると、ぎゅっと唇を噛み、わなわなと震えた。

 数歩進んで、彼は後ろを振り返った。
 そこにあるのはくすんだ寂しい街角だけだった。


 墓地に駆け戻り、息も整えずに、私はすでに踏み潰されてしまった花束を拾い上げ彼の母親に謝ります。
「ごめんなさいっ!こんなことになってしまって…!本当にごめんなさいっ!」
 花束の土を払い、回復呪文をかけると、花はいくらか元気を取り戻したように見えた。そのまま霊前に捧げて、私は崩されてしまった墓石を拾い集めて、なんとか積み上げてみる。綺麗に形にはならないけれど、ひとまずの応急処置でした。
「必ず綺麗にしますから…。それまで我慢して下さいね」

 必死に墓石の前で祈る私に、墓参りを終えた先ほどの親子連れが近付いてきた。
無言で三人ともが私を見下ろしていたけれど、不意に父親の低い声が不穏さを含んで私を刺した。
「アンタ…。ガイアの一族の関係者かい…」
 私は毅然とした態度で立ち上がり、父親に対して恐れもせずに真実を述べた。

「ガイアの方たちは大事な友達です。海賊の人たちも大好きです。どうして酷いことをするのですか。子供にさせるのですか」
「…友達だって…?」
 父親の瞳は狂気に歪み、あろうことか腰から古ぼけたナイフを持ち出し身構えた。
男の手はカタカタと不気味に震え、それに習って子供達も周囲の石を拾って私に投げつける。
「ガイアの仲間はサマンオサの敵だ!死ねえっ!」
「母ちゃんを返せ!友達を返せ!」

 投げつけられた石は、身構えた私に当たる事はなく、全ては目の前に現れた黒い影が負った。
「何だ貴様!貴様も仲間か!」
 ナイフを手に父親は突進して来るが、その手は簡単に押さえられ、刃物は遠くに弾き飛ばされる。
 父親は素手でも諦めずに何発か拳を繰り出す。彼なら簡単に避けられたはずだったのに、その打撃は全て綺麗に命中してしまっていた。

 後ろに守られた私は意外な展開に蒼白になり、慌てて名前を呼んだ。
「スヴァルさん…!」
 口の端から血を滲ませた、帽子を落とした彼の双眸があらわにされていた。金の髪に整った顔立ち、鋭い紫の瞳    父親は彼の風貌に悲鳴を上げた。

「うおわああああっ!勇者サイモン!    いや、息子かっ!?」

 化け物を見たかのように腰を抜かし、泡を喰って父親は両手で身を守る。
「お、俺たちを焼き殺すのかっ?!この化け物め!あ、悪魔めっ!裏切り者めぇ!」
 尋常ではない恐れ方でした。この家族にとっては、彼はすでに人では無かった。

「わっ、わあああああっ!呪い殺されるんだ!助けてえええっ!」
「畜生!人殺しー!サマンオサから出て行けーーっ!」
 子供たちも怯え、父親に泣きつき悲鳴を上げる。
 驚いて、遠巻きに観客していたカラスたちが羽を撒き散らして一斉に飛び去って行った。黒い羽根がひらひらと舞い散って、地面に降り落ちるまで誰も身動きもしない。

 口元の血を拭い、罵倒されている美青年は帽子を拾い上げると、マフラーを占めなおして親子に背中を向けた。

 否定も肯定も一切はなく、ただいつものように彼は寡黙で。
 足音さえ感じられない程静かに、彼は帰り道についた。寂しさに胸が苦しくなるのは、荒れ果てた墓地の光景のせいだけではなかった。
 この人が何も言わないから、こんなにも苦しくなってしまうんだ     


 暫くは親子の嫌な叫びが耳にこびり付いてはがれなかった。
人知れず、自分でもいつの間にか分からずに、頬に涙が生まれて落ちた。

 なぜ、こんなに優しい人が、あんな罵倒をされるのだろう。
 あんなに酷いことを。どうして…。



 帰り道は更に重く、ひと言も言葉を生み出せずに、それは最初に降り立った郊外にまで続いた。
 キメラの翼でアジトに戻る前に、私は涙を拭いて、彼に回復呪文をかけるべく声をかけた。殴られた頬にふれて、その後は、たまらない思いで、ぎゅっと胸元を掴む。

「どうして…。もしかして、わざと殴られたんですか…」
 この国に降りてから、ずっと不快感は消えない。でも今はそれ以上に悲しくて苦しかった。悪い夢だと思いたかった。
「……。何かを憎んでいなければ、どうにもならない時もあるんだ」
 妙に悟ったようなことを言い、多分私はこの人に対して初めて怒りを生んだ。

「……。なんですか、それ。そんなの、スヴァルさんが背負わなくたっていいじゃないですか。なに冷静ぶってるんですか。そんなの、あんなこと、許さなくたっていいんです」
 胸を掴んだ私が怒り、肩が震えるのを、彼は感謝したのか、そっと私を抱きしめて目を閉じた。

「慣れなければ、生きて来れなかったんだ。…感謝する」
 悲しいことを呟いた、そしてその後で私に礼を告げた、その声は微かに震えていた。

「…慣れてなんか。いない、でしょう?本当は、平気な振りをしていただけだったんですよね。こんな悲しいこと、平気なわけがない…!」
 これまで彼にふれる時は、決まって私が助けてもらっていた。
 初めて彼を守りたくて、一生懸命に抱きしめて、一生懸命に涙した。

 お互いにお互いを抱きしめながら、この瞬間に、ようやく私は気がついたんです。
 これまで散々、「大事だ」と言ってもらい、態度に示してもらい、離れていても守られながら、私はずっと「どうして?」と悩むばかりでした。

 「大事だ」と言ってもらいながら、
 私が彼を「大事です」と口にする事はなかったのだと。

 大切な人でした。守りたい人でした。幸せであって欲しいと願いました。


 二人を嘲笑うかのように、王城は今も不気味に沈黙を守っていました。
 昼が過ぎて郊外の霧は濃くなり、スヴァルさんは激情を隠して城内の悪を睨む。
「この国の民は、みな被害者なんだ。だからあんな親子を恨む気にはなれない」

 彼と一緒に、私も巨城を見上げていた。人攫いから娘たちを買い漁るような、腐った王の棲まう悪の巣を。
「牙を剥くべき敵は、城の中にいる」


==


 親子三人は暫く呆然としていたけれど、二人の去った後、また腹いせに墓をいたぶることに戻ったようだ。
「その位にしておきなよ」
 親子に釘を刺す人影が現れる。長身の、声からして男性であったけれど、顔は深くかぶったフードによって隠されていた。

「なんだお前は!お前もガイアの仲間か!?」
「一応関係者になるのかね…。でも、ガイアの一族よりもお前ら人間の方が恐ろしいよ。自覚した方がいいね」
「な、なんだと!貴様…!」
「ラリホー」

 煩わしかったようで、旅人らしき男性は親子を魔法で眠らせてしまう。
 地面に放置したまま彼は目的の墓に向かい、崩された墓石の前で立派な花束を投下した。
 この城下では買えない良質の花束であり、更に花の生息地は北の地に限定されていた。遥か北の果て、人の住まわない広大な森、旅人はその地方の住人だった。
「久し振りだね、姉さん」
 深くかぶったフードの奥で、彼の双眸はどこか自虐的に鈍い光を発して見えた。



 同時刻、ランシール神殿では異変が起きていた。
 勇者一行が手に入れたパープルオーブとブルーオーブは、神殿、地球のへその聖域に安置されている。
 本日その二つのオーブを持ち出そうとする者が姿を見せ、紫と青き光に対峙すると瞳を伏せた。
 華奢で、繊細だが美しい少女は、精神を集中すると二つの光に両手を翳す。
 オーブは二色の光の玉になり、少女の身体に吸い込まれると静かに消えていった。自他共に認める、彼女はオーブの正式なる所持者であった。

 彼女の行動を見守っていた白き聖女は、もう一度だけ彼女に問いかける事にする。
「本当に、…決意はお変わりありませんか?シャルディナ様」
「…はい。お願いします。これは、私の力なのです」
 少女の微笑みには、かつてない決意が秘められているように見えた。



BACK NEXT