私は、自分が嫌いでした。 何故なら、私はとても弱いから。そして醜くて。卑怯者です。 ずっと、力が欲しかった。 認めてもらえる称号が欲しかった。それは「物」でもなんでも良くて。 でも、もう求めることを諦めた。 一生懸命、手を伸ばしても望みには届かない、どうして今まで気づかなかったんだろう…? 私って奴は、気が遠くなるほどに愚かで、無能で、幼稚です。 もう、……なにもかもどうでもいい。 瞼の裏に残った、傷つけた友の顔も、永遠に凍り付けてこの海に流してしまおう…。 |
「優しさ拒否」 |
暴風域から抜け出し、人攫いの船はランシール大陸そばの孤島を目指して航海していた。嵐を過ぎて、それまでは横に縦に激しく揺れた船体も、いずれ落ち着き、ひとまず危険の無い程度の揺れを保っている。 押し込まれた女だらけの船室は、湿気と不安とで陰気すぎてカビが発生しかけていた。空気が淀んで、船酔いも混じっているのか目眩がずっと繰り返す。 濡れたままの服もまだ乾かずに、身体に張り付いて不快感はつのるばかりで、じっと床に頬を擦りつけたまま、私は体の痛みも人ごとのように放置していた。 明りとりの小さな円い船室の窓、そこから闇夜が僅かに覗けて見える。夜空には一つの光明もなく、強風の音は魔物の呻き声のようにとぐろを巻いてきりがない。 私は このまま何処へでも流されて行くことを、望んで静かに瞼を伏せていた。 小島に上陸し、人攫いたちは嵐を避けるために今夜は停泊を決めた様子だった。船はすっかり落ち着いて、ゆらゆらと静かに揺れている。 嵐という、危険は去った。危険は姿を変えて、娘たちに及ぼうとしていた。 それは更に陰湿な悪意あるものと姿を変えて…。 船も奔らない、停泊して過ごす夜、人攫いたちはそれは 退屈な夜に、サマンオサ国王に献上する品物に、ちょっと味見をしてみようと企てても、「仕方がない」と彼らは嗤うのかも知れなかった。彼らにとっては毎度のお楽しみ。ささやかな遊戯。仲間うちの誰もが咎める言葉など言うはずもない。 例えるならば、私達は野菜や果物に等しかった。 下卑た男たちにそれぞれ品定めされ、抵抗もできぬままに各部屋へと運ばれていく。彼女たちは今夜、人攫いたちの欲求を満たすために噛み砕かれる食材になる。 「………」 買い手の足音に、ごくりと唾を飲み込んだ。 自分の安全に無関心なつもりでもいても、さすがにおぞましさに、選ばれないように顔を伏せて狸寝入りを決め込む。 しかし、私のすぐ傍で足音はぴたりと止まってしまった。 頭上からドスのきいた低い声が、ぬるりと私に垂れ落ちてくる。 「んー。びしょぬれだなぁ…。お嬢ちゃん。俺が温めてやるぜ…」 全身ずぶ濡れ、髪も乱雑に切り落とした私の姿は 靴も履かず、明らかに他の女たちと様子が違う。そんな私の肩を転がし、顔を暴くとヒゲ面の豪傑は満足そうにニタリと笑った。 「風邪引くと可哀相だからなぁ…。へっへっへっ…。可愛がってやるよ」 肩に担がれ、連行されてゆく。 心の中では悲鳴が弾けそうに爆発していた。部屋に着く間にも、男の毛深い腕は私の腰から素足をさすり、身体をよじって逃げようと抵抗する。 男にはそんな抵抗すらも悦にはまるようで、尚更逆に火を付けてしまうらしい。 さるぐつわに、両手足の縄。簡易的なベットに投げ出され、樽のような体格の男はシャツを脱ぎ捨て濃い胸毛を自慢する。 いよいよ震えと冷や汗が納まらず、冷静な判断は失いかけていた。 「さあて。まずは濡れた服を脱ごうかねぇ…」 ごつい大きな手にナイフを構え、スカートの裾から切り裂いて、ゆっくりと上まで布を裂いてゆく。露になってゆく素肌に男の息は荒くなってきた。 助けを求める思いと、このまま壊れればいいと思う、相反する思いに私は迷っていた。 正直、 まだそのまま海に落ちて死んだ方がましだと思った。 「コラッ!逃げるんじゃねえ!」 たまらず転がり、ベットから落ちた私は痛みにしばし耐えしのぐ。動いた時にナイフをかすめ、胸元からわずかに赤い線が生まれていた。 すぐに男は追いかけ、私の腰にまたがり、一気に服を裂いて乱暴に剥く。 下着姿になって、舌なめずりした男は、私の首筋を舐めようとして動きが止まった。 「な、なんだこりゃあ…」 ガクン…!! 男の驚愕の呻き声と、半秒ずれて、船は大きく傾いた。何かが船にぶつかった衝撃。部屋の物は重力の移動に片方にずれて転がり堕ちる。 男は異変に身を起こし、何か思い当たったのか、睨んだものは 「貴様…!貴様かっ!貴様、まさかガイアの一族の女か…!?」 下着姿の私の、胸元には琥珀色にぼやけた光を放つ鉱石がぶら下がっていた。一変して男はナイフを突きつけ、私に怯えたように距離を取る。 「いや、ガイアの生き残りは奴ら二人とか言っていたな。まさか、例の頭か!?」 ミュラーさんと間違えて、男は悲鳴じみてますます距離を取った。部屋の壁まで逃げ去り、差し向けるナイフを持つ手が震えていた。 「ちっ、畜生!ただでやられると思うなよ…!」 ガクン……!! 再度、船に衝撃。上の方で戦いの音が聞こえる。明らかに侵入者を掲示していた。男は更に浮き足立って、私への攻撃意志をむき出しにする。 勿論、戦う意志のない私は隙ばかり、逆にそれが男には不気味に捉えられ、男はじりじりと慎重に間合いを詰めていた。 「喰らえ!」 ナイフを振りかざし突撃しようとした刹那、男の左脇の扉が蹴り破られ、吹き飛んだ木の扉がそのまま男に激突する。 「ぐわあっ!」 ひっくり返って男は侵入者を睨んだ。 どうして、こんな時に現れるんだろう…? 私が呼んだ…?ううん、違う、呼んだのは、呼んでしまったのは、きっと私の預かったこの〔石〕なんだ。 蹴り破られ、廊下へとつつ抜けた穴には、夢のように懐かしく感じた男性が一人立っていた。黒い服装に金の髪が映える、明らかな美青年が私を見つけてわずかに眉を潜める。 再会を嬉しい、とは思わなかった。 自分を誰にも見られたくない、そうひたすらに今は願うから。 「何だ貴様ーーっ!」 人攫いは知らなかった。その黒服の青年こそが、自分が恐れたガイアの一族であったことを。 伸ばしたナイフを持つ 落としたナイフを探した右腕は黒いブーツに踏まれ、次の瞬間には骨を砕かれていた。 「ぎゃああああああっ!痛えっ!痛えよぉ!!」 「黙れ」 ゴミを蹴り出すように廊下に叩きつけられ、男は白目をむいて気を失った。 シーツをかぶせ、さるぐつわと手足の縄をナイフで切り、彼は訊ねた。 「サリサ…?どうしてこんな所にいる。ランシールで、地球のへそに挑んでいたはずだろう。帰って来た後なのか」 質問の内容にかかわらず、私はひと言も口を聞かない。 顔さえ見せないようにシーツをかぶり、頑なに無言、無反応を決め込んで石像のように硬直する。 「スヴァルのアニキ〜!人攫いどもの捕獲完了!女の子たちは保護完了ッス!逃げ出した奴らは今別班が追ってるッス!」 少年が一人伝達にパタパタと駆け込んで来て、海賊団の副頭領にビシッと敬礼をした。 「……?あああーーーっ!サリサちゃん!何で捕まってるッス?うわあ〜!しかも髪まで切られちゃったスっか?許せないッスね!」 「……」 自分で切ったものなんだけど、同情されてしまって、何も言えない。 「おい。船からお前たち、小柄な奴の服を数枚持って来い。着替えが必要な女もいるだろう」 「アイアイサー!あっ!でも、サリサちゃんにはアニキの服を持って来るッスね!オイラたちの服なんて着せたら、姐さんに樽転がしの刑にされまスから」 「俺じゃサイズが合わない」 「大きいくらいの方が可愛いッスよ☆すぐ取ってきまーーッス!」 少年が去り、戦いの音は止み、気まずい沈黙だけが周囲を取り囲む。 下着姿にシーツをかぶったまま、床にぺたりと座ったままの私の横に膝を折り、海賊団副頭領はそっと頭に手を乗せた。 「大丈夫か。怪我はしてないか。安心しろ、明日にはランシールに帰れる」 「帰りたく、ありません…」 虫の鳴くような声で、それだけは私は口を聞かなければならなかった。 帰れるはずがない。 せっかく離れたのに、しかもこんな状態で帰るなんて醜態の極みだ。 「何か、ランシールであったんだな。地球のへそで失敗したのか」 「スヴァルさんには関係ありません…」 「………」 一切の問いかけを拒否した、それは質問だけでなく、関係の全てまで拒否してしまっていた。 「何があったか知らないが、お前はランシールに連れて帰る。仲間たちも心配しているだろうからな」 結論を出してスヴァルさんは立ち上がり、私はと言えば、信じられないぐらい陰湿な顔に変わっていたことだろう。 「帰りません。私は船を降ります」 立ち上がり、シーツをかけたまま廊下へと彼の脇を通り過ぎた。 「サリサ。一体どうしたんだ。お前らしくない」 腕を掴む、彼の言葉が頭に空しく反芻していた。振り返る僧侶の顔は自分への嘲りに歪んでいる。 「これが、私ですよ…?もう仲間たちともさよならしたんです。だから誰も心配なんてしていません。あなたも、もう心配しなくていいんです」 傷つけることは解りきっていた。でも、あえて私は毒を吐く。 「助けて下さってありがとうございました。でも、もう二度と助けないで下さい。あなたとはただの他人ですから」 相手は、驚きと、当惑の表情に瞳を揺らした。私が傷つけた、エルフの魔法使いよりもそれは薄かったけれど。 「これも、返します。ミュラーさんと間違えられて迷惑でした」 琥珀色の鉱石が吊り下がって揺れる。 追い討ちをかけて、彼の姉まで罵った。 副頭領の指示を仰ぎに数名集まっていた、海賊の子分たちの間にざわめきが沸きおこる。今まで優しさしか私に見せた事のない、彼も当然の如く怒りに視線を細めた。 …これで、いいんだ。 これできっと、この人も「彼女」のように私を怒って、呆れて、私から離れていくから。 子分たちの不安はよそに、彼の返事は冷静だった。 「要らないなら、自分で捨ててくれ」 「分かりました。本当に捨てますよ」 「サリサちゃんっ!それは…!」 廊下で様子を伺う子分たちから一人、先ほど服を取りにいった少年が思わず話に割り込む。すぐに集まった視線に萎縮して、彼は小さくなって隅に引っ込んだけれど…。 思案した時間は僅か、金髪の美青年は威圧的に私を止めた。 「船を降りるのは許可しない。お前は俺たちの捕虜だ。暫く拘束させて貰う」 有無を言わさずに、私は海賊船の一室に閉じ込められた。着替えのスヴァルさんの服も一緒だったけれど、さすがに身につける気にはなれなかった。 その行為は、彼の優しさを着る行為に等しいと思った。 |
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風がたたんだ帆を激しく凪いで、バタバタとうるさい布の音を響かせていた。 人攫いの船を奪い、元の船の主たちは揃って甲板にひとくくりに転がされていた。 攫われた女たちの保護は終わり、それぞれ服や食料を配分し、休息させる。子分の一部をその船にあてがい、彼らはランシールへと向かわせる。 指示を配りながら、俺の心中は複雑だった。 まだ幾分風の吹く甲板上で、子分の一人が意見を述べる。 「ランシールでの事は了解しました。勇者一行にも接触しておきます。賢者がいたら賢者に伝えることにして、副親分は彼女をどうするつもりですか」 黒い蒼髪の少年で、腕の立つ剣士でもあった。普段無表情に近いが、この日は何処か含んだ物言いで愉しそうにも見える。 「俺としては、本当に暫くうちで面倒見るのがいいのではないかと思います。どこか自暴自棄の気が見られましたし。このままランシールに帰しても、また何処かへ逃亡しそうな雰囲気です」 「でも、あの発言にはビックリしたよなぁ…。副頭領から火が出るんじゃねーかとヒヤヒヤしたよ」 その隣では、同い年の少年が頭をかいて苦笑していた。短いボサ髪に体のアチコチには名誉の(?)傷がいくつも見つけられた。 若いが身のこなしから、専ら偵察係を担っている軽業師。 「あんなこと言って無傷でいられるのはあの僧侶だけだろ〜。女の子ってずるいよな」 「彼女の悪口はご法度」 蒼髪の剣士はジロリと偵察係に釘を刺す。 「なんだよ。お前も『副頭領とあの子をくっつけ隊』の一味だからな〜。海の男に女は不要だよ」 「フン。お前賢者に、聖女の写真も撮ってくれとせがんでいただろう、知ってるぞ」 「どっ、どきいっ!」 子分たちの何気ないやり取りを眺めてから、俺は嘆息交えに呟いた。 「帰りたくないと言う理由は、心当たりがある。勇者達とは暫く離れていた方がいいかも分からない。その後のことは賢者が来てから考える。とにかく今は一人にできない」 「そおですよね〜。きっとあの賢者の連絡便が来ますよねー。じゃあ俺たちはこれからこっちの船でランシールへ向かいますよ」 「頼む」 明け方、出航を見送り、自分の船にようやく帰ると、思い出したように疲労を感じた。 ランシール大陸を遠目に見て、この近辺に引き返していたことを今更ながら幸運に思った。姉と帰国の途中、サマンオサ界隈ではびこる盗賊団の船を発見し、不穏な動きに姉と別れて尾行に着いた。 それがなければ、今頃サリサがどうなっていたことか。 一仕事終えて、子分の多くは眠りについていた。 ランシール近海の孤島に停泊し、昼には帰国への道に戻るだろう。見張りに起きている者を労いながら、俺が向かったのは自室ではなかった。 保護した僧侶娘を押し込めた部屋の前に近づく。 扉の前にはふっくらとした、どこか愛嬌のある風貌をした子分が見張りに座っていた。 「ご苦労だったな。変わろう」 「あ…。副親分、お疲れ様です〜」 本人は急いで、なのだろうが、のんびりと立ち上がり、頭を下げる。 「サリサさん…。何も食べないし、服も着なくてえ…。心配ですねえ…。あ、怪我は回復しておきましたあ」 「そうか…。ありがとうな。もうお前も休め」 「でも、副親分も、働きづめですう」 「どのみち、気がかりで眠れない。気にするな」 子分を休ませ、扉の前の見張り役は自分に移り替わった。 東の空から明るみ始めるが、まだ雲が多く、それ程の天気は期待はできない。 「コホ。コホッ」 サリサの咳き込む声が扉越しに数回聞こえ、服も着ていないとの事で風邪でも引いたのではないかと気になった。 「サリサ、入るぞ」 軽くノックして部屋に入る。ベットに潜り苦しそうに咳を堪える、サリサの額を押さえると案の定、発熱していた。 熱に浮かされ、さっきまでの虚勢もなく、俺の顔を見ても文句の一つも言えない。 薬を持って来ると意外な程に素直に薬を飲みほした。 苦さに涙を堪えて、赤くなった顔で今更のように俺に気がついたらしい。ワンテンポ遅れて、スルスルと毛布を引き上げて自分の身体を隠した。 「汗で気持ち悪いだろう。悪いな、さすがに女性用の下着の替えはない。俺の服で悪いがこれでも着ておけ。着替えられるか?」 素直に頷き、汗を拭かせ、着替え終わると部屋に戻って改めて横にさせた。 「脱ぎ捨ててあった服も濡れていたな。嵐に打たれたか?今はゆっくり休め」 頭を撫でると、言葉の代わりにサリサの目の端から涙が零れ落ちた。 声を殺して、それでも抑えきれないようで、天井を見つめて鼻をすする。 「どうして…。そんなに優しくするんですか…」 両目に片腕をかぶせ、泣き顔を隠しながら、ようやっとサリサは気持ちを話し始めた。 「私、本当に捨てようと思ったんですよ。ゴミ箱に捨てようかと…っ」 「でも、お前は捨てていない」 「酷いことも、言ったのに…」 「本心じゃないだろう」 「優しく、しないで下さい。私、そんな資格ない…」 自責するような事柄が、ランシールであったのだろう。 俺に吐いたように、仲間たちに心無い言葉をぶつけて来てしまったのか、そんな後悔が小さな少女を更に小さく見せていた。 「私、最低だ。…最悪だ。ここにいない方がいいです。こんな奴いない方がいいんです。私なんて消えてしまえばいいのに」 ひたすら自分を呪う、サリサは次々と後悔や自責の言葉を呟いた。 本心では、葛藤を覚えていた。 自分の行動は、初めて境界線を越える。これまでの親しい妹のような親愛とは異なる、初めて女として抱きしめようと衝動したがために この細い体で精一杯、強がって戦いに赴いていたことも。 本当は脆い、常に綱渡りのような危なっかしさを孕んでいた足元も。 抱き上げて胸に抱くと、細さも、弱さも、震えも、息づかいも全てが愛しかった。 「もう、…何も言うな。お前は嘘ばかり口にする」 強く抱きしめる、俺の方こそ後悔に歯噛みしていた。お前を待つためにランシールに残れば良かったと。迎えてやれば良かったと後悔して腕に力を込める。 「嘘…?私、嘘なんて…」 抱きしめられて、抵抗する力もないようで、少女は脱力していた。 「もう何も言うな。何も言わなくていい。お前は優しくして貰いたい。大事にされたい。お前の願いはこうだ。お前が必要だと言ってもらいたい」 自分を痛めつけるための『嘘』が痛々しくて、これ以上は耳に障る。 黙らせたかった、言えば言う程サリサ自身が崩れていく。 「………」 違う、と言おうとして、サリサは咳き込み、俺は幾分力を緩めた。 必要以上に力が入ってしまった、体調への配慮が薄かったと後悔し、昂った想いに水をさす。 「もう、泣くな。具合が良くなったら、いくらでも話を聞いてやる」 頭を枕に戻し、頭を冷やすために俺は席を外そうと背中を向けた。 「あ…。ふ…。うう…っ」 離れて欲しくない、とでも言うように再び涙するのに驚き、俺は幼子のようなサリサの白い手を握りしめた。 「分かった。ここにいる。だから安心して眠れ」 |
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サマンオサ大陸は南北に長く、北の大陸は未開であり、最近になってようやく新しい街が作られ始めたばかりでした。 南大陸はまるごとサマンオサ王国の領土となりますが、大半は険しい山脈であり、国土はそれほど擁してはいません。 周囲の近海が海底火山などの影響で凹凸が激しく、入国に船は不向きであり、港を持たない閉ざされた王国。 入国には別国からの『旅の扉』利用が主流でした。 数年前より旅の扉はサマンオサ側から閉鎖されており、大国は世界から孤立する。一体閉じた国の中で何が起こっているのか、多くの者は実情を知らなかったのです。 海を渡る海賊たちの専らの噂では、サマンオサを海賊が占領しようとしている。その海賊団の名前は「暁の牙」。 その背後には牢屋に追いやられた、とある勇者の謀反が曝されていました。 勇者オルテガの親友であったとも言われている、勇者サイモンは友と国を裏切り、魔物に魂を明け渡した 丁度、サイモンの謀反以降、この王国は閉鎖しているのです。 サマンオサ王国の南の端、深い森と緩やかな山脈を背に、海賊たちのアジトは人目を忍んで設置されていました。 小さな集落の奥に洞窟が見え、抜ける入り江に何隻かの船が停泊しています。 海賊のアジト、とはとても思えない程に暮らす人々は明るく、陽気さに満ちている。その理由と言うのも、簡単なもので、全ては海賊頭領の人柄にあったのでしょう。 数週間ぶりに「暁の牙」頭領を訪ねると、丁度彼女は子分からの報告を受けた直後の様子でした。 歓迎すべき報告では無かったらしく、彼女の表情は険しく、空気は緊張していた。 「こんにちは、ミュラー。何やら穏やかでない雰囲気ですね」 賢者の登場に輝いた笑顔も見せず、逆に座った目で睨まれてしまったがために、彼女の部屋の入り口で愛想を振りまきます。 半分エルフ族の血を引く彼女は、腰に手を当て、ケンカを売るように私の前に仁王立ちなのでした。 「…何か用?勇者達は無事帰って来たって報告?」 「ええ。皆さん無事に帰って来ましたよ。ただその後が大変なんですよ〜」 かいつまんで事情を説明する間、彼女の相槌は不服そうに、眉根は寄るばかりでした。 「人攫いね…。ならきっとうちの弟に救出されてるわよ。問題ないわ」 「そう言えば、スヴァルさんは居ないようですね」 「始めからうちの弟にしておけば良かったのよ…。(ブツブツ)丁度その人攫いに張っているのよ。だから大事にはなっていないはず」 「まさかサマンオサ関係の人攫いだったとは…。国外にも手は伸びているのですね」 終始おどけていた私の前で、彼女は不意に表情を翳らせてしまった。 珍しく、それは悲しみに深く、遠い過去を悔やむような紫の瞳。 「国外の方が仕事がやりやすいでしょうよ。おおかた、もう国は食い潰された後」 「ミュラー…?」 気にかけて、閉めた扉の前で彼女の両肩にふれた。いつも気丈な彼女でも、実際は肩は細いもの。 けれど、心配して覗き込んだ顔はもう、戦士の顔に変わってしまっていた。 「さっき、ルシヴァンが城下から帰って来たの。あの城には確かに『何か』があると思っていた。それがビックリよ、あの城にはレッドオーブが在る」 勇ましい、凛とした瞳は炎を揺らし、声には気迫が宿る。 「シャルディナさんの話で、サマンオサに在る、とは言われていましたが…。王家に握られていたのですね。私ですら手が出せないはずです」 元凶であると推測される王家には、一切手出しができない状況に数年苦虫を噛んでいました。国王は民の前に姿を殆ど出さなくなった。 城に侵入できない結界のようなものも施されていたのです。 「アンタ達、 支える肩は細くても、顔を上げる彼女の眼光は強く、待ち望んだ戦いの火蓋を私に確認していた。これまで戦いたくても直接対決させて貰えなかった、城の中の『敵』にようやっと手が届くのか 猛る彼女の心中を察して、にわかに私の中でも火がくすぶり始めるのです。 「随分待たせてしまいましたね。きっと今なら、お父様の汚名を晴らすことができますよ。勇者さん達を連れて来ます」 今日ばかりは優しく抱きしめて、出逢った時の少女にしたように髪を撫でる。 あの日から、彼女に負わせてしまった災いは、私の過失。 「………。そうよね。随分かかった。かかり過ぎたわ…。私はこの国を治さなくちゃならない。あのクソ親父も待っているしね…」 背中に腕を回した、すでに彼女は少女ではなくなっていた。 彼女の背後に、忌まわしき魔法使いの因縁が渦を巻く。 「許さぬ…。大地の血族全て根絶やしにしてくれる…!」 黒いローブ、黒い髪、紅い瞳の魔法使いの宣言通りに、大地の一族は壊滅し、残るはたった二人の姉弟のみ。 彼の歪んだ微笑が見えるようでした。 フードから覗けた笑みの口元。 海賊の姫以上に、怒りの溶岩は私の中で人知れず沸騰している。 |