「砕け散る」
「待っていました。貴方が二人目」
三つ編みの死神が俺を『餌』と口にした。
一人目は死神の足元に倒れていたドエールさん。
彼はミトラ教会の前にうつ伏せに倒れ、気を失っているのかピクリとも動かない。大きな外傷は見当たらないが、衣服には争った形跡が見えていた。死神に連れて来られる際に抵抗したのか。気絶しているだけならいいけど……。
「ちっくしょ…!皆の魂を返しやがれ!」
素早さ上昇の呪文はまだ生きている。掴みかかって、彼女の手にする宝珠に手を伸ばす。スイ、スイッと死神は音もさせずに身をかわしてゆくだけで、表情も指先も動いてもいない。
「馬鹿にするなよ!俺だって……!!」
バックステップで距離を取り、鉄の槍を背中から引き出すと身構えた。俺だってダーマで修行してきたんだ。近くの塔で一人、魔物と戦う練習だってしてきたんだ。
「幻の霧よ包み込め!マヌーサ!」
相手に目くらましの呪文を唱えて、駄目で元々、使えるだけの呪文の全てをお見舞いする。
「ルカニ!ラリホー!バギ…!」
間髪入れずに槍の間合いから突撃。
女でも容赦は一切無く、全身全霊の力を込めて突く。
視線は常に『宝珠』の存在を意識していた。
これを取らないと!!
「静かにしてて下さい」
呪文の効果を全て無視して、死神はひらりと回避。俺の右に回り、鎌の柄で膝下を殴打、骨が砕ける鈍い音が響いた。
「いって…!ぎゃあああああっ!」
噴水を飛び越え、右の三叉路まで飛ばされて、砕かれた両足を抱えて俺は悲鳴を上げた。激痛に転がって、血の滲むほど奥歯を噛む。
「そこでじっとしていなさい。もうじき友達が揃いますから…」
何を言っているんだ……!?
俺の疑問など露も知らずに、死神は何事かをブツブツと唱え始めた。知らない言語だった。魔物の言葉か……?背筋がゾッとして、身体の中に何かが蠢く感覚に総毛立つ。
左右の手のひら、額、背中、そして胸。邪悪な虫が浮き出るように、俺の身体に熱を持って文様が浮上してくる。
「ちょ…!冗談だろー!?ニフラム!ニフラム…!ニフ!」
狂ったように破邪の呪文を繰り返して、突如魔法力が尽きて、数秒意識が遠のいた。
万事休す……!
逃げようにも足を砕かれているのに、回復したくても魔法力が無い。
死神の言語によって教会広場が赤黒く、血煙にも似た邪悪な光に包まれゆく。夕陽まで届きそうな光はなお、範囲を広げるようで、じわじわと、やがては町全体を飲み込んだ。
「…少し時間があるようですから…。お話でもしましょうか…」
時間とは何のことだか分からないけれど、悠長に死神はひとり言を呟き始めた。
それは自嘲行為だったのか、俺への同情だったのか。
「あなたとドエール・ティシーエル、二人がこの町に仕掛けた巨大な罠の鍵でした…。餌とも言います」
容姿は美しい三つ編みの死神。しかしその瞳には揺ぎない『魔』の光が揺れている。
「ここに、ある人物を呼び出すための餌…。もうすでに彼は捕まりました。もう抵抗はできないでしょう。身近な友人を拠り代にしたのは、巨大な呪いの力を隠蔽するため」
「………」
町中に配られていた黒いメダリオン。
呪いのアイテムに誰一人気づく事ができなかった理由を、死神は冷酷にも口にする。
「あなた達二人がこの罠を隠してくれたのです。この町に用意した巨大な罠も、私たち魔物の匂いも消してくれた。人間の身体に乗り移った私たち魔物の匂いも、完全に消されていたのです…」
激痛に耐えながら、聞かされる死神の独白。
足の痛み以上に胸を締め上げる、衝撃の事実!
「なんてこった……っ!」
俺たちが消してしまったと言うのか…?
死神に施された『おまじない』が頭によぎり、力任せに石畳を殴りつけて、後悔に首を振った。自分がもっと用心していれば。もっと注意していれば……!
死神はご丁寧に呪いの仕掛けを明らかにしてくれた。
標的の身近な友人である俺たちに呪法を半分ずつ埋め込み、邪悪を感知させないように、体内でじりじりと呪いを育て上げてゆく。静かな呪の成長に誰も気づくことなく、感知を麻痺させられ、彼女たちはその間に町に陣を完成させていた。
生贄たちにメダリオンを配り歩き、その日を待つ……。
「この町を呪場にするのは簡単でした。町の建設に助言して、全ての道は陣になっています。方角も、位置も、強力な呪場。この町は彼に捧げる巨大な呪いの魔法陣」
町の構成に関与していたのはクレイモア。占い師ニースとクレイモアはそれは親しく、毎日のように会っていた。彼女も利用された人物の一人。
「そして…。奪った魂、それは私たちの力になる。嘆きの力は私たちを強くする。一都市分もの生贄の力を持って、ラーの化身は力を封印されるのです…」
「ジャルディーノさん……!!」
死神の待っていた使者は、『彼』を連れてミトラ教会右側よりやって来た。
イシスでもそうだった、氷河魔人を数体引き連れて現れたもう一人の死神。
名前はユリウス。
氷河魔人の手上には、動かない赤毛の僧侶の姿!
「待たせたわね。なかなか言うことを聞いてくれなくて、遅くなってしまいました」
なぜジャルディーノさんが身動きできないのか、その理由に蒼白となった。
氷河魔人たちがジャルディーノさんをガツリと下に突き立てた、その彼の足が見事に石化を始めている。
「ナルセスさん!ドエール…!逃げて……!」
必死に抵抗してるのだろう、ジャルディーノさんの痛烈な叫びが胸に迫る。自分のためにこんな事になってしまって、また彼がどんなに悔やむか分からない。
どんなに悲しいか分からない……!
絶望に目が眩むとは、こんな時に使うのかも知れなかった。
幕が下ろされたように、目の前が真っ暗に変わってゆく。ノアニール事件後に聞いたことだけど、死神ユリウスは『石化』の魔法を持っている。
あの時はこの三つ編みの死神に解呪させたと言うけれど、今回ばかりはそんな事態に落ち着きそうも無い。
「素敵でしょう…?新しい町に、私たちからの贈り物です。ラーの化身の石像、今献上致しますわ…」
ユリウスの合図に黒い宝珠は点滅し、吸い込んだ魂を呪いに換えると、光はジャルディーノさんに絡みつき、締め上げる。
「あああっ!ううう……!」
苦痛の悲鳴が広場に溢れる。
「ナルセスさんっ!僕の、ことはいいですから、ドエールを連れて逃げて…っ!ニーズさん達に……っ!」
ここはひとまず逃げて、応援を呼んで来るべきだと彼は言う。
ニーズさん達ならなんとかできるかな?例えば賢者が戻ってきたら……?
「逃げるなんてできませんよね?大切な友人を残して……」
ユリウスに言われるまでもなく、当然逃げるなんて出来るわけが無かった。自分ひとり逃げられる足さえ持っていないのに。身動きすらままならないって言うのに。
大切な友達の危機に、俺はどうすることもできないなんて……!
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言葉も出せないまま、徐々にジャルディーノさんの石化は進み、ついには苦痛の声すら聞けなくなってしまった。
夕焼けは迫る夜に押し潰されて、もうじき姿を消そうとしていた。
西の空から太陽が去るように、イシスの太陽が石化の魔法に奪われてゆく。
どうする……!どうするんだよ………!!
這いつくばったままの姿勢で、目まぐるしく思考は駆け巡り、けれど打開策一つも見つけられない。
「可哀相に…。自分を責めているのね…。この日の前にあなた達二人が死んでいたら、呪いに気づいたかも知れないのに。残念でしたね…」
死神ユリウスは辛辣な毒舌の持ち主だった。苦渋に歯噛みする俺の傍まで歩み寄って、わざわざ笑い飛ばしてくれる。
「光栄なことですよ。ルビスと同じ手法なのですもの。あの時はマイラ周辺に逃げていたエルフ達を一掃しましたが……。ただ殺すなんて、また『代わり』が生まれてくるだけですから、こうするのが一番良いと考えたのですわ……」
ルビス精霊神と同じ手法だなんて、そんなの破れる訳ないじゃないか!
二重に絶望して、俺は「くっ」と硬く瞳を閉じてしまった。
なんてこったよ…。ジャルディーノさんに迷惑をかけただけじゃなく、この町の人々全てを犠牲にしてしまった。俺の不注意のせいで……!!
石化に抵抗するかのように、終始ジャルディーノさんの身体は赤く、神聖なる光に覆われていた。けれどそれだけで、石化を破るには届かない。
陽が完全に姿を消す。
町は重い静寂に覆われて、灯りの一つも今夜は点らない。それもそのはずだった。今夜はどこの家にも帰る人がいないのだから……。
淋しい夜だった。
闇夜に燃えるのは呪いの波動ばかりだし。
唯一聖なる光があるとすれば、消えゆくラーの化身の最後の瞳のみか。
悔しそうな光はついえて、彼の爪先から頭髪までが石に変わる。時折、赤い光の名残がぼんやり浮かぶけれど、それは今にも消えそうに儚いもの。
「クスクス…クス…。アハハハハ…」
死神は一人は声を上げて笑い、一人は神妙な面持ちで無言でいた。
「嫌ですわ。見てこの悔しそうな顔を…。クスクスクス…。さすがに何もできないようね。それもその筈です。呪いを無理に壊そうものなら、巻き込まれて宝珠の中の魂も、大切なお友達も壊れてしまいますもの…。もう諦めてお眠りなさい。ルビスと同じように、闇に飲まれる世界を、永遠にここで見ていれば良いのです」
石像の双眸は反旗に燃えている。
視線は生きているかの様に、今もなお死神を睨みつけていた。
「クスクス…。……!」
不意にユリウスは笑いを止めて、耳を澄ます。
「…どうやら邪魔者が近づいているようね…。挨拶に行ってきます」
「ここは私に任せて……」
ユリウスの表情は引き締まり、相手が『只ならぬ者』であると、知らず知らずに教えていた。すうっと夜の闇に溶けるように、ユリウスの姿は消え、残るは三つ編みの死神だけ。
彼女は鎌を立てたまま、じっとその場を動こうとはしなかった。
石化は成された。呪いは完成した。それなのに彼女はなぜここに留まっているのか。
俺たちを始末することもなく…。
誰かを待っているのか……?
彼女の手に持つ大鎌、反対の手には黒い宝珠。
まだ終わってない。まだ望みはある。
まだ死神が、ここにいるうちに!!
ひとつだけ。
何かできるとすれば、この危機を何とかできるとするなら。
たった一つだけ、俺には手段が残されていることに気がついた。
……どうする……?
迷っている暇は無い。
魔法力も必要ないから、身体が動かなくても口だけは動くから。だからその呪文だけは詠唱できる。
思い留まる理由は一つだけで……。
俺は彼女の待つラーの教会を横目見て、果てしなく襲う罪悪感に涙が流れた。
「ごめん…。アニーちゃん」
残る手段はこの身ひとつだけです。
どうか祈りが届くように。俺の信じる太陽神様なら、きっと奇跡を起こしてくれる。
『この町を俺に下さい。この町を俺に任せて下さい!』
この町の人々を幸せに導くと誓った。大事な志を忘れてはいなかった。
「この町だけは、俺が守らないといけないんだよね……」
他の誰にも頼めない。この町を背負うとあの日に決めたのだから。
ダーマ神殿で習得リストに載っていたわけじゃない。なのに覚えていたのは、俺があの人に憧れていたからに他ならなかった。
魔法力というよりは、信仰心や、その人物の徳の高さに左右するというが……。
俺は漆黒の空に、太陽を求めるように、両手を伸ばして祈りを叫んだ。
「太陽神ラー!我は奇跡を求めます!死神を倒し、黒い宝珠に奪われた魂を開放して下さい!」
死神は俺の行動に意表をつかれたようで、珍しく視線を投げて来た。
大地に仰向け、天を求める。その行為の意図を解っているんだろう。
「捧げるものは、この身、この命。我が魂の力を持って、望む奇跡をもたらし給え!太陽神の御力を今ここに!」
願いは叶うだろうか。奇跡は起こるだろうか。神は俺の声を聞いてくれるだろうか?
僧侶になってまた短い。そんな自分の声は果たして……。
けれど後戻りはできなかった。俺だって勇者の仲間だ。
命を懸けて戦うんだ!
「神の力、我が身を呈して光臨せよ……!メガンテ…!!」
解き放たれた自己犠牲呪文。ジャルディーノさんは過去に数回使用したが、普通は命尽きるこの呪文から、無事生還している。でもそれは、彼が特別な存在であったからこそ。
俺のような一般人なら……。
「……。あなたでは、制御できないでしょう。そして威力も弱い。無駄死にです。愚かな……。このまま、何もしなければ生きて帰れたのに……」
死神は哀れみの表情濃く、失礼なことに動揺もしなければ、逃げることも無い。
全く問題視せずに悲しげに俯いた。
いまだ誰かを待つように噴水の縁に立ち、抱きしめるように大鎌を胸に引き寄せる。
本当に無意味だったのか……?俺は無駄死に……。
詠唱後、数秒経ってようやく異変は始まった。夜空に神の息吹が渦を巻き、紅き光が貫くように降りてくる。神の力が到達したなら、俺はおそらく死ぬだろう。
「…諦めないで!ナルセス君……!」
挫けかけた心に響いたのは、意識が戻って立ち上がったドエールさんの声だった。
「もう一度…、僕と一緒に呪文を唱えて!」
俺の傍に駆けつけ抱き起こす、彼の瞳は決意に燃えていた。
「太陽神ラー、我は奇跡を求めます!」
同じ呪文が唱えられる。俺が唱えたのを聞いて、覚えたのかと思ったが違った。
彼こそ、ジャルディーノさんの危機に、自分の命が役に立つのならいつだって差し出したに違いない。いつか贖罪の場面が訪れたならと、心に刻んでいたんじゃないか?
「死神を倒し、黒い宝珠に奪われた魂を開放して下さい!捧げるものは、この身、この命。我が魂の力持て、望む奇跡をもたらし給え!太陽神の御力を今ここに!」
一気に詠唱し、彼は胸元の『赤い石』を空へと捧げた。
ジャルディーノさんから預かった母の形見。赤い石のペンダント。
何度も息子を守るために、輝いてきた守護の石だ。
呪文に呼応し石は眩い光を呼ぶ。
彼の母親、セズラート様が力を貸してくれるんだ…!
「神の力、我が身を呈して光臨せよ……!」
ドエールさんの呪文に重なるように俺も追いかける。
「神の力、我が身を呈して光臨せよ……!」
「「メガンテ…!!」」
声は重なり、石から奔る閃光は天からの光と衝突する。
光は爆発し、流星のように死神へと降り注ぐ。まるで紅の流星群だった。
三つ編みの死神はここまで来ても逃げようともせずに、上空を見上げ、首を戻すとまるで礼を言うように初めて微笑みを見せたのだった。
「…太陽の石を持っていたのですね。それなら、私を消せるかも知れません…」
瞳の端に光るのは涙?泣いていたのか。
確証つく間は無く、紅き流星群は寂しげな死神を穿つ。無抵抗な彼女の肢体は焼け焦げて、跡形も無くなり消滅することを期待した。
その前に、彼女を庇うように差し出された手、白い影。
「なんで…!!」
刹那の瞬間彼女を抱きしめる人影、信じられずに目を疑った。
黒い髪、青い瞳、白い服の勇者がなんで………!!
どんなに知りたくても、俺に答えが届かないのを知っていた。
神の奇跡の結末もこの目に映らない。ラーの光が到達し、呪文を撃った指先から俺を象るもの全てが砂のように散ってゆく。
骨も皮膚も、夢も命も。メガンテで死んだ者は復活させられないとも言うしね……。
本当にごめん、アニーちゃん。
でもアニーちゃんなら、すぐにまたカッコイイ彼氏ができるよね。俺のことなんて引きずらないで、元気に生きてくれるよね。
どうか無事で。逃げて、生き延びて……。
本当は魔王を倒すまで頑張りたかったけど……。
痛みは一切無く、音も無く、サラサラと光に溶けて、
隣にいるドエールさんと共に、俺の存在は砕け散った。
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彼女が目を覚ましたのは、微かな雨の音が耳をついたからだった。 重たい空から霧雨が降り、血塗られた町を洗うように湿らせていた。 強まる呪いに教壇の中苦しんで、何度も聖水を痣に塗り込みなんとか耐えた。ラーの教会は屋根の一部が崩壊し、暗い夜空から霧雨が吹き込んでいる。彼女は塗れた体に身震いして、倒壊した入り口を避け、破れた窓から外へ出た。 隕石でも落ちたのかと、彼女は広場の有り様を見て驚いた。 噴水があった場所には何も無く、スプーンでえぐったかの様な穴が一つ。ミトラの教会は半壊、ルビス教会はほぼ全壊していた。波状的に、周囲の民家も倒壊している。 「ナルセス、どこ……」 幼なじみの恋人も、死神の姿も見当たらなかった。広場に不似合いな石像が一つ、ぽつんと無傷で佇んでいる。 こんな所に、こんなもの無かったはず…。石像の正面で首を傾げた。 「何これ。どういうこと……?」 誰かが造ったにしては悪趣味な形相だった。しかも彼女の良く知る僧侶に似すぎているし。まるでノアニールの呪いを連想させてくる。 「…冗談よね。違うよね……。ナルセス、どこなのよ……」 死神が消えたからか、胸の痣は不気味な静けさを保っている。 雨に塗れる夜の町に一人彷徨い、彼女は彼を探し続けた。 この先、世界中を探しても、彼の髪の毛一本すら、彼のターバンの切れ端すらも、 もう見つけられない事も知らずに。 しっとりと僧侶の石像は露を帯びて、瞳からは涙が流れて落ちる。 |
BBSでは「メガンテ」とは書かないようにお願いします。 ジャルディーノの石化も。ネタバレにご注意下さい。<(_ _)> 神の奇跡に関して世界解説の方に追加しておきました。 |