シャン    シャン。

 私が歩くたびに大鎌についた鎖が揺れ、ささやかに去り逝く魂に別れを唄う。
 陽はゆっくりと西に傾き、空に残る血の滲み。
 闇に呑みこまれる直前、光は悲痛なる血溜まりを残してゆくのでした。

 闇に捧げる血の宴。人は時折、薄闇の中に見るという。
 恐ろしき
『魔』の姿を    

      さあ民よ、動きなさい。もうじき標的が町に訪れる。
 餌を掲げ、落日を喰らうのです。さあ、餌を……。



「逢魔ヶ時」

 災いというか、騒動は前ぶりも無く、完全に虚をついて俺を襲った。
 町役場に一人詰めていた俺    ナルセスに突然の強襲。襲い来るのは魔物でも悪党でもなく、なんとこの町の『一般市民』。

「この町から出て行け!新しい自治を俺たちで作るんだ!」
 宿屋の主人が真っ赤な顔をして怒鳴り散らした。その後ろで若い武器職人が拳を振り上げて弾圧している。
「子供の言うことなんか聞いてられるか!盟主反対!盟主反対!」
 血相を変えて自治に抗議する町民たちは数十人。押し合いへし合い、今にも役場を潰しかねない勢いで責めていた。それは若者から老人まで勢ぞろい、職業もさまざまで誰も彼も昨日までは上手くやっていた人たちばかり。
「ナルセスを捕まえろっ!」
     それなのに、人が変わったようにいきなりの団体抗議。町中総出のストライキはどんどん膨れ上がってゆく。

 一体皆どうしたって言うんだ……!
 
「…ちょっと皆!どうしたの!待ってくれるって言ったじゃないっ!」
 役場の入り口に立ち、幼なじみ→現恋人のアニーちゃんが必死に押し寄せる民衆への壁となる。ありがたくて、泣けてくる。でも到底彼女一人で制御できる状況ではない。

「…もういいよ。アニーちゃん」
 この町の人々と揉め事を起こす気は毛頭無い。
「……分かりました。皆さんの言う通りにします」
 軽くいつものように笑って、俺は人々の前へと連行されるために進み出て行った。

「ナルセス何言ってるの、こんなのおかしいよ!言う通りにすることなんてない!」
 俺のために必死になるアニーちゃんはそれは可愛い。でも……。

「…いいよ。俺一人で皆の気が済むならそれでいいじゃん。…ねっ。大丈夫だから。ちょっと行って来るよ」
     彼女がいるから、だからこそ、俺は抵抗するわけにはいかなかったのだった。
 どこか狂気じみた民衆は何をするか分からないし、俺が反抗すれば彼女に危害が加わる可能性だってある。
 俺はそのままお縄につき、最近完成したばかりの牢屋へと    



「…なんてこったよ……。はぁ……」 
 サマンオサで垣間見た幻。ラーの鏡を覗いて見えた、刹那の幻の中、自分は牢屋に閉じ込められていたっけ。まさか本当に起こるとは……。

 ジャルディーノさんは顔面蒼白となって首を振ったけど、やはりあの人は未来を視る。最悪の未来を。
 幻は途中で消えて(鏡が石化して)見えなくなり、その先を知ることはできなかった。
 一体この先どうなってしまうんだろうなぁ……。
 人事のように考えながら、もの寂しい獄中でため息をついた。壁にあぐらをかいて寄りかかり、今日のことを反芻して考えてみる。

 何もいきなり牢屋行き、なんて事態になったわけじゃないんだよね。抗議は朝早くから始まったんだけど、最初のうちは皆も大人しくて、話し合いに応じてくれていた。

「すいません皆さん。今は俺しかいないし、この町を興す時に世話になった要人、マイスさんや聖女様も特殊な用事で動けません。皆が戻ってきたら皆さんの意見を踏まえて会議を開こうと思います。それまで待ってくれないですか?」

 俺の頼みに町民たちはしぶしぶとはいえ引き下がってくれたし、それで俺も安心していた。午前中に早くもグレイさん達兄弟が帰って来て、彼らは母親の墓を立てるために郊外へと出かけて行った。
 午後も回り、自治の状態を見直そうと書類整理をしていた矢先、待っていてくれるはずの町民たちがいきなりのストライキ。有無を言わさぬ暴徒と化して、要求は盟主その他関係者の拘束、そして投獄。
 まさかそんな、グレイさんやビーム達を牢屋に入れるわけにいかないじゃんか。

 俺一人でどうにか皆が落ち着いてくれればいいんだけど……。


 
 俺の願いは、儚く散る。 
 


 数時間か経った頃だろうか。人目を忍んで俺に会いに来てくれた人がいた。
 顔色の悪さが心配の度合いを思わせる、イシス貴族のドエールさん。ジャルディーノさんの親友であり、今では俺とも結構仲良し。麗しき金髪の美少年だった。
 人の居ないのを確認すると、錠をカチャカチャ鳴らしながら俺を呼ぶ。
「大変なことになったね…。合鍵を持って来たんだ。今のうちに逃げよう」
「え……。あ……」 

    そりゃあ、一瞬嬉しかったよ?思わず顔が明るくなっちゃったりもしたよ。
 しかし、でも、俺は動くわけにはいかなかったんだ。
 開かれた牢屋の錠。扉の前で、俺は柵を踏み越えられずに押し黙る。

「逃げられないですよ。俺が逃げたら、他の人達、グレイさん達がどうなるか…」
 ここで俺が逃げたら、いよいよ信用を失って、誰も俺たちの話を聞いてくれなくなるんじゃないだろうか?辞めるにしても、無責任に放り出して、逃げ出すなんてできるわけがない。
 そんなことしたら一生この町に戻って来れなくなってしまう。俺だけじゃなくて、グレイさん達や下手すりゃアニーちゃんにも迷惑がかかる。
 せっかく俺に任せてくれた、聖女様やマイスさん、各国の要人を裏切ることになる。

「そんな…。そんなこと言ってる場合じゃないよ。もう、本当に大変なんだよ。皆話を聞いてくれなくて…。今グレイさん達が一生懸命宥めてるところだけど、一体いつまで持つか…。逃げた方がいい。このままじゃ、君の身が危ういんだ」
「…はははっ。まさか、殺されるわけでもあるまいし…。おおげさですよドエールさん」
 笑い飛ばすけれど、背中には嫌な汗がツツーッと伝う。
 余りにもドエールさんの表情が鬼気迫っていて……。
 
 それに思い出したくも無いけれど、確かに町民の様子は異常だった。誰もが目を血走らせていて、抗議の集まりは轟音にもなって    


     ふと、頭に何かが引っかかり、俺は額に指を伸ばして考えた。
 こんなこと前にも何処かでなかったっけ……?


「いいから、逃げよう!逃げてっ!逃げた方がいい!」
 説得する時間も惜しいらしく、ドエールさんは強引に腕を引っ張り地上を促す。地下の牢獄からは何も分からないけれど、外はそんなに切羽詰まった状態なんだろうか。

「いや、駄目ですって!俺は逃げません!」
 強情と言えなくも無いけど、断固として俺は牢屋からは出ようとしない。
「逃げるなら、ドエールさん、アニーちゃんを連れて逃げて下さいよ!グレイさん達だって逃げていいです。俺が全部悪いんですよ!そうすればいい!」
「馬鹿なこと言わないでよ。君を置いて行けないよ。彼女だって、そんなの許す筈がないじゃないか!いいから逃げよう!」
「それを何とか。……頼みます!」

 押し問答に疲れて、なんとも言えず悲しい気持ちに襲われて肩が落ちた。
 嫌だなぁ。こんなところアニーちゃんに見られるの。喜んでくれたのに。俺が盟主に推されて、町に名前をつけてくれることになって、二人で泣いて喜び合ったのに……。

「……大丈夫ですよ。きっと皆カッとなって、我を忘れてるだけで…。聖女様とか来たら一気に目が覚めるんじゃないですか?だから今のうちにアニーちゃん連れて逃げて下さいよ。魔法でも、寝かせてでも何でもいいですから。頼みます」
「ナルセス君……」
 終始不安げな彼の瞳は更に曇って、どうしようもないのかと悔しそうに唇を噛む。

「本当に、逃げるつもりはないの?どんな目に合っても?」
「はい。すみませんけど」
「…皆正気じゃないよ。まるで…。誰かに操られてるみたいに……」
    !あ…!」
 ドエールさんの言葉に閃き、一瞬遅れて彼も思い出したようにハッと目を見開いた。
 
 確かに過去にこんなことがあった。俺はかやの外で、実際目にした訳じゃないけど、ドエールさんはその呪いを知っている。

悪意の増幅、まさか……」
 イシスでのアンデット事件。ジャルディーノさんに対する『悪意の増幅』がマイスさんによって放たれた。魔王に魂を捧げた闇の神官、邪教徒の放つ恐ろしき呪いの波動。今この町に、もしかしたら『俺』に対して放たれている……?!

「誰がそんな…。何の特にもならないことを……!」
     いや、なるのかな?誰かが逆恨みとかして、俺を陥れようと?
 大きな町の中に一人や二人、邪教徒が紛れていてもおかしくはない。でもここまで強力な力を持つ邪教徒って一体……?マイスさんはジャルディーノさんの力によって背徳の十字架を失った。彼に呪いは放てない。

 強力な邪教徒。脳裏によぎったのは、
 俺の脳内で銀髪の占い師が振りかえり微笑う      

「そうだ、占い師ニース…!」
「占い師?……そう言えば、彼女は闇に詳しかった…。僕の闇を見抜いていた」
 初めて聞くことだったけれど、占い師ニースはドエールさんの闇を一発で見抜いたことがあったらしい。彼の闇を、災いを吸収してくれると黒いメダリオンをくれた。

 『闇と災いを吸収する』、彼女の占いの歌い文句。
 そして彼女の黒い宝珠!めっちゃ怪しいじゃんかよ!!!
 銀の髪、イシスで出会った死神に似た色彩。別人とはいえ、無関係とは思えない胸騒ぎを覚えてしまったのがますます核心めいてくる。

「……。分かった。彼女のことを見てくるよ。その後でまた来る」
 動かない俺に代わって、ドエールさんは疑惑の占い師の家へと向かう決意を固める。強力な魔法使いの可能性も高い。くれぐれも用心するように念を押して。

「危なかったら逃げて下さいね。応援を呼ぶとかして。その時は俺も行きますよ!」
 逃げるのではなく、真犯人を捕まえるためだったら一時牢を抜けてもいい。相手が死神だったとしたら、それこそ勇者一行でも呼ばないと太刀打ちできないだろうし。

「うん、分かってる。すぐに戻って来るよ」
 彼も僧侶ではあるが、対死神には及ばない。そんなこと言ったら俺だってヨワヨワなんだけどさ。一抹の不安を感じながらも、走り去る彼の背中を鉄格子ごしに見送るしかなかった。

 悪意の増幅。マイスさんならもっと詳しく手法とかも解ったんだろうけど……。


 この時俺もドエールさんも、浮かべていたのは同じ面影。
 本当に呪いだったとして、それを解けるのは『あの人』しか居ないんじゃないかと考えたんだ。イシスでも自分に向けられた呪い、マイスさんの闇を浄化し、親友の復活まで果たした偉大なる僧侶様を……。
「ジャルディーノさんは、今はエジンベアか。一度事後報告に来るとは言ってたけど…」

 呟きは牢屋の中に。
 地下牢獄から走り抜けた僧侶の背後には黒い影が。

 昼と夜との狭間の時間。世界は不安定であり、実は最も魔との遭遇確立が高いと話す者もいた。黒い影は無表情に、建物の隙間から街道に音もなく進み、夕暮れを見上げると手にした鎌を一度だけ鳴らした。

 シャラン…。

==

 盟主が牢内で独り、動けずにただ時間だけをもて遊んでいた頃。
 町は赤く移ろい、間近に控えた夜に密かに怯えている。

 ワアアアアアアッ。
 ウワアアアアアアッ。
 喧騒が終わりなく町を駆け巡り、その度に赤い鮮血が宙を舞った。人々は狂気の果てに無差別に争いを起こし、憎しみに捕らわれ怒りのままに武器を振るっている。

「やめて下さい!皆、やめて下さい!…ううっ…!」
 襲われる理由も良く解らないまま、役場に立てこもった青年は防戦一方で入り口を固めていた。鍬や棒、思い思いの武器を手に襲い来る町民を遮るために本棚や椅子で入り口を塞ぎ、窓にも棚を砕いて木片を打ち付けて応急処置を施してある。
 しかしとにかく数が多い。建物の中からは正確な数は分からないが、数十人が役場を包囲して窓や扉を叩いている。
 人々の目は殺意に満ちていた。正気の沙汰を超えていた。

「痛い…!熱いっ!苦しい…っ!」
「どうした兄貴っ!」
 入り口を抑えていた兄が胸を押さえてうずくまり、慌てて窓を守っていた弟が駆けてくる。兄の顔は苦痛に歪み、胸を掴んで床にのけぞってもがいた。兄の服を開いて確かめると、そこには気味の悪い黒い痣。

「なん、だ、これ……」
 見覚えのある文様の浮かぶ、円形の黒い痣だ。弟は思い当たり、兄の胸ポケットを探すが見当たらない。兄はいつもお守りとして胸に入れていたはず。それが無い…。

 手は自分のズボンへと伸びた。ズボンのポケットから一枚の黒いメダリオンを掴み、凝視する。
      ぐあっ!うわっ!うわああああああっ!」
 その黒いメダリオンが熱を持ち、ずぶずぶと自分の手のひらに埋もれてゆく。弟は慌てて剥がそうと爪を立てた。黒い霧のように溶け込んで染みとなり、途端に目の前がグラグラ回転を始める。
 よろよろと足がもつれて兄の上に転倒すると、無人と化した入り口扉に亀裂が走り、音を立てて崩れ落ちてしまった。
 濁流のように町民が雪崩れ混み、兄弟に向かって武器を振り上げる。

「危ない!    バギ!」
 刃物たちは回転しながら外へと吹き飛び、共に町人たちも幾人か旋風に揉まれて外に山になった。僧侶の扱う真空の呪文、使用したのは二階を守っていたランシールの元騎士。
 兄弟を急いで保護すると、彼らの赤い瞳に息を飲んだ。
「どうしたの?二人と、も……」
 抱き上げた少年の手が、恐ろしい力で騎士の首を締め上げる。ぎりぎりと爪が食い込み血が滲んだ。揉み合って離れると、落ちていた斧を拾い上げて、少年はわなわなと震える。

「ウ…。ち、くしょう…。駄目だ、意識が遠のく…!悪いクロード…!」
「どうしたんだよビーム!それにグレイさんも!」
 続いて起き上がった兄の方も落ちていた棒をゆらゆらと構える。苦しそうに後退して壁にぶつかり、反動で棒を手から落とした。
「クロード君は、平気、なの…?」
「何がですか…?」
 二人の身体は奇妙に振動していた。動こうとするのを懸命に堪えているかのように。

「メダル、だ…。コイツがおかしいんだ…!体が、言うことを、聞かない…!」
 攻撃衝動を抑えながら兄弟は説明をした。占い師ニースの配っていたお守り、どうやらこれがおかしいと。
 黒いメダリオンはほぼ町の全員が持っている。メダリオンが体に潜り、持ち主を狂気で支配する。人々は正気を失い、無差別の殺戮衝動に侵されてゆく……!

「…呪いの一種だろうか。姉様なら解呪の呪文が使えます。なんとか持ち堪えて下さい!」
 とは言っても、包囲された彼らの周囲にはまだ何十人もの町民が。
 呪いに耐性があるのか騎士はメダリオンに侵されることはなく、手元から投げ捨てると踵で踏んで叩き割った。
 呪いに抵抗するだけで手一杯な兄弟を守り、なるべく民を傷つけないように道を開けてゆく。彼らは戦闘能力が低いのでそんなに難しい作業ではなかったが、ようやく活路が開けたところに一人の美しい娘が立った。

「聖女の守護がありましたか」
 茜色を背に立つ黒い影      一瞬例の占い師かと目を細めたが、違う。
 長い銀髪を背中で編んだ黒装束の娘。吐息のように微笑むと、不似合いな武器をスッと仕向けた。
 騎士は身動きもできず     
 体に紅い線を引き、数秒の後に彼は石畳の上に眠りにつく。
「あ…。う…!そ、んな……!」
 美しさに反した、鮮やかな死の伝道師。あっけなく倒れてしまった騎士には何が起こったのか見ることも叶わなかった。

「クロード…!おい…!」
 目の前で騎士が倒れ、転げるようにして駆けつけ揺さぶった少年は、血で染まった大地に照らされた鎌の影を知る。時すでに遅く、彼も騎士の上に重なって動かなくなった。
「な…!し、死神……!!」
 地も空も境の薄れた紅の世界。現れた銀の死神に戦慄し、残された青年が最後に想うのは恋人の肖像。
「…ファル…。ごめん……!」
 迫る刃に抵抗する術を知らない。せっかく彼女と一緒に暮らせると思ったのに。彼女を幸せにすると誓ったのに……!

 瞬く間に三人の身体は地に堕ちて、反して血糊の進行はじっくりと静かだった。


 気がつくと役場周辺は死骸の山となっていた。
 死神は鎌を滴る鮮血を軽く切り、先端の黒い宝玉を天へと突く。

「心の強い人はその分苦しみます…。その分、オーブは黒く染まる」
 すると宝玉は怪しく光り、倒れる死骸から次々と魂を集め吸い取った。
「嘆きなさい。すればオーブは光を失う。永遠に、救われることのない魂…」

 死神は人の気配に振り返り、その場に居合わせてしまった青年と目が合った。
「な…。やべえっ!やばいって!間に合わなかったのかよ弟ちゃん……!」
 混乱の町中においても彼は無傷で、更に呪いの影響を受けてもいなかった。アッサラーム系統の商人で、頭にターバンを巻いている青年。鮮やかな空色の髪と瞳が血風に揺れて、うっかり彼は血の匂いに咽る。
「なんてこった…!どうするラディ…!」
 
 彼は聖女の恋人。時折占い師の動向を探るために顔を出していたのが仇となった。異常事態に呪いに捕らわれはしなかったけれど、恋人の弟を探しに来て最悪の遭遇。
 弟の生死を確認するか、逃げるか躊躇した一時の間に、死神は近接している。

「あなたも、聖女の加護ですか」
「ちいっ    !」
 商人は「まだらくも糸」を投げつけ、踵を返して逃亡する。糸が絡まれば暫く身動き出来ないはずだった。しかし死神が止まっていたのはほんの一秒だけ。影のようにくも糸をすり抜け、再び実体を持つと彼の前に瞬間移動し鎌を屠った。

「げえ…。そんなんアリかよ……!」
 自分と弟を失くして、彼女はどんな顔をする?強いはずの聖女が崩れるさまを思う。死ぬわけにはいかない…!必死に「死」に足掻くが、黒い宝珠は知っているかの様に旨そうに魂に喰らいついた。吸い込むと満足そうに点滅し、不気味にチラチラと輝いて見せる。

「嘆きなさい、もっと……。そうすればあの人もきっと……」
 魂を奪い再び町を往く、死神の瞳は深い悲しみを秘めていた。そっと瞳を伏せ、夕焼けに長い影を落として残る魂の回収へと向かう。

「さあ民よ。殺し合いなさい。そして、終わりなき嘆きの唱を……」

==

 ドウッ。バタンッ。ドカッ。
 にわかに上が騒がしくなって、喧騒に悲鳴が混ざるとさすがの俺も飛び出しかけた。
 ドエールさんが帰って来たのかも知れない。それにしてはちょっと遅い気もするけど、邪魔が入ったと言うのなら頷けるし。

 地下への階段の上で争いが起こっているのか、数名が悲鳴を上げながら階段を落ちてきた。外傷というのは見当たらない。落としているのはどうやら武術の使い手のよう     と思ったら、覚え有り過ぎなかけ声が聞こえた。
「邪魔しないでっ!はああっ!」
 ドカッ!バキッ!ボコッ!
「ナルセス!どこ!?」
 勢い良く町民たちを殴り飛ばして登場したのは俺の彼女、武術を嗜なむアニーちゃんだった。茶色の髪は乱れまくり、衣服も所々破れて傷口に血が滲んでいる。すでに疲労濃く、死地を潜り抜けて来た感がある。

「……。逃げてないの!?」
 嬉しさよりも「がびーん」という心境で、バツの悪さに冷や汗をかく。
「アンタと一緒にこれから逃げるの!」
「あれ?ドエールさんから聞いてない?逃げてって…」
「聞いたけど、聞くわけないでしょ!馬鹿!バカバカッ!」
「そんなバカバカ連呼しなくても……」
 わっと半泣きで駆け寄ってくる彼女を抱きとめて、牢屋の前でひとまず無事に喜んだ。安堵して気が緩んだのか、気の強い彼女が小さく震えて胸を掴む。

「ううっ。ううっ…!どうしようナルセス。助けて…!気持ち悪い…!」
「気持ち悪い?」
 良く見ればアニーちゃんの顔は真っ青だった。吐き気がするのか口を押さえて、襟を開いて胸元を見せる。
 そこにはお守りが鎖で繋がれていたはずだった。彼女は黒いメダリオンをお守りとして首から下げていたのに、何故か鎖だけで、胸元に黒い痣が浮かんでいる。

「突然、メダルが身体の中に埋まって…。そのせいですごく気持ち悪いの。頭の中で嫌な声がするの。『殺せ』って…。頭が痛い。痛いよナルセス!」
「な……っ!」
 これが呪いの発現装置だったのかと、俺も自分のメダルを探す。尻のポケットに入っていたのを掴み、邪悪な波動を感じると口早に呪文をぶつけた。

「ニフラム!ニフラム!」
 僧侶の使う破邪の呪文。自分はレベルが低いので連発して、メダルを投げ捨てるとアニーちゃんの胸元に手を当てて呪文を続けた。黒い痣は消えないが、幾らか気分が良くなったと彼女が言うのでひとまず胸を撫で下ろす。

「ドエールさんはどうしただろう?他の皆は……?」
「…………」
 アニーちゃんは役場の裏口からたった一人、俺を助けるためだけに脱出してここまで辿り着いてくれた。途中何度も狂った町民との戦闘になって、手加減しながらなんとかここまで逃げてきた。
 町民たちは俺たち自治のメンバーだけでなく、手当たりしだい目に付く相手を攻撃している。その惨状を横目に、時には無視しなければ彼女は進んでくることが出来なかったと口にした。中には死に至る者もいる。見殺しにして来たことを悔いて、彼女は今恐ろしさに泣いていた。
「くっそう…!行こうアニーちゃん!呪いを早く止めるんだ!占い師を探そう!」
 泣き崩れる彼女の手を握りしめ、地上へと階段を昇る。

 目の前に広がる惨劇。生き地獄。愛した町が殺し合いの舞台に変わってしまった。
 耐えられなかった。大好きだった気の好い人々が殺し合う。

 悪い夢なら早く覚めてくれ       !!


 悲鳴を上げることも忘れ、周囲に散らばる乱闘の痕、死体の群に正気を失いそうになりながらも俺たちは必死になって走り続けた。なるべく戦闘を裂け、相手をなるべく傷つけないようにして      、いつしか悔しくて俺まで涙目になっていた。
 一体誰だこんなことをしやがったのは!死神め!悪魔め!

 占い師ニースと弟ファラの家は宿屋街の一角にあった。長期で借りた小さな家で、扉を蹴り開け土足で踏み込む。
「何処だ!ニース!出て来い死神!」
 部屋の中は閑散としていて、綺麗に片付けて長期旅行にでも行ったかのように生活感に欠如していた。姉弟の姿は無く、押入れやタンスを開けてまで身柄を探す。

 押入れから、二体の抜け殻が見つかった。
 抜け殻と言うのは     そのまんま、彼らが記憶も何もなく、魔族に乗っ取られていただけのただの人間、呆然とする二人からそれが知れたから。
 
 追求してる時間も惜しく、俺とアニーちゃんは死神を探して町をねり走る。

 顔なじみの死体を見つけては絶望し、視界の端をすり抜ける黒い影を追いかけて役場の前まで駆けて来た。そこでまた    親しき人達の死体に出遭って、両手をつく。

「そんな…。嘘だろ…。こんなことって……!」
「ナルセス…!もうやだ…!もうやだよ…!」
 町を歩いてる人間の方が少なくなってきた。積み重なった友人達の亡骸を前に、二人で声を殺して抱きしめ合う。そうしなければバラバラと崩れてしまいそうで……。一人で立ち上がることもできないぐらい心が崩壊寸前だった。

 シャン…。

 ひしめく建物の隙間。僅かな視界に飛び交う光が黒い玉へと集まり消える。
 遥かに十数メートル、なぜか鮮明に奪われてゆく魂のさまが見えてしまった。建物の隙間に横切った銀の髪に震え上がり、誘われたかのようによろめき立ち上がる。

「魂を、集めているんだ。まだ、間に合うかも知れない…。あの玉を手に入れたなら…!」

==

 夕暮れって、こんなに長いもんだったかな。
 不気味に長い夕闇。伸びる死神の影を追い、導かれるように俺の足は中央、三柱の教会が立ち並ぶ噴水広場へと辿り着いた。
 銀の死神は噴水の縁に背中を向けて立ち、じっと何かを待っている様だった。

「ナルセス…!気持ち悪い…!もう駄目…!お願い、腕を折って。そうしたらナルセスを殴らなくて済むから…」
 辛そうなアニーちゃんに呪文をかけてやりたいのは山々だったけれど、死神を前にして、なるべく魔法力は温存しておきたい。
 彼女の腕を引いて無人のラー教会へと移動する。勝手に教会の在庫を漁り、聖水を何本も拝借して彼女に握らせてあげた。
 聖なる力が強そうな礼拝堂で彼女の痣にふりかけて、呪いの侵攻に対処する。

「アニーちゃん、ここから出て来ないでね。絶対だよ」
 すぐに見つからないように彼女を教壇に潜らせて、子供をあやすように頭を撫でる。
「……!どうする気?ナルセス一人で…!危ないよ!私も行く!」
「ダメダメ。大人しくここで待ってて。何とか隙を見て、宝珠を奪って来ようかなーって思ってるだけだから」
 身分不相応な戦いはしない。もしかしたら助けが着てくれるかも知れないけど。できればそっちを期待しよう。

「キメラの翼を見つけたから、俺が戻ったら一緒に逃げるからね。これ持って待ってて」
 聖水と一緒に拝借したキメラの翼。これがあれば一瞬で別の場所に移動できる。
「…もし俺が来なかったら、一人で逃げるんだよ。約束だよ」
「そんな約束できない!」

「………」
 そんな余裕は無いはずなのに、二人は瀬戸際において強く見つめ合って、不安を消すようにひしと重なった。
「…ん。そうだよね。当然だよね。分かった、すぐ帰ってくるから待っててね!」
 教壇に隠れてキスをして、惜しんでもう一度キスをして、「にかっ」と満面の笑みを見せて背中を向ける。

 ラーの教会から噴水広場へと戻る。
 広場には正面にミトラ、時計回りにラー、ルビスと三柱の教会が三角形に並んでいる。緑豊かな一画、中央には三神像の噴水が今日も水音をさせていて、その縁にはまだ死神が無言で背中を向けて立っていた。
 どうやらミトラ神の教会を見つめているらしい…。
 俺はラー教会横の街路樹に隠れ、「どう鎌を奪おうか」と画策している。

 ダーマ神殿で僧侶の修行をしていた、まだ未熟な俺の使える呪文は数少ない。唯一の攻撃呪文バギは苦手だし、補助呪文だけとなると……。
 自分にこそりと素早さ上昇の呪文、ピオリムを二回唱えて、噴水の石像によって死角になるように接近してゆく。

      っ!」
 素早く鎌を奪ってトンズラ、そう思っていたのに、鎌にかけた手はそのまま、俺は足が止まってしまった。死神の足元に人が倒れている。
「ドエールさん   !」
「餌がもう一人…」
 鎌を奪う者に送る虚無の視線。死神は鎌を旋回させると俺を吹き飛ばし、這いつくばった俺の前にスルリと佇む。

「待っていました。貴方が二人目」
 わずかな風に煽られて、死神の三つ編みがふわりと揺れた。

==



 その頃     もう一人の死神は町の入り口で客人を迎え入れていた。
 キメラの翼で彼がこの町に降り立った、その瞬間から空が閉じ、移動魔法が封印された。もう誰も逃げられない。逃がさない。

 この町は大事な包囲陣だった。
 門の下で彼は身体の不自由さにがくりと膝を折り、動かぬ身体に抵抗して歯を鳴らす。呼吸さえも困難で、空気を貪っては大地に爪を立てて血を塗った。

「クスクス……。捕まえた……」
 死神が恐ろしい微笑みで彼を見下ろしていた。口元に張り付く笑み。鋭い鎌の切っ先を首にあてがい、倒れて動けぬ彼をじっくりと視線でねぶる。

「言いましたよね。貴方だけは殺すと……。けれど貴方は厄介でした。ですから貴方のために用意したのです。巨大な器を……」

 クスクス。クスクス。
 耳障りな含み笑いに彼は臆せず睨み上げ、小柄な身体に光がうっすらと浮かんでくる。終わらぬ永い夕焼けにも映える、紅き炎のような光りを     




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