「逢魔ヶ時」 |
災いというか、騒動は前ぶりも無く、完全に虚をついて俺を襲った。
町役場に一人詰めていた俺 ナルセスに突然の強襲が訪れた。
襲い来るのは魔物でも悪党でもなく、なんとこの町の『一般市民』。
「この町から出て行け!新しい自治を俺たちで作るんだ!」
宿屋の主人が真っ赤な顔をして怒鳴り散らした。その後ろで若い武器職人が、拳を振り上げて弾圧している。
「若造の言うことなんか聞いてられるか!盟主反対!盟主反対!」
血相を変えて、自治に抗議する町民たちは数十人。押し合いへし合い、今にも役場を潰しかねない勢いで責めてきた。それは若者から老人まで勢ぞろい、職業もさまざまで、誰も彼も昨日までは上手くやっていた人たちばかり。
「ナルセスを捕まえろっ!」
それなのに、人が変わったようにいきなりの団体抗議。町中総出のストライキはどんどん膨れ上がってゆく。
一体皆どうしたって言うんだ……!
「…ちょっと皆!どうしたの!待ってくれるって言ったじゃないっ!」
役場の入り口に立ち、幼なじみ→現恋人のアニーちゃんが、必死に押し寄せる民衆への壁となる。ありがたくて、泣けてくる。でも到底、彼女一人で制御できる状況ではない。
「…もういいよ。アニーちゃん」
この町の人々と揉め事を起こす気は毛頭無い。
「……分かりました。皆さんの言う通りにします」
軽くいつものように笑って、俺は人々の前へと連行されるために進み出て行った。
「ナルセス何言ってるの、こんなのおかしいよ!言う通りにすることなんてない!」
俺のために必死になるアニーちゃんは、それは可愛い。でも……。
「…いいよ。俺一人で皆の気が済むならそれでいいじゃん。…ねっ。大丈夫だから。ちょっと行って来るよ」
彼女がいるから、だからこそ、俺は抵抗するワケには、いかなかったのだった。
どこか狂気じみた民衆は何をするか分からないし、俺が反抗すれば、彼女に危害が加わる可能性だってある。
俺はそのまま、お縄につき、最近完成したばかりの牢屋へと 。
「…なんてこったよ……。はぁ……」
サマンオサで垣間見た幻。ラーの鏡を覗いて見えた、刹那の幻の中、自分は牢屋に閉じ込められていたっけ。まさか本当に起こるとは……。
ジャルディーノさんは顔面蒼白となって首を振ったけど、やはりあの人は未来を視る。最悪の未来を。
幻は途中で消えて(鏡が石化して)見えなくなり、その先を知ることはできなかった。
一体この先どうなってしまうんだろうなぁ……。
人事のように考えながら、もの寂しい獄中でため息をついた。壁にあぐらをかいて寄りかかり、今日のことを反芻して考えてみる。
何もいきなり牢屋行き、なんて事態になったわけじゃないんだよね。抗議は朝早くから始まったんだけど、最初のうちは皆も大人しくて、話し合いに応じてくれていた。
「すいません皆さん。今は俺しかいないし、この町を興す時に世話になった要人、マイスさんや聖女様も特殊な用事で動けません。皆が戻ってきたら、皆さんの意見を踏まえて、会議を開こうと思います。それまで待ってくれないですか?」
俺の頼みに町民たちは、しぶしぶとはいえ引き下がってくれたし、それで俺も安心していた。午前中に早くもグレイさん達、兄弟が帰って来て、彼らは母親の墓を立てるために郊外へと出かけて行った。
午後も回り、自治の状態を見直そうと書類整理をしていた矢先、待っていてくれるはずの町民たちがいきなりのストライキ。有無を言わさぬ暴徒と化して、要求は盟主その他関係者の拘束、そして投獄。
まさかそんな、グレイさんやビーム達を牢屋に入れるわけにいかないじゃんか。
俺一人で、どうにか皆が落ち着いてくれればいいんだけど……。
俺の願いは、儚く散る。
数時間か経った頃だろうか。人目を忍んで俺に会いに来てくれた人がいた。
顔色の悪さが心配の度合いを思わせる、イシス貴族のドエールさん。ジャルディーノさんの親友であり、今では俺とも結構仲良し。麗しき金髪の美少年だった。
人の居ないのを確認すると、錠をカチャカチャ鳴らしながら俺を呼ぶ。
「大変なことになったね…。合鍵を持って来たんだ。今のうちに逃げよう」
「え……。あ……」
そりゃあ、一瞬嬉しかったよ?思わず顔が明るくなっちゃったりもしたよ。
しかし、でも、俺は動くわけにはいかなかったんだ。
開かれた牢屋の錠。扉の前で、俺は柵を踏み越えられずに押し黙る。
「逃げられないですよ。俺が逃げたら、他の人達、グレイさん達がどうなるか…」
ここで俺が逃げたら、いよいよ信用を失って、誰も俺たちの話を聞いてくれなくなるんじゃないだろうか?
辞めるにしても、無責任に放り出して、逃げ出すなんてできるわけがない。
そんなことしたら、一生この町に戻って来れなくなってしまう。俺だけじゃなくて、グレイさん達や、下手すりゃアニーちゃんにも迷惑がかかる。
せっかく俺に任せてくれた、聖女様やマイスさん、各国の要人を裏切ることになる。
「そんな…。そんなこと言ってる場合じゃないよ。もう、本当に大変なんだよ。皆話を聞いてくれなくて…。今グレイさん達が一生懸命宥めてるところだけど、一体いつまで持つか…。逃げた方がいい。このままじゃ、君の身が危ういんだ」
「…はははっ。まさか、殺されるわけでもあるまいし…。おおげさですよドエールさん」
笑い飛ばすけれど、背中には嫌な汗がツツーッと伝う。
余りにもドエールさんの表情が鬼気迫っていて……。
それに思い出したくも無いけれど、確かに町民の様子は異常だった。誰もが目を血走らせていて、抗議の集まりは轟音にもなって 。
ふと、頭に何かが引っかかり、俺は額に指を伸ばして考えた。
こんなこと前にも、何処かでなかったっけ……?
「いいから、逃げよう!逃げてっ!逃げた方がいい!」
説得する時間も惜しいらしく、ドエールさんは強引に腕を引っ張り、地上を促す。地下の牢獄からは何も分からないけれど、外はそんなに切羽詰まった状況なんだろうか。
「いや、駄目ですって!俺は逃げません!」
強情と言えなくも無いけど、断固として俺は牢屋からは出ようとしない。
「逃げるなら、ドエールさん、アニーちゃんを連れて逃げて下さいよ!グレイさん達だって逃げていいです。俺が全部悪いんですよ!そうすればいい!」
「馬鹿なこと言わないでよ。君を置いて行けないよ。彼女だって、そんなの許す筈がないじゃないか!いいから逃げよう!」
「それを何とか。……頼みます!」
押し問答に疲れて、なんとも言えず悲しい気持ちに襲われて、肩が落ちた。
嫌だなぁ。こんなところアニーちゃんに見られるの。
喜んでくれたのに。俺が盟主に推されて、町に名前をつけてくれることになって、二人で泣いて喜び合ったのに……。
「……大丈夫ですよ。きっと皆カッとなって、我を忘れてるだけで…。聖女様とか来たら、一気に目が覚めるんじゃないですか?だから今のうちに、アニーちゃん連れて逃げて下さいよ。魔法でも、寝かせてでも何でもいいですから。頼みます」
「ナルセス君……」
終始不安げな彼の瞳は更に曇って、どうしようもないのかと悔しそうに唇を噛む。
「本当に、逃げるつもりはないの?どんな目に合っても?」
「はい。すみませんけど」
「…皆正気じゃないよ。まるで…。誰かに操られてるみたいに……」
「 !あ…!」
ドエールさんの言葉に閃き、一瞬遅れて、彼も思い出したようにハッと目を見開いた。
確かに過去にこんなことがあった。
俺はかやの外で、実際目にした訳じゃないけど、ドエールさんはその呪いを知っている。
「悪意の増幅、まさか……」
イシスでのアンデット事件。
ジャルディーノさんに対する、『悪意の増幅』がマイスさんによって放たれた。魔王に魂を捧げた闇の神官、邪教徒の放つ恐ろしき呪いの波動。
今この町に、もしかしたら『俺』に対して放たれている……?!
「誰がそんな…。何の特にもならないことを……!」
いや、なるのかな?誰かが逆恨みとかして、俺を陥れようと?
大きな町の中に一人や二人、邪教徒が紛れていてもおかしくはない。でもここまで強力な力を持つ邪教徒って一体……?マイスさんはジャルディーノさんの力によって背徳の十字架を失った。彼に呪いは放てない。
強力な邪教徒。脳裏によぎったのは、
俺の脳内で銀髪の占い師が振りかえり見つめる !
「そうだ、占い師ニース…!」
「占い師?……そう言えば、彼女は闇に詳しかった…。僕の闇を見抜いていた」
初めて聞くことだったけれど、占い師ニースは、ドエールさんの闇を一発で見抜いたことがあったらしい。彼の闇を、災いを吸収してくれると黒いメダリオンをくれた。
『闇と災いを吸収する』、彼女の占いの歌い文句。
そして彼女の黒い宝珠!めっちゃ怪しいじゃんかよ!!!
銀の髪、イシスで出会った死神に似た色彩。別人とはいえ、無関係とは思えない胸騒ぎを覚えてしまったのが、ますます核心めいてくる。
「……。分かった。彼女のことを見てくるよ。その後でまた来る」
動かない俺に代わって、ドエールさんは疑惑の占い師の家へと、向かう決意を固める。強力な魔法使いの可能性も高い。くれぐれも用心するように念を押して。
「危なかったら逃げて下さいね。応援を呼ぶとかして。その時は俺も行きますよ!」
逃げるのではなく、真犯人を捕まえるためだったら、一時牢を抜けてもいい。相手が死神だったとしたら、それこそ勇者一行でも呼ばないと太刀打ちできないだろうし。
「うん、分かってる。すぐに戻って来るよ」
彼も僧侶ではあるが、対死神には及ばない。そんなこと言ったら、俺だってヨワヨワなんだけどさ。一抹の不安を感じながらも、走り去る彼の背中を鉄格子ごしに見送るしかなかった。
悪意の増幅。
マイスさんならもっと詳しく手法とかも解ったんだろうけど……。
この時俺も、ドエールさんも、浮かべていたのは同じ面影。
本当に呪いだったとして、それを解けるのは『あの人』しか居ないんじゃないかと考えたんだ。イシスでも自分に向けられた呪い、マイスさんの闇を浄化し、親友の復活まで果たした偉大なる僧侶様を……。
「ジャルディーノさんは、今はエジンベアか。一度、事後報告に来るとは言ってたけど…」
呟きは牢屋の中に。
地下牢獄から走り抜けた、僧侶の背後には黒い影が。
昼と夜との狭間の時間。世界は不安定であり、実は最も魔との遭遇確立が高いと話す者もいた。黒い影は無表情に、建物の隙間から街道に音もなく進み、夕暮れを見上げると、手にした鎌を一度だけ鳴らした。
シャラン…。
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盟主が牢内で独り、動けずにただ時間だけをもて遊んでいた頃。
町は赤く移ろい、間近に控えた夜に密かに怯えている。
ワアアアアアアッ。
ウワアアアアアアッ。
喧騒が終わりなく町を駆け巡り、その度に赤い鮮血が宙を舞った。人々は狂気の果てに無差別に争いを起こし、憎しみに捕らわれ、怒りのままに武器を振るっている。
「やめて下さい!皆、やめて下さい!…ううっ…!」
襲われる理由も良く解らないまま、役場に立てこもった青年は防戦一方で入り口を固めていた。鍬や棒、思い思いの武器を手に、襲い来る町民を遮るために、本棚や椅子で入り口を塞ぎ、窓にも棚を砕いて木片を打ち付けて、応急処置を施してある。
しかしとにかく数が多い。建物の中からは正確な数は分からないが、数十人が役場を包囲して窓や扉を叩いている。
人々の目は殺意に満ちていた。正気の沙汰を超えていた。
「痛い…!熱いっ!苦しい…っ!」
「どうした兄貴っ!」
入り口を抑えていた兄が胸を押さえてうずくまり、慌てて窓を守っていた弟が駆けてくる。兄の顔は苦痛に歪み、胸を掴んで床にのけぞってもがいた。兄の服を開いて確かめると、そこには気味の悪い黒い痣。
「なん、だ、これ……」
見覚えのある文様の浮かぶ、円形の黒い痣だ。弟は思い当たり、兄の胸ポケットを探すが見当たらない。兄はいつもお守りとして胸に入れていたはず。それが無い…。
手は自分のズボンへと伸びた。
ズボンのポケットから一枚の黒いメダリオンを掴み、凝視する。
「 ぐあっ!うわっ!うわああああああっ!」
その黒いメダリオンが熱を持ち、ずぶずぶと自分の手のひらに埋もれてゆく。弟は慌てて剥がそうと爪を立てた。黒い霧のように溶け込んで染みとなり、途端に目の前がグラグラ回転を始める。
よろよろと足がもつれて兄の上に転倒すると、無人と化した入り口扉に亀裂が走り、音を立てて崩れ落ちてしまった。
濁流のように町民が雪崩れ混み、兄弟に向かって武器を振り上げる。
「危ない! バギ!」
刃物たちは回転しながら外へと吹き飛び、共に町人たちも幾人か旋風に揉まれて外に山になった。僧侶の扱う真空の呪文、使用したのは二階を守っていたランシールの元騎士。
兄弟を急いで保護すると、彼らの赤い瞳に息を飲んだ。
「どうしたの?二人と、も……」
抱き上げた少年の手が、恐ろしい力で騎士の首を締め上げる。ぎりぎりと爪が食い込み、血が滲んだ。揉み合って離れると、落ちていた斧を拾い上げて、少年はわなわなと震える。
「ウ…。ち、くしょう…。駄目だ、意識が遠のく…!悪いクロード…!」
「どうしたんだよビーム!それにグレイさんも!」
続いて起き上がった兄の方も、落ちていた棒をゆらゆらと構える。苦しそうに後退して壁にぶつかり、反動で棒を手から落とした。
「クロード君は、平気、なの…?」
「何がですか…?」
二人の身体は奇妙に振動していた。動こうとするのを懸命に堪えているかのように。
「メダル、だ…。コイツがおかしいんだ…!体が、言うことを、聞かない…!」
攻撃衝動を抑えながら兄弟は説明をした。占い師ニースの配っていたお守り、どうやらこれがおかしいと。
黒いメダリオンは、ほぼ町の全員が持っている。メダリオンが体に潜り、持ち主を狂気で支配する。人々は正気を失い、無差別の殺戮衝動に侵されてゆく……!
「…呪いの一種だろうか。姉様なら解呪の呪文が使えます。なんとか持ち堪えて下さい!」
とは言っても、包囲された彼らの周囲にはまだ何十人もの町民が。
呪いに耐性があるのか、騎士はメダリオンに侵されることはなく、手元から投げ捨てると踵で踏んで叩き割った。
呪いに抵抗するだけで手一杯な兄弟を守り、なるべく民を傷つけないように道を開けてゆく。彼らは戦闘能力が低いので、そんなに難しい作業ではなかったが、ようやく活路が開けたところに一人の美しい娘が立った。
「聖女の守護がありましたか」
茜色を背に立つ黒い影 一瞬例の占い師かと目を細めたが、違う。
長い銀髪を背中で編んだ黒装束の娘。吐息のように微笑むと、不似合いな武器をスッと仕向けた。
騎士は身動きもできず 。
体に紅い線を引き、数秒の後に彼は石畳の上に眠りにつく。
「あ…。う…!そ、んな……!」
美しさに反した、鮮やかな死の伝道師。あっけなく倒れてしまった騎士には、何が起こったのか見ることも叶わなかった。
「クロード…!おい…!」
目の前で騎士が倒れ、転げるようにして駆けつけ揺さぶった少年は、血で染まった大地に照らされた鎌の影を知る。時すでに遅く、彼も騎士の上に重なって動かなくなった。
「な…!し、死神……!!」
地も空も境の薄れた紅の世界。現れた銀の死神に戦慄し、残された青年が最後に想うのは恋人の肖像。
「…ファル…。ごめん……!」
迫る刃に抵抗する術を知らない。
せっかく彼女と一緒に暮らせると思ったのに。彼女を幸せにすると誓ったのに……!
瞬く間に三人の身体は地に堕ちた。
気がつくと、役場周辺は死体の山となっていた。
死神は音もなく、黒い宝玉を天へと掲げる。
「心の強い人はその分苦しみます…。その分、オーブは黒く染まる」
すると宝玉は怪しく光り、倒れる死体から次々と魂を集め、吸い取った。
「嘆きなさい。すればオーブは光を失う。永遠に、救われることのない黒に…」
死神は人の気配に振り返り、その場に居合わせてしまった青年と目が合った。
「な…。やべえっ!やばいって!間に合わなかったのかよ弟ちゃん……!」
混乱の町中においても彼は無傷で、更に呪いの影響を受けてもいなかった。アッサラーム系統の商人で、頭にターバンを巻いている青年。鮮やかな空色の髪と瞳が血風に揺れて、うっかり彼は血の匂いに咽る。
「なんてこった…!どうするラディ…!」
彼は聖女の恋人。時折占い師の動向を探るために顔を出していたのが仇となった。異常事態に呪いに捕らわれはしなかったけれど、恋人の弟を探しに来て、最悪の遭遇。
弟の生死を確認するか、逃げるか躊躇した一時の間に、死神は近接している。
「あなたも、聖女の加護ですか」
「ちいっ !」
商人は「まだらくも糸」を投げつけ、踵を返して逃亡する。糸が絡まれば暫く身動き出来ないはずだった。しかし死神が止まっていたのは、ほんの一秒だけ。影のようにくも糸をすり抜け、再び実体を持つと、彼の前に瞬間移動し鎌を屠った。
「げえ…。そんなんアリかよ……!」
自分と弟を失くして、彼女はどんな顔をする?
強いはずの聖女が崩れるさまを思う。死ぬわけにはいかない…!
必死に「死」に足掻くが、黒い宝珠は知っているかの様に、旨そうに魂に喰らいついた。吸い込むと満足そうに点滅し、不気味にチラチラと輝いて見せる。
「嘆きなさい、もっと……。そうすれば、あの人もきっと……」
魂を奪い再び町を往く、死神の瞳は深い悲しみを秘めていた。そっと瞳を伏せ、夕焼けに長い影を落として、残る魂の回収へと向かう。
「さあ民よ。殺し合いなさい。そして、終わりなき嘆きの唱を……」
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ドウッ。バタンッ。ドカッ。
にわかに上が騒がしくなって、喧騒に悲鳴が混ざると、さすがの俺も飛び出しかけた。
ドエールさんが帰って来たのかも知れない。それにしては、ちょっと遅い気もするけど、邪魔が入ったと言うのなら頷けるし。
地下への階段の上で争いが起こっているのか、数名が悲鳴を上げながら階段を落ちてきた。外傷というのは見当たらない。落としているのはどうやら武術の使い手のよう と思ったら、覚え有り過ぎなかけ声が聞こえた。
「邪魔しないでっ!はああっ!」
ドカッ!バキッ!ボコッ!
「ナルセス!どこ!?」
勢い良く町民たちを殴り飛ばして登場したのは、俺の彼女、武術を嗜なむアニーちゃんだった。茶色の髪は乱れまくり、衣服も所々破れて傷口に血が滲んでいる。すでに疲労濃く、死地を潜り抜けて来た感がある。
「……。逃げてないの!?」
嬉しさよりも「がびーん」という心境で、バツの悪さに冷や汗をかく。
「アンタと一緒にこれから逃げるの!」
「あれ?ドエールさんから聞いてない?逃げてって…」
「聞いたけど、聞くわけないでしょ!馬鹿!バカバカッ!」
「そんなバカバカ連呼しなくても……」
わっと半泣きで駆け寄ってくる彼女を抱きとめて、牢屋の前でひとまず無事に喜んだ。安堵して気が緩んだのか、気の強い彼女が小さく震えて胸を掴む。
「ううっ。ううっ…!どうしようナルセス。助けて…!気持ち悪い…!」
「気持ち悪い?」
良く見ればアニーちゃんの顔は真っ青だった。吐き気がするのか口を押さえて、襟を開いて胸元を見せる。
そこにはお守りが鎖で繋がれていたはずだった。彼女は黒いメダリオンをお守りとして首から下げていたのに、何故か鎖だけで、胸元に黒い痣が浮かんでいる。
「突然、メダルが身体の中に埋まって…。そのせいですごく気持ち悪いの。頭の中で嫌な声がするの。『殺せ』って…。頭が痛い。痛いよナルセス!」
「な……っ!」
これが呪いの発現装置だったのかと、俺も自分のメダルを探す。尻のポケットに入っていたのを掴み、邪悪な波動を感じると口早に呪文をぶつけた。
「ニフラム!ニフラム!」
僧侶の使う破邪の呪文。自分はレベルが低いので連発して、メダルを投げ捨てるとアニーちゃんの胸元に手を当てて呪文を続けた。黒い痣は消えないが、幾らか気分が良くなったと彼女が言うので、ひとまず胸を撫で下ろす。
「ドエールさんはどうしただろう?他の皆は……?」
「…………」
アニーちゃんは役場の裏口からたった一人、俺を助けるためだけに脱出して、ここまで辿り着いてくれた。途中何度も狂った町民との戦闘になって、手加減しながら、なんとかここまで逃げてきた。
町民たちは俺たち自治のメンバーだけでなく、手当たりしだい目に付く相手を攻撃している。その惨状を横目に、時には無視しなければ、彼女は進んでくることが出来なかったと口にした。
中には死に至る者もいる。見殺しにして来たことを悔いて、彼女は今恐ろしさに泣いていた。
「くっそう…!行こうアニーちゃん!呪いを早く止めるんだ!占い師を探そう!」
泣き崩れる彼女の手を握りしめ、地上へと階段を昇る。
目の前に広がる惨劇。生き地獄。愛した町が殺し合いの舞台に変わってしまった。
耐えられなかった。大好きだった気の好い人々が殺し合う。
悪い夢なら、早く覚めてくれ !!
悲鳴を上げることも忘れ、周囲に散らばる乱闘の痕、死体の群に正気を失いそうになりながらも、俺たちは必死になって走り続けた。なるべく戦闘を裂け、相手をなるべく傷つけないようにして 、いつしか悔しくて俺まで涙目になっていた。
一体誰だ、こんなことをしやがったのは!死神め!悪魔め!
占い師ニースと、弟ファラの家は宿屋街の一角にあった。長期で借りた小さな家で、扉を蹴り開け土足で踏み込む。
「何処だ!ニース!出て来い死神!」
部屋の中は閑散としていて、綺麗に片付けて、長期旅行にでも行ったかのように生活感に欠如していた。姉弟の姿は無く、押入れやタンスを開けてまで身柄を探す。
押入れから、二体の抜け殻が見つかった。
抜け殻と言うのは そのまんま、彼らが記憶も何もなく、魔族に乗っ取られていただけのただの人間、呆然とする二人からそれが知れたから。
追求してる時間も惜しく、俺とアニーちゃんは死神を探して町をねり走る。
顔なじみの死体を見つけては絶望し、視界の端をすり抜ける黒い影を追いかけて、役場の前まで駆けて来た。そこでまた 親しき人達の死体に出遭って、両手をつく。
「そんな…。嘘だろ…。こんなことって……!」
「ナルセス…!もうやだ…!もうやだよ…!」
町を歩いてる人間の方が少なくなってきた。積み重なった友人達の亡骸を前に、二人で声を殺して抱きしめ合う。そうしなければバラバラと崩れてしまいそうで……。一人で立ち上がることもできないぐらい、心が崩壊寸前だった。
シャン…。
ひしめく建物の隙間。僅かな視界に飛び交う光が、黒い玉へと集まり消える。
遥かに十数メートル、なぜか鮮明に奪われてゆく魂のさまが見えてしまった。建物の隙間に横切った銀の髪に震え上がり、誘われたかのように、よろめき立ち上がる。
「魂を、集めているんだ。まだ、間に合うかも知れない…。あの玉を手に入れたなら…!」
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夕暮れって、こんなに長いもんだったかな。
不気味に長い夕闇。伸びる死神の影を追い、導かれるように俺の足は中央、三柱の教会が立ち並ぶ噴水広場へと辿り着いた。
銀の死神は噴水の縁に背中を向けて立ち、じっと何かを待っている様だった。
「ナルセス…!気持ち悪い…!もう駄目…!お願い、腕を折って。そうしたらナルセスを殴らなくて済むから…」
辛そうなアニーちゃんに呪文をかけてやりたいのは山々だったけれど、死神を前にして、なるべく魔法力は温存しておきたい。
彼女の腕を引いて無人のラー教会へと移動する。
勝手に教会の在庫を漁り、聖水を何本も拝借して彼女に握らせてあげた。
聖なる力が強そうな礼拝堂で、彼女の痣にふりかけて、呪いの侵攻に対処する。
「アニーちゃん、ここから出て来ないでね。絶対だよ」
すぐに見つからないように、彼女を教壇に潜らせて、子供をあやすように頭を撫でる。
「……!どうする気?ナルセス一人で…!危ないよ!私も行く!」
「ダメダメ。大人しくここで待ってて。何とか隙を見て、宝珠を奪って来ようかなーって思ってるだけだから」
身分不相応な戦いはしない。
もしかしたら助けが着てくれるかも知れないけど。できればそっちを期待しよう。
「キメラの翼を見つけたから、俺が戻ったら一緒に逃げるからね。これ持って待ってて」
聖水と一緒に拝借したキメラの翼。これがあれば、一瞬で別の場所に移動できる。
「…もし俺が来なかったら、一人で逃げるんだよ。約束だよ」
「そんな約束できない!」
「………」
そんな余裕は無いはずなのに、二人は瀬戸際において強く見つめ合って、不安を消すようにひしと重なった。
「…ん。そうだよね。当然だよね。分かった、すぐ帰ってくるから待っててね!」
教壇に隠れてキスをして、惜しんでもう一度キスをして、
「にかっ」と満面の笑みを見せて背中を向ける。
ラーの教会から噴水広場へと戻る。
広場には正面にミトラ、時計回りにラー、ルビスと三柱の教会が三角形に並んでいる。緑豊かな一画、中央には三神像の噴水が今日も水音をさせていて、その縁にはまだ死神が無言で背中を向けて立っていた。
どうやらミトラ神の教会を見つめているらしい…。
俺はラー教会横の街路樹に隠れ、「どう宝珠を奪おうか」と画策している。
ダーマ神殿で僧侶の修行をしていた、まだ未熟な俺の使える呪文は数少ない。唯一の攻撃呪文バギは苦手だし、補助呪文だけとなると……。
自分にこそりと素早さ上昇の呪文、ピオリムを二回唱えて、噴水の石像によって死角になるように接近してゆく。
「 っ!」
素早く宝珠を奪ってトンズラ、そう思っていたのに。
伸ばした手はそのまま、俺は足が止まってしまった。死神の足元に人が倒れている。
「ドエールさん !」
「餌がもう一人…」
俺に送る虚無の視線。死神は鎌を旋回させると俺を吹き飛ばし、這いつくばった俺の前にスルリと佇む。
「待っていました。貴方が二人目」
わずかな風に煽られて、死神の三つ編みがふわりと揺れた。
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