息を切らし駆けて行く、目的地は北のミトラ教会。 そこではジョナサン王子とファルカータの婚儀が、着々と準備されている筈だった。 「はあっ!はあっ!」 別れた恋人を取り戻すため、遥か遠き港から、遠距離走者と化して町を縦断してゆく。 豪勢なエジンベア城を仰ぎ、そのまま迂回した先に、微かに教会の尖塔を見つけた。城を突っ切れたなら、どんなに時間を短縮できたことだろう。立ちはだかる優美な城は、どんな時でも恨めしい。 広大な敷地を誇るエジンベア城を延々と迂回して回り、小高い丘の上、岬の教会では時間を告げる鐘の音がついに鳴り響き 通行人をかき分けかき分け、岬へ続く一本道へと倒れ込む。 「すいませんっ!通して下さい!急いでるんですっ!」 何故か普段とは違い、道にはやたらと人が集まっていたのだった。俺は足がもつれて人垣に倒れこみ、そのまま足の群れから頭を出しては懸命に願う。 「そこ!それ以上道に出てはいかんっ!下がれ!」 はみ出た自分に突きつけられたもの、それはエジンベア騎士の長槍の先。 「もうじき王子がここをお通りになられる。民衆は盛大に祝いの言葉をかけるのだ」 「…すみません。教会に用事があるのですが……」 人垣の理由はすぐに知れた。大衆を監視している騎士たちは厳重に岬への道を固めている。果たして、いち漁師でしかない自分に越えられるのか……? おそるおそる尋ねれば、返答は余りにも想像どうりなもの。 「本日通行できるのは招待客のみ。平民は、ここより一切立ち入り禁止となっている」 「………」 さすがに王子の式とあって、騎士の姿は道なりに続き、数は数十を越えていた。 「あっ、そうですよね。失礼致しました」 引き下がった振りをして、 止まるわけにはいかなかった。この先にファルが待っているのだから 「そいつを捕まえろっ!」 「逃がすなっ!」 当然の如く、多くの騎士が武器を手に行く手を阻む。 前後に挟まれ、窮した俺の取った行動は 教会の扉は、不意に新鮮な光を絨毯に射し込んだ。 「なんだ貴様はっ!何をしに……!」 静粛さの秩序を破り、現れた男は全身ずぶ濡れて、開いた教会の扉から、おかまいなしに海水の水たまりを作り出す。 「ハァッ…!ハァッ…!その結婚、待ったァーーー!!」 静かな音楽が流れていた。 参列した貴族たちが総ふり返り、余りにも場違いな、みすぼらしい男の登場に呆気に取られ、口を丸くしていた。 俺の見つめる人は白いドレスに身を包み、ヴェールによって表情を知ることはできない。 彼女の手をそっと第二王子が掴み、正に神父に誓いを立てようとしていた瞬間…。 「…ファル!君が好きです!俺と結婚して下さい!」 その場の状況など、一切おかまいなしに全力で想いを叫ぶ。 追い立てる騎士から逃れられる場所なんて、左右に広がった広大な海上のみ。ここで捕まったら確実に「殺される」と確信したなら、飛び込むしか手は残っていなかった。 切り立った岬から飛び込み、水面降下の衝撃にも負けず、裏の崖を這い登って扉をめいっぱい押した。 全身潮に濡れ、髪には海草が絡みつき、素手で崖を登ったために爪が割れ出血している。まさに満身創痍な姿で、じっと彼女の答えを待った。 |
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「さよなら…」 冷たい頬に唇でふれた。それが最後のあなたの温もり。 【あなたのこと、一生忘れないわ】 伝わっても伝わらなくても、良いと考えて渡した暗号入りの手紙。 初めて逢った時から、あなたという忘れられない色が点いた。色のない私の世界に鮮明に輝く、たった一つの星のように。 またしても貴方は全身びしょぬれで、それは雨に打たれたのではなく、常に潮の香りを連れて来る。 同じ言葉を再び聞くことになるなんて……。 神父への誓いを前にして、私は海の香りに撃たれた 早朝から教会に出かけ、決められたウェディングドレスに着替え、控え室で静かに呼ばれるのを待っていた。彼の母親のため、 私の自由など、決して兄が許さないことなど、解り切っていたのです。 …夢を見ました。儚い夢を。 彼の創る新しい世界に生きられたなら、どんなに幸福だったことでしょう。夢を見て、彼を守ることを心に決めて、それには自分は邪魔であることに気がついてしまった。 だから私は嫁いでゆくのです。 死ぬまで消えぬ、ただ一本の赤い薔薇を胸に秘めて。 「病める時も、健やかなる時も、変わらぬ愛を誓いますか」 婚姻用の正装によって面を布で隠した、神父が厳かなる声色で王子に尋ねた。神父とは言っても役割名であり、我々を見守る役は女性が務めてくれる。 「はい。変わらぬ愛を誓いましょう。ファルカータを妻に迎えます」 ミトラ神の彫像、教壇を前にして、白いタキシードのジョナサン王子は恭しく答える。どこか鼻にかかるようなく口調で、それはおそらく勝利を確信したが為。 「では、ファルカータ・デニーズ。貴女にも訊きましょう。夫、ジョナサンを病める時も、健やかなる時も、変わらず愛することを誓いますか」 「…………」 神の前で、一生貫く嘘を口にする。視線を下ろし、唇が音を立てた。 「はい……」 扉を思い切り開け放ったのは、青髪の青年。 「グレイ…!」 ふり返り、ブーケを握る両手が思いがけず震え、ヴェール越しの彼の姿、それだけに無性に目の奥が熱くなる。 「ファル、もういいんだ!母さんは…、救い出したから…!もう…、間に合わなかったけど、でも、君は自由になったんだ!」 「誰か、その男をつまみ出せ!」 最前列から兄が立ち上がり指示を出した。呆気に取られていた入り口守衛の騎士が慌てて、両側から武器を持って彼を挟む。 「ファル……!」 騎士の手から、逃げるように前へと駆けた、彼の声に反応して私の体も走り始める。後ろ手に王子の手が強く引き寄せ、彼の元へは届かなかった。 乱暴に抱きしめられて痛み、ぐっと眉を引き締め睨む。 「何処へ行くんだ。君は私の妻だろう」 「………」 意地悪く、王子は人質のように私を腕に抱いて薄く笑った。潮に濡れた青年に向かい、めくった唇。狂気じみた瞳は私を脅し、素朴な青年を小虫のように踏み潰そうとする。 「そこの君も聞くといい。我が妻が神を前にして、私への愛を誓うことを」 「なっ…!ファル……! 躊躇したグレイは瞬く間に抑えられ、顔がそのまま床に埋まってしまった。 「離せ!くそっ!離せ!」 必死に抵抗するけれど、彼は床の絨毯を舐めるばかり。怒りに見上げる瞳は王子を刺して、なお一層彼は激しく暴れるのだった。 「一体いつまでファルを縛るつもりなんだ!ファルを離せ!」 兄は「教会から追い出せ」と吐き捨てたが、王子は笑って一言告げた。 「構わない」、と……。 「いいさ。彼にも祝って貰おうじゃないか。なぁファルカータ」 グレイを床に叩き伏せたまま、残酷な誓いを彼の目前で言えと強制する。 「さあ。どうしたかなファルカータ。愛を誓ってくれないか?そして誓いの口付けと、いこうではないか」 「…………」 しなければ、きっと彼が殺される。 私は神父に向き直り、凛として言い放った。 これ以上、彼が追いかけて来ないように、迷うことなく……。 「はい。私は…」 「その誓い、待った!」 再び、招かぬ客が私の誓いを遮った。 侵入者は赤毛の神官、イシス王女の従者マイス・ブライト。単身現れ、堂々と教会入り口で高々と宣言する。 「結婚式は中止だよ。誓いなんてする必要は無い。ジョナサン王子とトマホーク氏はこれから王城にて罪状を読まれるんだ」 「…なっ……!何を馬鹿なことを!」 何が起こったと言うのでしょうか イシス神官の発言に兄はぎょっとし、冷や汗をごまかして、王子に救いを求めてふり返る。 「……ハハハ。何を言っているのか分からないな。マイス殿も祝いに駆けつけてくれたのかな?今日は千客万来だ」 王子は余裕めいて両手を広げ、おどけたように乾いて笑う。 「第一王子が自供しました。あなた方兄弟は国王に薬を盛り、国政を我が物にしようとしていた。国王の病気はあなた方に仕組まれたものです」 「 「妹姫も共犯を認めましたよ。王子とトマホーク、二名を王城に連れて行きます」 王子よりも更に彼は不敵です。神官マイスは慇懃無礼に嘲笑い、抵抗するなら…、とでも言うように、腰の剣の柄を握る。 穏やかではない瞳の色。 彼の「本気」に王子は無意識の内に後ずさっていた。 「…ハ、ハハハッ!そんなまさかっ!兄や妹がそんなことを言う筈がない!冗談はやめて頂こうかマイス神官」 剣術を嗜んではいるものの、到底目の前の神官には敵うはずもない。そして彼はイシスで頂点に立つ魔法使いでもあるのだから。 強行手段を取られたら……、と王子は笑いはするが、内心は萎縮している。 「ハハハ。ちょっとした誘導尋問であっさりですよ。こちらは薬物の入手ルートも掴みました。国王は管理不行き届きと病状によって、国政を一時ランシールに預けると約束しています。今日この時から、この国の裁きはランシール、聖女の手にかかる」 「………!」 「なんと……!」 王子の顔はみるみる青くなり、伝染ったように兄も丸顔が蒼白に変わる。 「ジョナサン王子、あなたの女性問題もいくつか足を掴みましたよ。行き過ぎた民への非道も、聖女はお許しにならないでしょうね」 聖女様は式には参列していませんでした。王子は招待したのでしょうが、どうやら彼女は断ったようで姿はない。ミトラ信仰厚いこの国の民は、例外なく聖女を慕い、同時に恐れてもいる。聖女とは、『神の声』聞く者をさすが故に。 着席していた貴族たちにも動揺が走り、教会内部に恐慌の色が降りようとしていた。エジンベアがランシールに制裁されると言うならば、もはや貴族たちの豪遊は終わりを告げる。 貴族だけが富を貪る時代がようやく終わるのです。 グレイを束縛している騎士たちにも戸惑いの仕草がうかがえた。自らどう動くべきか定められず、ただ状況を見守ろうと固唾を飲む。 私の胸に、僅かな期待という名の花が咲く。 横で王子は悔しそうに歯噛みしていた。 「そこまで言うのなら……。きっと何か証拠でもあるのだろうね?」 そんなものある筈がないと、くぐもった声には苦渋が滲む。 「そうだ!証拠だよ!いい加減にしてくれないかね、証拠もないくせに!全くの言いがかりですぞ!」 神官とは対照的な狼狽しきった兄。 トマホーク・デニーズは今度は真っ赤になって唾を飛ばし、イシスの神官をねぶり始めた。 「全くイシスの民は礼儀を知らん。神聖なる結婚式をなんだと思っているのかね!」 怯むかと思った赤毛の神官は慇懃無礼さを保ったまま。理由は彼の脇に現れた小さな影。 「証拠ならたくさんあるよ!」 「 兄の巨体は驚きに大きく飛び上がる。 舞い込んだのはクレイモア・デニーズ。兄が地下室に閉じ込めたはず。しかし妹は無傷で書類の束を抱えていた。 「ふふーん!私が来てビックリしてるんでしょ?残念でした。お兄様が悪いんだからね。お兄様が使用人を大事にしないから、こうして私を助けてくれる人が出て来るんだよ!証拠もバッチリ残ってるんだから!」 まるで兄妹喧嘩の口調で、クレイモアはバシッと書類の束を叩いてみせる。 「なんだと、この生意気なっ…!」 「不正の書類。証言もいくつも貰ったよ!みな本当はお兄様のやり方に不満だったんだよ。さあ観念しなさい!」 ここまで来ると、さすがのお兄様もおろおろとして、うっかり口に出てしまった本心。 「……まさか!そんなまさかっ…!確かに消せと命じておいたのに……! 使用人を大事にしない己の冷酷さが仇になり、兄は内部告発されることになった。 妹が無事であったことに胸を撫で下ろし、私はふっと息をつく。 その隙に目を光らせ、王子は決死の行動に出た。 「動くな!この女がどうなってもいいのか!」 もはや言い逃れはできないと思っての苦し紛れの愚行。 神父の前に置かれていた燭台を掴み取り、王子は反対の手で私を抱いた。三本の蝋燭から蝋が足れて首を熱し、炎はチリチリとヴェールを焦がす。 「…うっ…!…っ!」 小さく喘いで、炎に目を瞑る。 「お姉ちゃん!」 「ファル!」 妹とグレイが駆けつけるのを制止して、鬼気迫った王子は、乱暴に燭台を押し付けて喚き散らす。 「動くなと言っているだろう!この女の顔を貫くぞ!動くなっ!」 バシッ 直後、王子の肩から背中を強打が襲った。 拘束は意外にもすぐさま外れ、王子から開放されて危うく私は転倒しかける。 「 背後から殴りつけた存在、王子を教本で強打したのは婚礼衣装の神父。想定外の攻撃に王子は面食らい、撃たれた右肩を押さえて犬歯を剥いた。 「邪魔するな!お前を人質にしたっていいのだぞ!」 燭台の矛先は神父に向かう。素早い攻撃であったのに、神父は腕輪で受け止め、更に手首を回転させて王子の手から燭台を叩き落す。 「このっ…!」 ヤケになって王子は素手で掴みかかる。神父は余りにも戦闘に長け、王子の手首を掴むと、そのまま後ろへ捻り上げて強く締めた。 「見苦しいですよ、ジョナサン王子!」 落雷のように激しい女性の一喝。痺れて王子は往生してしまった。 神父は顔を隠した布をめくり、合わせて十字の入った帽子と大きな聖衣をはぎ取り教壇へかける。 眩しいほどの白い肌に目が眩みそうでした。輝く金の髪に宝玉閃く額冠。簡素ながら気高い白の聖衣。身を包む蒼いマント。 神父に扮していたのはランシールの聖女、ラディナード・フィルスだったのです。 声もなく 聖女の前にて尻餅を打つ。 「神の前で潔白を誓えますか」 ステンドグラスからの斜光を受け、神の御使いは厳格に問う。 「あ…。う……!」 「質問を変えましょう、ジョナサン王子。貴方の身の潔白を神の前で誓いなさい。誓えるのでしょう?」 「……………っ!」 王子の細い体はがくがくと畏怖に震え、なんとかこの場を取り繕うと瞳がせわしく周囲に動いた。 しかし、どんなに時を費やしても、王子には誓える筈がなかったのです。 聖女は神の力をその身に宿し、偽るものを断罪すると信者なら知っている。もしも虚偽を訴えたなら、大いなる神の裁きが訪れる。聖女の翳す指より落ちる「光の十字架」によって。聖女は神の使いたる『賢者』の姿で其処にいたのですから 「 教団の右手側、各室や裏口へと続く扉へと王子は逃げ出し、言われて兄も後を追う。太った兄は足が遅く聖女に捕まり、さすがに聖女には強い態度に出れないのか、がくりと膝をついて懺悔を始めた。 「ああ…。お、お許しをっ…!申し訳御座いません!お許し下さい聖女様っ!どうか、どうか命だけは……!あわわわっ!」 繰り返し上げては両手を床に付いて、情けなくも全面降伏する兄。これまで人を傷つけて生きてきた兄の報い。その深さも恐ろしさも、自分が一番良く知っているのでしょう。 故に兄は額を床に擦り付け、何度も平伏し続けるのかも知れなかった。 これまで悪事を組んで来た相方を見捨て、一目散に裏口へ逃げ出したジョナサン王子。扉の前で彼は最後の砦に出遭う。王子がノブに届く前に扉は開いた。 王子を捉える熱い眼差し。 悲しみも同時に宿して立ち塞ぐ少年に、王子は灼熱の怒りを感じて総毛立つ。 「…何処に逃げるのですか。あなたが、一体何処に逃げると言うのですか」 「 脱出口に控えていたのは、イシスの誇るラーの化身。 凄まじい力を宿した赤毛の少年、僧侶ジャルディーノ。 幼い僧侶に異常に恐怖して、王子は我を見失っていた。僧侶が一歩踏み出すと、悲鳴を上げて我が身を庇う。 「やめてくれ!殺すな…っ!殺すなぁっ…!」 腰を抜かして教壇まで戻り、装飾物など手に取るもの全てを少年へと投げつける。 「おのれ悪魔めっ!野蛮人めっ!人殺しっ…!」 進退極まった王子の前に壁となる、少年僧侶の声は悲愴さに揺れていました。 「殺すなんて……、しません。あなたは生きて裁かれるべきなんだ」 飛び交う道具類に数箇所撃たれ、けれど少年が悲痛であるのは痛みが原因ではない。罵られた言葉が彼を傷つけるわけでもない。 少年が想うのは、王子に傷つけられた小さな姫君ただ一人。 「僕と同じく、生きて償っていくべきなんだ!」 「ひいいっ…!」 初めてでした。高慢で常に余裕の塊であった王子が乱れ、半泣きじみて、転がり逃げようとする光景を見るなんて。 少年は王子の腕を捕み、静かであるのに声には気迫が焔立つ。 「行きましょう。あなたを裁くのはこの国の民であり、聖女様です。死ぬなんて許さない。あなたには生き地獄がお似合いです」 「…おのれっ!…畜生がっ……! 「………」 赤毛の少年僧侶は呆れて、暫し無言で王子を見つめていた。 「その壺ってコレのことかな?♪」 「 いつの間に入り込んでいたのでしょう。礼拝堂の左右に広がる高い窓。その窓の一つに浮かんだシルエット。長身の男性 ガシャ 窓が砕け、空を背景に銀髪のエルフが髪をかき上げる。まるで壁に埋め込まれた絵画のように、窓枠に手をかけると優雅にマントがたなびいた。 「んなっ…!ぬあっ…!…っ!…っ! 口をパクパク、窓を仰ぎ、鯉のように開け閉めする。王子は零れ落ちそうなほど目を見開き、軽い口調のエルフ族は、掌の上でクルリと壺を回してみせた。 「知ってたかな?本来この『乾きの壺』は、エルフ族がエジンベアに与えたものだったんだよ。それに、あの仕掛けもエルフ族が教えたものなんだ。だから解除なんてわけないんだよね。残念だったね」 驚きすぎて、もぬけの殻になったような王子に舌を出し、エルフは少年に向かって手を振った。銀髪のエルフは少年の知り合い。アリアハン以降、何かと縁のある盗賊シャトレー。 「先にイシスに持って行くよ。ではね、少年」 「ま、待て!」 ジョナサン王子にとって、最後の頼みの綱であった『乾きの壺』。盗賊はスッといなくなり、気まずい沈黙が王子を圧し潰す。 もはや彼に、選択肢などない。 「これで最後にしましょう。神の前で真実を唱えなさい。ジョナサン王子」 「あ…。あああ、ううう……」 打ちのめされた王子はがくりと両手をついた。賢者衣装の聖女に迫られ、ついに堪忍して弱弱しく泣き崩れてゆく。 「…わ、私が…、悪う御座いました…」 「……。結婚式は中止です。王子とトマホーク。両名を城に連れて行きます。では」 大人しく従い、力なく両名は聖女ラディナードに連行されていった。 神官マイス、僧侶ジャルディーノも後に続き、名だたる貴族たちも参考人として城へ向かう。 突如起こった国の一大事にわらわらと貴族たちは逃げ帰り、それぞれ不祥事の隠滅に忙しくなるのだと思った。 がらりと礼拝堂は静まり返り、遅く、止まっていた時が動き始めた。 「…大丈夫だった?ファル…」 王子に焦がされた髪を気遣い、いくらかその身が乾き始めた青年が手を添える。 「どうして、濡れているの?」 私も冷えた彼の体を気遣って、そっと寄り添った。 「えっと、騎士から逃げるために海に落ちてさ…」 「無茶をするのね」 密着することに彼は照れて、頭をかいて、ここまでの経緯を説明してくれた。 「あの、ファル。…もう一度言うよ?俺と、結婚して下さい。君と一緒にいたいです」 見ている者は妹クレイモアのみ。邪魔しないように入り口から動かずに、じっと彼の背中を応援している。 「……望む人と一緒にいられる人は、本当に幸せね……」 まさかそんな幸運が自分に訪れるなど、夢にも思ったことはなかった。 思い出だけで生きてゆけると、海を見ながら生きていこうと心に誓った。 同じく誓うなら、心からの愛の言葉を。 「…はい。あなたと生きるわ…」 新しい世界に生きられる。「私」という存在が生きる、まだ知らぬ世界。 彼が雲が晴れるように微笑むから、私も精一杯彼に応えて微笑んだ。 パチパチパチ! 遅れてやってきた観客が、嬉しそうに拍手を贈る。 ランシールの騎士クロードが、クレイモアの横に並び、その後ろで青髪の少年が隠れて拍手を打っていた。彼も、ささやかながら祝福してくれる。 「おめでとうお姉ちゃん。でも、本番はナルセスバークでやろうね!」 「そうね」 ドレスが濡れるからと戸惑うグレイを、私は暫く抱きしめたままでいた。 「ありがとう…」 助けに来てくれて。諦めずにいてくれて。 変わらず自分を求めてくれて。 何より、私に出逢ってくれてありがとう……。 エジンベアの国政は一時ランシールに移り、王家の不正は瞬く間に国内へ伝えられていった。 ジョナサン、トマホークの両名は家名を剥奪され、数年は投獄の日々が決まる。 兄王子と妹姫は共犯によって家名剥奪、エジンベア辺境にて監視生活。国王は聖女とともに国の最構成に着手、指示を仰いでゆくことになる。 イシスのオアシスには水が戻り、乾きの壺はそのままイシスへと献上された。 騒動は数日おさまらず、その間に私はグレイの母親の死を知った。 詫びても詫びきれず、そのために必ず彼のことは幸せにすると亡骸に誓う。 彼らの住む町に埋葬するため、グレイと弟ビームは先に帰り、その後にクロード騎士も町へと戻った。 私とクレイモアは事後処理のためにもう暫くはこの国に。 神官マイスはイシスに戻り、僧侶ジャルディーノも姫の傍へ。 これからのエジンベアがどうなってゆくのか。それはまだ誰も知らない。 聖女様の指導の元、エジンベアは生まれ変わろうとしていた。 |
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俺たち兄弟は眼下の町をひたすら眺めて、お互いに会話のタイミングを見失っていた。 ナルセスバークを見下ろせる丘に登り、赤く染まる世界に心奪われてゆく。その足元にはできたばかりの母親の墓石。 ここからなら中心の教会群が見え、兄貴の結婚式も見ることができる。 兄貴と二人で選んだ場所。これから先も俺たちの暮らしをずっと見ていけるように…。それには最も適した丘だった。 「…ビームは、盗賊?だったんだな…」 兄貴がとうとう切り出した。 俺はただ俯いて、兄貴だけでなく、母親にも心中で詫びている。なかなかどうして、謝罪の言葉すらも巧く口から出てくれないのか。 「ごめん……」 言い訳も思い浮かばない。兄貴に見せる顔がない。このまま崖から落とされても俺は兄貴を恨まない。それぐらいの責め苦を覚悟していた。 「ごめんな。苦労させて」 兄貴は俺の頭に手を置いて、いつものように素朴に笑う。不安に押し潰されそうな俺を、安心させるために施された笑顔。兄貴が笑うといつも、ほっとした。 「時々おかしいなと思う時はあったんだ。そんな余裕ないはずなのに、お前が食べ物を買ってきたり。明らかに給料以上の金を持っていたり…」 「………」 「お前にそんなことさせちまうなんて……。俺は兄貴失格だな。本当にごめん。もうさせないから…」 「兄貴ぃ……」 ぶわりと泣けてきて、ゴシゴシと袖で目を擦った。 「…クロード君は知っていたんだな。あの雨の日がそうだったのかな」 様子のおかしかった雨の夜を思い出して、兄貴は泣く俺をそっと宥める。俺はこくりと頷いて、その日の事を隠さず兄貴に教えた。 「…嬉しいこと誓ってくれたね。ビームに誓う、なんて」 「…………」 半分以上はまだ恥ずかしいし、認めたくない気持ちで溢れてる。 しかしいつまで経っても、子供でいられるわけじゃない。 貴族をひたすら憎んできた自分。 もう「貴族を憎むだけで良かった」時代が終わってしまった。 アイツのことも認めなければ、俺はまだ、アイツよりも「幼い」という証明になってしまうんだ。 「こん畜生…」 ボソリと、居ない奴に向かって悪態をつく。 「いい友達になれるよ。きっと」 「ともだち…?」 相変わらず兄貴は人がいい。すっかりクロードに毒されて、にっこり笑われても、俺は「うげっ」と気色ばんだだけなのに。 「まさか。貴族とダチになる日がこようとは……」 「いいじゃないか。ちゃんと謝らないと駄目だよ。今まで散々当たってきたんだから」 「え”……。あ”〜…。う”〜…」 冗談じゃない。と思いつつも、それが道義なんだろう。 あーー…。嫌だー……。しかしなー…。 何が面白いのか、兄貴はニコニコしていて、気づいた俺はムスッと膨れて石を蹴る。なんだか墓の中で母親まで笑っているような気がして、ますます恥ずかしさが膨れ上がった。 「分かったよ…。謝る。嫌だけど」 アイツが変わったのだから、俺も変わる。貴族の全てが悪いワケではない、本当は解っていたのに、他国のアイツに八つ当たりしてしまった。 そんな自分とはもうオサラバ 新しい町に初めての墓標。 町を全貌できる特等席。これから先、俺たち家族はこの町で生きてゆく。 |