「聖裁」


 明朝のエジンベア王国は、その日も表向きは絢爛としたを美しさを湛えたまま、しかしその陰影の隅で暗躍する諸悪の動きに気づく者は少なかった。
 そして更に、朝を待つ静けさの中に散開してゆく私たちの動きを見ている者もいない。

 この国に巣くう『悪の権威』を討つために、私たちは方々へと散ってゆく。

 エジンベアの漁師グレイさん、弟のビーム君、ランシールの元騎士クロード君、三人は幽閉された兄弟の母親を探して町へと向かった。
 ランシールの聖女ラディナード様はエジンベア内のミトラ神殿を訪問に。神殿内部から国の情勢を調べ、この日の内に王宮へと出向き国王への面会を要求する。
 イシスの神官マイスさんは郊外の貧民街へと入り、裏側からこの国を揺さぶると豪語していた。

 そして悪名高きデニーズ家末席の娘、この私クレイモアはそのままデニーズ家へと直行していた。普段からこっそり使っていた秘密の抜け道をくぐり、庭園を横切って一路姉ファルカータの部屋を目指す。
 途中庭園にはすでに早起きな庭師の姿が数人見え、その足元からこそっと顔を出して私はズボンの裾を引っ張った。

「おはよう植木のおじさん、元気だった?今日はお兄様お屋敷にいるのかな?」
「こっ…!これはクレイモア様っ…!」
 庭木をカットしていたおじさんは飛び上がり、危うくハサミを落としかけた。しかしこんな侵入などすでに日常茶飯事、慣れたこと。平静を装い作業に戻るとおじさんは呟く。

「私が屋敷に入った時にはすでに起床で…。何やら慌てて王子の使者と話していたようでした。使用人たちも叩き起こされていましたよ」
「う〜ん…。それはそうよね。ジョナサン王子が怪我したって言うし…。急がなきゃ。早くしないと全部証拠隠滅されちゃう」

 庭木の足元で唸った私に、それは心配そうにおじさんの声はくぐもる。
「クレイモア様…。何か危ない事をしようとしているのですか?トマホーク様は恐ろしい方です。貴女と言えども、見つかったらどうなるか……」
「…ありがとう。でも、駄目なんだ。私ずっと戦いたかったんだもの。ようやく一緒に戦ってくれる人が集まったの。私一人じゃないんだよ?強ーい味方がたくさんいるの。だから大丈夫!お姉ちゃんも幸せになれる!」

 兄の悪行に歯噛みしてきたこれまでの日々に決着をつける。こんなチャンスはきっともう二度とない。虐げられてきた民、人形扱いの姉、そして屋敷内の使用人たちだって被害は受けてきたのだから。
 自分にできることは少ないけれど、それでも力になれることがあるのだから…。

「みんなの事もちゃんと助けてあげるからね。心配しないで」
「…そんなことは…」
「私の居ない間、おじさん殴られたりしなかった?召使いの女の子達は元気かな。デニーズ家が没落しても、みんなの仕事先はちゃんと保障してあげるからね。心配しないでね。家族のこともね。私ちゃんと考えてるから」
「勿体無いお言葉ですよ。お嬢様……」
 兄トマホークは使用人に対しても傍若無人で乱暴だった。ちょっとのミスでも強く体罰を与えたし、歯向かえば減給や下手すればクビ。とんでもない場所へと左遷させられてしまった人もいる。
 姉だけではなく、私は彼らだって助けたい。


 朝日が東から顔を覗かせ、私は手を振って屋敷の中へと身を低く進んでいった。
 兄寄りな使用人の目をかいくぐり、姉の部屋に到達する頃にはすでに陽は全貌を覗かせている。

「お姉ちゃん!会いたかったよ…!」
 扉を開けた姉に間髪いれずにしがみつく。心なしか姉は痩せ、細い腕で私を抱きしめると何度も髪を撫でてくれた。
「今みんなエジンベアに着てるの。お姉ちゃんを助けに来たんだよ。グレイさんもいる。お兄様と王子を告発するの。お姉ちゃんは自由になれるよ!」

 にわかには信じられないようで、姉の反応はとても薄かった。姉の反応一つ一つよりも、実は私の動きの方が早い。

「と……」
 普段から殺風景な姉の部屋に、やたらと衣装ケースが積まれていた事に遅れて気がついた。部屋の中央に山のように箱が積まれ、ティーテーブルにも山のようにドレスのカタログが居座っているのに口を尖らせる。
「何これ。何処か行くのお姉ちゃん」
「ジョナサン王子の見舞いにね。あと…、式のドレスや、披露宴のドレスの試着よ」
「式っていつ !?」
「急ぎたいみたいね。お兄様は」
 青くなってジタバタすると、とりあえずそんな暗くなりそうな物資は部屋の隅に追いやり、私は姉の手を掴むと熱弁を奮った。

     とにかく!諦めないでねお姉ちゃん!お姉ちゃんはグレイさんと結婚しなきゃ駄目なの!なるべく時間を稼いでね!お腹が痛いとか、衣装が気にくわないとか言ってね」
「クレイモア……」
 手短かに来ている面子や計画を説明すると、再び私は廊下へと身を低くして戻って行った。
 姉は終始不安そうにして、いつも以上にその瞳は光を伴うことがない。私の足は次なる目的地、兄の部屋へと向かっていく。その姉に幸福なる未来を掴んで欲しいから。


 ようやく兄の個室に侵入できた頃、すでに時計は正午を回っていた。
 何度も途中馴染みの召使いや執事に庇ってもらい、栄養補給の飲物やパンもありがたく口にした。
 何か悪事のネタはないかと広い個室内をひっくり返し、兄宛の手紙を開けては読み、開けては読み、しかしこれといった物を見つけることができずに大きくため息をつく。
 簡単に片付けると今度は兄の書斎へ。

「何か不正事項の書類でも見つかるといいんだけどな……」
 膨大な資料を前に諦めずに視線を走らせる。
 時折兄の使いが現れてはカーテンの裏へと隠れ、やり過ごしながら書類を探す間に空は赤みを帯びてきた。


「全く!なんと言う事だ!イシスの蛮族どもめっ!」
    お兄様だっ!」
 不意に廊下から兄の怒声が轟き、慌てて私は隠れ場所を探していた。書斎は広く、大きな本棚が何列にも並んでいて、部屋の隅には魔物の剥製が飾られている。
 不気味な狼の剥製裏で私は息を潜め、待ちたくはないが、兄の入室を息を殺してじっと待つ。

 兄はプリプリと怒りを周囲に撒き散らし、絨毯を突き破るような震動を立てて書斎へと乗り込んできた。後ろには、神妙に付き従う姉ファルカータの姿が続く。
「危うく王子は殺されるところだったのだぞ!あんな姫一人の軽い怪我が何だと言うのだね。砂漠の民、百人の怪我とも吊り合わぬわ!」
「…………」
 なんとも酷い言い草の兄に対して姉は無言で、それが更に不満を膨張させるのか、兄は火を噴くように続けた。

「式を急ぐぞファルカータよ。今夜は王子への見舞いに出向く。くれぐれも愛想よく振舞うのだぞ?王子の荒んだ心に安らぎを与えてやるのだ。あんなイシスの小娘などとは違う品の良さを見せつけてやるが良い。田舎の砂利娘とはお前は違うのだからな!」 
「……。式はいつ…?」
「明後日にでも執り行いたいものだ。イシスの蛮族がうるさいが、まずは王子の回復が先決とでも言い払って強引に推し進めてくれよう。身内のみの簡素な式となろうがこの際仕方がない。時間も経てば向こうから泣きついてくるであろうしな。水欲しさに我等に手をつくしかないのだ彼奴らは。ふははははっ!」
「…………」
 丸い肉体をゆさゆさ揺さぶり、兄は豪快に哄笑している。
 今日も今日とて豪勢極まりない悪趣味な衣装の兄。キラキラと言うよりはギラギラと脂染みた妙な輝きを放つ。

「そうだそうだ。なんとも良い考えだ。式には聖女様も参列して頂こう。聖女様もどうやら王子を疑っている様子だが、恐怖に怯えやつれた王子を前にしてごり押しもできまいて。そうだ王子には恐怖の余り気が触れたフリをして頂こう。またそれで時間が稼げると言うものだ!」

 なんて姑息なんだろう……。
 剥製の乗った台の影でギリギリと奥歯を鳴らす。

 大丈夫だよね?私達は勝てるよね……?

 どんなに兄や王子が卑劣な手段を使おうと、それでもきっと何処かに活路はあるはずだった。見つけてみせる。
 思わず体に力が入り、熱のこもった肩は台座を圧してしまった。
 ズズッと絨毯を擦る音が鳴り、兄も姉も同時に瞳がこちらに瞬間移動する。
「誰かそこにいるのかねっ!」

       いけない!

 兄がこちらに向かってくる。気配に総毛立ち、咄嗟に反対側から出口へ回り込もうと這い逃げた。姉は兄の腕を掴むと行く手を阻み、私への時間的猶予を生んでくれる。
    そうか!クレイモアだな!逃がさぬぞ!」
 姉が庇った事で兄の脳裏に私が閃き、姉を突き飛ばした猛牛は出口前で私の後ろ髪をむんずと掴む。乱暴に引き寄せ、床に転がると上から杖で叩きつけた。痛みの余りに私だって暴れて足に歯を立てる。
「ぐわっ!何をするかこの雌豚めっ!」
「私が豚ならお兄様だって豚だもの!お兄様の方がコロコロ太って美味しそうだもん!」

「何を馬鹿なことを!喰らえこのっ!」
 愛用の杖で乱打して、「痛い痛い」とわめく私の腕や肩、足に赤く裂傷が刻まれてゆく。
「おやめ下さいお兄様!」
「うるさい!二人揃って歯向かいおって!この恩知らずどもが!こうしてくれるわっ!」
 姉も私も木製の杖に何度もぶたれ、廊下から騒ぎを聞きつけ現れた執事に背中から羽交い絞めにされてしまった。身動きが取れなくなり、ただ兄を反抗的に睨みつける。

「…ふう…。ついカッとなってしまった。いかんな、ファルカータの手当てをするんだ。クレイモアはそのまま地下にでも放り込んでおけ」
「地下…ですか?しかし、あそこは…」
 何かいわくありげに、執事二人の表情が強張る。
「ふん。役に立たない娘だと思っていたが、魔物の餌ぐらいにはなるかも知れん。先日王女がペットにキャットフライを捕まえたそうでな。餌として送り届けてみようかね。手配でき次第迎えに来てやろう」

「ひ、人殺し!離して!離してよっ!」
「早く連れて行け!うるさいようなら腕の一本や二本折っても構わん!」
「…………!!」
 恐ろしさに暴れる事も出来なくなり、白面の姉の傍から私の足はズルズルと引き離されてゆく。
 放り込まれた地下室は肌寒くカビ臭く、なんだか微妙に腐臭が漂っていた。

「お兄様ったら、こんな部屋まで作っていたのね……」
 連行する執事たちは見るのも苦痛なのか地下の設備に目を触れず、私を壁の鎖に繋ぐと脇目も振らずに逃げ帰る。
 使い方も良く解らないような拷問器具の数々。あの兄は知らぬ所で人をいたぶり愉しんでいたのか      

「お願い!助けて!お兄様は間違ってる!この国を正したいの!だからお願い!誰か……!誰か来てっ!」
 薄汚れた地下の拷問部屋に空しく私の絶叫は轟いて、そして何事もなかったようにそこは沈黙が支配してゆく。

++

 自分でも、何故必死になって愛さぬ故郷を駆け巡っているのか不思議で仕方がなかった。兄貴の結婚は面白くない。ならこのまま放って自然消滅を謀ればいい。すでに離れた故郷がどうなろうと、イシスの王国だって自分には関係がない。ならこのまま放っておけばいい。
 自分は貴族という存在の全てを憎み疎んでいた。それなのになんで貴族なんかと協力し合って、信頼したような行動をとっているのか…。

     だいたい、最も謎なのは聖女の弟クロード・フィルスなのだった。
 俺を盗賊だと、罪人だと知りながら、それ以降兄に告げ口するどころか、不気味なほど素直に言いつける仕事に取り組んでいたし、俺に対して気味の悪い優しさが増えていった。
 一体何を企んでいるのか全く分からない。
 あげくの果てにエジンベアまでついて来て、よりにもよって自分と行動することを選んでいるし。しかもそれは俺を気遣ってのようなのだからますます怪しい。

 この街で盗賊として暮らしてきた俺は、一人で行動する方が都合が良かった。兄貴が一緒にいると思うように行動できないのを知って、クロードは兄貴グレイと組み、俺は単独で母親の幽閉先を探している。
 まだ国に残っている知り合いに尋ねて回り、俺の不在中の出来事や母の暮らしを耳にする。
 母親が病気であったことなど知らず、その母親を「あの女」が労わってくれたというのにも驚いた。母親は強引にデニーズ家の使者に連れて行かれ、おそらくは看病などされていない。デニーズ家の邸宅に母の姿は無く、行方も全くの不明だった。


 夜明けと共にエジンベアに渡ってから、一日目の陽が暮れようとしていた。
 夕方、待ち合わせ場所にて俺と兄貴、クロードは合流し、情報を交換し合う。

「姉様たちは…、なかなか苦戦しているみたいだよ。国王の様態が思わしくないと言って面会は固く拒否されているし…、ジョナサン王子も情緒不安定で言動に乱れがあるとかで、まともに会話させて貰えないそうだ。逆に王子の狂気ぶりを過剰に見せて、僧侶ジャルディーノを糾弾してきていると言う」
 実の姉からの報告を渋い顔で伝え、ランシールの元騎士クロードは更に嬉しくない報告を続けた。
「それから……。ジョナサン王子とファルカータさんの結婚式を急いでる風がある。ミトラ神の教会で慌しく準備が行われているんだ。急がないと間に合わなくなってしまう」

「………。俺もその情報は掴んだ」
 兄弟が旅立ち、母が攫われもぬけの殻となった生家に三人集まり、恋人を思いやる兄貴の首は一人神妙に傾いていった。灯りも点けない肌寒いボロ屋の中、兄の心情を思うと息が詰まってゆくのを感じる。

 同じように待ち合わせたはずの少女、クレイモアの姿はない。いつも無駄に明るい奴の登場がないことには不安がよぎったけれど、生憎と様子を見に行く余裕はこちらには無かった。

「式は、早ければ明後日。それまでになんとかしてうちの母親を見つけないと…」
「…なんとなくだけど、どこかの牢獄に入れられている気がする。これから手分けして探そう。また兄貴とクロードで、俺は一人で行くから」
「…またか?…大丈夫なのかビーム一人で……」
 
 何も知らない兄貴は心配そうに三人での行動を訴えたけれど、それは丁重に断った。
「大丈夫だよ。一人の方が小回りが効くんだ。クロード、兄貴を頼む」
「…分かってる。ビームも気をつけて」
 やたらと爽やかに。そう、爽やかに。俺の大嫌いな貴族の若者はにこりと答える。

 ……だから、本当に謎なんだって。コイツに微笑まれることが    



      母さん!」
 最初に叫んだのは、兄貴の方が先立ったろうか。


 翌日深夜、薄暗い牢獄に横たわる母親を見つけた瞬間。俺たち兄弟の顔色は最悪に淀んでいった。

 数箇所の牢獄を調査して回り、ようやく見つけた母親の消息。
 同業者や顔なじみに声をかけ、監視の目をそらすために各所で騒ぎを起こして貰い、その隙に突入する。見張りの目をかいくぐり、時には衛兵とやり合い、もはや兄の目を気にしてる暇もなく鍵開けや戦闘に必死になった。
 兄の視線、表情が変化してゆく。そんなことに気づく余裕もあるはずがない。

「お前たち…。…全く馬鹿だね。本当に馬鹿な息子たちだねぇ……」
 やつれた母親を兄貴が冷たい床から抱き上げる。母親は病の終わりにあり、髪も抜け落ち頬もごっそりとこけ落ちてしまっていた。乾いた口は呪文のように「馬鹿だ馬鹿だ」と繰り返し、痛い咳には苦しそうな血痕が混ぜ落ちる。
「母さん…。そんな…。ごめん。ごめん。遅くなって…!病気なんて知らなくて…!」
 兄貴が母親を抱いては首を振る。キリが無いぐらいに謝り続けて全身が揺れる。

 いつもの悪態も忘れてしまっていた。
 俺はただの子供に成り下がって、何も言えずに牢屋の入り口に棒のように立ち尽くすだけ      。

「…なんて酷いことをするんだ、病人に対して…。これがエジンベアのやり方なのか」
 元騎士も俺の横を通り過ぎ、悔しそうに歯噛みしては両手を強く握り締める。
「…駄目だ…。回復呪文じゃ病気は治せない。早く脱出して、早くお母様を休ませよう!ビーム!」
 兄弟は母親の容態に動揺していた。そんな中で一人聖女の弟は冷静に俺を呼ぶ。
 それが合図になったように俺の中で何かが爆発しようとしていた。

      泣きそうになる……!


 兄貴が母親を背負い、元騎士の手が俺の手を引き廊下を駆ける。
 …頼むから。どうか、お願いだ。


 元来た経路を逆戻って駆ける。こんなに長かっただろうか。こんなに遠かった?
 時折、兄の背でぐったりした母親を振り返っては口が苦い。
「…どうして、助けになんて、来たんだい。あの娘と逃げれば良かっただろうに…」
「そんなこと出来るわけないよ!」
 駆けながら母の言葉に抗議する、兄の声は半ば悲鳴。
「…馬鹿だね…。私を、置いて、逃げな…。ゴホッ!ゴホォッ…!」
「だから、できるわけない!」

 侵入時とは変わり、先頭を金髪の騎士が懸命に守る。馬鹿だと認識していたがそれ程馬鹿でもなかったらしい。大体の来た道を記憶して、臨機応変に脱出路を選んで進む。追いかける見張りに振るうレイピアの腕前もさすがに正規訓練を受けた騎士のものだ。兄貴の数倍は強い。
 
 身重になり、速さに欠けた脱出に複数の足音が迫る。明らかに身なりの違う正規騎士の姿が壁となり先頭の元騎士の足は止まった。

「…これはまさか、クロード様。聖女様の弟君ではないですか。こんな所で何をしているのでしょう?」
 侵入において人目を忍ぶようかぶっていた黒布。度重なる戦闘によってクロードの素顔は覗き、奴の身元を知る騎士が嫌味のように笑った。
 それはさも嫌らしい、馬鹿にした薄笑い。堕ちた聖女弟に集団で侮蔑を送る。
「エジンベアの騎士が聞いて呆れるぞ!同じくミトラを信仰する民とは思えない愚行。騎士とは弱き民を守るべきものだ!」
 レイピアは騎士の鼻先に突き向かい、クロードは勇ましく威嚇する。
「罪無き病人をこんな目に会わせて、恥ずかしくないのか!」

「守るべき民と、判断するのは我々ですよ。どうしてクロード様はそのような者たちと行動を共にしているのですか?何か弱みでも握られているのでしょうか?今ならまだ間に合いますよ。その者たちをお渡し下さい。そうすれば貴方の罪は問いません」
 エジンベア騎士達の顔は勝ち誇っていた。
 さも、取引に乗るに決まっていると言うように。

「馬鹿にするな。僕は人を売るような真似はしない。彼らは守られるべき民だ。この国が守らないと言うのなら、僕が守ってみせる!」
 エジンベア騎士三名に啖呵を切ってクロードは踏み込んだ。騎士三人対クロード一人。クロードはランシールでもいわゆるエリートなのだろうが、それでも数によって分が悪い。

 ……どうして、こんなことになっているんだろう。
 まさかこんな奴と、
 背中を守りあって戦う日が来ようとは夢にも思っていなかったのに。

 騎士三人を黙らせて、「なかなかやるじゃないか」と言うような視線で見つめた。滴る汗を拭った奴は気づいてふっと笑った。
「エジンベアの騎士とは何度か訓練を共にしたことがあるんだ。この国の剣技の型は解ってる」
 元、聖女親衛騎士団のクロードは低級ながら回復呪文が使えた。怪我の度に世話になり、二人で協力し合いながら外を目指す。

 建物から抜け出し、庭先で白んだ空を仰いだ。友軍の撹乱効果もあって無事に牢獄の塀を越え町へと逃げ出す。町の中でも俺たちはとにかく駆けた。
 息を切らし、追っ手を撒き、安全な場所まで、母親を休められる所まで     


 ゴ     ン…。ゴ     ン…。

 荒ぶる呼吸の向こうに教会の鐘音が輪唱していた。
 逃避の夜が明けて、いよいよ「あの女」の結婚式がこの日に迫る。

 港の倉庫裏まで逃げて、そこでようやく一息ついて母親を下ろした。

 どうして…。
 どうして…。

 母親は動かない。
 すでに兄の背の上で、母親は息を引き取っていた。

「なんでだよ!俺たちが一体何をした!どうしてこんな目に会わなきゃならないんだ!」
 頬の端から涙が落ちて。また落ちて。

「うわああああああっ!」
「うわああああああっ!」


 …願ったのに。どうか、間に合ってくれと。まだ生きて欲しいと。
 十数年の自分の人生。こんな不幸ばかり。叶わないことばかり。虐げられることばかり。ただ生まれた場所、生まれた家の格差において何もかもが決められている。
 
 クソババアなんて大嫌いだった。憎らしかった、ムカついていた。いつ死んだっていいと思っていたのに悔しくて悲しくて声が枯れる。
 耳を裂くように俺は叫び、兄貴は母親を抱いたまま天を目がけて同じように泣いた。

 無関係なクロードまで目を伏せて、その瞼の端からそっと後悔の涙が地面へと帰っていった。

++

 時間は押し迫っている。
 けれど僕には兄弟を急かすことはできなかった。
 
 救出に向かった母親は間に合わず、兄の背中で事切れてしまったこの悲しさを。
 ……どう、慰めの言葉をかけていいのかも解らない。

「うわああああああっ!」
「うわああああああっ!」


 僕の目も忘れて、少年は声の限りに泣いていた。喉を潰すほどに叫んで、全てを吐き出すように両手をついて壊れてゆく。
     初めて出会った時から、一体いくつ『彼の顔』を見てきただろう。

 貴族を憎む凶悪な視線。殺意の表情。侮蔑。嘲りの笑い。兄に見せる親愛の瞳。町にかける真剣な思い。かと思えば、こんな風にただの子供のように母を思って嗚咽したりする。
 僕に彼が土下座したあの「雨の日」から、彼に対する感情は色を変え、こうして守るためにエジンベアまで来たというのに……。

「…ごめん…。ビーム。グレイさん。力になれなくて…」
 寂しい港倉庫に朝日が射し、三人三様の泣き顔が徐々に光の元に晒されてゆく。
 逃げ隠れた倉庫裏には樽が積み上げられ、僕らはその影に隠れて母親の最期を見届けた。    影は晴れた。
 今日はエジンベアに訪れて三日目、いよいよ阻止するべき式 執行日の朝。

「…なんで、謝るんだよ」
 夜明けの海は朝日を反射してさざめいている。僅かな潮風は冷たいがおそらく今日は快晴となる。そんな空に似た彼の双眸は鋭利な刃物に良く似ていた。
 膝をついたまま、大地を凝視したまま全身で彼は僕に牙を剥く。
「お前なんかに何も期待してない!何だよそれ!同情か!?ふざけんなよ!」
「………」
「…だいたい何なんだよ。のこのこついて来て。何様のつもりなんだよ。お前らだってアイツらと同じなくせに!」
 全くの言いがかり、同等だと言われるのは当然心外だ。

「クロード君に当たっちゃ駄目だよ、ビーム」
「……!」
 僕は何も反論しなかったけれど、見かねて彼の兄が言葉を挟んでくれた。
 兄に諭され、続いた筈の罵倒には蓋が閉まる。言い返せなくて、少年は悔しさを潰すように大地を殴った。
 でも本当は、    僕を捌け口にしてくれてもいいと思っていた。
 
「…ごめん…。分かってるんだ。謝ったって何にもならないことは……。でも、同じ騎士としてやるせないよ。許せない」
 姉様に憧れて、姉を誇って入隊した聖女親衛隊。僕は姉にできないことは無いと信じていたし、自分も守れないものは無いと盲信していた。

「ごめんよ。こんな実情、知らなかった。知らなかったで済まされる事じゃないんだ、本当は。姉妹国として恥ずかしいよ。何も知らなかった自分が恥ずかしい」
 エジンベアは他国、しかしランシールにこのような不幸がないと誰が言えるのか。騎士として守るべきものに国境など無い。

「ごめんビーム…。こんなこと言っても、気休めにもならないかも知れないけれど…」

     今まで、守りたいと思っていたもの。それは姉。恋した女の子。国。
 自分に優しくない存在(もの)が含まれたのは初めてかも知れなかった。

「この先、この国にこんなことが起こらないように努めるよ。この国だけじゃない。もう何処の国でもこんな横行はさせない。二度と君たちのような不幸な家族は出させない。君に誓うよ!」
「………」
 あの日できなかった     傷ついた少年に手を差し伸べること。
 僕は膝を折り、生きる全てに挫折したような彼に誓いを込めて右手を指し示す。

 彼が手を取ったなら、きっともう戻ることは出来ないだろうな。この誓いは一生取り消せない。彼の記憶がずっと僕を試し続ける。

 僕はずっと、きっと後悔していたのだった。
 あの日、雨に打たれた君を冷たく突き放したことを。
 だからもう二度と、繋いだなら離したりはしないから……!


「口だけなら、誰だって言える」
「そうだね。確かにそうだ…。でも、約束するよ。君と、神に誓う」
 彼が僕を見上げた、決して許したわけじゃない。…それでいい。
 こんな愚かな僕をずっと戒めていて欲しいから。

 彼は随分長いこと視線を巡らせ考えていた。
 空はいよいよ快晴めいて、港に人の気配がぽつりぽつりと現れ始める。
 じっと声を押し殺しうずくまった彼。もう一度まっすぐに僕を見つめた、その青い瞳に敵意はなくなっていた。
「口だけなら誰にでも言える。…けど……」
 変化が訪れる兆しが閃く。潮風の中を海鳥が旋回し、鳴き声が彼の声を覆ってしまいそうで耳をこらした。
「何も言わない奴よりは、マシだ…」
 見上げた視線を流して、ごまかすように最後に付け足す。

「ビーム……!」
 歓喜する呼び声に彼は苦虫噛んで、しぶしぶと言った姿勢で静かに手を取った。
 多分悔しさと照れとで顔を見られたくないのだろうな。立ち上がってすぐに下を向く。

「ありがとう。必ずだよ。必ず!必ず守ってみせるから……!」
 両手で彼の手を握り何度何度も強く振る。傷ついた小さな手、僕の知らない多くの悲しみに揉まれてきた掌なんだ。
「はっ、離せよ!いつまで握ってんだよ!」
「いいじゃないか。誓いの握手だよ」
「ハハハッ」
 赤面して逃げようとするビームを僕は逃がさなかった。僕らを見て彼の兄が嬉しそうに綻び笑う。

 嬉しかった、とても。
 認められるという行為なら、きっと騎士に認定された時よりも。
 僕は知る。彼は大切な存在になっていた。
 
 

 カラ   ン、カラ   ン。

 緩んだ空気に突如差し水のように鐘の音が亀裂を入れた。
 僕は跳ね上がり、慌てて青年に警告する。
「グレイさん、そろそろ行かないと!」
「!そうだね!何処の教会だっけ!」
「…北のミトラ教会だよ!兄貴先に行って!」
 グレイさんは駆け出す筈の足がもつれ、思わず転倒しそうになる。珍しく弟が彼の恋に協力的なので驚いていたのだった。

「…い、いいのかな。あ、母さんの遺体は……?」
「ちゃんと保護しておきますよ。ここは僕に任せて下さい。早くファルカータさんの所へ!」
 兄弟の母親のため、望まぬ結婚をしなければならないファルカータ・デニーズ嬢。もはや彼女を縛るものはなくなった。
「分かった!頼むよクロード君!ビームをよろしく!」

 恋人を助けるために駆け出してゆく青年。瞬く間に見えなくなり、僕は預かり受けた母親がふと微笑んだように感じていた。
 彼らの母親も願い、祈っています。この兄弟の幸せを。



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