国に戻り数日後の早朝、火急の知らせが王城を震撼させた。

 私も無関係ではなく、女王である母上の寝室へと呼び出される。
 母上は顔色も悪く、寝台から起き上がれない程憔悴してしまっていた。

 今朝がた母の耳に届いた凶報。そして数刻遅れて届いた手紙。
 イシスの女王は一人娘を傍に求め、その手を掴むと嘆き崩れた。

「え……。どういうことですか。母上……」

 世界最古の王国は、たった一夜にして窮地に立たされてしまった……。


++


  人目を避け、陽も完全に昇らぬ内にたった一人、神官マイスが使いで私の寝室に現れた。
 常にふてぶてしい彼には珍しく表情は苦く、言葉に自嘲が滲み出ていた。彼が何か不手際を起こしたというのか?…まさかと思いつつ、女王の寝室へ案内された私は、そっと忍び込むように入室する。

 寝室にはそのまま赤毛の神官も同室する。廊下に注意を払い、マイスは静かに扉を閉めた。


「……、母上、その……。そんな王子の手紙など、また突き放せばいいだけの話です。私、断りますわ」
 エジンベア、ジョナサン王子から正式な結婚の申し込みが届いた。これまでアプローチはされて来たものの、正式な書状での申し込みは初めてのこと。

「それができれば苦労はしません」
 母上は代弁者にマイスを選んだ。すでに母上に伝えられる気力はない。
 女王に促され、王家に仕える墓守の一族、末裔たる神官マイスは苦渋を滲ませながら語り始める。

「まさかこんな暴挙に出るとは……。いえ、彼らを「人」と見ていた私にも落ち目はあります。警戒はしていました。しかし余りにも彼らの動きは迅速過ぎた。申し訳ありません」
 寝室の扉の前で平伏し、その姿勢のままマイスは微動だにしない。
 低く下げた視線の先で、王子を焼き討ちしそうな怒りを滲ませながら、口調は懸命に冷静を装う。

「昨夜、…一晩のうちに、イシスのオアシスが涸れました」

       。………え………?」

 まさか。
 そんなことが……。



 この若者は冗談を言うような人種ではない。
 イシスは広大なる砂漠の中、オアシスを中心に発展してきた王国だった。オアシスなくして民は生活することが出来ない。
 
 雨期の降水量が少なく、オアシスに充分な水が蓄えられない年も来る。イシスはエジンベア王家に助けを要請し、これまでは友好的な付き合いが行われていた。
 少なくとも、現国王が病に伏さないうちは……。

「…エジンベアに、水を送って貰えば良いではないですか。今までのように…」
 言葉は上ずり、私は必死に思い描いた『最悪の事態』を否定して笑おうと試みる。

 言いながら、解っていたのです。
 オアシスの水、そんな大量の水が一晩で涸れることなど有り得ない。けれどエジンベアならそれが可能だった。彼らなら大量の水を奪うことが簡単にできる。

「頼む書状はすでに女王陛下が出されました。…すんなり壺(つぼ)を渡すとは思えません。…それは、今朝求婚の書状が届いた事でも明らかです」
「…………」
 聞き、   たくない。今更にして、母の倒れた意味が身を持って解り始める。

「水を奪ったのはエジンベア王家に間違いありません。王家の秘法『渇きの壺』によって全ての水を吸い込んで行ったのでしょう。当然我が国が水を求める事は知っています。水と引き換えに姫を渡せと要求しているのですよ」

      考えました。
 どうすればこの状況を打開できるのかと。
 
 エジンベア王家の秘法『渇きの壺』。不思議な力を持った古の魔法の品で、壺は際限なく水を吸い込むことができる。蓄えた際限なき水は好きに出し入れすることが可能ゆえ、イシスはその壺によって何度も助けられてきた。
 それが今、悪しき持ち主の所業によって凶器と化す。

「そんな、きっと、大丈夫ですわ…。私が頼めば、王子はきっと水を返してくれると思います。私も手紙を書きます。…直接頼みに行っても構いません……」
 覇気無く口にしても、冷徹な従者はぴくりとも表情を変えない。
 現実主義の彼には気休めにもならない世迷言。
 
「姫様、時間がありません。他のオアシスから水を運ばせていますが、いつまで持つ事か。…国の混乱は必至。懸命に現在隠していますが、民に知れるのも時間の問題でしょう。今は乾期、数日の内に国は枯れます。…ジョナサン王子は略奪者です。甘い考えはお捨て下さい」

「そんな。では…。私は、私は一体どうすればいいと言うの…」
 先日共に過ごした王子の顔が、悪魔のようにけたたましく嗤い、私は頭を押えて迂闊にも泣いてしまいそうになる。
 人前で涙を見せるなど、醜態の極み、自分の嫌うところなのに…。
 母上ならともかく、従者の前で泣くなど私にはできない。


「…国を捨てるか。エジンベアの属国になるか。選択は二つです」

 寝室の床に、顔を押さえ私はへなへなと座り込んでしまった。
 どちらにしても、未来に一つの光明さえ見えない。最悪の二択に絶望を見て。

 由緒正しき我が王国に、突然に崩壊の影は訪れた。数ヶ月前のアンデット事件など比にならない、砂の国に襲い狂う窮地。

「まず、水を奪われた事を告発したい所ですが、今のところ何も証拠がありません。オアシスを見張っていた者、近くにいた一般市民も全て惨殺されています。壺の中の水を調べたところで、オアシスの水であるという証明もできない。オアシスが涸れた事を伝えても、きっと白を切るでしょうね」

 予想に固すぎて、思わず溜息がこぼれた。

「姫が断れば、エジンベアは水を絶対に渡さないでしょう。こちらも奪うという選択肢もありますが、昔から渇きの壺は難解な仕掛けで厳重に守られています。それにイシス王家には雇いの盗賊はいない。信頼でき、エジンベア内部に詳しい盗賊を探し、雇う時間もない。盗むまでの間に確実に国は涸れます」
「……………」
「万が一奪還が知れれば、それこそ向こうにどんな贖罪を求められることか。危険ですね。諸刃の剣です」

 緩やかに、寝室に朝日は射し込み、眩いはずの朝を告げる。
 私は逆に、その光で全てを焼き消して欲しいと願った。 

「我々は水が無ければ、他の土地を目指すしかなくなる。そしてもうここに戻る事はないでしょう。あれ程の水が溜まるのに一体何年、何十年かかるのか判りませんから。つまり、イシス王家は崩壊する」
「……………」
 「姫が受け入れた場合。彼らの目的は姫本人だけで納まるとはとても思えない。貪欲な彼らはイシスの財を全て奪い、民から血税を搾り取り、確実に女王制の廃止を訴えてくるでしょう。彼らはイシスの民を奴隷として扱うと思います。事実上の侵略ですね」

「もう、いいです。止めなさい、マイス…」
 これ以上、死の宣告じみた言葉など聞きたくもない。


「母上、申し訳御座いません。このような事になってしまって……」
 寝台まで這うように辿り着くと、母の手を強く握った。
 まだ幼い私は、そこまで深くイシスの未来を真剣に考えていたわけではない。けれど母がどんなに国のためを思い、国の為に尽力してきたかは知っている。
 母がどれだけ国を愛しているのかも解ってる。

「ナスカ……。不甲斐ない母を許しておくれ……」
「いいえ、母上は悪くありません…」
 美しい母親に覆い被さる絶望、私は一人、決意しなければならなかった。

「一日だけ、考えさせてくれませんか?明日の朝には、答えを出します。母上…」
 母を気遣い、精一杯の微笑みを…。

 私は一人、部屋に籠もった。


++


 寝台に潜り込み、何時間ほど泣き叫んだでしょうか。
 喚き散らし、あの王子を罵り、殺意を叫び、憎きエジンベアを呪って呪って、枕にナイフを突き刺した。
 羽毛が吹き飛び広い部屋に散乱し、窓から風が吹き込むとフラフラと舞い踊る。
 あの王子から受け取った洋服の全てをズタズタに切り裂き、物品を床に叩きつけ壊した。手紙の類いもビリビリに破き、皿の上で火を点けた。

 それでも気は晴れずに、私は思い出の小箱を手元に、声を殺して床を濡らす。

「…っく…。はううっ…。ジャルディーノ…!」
 あんな男と結婚などしたくない。でもこの国を失くしたくもない。
 どうすればよいのでしょうか。

 助けて欲しい………!今すぐに。
 この折れてしまいそうな弱い心を。

 
 昼が過ぎ、昼食を断った私に、心配して彼の従兄弟が扉を叩いた。
「姫様。食事をして下さい。あなたまで倒れては困ります」
「…マイス…。お願いがあるのですが……」
 扉は開けずに、貼り付くようにすがりつく。
「会いたいです。今すぐ。会いたいですわ……」

 移動呪文の使い手である彼に頼み、サマンオサにいるであろう僧侶を部屋に呼び求める。マイスは願いを受け入れ、すぐに従兄弟を迎えに出かけた。



 午後の陽光に手を翳し、部屋の入り口で赤毛の僧侶は躊躇していた。
 荒れ果てた部屋の中に呆然と立ち尽くし、言葉も出ないのか挨拶さえも忘れている。
 彼に会う時は身なりを整えているのに、今日だけはそんな精神的余裕もなく、適当に引っ張り出したドレスと、髪は梳かしただけの寂しい姿のイシス王女。

 乱雑に布やガラクタの散らばる床に小さく座り、私は彼が近づくのを待っていた。

「姫様……」
 詳細を聞かない彼は、すでに従兄弟の兄から事情は聞いていたのでしょう。何を話していいのか解らず、辛そうに大きな瞳を細め、私の両手を握りしめる。

「ジャルディーノ、私は、どうしたら良いのでしょうか。どうしたら良いと思います…?」
「…………」
 すでに私の瞼は腫れ、瞳は真っ赤に充血している。一歳しか年の違わない少年は、困惑していて、言葉は濁って滞るばかり。

「姫様は、あの王子と結婚するのは嫌なのですね……」
「嫌に決まってます!嫌です!死ぬ程嫌ですわ!ナイフで刺したい程に嫌いです!」
「そこまで……」
「…なんですか、ジャルディーノは、結婚に賛成なのですか?」
 殺意に戸惑う相手に苛立ち、睨みつける。やり場のない怒りを全て、彼にぶつけてしまいそうで、私は何度も唇を噛んだ。
「そんなことは…。でも、マイスさんが言うほど、悪い人とは……」

 抱きつきたい衝動は、業火がフッと消されたように跡形もなく姿を消した。
 もう一度、何度も見つめてきたその顔を見つめる。大好きだった心優しき少年は、見つめ合う事から逃げ、視線を下ろしてしまった。
 
 たった一本残されていた命綱が、引いてみたら何処にも繋がっていなかったような、果てしない虚脱感に体がぐらついた。
 彼は私を助けてはくれない。

      悲しさに、転覆してしまいそうでした。
 視界が滲むのを、顔を伏せることで隠し通す。

「王子は、弁償代を許してくれましたし……。ずっと姫様に片想いしていたと…、言うじゃないですか…」

 そんなこと、どうでもいいです。
「ジャルディーノ…。たった一つだけ、本心を教えて欲しいのです」

 お願いです。私を、独りにしないで欲しい。
 どんな時も、あなたは私の支えでした。その君が、私を孤独に突き落とさないで欲しい。
 どうして一言、口にしてくれないのですか。
 温かい笑顔で、私を勇気づけてくれないのですか。

「私が王子と結婚すること、どう思うのですか……」

 握られた両手、二人を繋ぐのはそれだけの温もり。
 窓からの風はカーテンを揺らし、ばらまいたゴミたちをフワフワと揺らした。彼の顔を見ることはできなくて、返事を待つ私の肩は心細さに震えている。

「……。悪い話じゃ、ないと思います。エジンベアは裕福な国ですから……」

      。そう…、ですか……」 
 握られた両手、私は、自らその手を離した。

 立ち上がり、窓辺に向かい、逆光を背負う。
「もう…。いいですわ。わかりました…。もうお下がりなさい」

 退室まで永い時間がかかった。部屋を支配した重い沈黙が去り、初恋の人が去り。
 私は強い陽射しに焦げつけられて、カーテンを掴んで床にボロボロと脆く崩れ堕ちる。

 オアシス同様に、私自身も涸れてしまった。


++


 翌朝を待たず、ナスカ王女はジョナサン王子との結婚を決意し、女王に報告に向かいました。使いは出され、翌日にも姫は直接エジンベアに向かうという。

 一刻も早く水を取り戻すため、悠長な手紙のやり取りをしている余裕はない。王宮は慌てふためき、婚約の準備や水の確保で眠る暇もなく忙しい。

 僕はサマンオサに帰る気にもなれず、イシスに残って眠れぬ夜を明かしてしまった。

 婚約への動きに紛れ、マイスさんに頼みこみ、僕もエジンベアへと連れて行ってもらう事にする。
 自分でも、一体自分がどうしたいのか、良く解らなくなっていた。


 エジンベアに返事が届き、その日のうちに姫が訪問すると王子らはそれは歓迎し、手厚く王女を出迎えた。
 相手国も急いでいるのか、翌日に婚約祝いのパーティが決定し、こちらの王宮も忙しい。
 まずは身内を集めての祝祭ということであり、後日改めて国を挙げて婚約発表が行われる。

 従者の一人として同行してきた僕は、僧侶の聖衣ではなく一般貴族の服装で会場の隅に参加していた。
 遠巻きに見えるナスカ王女の姿を追い、王子と寄り添い合うのを見るとなんとも言えない気持ちになる。
 あれから姫様とは会話も無く、目を合わす事さえ無い。

 姫様を悲しませてしまった。
 後悔に襲われているなんて……。そんなこと言っても、僕には他に何か言えることがあっただろうか…?
 賑やかなパーティ会場の中、一人ずっと息を殺し悩み続ける。
 

「さてナスカ王女。私はもう一度確認したい。本当に私と結婚してくれるのですか?何度聞いても夢のような気がするのですよ」
 パーティが終わりに近づき、ほろ酔いのジョナサン王子が姫の肩を抱き寄せて訊ねた。王族、貴族の前で王子はご機嫌で、反して姫は暫し黙り込む。

「…はい。結婚しますわ。ジョナサン王子」
「おおおっ!夢ではないのですね!ありがとうナスカ姫!」
 熱烈に抱擁し、王子はそのまま口付けしようとして      姫は顔を伏せて拒んでしまった。
 にわかに周囲がざわめくが、拒まれた当人は「きょとん」としたものの、逆に何故か喜びにんまりと笑う。

「おやおや、ナスカ姫はなんと純情で可愛らしい方であろう。大丈夫ですよ。何も怖くはありません。これからは私が姫を守りますからね。何も怖くはないのですよ。ええ……」
 少女の顎を持ち上げて、王子は何回も唇を重ねた。
 重ねる度に姫の顔は白くなり、表情が凍りついてゆく。

 祝福の声と拍手が二人を包み、エジンベアの人々はそれは嬉しそうに歓喜に踊る。僕の隣でマイスさんも数回手を鳴らす、それはどう見ても儀式的だったけれど    
 彼の瞳は鋭く見据えられたまま。決して瞳は笑ったりはしない。

 何度も拍手は起こったけれど、僕はどうしても手を打つことはできなかった。



「眠れない…」
 離宮の一室で昨夜に引き続き、僕は何度も寝返りばかり打っていた。
 同室のマイスさんは何処かへ外出したまま、ずっとベットは空っぽのまま。

 悲しそうな姫の顔を思い出しては枕に顔を埋めて落ち込む。思考は混濁していて一行に鮮明さを取り戻してはくれなかった。
 初めて訪れた島国エジンベアの夜、頭を冷やそうと窓を押し開け、新鮮な夜の空気を部屋に注ぎ込んだ。

「渇きの壺さえあれば…」
 急速に冷える体、息は微かに白く煙る。
 見事な庭園に降り注ぐ月明かり。離宮といえども手入れされた庭には薔薇が咲き誇り、そこかしこに見事な彫像が配置され、絵画のように王城内は優美華麗でした。

「そうだね。渇きの壺さえあればね」
 二階の窓で呟く僕に、更に上の方から男性の声が同調して来た。
 思えばいつも、唐突に現れる人。そしていつも僕を助けてくれる人…。

 屋根を見上げれば案の定、耳の長い男性が僕を見下ろしていました。
 アリアハン、イシス、そしてサマンオサでも出遭ったエルフの盗賊、シャトレーさん。月を背負ってにこりと手を振る、いつも通りのどこか人を食ったような含んだ笑顔。

「シャトレーさん…。どうしてここに…」
 エジンベアにいるだけならまだしも、ここは王城内の離宮です。無関係の者が入れる訳も無く、彼が侵入者なのは明らかなこと。
「これから先、協力してあげるって言ったよね?」
 サマンオサで約束してくれたこと。エルフの盗賊は屋根縁に手をかけると窓へと侵入し、冴えない僕の顔を見ては苦笑する。

「すっかり落ち込んでるみたいだね…。お姫様の結婚がそんなに悲しいかい?なんだか君が大変そうだったから、様子を見に来ちゃったよ」
「…………」
 気の許せる人が現れたことで、気が緩んだのでしょうか。僕は意味も解らず涙が溢れる。
「悲しい…のでしょうか。良く解らないです…。もう頭の中がめちゃめちゃで、どうしていいのか解らないんです…」
「…よしよし。話してみなよ。一体何があったのか」

 ぐりぐり頭を撫でて、長命なエルフは未熟な子供の話に耳を傾ける。
 覚束ない説明だったけれど、感情をぶちまけると何処かほっとするのを感じた。

「簡単だね。お姫様は赤い少年に止めて欲しかったんだよ」
「…止められる訳ないじゃないですか。僕にはそんなこと、言えるわけがないです。マイスさんにも釘を刺されているし、王子の邪魔をしないでって言われていたし…」
 姫様に追い詰められながら、頭の中でエジンベア貴族の威圧的な瞳が、言葉がずっと頭の中で回転していた。


「僧侶はただ神に祈っていれば良いのだよ。出過ぎない事ですな」
「邪魔して欲しくないのだがね」



「イシスだけでも災いの種になっていたのに、この上エジンベアとまでなんて…。できるわけないじゃないですか。僕には…何も…!」
「そういう事じゃなくて、お姫様は君の本心を知りたいって言ったよね?周囲を関係なくしたら、少年としてはどうなのかな?別な男と結婚してもなんとも思わない?キスしても?抱き合っても?そういうことだよ」
「…………」
 パーティでのキスシーンを思い出して、不快感がムカムカと胸を押し上げてくる。

「ところで少年。ちょっと話は変わるけど、渇きの壺、探してあげてもいいよ?」
      !!!ホントですかっ!」
  飛びついてしまい、エルフと目が合い、「あ…」と恥ずかしさが襲った。なんだかバツの悪かった僕の様子を見て、軽快にシャトレーさんは笑い転げる。

「少年、素直になった方がいいね。周りのせいにしてないかい?自分の臆病さをさ」
「臆病…」
「壺はなんとか見つけてあげるから。少年は謝りに行ったら?お姫様は今夜も泣いているのかもよ?君を想ってシクシクと」
 そんな事を考えれば、僕の方こそ泣きそうになる。

「…嫌ですよ。そんなの。お姫様はちょっと怒ってるくらいがいいんです」
「これから会いに行こうか。連れて行ってあげるよ♪」

「……はい。会いに行きます」
 素直な気持ち     と言われても良く解らない。
 でもこのままでいい訳ない事は解りきっていた。


 僕は涙を拭いて寝巻きを着替え、エルフに連れられ屋根の上へ。
 部屋にはマイスさんへの書き置きを一枚。
 
 屋根の上を忍び歩きながら、僕はずっと彼女の事を考えている…。


==


 エジンベアの王宮で過ごす初めての夜、パーティ後の入浴で念入りに唇を洗った。
 こんなこともいずれ慣れて、なんとも思わない日が来てくれるでしょうか…。

 弱い心を戒めるように、客室に用意されていた強いお酒を何杯か煽り、私はドサリと寝台に横になる。
 あの王子と結婚はする。でもイシスは彼らの好きにはさせない。させるものですか。

 母上の愛するイシスを奪われたくはない。
 私にしても生まれた国を愛し、誇りに思う。早急に水を返して貰い、それから先はイシスの王女として彼らから国を守ってみせる。

 大丈夫ですわ。きっと独りでも立ち向かっていけますから…。
 結ばれるのは形式の上でだけ。隙を見て王子の傍で証拠を探すつもりだった。

 酔いと心労とが合わさり、眠りはすぐにも傍に迫る。


 礼儀知らずな来客が訪れ、私はしぶしぶ扉を開いた。
「夜更けに失礼致します、姫。エジンベアの夜はいかがですか」
「さすがに疲れました。遠慮して頂きたいのですが…」
 来客は高価な寝具を纏った第二王子でした。なるべくその顔を見たくないと言うのに。

「王子…。何の御用でしょうか…」
 無遠慮に入室する王子に閉口しつつも、早く帰って貰うように気を回す。
「ずっと楽しみにして来ましたよ。この時を。貴女が私のものになる」
 王子の息が、耳にかかる。

「……あ…。私、酔ったみたいですわ。気分が悪いのです。今夜はお帰り下さいませ」
 にじり寄る王子から距離を取り、私は客室の中逃げ場を模索し後ずさる。壁まで、窓辺まで、何処まで逃げても王子の手は触手のように追って来た。

「もう我慢できませんよ、ナスカ姫。一体何年待ったと思っているのです?想像の中で一体何度貴女を愛したことか。今夜それが現実になるのですよ。堪りませんね」
 男の目がにやりと光った。脱兎のように私は扉へ逃げてゆく。
「逃がしませんよ。貴女にもう逃げ場所なんてないんだ」
「嫌っ!離してっ!離しなさい!このケダモノッ!」
 腕を取られ乱暴に引き戻され、暴れて抵抗するのを強引に床に圧し付けられた。覆い被さってくる身体、強引に奪われる唇。

「やめて…!やめて…!」
 プライドは砕け散り、ただの小娘と化してぼろぼろと哀願する。ただこの男がどうしようもなく怖かった。
「可愛いですよ、ナスカ様。愉しませて下さいね…」
 
 今まで守ってきた誇り。夢、希望。恋心。
 未踏の肌を舐め伝い、男は全てを穢してゆく。



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