「穢れた舌」


 開催の花火が打ち上がり、かくしてナルセスバークお披露目セレモニーはテープを切られた。酒樽を叩いて壊し、来客や観光客、住民達へと遠慮なく振る舞い、人によっては頭からかぶったりもする。
 町並みは花飾りや紙テープで装飾され、町の入り口では着飾った娘たちがカゴいっぱいの花束を配り客人を歓迎していた。

 アリアハン、ロマリア、アッサラーム、イシス、ポルトガ、サマンオサ、ランシール、バハラタ、ダーマ神殿、それはもう世界中から要人たちが押し寄せ、何処を向いても有名人ばかり。
 勿論我らが『勇者ニーズ御一行様』も例外ではないんだな。
 今日も今日で人々に旅の話をせがまれたり、サインをねだられたりと大忙しのはずだった。

 問題王国エジンベアもしっかり参加。
 密かに事情を知る者たちの間には緊張が漂う。

 病気療養中の国王は不在だが、王子二人と王女、その側近数名が一際目を引く豪華絢爛さで町をうねる姿は圧巻。港に到着した船も最も装飾が派手。
 彼らが通る場所では自然と人ごみが下がり道ができ、さながら彼らは歩く宝物庫、歩く芸術品と化していた。

 エジンベア陣の中には王家分室の名門貴族、デニーズ家の令嬢ファルカータさんの姿も見える。
 取り巻きが多いために会話を交わすことはできなかったけど、盟主ナルセスと町の考案者グレイさんとはアイコンタクトで挨拶を送る。

「…なんか、元気ないなぁファルカータさん。そりゃそうか?あんな人達と一緒じゃあ」
「…………」
 普段から表情豊かな人じゃないけど、それにつけても彼女の視線は下がり気味で、気分でも悪いのかなと二人で顔を見合わせた。


 この日の所要メンバーの動向を紹介しよう。
 盟主ナルセスは客人達を迎え入れた後、エジンベアの王子達を町へと案内。…本当は俺一人ではなく、ここに助っ人賢者ワグナスさんを入れるはずだった。    んだけど、賢者様はサマンオサ市街戦以降行方不明なんだよね…。
 なので俺一人での案内とドキビクもの。

 グレイさんは元騎士クロードと共にランシールよりの客人を案内。聖女ラディナードさん他なので二人とも大喜び。クロードも久し振りに姉との時間を楽しんでいるはずだ。
 
 ビームは愛想がないので案内役からは外され、町の治安維持担当。クレイモアは兄に見つからないように変装しつつ、花配りガール達のリーダーを。
 このガール達の中にはあのニーズさんの奥さんも立候補して混ざり、当然勇者様に花を渡す係は誰にも譲らず、町に入った途端ニーズさんは帰りたくなったとかなんとか。

 俺の彼女(強調)アニーちゃんも花束ガールのお手伝い。彼女らは交代制で花を配ったり、パーティの給仕などを行う予定。
 
 勇者ニーズ御一行様はと言うと。
 町を歩いて人々に揉みしだかれた後、教会広場でのダンスパーティ、イベントに協力。勇者たちと踊りたい人は多いだろうし、要人たちとの剣術対戦なども見もの。
 ここでは多いに強さをアピールして貰って、こっそりエジンベアが怯んでくれたらいいなぁ。(希望)

 イシスの女王、ナスカ王女、従者マイスさんなどの案内は同郷のイシス貴族ドエールさんが行う。他国の案内役も大抵同郷出の者を配置。
 天候にも恵まれ、順調に事は運んでいた。


     そう言えば、クレイモアとケンカ中の占い師弟の姿を見かけることはなかった。
 お姉さんの方は、しっかりイベントにも協力してくれるんだけどね……。

++

 客人たちの案内は終了し、戻って来た者たちから教会広場での立食パーティへと流れてゆく。給仕の女の子達はそれは忙しく料理や飲物を運び、要人たちはグラス片手に談話に花を咲かせていた。

 この教会広場はその名の通り、三方向にミトラ、ルビス、ラーとの教会とに見守られた緑豊かな一画。中央には三神像の噴水がサラサラと澄んだ音を立て、各教会の建築技術もそれは美しい。
 ここだけで世界に誇れる名所と言えた。

 俺はマイクでパーティを進行しながら、用意していた話題を持ちかける。

「皆さま、もうこの町の教会は拝見されたでしょうか。この美しい新しい教会で、第一号の結婚式を挙げようとするカップルがいるのです。まさに新しい町に、相応しい新しい門出。この町から生まれる新しい夫婦、素晴らしき恋人達を紹介したいと思うのですが、よろしいでしょうか?」

 拍手が起こり、マイクを持つ俺へと視線は集中される。
 隣でグレイさんが唾を飲み込み、ビシリと直立するのに頷き、マイクパフォーマンスは続いた。
「こちらが新郎グレネイドさん。なんとこの町を最初に考案した男性です」
 拍手を浴び、グレイさんはしこたま頭を下げて照れ笑い。
「そしてお相手、新婦は……。エジンベア、デニーズ家のご令嬢、ファルカータさんです。どうぞこちらに!」
 こちらにも拍手が沸き立ち、指名された彼女はしずしずと広場に用意された壇上へと上がる。

「…………」
 暗色系のドレスに身を包んだ彼女は、祝福の拍手が鳴り止むのを静かに待った。
     そして、悲しそうに睫毛を下げて呟く。
「…ごめんなさい。グレイ…。あなたとは一緒になれないわ」

「ファ…………」
「ええっ……!?」
 有り得ない、否定。
 パーティ会場全体に冷や水を打たれ、俺も二の句が告げずに凍りつく。


      どれ位の間、場は静まり返っていただろうか。
 たった一人、静寂を破ってエジンベアの王子が哄笑を始めるまで。

「アハハハハハッ。皆さま、驚かせてしまいましたね。大変失礼致しました」
 何を言っているのか解らないが、エジンベア第二王子ジョナサンは笑いをたたえながら壇上に上り、俯いたファルカータ嬢の肩を抱く。

「このような素晴らしい席で紹介できることを光栄に思います。私、第二王子ジョナサンはこの度、デニーズ家の才女ファルカータ嬢を妻の一人として迎え入れることに決定致しました。今まで内密していましたが、実は本日ようやく承諾を頂いたのです」
 一人愉しげに演説する王子に、要人たちは戸惑いながらも祝福の拍手を贈る。

 ファルカータの兄、デニーズ家の当主トマホークは小太りの身体をゆすりながら拍手し、いらない歓声まで付け加えて囃す。
「おめでとう御座います王子!とてもお似合いの二人ですな!」
「ハハハッ。ありがとうトマホーク。私も嬉しいよ」

「…………」
 悔しそうに震える俺達を知ってか知らずか、王子は彼女を見せ付けるように抱きしめ、彼女までそっと王子の背中に手を回した。

「ナルセス盟主、実に素晴らしい教会だ。私達の結婚式をここで挙げることも検討させて頂きたいが、どうだろう?」
「なっ……!」
 俺の横には、絶望の底に叩き落されてしまったグレイさんの呼吸が聞こえてくる。

「おお!それは素晴らしい案ですな!実に結構なことですぞ!」
「素敵ですわ兄上」
「実にめでたい」
 エジンベア王家とトマホーク宰相は勝手に盛り上がり、悪魔じみた微笑で俺を追い詰めてゆく。
 どうにかして反撃したい。しかし      


 大衆の面前で振られてしまった恋人は、「何故?」と言わんばかりの視線を必死に彼女へと向けていた。
 抱きしめる王子に気づかれないように、そっと視線を流した彼女は、諦めたように顔を王子の胸元に沈めてゆく。彼女が好きでそんな事をするわけがない。
 きっと何か理由があるはずだった。何か弱みでも握られているのか……。

「…ナルセス君。…ごめん。ここは…、流して……。きっと理由があるんだ。だから…」
 グレイさんはそのまま反回転して、壇上から降りて行った。見ていられない後姿。

 …なんでだ。
 なんでこんなことになるんだ……!


「おおっと、実はそのカップルとは私自身のことでした!いやぁ、失敬失敬!」
 王子の質問には答えず、俺は無理やり仕切りなおし自分の彼女を呼び寄せる。
「アニーちゃん、仕事いいからこっち来て!」
「えっ!?突然なにっ?」
 給仕中だった幼なじみの恋人を引っ張り上げて、場を盛り上げ直し、さっさと次のプログラムへと移行する。


 姿を消したグレイさん。
 王子に肩を抱かれたままのファルカータさん。

 平面上は楽しいパーティのまま。俺の心中は苦虫噛んでいた。

++

 予定が狂い、それ以降の商人ナルセスには焦りの色が見えていました。
 裏事情を招待状で知っていたのに何もできず、憎憎しげに問題の王子を横目で睨む。

 エジンベア王家とは縁遠からぬ、我がイシス王家。
 病床にある国王とは母が親しく、王女の私も国王様には好意を抱いていた。

 しかし三人の王子たちは例外です。
 特に嫌味な笑顔がいやらしい、第二王子ジョナサンは吐き気を催すほどに嫌悪の対象でした。
 美形と称される容姿ではあるのですが、一緒にいると不快感を覚える。鼻にかけた物言いや、いちいち嫌味がましいのが気に障る。
 本日もこちらから挨拶に向うこともなく、パーティ会場でもずっと彼らから距離を保ったままでいた。


 王子は婚約者と一緒に各国の王たちを挨拶して回っていた。
 少しして妻を退場させると、ふとこちらへと足先を向ける。
「これはこれはナスカ姫。暫く会わない内にまた一段と美しくなりましたね。見違えましたよ」
「それはどうもですわ。ご結婚おめでとうございます」
 皮肉たっぷりに微笑み、そっけなく離れる。

「つれないですね…。私の気持ちもご存知でしょうに。もしかして側室が増えることに妬いて下さっているのですか?」
「まさか」
 一夫多妻制のエジンベア王家、ジョナサン王子にはすでに二人の妻があった。どちらも王家分室の娘であり、身内で婚姻を繰り返し結束を固めている。

 どういうつもりなのか、ジョナサン王子は執拗に私にアプローチを繰り返していた。
 十近くも年の離れた私に対して、それはマメに贈り物や、手紙を送ってくる。だからこそ私は、この得体の知れない優男が嫌いなのかも知れなかった。

「以前から話している通り、私の心は貴女一人のものですよ。それなのに姫はいつも素っ気ない素振りを。いつになったら私の恋は届くのでしょうか」
 王子には目もくれず、私は給仕の振舞う果実酒に舌鼓を打つ。しつこく王子は付きまとい、許してもいないのに肩にふれると耳元で愛を囁いた。

「気安く触らないで下さいませ。いつもそう話しているではありませんか!」
 キッと長身を睨み上げ、「フン」とそっぽを向いて足早にテーブルを移る。母上は他国の王と会話中のため、私は連れて来た従者の影へと隠れた。

「そう怒らないで下さいナスカ姫。膨れた貴女も大変可愛らしいため、ついつい出過ぎてしまう私をお許し下さい。…おや、この楽曲はイシスのものですね。姫様一曲踊って下さいませんか?」
「お断り致しますわ」
「…………」
 間に挟まれる赤毛の従者は、もう慣れたように王子に軽く敬礼する。

「毎回熱心なことですね。ジョナサン王子。わがままな姫をお許し下さい」 
「マイス神官もご一緒でしたか。あなたからも姫に頼んで下さいませんか?束の間姫のダンスパートナーとなりたいのですが」
「姫は色気より食い気のようですから。王子の相手にはまだ早いようですね。あちらの貴婦人達を誘ってみてはいかがでしょう」

 何分かやり取りした後、言い負けてしぶしぶと王子は退散していった。
「…ふう。まったく、しつこい男ですわ」
「……姫も厄介な人に気に入られたものですね。また来ると思いますよ」
「冗談じゃないですわ!」
 身震いして、そそくさとドレスの裾を持ち上げ退散してゆく。不快感を消し去るべく、足は意中の相手を探す。


 彼は信者に囲まれていたけれど、不躾に私はその手を引っ張った。
「ジャルディーノ、私と踊りなさい。命令です」
「えっ?踊るんですか?」
 旅の話を求めていた人垣から攫い、赤毛の僧侶を踊りの渦へと巻き込んで行く。相変らずぎくしゃくしながらも、同郷の有名僧侶は一生懸命ステップを踏んだ。

「…ジャルディーノ、今日のドレス、どう思います?」
「…え?ドレス…。すごくお似合いです」
 会場に彼が訪れることも知っていたから、特別に新調して来た藍色のドレス。普段は好まない肩や背中の開いたデザインで、少し『大人っぽさ』を感じてくれたら良いのだけれど……。
「…当然です。…他には?」
「え?ほ、他ですか?えっ、えーっと……っっ」

 気の効いた台詞も聞けないまま、音楽は終わり、ため息は寂しさと一緒に零れて落ちた。
「…ジャルディーノ、少しの間私とお話して下さいね。その位は良いでしょう?」
「はい。それなら」
 多くは望まない。僅かな時間でも、向き合いながら談笑できることに感謝しましょう。
 給仕より飲物を受け取ると、マイスのいるテーブルへと帰路につく。


「おおっ。…とっ!……!」
「ああっ!すみません!大丈夫ですか!?」
 後からついて来るはずの、ジャルディーノが慌てて謝る声に振り返った。
     振り返って、目の前の人物に「ぎょっ」と血の気を失う。

 うっかり人にぶつかって飲物を零し、僧侶少年は貴族男性にひたすら頭を下げていた。
 赤茶系の長髪を派手な金細工で一つに束ね、赤と金の派手な衣装で今にも転がりそうな丸い肉体の男性。衣装、指輪、ピアスと全身に惜しみなく宝石を纏い、歩くだけでジャラジャラ嫌な音が鳴る。

 エジンベア王子の相棒、デニーズ家の当主トマホーク。
 最低な人物にぶつかってしまった…。

「一体どうしてくれるのかね?この日の為に用意した特別嗜好のスーツなのだよ?生地も宝石ももう手に入らないのだがね!」
 トマホークはクルリとしたヒゲをつまみながら責め立て、そんな事されたら腰の低いジャルディーノは平謝りに決まっている。
「すみません!あのっ、あのっ…!…弁償します!」
「ほう。そうですか。それは良かった。そうですね…。この衣装、あと指輪、靴も汚れましたね。下のシャツまで染みています」
 警戒しながら私はジャルディーノの後ろへ。
 
 トマホーク=デニーズは信じられない弁償額を提示してきた。
「では20万Gほど。速やかにご用意下さるように」
「20万!?」
 ジャルと私の声が重なり、同じように二人とも青くなる。
「そ、そんなに高いのですか。…ど、どうしよう…」
「おかしいですわ!そんな高額有り得ませんっ!せいぜい5万程度でしょう!」
「これはナスカ姫様。姫様のお付き添いの僧侶でしたか」
 したたかに彼を侮辱し、貴族は仕草は嘆き、瞳は不気味にせせら笑う。
 
「…考えても見て下さいませ。このような祝いの日に、予期せぬ不幸に見舞われてしまった私の傷心を。服を汚されてしまった辱めを。私はいたく傷ついておるのですよ。それを思えば、20万などまだ足りぬ位ですな」
「何を馬鹿なことを……!言いがかりもいいところですわ。払う必要ありません、ジャルディーノ!」

 20万G(ゴールド)と言えば、高級なドレスが十着は買える。とてもすぐさまジャルディーノに用意できる金額ではない。
「で、でも……。服を汚してしまったのは確かですし……」
 
「おやおや、一体どうされましたか?ナスカ姫」
 嫌な男はもう一人、示し合わせたかのように現れた。
 さも困ったようにトマホークはジョナサン王子に事情を説明し、王子も芝居がかって話を聞く。

「確かにそれ程の高額、一庶民の僧侶さんには用意できないよねぇ…。年単位で貸しにしてあげたらいいんじゃないかな」
「さすが王子。お優しいですな。私なぞ思いつきもしない名案」

「あれ〜?良く見たら、君は良く姫様と一緒にいる僧侶さんだね?」
 困る赤毛の僧侶を上から見下ろし、王子はぞっとするほど白々しい。口ぶりは優しく、けれど瞳は確実に脅迫している。

「いつも私が断られているのに、姫様とダンスをしている僧侶さんだね?今年の姫の誕生日でもそう。前の年でもそう。その前の年もだ。君は姫と一体どういう関係なのかなぁ…」
「……えっと、それ、は……」
「ちょっと、やめて下さいませ!」
「羨ましいな。私など今日も断られてしまったよ。君は先程も踊っていたようだね。実に羨ましい。実に羨ましいな……」

 ジャルディーノに向けられる瞳は欠片も笑わず、僧侶は何も言えず小さくなる。私は怒りにふるふると震え、ぎゅっと両手を握りしめた。
 相手は何度も少年をねめつけ、「羨ましい」「羨ましい」と繰り返す。
 相手の要求は明白だった。


「……踊りますわ。王子と」
 
 なんて憎らしい……!
 噛み付くほどの視線を受けながら、ジョナサン王子は「待ってました」と感極まって破願する。
「本当ですかナスカ姫!これは嬉しい。ついに念願叶う時が来たのですね」
 にこにこと王子は私の背中を抱き、屈辱を耐え忍ぶ私のこめかみにキスをする。

「ほお!これはめでたいですな!王子の長い片想いに終止符が打たれる日も近い。少年もそう思うであろう?」
「…………」
「姫が私と踊ってくれる。これは記念すべき日だ。とても気分がいい。こんな日に困った少年を放っておくのは実に気分が悪いことだ。トマホーク、私に免じて、少年の債務を免除してはやれないものだろうか」

「なんて慈悲深いお言葉!このトマホーク、感慨に胸打たれましたぞ!少年、喜ぶがよい。王子の優しさによって私の心は癒された。よって君への請求は無効としようではないか」
「…あ、ありがとうございます……」

 悪夢のような請求は去った。しかし王子に肩を抱かれ、エスコートされる私を見送る僧侶の神妙な表情は崩れない。
「ところで少年。君は姫様と噂があるようだがね…。まさか本当のことではないのだろうね」
 少年の耳元で、そっと低く、悪魔の囁き。
「王子はナスカ様を愛しておられるのだ。君のような不貞の輩に邪魔されたくはないのだがね。勇者と共に世界を救って、英雄として姫と…と、国は沸いているのかも知れないがね。僧侶はただ神に祈っていれば良いのだよ。出過ぎない事ですな」
「…………」
 トマホーク=デニーズは宝石をジャラジャラ鳴らしながら、着替えるために広場から離れた。
 

「…あの、もう少し離れて頂けませんか?」
 キツイ香水の匂いに顔をしかめながら、私の身体は常に王子との触れ合いを拒否している。それを捕まえるのが快感なのか、王子の手はいやらしく腰を引き寄せ離さない。
「どうですか?この後我が国の船でアフタヌーンティーでも。姫の為に特別な茶葉を用意しますよ」
「結構ですわ」
「またつれない。困りましたね。傷心の余り、ラーの神殿に弁償額を請求してしまうかも知れません。彼の父親は真面目な方ですから、親子必死になって工面するかも知れませんね」
「なんですって…?あなたまだ……!」
「ほんの冗談ですよ。フフフ…」
「…呼ばれ、ますわ…。今日一日お付き合いします。それで許して下さい」
 本気なのは明らかだった。私が我慢すれば、ジャルディーノに被害が及ばないのなら……。
 きっとこの男は彼に嫉妬し、こんな機会を狙っていたのでしょう。
 自分にも責任があることも解っていた。反省し、今日一日は我慢する。

「おおっ!今日は最高の一日だ!愛しておりますぞ姫!」
「きゃっ!きゃあっ!!」
 踊る男女の中で突然抱き上げ、興奮して王子は断りもなく何度も交互の頬にキスを施す。避けないと唇に触れそうで必死にかわした。
 
 それから船の発つ夕刻まで、ずっとこんな調子で………。

++

 暮れゆく港で、俺はずっと彼女の事を待っていた。
 エジンベアの船は一目で判るから、その船の傍でずっと……。

 西の空は暁に染まり、祭りの終わりを告げるように何処か寂しい。これから夜には夜のパーティがあるが、エジンベア勢は早めに帰国の予定になっていた。だからここで待っていれば、必ずファルカータに会うことができるはず。

 人影のない夕焼けの港、ぼんやり途方に暮れているとやがて数人の影が伸びて来た。従者と共にトマホークとファルカータが船へと戻る。その道筋を阻み一人の漁師が手をついた。
「お願いです!ファルカータと話をさせて下さい!少しだけでいいんです!」

 懇願に、なかなか返事は訪れない。ファルカータもトマホークも沈黙し、止まった爪先を動かさすに数秒の時を無駄に流す。
 トマホークは「ふむ」と一言唸ると、従者達を数歩後方へと下げさせた。
 痩せた男は手をついたまま、まだその顔を上げることはない。

「…お兄様。少しだけ、よろしいでしょうか」
 兄に許可を貰い、ファルカータはそっと屈むと手を差し伸べ俺を立たせてくれた。見上げた彼女の瞳は微かに水分を含み揺れていた。
 彼女の今日の行動も、悲しそうな仕草も、全てたった一言で説明がつく。

「あなたのお母様が、捕まっているの……」


 だから彼女は、あんな事を………。
 申し訳なさそうに告げた彼女は、自分の罪のように頭を下げる。その額が俺の胸に当たって、たまらずに強く彼女を抱き寄せた。

「君キミ、いかんね。ファルカータは大事な王子の婚約者なのだよ。勝手に汚い手で触らないでくれたまえ。商品価値が下がるであろう」
 何から罵倒していいものか、迷うほどに怒りが頭を突き上げて燃える。トマホークは葉巻をふかし、杖で俺を指して嗜めた。

「君の母親が病気と聞いてだね。こちらで看病して差し上げようと思ったのだよ。まぁ安心したまえ。式が終わったら元気に戻ってくるだろうから」
「…………」
 果たして本当にそうだろうか?ただ看病しているだけなら、ファルカータが詫びる必要はない。こんなに辛そうなはずが無かったんだ。

「君には、ファルカータがとてもお世話になったようだからね。これはそのお礼だ。受け取りたまえ」
 肥えた貴族はポケットから札束を取り出し、俺の足元に乱暴に放り投げる。
「…いりません。そんなもの」
「おやおや。君も交渉上手だね。ならばこれでどうかね」
 反対のポケットから再び札束を取り出し、同じように足元に投げ捨てた。

「…どうして、あなた達は…。そんな事ができるんですか。人をなんだと思ってるんだ…」
「金欲しさにファルカータに近付いたのだろう?小汚い野良犬め。さっさと拾って何処へでも消えるが良い」
「………!    っ!」
 怒りに飛び出す身体を、ファルカータが掴んで止める。彼女は小さく首を振って、必死に俺の憤りを鎮めようと抑えつけた。

 そこへ、港の倉庫裏から新しい集団が子供を連れてやって来た。
「ビーム!」
 ボコボコに殴られ、手足を縛られた弟が俺の前に投げ出される。そのまま新しく現れた騎士達はトマホークの元へ。
「抵抗したので縛っておきました。例のものはこちらに。やはりこの男の元にあったようです」
「ふむ。やはりな。ご苦労であった」
 手渡されていたのは小さな印章ケース。…確か、エジンベアを発つ際にファルカータが俺に預けた品物。彼女は「捨ててもいい」と口にした。

「兄貴…!コイツら勝手に人の家に押し込んで…!おかげで家の中が滅茶苦茶だ!」
 膝を折り、傷だらけの弟を俺はそっと抱き寄せる。

「これでようやく婚姻の書状に判が押せる。手間をかけさせおって。…何しろ、当家では各自が印を持っているものでね。これが無くて困っていたのだよ」
 捨てていれば良かった。激しく後悔しても、もう後の祭り。

 ここにはもう用は無いと告げ、トマホークは船へと向う。ファルカータもそれに続く気配がして、俺は立ち上がって真っ直ぐに見つめた。
 もう二度と、こうして見つめ合えないような予感に息が苦しくなる。

 出逢った時と同じように、揺れる波間を背負った彼女。いつまで経っても悲しそうな景色は変わることはないのだろうか。

「今までありがとう。…楽しかったわ…」
 逆光を背負い、彼女の顔が良く見えずにぼやけてしまう。
「ファル……!」
 細い身体を抱きしめて、このまま二人で逃げたかった。そう思って逃げたのがこの場所じゃなかったか?
 逃げれば、俺の母親は殺されるだろう。逃げることは叶わない。

「さよなら…」
 冷たい頬を暖めるように、そっと柔らかい唇でふれた。
 全力で守りたいと思った彼女が、静かに離れ、二度と掴めない遠くへと消えようとする。沈みゆく夕陽と重なって、二度と夜は明けない気がした。

 彼女の背中が離れてゆく。
 考えなしに、俺の足はもつれるようにして後を追った。先回りして、もう一度トマホークの前に両手をついた。

 最後の、なけなしの願い。

「お願いです!彼女を自由にして下さい!金や身分なんて要らない!ただ彼女を放っておいてくれるだけでいい!お願いです……!」

 貴族に手をつくことなど恥ずかしくは無い。辛くは無い。
 それ以上に辛いのは彼女をこのまま閉じ込められてしまうこと。

「何故、私が君のような下賎の者の願いを聞かねばならんのだね」
 ついた手に、グサリと杖の先端が食い込む。トマホークは容赦なく杖を圧し付け、血が滲み骨が悲鳴を上げた。

「お願いです!ファルを……!」
 悲鳴をこらえ、俺はそれでもなお願う。
「うるさい蝿だ」
 咥えていた葉巻の火を、俺の頭にグリグリと押し当てる。熱に髪が焦げ、煙がブスブスと鈍く昇る。
 「人」への扱いではなかった。

「……兄貴に何しやがるんだっ!このブタ野郎!」
 まだ縛られたままのビームは吠え、罵られたトマホークの眉がピクリと跳ねた。
「このまま兄弟二人、海の底に沈められたいようだね」
 庶民を何人も惨殺してきた宰相に、今更何の躊躇も無い。全身引き裂いて魚の餌にするか、生きたまま焼き討ちにするか、凶悪な選択を脳内で巡らせほくそ笑む。

「お兄様、やめて下さい。私は、王子と結婚します。これ以降、あなたに何一つも逆らいません。ですから……」

 兄の不穏な言葉に反応し、ファルカータは悲しい言葉で俺達を庇った。
「それはいい心がけだ。…無駄な時間を過ごしてしまったな。王子を待たせてしまう」
 葉巻を投げ捨て、トマホークは大仰な態度で船へと消えた。

「グレイ…。あなたのお母様は、必ず無事に帰します」
 最後にそう告げて、手をついたまま起き上がれない俺をそのままに、遂に彼女は船へと姿を消してしまった。

 とてもじゃないが、顔を上げることができなかったんだ。
 余りに悔しくて。余りに情けなくて。余りに悲しすぎて。
 鼻水も涙も入り混じり、全てのものがボロボロと零れ落ちて床の上に沁み拡がる。
 
 気持ちだけなら、誰にも負けない自信があるよ。誰よりも君を想ってる自信がある。
 でも、それだけじゃ君を守れない。君の為にどんな海でも飛び込めるし、どんな苦労だって厭わない。
 心一つ、身体一つ。でも俺にはそれしかなく。
 
 結局何もできなかった。


「気持ちだけじゃ、君を守れない……!ファルカータ…!ファル…!」

 やがて完全に陽は堕ちた。
 夜の海はただ深く、どこまでも果てしなく。
 覚めない悪夢のように暗くたゆたい続ける。


++


 船は夕闇を裂くように進み行く。
「いやはや。実に楽しい一日だった。まことにナスカ姫は可愛らしい」
 茜空を背景にご満悦な王子は、終始思い出し笑いを繰り返してニヤニヤしている。
「あのような生意気なじゃじゃ馬姫、どこが良いのか私などは解りかねますが…」

「馬鹿だな。そこが可愛いのじゃないか。この私を引っ叩ける女性は稀だよ?まして一国の王女ともなればまた珍しい。悔しそうな表情がゾクゾクするよ。彼女も十四歳か、そろそろ摘み時かな……」
「王子も好きですな……」
 人を払った甲板の隅で、男性二人は声を含んでクツクツと笑い合った。
 弱い魔物など逃げ出すほどの、邪悪さを人の身でありながら体内に宿す者達。

「以前より考えていた行動に入ろうか。ああ、楽しみだなぁ…。一体どんな顔で僕に噛み付いてくることだろう?ククク…」
「砂しかない王国ですからな。手に入れてもさほど価値があるとも思えませんが…。帰国後すぐに手配致しましょう」

「確かに、あんな埃っぽい国に価値はない。しかし王家の財宝はあなどれないな。まぁ、簡単に手に入るものなのだから、手にしておこうと思うだけだ。私のコレクションの一つに『国』が加わるね」

 船に揺られる王子の微笑みは、人と言うより、どこか『獣』に近かった。
 狩るのはイシスの宝石。そしてそれに付随する、砂の王国。



舌は火。
舌は不義。
舌は疲れを知らない悪。




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