「きっと飛ぶために」

「それでな、元ニ…。お前に確かめたい事があるんだ」
 唐突に、翼竜の生き残りは笑顔を消して、眉を潜めて瞳を細めた。

「うんと…悪いな。二人にしてくれないか」
 アドレスは賢者とリュドラルを部屋から退室させて、僕と二人きりになる。
 ベットの上、半身起こしただけの僕の横で、彼は難しい顔で言いにくいのか、一度躊躇ったのちに話し始める。

「お前、何処かで大魔王に会わなかったか…?」
「………」
「その時に、…何か、されなかったか?」

    ズキリと、身体に何か亀裂が入った気がして、無意識のうちに自分の手は胸を押さえていた。
 血の気が失せて、白い顔の僕は息を飲み込む。

 …解るんだろうか。この竜の生き残りには。その卓越した感覚によって。

「あなたの命も心も、未来も、永遠に私のものですわ…。
クスクスクス…」

「大魔王か、は、知らない…。ユリウスは、死神は、   
 彼女なら、確かに僕に『何か』をしていった。
 僕の中から取り出した光の玉に、口付けて、また僕に還した。
 その時から、自分の中にあの死神が棲んでいるような恐怖がずっと拭えない。嫌悪感と、恐怖と、死の足音は常に目を伏せても耳を塞いでも消える事はなかった。

 胸をかきむしって、掴み捨てたくなる。口の中に手を入れて、引きずり捨てたくなって物を吐く。頭を強く打って、全てを忘れたくなる。
 ずっとそんな衝動の繰り返しだった。
「…悪いな。嫌な事思い出させちまって。…元ニ、そのユリウスって女が何者かは知らねーが、確かにお前の中には大魔王と同じ波動の闇が隠れてる。埋め込まれたって言った方がいいのか」

 にわかに、平常心で受け止められる話ではなかった。
 冷たい夜の空気以上に自分の心は凍りつく。
 狂気が込み上げる、嵐の前の静けさ、  心が壊れる警戒を覚えていた。

「だから、お前、能力を抑制されているんだ。思うように動けないし、動かせないように鎖をかけられている。徐々に徐々に、闇はお前を蝕もうと狙ってる。現に…」
 アドレスの紅い瞳は、あの死神と色は似ているのに、何故か煌々と熱い闘志を見せていた。底冷えするような、不気味な怪しい光ではなく。

「俺がお前を襲ったのは、お前の中に闇が見えたせいだ。あの時、それが強く見られた。何か解らないが、お前の心が憎しみ、嘆きに捕われていた時……」
 心当たりがあるせいで、僕は唇を噛みしめて視線を反らす。

「俺が現れなかったら、どうなっていたか解らない。訊いておきたいんだ。お前は見たところ温厚だし、優しい感じだ。そんなお前が憎むものって何なんだ」

 全身に緊張が奔り、僕は手に力がこもり、掴んだ毛布を握りしめる。
 気がつけば、今まで、どんなに憎んでも
 この思いを他人に吐き出した経験はなかった。
 母親にさえも、弟同然のニーズでさえも。

 長い、長い辿った記憶、憎しみも嘆きも悲しみも、傷みもまざまざと昨日のことのように覚えている。
 憎み始めてから、その名前を口にすることもしなくなっていた。
 名前を口にするのも許せなかった。

    闇。悪しき心だと、理解してはいる。
 憎しみなんて死んだ奴相手に、いつまでも抱えているだけ辛いだけだと。
 父親を斬りつける僕は邪悪なんだろうな。
 何処の誰もが僕を認めないだろう。責めるかも知れない。
 親不孝者。
 でも    


「ごめん…。これだけは、消えそうにないよ。大丈夫…。あの時は、たまたま嫌な幻を見たんだ。だから取り乱した。…もう、あんな事は…」
「なんで笑うんだよ」
 無意識に、条件反射のように染み付いていたクセが出て、アドレスに言われてハッと僕は動きを止める。
「だから、心配しないで。大丈夫だよ」
 と常套句のように、そこに言葉は繋がったはずだった。偽者の笑顔で。

「……。言えないか。まぁ、会ったばかりだからな。いつか、でも、話してくれ。俺じゃなくてもいい。お前はもっと話すべきなんだ」
「………」
 ただ、僕は静かに苦笑をかみしめた。

「話は変わって…。確かに闇は埋め込まれているんだがな、俺ならその闇を抑えられる。長年ずっと大魔王の通った道の跡で生きてきたからな。多少は耐性と防ぐ術を覚えているんだ」

「………え…」
 躊躇いは、軽く顔を柔らかくさせて、目が合うアドレスはにかっと笑う。
 ベットの横の椅子から立ち上がり、ベットに座りなおして、横顔は誇らしそうに遠くを見つめる。
「あそこでは、お前も見たとおり幻を見るだろ?二つの世界を繋ぐ狭間、次元がちょっとおかしいからな。過去、未来、多少歪んで見えるみたいなんだ。同志たちの記憶も、思いも、俺は夢のように自分の記憶のように見続けてきた。過去の竜族の叡智、継承してるのが俺ってワケ」

「……。ま、さか…。抑えられる…?」
 信じられなくて、自信満々なアドレスを見つめる僕の身体は小さく震えた。
「ま、任せろ。だいたい、光の玉を創ったのは竜族なんだぜ?」

 鼻も高く言ったかと思うと、アドレスは小さな竜の姿に変化し、僕をベットに横にさせると、自分の指を少し噛んで血を滲ませる。
「ふに、ふに」
 指示されて胸を開けて、血の付いた指は僕の胸に守護印のような文字を書き記していった。

        !」
 いつもの「ふにふに」ではない、咆哮にも似た声を上げて、翼竜は両手を拡げて僕の身体に力を及ぼす。

     。フ、アアアアア…!クァ   アアアアア!」
「あああっ!うっ、あああああああ!!」

 自分自身が、聖なる雷の呪文を浴びせられるような感覚、アドレス以上に僕は震動に声を上げて、迸る光に気を失いかけていた。
 細く見つめた視界に、映る竜の姿も苦痛に歯を喰いしばり、わなわなと衝撃に耐え震えていた。

 痺れが消えないまま、身体の中に熱がこもり、暫く僕は微かに呻きを繰り返していた。人の姿に戻ったアドレスは、ぐったりとベットにもたれて息を整える。
「はぁ、はぁ…。これで、何とかなる。…今日はこのまま休め、元ニ。今晩は苦しいかも知んねーけど、明日以降うんと楽になるからな」
「……。アドレスは…、平気?ありがとう…」

「ちょっと疲れたけどな。じゃあ、おやすみ」
 開けた服と、布団を直して、汗を拭いたアドレスは静かに部屋を去って行く。
 苦しさは    無く、不思議なほどにゆったりと僕は眠りに落ちていった。
 ここまで安らかに寝付くのは覚えてる記憶の中にはまれだった。

 眠りにつく僕は知らないが、部屋を出たアドレスはそのまま廊下の壁に寄りかかり、ずりずりと座り込んだ。
 そこにはまだ賢者とリュドラルが居たままで、心配そうにアドレスの容態を伺う。
「大丈夫ですか?何をしたのかは解りませんが…。竜の技法を何か使ったようですが」
「アドレス君…。すごい熱だよ!すぐに休まないと…!」
「シッ…。元ニに聞こえる」
 声を咎めるアドレスは無理やり立ち上がって、自分の部屋へと歩き始めた。すぐさま支えるようにリュドラルが肩に手を添える。

「……。アドレスさん、あなたは…。いいのですか、こんな事をして」
 送るのを手伝いながら、賢者ワグナスは事態を察したのかアドレスに忠告をもたらそうとする。
「呪いは消えた訳じゃありません。あなたは…、元ニーズさんからダメージをあなた自身に移し変えようとしたのですか」

「賢者たるもの、優先順位は分かると思うんだけどな」

 竜の生き残りは臆す様子もなく、淡々と現実をそのまま口にする。
 さすがの賢者もリュドラルも、彼の決意と覚悟を感じ取ると無言にならざるを得なかった。

「……。俺は、元ニが先に進むためなら何だってする。俺と人との生命力は格段に違う。これで勇者が自由に動けるなら、お安い御用だ」
 壁に手をついて自室に戻って行く、彼の見せる笑顔には疲労が濃く、高熱に息は上がっていた。

「敬服しますよ。やはり竜は偉大な種族です」
 高熱のままベットに倒れ込むアドレスに賢者は何度か回復呪文をかけ、リュドラルは夜に現れる姉と交代で彼の容態を見守っていた。

 僕の「苦しみ」を、
 隠れて背負うことにした竜の生き残り。

 僕にその負荷を決して見せることのない、彼は本当に優しかった。
 彼がくれた心緩やかな夜に、僕は静かに揺られていた。

++

 翌朝、目覚めた僕は自分の身体の軽さにそれは驚いた。
 こんなに気分がいい朝もそうそうなくて、カーテンを開けた先の陽光も信じられないくらいに心地がよかった。

 いつもは余り食欲がない朝も、珍しく食べ物が喉を通る。
 そんな横で、朝食に食堂に遅れてやって来たアドレスが不調そうで、心配した僕は声をかける。
「アドレス?もしかして具合悪いの?僕の方はすごく気分がいいんだけど…」
「んん?ああ…。昨日喰い過ぎたせいでちょっとなぁ…」
「そんなに食べたの?」
「人の飯が珍しくてついついガツガツと…。ははっ」
 軽く人並みに食事をしながら、アドレスは頭を掻いて軽く笑い飛ばす。

「元ニーズさんは快調なんですね。ちょっとまた訓練してみましょうか」
 朝食には賢者ワグナスもいて、以前のように鍛錬しようと誘って来る。
「…はい。いいですよ」
「多分、もう、魔法も好きに撃てる。好きに動けるはずだ」
 多少気分悪そうに頬杖を付きながら、言うアドレスに僕は半信半疑で頷く。
「……うん」
 アドレスは早々に部屋に戻ると席を立ち、僕たちはそのまま少し休んでから、庭に訓練に出かけて行く。


 別館にも聖女だけが個人訓練をするような、訓練場がささやかながら用意されていた。訓練用の刃のない剣を携え、僕は久し振りにここに訪れる。
 弓を手にしたリュドラルも横に、賢者の杖を手にしたワグナスさんもにこにこと陽光を眩しそうに降りてきた。

「いいお天気ですね。まずは準備運動と、基礎体力作りといきましょうか♪」
 身体を軽くほぐして、腕立て伏せ、腹筋など。
 面白い位に気持ちいい汗を流す。

「…すごいな。やっぱり、体の中から違いが分かるよ。心地好い疲れなんだよね。今までの、重い疲労や、息苦しさじゃなくて…」
「そうですか。良かったですね。これから思う存分戦えますね」
 柔軟運動のために背中を押す、リュドラルは嬉しそうに、立ち上がった僕に笑顔で剣を手渡す。
「遠慮せず、思い切り打って来て下さっていいですよ。元ニーズさん。全力で打って来て下さい」
「では行きますよ、ワグナスさん」

 僕は刃のない訓練用の銅の剣で、杖を操る賢者ワグナスに打ち込んで行く。
 はっきり言えば、何度か打ち合いした賢者には勝った試しがなかった。身のこなしも尋常ではない賢者は、余裕しゃくしゃくで全ての剣戟をホイホイと受けてゆく。

 これまでと違うことは   
 今までは頭で考えても、その通りに体を動かす事ができずにいた。
 無理をして、倒れて、無様な姿をさらす事を嫌った僕は、いつからか行動を制御するようになっていたんだ。
 倒れない程度に、いつも力を抑える、本気で、無我夢中に剣を撃ち出したことはない。でも、今ならそれが可能になる…?

 アリアハンにいる頃、城に通って剣技の訓練に励んでいた。
 技量に特別過失があったわけじゃないけれど、圧倒的に僕には体力と力が欠けていた。そこに打ち込めばいいと見定めても、手が出せなかったのがこれまでの自分。思う通りのステップと、フェイント、そして踏み込みに自分でも感動を覚える。

「おっとっと…」
「ハアッ    !!」
カキィ   イン   
 油断が残っていたのか、少しよろめいた賢者に振り下ろして、杖を取りこぼした所を薙ぎ払う。

「アイタタタタっ」
 ひっくり返って痛みに呻いた賢者は、
「あはははは。やられちゃいましたねー。お見事です♪」
 といつもの様に満面の笑み。
 初めて勝った僕は暫く、呆然と剣を構えて棒立ちしていた。おそらく、自信を持たせるためにわざと負けたのだろうとは思いながらも。

「わああああっ!!勇者様素晴らしいです!!!」
 そこへ転がるように歓声を上げて、一人の少年が神殿から飛び出す。拍手を連打して、キラキラ羨望の眼差しを向けてやって来たのは聖女の弟だった。
「見てましたよ!賢者様を倒すなんて素晴らしいですね!ヒドイですよ勇者様!実は強いんじゃないですか!能在る鷹は爪を隠す、ですね!」

「……。いや、あのね。クロード…」
 一方的に感動に震えるクロードに息を整えながら説明しようとするけれど、思い込みの激しい彼はキラキラしながら、嬉しそうに申し込んでくる。

「あの、勇者様、僕も是非手合わせお願いします!是非是非!是非!!」
「………」(汗)
「いいじゃないですか。元ニーズさん」
「……。はい…」

 クロードとは手合わせの経験はない、と言うか持たないようにしていた。
 彼への複雑な思いから、万が一負けてしまうのも耐えられないし…。人並みに騎士としての訓練に参加しているクロードは剣において落ちこぼれでもなく、それなりに基本はこなす。(実際に魔物と戦った経験は圧倒的に少ないけれど)

 負けたらどれだけの屈辱を味わうか、分かったものじゃない僕はずっと打ち合う事を避けていた。
「……。いいよ。本気でいかせてもらう」
「お願いします!」
 好奇心に輝くクロードと対照的に、僕は真剣そのものに身を低くして構える。クロードも気合が入っているのか、トレードマークの白いマントを外して打ち合いに臨む。

 聖女ラディナードと訓練していた僕の目には、彼の「型」が良く予測できる。
 ランシール正規の型は「突く」のが攻めの基本。良くも悪くもクロードの動きはお手本通り過ぎた。そして素直すぎる表情からは、攻撃が速攻で読めてしまう。

 数分剣を鳴らし合わせた後、突きをかわしてトントンと、二つステップ踏んだ僕は追いかけて背中に容赦なく一撃を叩き込む。
「ひゃあああああっ!」
 土埃を巻き上げて、前に倒れたクロードは咳き込み、すっかり敗北して僕を見上げた。
「クロードは…。それじゃ誰にも勝てないよ。先生には褒められるかも知れないけど。騎士団では成績いいんだろうけどね…」

「は、はいぃっ!ありがとうございます!あの、これからもよろしくご指導お願いします!勇者様について行きます!!」
 調子いいなぁ…。
 正直思ったけれど、ぺこぺこ頭を下げるクロードに僕は苦笑していた。
 魔法を撃っても身体に痛みもなく、訓練の後で僕はアドレスにひたすら礼を繰り返した。ずっと今まで引きずって来た負い目、勇者のくせに思うように戦えない事。
 それがあっさりとアドレスのおかげで解消されたからだ…。


 日の暮れる頃には顔色の良くなっていたアドレスは嬉しそうに僕の肩を叩き、
「思う存分戦ってくれよ。調子がいいなら明日にでもオーブを取りに行こうぜ。今のお前ならすぐに辿り着くさ」
 気持ちは急くのか地球のへそへの道を誘う。
「……。そ、そうかな」
「だいたいの位置は解るからな。まぁ、最深部までは俺とお前しか行けないだろうけど。頼むぜ、元ニ!」
 心強い仲間だった。頼りになって、僕を買ってくれている…。

++

 青い光は、ずっと、密かに息を潜めて、確かに僕の訪問を待っていた。
 深く深く、この世界で最もそれは深き場所…。
 この世界の最も昏い闇が押し込まれ、並みの人間なら息ができずに窒息死してしまう。闇の濃さに幻覚を見て、光も灯らない墓場の中に彷徨い朽ち果てる。
 何度も僕も訪れた。

 けれど今日は、アドレスが施した秘術のおかげなのか、殆ど息苦しさを感じない程意識がはっきりしていて驚く。

 アドレスが血で描いた紋様は目覚めた時には消えていたが、しっかりと効果を表してくれていた。本当に何もかもが目覚しく変化していた。


 大魔王の息吹が今尚残る、「地球のへそ」の最下部を、
 僕とアドレスは静かに進んでいた。

 竜の無数の亡骸を踏み越えながら、不思議と今日は心が落ち込みはしなかった。
 僕よりもなお哀しいはずの、アドレスが力強く横を歩いてくれていたおかげで。
 暗視が効く彼は道を誤ることもなく、本当に頼りになった。
 彼がいるために聖女ジードの案内は頼まずに、リュドラルと三人だけで地球のへそに挑む事に決める。
 途中でリュドラルは進めなくなり、一人僕らをそこで待つと残っていた。

 何度か徘徊する魔物が現れたが、アドレスの俊敏な動きと人の姿でも鋭い爪、選んで持ってきた戦斧によって数秒の後にはあらかた周囲は静かになる。

 見る限りではアドレスの戦闘力は、アイザックにも負けず劣らないのではないかと思われた。


「ちょっと寄り道いいか?元ニ」
 不意にアドレスは道を外れ、僕を何処かへ案内しようと誘う。
 着いていくと、おもむろにアドレスは竜の死骸の山に手を入れ、何かを掴んで持ち上げる。そこに握られていたのは蒼くきらめく美しい一振りの剣だった。

 光は何処かひんやりとした冷たさを感じたけれど、そこに在るのは気高さのように、品を感じさせる名剣だった。
アドレスは早々に僕に渡して、何か嫌だったのか手を慌てて擦り合わせる。
「俺、冷気系は苦手でな。あー、さむさむっ!」
「……。冷気?…寒いかな???」
「俺たち一族、炎属性なんだよ。そいつは『吹雪の剣』。氷竜族の宝剣だな。お前使えよ。きっと喜ぶ。俺は握ってるだけでキツイしな」
「……。いいの?そんな、宝剣なんて…」
 僕が美しい刀剣を見ながら呟くと、アドレスは「自信を持てよ」と言いたげに背中を叩く。
「振ってくれる剣士がいなけりゃ、宝剣だって可哀相だろ?」
 牙を見せて笑って、またアドレスは最深部へと歩き始める。


 数年前に一度、青い珠の光を確認してから、実際に珠に臨むのはアドレスでも始めての事だと道中、彼はぽつりと教えてくれた。

「あれは本当に、特別な珠だな…。竜の化身だ。持つものを選ぶ。誇り高き竜の意志にそぐわぬ者でないと弾き飛ばされるような感じだった」
「…そう…」
 果たして自分が許されるのか…?
 疑問はすぐさま警戒心によって、あえなく中断される事になる。


   何かいる!でかい!!」
 暗視の効く彼には視えたのだろうか。僕には邪悪な波動が壊れた噴水のように、唐突に足元から噴き出して着たように感じた。

「グオオオオオオオオオォォオ!!」

「チィッ!魔竜   !?かなりでかいな。気をつけろ!」
 とは言われても、何か巨大な気配が在ると解るだけで、漆黒の闇の中魔物の姿は捉えられない。
 微かにチラチラと闇の中に灯るのは紅い瞳か。山一つはありそうな竜、感覚で存在を認識して吹雪の剣を身構える。

「元ニ!コイツは闇に寝返った竜のなれの果て…だ。死体となっても邪気を吸って何処までもでかくなる、いつまでも死なずに命を喰らう。光の魔法で攻撃しろ!」
 言うや否や、あっという間にアドレスの姿は横から消え、速さと暗さから居場所が解らなくなって戸惑う。

「喰らえ!!このっっ!!」
 攻撃の声と、音は聞こえるが全貌が視て取れない僕、そんな中で雷を放てばアドレスにも間違いなく当たる。彼を死なせない程度に威力を抑える自信は到底なく、そんな指示は聞けない。

 竜の腕が伸びて来て、僕の小脇を掠めて行く。避けたつもりが烈風で肉が裂けて、毒でも仕込まれていたかの様に激痛が全身に奔った。
「元ニ!思い切り撃て   !!!」
「できないよ!アドレスに当たる!」
「馬鹿っ!」

 怒鳴り声の直後、目の前にアドレスのオレンジ色の頭が戻って着て、僕の目の前で彼は僕の盾になり斧を構える。
「目の前5メートル。撃て    !!」
「ライデイン…!!」


 聖なる光は何本も雨の様に降り注ぎ、邪悪な竜は地響きも起こす、悲鳴に全身を苦痛に暴れさせる。それだけで足元が崩れて、この場所が崩壊しそうに思った。

 魔竜は凄まじい咆哮を吐き出し、その波動は僕とアドレスを共に数十メートルも吹き飛ばす。
「このヤロウ!!」
 共に倒れたアドレスはすぐにも身を起こしたが、魔竜は暴風を巻き起こしブワリと飛行、眼前に巨体は押し迫っていた。

「があああっ!グハッ!」
 両手を突き出し、突き出された爪を止めたものの、アドレスに魔竜の爪は深々と喰らい込んでいた。
「こんの、ヤロウーーー!!」
 戦斧の回転の軌跡だけが僕の瞳に映る。力任せに叩き付けた斧は魔竜の指先を切断し、引き戻した腕でアドレスはそのままに斧を魔竜に投げつける。
 狙いは決まったのか、魔竜は叫びを上げて首や羽根を激しく暴れさせて苦しむ。

「アドレス!何処!?回復を…!」
 バサバサバサ!竜の姿に変化したのか、激しい羽音だけが方々でこだまする。位置が全く掴めなかった。
 せめて明りがあれば…!そう願った。
 まさか、こんな最淵の闇に、「月が輝く」なんて誰が夢見たんだろうか。


ヒュン、ヒュン、ヒュン   
ザスザスザシュ。


 流れ星のような閃光を、自分は錯覚していた。
「ギイイヤァアアアアアア!!」
 魔竜はのたうち回り、飛び上がり、突進して来る。
 その衝撃波に吹き飛ばされ、地面に叩きつけられ、暗くて確認はできないが骨のいくつかは余裕で砕けていそうだった。
 口の中に苦い血の味が滲む。

 そこに、余りにも不似合いな優しい光がふわりと灯った。

「大丈夫ですか。勇者様」
 艶のある、若い女性の声。
 僕の目の前に細い足首が現れ、見上げる前に彼女は膝を付き、僕の髪を優しく撫ぜる。絵画のように美しく、優しい女性が、ほのかな緑の光に包まれて僕に微笑んでいた。
「ニーズさん!アドレスさん!動かないで下さい!」
 闇の中に光る月のような曲線、そこから矢をつがえて放つ少年   緑の光に包まれ、神々しくさえ思った。
「リュドラル、シャンテさん…どうして」
「今外は夜ですね。私もグリーンオーブと共に存在するもの、少しはお役に立てるかと思いまして」
「そ、そんな…。助かりますよ。願ってもない…」

 ふふふと微笑む、美女は立ち上がると、両手を差し伸べオーブの光を外に解放する   
 周囲の邪気は薄まり、グリーンオーブの守護の光が周囲をほのかに明るく照らしてくれる。そこにははっきりと魔竜と周囲の光景が照らされていた。

「ありがとうシャンテさん。これで戦える!」
「ええ。勇者様」
 光をかざし、彼女は視界を作ったまま僕らの戦闘を支援する。連続でリュドラルは弓を引き絞り、矢は次々と魔竜の動きを止めていた。
「ありがとうリュドラル。びっくりしたよ」
 一言礼を言うために駆け寄り、お互いにこりと合図し合う。
「姉さんが着てくれて…。僕も力になれて嬉しいです。援護します!」

 見送られて、吹雪の剣を携えた僕は魔竜に駆けて行く。
 小さな翼竜は炎を吐き、噛み付き、素早い動きで巨体の竜を翻弄していた。奔りながら、僕の胸は高鳴っていた。

 自分が、本当に『勇者』のような気がしていた。
 『勇者』みたいなことをしていると。
 剣を取って、先陣を切って敵に立ち向かって行く。これまでの自分は名ばかりで、後方からの攻撃に小さく納まるだけの無能な勇者だった。

 氷竜の宝剣、僕を認めてくれるだろうか。
 耳から入る音は不意に消え、聞こえていたのは自分のうるさい鼓動だけに変わる。そして荒々しい呼吸と、風を斬る剣の軌跡。
 冷気を発する剣先は魔竜の腹を薙ぎ、吐き出された毒の息も裂く。汗が視界を弾けて、何故か時間は酷くのろく過ぎていた。



「おとうさま。おとうさま…」
 また、遠くからエルフの少女の声が響いて夢が浮かんで見えた。
 そこに居る男の顔は、何度も横に剣を振り掻き落とす。

 暴れる魔竜に投げ飛ばされて、翼竜の生き残りも地面に倒れて痛みに寝返りを打った。地球のへそに漂う亡者の「残存思念」をさんざん眺めて生きてきた彼も、初めて横切る幻影に目を細めていた。
 仲間達の亡骸の山、そこに倒れていたのは竜だけではなかった。
 手を差し伸べる、掴んだ白い手は儚い一人の少女のもの。
 傷だらけで、髪も乱れ、素足は泥に汚れていた。けれど、若い竜は少女を抱いて帰った。
 いつの間にか、抱かれていたのは自分の方に変わっていた。
「…めんね。何も、返せない…。どうしたら、いい…?」
 自分は何事かを少女に願って、そして少女は     笑った。
 果てしなく、尊いと思える最高の笑顔で。

 二つの世界の境に淀んでいた闇が、消えようとするのに抵抗する足掻きは、激しい衝撃を円状に拡げて往った。

 月の弓を手に、通り過ぎる闇の津波に堪えた、ネクロゴンドの王子はその瞬間に懐かしい幻に巡り会う。
 幼い自分と手を繋ぐ少女。次の瞬間には赤い血痕を床に残し倒れていた。
「リュドラル様、私は…」
「ミレッタ!」
 声は実際に口からほとばしるが、目の前にいたのは騎士の少女ではなかった。
 誰かは知らない、けれど、ひと目見て恐怖が全身を貫いた。

 銀の髪の娘が微笑んでいた。僕に手を差し伸べて、視界は赤一色に染まった。
 暫く口がきけなかった。
 それは余りに毒々しく、真紅の瞳に呪縛されたかのように。



 地響きを立てて、竜の巨体はついには倒れる。
 自分の呼吸だけが耳に響いて、痛いほど。

 繰り返し薙いだ、忌々しい男の顔はもう消えた。
 アドレスの心配も必要ない。僕は自分を見失いはしない。
 幻覚が何処まで追いかけて来ようとも、心乱さずに僕は剣を振るうだろう。

 「僕は勇者になりたい」
 その決意は、願いは、今では様々な想いが交錯した、複雑に絡みついて解けなくなった結び目のような気がしていた。
 結んだつもりはないのに、もうどうにも固くて解けない。

 闇は全て、僕が消す。
 『勇者』と言う、鋭い刃に僕は変わりたかった。
 気合とともに剣を下ろす、最期に、またしてもあの男の姿が垣間見えていた。

 満身創痍の男が寝かされていた。
 全身は痛々しい火傷に覆われて炎のように熱を放つ。しかし吹雪の剣は幻を両断し、一陣の氷をまとった吹雪をひと吹き…。

 静かに、ハラハラと、氷の欠片は闇に紛れて土に還った。

++

 月は空を蒼く染め、窓ガラスは触れると酷く冷えていた。
 夜空を眺めてため息をついていた、聖女はじっと窓に映る自分に自問する。
「勇者は、オーブに辿り着く。私はこれから、何をする…」

 自分は聖女と崇められたその日から、自問自答の繰り返しだった。頂点に登りつめた者として誰もが自分を祀り上げた。
 けれど、一人試練から『自分が携えて来たもの』は、永遠に消えそうにない無力感。

「私は…。ラルク一人さえ、幸せにできないのに…」
 冷たい窓に映る自分を、聖女はささやかに嘲笑う。そして祈った。
「神よ。私に力を…」


 同じように、『聖女』としてランシールに生きる娘は、静かに清き歌声に耳を傾けていた。美しい少女が優しくつなぐ弦の音色、歌声は小さいが自分を慰めるものだった。
「シャルディナ様。私は、許されてよいと思いますか…」

「ジード?」
 最も付き合いの長い少女シャルディナは、歌を止めて黒き服の聖女に寄り添う。
「アドレスさんは…。あの竜は、ジードを許したよ…。竜を守れなかったのは、ジードのせいじゃないよ。…もう、自分を責めるのは、やめようよ。ジード…」

 少女は知っていた。この聖女が黒き服しか着なくなったのは遥か昔の戦いの後。
 ずっと彼女は悲しみと後悔を胸に焼きつけ、頑なに喪に服して生きてきた。
 外に出ず、人前にも出ずに、ずっと独り。
「竜を口にしたのも、必要だったことでしょ…。そのおかげで、ジードは地球のへそを守ってこれたんだもの。私、思うんだ。あのアドレスさんなら、きっとジードを外に出れる身体にしてくれるんじゃないかって」

「………」
 考えてもいなかったのか、聖女の瞳に驚きが伺えた。
「ジードは…。この世界にずっと生きていけるんだもの。ここで、外に出て、光を浴びて、幸せになるべきなんだよ。…きっと、そうなれるよ。…そうなって」

「シャルディナ様。…いえ、シャルディナ…」
 自分の叶えられない願いを託されたように感じて、ジードは親しき少女の両手を掴み取る。
「私は…、お前はずっと帰りたいのだと思っていた。勇者が現れても、嬉しい反面、何故か時々顔が翳るのが気になっていた。…外に出て、何を見てきた?何がそうさせているんだ?」

 答えを求めた、シャルディナの瞳が静かに伏せられて、まばたきをすると涙が数粒流れて落ちる。
「……。ジードにも、昔、好きな人がいたよね。もう、きっと七百年も経って、どこかに生まれ変わっているかも知れないね。探しに行かないの?」
「何を言って…。私は、変わった。あの頃のままじゃない。それに、生まれ変わっていたとしても、私の事なんて知るはずもない…」

「ジードは、ずっと、悲しみの過去の中にいるままなんだね。…私ね…、ジードにはとても感謝しているの。ずっと一緒に居てくれたから。でも、私が帰ったら、その後のジードはどうなるの?…お願い。私みたいに、なって欲しくないの」

「私の、事なんて…」
 気にせずに往けばいい、けれど泣く彼女を前に、言葉は繋がってはくれなかった。

 答えに迷い、暗い月明かりが照らすだけの部屋に、ジードはため息のように微かに呟いている。
「お前も、幸せになるなら。…私が幸せになれるとしたら、シャルディナの後だ」

 もう一人の聖女も祈っていた。
 大事な友人の幸せを。

++

 冷ややかな風が治まり、地球のへそはシンと静まり返る。
 仲間と自分の怪我の手当てを終え、全員でブルーオーブを目指して更に地球のへそを地下へと潜って降りてゆく。

 激しい戦いの後、皆が一様に「何かを見た」のか、口数は異様に少なく、足音だけがやけに不気味に響いていた。

 やがて、視界にうっすらと青い光が浮かび上がった。
 自分が近付く事に反応しているのか、光は足を踏み出すごとに強くなる。
 シャンテが自ら手を差し伸べて灯す、緑の光とも交互に反応し合い、闇は不思議に神妙な雰囲気に包まれる。

 最期に守っていた竜なのか、大きな竜の亡骸   その顎の中に青い宝玉が呼ぶように青い光を点滅させていた。
「やったな。元ニ」
 アドレスが持って帰る事を促すのだが、僕は首を振ってオーブに背中を向ける。
「おいおい…っ。元ニ!」
「いいんだ。僕は、道を作るだけのつもりだったんだよ」

 青い光、どうしても、自分の片割れを強くイメージさせてくれる。
 僕の分身、もう一人の自分。
 オーブを手にするのは、二組の手だと信じていた。
 「この世界の勇者」は、彼なのだから。
「勇者は…、二人なんだよ。僕は、ニーズを待つ」



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後書き
ランシール元ニーズside、終了です。これで主要人物はあらかた書くことができました。
馬鹿息子クロードは長い目で見て、いいキャラだと思っています。
(馬鹿なのが可愛いです)(笑) 
アドレスはひたすらかっこいいですね。ワイルドで細かい事は気にしなくて。
ふにゅうは可愛いしv
属性的に元ニーズは冷気っぽくて。なので吹雪の剣を持たせてみました。