「聖を背にし者」


 私がお父さんとケンカして、家を飛び出してからもう一年が過ぎていた。

 間に取った連絡は、アイザックに言われて出した一回の手紙だけ。
 居場所の流れる私には勿論返事が届く事はなかった。
「アリアハンの勇者、オルテガ様の息子、勇者ニーズさんの旅に同行する事になりました。心配はしないで下さい。元気にやっています」
 手紙の内容は簡単なもの。

 それから     
 家を飛び出してから、初めて戻るランシール王国。


 テドンを発ってからは長い船旅が続いていた。
 島国であるランシール王国は、島の中心に大きな砂漠を抱えている。
 その砂漠を囲んで険しい山脈が何かを護るかのように人の介入を阻んでいた。

 何を護っているのか…。
 それは『地球のへそ』と呼ばれる深い深い遺跡。
 ランシールは主神ミトラを国教とする信仰国家であり、王国の頂点にはミトラ神から力を授かった聖女が二人、崇められて統治されていた。
 世界で最も大きな神殿は『地球のへそ』にも直結しており、国内外からも参拝者が途切れることはなかった。
 私も、ずっと、ずっと、遠い憧れの場所としてその神殿を見上げ続けて生きてきた。

 ようやっと…。今度こそ。
 私はかの場所に挑戦するんだ。

++

 港に船を預け、お留守番を船員さん達に頼み、私達は久し振りに地上に降り立った。
 ミトラ信者のアイザックにはランシールは憧れの場所でもあり、降りた時からそれはもうおおはしゃぎで、彼は見るからにお上りさんになっていた。

 ワグナスさんの指示で宿を取り、少し休憩してから神殿へと出向く方向に決まる。

 例によって男女別の部屋割りに、シーヴァスと二人で荷物を下ろしていると、彼女からとんでもない事を言い出されて私は息を詰まらせてしまった。

「サリサのご家族にご挨拶に行きたいのですが…。皆で伺っても良いですか?」
「……!えっ。え…。い、いいよ。挨拶なんて…」
 思わず、挙動不審になって、足をもつれさせて転んでしまう始末に陥る。

「大丈夫ですか?サリサ。…何をそんなに動揺しているのですか?」
「だ、大丈夫っ。だ、だってさ、…ほらっ!恥ずかしいじゃない!家族に挨拶なんて…。ねっ。いいよ。やめようよ」

「……」
 なんとかごまかして、髪の乱れを直していると、さも不思議そうにエルフの魔法使いは私を見つめるのだった。
「いつもサリサにお世話になっているのです。挨拶したいのはおかしい事ですか?サリサもアイザックのご家族に挨拶したではないですか。エマーダさんにも」

「う…。確かに…」
「大事な娘を戦わせているのですもの。挨拶に伺うのは礼儀ではないですか?お兄様もそう言うでしょう」
「あのね。あの…。うちの家族、おかしいんだっ。すっごく性格悪いの。勇者嫌いなんだ。だからいいよっ」
 私は嘘をまくし立てて、断固として断り続ける。
 それはもう、自分でもどうしようもないのだった。
 自分でも合わせる顔がないのに、友達なんて連れて行けないよ…。

 地球のへそに挑むにつれて、必要となるであろう装備や食料を買いに出かけ、帰り道の途中で私は仲間たちから離れて久し振りの町を歩く。
 仲間たちには「忘れ物したから先に帰ってて」とまた嘘をつく。


 町並みは一年の間で変わっている場所もあり、少し寂しさも覚えつつ、私は馴染み深いレンガの道を静かに歩いていた。
 誰か知り合いに会ったらどうしよう、と心の隅でどきどきしながら、向かっていたのは生まれ育った自分の家。
 午後の陽射しは高く、小さな自分の家を強く照らし、私は柵の影から身を潜めて家の中の様子を伺っている。

「お父さんは、今は仕事だろうな。お母さんも。弟も学校…、だよね。誰も居ないか…」
 誰にも見つからないように、私は早足で宿屋への道を戻って行った。

++

 その日の夕刻前、ついに私達はランシール神殿に訪れ、聖女ラディナード様との邂逅を果たす。来賓室で待っていた私達の前に、業務を片付け駆けつけた様子の聖女様が恭しくも頭を下げ、勇者に敬意を示す。

「勇者ニーズ様。そして彼を支える誇りある仲間の皆様方。ようこそランシールへおいで下さいました。心より歓迎致します」

 来賓室のソファーに腰をかけていた私達は一同に皆立ち上がり、聖女に頭を下げた。
 白地に蒼い十字架の刻まれた神官衣に身を包み、輝く金の髪と翠の瞳の彼女は女神のように美しく、まさに『聖女』たる威厳に満ちていた。

 私がずっと目標に掲げ続ける、聖女ラディナード様…。


「どうぞ皆様。おかけ下さい」
 聖女の言葉により、皆はソファーに腰掛け、給仕の者が紅茶を用意した台車を押して部屋に入ってくる。
 その給仕の姿に私はハッとして顔を向けた。

 落ち着いた深い青地のワンピースに、白いエプロン姿の金髪の美少女。
 緊張した面持ちで俯きがちに入ってくると、多少ビクビクしたように私達、来客に一礼をする。

「シャルディナ…!…聖女様?シャルディナを働かせているんですか?」
 聖女は上座の一人用のソファーに腰をかけ、左右のソファーに私達が散らばって座っていた。その中から一人、黒髪の戦士が給仕に驚いて声をかける。

「ええ。簡単な仕事ですが。私の傍に居て貰っています」
「そうか…。良かったな。シャルディナ」
「あ…。……。うん…」
「聖女様も、ありがとうございます。どうかシャルディナをよろしくお願いします」
「礼を言うのはこちらです。シャルディナ様を守って下さり、ありがとうございました。戦士アイザック」

 彼女は、きっと彼が居るから緊張していたんだろう…。
 再会を嬉しそうに微笑む、彼女の頬に赤みが差すと、私の心はざわめき立った。


「シャルディナさんにいれて頂く紅茶はまた格別ですね。頂きますv」
 賢者ワグナスさんはにこにこと紅茶に口をつけ、恥ずかしそうにシャルディナさんは謙遜する。
「そんなことは…」
「あの、お砂糖もう1本貰えますか?すみません」
「あ。はい。どうぞ」
「ジャルディーノさんは甘党ですね〜」(にこにこ)

 私は一人、紅茶の色や匂いにも緊張を解かずに、強張った顔でテーブルを睨みつけていた。仲間たちの紹介や挨拶は簡単に、忙しい聖女様のため、すぐにも用件は切り出された。

「俺は約束していた通り、隼の剣を持ってここに来ました。けれど…。返しに着たんじゃありません」
 聖女の向かって左側、一番近い席には黒髪の戦士、アイザックが細身の剣を提示して決意を現していた。

「俺は…。この剣を欲しいと思っています。どうすれば認められるかは解りませんが…。地球のへそに挑む事でそれが叶うなら、俺は行くつもりです」

 勇気溢れる、迷いのない戦士の瞳に、聖女は反対の言葉を伝えはしなかった。
「…解りました。戦士アイザック。貴方が『地球のへそ』へ入る事を許可致します」

「ありがとうございます」
 苛酷な試練に臨むにはまだ幼い、少年は臆しもせずに一礼すると、美しい神の剣を腰に納めた。

「……。当然俺も、行く事になるんだろうな。行かせて貰う」
 続いて、挑戦する意志を示したのは額冠を嵌めた勇者ニーズさん。
 すでにその青い瞳には決意と言うよりも、「険しい光」が宿っているように見えた。

「お願い致します。勇者でしか、ブルーオーブには辿り着けないのです」

 そして、ここで私は、
 戻って初めて、強く聖女ラディナード様の翠の瞳を見つめた。

「ラディナード様!私も地球のへそに挑戦したいと思います。ゾンビキラーを探したいのです!」
 紅茶には一口も口をつけないままだった。
 そんな私のことなど予測していたのか、ラディナード様は表情を変えずに、暫くの間思案に暮れていた。

 伏し目がちになると、ため息のような申告をもたらす。

「サリサ…。貴女には、何度も言ってきましたね。「聖地」は逃げ場所ではないと…。そう簡単に、希望のものが手に入る場所でもないのです」
「分かっています!…私もこの旅の中で変わりました!いえ、変わりたいんです。お願いします!ラディナード様!」

「…………」
 私と、仲間たちは固唾を飲んで聖女の返答を待つ。
 地球のへそは、聖女が扉を開けずには入る事ができない、閉ざされた遺跡。

 聖女の許可が無ければその扉を開けることもできない。

「変わったと言う貴女の力、見せて貰いましょう。久し振りに相手になります。サリサ、外へ出なさい」

++

 相変らず剣技において、私は聖女に全く太刀打ちができなかった。
 けれど諦めず、何度も何度も踏み込んで行った。

    どうしても、掴み取りたい場所があるために。

「多少は…。眼が変わったようですね。でも…」
「お願いします!私は…!自分を自分で認められるようになりたいんです!勝って帰って来れたなら、きっと私は自分を認められる。お願いします!ラディナード様!」

 息を切らしながらも、力の限りに決意を叫ぶ、私を見下ろす聖女様の瞳はどこか悲しそうに見えたのは何故なのだろう。
「挑むことばかりでは…。剣もそう。突撃するばかりが勇気ではないのよ、サリサ…」
 訓練場の砂の上に膝をつき、悔しそうに唇を噛みしめる、私の傍に誰かがそっと寄り添ってくれていた。

「聖女様。どうかサリサを地球のへそへ行かせて下さい。それが彼女の望みなのです」
 私の横に立ち、聖女に頼む、彼女の紫の髪が風に静かに揺られていた。
 エルフの魔法使いの言葉にも、聖女は考えを曲げるとは思えなかったけれど…。

 続いた言葉で彼女は、そこに居た全員の表情を蒼白に変えた。

「私も、地球のへそに挑みたいと思います。許可を下さい」



 訓練場の周囲、見守っていた仲間たちの顔にありありと不安が浮かぶ。
 わがままを通そうとしていた私でさえも、エルフの少女の言葉には耳を疑い、彼女の肩を掴んで正気を確かめる。

「何言ってるのシーヴァス…。あ、あのね、地球のへそでは、たった一人で進む事になるんだよ?シーヴァスは無理だよ…。魔法使いなんだもの…」
 汗と、土汚れと、更に私の顔は不安で汚れて、対照的にエルフ娘の顔は美しく涼しささえも見せる。

「一人なのはアイザックもお兄様も同じです。私一人でも戦えます」
「ちょ…っと待て!お前は駄目だ!シーヴァス!許さないぞ!」
 諌めるために彼女の兄がやって来て、今度は彼が彼女の肩を揺らす。

「考えていたんです。ずっと。サリサの話を聞いてから…。私も『何か』を見つけて帰りたいと」
「お前は駄目だ!危険すぎる!魔物に囲まれたらどう戦うって言うんだ。一日やそこらで帰れるかどうかも分からない場所なんだぞ。魔法力が切れたらどうするんだ!怪我の回復もできないだろう!」

「私には幾つかの利点があります。確かに体力も直接攻撃力もありません。打撃攻撃はジャルディーノさんから理力の杖を借りて行きます。これは魔法力を打撃力に変換してくれます。それと、先ほどブーメランも買って着ました。これで打撃での集団攻撃が可能です。実はイシス以降、密かに練習していたのです」

「な、なにぃ…」
「回避率の高いみかわしの服を装備して行きます。そして、私には星降る腕輪(素早さ二倍)があります。それから、お兄様たちと比べて、有効なのが、聴力と暗視。無駄な戦闘を裂け、ヒットアンドアウェイで、進んで行けると思います。祈りの指輪(MP回復)と、薬草も持てるだけ持って行きます」

 余りに計算しつくされた彼女の言い分に勇者は圧倒され、すぐには返答できずに口をパクパクとさせる。

「アイザックは攻撃力も体力もありますが、集団攻撃はできません。条件はたいして変わらないと思います。いかがですか?聖女様」

 兄と私とを通り過ぎ、彼女の問いは聖女に向いていた。不似合いに爽やかに、エルフの魔法使いはにこりと微笑む。
 そして唖然とすると同時に、呆れる兄に妹は寂しそうに告白する。

「お兄様。…やはり止められると思っていました。この中では私が一番一人では何もできないように見えるでしょう。戦いにおいて、私は後ろで守られる立場なのです」
「……。そんなことはない。お前の魔法は役に立ってる」

「魔法なら、ワグナスさんや、私以上の威力を持つ人はたくさんいます。私はお兄様の力になりたいと言いました。お兄様は、自分の不安も迷いも捨て、私達のために勇者を名乗って下さいました。私にも、私だけの『何か』が欲しいのです」

「………」
「私は、皆さんと対等な場所に居たいと思います。行かせて下さい。お兄様」

「あなた方の中でも…。まだ話し合いが必要のようですね。今晩だけ、考える時間を置きましょう。私も明日の朝には、返事を決めておきます」



 聖女のひと言により、私達は解散になった。

 聖女は一人その場に佇み、打ち合いに使っていた訓練用の木刀を拭う。
 剣を片付け、別館の自室に戻った聖女の前には、オレンジ色の髪の少年が窓縁に腰かけ彼女を待ち構えていた。

 おそらく外から回って来たのだろう。彼ならそれができる。
 滅びた翼竜の生き残りである彼には。

「聖女さん、サリサを地球のへそに入れてやって欲しいんだ。頼むよ」
 部屋の主の帰りに反応し、窓縁からスタリと降りた彼は、子供のする些細なお願いごとのように陽気に笑う。

「貴方まで…。見ていたの?」
「見てたよ。サリサが来たのが分かったからな。どうして拒むんだ?どうにもアンタはサリサに厳しいよな」
「………。似ているからなのよ」

 彼の赤い瞳は全てを見透かすようで、聖女は観念して、神官帽を机に置き、ひと言小さく本音を呟く。
「あの子は昔の自分に似ているの。聖女になる前、正義や信念に渇望し、光に憧れていた。絶望を知らなかった。自分の無力さをまだ知らずにいたのよ」

 悲しく悲観する聖女は、椅子に腰掛け、机の上に両手を組んだ。
 視線の先に睨むのは、いつかの後悔なのか。

「神の力を手に入れれば…。何もできないことはないのだと信じていた。多くの人を救えると。でも、聖女でさえも、救えるのはほんの一握り。力を手に入れ、失ったものも多いわ。あの子はまだ知らないのよ。…知らなくていい…」

「サリサはちゃんと辿り着くぜ。ゾンビキラーと言う、破邪の剣に。俺がサリサをフォローするから、入れてやって欲しい。俺は信じてるんだ。アイツは必ず自力で剣を手に入れる」
「貴方はなぜ?サリサの事を知っているの?いいえ、どうして信じている?」
 まだ会ってもいないはずの彼の言いように聖女は疑問を投げ、少年は頭をかいて暫し唸った。

「うう〜ん。そうだな…。なまじ人でない分、良く見えるんだ。魂に宿る『聖』質が。だから元ニも一点の曇りもなく信じてる」

 机上に指を絡ませる、聖女の正面に両手を付き、真摯な瞳で少年は再度念を押す。
「俺がサリサをちゃんと連れ帰って来るから、行かせてやってくれ」
「……。心配なのよ。あの子は最も精神的に脆いでしょう。私も、ラルクが居なければつぶれていたわ。…二度と帰って来ないかも知れない。帰って来ても、二度と笑うことはないかも知れないわ」

「大丈夫だ。心も身体も、俺が守る」

 驚いた聖女は、そのまま無言で頭を下げた。
「私は……。あの子がとても好きなの。あなたに任せます。どうかサリサを守って下さい…」
「ああ、問題ない」




「それから…。あのエルフなんだけどな…」
 一つの話題が終了した後で、少年は声のトーンを下げ、声量も潜めた。

「あれも、地球のへそに入れてみると、おそらく…」

「……!まさか…!」
 囁かれた事柄に聖女ラディナードは眉を潜め、表情は険しく、思考は巡る。

「ただのエルフ娘じゃないぜ。目覚めがどう転ぶかは分からないが…。上手く行けば戦力になる」
「しかし、制御できなければ彼女は…」
「もう一人の聖女がなんとかできないか?」
 不安を隠せない聖女に少年が促したのは、もう一人の聖女。

「ジードに話してみましょう。貴方も一緒に来て」
 聖女ラディナードは自室を後にすると、もう一人の聖女の元へと少年を連れて行く。
 ジードは地球のへその守護者。滅多なことでは遺跡からこちらには出て来ない。人前に姿を晒さない黒装束の聖女であった。

 試練に挑む者が通る扉とは別に、彼女の居場所へと直結している「別口」が神殿別館には隠されてあった。
 その扉は聖女ラディナードと、吟遊詩人シャルディナ以外は通ったことはまだない。
 急ぎの報せのために初めて竜の生き残りは隠された通路を通り、地球のへそとは思えない白い世界へと移動する。


 闇の通り抜けた跡地、竜の墓場が主である地球のへそではあるが、一部清められた地域も存在していた。
 そこに聖女ジードは主に一人で生活していた。

 エルフ娘の用件を話すと、黒い神官衣の聖女はゆらりと頭に被せた黒布を揺らし、壁にかけてあった一振りの杖を手に掴む。
 金の宝玉の上に、竜が翼を拡げた彫刻が見事な美しい杖    けれど、竜の瞳はいかづちを放つかのように鋭く虚空を見据える。

「……。そうか…。まさか、あのエルフの娘が…。考えもしなかった…」
 ジードは瞳を翳らせ、一瞬自虐的に笑ったように見えたが、すぐにいつもの凛とした厳格な彼女の顔に戻っていた。

「彼女の力、私が見極める」


「でわ…。彼女のことは、貴女に任せるわ。ジード」
「今夜…。最後の夜になるかも知れないと、伝えて置いた方がいい。覚悟の上だとは思うけれど」
「そうね…。伝えておくわ」
「それぞれ…。力を分けて、アイツらは存在しているみたいだな。不思議なもんだ」
「そうね…」

 試練に挑む者ばかりではなく、
 挑む者たちを取り巻く、周囲の者たちの不安や願いなど、私達は何も知らずに最後かも知れない夜を迎えようとしている。

++

 解散された後、宿に帰ってニーズさんとシーヴァスは暫くの間お互い黙りこくり、根比べのように対峙し合っていた。

「…。本当に、行くのか?帰って来れないかも知れないんだぞ。どんな目に会うかも分からないって言うのに…。俺はお前を危険な目に会わせたくない。今のままでいいんだ」
「お兄様も、それは同じです。お兄様が帰らなければ、私は後悔します。いえ…、止めても、私は追って中に入るでしょう」
「お前は…!」
 説得しようと声を張り上げる兄に対して、シーヴァスはにこりと微笑むのだった。

「今のままでいいと思うと、私は堕落して、霞んでいってしまいそうです。お兄様が勇者を名乗るように、私も勇者の仲間を名乗りたいです」

「………。なんて言うか…。はぁ。お前も頑固だな!」(怒)
「そうですね」(にっこり)

 折れるしかないニーズさんは悔しそうに、それしか言えない、とでも言うように、兄妹二人静かに抱き合った。
「必ず帰って来い。それだけでいいから。後は何も求めるな」
「大丈夫です。私は、お兄様の傍に帰ります」



 兄妹が話し合う部屋の隣では、緊張漂う仲間たちの様子に一人、取り残されてしまった赤毛の僧侶が賢者に相談を持ちかけている所だった。

「皆さん、地球のへそに挑むんですね…。僕も行った方が良いのでしょうか。強力な武器もあると言いますし…」
「ジャルディーノさんは入る必要はないですよ。あなたには別に待っている御方がいるようですし」
「え…?どなたですか?」
 にこにこと悩みに応える賢者はいつも通り、意味深に微笑み、答えを濁す。

「私にはとてもとても…。それに、お見送りも、傷ついた仲間を迎えることも、大事な仕事ですよ」
「……。そうで、すね…。僕入り口でずっと待ってます」
「ええ。そうしましょう。ジャルディーノさん」



 私と言えば…。ただひたすら、礼拝堂で神に祈りを捧げていた。
 ただ、一心に、無心にも近く。

 両手に十字架を握りしめ、ステンドグラスからの光が差し込むミトラの神像を見上げる。私の首には大地と炎の神ガイアの紋章が密かに熱を帯びて揺れている。
 長方形の琥珀色の石に、赤く刻み付けられたガイアの印。
 それはポルトガの海で、海賊の副頭領である男性から預かっているもの。

 私を守護してくれると…。


「スヴァルさん…」
 ガイアの印を握りしめて、誰にも聞こえないように、私は一度だけ弱音を預けるようにあの人の名前を呼んだ。

 『地球のへそ』へ挑む、それだけじゃない…。
 片想いの決着への不安も恐れも、日に日に強くなって、息が苦しくなってつぶれそうだった。
 優しくしてくれるあの人に甘えて、不安を抑えて来たけれど。
 本当はランシールに一緒に来て、見送りも迎えにも居て欲しかったけど、故郷へ帰る用事があると、彼らの船はサマンオサへと進路を別って行った。

「大丈夫…、ですよね。怖くない。怖くないです…」
 それはどこか、自己暗示にも似ていた。



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