「その影には羽根が」


 ずっと、闇ばかりが俺を包んでいたんだ。
 俺の生まれる前から、今まで、これからも。
 光が来るまで。ここに届くまで。
 誰も、死骸に隠れた俺を知らない。
 知るはずがなかった。同胞はみな例外なく死んでいた。

   俺が生まれる前から。ここには闇しかなく、そして死骸しかなかった。

 地上って言うのは、どんなところなんだろうな。ニンゲンという生き物は?
 光が射す世界に、俺もいつか立てるんだろうか。
 もう、二度と『仲間』には逢えないのか。
 故郷を見てみたい。光を見てみたい。『仲間』に逢いたい。

 永い年月を、じっと殻の中で耐えしのいで、生まれる時を待っていた。
 本当に、幻かも知れないが、俺は確かに「光」が生まれたのを感じた。だから俺は殻を破った。
 果てしない闇の海に、たったひとつ頼りなく落ちた光の雫。
 何百年、俺たちが待っていた命が産声を上げた。
 早く来い。ここに来い。

   お前が来るのを待っている。

++

 永い永い時間を振り返ると、ため息が自然と零れていった。
 おかげで、腹が減って仕方がないし…。
 常に喉は渇きを覚えていた。
 この先に埋まった、『青い珠』を守るために、俺はここを離れずにいた。
 青い珠は、俺たちのために犠牲に倒れた神の鳥の魂の一部。なんとしても守護しなければならなかった。
 恩恵を受けた神への、一族としての借りを返すために。


 侵入者が在った。
 警戒して闇に目を凝らせば、おそらく「ニンゲン」だとは察しがついて、死骸の影から様子を伺っていた。
    そいつの中に、覚えのある『邪悪な闇』が見えたんだ。
 災いの根源、大魔王の波動を確かに視た。

 だからこそ、俺は牙をむいて飛びかかり、殺そうと思った。魔王の存在だけは許す事ができずに怒りが先走る。
 ヒトの腕を噛みちぎり、捨て、喉元に喰らいつこうとした、刹那   



懐かしい、『仲間』の匂いがした。
 そのニンゲンの流した血から。懐かしい同胞の匂いだ。
 死骸から流れたものではなく、生きた竜からの脈動。

 生きた竜。
俺は生きた竜に初めて邂逅することができた。



「まさか、竜、なの…?良かった。生き残りがいたんだね。良かった…」
「……。ふに…。ふに…」
 俺の姿を見て、喜ぶじゃないか、熱い涙を流して。
 危うく、同胞を自ら害してしまうところだった。
 そんな事をしたら一生後悔するだろう。仲間だけは何があろうと傷つけたくはない。

 謝るけれど、竜の身体では人語を巧く話すことができずに、変な鳴き声と笑われてしまう。

「ふふ…。こっちこそ、ごめんね。こっち来て、今治してあげる」
「ふにー」

「…ベホイミ」
「ふにっ!ふにっ!」
 礼も言いたかったくせに、人語は難しい。
「大丈夫。…少し疲れただけだから。ちょっと休んだら、魔法で一緒に外へ出よう」
「ふにゅう…」
 俺は回復魔法は使えないために、血を流しすぎて倒れたコイツをどうしようかと考え込んだ。何処か安全な場所へ連れて行き、早いとこ手当てをして貰わなければ。

 同胞たちの記憶から覚えた、人化の魔法を使ってみる。
 小さな自分の身体では、ヒトを運ぶ事が困難だった、でも、悩んでいる時間は無かった。
「ドラゴラム」
 魔法は巧く発動し、俺はヒトの姿に変身すると、そいつを背負って歩き始めた。
パシッ。バキッ…。

 同胞の死骸の上をどうしても歩かねばならず、人の姿となると、体重が増え、重みで骨が砕けてしまう。悲しかったが、仕方がない。

「……。…畜生…」
 背におぶりながら、ようやっと、待ち望んだ奴に会えたのだと、感動が押し寄せて来て、思わず泣けた。
「生き残りが、いた…。泣きたいのはこっちの方だ」

 ヒトの姿をしたこんな奴でも、竜の死に悲しんでくれたんだと。
 生き残りに出遭って、泣いてくれたことを。

 背中に同胞を乗せ、慣れない足で地上の方を目指し、進んで行く。幸いな事に、近くに同じくヒトの気配を感じる事ができ、ひとまずそいつを目指して歩く。

 そのヒトに近づくと、違和感に俺は一度立ち止まる。
 最も近くに居たニンゲン。メス、女だな。
 長い金の髪と額冠、そして黒いマントでその身を覆う   

 見覚えがあった。
 散っていった同胞たちの記憶に居た、共に大魔王と戦ったニンゲンの魔法使い、『二人の聖女』の妹の方。

 ラーミアを守っていた神の戦士、月の弓と隼の剣を与えられた二人と共に、神から力を受けて戦った二人の娘、その片割れが生きているとは思わず、目を疑った。
 あれは七百年前のこと。いくらなんでも人としては生き過ぎている。

「………!!   竜!?」
 戻った勇者に驚くが、俺の正体にすぐさま気がつき、女はわなわなと身体を震わせ、思い出したかのように跪いた。
 余りの衝撃に顔色を失い、言葉も出ないらしいが、俺は気にも止めずに頼んだ。

「悪い。お前、回復魔法は使えないか。コイツを助けて欲しいんだ」
「ハッ……!勇者様…!」
 女は慌てて回復魔法を「勇者」にあてがう。
 ……『勇者』、そうか、そう呼ぶんだな。
 おかげで勇者の息吹は力を取り戻し、俺は胸を撫で下ろす。

「……。お前は…。竜?……知らない種族の竜だ。何処の竜だ」
 勇者を受け取って、鋭い瞳で睨み上げる女を見下ろし、俺はやり返す。
「お前こそ、なんで仲間の匂いがする?竜じゃないみたいだが、竜の血がくすぶってるな。……竜でも喰ったか」
「…………」
「知らないのも当然だな。この下、閉じられた向こう、俺はアレフガルドの竜、翼竜の生き残りだ。この中ではおそらく最後の」

 ここは、「地球のへそ」は、上と下の世界を貫き、塞がれた二つの世界の狭間。下の世界アレフガルドの種族も当然戦った。

「アレフガルド…。そうか。下の世界からこちらに来て戦った竜が、最も深き場所でついえた。…良く、生き残ってくれた。そして、申し訳が無い」

 聖女の片割れ、彼女はブルブルと恐れに震え、深く深く頭を地に着くほどに下げた。
「翼竜の生き残りよ……。私はお前に詫びねばならない。竜族を守ることができなかった。生き残りは、ただのお前一人。そして…。私は、察しの通り、竜を喰らった。血を啜った…」

「……。謝んなくていーさ」
 俺は、回復魔法をかけて、息の落ち着いた勇者を担ぎ、あっけらかんと笑顔で答えた。
「仲間達が、アンタをどれだけ信用していたか、知っているんだ。同胞たちの記憶は俺の中に生きている。アンタの中にも、みたいだな」
「……。そうだ。竜の血を残すため。竜の記憶を残すため。彼らの無念を忘れないため。私は喰らったんだ。死した竜の肉を…!」

「嘆くなよ。仲間たちは皆感謝してる。…ありがとな。背負ってくれて。仲間達の無念を。姉は死んだか?片割れの、匂いがしない…」
 双子の姉、もう一人の聖女、このジードに近しき気配が近くに感じられずに、なんとなくそんな気はよぎった。

「姉は死んだ。そして、新しく、人の娘が「聖女」となった。オルテガ様が死して、姉も死んだ」
「……。悲しいな」

 でも、俺は笑っていた。
 ようやく逢えた、勇者が背中に存在してくれるおかげで、全ての悲しみは浄化されてゆく。
 手を差し出して、聖女ジードを立ち上がらせる。
 もう、誰かが嘆く声を聞くのはこりごりだった。やめて欲しい。


 視界は狭くて良かった。
 ただ進むべき道だけを見つめ、後ろの亡骸も、横の嘆きも、全てが終わってから悲しめばいい。
 大丈夫。仲間達は、その日までずっと待っていてくれる…。

 聖女ジードの魔法で、俺は始めて、『地上』へと瞬間的に移動する。
 初めは、…すぐに目を開ける事ができなかった。
 明るくなって、俺が人が着ける服を着ていないのに気がついて、ジードが自分の黒いマントを貸してくれる。

「なぁ。コイツの名前を教えてくれないか。この、勇者の」
 俺の中には、すでに決意が輝いていた。
 この、『勇者』を必ず守ること。

++

がつがつがつ…。
「うまっ!うまいなコレっ!あ〜!生まれて初めて満足に喰えるー!!」
「……。あ、うん…。まだあるから。はい、おかわり」
 空腹だった俺は、聖女ジードの計らいで服やら部屋やらを貰い、たんまりと食べ物を並べて招待される。

 初めて踏んだ地上の建物、ランシール大陸のミトラ神の神殿だ。大きなテーブルに皿を山積みにして、俺は見るもの見るものかぶり付いていた。
 とにかく何でもかんでもが美味くてしょうがなかった。
 肉を喰らって、果物に皮ごとかぶりついて、水も豪快に喉に通す。

「……。本当にお腹が空いていたんだね。アドレス君…」
 横に座って半ば呆然と喰いっぷりを見つめていたのは、金髪を一つに縛った少年。ひと目で解った、月の弓を持つラーミアの戦士、それの子孫だとは。
「一気に食べ過ぎて、逆にお腹壊さないようにね?」

「……。あの…。勇者様を助けてくれたそうですけれど、…いいんですか、この人。こんな無作法な…。あんなに食い散らかして。何処の馬の骨とも解らないんじゃ…」(ぶつぶつ)

 同室には他にも数人が居たが、奥の方で新しい聖女と少年が隠れて呟くのが耳に入る。俺の聴力はもちろん人を超えていた。
「おい、そこ。そこの騎士まがい。言いたい事あるならこっち来て言え」
「騎士   まがい!?」
「まがいだろ?どう見ても。お前からは戦いの匂いがしない。逆に嫌な匂いがするな。…気色悪ぃ。香りの水の匂いか」

「なんだこいつ!僕を侮辱するなっ!」
 顔を赤く怒りに燃やして、ちゃらちゃら着飾った若い騎士は抗議にすッ飛んで俺の横に立つ。
「僕はちゃんとした、格式ある、誇り高き聖女親衛騎士団の騎士だ!お前こそ、一体何者なんだ!図々しい!少しは遠慮しろよ!このランシール神殿に無作法者はそぐわない。追い出すべきです!姉様!」

「クロード、慎みなさい。その方は勇者様の恩人。そして、同じく竜の血をひく御方です」
「えっ……!」
「おい、水」
「僕は、給仕じゃないっ!!」
 いちいち、ムキになって怒り立つ、乱暴に水を置いて、怒りに歯ぐきを噛み締めて震えていた。
「は〜…。喰った。喰った。ごちそうさん、ジード」
「いえ」
 膨れた腹を抱えて、片手を上げて礼を言うと、また横で騎士まがいが怒り狂う。
「ジード「様」!!!」
「…うるせぇなぁ…」
 やかましいので、頭をかいて俺はすぐさま席を立つ。その時に爪が奴のマントに引っかかり、白い布が裂ける。
「おっと、悪い」

「あ、あああああああああああ〜〜〜!!ぼ、僕の卸したてのマントがっーーー!!!」
「へぇ」
 その位、ちょっと縫い付ければどうにでも使える、そんな程度、俺は全く気にも留めずに軽く相づちをうつ。
 けれど異常にクロードは震えて、涙目で俺を恨みがましく見上げる。
「と、父様とお揃いでオーダーメイドしたのに!この野郎!謝れっ!!誕生日のプレゼントだったのに!世界で二つしかなかったのにー!!」

「……。だから、悪い。お前の姉さんにでも縫って貰えよ」
「畜生!!覚えてろよっ!許さないからなっ!この後シャルディナにも会う約束してたのに!馬鹿野郎〜!!こんなんじゃ会えないよ!」
 喚き散らすだけ喚き散らして、奴は嵐のように泣いて部屋を飛び出して行った。その後で、なんとも嫌な空気だけが部屋に残ってしまう。

「すみません。アドレス様。弟は、まだ子供なのです。お許しください」
「はぁ。ま、いいけど。ごちそうさん!」
 俺は用意して貰った自室ではなく、勇者の部屋に直行してゆく。
 まだ目覚めない勇者の、傍を離れたくはなかった。
 
 どうしても、話さなければならない事がある。


 一緒に、弓の戦士も勇者の部屋に戻って行く。
 リュドラルは勇者の信頼置ける仲間のようだった。だが、俺は名前しかまだ話さずに接していた。最初に話すのは、この「ニーズ」であると思うから。

 治療のかいあって、勇者ニーズは静かに寝息を立てていた。顔色もいい。
 でも、対照的な哀しい叫びを思い出す。

「一つ、訊いていいか、リュドラル。ニーズは、幸せな奴か?それとも、悲しいことしか知らなかったのか」
 勇者の個室で二人、椅子に腰掛け寝顔を見下ろしていた、俺の口からは質問が溢れて落ちる。
 神殿にいる他の者に比べれば、リュドラルが最も彼を良く知っている。
 アリアハンで共に過ごし、子供の頃のことも知っている。けれど、答えは簡単には帰って来ない。

「コイツ、哭いててな…。心の中に悲しみしか見えなくて、なんとかしてやりたいけど…。どうしたらいいのか解らない。生きている仲間に初めて会ったんだ。ただ、助けてやりたい」
「……。僕もですよ。アドレスさん」
 繊細で、優しい印象のリュドラルは軽く笑うと、弓の弦の調整を始める。
「普通の人よりも、ニーズさんは不幸に育ってきたと思います。でも、…優しい人ですよ。幸せになれると思います。いえ、そうさせます」

コンコン。
 不意に来客が戸を叩く。気配を読み、俺はガタリと立ち上がった。

「こんにちわ。お久し振りにお邪魔します」
 明らかに、「人」でない存在の気配、それだけじゃなく、その男はミッドガルドの住人でさえもなかった。
「もうじきニーズさん達が来るので、その報告です」
 緑の髪、ルビス神の力を秘める額冠、神の使い、『賢者』が現れ俺の鼓動が加速する。

「おや?…。これはこれは…。懐かしい方がいますね。アレフガルドの…、翼竜の生き残りがいたとは…。知りませんでした」

 故郷を同じくする者、アレフガルドの住人の登場に俺の心はさざ波を打つ。
「俺は、翼竜の最後の生き残り。いや、正確には、あの戦いの時は生まれていなかった。俺は母親の腹の中、卵で過ごし、ニーズが生まれると共にこの世に出てきた。仲間の記憶を見て、受け継ぎ、過去の事は知っている。だが、その先の事を知らないんだ。教えて欲しい。故郷は、アレフガルドはどうなったんだ…!」

 アレフガルドは精霊神ルビスの創りだした世界。
 その御使い賢者ワグナスに思いのたけはぶつかる。
「解りました。では、お話しましょう」
 僅かに一瞬賢者の瞳は沈み、けれどにこりと温かい微笑みを見せる。

++

「何から、話したら良いのでしょうか…。ミッドガルドは今とは違う、竜族の繁栄した世界でした。だからこそ、大魔王に狙われる事になったのでしょう」
 深刻な話と知って、リュドラルは遠慮し席を外した。

 神殿の美しい庭に出て、じきに訪れる夕闇を受け入れる。
 朝と、夜。時間の流れの印。俺は初めて時の流れ、日の流れをまじかに見つめていた。
 聖女の管理する別館には庭と言えども、常人は立ち入りが許されていない。近くに人の気配は全くなかった。

「この世界が大魔王との戦いに明け暮れたのが七百年前。ラーミア様が降臨し、その命を代償にして、大魔王は自らの攻撃で貫かれたニ世界を繋げる穴に堕ちました。そして、アレフガルドの地に大魔王は封印されたのです」

「アレフガルドには、我が主はもちろん、主の兄、夢の神、そして太陽神なども力を示していました。一つの小さな島に大魔王は封印されたのです」

「こちらの世界では、…多くの竜が犠牲になりました。自分たちのために倒れたラーミア様復活のために、竜は六つのオーブとなりて、ラーミア様の魂を保護します。再び空へ還る事を願って」

「……それが、あの青い珠だな」
「ええ。そうですね。今となっては、その翼で持ってこそ、バラモスの居城へと飛ぶしか方法がありません。ラーミア復活の時が近いのです」

「弓の戦士がいたな。隼の剣士はいるのか?」
「じきに正式に生まれると思いますよ」
 これはやたらと自信ありげに、賢者ワグナスは含んで笑う。

「戦いによって、この世界の世界樹は枯れ、エルフ族もバラバラになりました。人は繁栄しましたが…。そうそう、聖女様は二人とも、生きていたのですよ。ただ、オルテガ様の死に合わせて、アローマ様は亡くなってしまいましたがね」
「……。残念だな。しかし、人に神の力を与えるには、…。あのラディナードって女は、どうなんだ。どこまで知っていて、どこまで背負っていけるんだ?そこまでの才能があったのか…」

「それは当然、騒動になったようですよ。女神同然だった、聖女様が亡くなって、この国は不安と権力争いに血塗られたようです。多くの僧侶が試練   『地球のへそ」に挑み、亡くなりました。神は、地位でも、能力でも選ばない。ただ一つ、強き心にしか言葉をかけない。…戻ってきたのは、ラディナードさんだけだったそうですよ」

 失礼ではあったが、俺の疑問に、賢者は即答してくれる。
 新しい聖女への、敬愛と信頼がその瞳に明らかに見えていた。

「力の在る僧侶、神官の娘が二十人、選ばれ、もしくは立候補し、地球のへそに挑みました。…そして、ジードさんとの戦いも経て…。帰って来たラディナードさんは満身創痍でしたが、証たる額冠をはめていました。彼女は、立派な聖女様ですよ」

「そうか…。すげえな。人と言うのは。もっと弱いものだと思っていた」
「竜に比べれば、それは弱いでしょう。けれど、侮れないものですよ。人も」

 賢者の話は、過去の話から、現在の話に移りつつあった。
 合わせて、庭に闇が降り、小さな光が空に瞬く。

「暫くは、本当に平和でした。けれど、大魔王は復活してしまったのです。今、アレフガルドは闇に覆われています。朝の訪れない深遠の世界と成り果てているのですよ」
「そんな。ルビス神は…」
「封印されてしまいました。石にされてしまっているのです」
「石……!?」

「故郷に帰りたいでしょうね。大丈夫です。私は、二人の勇者を信じていますよ。そして、人の力も」
「二人…」
「ああ、そうです。勇者様は二人なのですよ。どちらもニーズさん。ランシールに居るニーズさんは元ニーズさんと愛称でお呼びしています」
「……。愛称。ふぅん。元ニーズか。解った」

 この賢者は、それが地の顔のようにいつも絶えず微笑みを浮かべていた。
 逆に、冷えた闘志と、強い決意が見え隠れして、俺は時折身震いをしてしまう。瞳の奥に俺以上の怒りを隠している気がする。

「…戻りましょうか。アドレスさん」
「ああ。そうだな」
 言いかけて、帰り際、俺は一言だけどうしても訊ねていた。
「アレフガルドに、竜は生き残っているのか?翼竜は?仲間達はどうした?」

「………」
 背中を向けたまま、賢者は暫し無言を決め込む。
 逆に俺が訊き返されていた。
「愚問かも知れませんが、アドレスさん。あなたは勇者と共に戦う気のようですが、その手に同胞をかける決意はありますか」

      
 ま、さか…。まさか。まさかだ。
「生き残りは居ますよ。ただ、生き残るために、魔に魂を売ってしまった竜たちならですが」

 夜の訪れのせいではなく、俺の視界は一瞬真っ暗になる。
 信じられないことだった。同胞が裏切り、闇に加担するなど。

「生き残るか、滅びるか。彼らは生き残る事を選びました。…彼らには、その方が楽だったのですよ。人と仲良くするなら、人を喰らうことはできない。魔物側につくなら、食べ物にも困りません」

 到底言葉にならない悔しさが込み上げ、一言も発せない憤りに陥る。
 まさか、人を喰らうなんて。人に感謝こそすれ、理解こそすれ、共に生きてゆける尊い種族だと思っていたのに!
 同胞にそんな情けない奴らがいたとは。どうしようもない、ただひたすら悔しい思いに血が滲むほどに牙を噛み締める。

「そんな同胞なら、俺がぶちのめす。仲間の恥は俺が片付ける」
「…そうですか。安心しました」
 燃える瞳を確認して、ワグナスは神殿に戻って行く。その顔は満足そうにまた笑っていた。

++

 何度、こうやって、この場所で目を覚ましたんだろうか。
 いつも、疲れや怪我に昏倒して、自分は担ぎこまれてばかりだった。
 目が覚めた時、いつも繰り返し思うこと。
 ああ、また僕は、人に助けられたんだなと……。

「起きたか、元ニ!」
 今日は、見知らぬ少年の顔が真っ先に視界に溢れた。
 濃い肌の色、オレンジがかった髪、赤い瞳。
「良かった!良かった!心配したぜ!腕、痛くないか?本当にすまない!悪かった!ごめん!」
 目をぱちくりする僕に乗り上げて、知らない少年は怒涛の勢いで謝罪をまくし立てる。歳は僕と同じぐらいみたいだけれど、やっぱり見覚えがなかった。

「……?えっと、ごめん。まだ起きたばかりで…」
 起きた時間、もう夜に差し掛かり、空には欠けた月が上がっていた。僕の部屋には彼とリュドラルと、賢者ワグナスの姿が見える。

「アドレス君、順序を追って話さないと、ニーズさん分からないよ」
「そうだ。あの竜は…。小さな子供の竜がいたんだ。一緒に居なかったかな。ふにふに鳴いて…」

「元ニ。俺がその翼竜だ」
「え…」
「ドラゴラム!」
 竜の言葉を使ったかと思うと、見知らぬ少年の姿はあの時会った小さな竜に姿を変える。
「ふにっ。ふにー…ふに!」
 半身起こした僕の膝元で、「な、そうだろ?」とでも言いたげな動作を取る。

「か……。かわいい!!」
 僕よりも先に、その仕草に飛びついたのはリュドラルだった。そう、リューは動物好きなんだよね。
「うわ〜!うわ〜!どうしよう!アドレス君かわいいです!」
「ふっ、ふにっ!ふにぃ〜!」
 多分照れて、嫌がってリューの腕の中で暴れる竜がまた可笑しい。

「え…。リュー、僕にもちょっと貸して」
 僕にしたってかわいい動物は好きなので、腕を伸ばして催促すると、恥ずかしがってる風な翼竜が羽根をバタつかせ、ベットの上に戻って来た。
「そうか…。人に姿も変えられる竜なんだね。すごいな。怒ってないよ。助けてくれたのは君だよね?ありがとう」
「ふに」

「人と、竜の姿に自在に変化できる竜はもう、おそらくいないでしょうね。貴重な存在ですよ、アドレスさん」

「…ふう。もう、いいよな」
 人に姿を戻して、アドレスはもう一度僕に向き直す。
「俺は、この下の世界、アレフガルドの翼竜、アドレスだ。アレフガルドでは生まれず、地球のへそで生まれて、今までその闇の中で生きてきた。青い珠を守り、いつか珠を取りに来る、お前に会うために、ずっと待っていた」

「………」
 彼の真剣な瞳から、思い出すのは暗き竜の墓場。
 仲間達の屍の中で生きてきたのはどんなに辛かったことだろう。

「生きた竜の仲間に会ったのはお前が初めてだ。お前の中に同じ血を見て本当に嬉しかった。俺は、仲間の無念を晴らしたい。仲間たちと、俺のために、そして竜としての誇りのために、お前と共に戦いたい」

「………」
 最近の僕は、どうにも泣き易くて、困る。
 滅び行く竜の一族、その寂しさは竜の女王の城で体感してきた。
 ずっと生まれずに息を潜めたままの卵。それが生まれなければ竜は途絶えると嘆いた。

 地球のへそで、自分の足で踏みしめてしまった竜の残骸たち。
 たった一人でも、小さな竜が生きていてくれて嬉しかった。

「……。僕には…。そこまでの力があるか、解らないよ…?」
 最近の痛みを忘れていない僕には、強気なことが言えずに、ただ情けない言葉だけが返される。
「自信がないのか?大丈夫だ。お前の中には竜の血が流れていて、強き竜の血が流れていて、優しい人の血も流れているんだ。そして確かにお前の中に『光の玉』が在る」

 アドレスは、弱い僕の両手を握りしめて、今まで聞いた事のない賛歌を僕に与え、牙を見せて笑う。

「よくぞ今まで、『光の玉』を守ってきてくれた。本当に感謝する。辛い事もあっただろうに、汚さずにいてくれた。誰にでもできる事じゃない。お前は今までたった独りの戦いに勝利してきたんだ」

「これからは、もう独りじゃない。俺も一緒に戦う。俺たちは同じ仲間、兄弟みたいなもんだ。遠慮せず、戦わせてくれ。ずっと、お前を守ることを誓う」

 僕は、余りの感動に言葉もなくて、握りしめられた両手に額を合わせて震える。こんな時、返せる言葉を、僕は一言しか知らなかった。

「…ありがとう…。アドレス君…」
「こっちこそ、たくさん言いたいぐらいなんだ。ありがとな、元ニ。これからよろしくな!」

「ほろり。いいですね…。新しいお仲間の誕生です」
 リュドラルの時と同様に居合わせた、賢者ワグナスはまたハンカチで涙を拭う。

「僕も、よろしくお願いしますね。アドレスさん」
「よろしくな。リュドラル」
 アドレスとリュドラルが握手を交わす。その後でアドレスは僕の方にも手を伸ばしてきた。固く手を合わせて、気さくな笑顔に応えて僕も笑う。
 なんか、いいな。嬉しかった。


 僕は、…ようやく思い出した。
 歴史の影に、踏みしだかれた竜たち、彼らには「羽根」があったんだと言うことを。
 そして、その「羽根」は、僕にもきっとある。



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