「影踏み」
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ずっと、闇はとこしえに繋がっているようだった。
いつから始まり、いつまで、何処まで続くのだろう。
光がなければ、誰も「影」には気がつかない、こんな場所で……。
一体、光る舞台に、僕が立ったことが一度でもあっただろうか。
父親オルテガの影、そして道を入れ替わった弟の影。
ずっと家に閉じこもって暮らしていた時のように、僕には影の世界が住処としてふさわしかったのかも知れない。
僕は、魔法の照明が頼りなく照らす、闇の回廊の途中に息を切らせてうずくまり、前方を睨み据えていた。
ひたすらの闇を、殺意も込めて凝視する。
「…はぁっ。… っく…!」
息が苦しい…。
空気が薄いとか、そんな事じゃなく、ここは『闇』が濃い。それだけで息が詰まり、全身に圧迫感を覚える。じっとしているだけで、冷や汗がこめかみを伝い落ち、悪寒は始終尽きなかった。
立ち上がれず、うずくまったまま、横の壁にもたれかかる。
ここでは壁があるのは運がいい方だった。
「地球のへそ」と呼ばれる地下遺跡がある。
聖王国ランシール大陸の中央、人を阻む山脈に囲まれた砂漠の真ん中に、口を開けていた「穴」 …。
まるで世界の「へそ」のようだと、誰かがそんな名称をつけた。
この世界のことを、「ミッドガルド」と神々は呼んでいた。
七百年前にも遡る。
この世界の中央に巨大な穴が開けられる。大魔王の攻撃によって貫かれた、何処までも深く、貫く世界に刻まれた溝。
当時竜の世界だった地上は、大魔王、魔物たちとの争いに血塗られ、荒廃し、多くの竜が死んでいった。
主神ミトラはラーミアをミッドガルドに降ろし、神の鳥は魂を砕かれるが、大魔王が貫いた「穴」から大魔王を退け、下の世界アレフガルドに追放するのに成功する。
犠牲は大きかったが、ミッドガルドはラーミアによって難を逃れた。
遠い昔の伝説。
アレフガルドは精霊神ルビスの創り出した世界。
堕ちた大魔王はアレフガルドにて眠りについた。
ラーミアの魂は砕けた…。けれど、恩を感じた竜は自分の魂を依り代に、神の鳥の力を宝玉に閉じ込める。
それが、世界に散らばる六色のオーブ。
正常の状態では、竜が宝珠を背負っているような造形を作る。
いつか神の鳥が再び甦るのを信じて、
ラーミアを『不死鳥』と願い、敬称するようになった…。
ランシールに着いてから、歴史の真実を知ることが多かった。
「地球のへそ」とは、ランシールでは多くの神器が眠る神聖な場所、試練を求める者が挑む『神への道』のように信じられているが、事実はこうだ。
七百年前、大魔王によって貫かれた世界の傷跡。
そこには多くの竜の死骸が横たわり、下から閉じられ、上からは消す事もできない、混沌の闇が押し込められて、外へはみ出そうと日々蠢いている、闇の箱。
神の武器や名のある道具類が眠ってはいるが、それらは皆 遺品だった。
戦いの中で手放された武器や道具が、穴の中で眠っているだけのこと。
時代を超えて、力ある者が、時折それを目指して挑むようになった。世界と世界を繋ぐ穴は次元が歪み、残された多くの遺志と、闇との間に、時間は乱れた …。
時間をかけて、最深部を目指すために唯の穴にも建物が築かれたが、人は穴の中で正気を保つのが困難だった。
方向感覚がなくなり、ただでさえ迷宮な中、幻覚や、時間の乱れに迷い込む者も出ると訊く。時間の歪みにはまると、過去の幻影、更には暫定的な未来さえ見ることもあると言うが……。
共に入っても、個人で見る景色は違い、個人それぞれの試練の場所と変わるのが「地球のへそ」。
地上は時が経ち、当時の傷痕を消したが、穴の中だけにそれはいつまでも癒えずに腐り続けていた。
「穴」の最深部には、ここを管理する聖女すら覗くこともできないのだと、僕は調査を頼まれた。穴に落ち、行方の知れないブルーオーブに辿り着けるのは、その身に「光の玉」を宿す竜の勇者しかいないのだと……。
聖女の一人、黒い神官衣をまとうジードは、地球のへその守護に徹底しているために、彼女は特別にこの場所に精通していた。
彼女がいると数名でも同じ道を行くことができ、彼女と他の仲間と、僕は最深部を目指し、何度も進んでは戻り、進んでは戻りを繰り返していた。
それが僕の使命。
けれど、また僕は意識を昏倒とさせていた。
闇に競り負けて、魔法の灯りが消えかかっている視界の中、仲間達の戦う声すらも遠くに霞んでゆく。
「大丈夫ですか。ニーズさん…」
うずくまり、咳き込む僕にそっと肩に手を置く、優しい友達の声に視線だけを上げる。月のように輝く銀の弓を持った戦士、そして故ネクロゴンドの王子であるリュドラルが、いつもの様に心配してくれる。
彼の方も、地球のへそに渦巻く闇に中てられ、顔が青い。
穴の中には魔物も生息しているために戦闘が続く、その裂傷も蓄積されて痛々しかった。
「まだ、大丈夫…。ゴフッ !た、戦えるよ…」
支えられて、立ち上がった僕は、濃い闇の空気にむせながら呪文の詠唱に入る。
「炎よ。…閃光となりて…! ベギラマ!」
中味のない、鎧の騎士たちを大量に相手にして、炎の渦は火の粉を撒き散らして敵を包み込む。
横手から、リュドラルの弓も光を描いて貫いて往った。
鎧は砕け散り、床にパラパラと落ちてゆく。
「もう少し、行けますか。勇者様」
前衛で尖剣を奮っていた、聖女ラディナードがさすがに連闘に疲れを見せて戻って来る。
彼女のいでたちはいつもの白い神官衣ではなく、額に額冠を当て、蒼いマントに身を包み、その衣装は賢者ワグナスと模倣していた。
地球のへそに挑む時、彼女らは戦闘装束と言うのか、神の使い『賢者』の衣装に着替えるようだ。清廉として眩しく、聖女ラディナードはそれは美しい。
「この先から、更に腐臭がまします。足元には竜の死骸が尽きません。ご容赦下さい」
後方からもう一人、聖女ジードが毅然として案内を進める。
普段は黒い神官衣に、黒い布を被り、顔を見せず、人前に姿を見せない彼女。
『賢者』たる姿にも、黒いマントで徹底していた。
額冠を当て、賢者の姿ではさすがに素顔を見せてくれる。その素顔はラディナードよりも若干若い印象だった。
視線はきつく、口調もどちらかと言うと男口調だが、美人の類いだと思う。
ミトラ神より力を授かった、聖女はその瞬間から神族の属性を持ち、不老となる。外部からの攻撃など以外では、聖女は不老不死と謳われていた。
ラディナードよりも遥かに聖女としての命が永いと言われる、彼女の実年齢も僕は知らない。
賢者ワグナスと同じ木製の杖を持ち、主に彼女は後方支援に徹底してくれていた。
無口で厳格で、とっつきにくい人ではあったけれど、留守番しているシャルディナとは仲が良いらしい。
シャルディナに対しては、ほのかに笑顔を見せる場面もある。
先へ、息苦しい闇の中を、聖女ジードを先頭に歩み行く。
不意に、ジードが杖に宿らせていた、魔法の灯りが闇に圧し消され、不意に視界が全くの「黒」に染まった。
何かが、闇の波動とでも表現したら良いのか、凄まじい闇の波が押し寄せ、僕らを散りじりに吹き飛ばす。
床に激突し、痛みに顔を歪ませ呻いた。
近くに誰の気配もなく、目を開いた瞬間、僕の目の前に紅い二つの瞳が怪しく灯る。
「…私が怖いのかしら…。こんなに泣きはらして…。クスクス…」
「うああああああああっ!!」
絶叫して、いつの間にか押しつぶす様に身をすり付けていた、死神の姿に闇雲に抵抗する。
「愛していますわ…。ニーズさん…」
その死神は僕が見る幻覚だったのだが、冷静さを欠いた僕は気づかない。
「聖なる光よ っ!!我より出でて…、天を裂き、大地に降り注げ…!聖なる光よ!」
「こんなに震えて。可愛い人…」
幻のユリウスは、底なしのように哂う。
僕は無我夢中で、連発していた。それすらも、闇の思うがままのように。
「ライデイン!…ライデイン! ライデイン…!」
「クスクス」
「アハハハハハ…」
闇が嘲笑っていた。僕の命を確実に削ぎ落としてゆく、
闇の爪で緩やかに痕を残して。
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何処かで、もう目が覚めないような気がしていた。
けれど僕は、心配してくれる仲間に恵まれていた。
「気がつきましたか、勇者様」
うなされていたのか、僕の汗をずっと拭っていてくれたらしい、女性は目が合うと、にこりと微笑んで傍に居た弟を呼ぶ。
「リュー、勇者様が目覚めたわよ」
「ニーズさん、良かった。ものすごくうなされていましたよ。大丈夫ですか」
まだ、正直気分は最悪だった。
吐き気がして、頭が重い。何より、あのユリウスがまだまとわり付いている不快感が残っていた。
部屋を見れば、宛がわれている自分の個室だと気がつく。
運良く、仲間に助けられて寝かされていた様だ。
窓の外には月が見え、部屋にはランプが控えめに灯され、二人の姉弟が僕の顔色を覗いて「まだ安心できない」と言い合う。
仲間であり、友達でいてくれるリュドラルには、いつも本当に感謝していた。
そして、夜だけ会うことができる彼の姉、シャンテ王女にも。
「食欲はないかも知れませんが、何か口にした方が良いですよ。何か軽いものを用意しますね。果物など剥いてきます」
「ありがとう。シャンテさん…」
姉が退室した後で、思わず寝たまま、ため息をついた僕を、不安げに座っていたリュドラルが見下ろしていた。
「…今回は、僕も一日うなされてました。ニーズさんは三日です。ジードさんだけは平気だったみたいですが…。…本当に大変ですよね」
目的地への困難さに、多少参った風に言うリュドラルも、同じように幻覚を見たんだろうか。表情に翳りが見えた。
「でも、最深部にはだいぶ近付いているみたいですよ。ジードさんが言ってました。体調が戻り次第、また向かうと言っていました。…頑張りましょうね」
「……。うん。ありがとう」
彼が来るまでは、こんな優しい言葉も聞くことができなかった。
聖女も、シャルディナも優しいけれど、「心を許す」というまでには、僕は彼女らに向き合うことができなかったから。
何より、僕は彼女らに、勇者として顔向けできるような実力に届いていない。
彼女らに会う度に、自分の情けなさを身に染みて味わわされる。聖女より弱ければ、こうしていつも寝込んでばかりなのだから。
シャンテさんが果物と野菜のスープを少し持って来て、半ば無理やり口にすると僕は再び横になった。
……弱いな。僕は。
どうにかしたいよ。
影は影なりに、踏まれてもなんとも思わない屈強さが欲しかった。
「夜の間、姉さんが見ていてくれるので、安心して休んで下さいね。僕も隣で寝ていますから、何かあったらすぐ来ますから」
念を押して、リュドラルが枕元で励まして部屋を出て行く。
亡国の王子の気遣いは、いつも僕を安心させてくれた。
多分、実の弟以上に、僕は素のままの顔でいることができた。彼の前では。
とてもありがたかった。
考えると、弟の前では、僕は心配されても「笑う」ことしかできなくなっていたな。
……もう。
「辛いですね。勇者様も。こんなになりながら、それでもオーブを取りに行かないといけないなんて。せめて今夜は良い夢が見れますように。傍でお祈りさせて頂きます」
僕の手を掴む、彼女の手は冷たかったけれど、祈るシャンテさんは女神像のように月明かりに照らされて綺麗だった。
「ありがとうございます。シャンテさんも…。本当はリュドラルも、僕が守らなくちゃならないのに…。助けて貰ってばっかりで……」
「勇者様は、希望ですよ。それ以上に、私たちが望むものはありません。私は、逆に感謝していますよ。あの子も、それは一緒だと思います」
誰もが言う、僕は『希望』なのだと。
「勇者が万能で屈強な戦士であるなど、空想物語だと思うわ。だから、気にせず、ゆっくり休んで下さい。おやすみなさい、勇者様」
シャンテ王女は弟にするように、僕に良く接してくれた。
いつも優しく気遣ってくれて、包容力を感じて、傍に居てくれると安心感を覚えた。頭を撫でて、布団の乱れを直してくれるのを、まだ見上げていた僕に気がつくと、
「信じていますよ、勇者様」
時たま彼女が見せる、無邪気な笑顔を見ることができた。
許されるなら、ずっと眠っていたいと思っていた。
静かな、ランシール神殿の夜が過ぎてゆく。
賢者ワグナスに連れて来られてから、ランシール神殿最深部、許された者しか出入りできない、別館に部屋を借りて僕は生活を始めた。
聖女の私室もここにあり、使用人が僕も合わせて世話をしてくれていた。
日常は神殿にある書物を読んだり、魔法を覚えたり、剣術を聖女に指導して貰ったり。(情けない話だけれど、ラディナードさんの方が強いからね)
賢者ワグナスは時折現れて、弟の事を教えてくれたり、雷魔法の練習に付き合ったりしては、ふらりと戻って行く。
同じ別館にはシャルディナもいて、時折一緒に食事をしたり、歌を聴かせてもらうなどの交流も持っていた。
決められた人物以外の出入りのできないこの別館、たいていはいいのだが、中には望まれない客もあったりする。
静かな夜、 それが一番だよ。
けれど朝は皮肉にも訪れて、朝から嫌な客が訪れるのを、僕はうんざりしながら迎えなければならなかった。
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翌朝、気持ちよい朝の光に目が覚めた。
天気が良くて、悪夢にうなされることもなく、ただ夜の間中そばにいてくれただろう、シャンテさんの姿はなくなっていたけれど。
予感して僕は目が覚めたのだろうか…。
部屋のドアの向こうから、複数の人の声がこちらに近付いてくるじゃないか。
しかも、その声の相手を知って嫌な気分になった。
「…………」
暫く考えて、寝たふりしてやり過ごそうと布団に潜った。
コンコン♪
「勇者っちゃ〜ん!起きてる〜?見舞いに来たぜ〜!」
朝から陽気にドアを開ける、商人ラルクの声は底なしの明るさを誇る。今日も買い物袋をぶら下げ、いつも通り頭にターバンを巻いて宝石で留めていた。
「あれ?寝てるか。残念だな〜。精力増強アイテムいっぱい買って来たのになぁ。マムシドリンクとか、スッポン姿焼きとか、レバさしとか」
何か勘違いしているらしいラルクを細目に見て、僕は早く帰らないかなぁと待っている。
「あの、ニーズ様、お休みのようですから、差し入れは置いて、また少ししたら来ませんか?ラルクさん」
訪問者は複数、一人だけ女の子が混ざっていた。
こちらもジパングから賢者ワグナスが連れてきた、吟遊詩人シャルディナ。
金髪を二本三つ編みにした、すごく綺麗で歌の上手な女の子 彼女は嫌いじゃないけれど、ついてきた面々がまずかった。
ごめんね。無視することに僕は心の中で謝っておく。
「ちえっ。まぁ、しょうがないか。効果てきめんだと思ったんだけどな。ラディでも拝んでから帰ろうかな♪またあの格好してないのかな?賢者スタイル。ミニスカートが色っぽくてさ〜♪」
「ラルクさん!卑猥ですよ!!」
もう一人訪問者は存在している。
熱っぽくビシッとラルクを叱りつけ、不満そうな商人に演説を始める。
…なんとなく、こんな所はとある戦士を思い出すんだけど…。
薄目でやはり確認した、彼は相変らずの衣装でラルクを注意していた。
聖女ラディナードの弟、クロード・フィルス。
女性並に気を使い、整えられたサラサラの金髪。服は上質の作りで、白いマントには汚れ一つなく、卸し立てのように輝き、金髪と重なって全身がキラキラ光っている。
肩当てには金の施し、マントには金の留め具、実戦用ではなくおそらく美術品であろう腰ざしの剣には宝石が散りばめられ、袖口や襟元には豪華な金の刺繍がされていた。
一体何処のパーティ会場へ行く途中なんだろうかと思う。
それは決まっていつもの彼のお約束。
白い汚れなきマントは、彼の自分的ポリシーらしく、替えを数着いつも用意しているし、些細な汚れでも馬鹿のように気にして取り替えた。
…相当の甘やかし、馬鹿息子到来だった。
僕の見舞いに彼も来たようなんだけど…。
「そう、うるさく言うなよ〜、弟。だってさ、いいと思わない?あのラディの生足。神の使いたる清楚さに心トキメキ。逆にそそられちゃうみたいな♪」
「姉様をその様に「不純な目」で見るのはいい加減やめにして下さい!全く、姉様にあなたのような人は不釣合いです!いつもいつもイヤらしいことばかり言って!」
まぁ、それには僕も同感するね。
「ねっ!シャルディナ。大丈夫!シャルディナには指一本触れさせないから!シャルディナは僕が守るよ!今日の君の笑顔も百点満点だね!」
ここぞとばかりに、クロードは振り返り、同意を求めてシャルディナの両手を握りしめる。このクロードは色々な事柄に点数をつけるのが大好きだった。
「あ…。ありがとう…」
いつも、シャルディナちゃんは困って、表情を曇らせる。
クロードはそれを『恥じらい』と勘違いして、更に彼女に惚れ込み、モーションをかけるのが日常茶飯事。案の定、今日も例外ではない。
「じゃあ、勇者様のために用意した高級フルコース、ステーキ大好きセット、シャルディナと二人で食べようか?デザートも用意してあるんだ。五つ星有名店のシェフオリジナル特大パフェだよ。二人で一緒に食べたいな!行こうよ!」
「あ、……。クロード、あの……」
困ってる困ってる…。
ああ、助けてあげたいけど、起きて二人と会話するのも面倒くさいし…。
コンコン。
何故かまたドアは叩かれる。
「ぼっちゃま。申し付けのお品、お運び参りました」
クロードつきの執事が登場し、部屋に盛大な花束が運び込まれてしまう。(汗)
聖女が申し出てくれたのを断って、質素に、必要以上に物を置かない部屋にしていたのに、いきなり部屋中に花を飾られ、僕は完全に面食らっていた。
花瓶も持ち込み、壁にも飾り、山盛りの果物やお菓子、着替えなどまで運びこむ。
一人用の狭い個室に納まらず、隣の部屋にまではみ出す始末だよ。
「相変らず、やる事が派手だな〜。弟ちゃんは。勇者ちゃんは嫌がるんじゃないのかな、過度なのはさ」
…全くその通りだよ。
言いつつ、早速盛られた果物を口に含むのが商人ラルクなんだよね。
「ささやかながら、お見舞いに花を選んだんですよ!でも、勇者様の好みが解らないから、こうして考えられる全ての花を用意しただけで。たいしたものが用意できなくて恥ずかしいです」
「………何これこの箱の山?着替え?うおっ!パジャマだ!高そ〜!」
ラルクが箱を開けて、着替えに用意されたらしいパジャマを掴み上げる。
と、ドレスでも作れそうな高級シルクのブランド品で、色や柄が違うものが十着。
僕は何も言えなくなった。
「勇者様に元気になって貰いたいからですよ!病は気からと言うじゃありませんか!神聖な着衣に身を包み、初めて精神の安定があると言うものですよ。勇者様には勇者様の、ふさわしい衣服があるんです!!」
…疲れた。
本当に疲れた。
聞いているだけで頭が痛くなってくる。
本当に、クロードは…。根が悪いワケじゃないんだろうけど、何かにつけて人を疲れさせてくれた。
彼は、確かに甘やかされていた。
まずフィルス家。今となっては聖女ラディナードの生家ではあるけれど、その前にも宝石商として有名な大富豪でもあった。
ランシールではこの大陸でしか取れない宝石、鉱石の類いが豊富に採掘できる。その元締めがフィルス家だと言うんだ、ちやほやされまくって生きてきたに違いない。
更に姉が、この国の最高峰『聖女』に任命されたことにより、フィルス家の繁栄にも拍車がかかり、弟のクロードも(それなりに才能があったため)聖女親衛騎士団に入団し、そこでも七光りを浴びて甘やかされているとか。
嫌な図式に溺れていると思った。
裕福で、お金に溺れていて、でも、誰も強いことが言えないでいる。
僕にしても、聖女に世話になっている身で、なかなかはっきりと言えないのが辛い所ではあった。
…だいたい、ラディナードさんが強く言わない所を、僕らがどうこう言えるはずがないんだよね。頼みの聖女さまは、どうにも弟に不可侵のように見受けられて…。
考え込んでいる間、それでもラルクとクロードの会話は炸裂していた。
「シャルディナちゃんさ、クロードとじゃなくて、これから俺とデートしようよ♪いい所知ってるんだ〜」
「ななな!なんですかっ!僕のシャルディナに許せないですっ!だいたい姉様と言うものがありながら!不謹慎ですよ!神の道に背きます!」
「クロードさぁ、相手にされてないじゃん。しつこい男は嫌いだよな〜?シャルディナちゃん」
「え…。そんな、…あの……」(おろおろ)
「シャルディナは僕が守るって決めたんです!『隼の剣』を貰って、僕が彼女を守る!それが世界のためなんだ!」
いきなり大きなことを言い出したクロードに、ラルクもシャルディナも意表をつかれた。
「あのね、シャルディナ。隼の剣を手にしたら、正式に申し込もうと思っていたんだけど…。僕は、シャルディナだけの騎士になりたいんだ…。ずっと君だけを守ってあげるよ!」
頬を染めて、それは嬉しそうに、破顔してクロードは愛を語る。
彼女の両手を握り締めて、熱のある瞳は歌姫をまっすぐに見つめていた。
返事に困るシャルディナだが…。
その瞬間、また扉は開いて、僕にもシャルディナにも救世主が現れてくれた。
「あの、何騒いでるんですか。ここはニーズさんの部屋ですよ。まだニーズさん寝てるじゃないですか。騒ぐなら外でやって下さい」
静かにたしなめて、三人を退場させてくれたのは『精神安定剤』として本当に頼りになるリュドラル王子だった。
…本当に頼りになるよ。(ため息)
「なっ!何この部屋!?クロード君!ニーズさんはこう言うの嫌いってこないだ言ったじゃない!もう贈り物禁止だよっ!」
「そんな、リュドラル王子。こんなもの贈り物と呼んでいいのかどうかも疑わしい、些細な花やパジャマですよ?」
部屋の入り口、閉めながらも注意の声は絶えなかった。
ある意味、クロードにリューが一番文句を言っていた。
身分ある者としてクロードも彼には敬意を払っているし、割と素直に意見を受け入れてくれるのが救いだと思う。
閉めた扉の前にまだいるのか、会話はまだ聞こえている。
「クロードって、隼の剣狙ってたんだ?知らなかったな」
意外そうに、呟いているのはラルク。
それを耳に挟んで、リュドラルもクロードの返答に注意を向ける。
「当然ですよ。ミトラに仕える者の憧れですよ。いいえ、シャルディナを守る者として、僕は隼の剣が欲しいんです。なんだか今はしがない戦士が勝手に借りてるみたいですが、不愉快ですよ。早く返してくれないかなー…。汚されでもしたらどうしよう」
「アイザックは、そんな…」
言いかけて、シャルディナは俯いた。
反論しようとして、周囲の視線に躊躇ったせいで。
「ふーん…」
何か、意味ありげに、商人ラルクはにんまりと含んで笑う。
「クロードお前さ、剣どころか、そいつにシャルディナちゃんまで獲られちゃうんじゃないの?気をつけな★」
「ななななななななっっ!なああっ!んな馬鹿なっ!有り得ないよっ!有り得ないよねシャルディナ!」
狼狽した声は大きくて、やはり僕は眠れない。
「だいたい何処の田舎戦士と、僕のシャルディナがつり合うって言うんだよ!」
言うに事欠いて、クロードは今の「剣の持ち主」を罵倒し始める。
「もう一人の勇者と一緒にいるらしいけど…。剣も我流、師もそこらへんの兵士とかなんじゃないかな?隼の剣には僕のように実力があって、気品も礼節もある者が相応しいと思うよ。本当に腹立たしいんだよ。僕が真っ先に手にしようと思っていたのに!」
「………」
俯いていたシャルディナは、弾かれたように顔を上げた。
その口から反論が飛び出す前に、先手を打ってリュドラルが素直に怒りを吐く。
「アイザックを馬鹿にすると許さないよ」
声だけで、怒りが判る。アイザックは彼の親友とも言える程、身近な友人。
怯んだクロードは、しかし引き下がって尚毒を吐く。
「……。まぁ、その、友人を良く思いたいのは解りますよ。でも、人には分不相応と言うものがあるんですよ。シャルディナにも、隼の剣にも僕がお似合いです。どんな奴か知りませんけど、絶対に負けないですよ」
「……。言うね。でも、生憎だけど…。友人だからでもなく、客観的に見ても、君とアイザックは『格』が違うと思う」
「ひゅう〜♪」
廊下に流れた殺伐とした空気に、面白がってラルクが口笛を吹くのが聞こえた。
「早くアイザック来ないかな。きっと、思い知るよ。こんな僕なんかとは違うよ。身分も後ろ盾もなく、裕福な資金もなく、たった一人でも道を拓ける人物だよ。君が鏡を見てる間に、彼なら人のために体を動かせるよ」
リュドラルの言葉に、クロードは悔しさに震え、唇を噛みしめる。
「……。皆……。買いかぶり過ぎるんじゃないかなぁ」
皮肉、だろう。
小声で、ぼそりと問題発言は廊下に提示される。
彼は、口を尖らせて、多分、ずっと胸に秘めていた不満を吐き出した。
標的は、移り、 上体を起こしていた僕の胸を貫く。
「だいたい…。皆、肩書きばかりじゃないか…?どうせ、そっちの勇者だってたいした事ないんだよ。勇者ってもっと、強くてかっこいいものだと思っていたのにな。残念だよ」
「な……!」
廊下にいた面々はそれぞれ言葉を失う。
思いもかけずに、今まで、
「勇者様!」、「勇者様!」とまとわりついて来た者の牙を知る事になる。
「……。勇者様は寝込んでばっかりだし。全然頼りにならないよ。だから僕がシャルディナを守らなきゃって思ったんだ。制限があるとか呪いがあるとか知らないけど、勇者なんだから先頭切って、かっこよく戦って貰いたいよ、僕は」
最もな意見に、僕の感情は冷め、反論は頭に浮かびはしない。
「オルテガ様の息子だって言うから期待してたのに。期待外れもいいところだよ。僕が代わりに勇者になりたいくらいだ」
廊下は静まり返り、一人饒舌に彼だけが不満を並べ立て続ける。
「だって姉様よりも弱いし。すぐ倒れるし。情けないと言うか…。世界の代表として恥ずかしいよね。そう思わない?優しいとか…。そんなことは『勇者』に求めても仕方ないと思うんだよ」
「勇者は戦ってこそ存在意義があるってものだろう?寝てる暇なんてないはずだよ。…なんだか、色々と拍子抜けなんだよな…」
扉を開けて、僕はそこに居た四人へ告げた。
「まだ本調子じゃないんだ。静かにしてくれないかな」
それだけを短く言って、部屋に戻り、僕は布団を被る。
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++ |
ノックをして、僕を気遣うリュドラルが入って来ても、僕は背を向けて横になったままでいた。暫く黙っていたが、リュドラルはベット横の椅子に腰掛けて、ひとり言のように僕の背中に話しかける。
「……。許せないですよ、クロード君てば、あんな事言うなんて…。気にしないで下さいね。僕達は、ちゃんと分かっていますから」
「………」
顔を見なくても、ありがたくも、リュドラルの怒りは浸透してくれる。
アイザックと、僕と、そして弟と、まとめて皮肉ったクロードに対しての憤りが部屋の空気にも漂う。
暫く、一人塞ぎ込んで考えていた。
でも、ゆっくりと起き上がって、両手を組んで問いかける。
「ねえ、リュドラル。ニーズも、弟も、こんな風に苛まれた事があるのかな」
「………。それは…。はい。多分…」
「あるだろうね。そうだよね」
殆ど人前に出ない僕よりも、表舞台を歩く弟の方が風当たりは強いんだろうな。
「勇者のくせに」とか。「勇者なんだから」とか。
期待と批判と責任を背負って、それでもまだ『勇者』として歩く弟は、一体何のために戦っているのだろう。
「大丈夫だよ、気にしていないよ。むしろ、言われるべきだったんだ。自分でも思っていた事だから。自分で受け止めていかなければならないんだ。先陣切って、戦って行きたいね。そんな強さが欲しい」
「ニーズさん…。はい。ついて行きます」
神殿別館の廊下では、歩きながら、
しかし我慢できずに、シャルディナはクロードに反省を促した。
「クロード…。さっきのは、失礼だと思うよ。今度ニーズ様に謝ってね」
「………。シャルディナがそう言うなら…」
不服そうに、しぶしぶとクロードは頷いて見せていた。
「確かに、言い過ぎたかも知れないよね。でも、僕は周りの意見を代弁しただけだよ。シャルディナの事も、ちゃんと守って欲しいから言っているんだ」
叱られて、落ち込んだように見えたのは一瞬で、クロードは再び瞳を輝かせて彼女の両肩を掴む。
廊下、とは言っても、人通りはない。
一緒に居たラルクは、聖女の元にさっさと消えていたので二人きり。邪魔者はいない。どぎまぎしながら、クロードは愛の告白のやり直しを要求する。
「その…。初めて見た時から、君しかいないと思ったんだよ。本当に好きなんだ、シャルディナの事が。僕と付き合って下さい!!」
「………」
緊張に微かに震える、クロードの赤い顔とは対照的に、シャルディナの瞳は光を失う。顔は白く、唇は乾いて、ひとこと、
「ごめんなさい…」
謝って、熱い彼の手を肩から外させた。
「な、なんで…!どうしてなんだいシャルディナ! !?まさかっ!本当に例の剣の持ち主に…とか…!!」
断られた、クロードは必死で食い下がり、更にシャルディナを困らせる。
彼女は首を振って、力なく微笑むとまた廊下を歩き始めた。
「ごめんね。私には、待ってる人がいるから…。クロードには、もっといい人がいるよ」
一人残されて、愕然としたまま、クロードは棒のように立ち続けていた。
「なぁラディ〜。精力増強アイテム食べる?それともここは俺が喰うべきかな。そんで今夜頑張っちゃうとか〜。にへへっ」
「それどうしたの?まさか勇者にじゃないでしょうね」
「おお!当たり!さすがラディ。勇者ちゃんに渡しそびれちゃってなー。さすがにアレはキレてたからな〜。弟はホント困ったチャンだよな」
聖女の部屋では、押しかけた恋人にラディナードが呆れて、差し入れを断っているところだった。
「ラディさ、クロードはあのままでいいのか?ほっといてるみたいだけど…」
「……。ほっといてる訳じゃないのよ」
「勇者に暴言吐いてたぞ〜。シャルディナに振られるのは、まあいいとして。勇者ちゃん神経質だからな。真面目で繊細だし、この先もっと傷ついちゃうかも」
「………」
今日は執務のために神官衣着用だった聖女は、本日の予定表を投げ出して真顔に変わる。
「私は、クロードには、自分で気がついて欲しいと思っていたのよ」
カーテンを開き、窓の外を眺めた聖女は、伏し目がちに弟への思いを語る。
「私のせいもあるのよね。何も欲しがらない、冷めた娘の分も両親はクロードを可愛がったし、何でも喜ぶあの子は可愛いわ。でも、そろそろ潮時ね。いつまでも子供じゃいられない。クロードの行き先なら考えているの。心配無用よ」
「そっか♪」
満足して、ラルクは差し入れ予定だったレバーの串焼きをもぐもぐかじっていた。
「それはそうと、昨夜戻ったのよね。何か分かったの?」
「んっ!おお!もちろん♪定期報告の時間です!」
話を聞きに自分の傍に寄ったラディナードに満面の笑みで、得意げな彼の報告が始まる。
「イエローオーブの所在どころか、噂さえも聞けないけど、黒いオーブの噂は聞いたぜ。なんでも、持つ者に災いが起こるとか。必ず持ち主が死ぬとかな」
「……。物騒な話ね」
「でも、強運が訪れるって言う奴もいるんだよな。強運で成功するんだけど、死んじゃう、みたいなさ」
「………」
聖女は黙って思案していたが、続いた言葉が本題だった。
「アッサラームに、何処からかそのオーブが流れ込んでたらしいんだよ。不吉な噂から誰も買い取らなかったし、不気味だからってお蔵入りしていたらしいんだよ。でも、それを買い取りに来た女がいたんだ」
聞くからに怪しい女だった。
売り物にもしていないオーブを何処で聞きつけてきたのか。
若くて綺麗な娘だったと言うが、売りつけた連中の話では、どうやらその女は『旅の占い師』だったらしい。
自らの占いで黒いオーブの存在を知り、占いの道具として求めたのだと。
「そんでな、黒いオーブを持って、占いを始めたらしいんだよ。これが当たるって大評判なんだ。へへへ。実は、俺も占って貰ったよ♪」
「………。当たったの?」
「もう、バッチリ!俺とラディは相性バッチリ、幸せ一杯だってさ!」
「…………」
「近いうちに、その占い師に会ってみるわ」
「いい娘だったよー。可愛いし♪あのオーブはラーミアのオーブとは関係ないんじゃないかなぁ〜。あの娘に災いが起こってるようにも見えなかったし」
「具体的な容姿や年齢。名前は」
「うん、今をときめく花の18歳。綺麗な長い銀髪でねー。ふわふわ髪なんだよ。名前は『ニース』ちゃん!」
「ニ…」
何故か、ひっかかりを聖女は覚えて、繰り返す名前は途中で止まる。
「勇者ズと似てるんだよな。言ったら、自分も似ていて嬉しいですって笑ってさ。それも可愛かったな〜。あ、妬く?妬く?」
バシン。
戒める一発がラルクの頬に飛ぶ。
「ふざけていないで、イエローオーブを探しなさい。その占い師には私が直接会って確かめます」
「へーい」
黒いオーブを持った占い師、名前はニース。
そして銀髪の娘。…胸騒ぎがしていた。
多くの気がかりを世界中に残したまま、聖女は慌しく、今日の日常のために部屋を出て行く。
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「地球のへそ」への行軍は、数日後また決行される。
前回の到達地点からいくらか進み、しかしオーブの光は見つけられずに彷徨うこと数時間。
建物だった場所は通過し、最深部までくると、壁は湿った土となり、もはや洞窟と姿を変える。足元は定まらず、敷き詰めたように竜の残骸が埋め尽くしていた。
憐れむ余裕もなく、濃い闇に痺れを堪えるだけで体力を持っていかれてしまう。
最後には僕と「地球のへそ」の管理者聖女ジードだけになり、聖女ラディナードもリュドラルも途中の分岐点から進めずに、帰りをそこで待っている。
聖女ジードも、すでに肩で息をしていた。
闇に目を凝らし、寒いのか、ずっと全身の震えを押さえて何かに耐えている。
「すみません。勇者様、私の案内はここまでのようです…。けれど、最深部はそう遠くないはずです。お気をつけて」
「分かりました。必ず戻ります」
僕は、独り、竜の墓場を当てもなく進んでいた。
進んでいるはずだ、と言った方が正解だけれど。
魔法の灯りもつかない程、周囲の闇は濃縮され、光を廃絶しようと僕ごと圧迫しようとする。
視界は、一寸先は闇。
自分の足すら確かに見えないが、青い光を探して進む。
ミシ…。バキ…。
歩く度に、どうしても踏んでしまう竜骨が砕ける音が鳴り響く。
「ごめんね」呟いても、届くだろうか。
「ごめんね…」
闇のおかげで、おそらく一面の屍の野を見ることはない。けれど、確かに足元に無残に転がる、悲しき竜の亡骸たち。
僕は、ひとまず立ち止まって、…いや、どうしても立ち止まって、黙祷せずにはいられなかった。
竜の女王の、滅びに嘆いた悲しき城を思い出した。
もう、竜は滅びゆこうとしている。
竜の女王は呼んだ、僕を『最後の竜の子』と…。
「………。………っ。 …」
無性に、僕にも流れる血が共鳴するかのように、僕は祈って涙を流した。
嫌だな。死骸の上を歩いてゆくのは。
でも、これが本来の現実なんだろうか。
多くの犠牲の上に、物事は進んでいくものだ。
進んだ先で、手に入れる物がある、それが僕のやるべき事。
『虚無』だった。
ミシ…。バキ…。パキパキ…。
骨を砕く音ばかりが反響してゆく。頭がクラクラして、意識がぼうっとしてきた。
毒の沼地を歩いているような感覚だった。
骨につまずき、死骸の中に転倒する。骨の中に埋もれると、吸い取られたかのように全身に力が入らなくなった。
何故か、ずっと、何度でも涙は溢れて止まらなかった。
どうしてかな。
この亡骸の山が、自分の未来のような気がした。
寂しいね……。
疲れた僕は、夢に堕ちてゆく。
温かい笑い声が聞こえた。
「あははははっ!あははははは!」
「おとうさま。おとうさま〜」
男の子と、女の子、幼い子供たちが両親に駆け寄る。
周囲は綺麗な緑深き森だった。
空気が澄んで、木漏れ日が輝いていて。
画面が鮮明になると、僕は知る。幼い兄妹はエルフ族。
母親も見知らぬエルフの女性だった。
父親は人間。
人間の男性。
人間の、男性。黒髪、黒い瞳、見覚えのある額冠。
「おとうさま、きょうわ、いっしょにいられうの?」
「ああ。一緒に居られるよ。何して遊ぼうか」
「おとうさん。ぼくとっ。もりにいって!」
「分かった。何処へ連れて行ってくれるんだ?」
父親は優しそうに、子供たちに笑いかけて、逞しい両腕で抱き上げる。
母親も笑顔で、幸せそうだった。
母親の唇が動く。夫の名前を呼ぶ。
「ねえ、オル …」
「ああああああああああああああああっっ!!」
耳が裂ける程に叫んで、夢を壊そうとする。
見たくない!こんなもの見たくないんだ!
「あのね、あのね、おとうさまだいすき!」
「私も大好きだよ。シーヴァス」
「消えろっ!!」
目は覚めたはずだ、
なのに、森の中の夢は闇の中に浮かんだまま。
腰の剣を抜き、ためらいなく黒髪の男に斬りかかる。これが現実でも良かった。それでもきっとそうした。斬り付けたかったんだ。
しかし、鮮血は上がらなかった。幻影をすり抜け、自分は死骸の山に勢い余って倒れ込む。あちこちを打って、切り傷を負い、それでも耳に会話が流れ込む。
「ぼくもー。おとうさんすき。おかあさんもすき。みんなすき」
「愛しているよ。二人とも。大事な私の子供たち」
幸せな家族だった。
温かくて、笑顔が絶えなくて。
今、『二人』と男は言った。
二人。二人。二人…。二人なんだ。
右手から剣はするりと抜け落ち、がくりと膝は折れ、両手を土につく。
馬鹿だね。知っていたはずだよ。
場面はようやく変わってくれた。
見慣れた懐かしいアリアハンの町外れを映し出す。
そこには町で一番高い杉の木に登る自分がいた。
ずっと待っていた。一番高い所から、帰って来るのを待っていたんだ。
すぐに見つけられるように。
すぐに駆けつけられるように。
誰よりも一番に見つけるために。
もう、いい加減に消えて欲しいよ。
死んだ奴なんてどうでもいい。どうでもいい。
お前なんて死んでしまえ。死んで良かったんだ。
エルフの女の子、それさえも憎い。妬ましいよ。
今も昔も笑っている。誰かを好きだと笑って、相手に「愛しているよ」と今も言われているね。……嫌いだよ。君なんて。
顔も見たくない …。
だんだんと、心は空虚に満たされていった。
辺りも一切の音を失う。
僕は、独りだ。
悲しかった。
こんな思いをしたかったわけじゃないのに。
何のために、ここまで生きてきたんだろう。
僕の幸せってなんだったんだろう。僕は誰かの犠牲になるために、生まれてきたんじゃないはずなのに。
何も掴めずに、全ては指の間から抜け落ちていった。
ニーズ。母さん。フラウス。
会いたいよ。何処に居るの。何もしなくてもいい。
ただ会いたいよ。
…夢を見せて。あんな夢じゃなくて、甘えられる空想を。
僕の中で、何かが脈打つ音が聴こえていた。
蓄積されていく、憎悪と比例してゆくかのように。
ざわ、ざわ…。
鼓動が速くなっていくのを感じていた。
同時に、こんな時にいつも思う 女の笑い声が聴こえる。
「クスクス…」
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バサバサバサ 。
不意に、何かが滑空して来る気配が急接近する。
警戒した僕は咄嗟に身を起こしたが、小型の生き物が体ごとぶつかって来る!
ガラガラガラ…!
倒れ、死骸を崩し、僕は睨みつける。
「ぐああっ……!!」
剣を探したが、…そう言えば何処に行ったかも忘れた。
牙に庇った右腕が噛みつかれ、振り放すと腕を引きちぎり、持ち去られる。
魔物の赤い瞳が二つ閃いていた。唸り声がこだまし、咥えた右腕を吐き捨てる。
暗さから実体は掴めないが、小型ではあった。そしてひどく動きが俊敏だった。
そして飛行が可能。逃げ切れるものじゃない。
魔法の詠唱に入る、しかしベギラマの呪文はあっさりと回避された。
バサバサバサ !
再び飛び上がり、素早い動きで旋空するといきなり眼前に飛び込んでくる。
すぐそばに鋭い牙が拡がり、喉元を噛み砕かれると思った。
「 !!」
「………!!」
牙は喰らいついては来なかった。
「このっ!!」
羽根を掴み、地面に討ち付ける。左手故にそう強い力でもなかったが、魔物は動かなくなった。
噛み取られた、右腕の断面からボタボタと鮮血が落ちてゆく音に、今更ながらに不快感を覚え眉を潜めた。
やけに流れるものが熱くて、押さえた左手からも止まらずに伝わり落ちていく。
「ゴフッ。…ゴフッ…!ゴフッ!」
突然闇にむせて、目眩いにフラリと僕は横に倒れてしまった。
「ふに」
奇妙な鳴き声がする。
「ふに…」
瞳を開けば、小型の魔物が、赤い二つの瞳でまじまじと僕の顔を見つめていた。
「ふにゅう…」
「変な鳴き声…」
思わず吹きだして、改めてその魔物を眺めた。
そしてハッと目を見開く。
……竜?なのかな?
赤い身体には固い表皮が覆い、口には鋭い牙が並ぶ。体躯は竜と良く似ていたが、羽根の形状が多少異なっていた。
背中に生える感じではなく、腕の下に拡がっていた羽根。
翼竜というのかな?
「……。まさか、竜、なの…?良かった。生き残りがいたんだね。良かった…」
「……。ふに…。ふに…」
身体が小さい事から、子供の竜なのか?
翼竜は慌てて、何処かへ行き、僕から引き千切った腕をくわえて戻ってくる。
「ふにゅう、ふに……。ふに……」
なんだか、謝っているみたいだった。
「ふふ…。こっちこそ、ごめんね。こっち来て、今治してあげる」
「ふにー」
なんだか、かわいかった。
小さな竜は、良く見れば傷だらけで、中には古い傷痕も多く見られた。
昨日今日ついたものではない。
ここでずっと戦って生きてきたのか。
「…ベホイミ」
回復魔法をかけて、心地よい疲労にまた僕は倒れる。
「ふにっ!ふにっ!」
「……。大丈夫。少し疲れただけだから…。ちょっと休んだら、魔法で一緒に外へ出よう」
疲れて、頭がガンガンと鐘のように鳴っている。
指一本も動かせる気がしなかった。
暫く飛竜も傍に座って休んでいた。
「ふにゅう…」
どれだけ眠っていたのだろう。
僕は、誰かの腕に出逢う。
腕は僕を抱き起こし、背に乗せると、暗闇をまるで見えているかのようにまっすぐに帰り始めた。
「……。…畜生…」
その人物の声だっただろうか。
「生き残りが、いた…。泣きたいのはこっちの方だ」
その声も、僅かながらに震えていた。
パシッ。バキッ…。
骨の踏み砕かれる、音だけを繰り返しながら。
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