欲しい『剣』がありました。 邪悪なるもの、不浄なるものを断ち切る聖なる『剣』を 強くなりたかった。正しく在りたかった。 けれど、本当に 私が断ち切りたかったものは |
「泥娘」
小さな私の心は、すでに「道」を見失っていた。
闇の迷宮にさ迷い、進退を見失い、心は明りを完全に奪われてしまう。
不浄なる闇は視界を遮り、マメが潰れた足は動かず、私はじっと小さくうずくまっていた。それは何時間?何日間だっただろうか。
まともに睡眠が取れないせいなのか、回復魔法も上手く効力を示してくれない。
精神力と集中力が情けない程に砕けていた事は、誰に言われなくても理解していた。
「痛い…」
ブーツを手に、素足で進んだ自分の足は、すでに泥で汚れていた。
人工物である遺跡から落ち、洞窟のような場所を長く歩いた。
漆黒の闇の中で、迷子はやがて歩くのを止めてしまう。
歩く事が嫌になった。
そう挫折してしまってから、私はずっと座り込んだまま。
歩く気力を凪いでしまっていた…。
「もう、嫌だ…。帰りたい…」
数日の間に負った傷も、足の痛みも、いつまでも私を苛み続ける。
「帰りたいよ。でも、帰りたくない…。帰りたくない」
「帰るのが怖いよ。だって…」
進むことが恐ろしくなった…。それは、ここでは嫌なものばかりを見てしまうから。出てくる魔物は強いし、それに「一人」とは、それだけですぐに苦戦に追い込まれてしまう。
仕方なく、逃げるしかない場面も何度もあった。運良く何度も逃げられて、だからこそ今生きてる自分が存在している。
情けなくて、恥ずかしい。
誰にも見せられない醜態の連続だった。
そして「地球のへそ」では、嫌な夢ばかりを見つけてしまう。
今周囲には誰も、魔物の気配も感じてはいなかった。
地面に素足のまま、膝を抱えた私は、また自分に言い聞かせて泣いていた。誰も聞きはしない、だからしか口にできない不安。
「考え過ぎる、から…。そんな夢見るんだよね。違うよね。…そんな事ないよね。絶対無いよね…」
嫌な夢それは、アイザックが私を置いてゆく夢。
シャルディナさんを好きだと口にして、もう二度と手の届かない場所まで、二人で飛んで行ってしまう夢。
追いかけた、私は足を踏み外して、崖から転げ落ちた。
「もう、どの位の日が過ぎたんだろう…。皆もう帰っているのかな。私一人だけ、遅かったらどうしよう。誰も待っていてくれなかったらどうしよう…」
嫌な夢それは、疲れ果てて私が帰っても、誰も待っていない夢。
私一人、帰りが遅いかも知れない。
少しは待っていてくれるかも知れないけれど、一体いつまで待っていてくれるの?
のんびりできる旅ではない。
彼らは世界を救うために旅をしているのだもの。私一人を、ずっと待っている訳にはいかないのだから…。
私はきっと知ってしまうんだ。彼らの旅に、自分はついてはいけないことを。
そんなの淋しい。悲しい。寂しい…。
「だから行ったのに。お姉ちゃんには無理だって…」
弟の呆れる顔が見える。
大口ばかりで、何もできはしない自分に呆れる、家族の顔が見える。
人々の嘲笑が聴こえる。陰口が囁かれて。同情の言葉が私をみじめにさせて。
置いていかれるのは、辛い。
でも帰るのも怖い。何も持たずには帰れない。
何処へ向かえばいいの?
誰か教えて下さい。誰か私を助けて下さい。誰か…。
バサササササ。
重たい思考を断つように、不意をついて生き物の羽音が闇に反響する。膝を抱えていた私の顔はゆっくりと持ち上がった。
小型の羽根ある獣が一匹、私の目の前に降り立つ。その子竜と遭うのは初めてではなかった。
「……ふに」
「……え…。あ…、あの時の…?」
朱色が鮮やかな小型の飛竜、その子は鳴き声から、私は「ふにゅうちゃん」と呼んでいた。以前会った時に私が首にかけた、チョーカーをしているのも合わせて、あの時の竜の子に間違いはなかった。
「どうして…。ここに、ふにゅうちゃんがいるの…?これも幻…?」
「ふに。ふに…」
降り立ったふにゅうちゃんは、背中に包みをくくりつけ、首から水筒を下げていた。その荷物を下ろして、私に手渡す。
それは明らかに人の手による食べ物で、面を喰らって私は呆然としていた。
「まさか…。ふにゅうちゃんが作った、訳じゃないのよね、コレ…。でも、一体誰が…?」
包みを開けば、それは美味しそうなお弁当が待っていた。店で買ったものでもない、手作りのお弁当。献立からしてシーヴァスが作ったものでもない。彼女はこんなに庶民じみた煮物なんて知らない。
お弁当箱を見直して、私は指先が震えるのを覚えた。
「うそ……。嘘でしょ…」
水筒、そしてお弁当を包んでいた大判のハンカチ。全てに見覚えがあった。
「ふにゅう。ふにふに♪」
竜の子は満足そうに微笑んで、私にお弁当を勧める。食料も水も尽きて、もちろんお腹は空いていた。
けれどそれ以上に、胸を打たれた私は、涙の塩味をかみ締めることになる。
「嘘だ…。嘘…。お母さん…」
私の好物たくさんで、好きなお茶で、子供の頃、愛用していたお弁当箱で…。
どうして?どうして?
私は言う事も聞かない、あんなに悪い子だったのに。
家出して、ろくに連絡もよこさないような、不良娘なのに…。
きっと、これは夢なんだ…。
まだ熱いお茶も、温かいお弁当も、きっと幻のことなんだ。
手が付けられずにいる、私をそのままに、竜の子は背中を向けていたのは気遣い?
「待って!…食べられないよ!これ、私食べられないよ…!」
「ふにゅうー?」
「だって、だって…。だって、食べたって、私は歩けないもの。助けてもらっても、私、何もできないもの…」
首を傾げた飛竜は、数秒思案した後、何も言わずに飛び去った。
残された、余りに温かすぎるお弁当。私はお茶だけを口にしていた。
「お母さん…。なんで?なんで優しくするの…?」
==
熱かったお茶も冷め、お弁当もすっかり冷えても尚、私はその場から一歩も動く事はなかった。
周囲には魔物がいないのか、これだけじっとしていても、魔物との遭遇がない。
まさか誰かが守っているのか、他の仲間がすでに随分倒してしまっていたのか、分からないけれど、私にとって嬉しいかどうかは微妙だった。
「……。お腹、空いたな…。でも…」
冷めたお弁当を手にしても、なかなか食べる気にはなれなかった。
食べてしまったら、また動かないといけなくなるから。食べたら、それだけ生きる時間が延びるから。
「怒られちゃうね、きっと…」
土肌に頬を当て、ころりと私は横になった。せっかくお弁当を作ってくれたお母さんに、食べ物を大事にするアイザックに、それから…。
横になった反動で、私の首元から、するりと光が零れ落ちた。
かすかに灯(ひ)を灯す、大地の紋章の刻まれた石が。
灯台のように、石は遠くに伸びる、微かな光をたゆたえていた。
何処へともなく、伸びる光の線は、一体何処へ繋がっているのでしょうか。
この首飾りを私に預けた、あの人の元でしょうか。それとも、出口への道標。それとも、私の目指す『剣』の場所。
実は、ずっと知っていました。地球のへそに入った当初から。
この灯が、どんな時も私の胸を凍らせないように、熱を帯びていた事を。
「自らの灯を決して消すな。それだけが闇の中、道を照らす灯りになりえる」
私自身の灯は、とても、弱いですね。今はきっと消えている。
この光は、私の進むべき道なのですか…?
とても弱い、弱い、か細い灯火。
私は所詮ここで終わるのかも知れない。視界の先に、いつも目標としていた女性の姿が霞んでゆく。
いつも凛として、強くて、毅然としていた。
この国の誇りの全て。この国の名誉を一身に受ける、神に選ばれし娘。
貴女は常に眩しく光を放っていた。私の永遠の憧れでした。
貴女のように強くなりたかった。貴女のように、私はなりたい。
白の聖女、ラディナード様。
「私は、聖女になんて、ならないわ」
彼女は瞳を翳らせ、恋人に囁いた。空に溶け込みそうな髪の色をした、若者の胸に寄り添いながら。
「私はきっと選ばれはしない。私は『聖女』を望んでいない…。挑みはするけれど、すぐに離脱して帰ってくるわ。約束する」
「ん〜。まっ、とにかく無事に帰ってくればいいよ♪ラディ」
数年前、「地球のへそ」に挑みしラディナード・フィルス、彼女の記憶もこの場所には残されていた。誰もが羨むような美貌に、薄い翳りを見せ、戦衣装に身を整えた彼女はこの地に現れた。
彼女は『聖女』を望んではいなかった。
それは彼女の恋人以外は、誰も知らない真実。
『聖女になる、それは、人ではなくなる事を意味する。神に縛られ、身を捧げ、神のために生きる事。大事な人よりも、神の使いとなることを選ぶ事』
彼女は恋人を愛していた、けれど…。
地球のへそは、白の聖女の没落により、今よりも混乱をきたしていた。
不安定さに拍車がかかり、挑んだ聖女候補たちの心を乱し、魔物は凶悪さを増し多くの命を奪った。
いいえ、それは、表向きの報告。
真実は異なっていたのです。聖女に選ばれようと挑んだ二十名の娘たちは
己たちで争い合った。
私の意思は闇に彷徨い、彼女の記憶に紛れ込んだ。
彼女が絶望した、血塗られた結末に。
立候補し、もしくは選ばれた娘たちニ十名は、当然誰しもが『聖女』たる地位を望んでいた。
ある者は自分のために。ある者は家族のために。ある者は使命のために。
それぞれにおいて、他人は同じ地位を求めるライバルであった。
選ばれる者はたった一人…。
彼女らは、自らに僅かにでも在った野心、欲望、驕りから闇に飲み込まれ、陥れ合い、自滅していった。
「私は…、聖女など望んでいません」
自滅していった娘たちの血溜まりを、返り血を浴びた彼女は、嘆きながら歩いて辿り着いた。悲しみに頬を濡らし、歩みはフラフラと安定していない。
「そうだろうな。だからこそ、お前一人が残っているのだ」
屍の先には、黒い神官衣のもう一人の聖女の姿が待っていた。
「…すまぬな。姉の死は不本意だった。そして、私は「外」に出ることが叶わない。人であるお前たちに、神の使いたる使命を背負って貰わねばならない。酷な事とは承知している」
「他の者は、全ていなくなりました。残っているのは私しかいません。皆、力が欲しいばかりに他人を疎んでしまった…。私は止められなかった。誰一人、助ける事ができなかった。私に、『聖女』など…!」
「…すまぬな。姉の死により、へその瘴気は恐ろしく濃くなっている。人の身での、こんな事態は予想していた」
「予想していた…。それなのに…、何故…」
彼女は脱力し、惨劇の痕残る床に膝を着く。
「私は外に出ることが出来ない。そして、私一人では地球のへそを抑える事も敵わない。一人、神の力をこの地に注ぎ込む依り代が必要なのだ。それに、聖女はこの国を統治してきた。聖女が現れなければ、この国は混乱する」
「すでに、もうすでに、混乱は起きていました。力ある娘の多くを失い、これで聖女が現れなければ、更に国は混乱するでしょう…」
黒服の聖女は手にしていた杖をカツリと鳴らし、杖の先竜の飾りを彼女の頭上に突き翳す。
「お前を聖女に任命しよう。へそより溢れる闇への蓋になれ。そして国の権威に立つのだ」
彼女は、地面を凝視したまま、聖女への誘いを
「断ったなら、私は咎人となるのでしょうか…」
断った。
信じられない光景…、断る彼女は力を放棄し、地上へ戻ろうと背中を向ける。
「止めるぞ。お前以外に成せる者はこの国にはもういまい。お前が立たなければ、悲劇は何度でも続く」
竜の姿彫られし杖を繰り出し、黒の聖女は力ずくで彼女をこの地に足止めさせようとする。
エストックで受け止めた彼女は、武力行使に出る、聖女ジードにも防御一点張りだった。撃ち出す杖の動きを全て受け止めるが、打撃よりも彼女の心は現聖女の言葉に悲鳴を上げる。
「聖女となりてこの国を守れ!ラディナード!お前にしかなれぬ!」
ガツッ!カン…!キィン!
黒の聖女の気迫に圧され、受け止めるばかりの彼女は後退して行くばかり。ぶつかり合う杖と剣の放つ音は、静かな闇の中悲しすぎる響きとなる。
「何故ですか…。解りません。私など…。私よりも、優れた娘は必ずいます」
「優れているとは、誰が決める!人の勝手なものさしなど関係ないのだ!」
「私は…、力など要りません!地位も名誉も必要ありません!」
「私の声を聞け!ラディナード!!」
吼えたかと思うと、黒い聖女の姿は一変し、巨大な獣の姿が首をもたげた。
彼女は余りのことに尻餅をつき、自分を見下ろす影にわなわなと震えた。黄金に輝く鱗に覆われた巨大な影、太古に滅んだと伝承される幻の生き物、それは『竜』。
世界を震撼させるような咆哮を彼女に浴びせ、
ラディナード・フィルスは、『竜の声』を聞かされた。
「あ…。うう…。うううっ!」
尻餅から立ち上がれず、彼女は苦痛に頭を押さえ、通り過ぎた『意思』たちに知らずと涙を流していた。
黒の聖女は人に姿を戻し、人の娘に今度は願う。
「竜の記憶を見たか?そして、それが私の背負うもの。優れているから選ばれるわけではない。私とて、無力。…勘違いしては困る。聖女とは、力在る者の事ではない。神の力を地上にもたらす、ただの代行者に過ぎない」
「力を求める者では困る。地位を求める奢った者でも困る。だからお前が残ったのだ。無力さを知っている者でいい。聖女は万全ではない。無力を知り、その中でもできる事を見定める、お前の聡明さだけでいい」
「…………」
彼女は、決断に迷っていた。迷う理由は、たった一人のため。
「私は、愛してる者がいます。信仰以上に、彼が大事なのです。私は…、神よりも彼を選びます」
「それでいいのだ。それがお前の支えだろう?私とて、神を愛しているわけではない。お前の任務は数年で終わるかも知れない。魔王が果て、地球のへそから闇が消えたなら、お前は自由にしてやる。力を貸してくれ」
彼女は、…覚悟を決め、黒の聖女の手を取った。
地球のへそから一人帰還した彼女は、額に証たる額冠を授かり、すぐにも聖女としての治世を始めた。
国民の前に現れた彼女は気高く威風堂々として、子供心にも心底眩しいと感じた。
人前で取り乱すことも無く、常に冷静で適切な判断を示す、手腕は先の聖女以上とも褒め称えられていた。
恋人の胸に駆け込んで、しくしくと彼女は幼子のように泣いていた。
「ごめんなさい。ラルク…。私は…。でも信じていて。これから先、何があっても、あなただけを愛しているわ…」
「俺さ〜、絶対ラディが聖女になるって思ってたんだよな。だって、俺のラディは世界一の女だから!」
恋人は気にした風もなく…。それは彼女のためだったのか。
ラディナード様は、本当にこの人のことを愛していたのですね。
噂には聞いていたけれど…。でも、悪い噂も良く聞く、軽い印象の人だった。彼が一人で勘違いしているのではと訝っていた。
誰一人知らない、弱いところを見せる彼女は、私の信じていた『聖女』とは違っていた。
私の永遠の目標。永遠の憧れ。
音を立てて崩れ落ちていく…
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うっすらと瞳を開く。
どうやら私は眠っていたらしかった。
状況は何も変わっていなくて、冷めたお弁当もそのまま。ガイア神のペンダントも、変わらずに遠くに光の線を伸ばしていた。
思い出したように、ぎゅるぎゅるとお腹が音を立てる。
「……。いただきます…」
遅く、とても遅くなったけれど、私はもぐもぐとお弁当を食べ始めた。信じられない位に美味しくて、ひと噛みごとに泣ける思いがする。
「…信じてみても、いいですか…?」
数日振りに立ち上がった時、固まっていた筋肉たちは、ぎくしゃくと軋んだ音を立てて解放を喜んだ。
問いかけるのは、伸びる糸のような光の先。首元の大地の紋章から、何処かへ繋がる琥珀色の糸。
この先にあるものが何かは解らないけれど、…不思議ですね、あなたのことは信じられるんです。徐々に置いていかれる私に気がついて、後ろを振り返ってくれるような気が。
ぺたり。ぺたり。
案内されるように、裸足で一歩ずつ先を目指す。
つま先に、ゴロゴロしたものが時折当たるようになった。
それは、やがて数を増し、踏まなければ進めない程に周囲を覆いつくしていた。
「骨…。こんなに、たくさん…」
人骨ではなかった。大きなものもあり、形状からして竜の亡骸だとはすぐに察した。滅びたといわれる種族、ここは竜の墓場なのか…。
「もしかして、だから、ふにゅうちゃんが居たのかな…」
一度立ち止まり、黙祷を捧げ、未だ伸びる光の先を探す。
骨を踏み砕いているはずなのに、耳からは音が次第に消えていった。
何故だろうか?音も気配も何もない虚無の世界に、神聖なる匂いを嗅ぎつける。地球のへその地下深く、それは闇の蠢く地帯ではなかったか…?
「引き返せ」
「きゃ…!」
大音響で、女の声が制止を訴え、驚いて私は耳を押さえる。
「引き返しなさい。人の子が近付く場所ではありません」
誰なのだろう。声は澄み、威圧はしているが、気高さに溢れている。
私は止められても、尚足を進めた。まだ光の先には届かない。
私の感覚が叫んでいる。この先に求める『剣』が在る。
「引き返しなさい。聞こえませんでしたか。人の子よ」
「!!」
光の先が見えかけた、急いた瞬間に、私の視界を塞いだ女性に体が反り返り、骨に滑って私は転倒してしまう。
身を返して見上げた女性は、聖女ジード様にうり二つ、だが長い髪が銀に輝いていた。先の聖女アローマ様、数回しか見たことがなかったが、間違いはなく、突然の邂逅に言葉を失う。
そして聖女の手には、私の求める『十字架の剣』が握られていた。
「あ…。あ……」
十字架の聖剣は、先代聖女の用いた剣。アローマ様の死と共に、この地球のへその何処かで行方不明になっていた。
「立ち去りなさい。人の子よ。この先にあるのは私と竜の死骸のみです」
「あ…、アローマ様!私に、私にその剣を下さいっ!魔王と戦う武器をお授け下さい…!お願いします!」
跪き、祈りを捧げ、私は強く願った。
「魔王と戦う…?そのような娘には見えませんが…」
アローマ様は、ぼんやりと宙に浮かびながら、私と、周囲に視線を奔らせた。
「あなたは…。ガイアの印を身につけています。しかし、あなたはガイアの一族ではない」
「あ…。はい。こちらは借りているものです」
「まさか、この地で太陽神様に出遭うとは…。あなたはただの娘です。けれど、あなたには太陽神様と、精霊神様の守護が見えます」
「え…?何の…ことでしょうか…」
まるで近くにいるような言い方に、私も周囲を巡り見る、しかし辺りはシンと鎮まり返るのみ。
「あなたの傍に、ガイアと、ラーと、ルビスの意思在り…。あなたは何故、この剣を求めるのですか」
「それは…」
頭の中で言葉を探していた。その間にも、聖女は剣を掲げていた。
「私の意思は、ここに、こびり付いて離れないのです。あなたに私の意思を動かせる力があるか、見せて貰えますか。あなたの力、見せて下さい」
聖女に剣を突きつけられる、それは戦いの合図だった。
勝ちたい!勝たなければ…!
私は鉄の槍を背中から引っ張り出し、十字架の剣の聖なる閃きに応戦する。
ラディナード様とは、何回か試合って貰った経験があったが、先の聖女とは会話を交わしたこともこれが初めて。ましてや彼女の剣筋や振舞いすらも完全無知。
「ああっ…!痛…っ!うううっ…!」
足場に転がる骨に何度も転び、足首を捻って、立っているだけでも痛みに歯を食いしばった。聖女の剣の衝撃は軽い。斬りつける、というよりも「当てて」いると感じた。聖女は私の腕を模索していたのだ。
「負けない…!絶対に負けたくない…!」
無我夢中で突進し、槍のリーチを活かして、剣先を牽制しながら突きの隙を狙う。
「…力が、欲しいのですね…」
突く、薙ぐ、払う。その連続の動作の向こうで、聖女は全てを軽く受け流す、その瞳は沈んでいた。
「あなたが欲しいのは、この『剣』ではない…」
聖女の残された意思は、私の奥底を見抜いて貫いた。
「あなたは、褒められる『道具』が欲しいだけですね」
言葉の意味だけで、私は胸を抉られた錯覚をした。
「この剣が欲しいわけではないのです。ただ、あなたを褒めて欲しいだけ。認めて貰える飾りが欲しいだけ。あなたは、揺るがない賞賛の声が欲しい」
「ち…。ちが…っ。違います!違いますっ!」
槍は手から落ちた。私は聖女の声に耳を塞ぐ。まくし立てる。
「あなたは、力が欲しい。地位が欲しい。名誉が欲しい。勲章が欲しい。ありとあらゆる飾りが欲しい。力は、自分のために…。あなたは自分の隙間を埋めるために、力が欲しいだけ…」
「違います!違います!違います…!」
何度も何度も何度も否定した。
私の中でラディナード様の声が響いてる。力は要らない。地位も名誉も必要ない。そんな事言えない…!
私は力が欲しい。強くなりたい。そんな言葉私は言えない…!
「帰りなさい。サリサ。あなたに渡すものはありません」
終わった…。
私の世界は崩壊して、亡骸の山に突っ伏して、私は声を上げて泣いた。
生まれて初めて、壊れるように泣き叫んだ。手が届かなかった事に絶望した。喉が破れるかと思った。破れてしまえばいいと思った。
涙の粒が何度も手の甲や亡骸に落ちて、それは私の命が崩れ落ちた「かけら」だとも思った。
…もう、いい。
もう終わったんだ。私は何も手にできない。
私は何もできない。何も……。
「ふうっ…。ううっ。あうっ。えっ、えっ…。あああああっ!」
それでも、どうして、どうしてか、私にはまだ、すがるものが残っていたなんて。
「ごめん、な、さい…。うっく。ごめ…。…さん…!」
まだこんな時にでも、温かいものに私は守られているんだ。
「私は…。嘘をつきました。私は私が嫌いでした。私は、私が嫌い、大嫌い」
熱を消さない大地の紋章を握りしめて、私は懺悔しています。
聖女にでもない、神にでもない、今も私を支えるあなたにです。
「私は自分が嫌いでした…。剣に憧れたのは、その剣が破邪の剣だったから…。その剣さえあれば、私は私を消せると思ったから…!」
私がその剣を求めたのは、自分を消したかったからなんです。
弱い自分を。自分の嫌な心を。私の中の嫌なもの全てを。
「スヴァルさん…。ごめんなさい。ごめんなさい…」
私はあなたに甘えすぎました。
「アローマ様…。お願いがあります…」
消え往く聖女に、私は願う。
「私に、十字を…。私の願いは、その剣に十字に斬られることです。私に帰る場所はありません。私に浄化を」
音もなく、私は立ち上がり、両腕を水平に横に伸ばした。
聖女の剣先は、私の前で十字を切った。
痛みはない。
痺れるような衝撃を受けて、私は亡骸の上にドサリと倒れた。
染み渡る暗転。
泣くだけ泣いて、全て流し捨ててしまったかのような空の心に、アローマ様の最後の伝言が染みとおる。
「知っていますね?この剣は、邪悪なる存在を斬るためにあります。この刃は、聖ある存在には、なんの危害ももたらしません。あの瞬間、あなたの心は無欲でした。残る者たちへの祈りのみが、あなたを包んでいました。忘れないように…」
「え……」
瞳が開く。私の身体は裂かれてはいなかった。
髪はほどけて乱れ、あちこち傷はくすぶっていても、足は泥まみれでいても、私は息を繋いでいた。
仰向けに倒れたまま、頭上にアローマ様の微笑みが浮かぶ。
「私はあなたの心を読み上げました。けれど、私はあなたを否定したでしょうか…。自己否定から解放された時、あなたにはもう、何の飾りも必要もなくなる。剣を持って、行きなさい。私もここから旅立つ時のようです…」
銀髪の聖女は呟き、闇に溶け込んで消えた。
身体を起こすと、竜の亡骸の先に、神聖な光を放つ十字架の剣が突き立てられているのが映る。
這うようにして近付き、私は震える手で剣の柄を握りしめた。
同じように、そこには賢者が宛てる、額冠が置き去りにされていた。
剣と額冠、彼女の遺物。
「ありがとうございます、アローマ様…。ありがとうございます…!」
この剣は私を傷つけない。抜き身のまま美しい刀身を抱きしめて、吼えるように私は歓喜に泣いた。
嬉しくて、認められたことが嬉しくて、体中の水分が涸れる程に嗚咽を繰り返した。
もうそのまま、死んでもいいとさえ思う、感動の瞬間だった。
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「全く…。ヒヤヒヤさせるぜ…」
気を失ったサリサを抱き上げると、俺はようやく胸を撫で下ろす事ができた。なるべく干渉はしたくなかったが、何度飛び出しそうになったか分からない。
「一生懸命だったな…。あんなに泣いて…。瞼が腫れてる」
抱き上げた少女の顔は、汗や涙や、血で汚れていたはずなのだが、俺はどうしても綺麗だと思った。
「自分が嫌い…、か。でも俺は…」
知らないのだろうな、そう自分を苛んだ、お前でさえも惹かれる者もいることを。
理屈でなく、惹かれる想いに胸が熱くなってくる。
しげしげと顔を見つめると、愛しさに我慢できなくなって、ぎゅっと抱き寄せ、唇で彼女の唇を撫でた。
「ともかく…。お疲れさん」
ニッコリと陽気に笑い、俺はサリサを抱き上げたまま、剣と額冠を拾い踵を返す。
その後にもう一人、亡き聖女に別れを告げる者がいた。
「おやすみなさい。アローマさん。あなたの無念は僕たちが晴らします…」
俺と共に、僧侶娘を見守っていた赤毛の青年。
聖女以上の破邪の力で地球のへそを鎮静して回っていた、ラーの化身も地上への帰路につく。
十字架の剣は、不浄なる存在には偉大なる破邪の力を発揮します。 魔族や、不死なる者に浄化を刻む、聖なる剣。 ゾンビキラー、私の手に……。 「忘れないように…。あなたに飾りは、必要ないのです」 |