「隼醒めて」


「畜生…。結局全部相手にしたな…」
 山のようにキラーエイプの死骸を並べて、疲れて俺は床に座り、足を伸ばした。
 足はもう言う事を聞きそうになく、こめかみを伝い汗はいくつも床に落ちた。
 この疲労は自分のせい…。
 会う敵会う敵、全て叩きのめし続ける自分のせいだった。


「腹が減ったな…。食料も尽きたし…」
 地球のへそに突入してから、すでに一週間程度の時間は過ぎたはずだった。
 書いてた地図もこの迷宮には無意味になって、持参した灯りもどっかに落とし、もはや完全な迷子と化す。
 食べ物も水も底をついて…、それなのに無茶ばかりする自分は相当な愚か者と言えた。

「仕方ない。さっき倒したマージマタンゴでも焼いて喰うか」
 魔物も生きている場所なのだから、水も何処かで手に入るはずなんだが…と考えて、ふと思い立った俺は、この獣たちの大群が現れた方向を探し始めた。

 視覚よりも、冴えていたのは聴覚の方で、水音を聴きつけてやがて岩壁から地下水が僅かに沁み出ているのを発見する。
 空になった水袋に満たんに注いで、暫くそこで疲れを癒した。



    ずっと…。
 目を閉じると、浮かび上がるのは友人の吟遊詩人のことばかりだった。
 気まずいまま、別れてしまった。もし俺が帰らなければ、これが今生の別れになる…そう考えると後悔して何度も自分を責め始める。

 なんて自分は嫌な奴だったんだろう?
 俺に対して責めるような視線を向けた、シャルディナの顔が忘れられない。
 あの騎士、クロードも   あそこまで傷めつける必要も、称号を剥奪する事も、罵ることもなかった。

 俺の中ではもう、答えは見つかっていた…。

 俺はたまらなく嫉妬したんだ。あの騎士に。
 シャルディナをしっかりと抱きしめて、「好きだ」とも、「君だけの騎士」だとも豪語するアイツに怒りで体温が上がった。

「…参る、よな…。ほんと……」

 一体いつからこんな事になったんだろう。
 最初見た時から、ナルセスが騒いだように、綺麗な子だとは思っていたけど、そういう対象では見たくはなかった。
 恋愛に疎いと言うよりも、分かりたくなかったと言った方が正しい気がする。

 よそで聞かされる恋愛話が、なんだか恥ずかしいから、色々言い分けつけて、他の事に集中して、遠ざけてきた。

 「硬派さ」に憧れもしたし…。
 自分にはまだまだ遠い先の話だと思っていた…。


 深くなった眠気に、ぼんやりと彼女を思った。
 怒りが晴れずにイライラしていた自分に、冷や水かけるように聴こえてきた彼女の歌声。彼女の「ごめんなさい」にも思えたし、「いつものアイザックに戻って帰って来て」との願いにも聴き取れた。

「謝りたいよ、シャルディナ…」
 微かに闇の中独り呟いて、俺はさまざまな事柄に懺悔しながら眠りに落ちてゆく。

++

 目が覚めて、また当ての無い迷宮探索は繰り返されていた。

 俺の目的はニーズやサリサのような宝物の入手ではなくて、「隼の剣」に認められること。必ず返しに来いと言われたが、自分の物にするために地球のへそに挑んだ。
 しかし、ここで何をすれば「剣」に認められるのか、それさえもまだ分かってはいない。

「うおらあああああっ!!」
「ギャー!」
 何回目かに遭遇した宝箱の魔物(ミミック)を一刀両断すると、無反応だったもう一つの宝箱に手を伸ばす。
 そこには珍しい鎧が納められていた。
 土色の鎧は、今装備している鎧よりも強度が強そうなのでその場で着替え、荷物になるのでしぶしぶ古い鎧は残して移動する。


 それから    
 地獄のハサミに囲まれたり、鬼面導師に混乱させられそうになったり    
 進展がなくて、数時間歩いて完全に足は止まった。


「……。何処に、行けばいいんだ…?」

「隼の剣…。何処に行けば、お前に会える…?」



 もう一度、今までのことを整理してみよう…。
 隼の剣    ミトラ神の聖剣    風の力を持った、ラーミアを守る神の剣。
 月の弓と対である、神の戦士の武器。

「ミトラは遥か空にて、ラーミアは風と共に空を舞う。隼は大地を奔るひとすじの閃光。神の通る道を光で拓くもの。そして神の三日月は、ひとすじの光を放ち、翼の通る道を拓く」

 神の教えの一文。


 『神の娘』 『全てのオーブの場所を教える』
 お前は一体何者なんだ    

 ジパングで、確かに俺と「隼の剣」は意思が重なった。それは唯一つ、シャルディナを救うため。イシスのピラミッドで、貰ったお守りが光を放った   そして俺は白い部屋で隼の剣と出遭った。

「どうして、いつもシャルディナなんだ…」

 疑問は、いつもアッサラームで出逢った彼女のこと。
 質問した俺に怯えた、だからもう詮索しないと決めた、でもそれはきっと嘘なんだ。どうしても知りたがる衝動が、自分の中に拡がってゆく。

 アイツは、あの騎士は知っているんじゃないだろうか?
 俺よりもシャルディナのことを。…悔しい…。


 地球のへそに入ってから、まだ一回も隼の剣は抜いてはいなかった。
 それは、おそらくは意地から。
 隼の剣を鞘から抜き、美しい細い刀身に自分の姿が映る。
 そしてポケットから取り出したお守り…、シャルディナから貰った手のひらサイズの巾着を左手に、俺は訊ねた…。

「何処にいるんだ?何処に行けば、お前に会える?」


 何もかも、お前から始まった。
 お前は一体何者なんだ。
 この剣がお前を守る剣だと言うのなら、俺だって誰にも譲りたくはない。
 騎士とか神の戦士とか、そんなんじゃなくて、ただ…。


「何処にいるんだ?シャルディナ…」
 
 剣と守りを両手に握りしめ、その手を額に当てて俺は祈った。







「…あなたは、…誰?」
 誰かが、俺に訪ねた。
 小さな女の子が、俺の前で泣いていた。そんな蜃気楼に遭遇する。

++

 小さな女の子が、すすり上げて泣いていた。
 髪や姿の乱れた、金髪の、十歳にも満たないような女の子。
 俺は慌ててお守りをしまい、剣を鞘に戻して彼女の前に屈み込もうとした。
    が、それは先客によって阻まれてしまった。

 小さな女の子に、ふわりと聖女が保護するように抱きしめる。白い神官衣であったからこそそう思ったわけだが、その聖女はラディナード様ではない。

 長い銀髪の聖女、彼女は、ボロボロに泥や血で汚れた女の子に優しく囁く。
「探しておりました、シャルディナ様。私はランシール神殿の聖女、アローマで御座います。保護が遅れまして申し訳ありません…」

 先代の聖女?
 始めて見たが、容姿は黒の聖女に瓜二つ、おそらくは双子なのだろうと思った。
 銀の髪だけが異なる、柔らかい印象の娘。

「聖女…?わからない。…あの、ね。魔物が、魔物がいっぱい来たの。魔物が…。村が…襲われたの…」
 幼いシャルディナは、村が襲われた直後なのか、涙と血で顔を汚していた。服には血の染みがいくつも見え、特に背中の血痕が痛々しい。

「私の…せいなの…。私のせいなの!私に『羽根』があるからっ!」
 泣き崩れて、女の子は、ずっと握り締めていた両手を聖女に広げて見せた。そこからは血塗られた羽根が何枚もハラハラと落ちてゆく。

「シャルディナ様…!なんてことを…!ご自分で引きちぎったのですか!?」

「いらない…!いらないの!こんな物いらないっ!」

 背中の染みはまだ広がり、聖女は慌てて女の子の背中を広げ、顔色を失った。
 引きちぎり、刃物で切り落としたのだろう、聖女は回復呪文を施すが、翼は元には戻らなかった。

「シャルディナ様…。もう、元には戻りませんよ…?背中の傷は治せても、もう羽根は生えてきません」
「いらない…!もういらないっ!お父さんもお母さんも気味悪がったもの。自分たちの子じゃないって疑って…。いつもケンカばかりしてたもの。いつも叩かれてたものっ。隠して生きなきゃならなかったもの…!」

「………」
「でも、その羽根…。不思議な力があったから、今度はお母さんがむしって売り出して…。取り合いになった。魔物も来た。もう、いらない…」
 傷だらけの女の子は、ずっと、泣いてばかりだった。


 一歩、近付くと、場面は移り変わった。
 白い部屋で絵本を読んでいるシャルディナ、その傍らには黒い神官衣の聖女ジードが絵本の説明をしている。

「これが…。ラーミアです。魔王との戦いで傷つき倒れましたが、その力は六つのオーブとなって、この世界に散らばっているのです。六つのオーブが全部揃った時、ラーミアは復活します」
 小さなシャルディナは、まだ鼻をぐずぐずしながら、目には涙を溜めていた。

「ラーミアは…、力尽き倒れたのですが…。その力は六体の竜によって護られ、魂は長い年月をかけて甦りました。この地上に堕ちたラーミアの魂、それが、あなたです。シャルディナ様」
「……?わ、たし…?」
「はい」

 聖女ジードは、白い部屋の奥、壁に彫り刻まれた主神ミトラの像を見上げる、そして幼いシャルディナを像に向き直させた。
「ラーミアは、ミトラ神の娘です。翼ある女神としての姿を知るのはネクロゴンドの民ぐらいですが…。あなた様は神の鳥、神の娘です」

「………。私…。神様なの?」
「はい。いずれ思い出すでしょう」
「本当のお父さん…。神様なんだ…」
「はい。ミトラ様はあなたの父です」

「お父さん…。お父様…。会いたい。会いたいよぅ」
 シャルディナは壁の彫像に駆け寄り、両手を添えて父親を求めた。
「あなたが空に帰る時…、会えるでしょう。我々は、時に神託を授かりますが、それのみ。オーブは、…行方が知れません」

「私、探しに行くっ!」
「不可能です。勇者にしか届かない場所もあります」
「………っ!」
 どこか厳しい聖女に、シャルディナはまた泣きそうになるが、聖女は少女の手に何かを握らせて諭した。

「あなたが引き裂いた羽根、穢れずにすんでいた最後の一枚です。これはあなたを護るもの…。もう離してはいけない」
「あ…。ごめんな、さい…」
「焦らないで下さい。必ず勇者は現れます。あなたも空に帰れます。それまで、我々があなた様をお守り致します」


    これは、いつの時代の話だったのか…。
 聖女二人は姿が変わらないために時代背景が定められないが、相当な昔のように遥かな「遠さ」を覚えた。


 また、一歩足を進める。
 少しずつ、今のシャルディナに近付いて行くように。


 白い部屋に独りだったシャルディナは、ずっと寂しそうだった。
 外に出ることはなく、他人は時々聖女が訪ねてくるのみで、本が友達のようだった。少し成長したシャルディナ(十一歳ぐらいか)は、聖女に竪琴をせがんだのか、独りで演奏して良く歌を歌っていた。


 歌を聴かせて貰い、拍手した聖女アローマは、シャルディナの髪を撫でながら優しく教える。
「ラーミア様は、夢の世界の神、ゼニス様に歌を習っていたそうですよ。思い出されたのですね」
「……。ゼニス様…。はい。ルタ様は大好きです…」

 聞き覚えのある名前に、傍観者の俺はピクリと反応していた。
 以前、確か浜辺で会ったことがある。

「そうですか。ゼニス様とラーミア様は、将来を約束されていると聞いています。もう何百年も、あなたを待ってくれているそうですよ」
「え…?将来…?結婚するの…?」

 驚いて頬を染めたシャルディナは、まんざらでもない様子だった。
「早く、会いたいな。お父様も、ルタ様も…」
 俺の胸が、ズキリと痛み始める。



 それから    
 人恋しさが募ってしまったのか、シャルディナは外への渇望を強く表すようになっていった。彼女の孤独にみかねて、そしてまだ現れなかった勇者を待つために、聖女二人は決断を下した。
 聖女二人の時が止まっているように、シャルディナの時間も止める事。

 白い部屋のミトラ神の彫像、そして隼の剣の台座、その間にてシャルディナは眠りについた。勇者がオーブを持って現れるまでの、封印    




 また、一歩。
 俺の一歩は、きっと現実世界では、何十年にも相当していた。


 聖女の封印は、数年前に不本意に解除され、彼女は目を覚ました。
 勇者オルテガの死と共に、白の聖女アローマが命を落とした。そのために封印は崩れ、聖女を失ったランシールは混乱に陥った。アローマの死は突然で、謎も多いが、究明よりも、国は次の聖女探しに必至になった。

 勇者の死は、シャルディナにも深い影を落とした。
 彼女は歌わなくなり、希望を失って、口も開かなくなった。
 新しい聖女が決まっても、勇者の息子が旅立つと決まっても、どこか笑うことを忘れたシャルディナは、再び外を求めるようになった。

 勇者の息子も殺されたと聞いた    彼女は神殿を抜け出した。

 ただ、きっと、
   空を飛びたくて。空を見上げていたくて。


 また、一歩…。
 進んだ先で、俺は突然の光に、目を覆った。

++

 白一面の世界、イシスで迷い込んだ時には気が付かなかったけれど、部屋の奥の壁には数メートルもあるミトラ神の像が彫られてあった。
 つまりは、ここがシャルディナの過ごしていた部屋、そして封印されていた部屋。

 生活の道具はもう撤去されているが、隼の剣が突き立てられていた台座は部屋の中央に残り、その前には聖女が俺を待っていた。

 すでに来訪が分かっていたように、聖女ラディナードは驚きすらもせずに、白い神官衣を揺らして俺に敬礼をする。


「辿り着きましたね。戦士アイザック。待っていました」
 明るい場所に来て良く分かるが、自分はあの時よりも薄汚れた姿になっていた。
 ただあの時ほど瀕死ではないけれど、体にあちこちガタが来ていたことは言うまでも無い。俺は、隼の剣を鞘ごと両手に持ち、

    暫し、言葉に迷った。

「聖女様。俺は返しに来た訳ではありません。試練とは、なんですか?どうすれば、俺は認められますか」
 本当に、聞きたい言葉はこれではない。
 と、どこか自分を嘲笑いながら。

「これまでが、試練でした、アイザック。隼の剣は常に神と共に。あなたは神の目によって今まで全てにおいて試されていたのです。神の意思は下りました。神はお喜びです。娘ラーミア様を護るべく、戦士がここに生まれる事を歓迎しています」

「………」
 高らかな聖女の宣言は、嬉しいことのはずなのに、何故か心は熱くなっていかない。

「私と、そして神の前で誓いなさい。神のために、道を拓く戦士となると。オーブを集め、シャルディナ様を空に帰し、魔王を討つのです」

「………」
 自分でも、不思議だった。こんな光栄なことに即答できなかったことが。
 すぐに返事はできそうにもなかった。

「考える、時間を下さい」
 俺は神を前に誓いを躊躇してしまった。
 剣を台座に戻すことも、神の戦士として誓いを立てることも、選ぶ事に迷う。

 聖女は呆れはしなかったが、微笑うこともない。
「分かりました。じっくり考えることです。返事が決まったのなら呼びなさい。すぐに現れます」
 一度俺の傍に寄り、回復呪文を唱えると聖女はおそらく脱出の呪文で姿を消した。

 俺は一人、試行錯誤に陥ってゆく。





 壁も床も白い部屋では、灯りはなくても終始中は眩しいくらいに明るかった。
 とにかく俺はくの字に曲がって眠りに就いた。
 とにかく眠って…。

 考えたかった。
 考えなければならなかった。
 この迷いを。この晴れない心を…。




 誰かが、部屋に入ってくる気配を感じた。

 足音を隠して、そっと、俺の傍に座り、毛布をかけた。
 床に何か数点置く音が微かに響いて、その後に少しの静寂。
 俺の汗や埃で汚れた顔を、そっと濡れたタオルで拭き始める。細い手を、掴み取って、開けた視界には金髪の少女が慌てて口を押さえていた。

「あ…っ。ごめんなさい…。起こしちゃうつもりは…」
 体を起こして、適当に髪を直し、俺はじっと彼女を見つめた。
「……。あ、あのね…。その…。心配で…。え、えっと…、サンドウィッチ、作ったの。良かったら食べて…」
 おろおろしているシャルディナは、そんな仕草も今は切なかった。
「ありがとう。貰うよ」
「あ…、野菜ジュースもあるから…。飲んでね」

 彼女の狼狽は、俺が掴んだ手を離そうとしなかったせいだった。
 じっと見つめ続ける視線を正視できずに、シャルディナが困惑しているのも分かる。

「シャルディナは…。ラーミア、なんだな…」
 どこか覇気の無い、俺の声にシャルディナはびくりと体を震わせ、しおらしく床を見つめた。お互い沈黙して、重たい空気が部屋を包みこむ。

 シャルディナは唇を噛んで、何度も謝った。
「ごめんなさい…。黙っていて…。言えなくて…」
「別に、謝る事は無いよ」
 手は掴んだままでいた、俺は、俺だって、こんなシャルディナを抱きしめたい。未だに残る騎士への嫉妬、細い肩を抱きしめてしまったなら……。

 その先俺たちはどう変わって行くんだろう。


「ごめんな、シャルディナ。クロードのこと…。俺どうかしてたんだ」
 白い手を掴み続ける、自分の手の平が熱い。

「嫉妬したんだ…。アイツがシャルディナを好きとか言うから」
「………!」
 言葉の意味にシャルディナは驚いて、細い体は明らかに強張った。

 自分を呪って泣いていた小さなシャルディナが思い出される。もう、逃がしたくない。
 逃げて欲しくないんだ。

 俺は    あの騎士に負けたくない    
 身を乗り出して、俺は強く彼女を抱きしめていた。
 そうすれば、実感してしまう、俺はこの子が大事なんだよ。


「シャルディナに、もう悲しい思いはさせたくない。必ず守るよ。でも…」

「シャルディナは、空に帰るのか?神々の世界に」

 抱きしめられたシャルディナは、声も、身じろぎさえもできないのか、早い鼓動だけしか聞かせてくれない。

「俺は…」
 彼女の温もりを確かめながら、自覚したばかりの自分の気持ちを耳元で囁いた。あの騎士が言った同じ言葉よりも、真剣さで負けないように。

「一度だけ、言わせて。俺は、シャルディナのことが好きだ」


彼女は、がくがくと震えながら、けれど俺を抱きしめはしなかった。

「ごめんなさい…」
 今にも泣きそうな顔をして、シャルディナは俺の肩を押し返して、離した。
「ごめん、ね。本当にごめんなさいっ…!」

「私、帰らなくちゃいけないの……。待ってる人がいるの。お父様に会いたいの…。だから、だから、アイザックの気持ちには応えられない」

 一目散に、彼女は俺から逃げて行った。別な入り口から来たのか、彼女の姿はふっと消えて見えなくなる。

 暫くは呆然として、何も考えられなかった。

「そうか…」

「そうだよな」

「もう、言わない。二度と言わない」

 彼女の願いを知りながら、自分の欲と秤にかけてしまったこと、後悔していた。
 馬鹿みたいな嫉妬心も、独占欲も、もう忘れなくてはならない。
 もう、忘れる。

++

「もう心は決まりましたか。戦士アイザック」
「はい」
 聖女は再び訪れ、かしずく俺の両手には隼の剣が抜き身で携えられていた。

「ミトラ神と、神に仕える聖女の前に誓います」

「神のために道を拓き、残るオーブを必ず集め、ラーミアを空に帰し、魔王を討ちます。その日まで、俺の力全て、この隼の剣と共に」

 両手に携えた隼の剣は強く輝き、その姿を僅かに変貌させてゆく。
「これは…」
「あなたは大剣の方を好むのでしょう。剣があなたの形に変わったのです」
「ありがたき幸せ」


 手にした称号    そして失ったもの
 この苦しみは、『忘れるべきもの』



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