「青い鏡」



「くそっ。厄介な場所だ…」
 もう数日も暗闇の中で過ごしていた、闇に慣れたはずの自分でさえも、目の前の底知れぬ闇に対して悪態をつく。

 『地球のへそ』と呼ばれる地下遺跡に潜り、自分の勘定ではすでに四日が経過していた。持参した食料と水は一週間程度、進退の極まる中、俺は試しでリレミトの呪文を呟いた。何も一回でオーブに辿り着けなくてもいい、何回かの挑戦でオーブに達する事さえできればいいと安易に計画していた。

 建物などからの脱出の呪文   、これを使う事のできる俺と魔法使いのシーヴァスは帰り道に対しての不安はなかった   はずだったんだ。


 呪文は発動し、俺の体は何処かへと瞬時にして移動する、しかし現れた場所は出口ではない。
 周囲の闇に目を凝らしても先は見えず、これまで見えた壁の灯りすらも見えない、壁すらもない虚無のような空間に落とされ?、俺は歯噛みしていた。

「ちっ、…何処だ、ここは…」
 遺跡に入ったあと、地図を書きながら進んではいたが、もはやそれさえも無意味になり、憎憎しげに地図を握りしめ、俺は呻いてしまう。
 もはや自分の方向感覚だけが頼りと言えた。

「一体、何なんだ、この場所は…」
 前にとにかく進み、ようやく壁を手探りで見つけると、壁を辿って道を探して行く。しかし右手に続く壁は延々と続くばかりで、左手に壁の現れないまま、時折左折しずっと回り続けている。
 巡り巡って、想像できた地図は途方もなく巨大な「四角い部屋」となった。

ガシャ。ガシャ…。
 積み重なる疲労で足が思うように動かなくなった頃、耳障りな鎧の打ち合わさる音に立ち止まる。
 鎧の立てる金属音、とは言っても、現れたのは仲間の戦士ではない。

ガチャン。ガチャン   
 鎧を鳴らし、土気色に鈍く光る中味のない鎧の騎士。数体が獲物を見つけて盾と剣を鳴らして群がる。
 面倒だが、今の俺に逃げおおせる脚力はないと判断した。

「ベギラマ!」
 帯状の火炎を奔らせ、壁を背に、ジパングから愛用している草薙の剣を構え、鎧の魔物たちを先攻で薙ぎ倒す。
 しかし意外に数が集まっていたようで、倒れる鎧の後ろからまた剣が伸びてくる。休む間も無く、何かの飛びかう微かな音が鼓膜をよぎる。

 ほうきに跨った、しわがれた老女が「ヒャヒャヒャ」と笑いながら、何かをもぐもぐと呟いた。    やばいっ!
 身をすくめた時にはすでに火炎は俺を包囲していた。
 俺も扱える火炎の呪文、ベギラマが炸裂する。
「ぐあああっ!」

 炎の呪文に耐性があるらしい、鎧の騎士は怯まずに剣戟で俺を貫いてゆく。
「ちぃっ…!マホトーン!」
 身を屈めて、頭上の壁に突き立てられた数本の剣をくぐり抜け、厄介な魔法使いの呪文を封じる。

 呪文を封じられた魔女はほうきで突進しようと旋回中。
「この野郎…!」
 草薙の剣の閃光は青白い光となって闇を裂き、硬かったはずの鎧を紙のように容易く切り落としていた。

「………」

 ジパングでオロチを倒すために手にした霊剣が、青く光を帯びるのをあれ以来初めて目にして、暫し躊躇する。
 何故、今、俺を助けてくれる…?

 理由は分かりはしないが、確かに俺は草薙の剣に救われたと言えるだろう…。
 肩で息をしながら、床に転がった鎧の残骸を見下ろし、俺は独り言を呟く。
「……。お前か?サイカ…」


 怪我を回復呪文で治し、少し歩き、疲れ果てて俺は剣を抱えて眠りについた。
 ジパングの神木を削って生まれし霊剣は木の温もりなのか、鞘も含めて何故か温かさを感じる。
 灯りのない闇の中に不安にならないように、アイツがそっと光を翳してくれているような…、そんな温かさが漂うのは何故だろう。

 渇いたパンをかじって、残り少ない水をちびちびと噛みしめた。空腹と渇きからか、地球のへそにいる間中、見る夢は笑える位にアイツばかりだった。

「…。だから、生魚は嫌いだって、…言ってるだろ…。馬鹿…」



 随分とのん気な寝言を呟きながら、壁を背にうずくまり、闇に潜む俺は終始誰かの想いを感じ取っていた   ように思う。

 ここに入る前に、地球のへそでは魔物という敵もさることながら、自分自身の精神力も試されるのだとサリサは話してくれていた。
 一人きりだという不安や、恐怖。歪んだ空間によって陥るパラドックス。
 現在過去未来、真実も幻も視る二つの世界の狭間…。
 魔物に倒され果てる者もいれば、自分に負けて壊れる者もいるという話。

 けれど、俺は他に挑んだ仲間たちの誰よりも、『孤独』にも『闇』にも慣れていた。


 目が覚めて、俺はまた感じている。

「静かだな…。ここは…。本当に…」
 ここまで、数日もの間誰にも会わず、誰とも口を聞かず、静かな場所に居た事はない。時々魔物には遭遇するが、やはり周囲に他人が居ない空間と言うのは斬新で、不思議な感覚だった。

 多分普通の人間なら、孤独を感じて、寂しさに襲われるのかも知れないが…。

「思い出すな。ずっとニーズと二人だった頃…」
 アリアハンで誰にも認知されずに過ごした数年を振り返る。逆に騒がしい仲間たちとの旅よりも、こんな場所の方がその頃に似て、落ち着いていられると言っても良かった。

 けれど、あの頃とは違う自分が居た。
 一人で居ても、孤独を思い出さない自分がここに居る。

「シーヴァスの奴、大丈夫だろうか…。サリサも、アイザックも…」
 同じようにここに挑んだ、仲間は見えなくても身近に感じることができる。見えないだけで、実は傍にいるような、おかしな確信のようなもの。

 信じる…他以外にないよな。
 他の仲間たちも必ず無事に帰って来ると   


 そして、ジパングの剣を見れば、あのうるさい「馬鹿な女」を常に思い出す。
 今までの笑える出来事などを思い返しては、気分が和む連続だった。

 それから…。
 何度も何度も繰り返し、誰にでもなく訊かずには居られない。



「何処にいる?…ニーズ…」
 ナルセスの造る町で出会った占い師、怪しい銀髪の女はランシールで兄に会えると俺に囁いた。
 ランシールに着いてから、俺が何処であろうと探していた事は言うまでもない。神殿内でも、街角でも、地球のへその中でさえも。

「勇者様は、…今のままですと、大事な人を失う…でしょう」

 大事な人、誰を失うと言うんだ…?ニーズか?サイカか?母さんか?それとも、仲間の誰か    
 凝視していた暗闇に、何かが弾けた気がして、俺は目を擦って鋭く睨みつける。

「ニーズ…!?」
 走り出した自分は、多くの者の〔嘆きの声〕を通り過ぎて目眩いが起きる。ぐにゃりと歪んで回転する世界、妹が泣き伏せているような気がした、アイザックが剣を手に震えていた、サリサが光を前にうずくまっていた…?

 そして頭を押さえた俺の視界に、ようやく姿を見せた。
   ニーズ!待て…!」

 幻を追いかけて、力の限りに俺は闇に手を伸ばし続けた。

++

「引き返せ…」
「ハァ…!ハァ…!ニーズ…!」

「引き返せ…。引き返せ…」

 闇雲に走り、階段を駆け上り、それでも求める『ニーズ』の後姿は近付きはしない。走っても奔っても距離は一定のまま、開きも離れもしなかった。

「引き返せ…」
「うるさい…!」

 青白く光る草薙の剣を松明代わりに翳し、ひたすら追いかけ走る俺に、「引き返せ」と誰かが無性に声をかけていた。
 遺跡の壁に人の顔のようなものが不気味に浮かび上がり、低い声で呪詛のようにこだまする。

「うるさいっ!…うるさい…!これが引き返せるか…!」

 ずっと、会える日を待っていた。
 殺されたと思ってから二年半の間も、生きていると知ってからの半年も。ムオルでの別れ、ポルトガの浜辺でのすれ違い、テドンでの俺への無視、今度こそ逃がさない。

「待てよ、ニーズ!行くなよっ!行くな    !!」



 足がもつれ、倒れた弟に、兄は一度微かに振り返る。
 なんとも複雑な表情に、目を細めたその瞳を、俺は見上げる力も残っていなかった。



   目が覚めた後も、ニーズの気配は俺の傍に在った。
 常に付かず離れずで、どんなに走ってもその距離は変わることはない。笑いもせずに、人形のような無表情な瞳で…。

 おそらく二日程も追いかけたが、疲れた俺はついには諦めて途方に暮れた。
 食料も底をつき、水ももう切れた。
 歩く気にもなれないで、目が覚めても床に転がったまま動き出せない。

 視線の先には永遠にもう届かない幻のように、俺を見つめるだけの勇者が佇んでいた。

 追いかけても、追いかけても、どうしてお前は離れて行くんだ。
 もう俺の事なんて、嫌になったのか……。

「どうしたら、お前に追いつける?どうしたら、お前に会えるんだ…。こんなに思っているのに…」
 この場所には、答えをくれる者は誰も居ない。
 自分で考えなければ、誰も何も教えてはくれない。
 薄い気力で考え、考えて…。
 
 数時間うずくまっていた後に、俺はようやく立ち上がる。


 闇雲に走り抜け、遺跡内を彷徨ったために道も何も覚えてはいない。それでも、覚束ない両足はフラフラと先を探し始めた。
 何度も行き止まり、そしては戻り、うるさい「引き返せ」の声を無視し、俺は本来の目的であったはずのブルーオーブを探している。

「宝箱か…」
 遺跡の行き止まりには宝箱が見つけられる事もあった。しかし…。
 俺は中味が壊れない程度に、宝箱を蹴飛ばす。そうしなければならない理由がこの遺跡にはあった。

「………」
 転がって、口の開いた宝箱は暫く微動だにしなかった。しかし、案の定それは宝箱なんかではなく、形状の似た魔物   人食い箱(ミミック)としてベロリと長い舌を剥き出す。
「ケケケケケ!   ザキ!」
「うぐっ…!」
 牙を剥き出して唱えてくる即死の呪文には身の毛がよだつ。悪寒が全身を駆け巡るが、生憎俺には効果がない。
 素早い動きでガブリと二回も噛み付かれるが、反撃して壁に叩きつけ、足で踏みつけ一刺し、二刺し。

「ち…っくしょ…」
 完全に息の根を止めてから、流血にため息をついて、ズルズルと壁を背に座り込む。服の内ポケットから蒼い石を取り出し、心底感謝に頭が下がった。

「ありがとな、シャンテ…」
誕生日に彼女が俺に渡した蒼い神秘な守護石   それは死の呪文の身替わりとなり、持ち主の身を守ってくれると言う。
 すでに数本刻まれた亀裂を眺めながら、俺は回復呪文の詠唱に移った。

「腹が減った…」
 怪我の手当てをしながら、思わず口から落ちたのは、そんな本音。



 ニーズの幻は終始俺の近くに存在していた。
 思わず俺まで凍りつきそうな、悲しい青い瞳のまま    



 地球のへそに入ってから、何日が過ぎただろう。
 青緑に苔むした遺跡の壁を辿り、いつしか壁の灯りは途切れて行き、草薙の剣以外の物は何も光を発しない世界に降りて行く。

 それでも俺の視界には、一定の距離でニーズの姿が見えていた。俺の望みが見せる、幻覚なのかも知れないと思い、もう追いかけたりはしない。

 けれど…。
 俺の心の中ではずっと、同じ質問が渦巻いて、悲しみに向かって沈んでゆく。
「どうしてだ、ニーズ。どうしたらお前に会える…?」




「追いかけてるから…じゃないですか?ニーズさん…」
 コンコン。
 誰かが俺を起こしに部屋の戸を叩いた。
 声に聞き覚えはある、…ために、俺はあっさりと扉を開く。

「追いかけてるばかりだから…。背中しか見えないのかも知れないですよ?」
 そこには良く知っている、はずの者の見知らぬ姿。
 呆気に取られる俺の両手を引いて、青年は赤い前髪を揺らして微笑む。

「きっと…、もう一人のあなたは、あなたに追いかけて来て欲しくはないんですよ。追いかけてるうちは、この距離は縮まらない、そう思いませんか?」

「………」

 赤毛の青年は、ニーズとは対照的に、温かく微笑む。
 その瞳に映る、俺の仏頂面とも対照的に。




++

 良く知る僧侶の『夢』は、不意に途切れた。
 俺の両手には僧侶の体温が残り、体はすっかり軽くなっていた。

 つくづく、本当にアイツには恐れ入る    と思った。


 ニーズの幻は消えずに俺の傍にいる。
 気にならないと言えば嘘になる。   けれど、俺は脇目も振らずに最深部を目指した。人口の遺跡はやがて終わり、骨の転がる土肌の洞窟へと入り込む。
 足場にゴロつく骨は、どうやら人の物とは異なり、おそらくは過去に滅び去ったと言われる竜族の残骸。

 深く潜れば潜るほど、闇は濃さを増してゆくのが自分にも良く分かる。
 息苦しさと足場の悪さに何度も往生し、進みは遅かったが、何故か俺が道に迷う事はなかった。

 「道」は用意されていた   と言ってもおかしくはない。
 この付近には魔物は存在していないのか、不気味な程に生き物の気配は微塵も臭わない。響くのは踏みしめてしまう骨の砕ける音ばかりで、歩く度に悪い気持ちになった。

 ニーズの幻は俺の後について着てくれていた。
 それは見守ってくれているかのように……。


 漆黒の闇の先に、一点の青い光がチラリと光る。
 もしかしたら、そのせいだったのかも知れない、周囲に魔物の気配がなく、道すらも用意されていたのは。
 俺は守られていた?導かれていた   

 徐々に力を増してゆく青い光は、神聖さに溢れ、やがては周囲を真っ青に染め上げ、闇を打ち払う。
 オーブは静かに鎮座し、俺の来訪を待っていたらしい。

 青い宝珠は大きな竜の顎骨の中に納められていた。
 最後まで竜たちが守っていたのだろう…。骨に手をかけ、俺は一度その手を引き戻す。
「……。俺じゃないか?そうだよな。お前が待っていた者は…」



…ザク。…ザク。
 後ろから歩み寄る靴音    振り向くまでもなく、それが誰かは知っていた。彼はそっと隣に並び、竜の頭蓋骨に指を触れた。
 ふわりと、一瞬オーブの光が「彼」に反応して浮いたように思う。
 俺は彼の仕草に釘付けで、息をすることも忘れていた。

「…はい。…待っていたよ…」
 竜の顎から青いオーブを取り出し、彼は俺に差し出す。
「……」

 青い光が照らし出す、そこには『鏡』が置かれていた。
 映したような容姿の若者、いつもの俺のように冷めてしまった瞳には、同じような冷めた表情の自分が映っている。
 服装だけが違う、鏡に映る自分に悲しみが襲った。

 優しいお前が好きだった。
 穏やかに微笑うお前がとても好きだった。
 けれど、いつも微笑ってばかりのお前を見てるのは不安だった。本当のお前は笑っていないような気がしていた。

 これが、本当のお前の姿か…?


 差し出されたブルーオーブに、手も重ねられないまま、何分馬鹿な俺は固まっていたんだろう。知らぬ間に、頬に涙が伝い落ちた。拭うこともできずに、俺は歯を食いしばり心の底から懺悔した。

「ごめん…。ニーズ…。なんて、なんて俺は馬鹿だったんだろう…!」
 オーブを差し出すその手を掴んだ、俺の肩はわなわなと震えた。
 握りしめた手は温かくて、懐かしくて、目をつぶって俺は叫び上げる。

「ごめんな…!俺は自分のことしか考えてなかったんだ…!お前を追いかけるばかりで、お前に会いたくて仕方がなくて…。だからお前は自由になれなかったんだ…!」

 後に付いてくる者がいるから、お前は後ろに気を使わなければならなかった。後に付いてくる俺がいるから、お前は自由に歩く事ができなかった。
 お前の事しか見てない俺がいるから、お前は自分の弱さを見せられなくなった。

 お前に求めるばかりで、一体俺がお前に何をしてやれた?
 いつも優しくしてもらうばかりで、優しくもできなかった自分。お前みたいに相手のために微笑うことすら俺はできなかった……。

「ごめん…!ごめん…!」

 いつの間にか、俺は追いかけることでお前の負担になっていた。
 じゃあこれからは、一体どうすればいい?どうすればお前は喜ぶんだろう。

 僧侶の幻に会ってから、ずっと『答え』を探していた。
 例えばあの僧侶のように、俺にもできるだろうか。

 大事な誰かが笑ってくれるように、俺の方から微笑うこと    



「お前と…、同じように、『勇者』になってもいいかな…」
 唐突に、鏡を見つめて俺は訊ねる。

「お前と同じものに、なりたい。なれる、かな」
 もう追いかけないために、背中ばかりを見ないために、俺はお前の横に並んでもいいだろうか?

 訊ねる声は覚束ず、確かめたい勇者の表情は涙で滲んでしまう。
 それでも、俺は決死の覚悟で彼に訊いた。
 彼のために生まれ、彼のために生きてきた、〔身替わり人形〕の分際が決して口にしてはいけなかっただろう言葉。

「お前と、…『対等な者』に…、なりたい…」




「………!」
 もう一人の自分は、驚きに体が微かに震えた。
 時は止まり、返事が聞こえてくるまで、俺もひと言もこぼしはしなかった。

「………ニーズ…」
 ようやく、本当にようやく、久し振りに優しい兄の声を聞くことができた。

「僕は、言ったよね。もう僕のために生きなくていいよって。もう、君は自由なんだよ…」
 深遠たる青い世界に震える、優しい声は何よりも自分の心を救ってくれる。


「どうして、僕に断る必要があるの…?君は君のなりたいものになっていいんだよ。勇者でも、なんでも」

「僕と君に、価値の差なんてないよ…?」



 鏡は見せてくれた。俺が探していた微笑みを。

「ありがとう…!」
 お前のために、全身全霊を込めて今、礼を言うから。


「ありがとうな…!お前で良かった。
他のためじゃなくて、お前のために生まれてきて良かった。
生まれてきて、良かった…!」












 精一杯の想いを込めて、俺は多分微笑えたと思う。
 確かめるための鏡が、嬉しそうに微笑んでくれたのを見れたから。


「そうだよ。君が居てくれて本当に嬉しかったんだ。だから…、幸せになって欲しい。いつも自由で居て欲しい」
 俺は濡れた顔を擦り、ブルーオーブを受け取る。

「いいのか?俺が持って帰っても…」
「いいよ」
「…ありがとう。世界樹の葉も、ここの道のことも…」
 ニーズは笑顔で応えて、肯定も否定もしなかった。

「じゃあ…、俺、帰らなくちゃ。他の仲間も心配だし」
「そうだね…。遺跡にまで戻ったら、リレミトを使いな。オーブがあるから、ちゃんと帰れると思うよ」
「分かった」



 ブルーオーブを手に、俺は振り返り、帰路につく。
 俺の背中が見えなくなるまで、じっと残された勇者は見送っていた。

 青い光は去り、やがて光は一切途絶え、白い服の勇者はそっと瞳を伏せた。

「生まれてきて、良かった…」
 聞かされた言葉を反芻するも、彼自身には深い影が覆う。
「生まれてきて良かったなんて…。思ったこと、あったかな、僕は…」


++


 リレミトの呪文で地上入り口にまで戻り、黒の聖女の壁画から抜け出てきた俺を受け止めたのは妹のシーヴァスだった。

 俺はと言えば、さすがに安堵と疲労から食事した後で眠りに落ち、ブルーオーブは聖女の元へと渡された。
 俺が地球のへそで過ごした時間は七日間。
 最初に戻ったシーヴァスでも六日間という長丁場、そしてまだ二人の仲間は戻っていない。

 与えられた部屋で休み、俺は寝返りをうち、俺を覗きこんでいた女の気配に目が覚める。
 神殿内の宿泊施設の一室に俺やジャルディーノが休んでいた。俺のベットには看ていたらしい妹が両腕を乗せて寝息を立てている。
 それ以外にベット傍に立っていた長身の女が一人…。

「起こしてしまったかしら…。お帰りなさい。ニーズ」
「いや…。いい。助かったよ、シャンテに貰った石のおかげで」
 カーテンも閉め、灯りのない深夜の寝室にその女の姿はとても映える。おそらくは彼女は夜の住人なせいで    

「ふふ。それは良かったわ」
「ジャルディーノの奴は、いつ帰って来た?アイツもへそに入ってるのか?」
「ええ。でも、当人には覚えがないのよ。私も詳しくは知らないわ」
「そうか…」
 ベットにもたれて寝ている妹の頭を撫でて、俺は妹に話す内容を考えていた。

 きっと話せば喜ぶだろう、俺の話したことと、アイツの返事と。
 その時はまだ、妹の変化など知る由もなく、兄の話も喜び合えるものだと勘違いしていた。

「なんだか、嬉しそうね。いいことがあったみたい」
 ベットに腰かけて、シャンテは自分のことのように微笑む。

 その時はまだ、知る由もなかった。『地球のへそ』から帰って来た後で、満たされていた者など自分だけだったということも。

「ああ…。嬉しかったな。本当に嬉しかった」
 青い鏡に映った笑顔、忘れない。



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これまで、こんなニーズの笑顔は描いたことがありませんでした。
時々笑うこと自体はあるんですが、この日まで笑顔の絵は描かないといつからか決めていた気がします。
笑えるような出来事があって、吹き出すような「笑い」ではなくて、強さのような「笑顔」、誰かのために微笑うこと…。
ニーズ、今とても幸せです。仲間たちの想いが傍に感じられて、家族を愛していて、愛されていて。
しかしいつの間にか、一番不幸だったはずの自分が、一番幸せ者になっていることに気が付く。影と光の反転が濃くなっていく…。