「竜の娘」
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「見つけた……。ついに帰って来たのだ…」
「我らの……王家の血筋の者の…帰還……」
「竜の王の血筋が甦る…」
周囲に群がった骨の竜たちは、くぐもった風の演奏のような不気味な歓声にわき、ざわめきは呪いのように重々しかった。
私の体内は変わらずに焼けるように熱く、とにかく喉が渇いている。
そして…。
同じ目線上には紫の鋭い瞳が私を射ていた。目の前の黄金の竜の首筋に、私は勢い良く喰らいつく!
在り得ませんでした。
私は、いいえ、『私』ではなく、『銀色の竜』は破壊衝動に暴走していたのです。
黄金の竜は銀色の竜を爪で押し返し、首を捻ったかと思うと激しい光さえも帯びた炎を噴きつけ、私は地響きを巻き起こして土の上に転倒する。
円形状に取り巻いていた死竜たちはスルスルと下がり、静かに竜同士の戦いを見守ることに決めたようすだった。
炎を浴びた体は…、少し焦げ目を負ったに過ぎなかった。怒り狂った銀の竜は咆哮を上げ、羽根や翼を暴れさせ、周囲の土壁を根こそぎ叩き壊して起き上がる。
やめて…、下さい…!
私は誰にせがんでいるのでしょうか。
自分の中で暴れる、抑えられない欲求に、意思に反して攻撃し、壊してゆく竜の肉体に頭の中で泣き叫ぶ。
けれど、泣き叫べば泣き叫ぶ程、それは比例して何かを攻撃していた。
爪は、何かを引き裂きたくて仕様が無い。
牙は、何かを貫き、味わいたくて仕方が無い。
肉が欲しい……!!
黄金の竜に噛み付き、流れる血潮が喉に潤いをもたらす。
とても『美味しい』と感じた。渇いた喉に沁みこませる清水にも等しい感覚で。
私を見つめる金竜の瞳は、酷く悲しそうに見えた。
欲望に暴れる私に羽根で叩き撃ち、何処からか現れた『杖』が金の竜の顎に咥えられる。どこかで見覚えのある杖だった。
先端に羽根を広げた竜の姿が見える、魔法の杖。
「アオオオオオオオオオ!!」
私が威嚇に吼えると、クイッと金の竜は顎で杖を振るった。杖から光が弾け、操作された矢のように私に突き刺さる。
それは稲妻 だったのか、体が内側から焼かれて、銀の竜はのた打ち回り、体が麻痺してやがては大人しくなった。
「……。恐れることはない。人もエルフも肉を食べる」
横たわった銀色の竜に、囁く言葉が聞こえてくる…。
黄金の鱗をまとった竜は、呪文を呟くと、その形を小さくすぼめて人の姿に変貌していった。
いいえ、本来の姿に戻った、という方が正解だったのでしょう。
そこには、私が攻撃した箇所から流血していた、黒い神官衣の聖女、ジードが杖を手に立っていた。
「竜も肉を食べる。…自然なことだ。ただ…」
凄惨な姿の聖女は、横たわる私の傍に近付き、俯きながらも、長く語った。
「人を喰らったが最後、お前はもう人とは生きて行けないだろう…」
肉が、欲しい。どうしたらいいですか。
目の前の聖女にも、唾が溢れてきてしまうのです。
私は、自分自身が『何』なのかを解らなくなっていました。重く、大きく膨れあがった自分の肉体、今は踏み出すだけで人を潰せる。
ひと噛みで人の命を奪えてしまう。
「今までエルフとして生きてきたお前は、竜の本能を制御する術を知らない。竜の気性は荒い。人やエルフと共存するようになって、それはなりを潜めてきたが…。中には人や同族を喰らう竜も居た」
私は変貌した自分が悲しくて、雷に痺れながら大きな眼を滲ませて聖女の言葉に打ちひしがれていた。
「今、目覚めたお前が流す竜の血は王族のもの。竜の女王の血族、オルテガ様より伝えられた古きからの猛き神竜の力。抑えるのにも易くはないだろう」
「ア…、アウウウウ」
「ああ、お前は知らないか?勇者オルテガは竜の血を引いていた。竜族の王家の娘と人との間に生まれた戦士、竜化はできなかったがな」
お父様が…。
聖女ジードは、自分の傷も癒さないままに、私に多くの事を教えてくれたのでした。父オルテガの出生、そしてあのもう一人の『ニーズ』さんにも流れる竜の血。
『光の玉』
最初に生まれた、あの人には「光の玉」。
最後に生まれた、私には「神竜の血」。
では、私の兄の体と、あの人の魂を分けて存在するあのお兄様は…?
混濁する意識の中で、聖女ジードの話はまだ続いていた。
「抑えるには、強き自我以外にはない。お前はここで竜の血を統べる方法を見つけなければならない。それができなければ、お前をここから出すわけにはいかない」
もっともな言葉が聖女の口からもたらされた。
「…外で人を襲えば、それ以上の悲しみはないだろうから」
竜の姿のままの私は、ふと、聖女ジードの姿を視界に収める。
魔法の書物の中で、竜が人に変化(へんげ)できる魔法があることは知っていた、魔法の名は『ドラゴラム』。
でもこの魔法は、竜族にしか使用することはできないと記されていたはず。
彼女も竜の血を引いているのでしょうか…?
「私か…?…私は、竜族ではない…」
私の視線に意図を読んだ聖女は、暗闇の中で、おそらく自虐的に微笑んだ。
「私は、竜の力を引き継いだ者…。いや、おそらくは、竜の力を自ら背負った者、と言うべきなのか…」
もう一人の聖女、ジードは白い聖女よりも若い容姿をしていた。
けれど実年齢は外見のままではない。
遥かなる昔、竜族や、神の鳥ラーミアなどと共に大魔王と戦った聖女の一人。
すでにそれは七百年もの時を遡っていた。
「私は、竜たちを救う事ができなかった。竜族は滅びに向かい、今や竜の姿を持てるものは女王だけになっていた…。最近生き残りが見つかったがな」
「竜の血を、力を、私は残したかったのだ…。彼らの無念を、意思を、悲しみを、私は『時』に捨て去る事ができなかった…」
彼女は竜ではない、 けれど、その身体の中には確かに竜の匂いが生きていた。彼女は自ら、竜の血を飲み込み、肉を口に入れた。
そして無理やり自分の中に竜を生かせたのだ。
「もちろん私も、時々竜の血が騒ぐ時がある。過去には、人を襲いかけた時もあった。私はここからは出ない。だから私は人前には姿を見せないのだ…」
聖女ジードは人前に姿を見せない、謎の人物と言われて久しい。
その真実の理由は、竜と化し、人を襲うことのないように…。
彼女はずっと、外に出ないでここで過ごしてきたと言うのか。
私の数十倍もの時間を、独り暗闇の中で…。
「……。お前まで、悲しそうな顔をするな。私は、後悔した事はない。これは守れなかった竜たちへの、せめてもの償い」
聖女はこの地球のへそに彷徨う、浮かばれることのない竜の魂たちに祈りを捧げた。聖女自身が黒い慰霊碑のように、悲しい墓標のように。
「今でも、悲しき竜たちの倒れた姿は、目に焼きついて、離れはしない」
竜の墓場に黒い墓標、聖女の顔は白く、氷人形のように表情を作らない。低く囁かれた言葉は、重くのしかかる呪いにも似ていた。
「その日から、私の心は喪に伏した」
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お腹が空きました…。
空腹に苦しむ私は、目の前に居た生き物に舌なめずりをする。
小さな生き物、何かを叫ぶけれど、私は喰らいついた。
「美味しいですね」
いつもと変わらない光景、肉を扱った料理を、仲間たちと会談しながら味わうように、私は微笑する。
生肉から赤い液体が滴り落ちて、それさえも非常に美味しくて、零さないように舌ですくいながら、牙で骨まで噛み砕く。
腕をもぎ取られて、喘いでいた小さな生き物は、微かな声で私を呼んでいた。
「シー…ヴァス…」
誰?だったでしょうか。黒い髪に、青い服。頭に宝石を嵌めた輪飾り。
食欲が勝って、私はひと思いにその生き物を顎に挟む。
骨が砕ける感触、飲み込めるように細かく噛み砕いて、ごくりと…。
喉を物が通る感覚と平行して、私は鮮烈に思い出していた。
「お………」
私の世界が、壊れそうに震撼する。
「お、お兄様アアアアァァァァァァァッ!!」
「……。兄でも、駄目か」
「いやあああああっ!あ、あっ…!いやあああああっ!!」
エルフの姿に戻って、私は頭を抱えて床に転がり、自分の手が血まみれであることに再び喉を破るほどに悲鳴を上げた。
「夢」、ではなく、私の目の前に腕は転げ落ちていた。
涙とも、汗とも、返り血とも解らない液体に汚れた顔で見上げる場所には、片腕をもぎ取られた黒髪の勇者が静かに私を見下ろしていた。
別の人物に化ける呪文、『モシャス』を解いて、兄の姿は金髪の聖女の姿に還ってゆく。
「暫く休め…。今日はもういい…」
落とした腕を聖女は拾い、回復呪文を施して、何事もなかったかのような無表情で私に背中を向けた。
私は … 何度試しても、自我を保つ事ができなかった。
悔しくて、絶望しかけて…、何度哭いても涙は溢れて零れ落ちた。
私は広い部屋に隔離されていた。地球のへその内部の何処か、ずっとこびり付いていた視線も感じない、静かな明るい遺跡の一室に。
ここでは魔物の気配も、闇の存在もとても遠かった。
青い壁の所々には灯りが揺れ、毛布も食べ物も水も聖女が届けに来てくれた。
けれど、私は「食べる」ことができなかった…。
肉でなくても、野菜でも、果物でも、恐ろしくて、吐き出しては水だけで飢えを凌いだ。それでも、空腹は絶えず私を苛み続けていた。
怖い。何よりも、自分が恐ろしかった。
私は『化け物』になりかけてしまっている…!
寝ても覚めても悪夢にうなされて、しかしそれは正夢になりかねない恐怖。
どうしようもない恐怖を、誰かにぶつけたかったけれど、会えばその人を襲いかねない不安が体を震えさせた。
「お兄様…。サリサ…。ルシヴァン…。会いたいです…。でも、会えない……」
毛布にくるまって、膝を抱えて、私は泣くばかりだった。
大事な人達、いいえ、人を襲うくらいなら、このまま涸れてしまった方がましです。
このまま…。
聖女ジードは言いました。彼女は世間から自分を断絶して生きてきたと。
竜のため、そして生きる人々のため、そして自分のために。
選択を迫られていました。私も、そうするべきなのかと…。
この部屋に移されてから、おそらく三日は経過しました。
眠れずに、食べる事もできない私はやつれて気力を失い、視界も不鮮明に歪んでいました。立ち上がる気力もなく、聖女の訪問も声をかけられるまで気づくこともない。
「お前には…。いくつかの選択肢がある…」
ぐったりと倒れたまま、私は子守唄のように彼女の説明を聴いていた。
「一つは、私のように、この場所で生きてゆくこと。ここは闇も存在するが、神にも近い。地球のへそ、神殿内ではそうそう問題は起きないはずだ」
「二つ目、人の自我を失い、竜として生きてゆくこと」
子守唄は、突然に眠気を吹き飛ばしてくれた。
「……、竜の亡骸たちはそれを望んでいる。竜の女王は先が短い…。お前に次の竜の女王になって貰う事を望んでいるのだ」
「………」
意識の淀んでいた私も、さすがに背筋が凍りつくのをじわじわと覚えていた。
竜の姿のまま、竜として生きる。私はどうなってしまうのだろう…。
「卵も孵らない今、この世界を救うには悪くない選択だ」
抑揚のない聖女の声は、もうそれを推奨するかのように聞こえた。
「三つ目、仲間の元に帰るか。今のままでは到底無理だと思うが…。あとは、ここで食べずに死んでゆくか」
聖女の歌は延々と頭を巡り、いつしか私は諦めたように眠りについた。
笛の音がこだましていました。
木製のオカリナの、奏でる素朴な音色。
追いかけた私は、一人の青年の元に辿り着く。
細い路地裏、迫る日没に赤く染まる地上に、映る彼の影は振り向いた。
銀の髪、建物の影の中でも美しく映った紫の瞳。私は全ての力を振り絞って彼に飛び込んで抱きついた。
私は『竜の娘』だから 、約束はしなくてきっと正解だった。
もう帰ることはきっとできない。帰ったとしても、私は怖くて誰にも会えない。外に出たくない。誰かを傷つけるのが怖い…。
滅びゆく世界のために、竜のために、私が望まれていることは…。
「お前、本当にそれでいいのかよ?俺なら御免だね」
泣きついた私の苦悩を、彼は鼻で笑った。
「でも、でも…。長い間、竜の意思たちは待っていたのです。それで彼らが救われるなら…」
「知るかよ。言ったろ。待ってるだけの奴らは嫌いだってよ」
「でも、…待つしかなかったのです。きっと彼らは…」
「お前はどうしたいのか、って聞いてんの」
ビシッと私に指差して、彼は返事を求めた。
「私…、私は…。私は…」
「………。帰りたいです。帰りたい…!帰りたい…!」
「でも…、もしもの事があったら…!帰りたい…!帰れない…!助けて…!苦しいです。助けて…!」
そんなもの知るかよ、と、彼のように私も言えたなら…。
けれど私には口にできない。
地上に堕ちた星のように見つめていた死竜たちの望む視線、声が私を縛ろうとする。自分が何処かへ消し去られてしまいそう…!
遠い夢の中、私は迷っていた。
「帰りたい」 「助けて」と、呪文のように繰り返して。
私の意識は奈落に堕ちて崩れてゆく…。
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「大丈夫ですよ」
底に辿り着く前に、優しい声がふわりと包んで受け止めていた。
誰かがそっと、労わるように私を抱きしめてくれていた。その温かさに夢から醒める。優しい男性の声、どこか聞き覚えのある、言葉の温かさ。
腕の中で、私は不思議と芯まで安堵を覚えていた。
「竜であったこと、悲しいですか?でも、その力は、同時に多くの人を守れる力なのですよ…」
…何故、でしょうか。男性には初めて逢った気がしなかったのです。そして、この男性も、『力』を持つものなのだと察して胸が傷んだ。
力ない腕で、男性をぎゅっと抱きしめ返す。
細く見上げた視界の中の男性は、私の知る彼よりも何処か成熟していて、大人の男性だと認識した。
「わ、たし…、にも、守れるでしょうか…。あなたのように」
大きな『力』を持ち、そのために災いが起こることもあった。自分を呪ったこともきっとあったに違いないのです。
けれどこの人は、強い心を失わない。
「帰りたい、ですよね?みんな待っています。大丈夫ですよ。あなたは自分を恐れずに、信じればいいんです」
男性は微笑む、柔らかい赤毛が揺れて、笑顔には可愛らしさまで見えて、つられて私もこわごわと笑顔を構成していった。
「そして、信じて下さい。周りの人達を。あなたが苦しい時、あなたがもしも誰かを傷つけそうになった時、必ずあなたを止めてくれる事を」
「…はい…」
「あなたは、愛する人と共に生きるべきです。一人でいる時は心が弱いのも当然です。怖くはないですよ。あなたの心は、愛する人が傍に居るほど強くなる。あなたの心は負けないです」
「……!」
感情が高ぶって、私は声を上げて泣き、何度も何度もお礼を繰り返した。
優しい言葉よりも、腕よりも、笑顔よりも、信じてくれることが何より嬉しくて洪水のように涙が零れた。
「ありがとうございます…。……さん…!」
聖女を呼び出し、私は帰ることを告げた。
「私は…、自分と、仲間たちを信じます」
「そうか…。では、今一度、お前を試させて貰おうか」
「ドラゴラム…!」
竜の杖を振りかざし、聖女は金の竜へと姿を変える。眩しい程に神々しく、そして凛とした強さを伺わせて、私は息を飲み込んだ。
「……。私は、帰ります。…大丈夫…」
手を胸に当て、静かに言い聞かせると、私も高ぶる竜の力を解放させた。
銀色の竜が現れて、伏せていた瞳を開く 高くなりすぎた視界、重くなった自分の身体、けれどそれは私自身。
相手を喰らおうとするのではなくて、剣士同士が剣を打ち合うように、私の力を相手に示せばいい。
竜であることを恐れたりはしない。
これはきっと何かを守れる力だから!
「オオオオ!コオオオオッ!」
一度吼えて、炎を噴きつける、まだ慣れない動きではあったが、衝動ではなく意思で動けた。
バサッ !
羽根を閃かせても重い体では飛べはしない。強風でも相手の竜は身じろぎ一つもしてはくれなかった。
顎をうねらせて、力のぶつかり合いが数回続く。体当たりは素早い動きでかわされる。彼女は竜としてどう動くべきかを知り、動きに無駄がない。
頭の中で必死に計算は高速回転して、どうすれば彼女に勝てるかの算段を叩き出していた。竜の姿でも呪文を使う事はできないか?構造の違う顎での発声に戸惑いながらも試しに呪文を唱えてみる。何度か失敗し、ガチリと牙を鳴らすだけに終わったが、最初に氷の呪文が形を成す。
「ヒャダルコ…!」
「!!?」
金竜の体皮に氷の塊りが貼りつき、彼女の動きを鈍らせる。それを確認すると私は頭で彼女を殴りにかかった。が、その攻撃は空を切る。
彼女は瞬時にして姿を人に戻していた。黒服の聖女の姿から、親しい友の姿で私の前に直立する。喉は渇いているし、お腹も空いていた。けれど、もう人を襲ったりはしない!
私の首は友人へと勢いよく伸びて、射程距離に迫る。
金の髪の僧侶娘、サリサが私を見つめていた。迫った竜の首は、彼女の眼前で不意に止まり、…そっと彼女の頬にキスを捧げた。
力加減に気をつけて、彼女を強く押し過ぎないように。
サリサは驚き、モシャスを解いて、現れた聖女ジードは瞳を伏せて呟いた。
「支えを…、見つけたようだな…。外まで送ろう…」
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黒の聖女の壁画より、私の姿は人払いされた礼拝堂に静かに戻って行く。
実際に地球のへそで過ごした時間は六日程度のものでした。
帰りが分かっていたのか、赤毛の僧侶と賢者の二人が私を出迎え、嬉しさの余り声も抑えきれずに私は泣き崩れる。
「おかえりなさいシーヴァスさん!待ってましたよ…!」
「ジャルディーノさん…!ジャルディーノさん…!」
小柄な赤毛の少年にしっかりと抱きついて、「ああ、やはり」と私は確信していました。この感覚、彼に間違いはない…。
「ありがとうございました…。私、頑張りますね…。助けに来てくれて、嬉しかったです。ありがとうございました…」
「…?え、助けに…?」
「ジャルディーノさんの祈りが届いたのでしょう。おかえりなさいシーヴァスさん。今日はゆっくり休んで下さい」
「ワグナスさん…!」
賢者様にも抱き付き、無事を喜び合います。
「…。う〜ん…。すみません。実はこの数日間、時々記憶が飛ぶんです…。僕、助けに行ったんでしょうか…?解らないです。すみません…」
「そうなのですか…、ジャルディーノさん。…、助けに来てくれました。ありがとうございました」
仲間二人とのやり取りを、後から現れた聖女ジードは静かに見守っていた。
礼拝堂に他の人影は見えず、私はワグナスさんに訊ねます。
「他の仲間たちは…?お兄様はまだなのですか…?」
「シーヴァスさんが一番最初ですよ。貴女が一番乗りです」
意外な返答でした。私なんて、あれ程の時間を費やしたのに…。何もしないで泣いていただけの日も数日あった。
それでもまだ誰一人帰って来ていないなんて…。
「…大丈夫ですよ。僕は…、皆さん無事だと思います」
よぎってしまった不安を、ジャルディーノさんがにこりと微笑みで否定して、私も彼に習う事に決めた。
これから、私には考えることがたくさんあります。
自分のこと、竜のこと、私を憎む彼のこと…。
私を休ませようと、仲間の二人が部屋へと案内しようとする、視界の端に映った聖女に私は足を止めていました。
黒い墓標のような、聖女ジードの正面に立つと、どうしようもない悲しい運命に胸が苦しくなってしまう。
下手をすれば、私と彼女は同じ運命を背負う事になる。
私は仲間の元に帰り、彼女はまた地球のへそへ。一体それはいつまで続く枷なのでしょうか…。
私の腕は、自然に聖女にも回されていたのでした。
「ジード様…。私は…、考えますね。竜たちの魂が救われる日が来るように、何をすればいいのかを。いつかあなたが、黒い服を着なくてもいいように。人の中に戻れるように、そんな世界になるようにと…」
私はまだ、こんなにも弱い無力な状態で、欲張り過ぎていたのでしょう。
寂しい聖女ジードも竜たちも救い、あの人に許される道まで探そうとしていた。
本当は泣きたくなんてないのです。
視界が滲む間に、見落とすものがあったら困ります。
「ジード様…!いつか、一緒に光の中で、笑える日がきっときます。竜の魂たちも、あのお兄様も…」
それは私の願いでした。戦う理由を、意味を、私はもう一度考え始めます。
何かに撃たれたかのように、見開かれた聖女の瞳は、大きな衝撃に数秒凍りついて私を映して揺れていた。
「………」
聖女は俯き、竜の飾りのついた杖を強く握りしめ、抱きしめていた私からそっと離れてゆく。
「シーヴァス…。お前にこの杖を渡そう。竜族の創った『いかずちの杖』だ。お前ならば、きっと聖なる光を召び出せる」
「ジード様…?」
初めて、俯いた聖女の頬に笑顔が掠ったように思えて、私は失礼ながらも訊き返していた。
「あなたの往く先に、神の加護がありますように」
聖女は神にかしづくように、膝を折り私に対して頭を下げた。
受け取ったいかずちの杖は、翼を広げた竜の飾りから、何故かもう「険しさ」を感じる事がなく…。
見つめると、親しい旧知の友人のように、私に穏やかな視線を向ける。
「…ありがとうございます。大事に、使わせて頂きます」
大事な痛みを、願いを、この杖ある限り、私は決して忘れない。
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