「いかずちの瞳」


 聖女ラディナードに見送られ、私はお兄様の後に続き、地球のへそへと繋がる光の中へと姿を消しました。
 神殿から、実際の地図上では山を越え砂漠を越え、数日かけてようやく「地球のへそ」は姿を見せます。この道はその距離を繋ぐ、不思議な回廊。

 足元には、何故か水溜まり。白い光に包まれた長い廊下の途中、不自然に水の撒かれた場所に辿り着く。

     ぴしゃり。
 水が刎ねる。…と、一瞬頭が眩み、視界は突然ぶれる。
 光とは離れ、一瞬にして漆黒の闇の中に私は一人佇んでいたのです。


「……。ここが…、地球のへそ…」
 まだ始まったばかり、最初の階層には壁にうっすらと炎が灯されていました。
 人の手による遺跡で、廊下には左右に聖女と思われる像が導くように並んでいます。その間を通り、大きな扉が迎え、私が近付くとひとりでに扉は口を開けた。

 開かれた扉をすぐにはくぐらずに、私は周囲に視線を巡らせています。
 黒いとんがり帽子の唾を引き、注意深く周囲の音に注意を向ける。
 何故ならば、扉を開いた途端、誰かに見られている気配を感じたからなのです。

「お兄様…?ですか?」
 違うとは思いつつも、一足先に入ったはずの兄を呼んでみますが、何処からも返事は聞こえませんでした。
 人よりも暗視に優れ、聴力も上回る、森の妖精族エルフである私にも、闇の先は確認できないほどの、深遠たるこの遺跡。

 仕方なく、私は扉をくぐりました。



「すぅ……、はぁ…。落ち着いて。ここでは一人なのですから、何事も冷静に対処しなければ…」
 私は深呼吸をし、用意していた紙とペンを手に、見える範囲での地図を描いていきます。迷う事のないように、地図を描きながら進む事に決めていたのです。
 そして更に念を押して、持参したチョークで壁に印を付けます。
 道は左右、前方とに進んでいる。
 私は壁を伝いながら、右側へと進んで行くことにしました。



 ……どのくらい、歩いていたのでしょうか…。
 《視線》は、いまだにこびり付いて離れてはくれません。ずっと言い知れない緊張感を引きずったまま、足に疲労を覚え、一度座り、最初の休息をとる事にします。

   ン…。
 不自然な程に、遺跡の中は無音に近かった。
 水筒から冷たさを失った水を蓋に注ぎ、口に含む。そんな動作も誰かに見張られています。
 息が詰まる…。


「お兄様や、アイザック、サリサ達は無事でしょうか…」
 ひとり言を呟いて、持参していた食料をつまみ、私は足を伸ばしてうなだれる。
「……。寂しいです、ね…。思った以上に」
 思い返せば、ノアニールの村を出てから、一人きりになる時間なんて在りえなかった生活。どんな時も傍に誰かが居てくれた。

 一人で過ごす夜さえも忘れていた。
 一人で過ごした時間に比べれば、本当に短い、仲間たちとの生活、けれどいつの間にか、それは当たり前のことに変わっていたようです。

「…大丈夫です。また、皆で一緒に過ごせます」
「大丈夫です。お兄様も、アイザックも、サリサも、きっと帰ってきます」

 見えない、遭えないけれど、同じ場所に挑んでいる仲間の事を思い、私は疲労が回復するまで身を潜めていました。


++


 「地球のへそ」、それは聖王国ランシール大陸の中央、人を阻む山脈に囲まれた砂漠の真ん中に、口を開けている深い「穴」。
 誰かが「まるで世界のへそのようだ」と口にした    、それが名前の由縁。

 ランシール出身であるサリサから聞かされたのですが、この地球のへそでは同時に入った者同志でも、同じ景色は見れないのだと言います。

 この深い穴は二つの世界を繋いだ『狭間』。
 闇と神への道とが同伴する不安定な場所。

 人は狭間の中で正気を保てなくなり、幻覚を見てしまう。
 方向感覚がなくなり、時間の乱れに迷い込む者も出てしまうのだと…。
 時間の歪みにはまると、過去の幻影、更には未来まで垣間見ることもあるそうです。私は、何を見れるでしょうか。

 神の武器や名のある道具類が眠る、多くの者が挑戦してきた『試練』の洞窟。
 歪んだ世界の狭間で、孤独な試練に打ち勝ったものだけが、宝を手にして帰還できる。…望むところでした。

 後方で守られるだけではなく、仲間と同格でいたいがために。
 私も「何か」を見つけて帰りたい。

 数時間、休んだ後、私はまた歩き始めました。


 また疲労に足が痛くなるまで、右に曲がったまま、道は何の変化ももたらさない。
 不安になり、私は何度も後ろを振り向いていました。
 …戻った方がいいのか。もう少し進めば、何かが見つかるのか。相談する仲間はいない。私は自分で進路を決めなくてはなりません…。

 歩き詰めた数時間を無駄にしたくなく…。また同じだけの時間を歩いて戻る気にもなれずに、私は立ち止まる。
 まだ地図にはこの一つの道しか記されていないのに、私はすでに不安に襲われてしまっていたのだった。

「……。今日はもう、休みましょう…」
 魔物との遭遇は一度もない。
      逆にそれすらもが不安…。

 自分は、何処か道を外れてしまったのではないでしょうか…。
 疲れて重くなった足を抱えて、私は独り、眠りに落ちる。


 眠りは、浅い。
 いつもなら誰か仲間が起きていて、見張りをしてくれるはず。でも、今は私独りしかいないから。



「………タ」
「ミツケタ…」


 長い耳に、微かに何かの囁きが障る。
 複数の低い声が、ざわざわと、木々の揺れる音にもにて、私の緊張を奔らせる。
 誰かが、ずっと見ているんです。
 この遺跡に踏み入った時から、片時も離さずに。

 誰ですか…。


「ヨウヤク……」
「ミツケタ…」
「ワレラノ…ガ…」
「カンジル…ゾ…」



「ハッッ    !?」
 不意に目が覚め、壁に貼りつき周囲を警戒し、私は慌てて逃げ出した!
 取るものを取って、囲んでいた気配からただ逃れる。

追って来る!

 複数の蠢く気配、それはニ、三の気配ではない。後ろから、数十の視線。バタバタとマントを鳴らし、靴で床を鳴らし、帽子を落とし、諦めてひたすら走る。
 杖を握りしめ、ようやく私は思い出した。
 どうして忘れていたのでしょう。まだ選べる選択肢はあったことを。

 私は、勝てますか?お兄様    

 無理を言って、強気な啖呵を切って私はここにやって来た。
 踏みとどまり、踵を返し私は追って来る存在に理力の杖を身構える。闇で隠された視界にはまだ相手の姿は認められない、けれど、確かに私は囲まれていた。

「イオラ……!!」
 後方全てを吹き飛ばす爆発の呪文、手ごたえは感じていました。

シン……。
 静まり返り、上下する肩の息使いだけが残り、    納まった周囲の気配に胸を撫で下ろす。

 次の瞬間、汗が凍りついた。

 息もできないくらいの圧迫感に身動きができなくなる。
ドクン…ドクン…。ドクン…。
 息も固まっているのに、心臓だけが激しく警戒音を叩き打つ。

    囲まれている!
 視線は更に増えて私をねめつけていた。前も後ろも、上も下も。
 腰が抜けて、ガタガタと震えた私は杖を掴んで恐怖に悲鳴を上げる。
「誰ですか!?何…!?お兄様…!!」

ザワワワワワワワ

 数百もの視線の中に、追い詰めらた子ネズミのように震え上がって私は助けを求めた。気配は渦を巻いたように私をくるみ、私は必死に足掻いて逃げた。
けれど襲う意志は爪を伸ばし、私の足元を崩壊させている。

ガラガラガラガラ!!
        !!助けてお兄様っ!ルシヴァン…!」


++


 全身を酷く打ち、崩れた床から転落した私は、気を失っていた。

 痛い…。体中が痛いです、お兄様。どれだけの時間、気絶していたのかは解りませんが、体中がギシギシと軋んで起き上がれない。
 とても怖くて、恐ろしくて…。周りを確認するのが怖い。



       !!」

カラン…。カラン……。
 何かの転がる音に、ビクリとして私は現実に呼び戻された。
カタカタ。ガラ…、ガラ…。パキ。パキ…。

 落ちた私は瓦礫の上にうつ伏せに倒れていた。
 打撲と、もしかしたら数箇所骨が折れているかも知れないような、重傷。

 周りのあちこちから嫌な音が聞こえます。
 動かした指先、近くに触れた、…それは古い骨でした。
 こんな臭い…、覚えがあります。死臭とも言うのか、乾いた骨の動く音、乾いた空気、深い闇、あの時も、落下してその部屋に閉じ込められた。
 イシスで閉じ込められたピラミッドの地下室、それと同じ感覚に血の気が引いて行く。


 そして、視線。
 止む事のない、たくさんの視線が私を見下ろし取り囲んでいる。


カタカタ。 カタカタ。 カタカタ…。
 骨だけの戦士が周囲を動く、耳障りな音。

 …落ち着いて…。脱出の呪文さえ使えたなら、それでここから逃げ出せる。
 反面、ピラミッドでの事態を恐れてもいた。あの部屋では一切の魔法が使えなかった。脱出どころか、些細な炎の呪文でさえも…。

「リレミト…!」
 盗み言うように呟けば、案の定、魔法は発動してはくれない。

「そんな…!」
 逃げ道を探そうと、手をついて顔を上げた。映った視界の姿は…。
    炎のように、二つずつ、
 赤い瞳が無数の星のように闇に浮かび、私を隙間なく囲っていた。私は赤い星の海に囲まれてしまっていた。

 悲鳴も凍りつき、私は闇にうっすらと浮かんで見えた、骨の戦士たちの姿に戦慄して震える。ピラミッドの地下で見たゾンビ達とは違う、鋭い牙、鋭い爪、尾と翼と思われる骨組み…。
 まさか、まさか、まさか。

 もはや伝説の生き物でしかない、恐るべし生き物。
 自分をドラゴンゾンビ達が数百、包囲しているのに恐慌に陥りかけた。顎を広げ、ドラゴンゾンビ達はカタカタと、不気味に骨を鳴らし、私の傍へと迫ってくる。

「ミツケタ……。ツイニカエッテキタノダ…」
「ワレラノ……オウ……ノ…キカン……」
「マコトニ…」
「アカシヲ…」
「オウノ…ノ…アカシヲ…」


 竜の死骸は口々に何かを呟くが、良く聞き取れない私は包囲を掻き分けて突破口を開こうと奔り出す。
 足も悲鳴を上げていた。けれど何も手にできなくても、それでも私はお兄様の元に帰らなければならない。
 力になると約束したあの日から…!

「ア……!」
 でこぼこな足場に転び、右手から理力の杖が転がり落ち、必死に腕を伸ばして探し求める。
 数十のドラゴンゾンビが爪を伸ばし、ようやく届いた杖を突き出し、魔力を攻撃に換えて放つ。魔力の光は先の刃に光を宿し、骨を切り裂き、一撃で数対のドラゴンゾンビを崩壊させる。

 その分自分の魔力は消耗してゆく。こんなに無数の敵相手に、消耗戦など自分には向いていない。早く逃げ道を探さなければ確実に自分は死ぬと思った。

「ハア…!ハア…!」
 喉が渇き、体が燃えるように熱い。骨折のためもあって体が高熱を発して頭が淀む。土肌の床を這って、とにかく群れから距離を稼ごうと考えた。

 ドラゴンゾンビの動きは速くない。荷物袋が破れてしまい、減った薬草を乱暴に取り出し、急いで数枚を患部に押し当てる。

「ワレラノ、ネガイヲ…!」
「アカシヲ…!」
「ズットマッテイタ…!」



「痛い……!!」
 ドラゴンゾンビ達は一斉に咆哮を上げ、それは私へのメッセージなのでしょうか。
 突然頭に痛みが奔り、両手で頭を押さえて私は倒れる。

「や…!やめて……!!痛い!痛いです…!」

 誰ですか?誰?目を閉じても、流れ込んでくる意識の群れ。
 ドラゴン。ドラゴンと戦う者。あれは聖女様…?次々に倒れてゆく竜の種族。山のように積み上がった竜の死骸。死骸。死骸。



 滅びた、伝説の種族。
 戦いと、血と、悲しみと…。そして、願い。
「痛い…!!」

 何年?何十年?何百年?
 気の遠くなるような時代の流れを、私は早送りで頭に流され、意識が破裂しそうに暴れていました。

 後半、対照的に、静かな混沌の闇…。
 種族は壊滅してしまいました。
 魂が救われることもなく、この地に束縛されてしまったまま。

 待っていました。
…誰をですか…?

 自分たちを救う、『光』を    …。

 『光』とは?


++


 フッ…と、周囲は温かい光に包まれたのでした。

「……。…!」
 私はすぐに体を起こし、広がった森の風景に視線を巡らせます。
 懐かしい、自分の育ったノアニールの森でした。穏やかで、静かで、とても美しくて、世界の中でもきっと私が一番好きな場所。

 これは夢の中なのでしょうか。
 私は立ち上がり、陽光の射す、森の中を当てもなく歩き始める。


 やがて、耳に届けられたのは、小さなエルフの子供達の笑い声。

「あははははっ!あははははは!」
「おとうさま。おとうさま〜」

 男の子と、女の子、幼い子供たちが両親に駆け寄り、「遊んで」とせがんでいた。
 忘れもしない、過去の自分の家族が見える。
 優しくて大好きだったお母様。子供二人にせがまれて破顔しているのは、勇者であったお父様。

 エルフの家族の中で、お父様だけは人間の男性でした。
 まっすぐな黒い髪と、黒い瞳、見覚えのある額冠をいつも当てていて…。

「おとうさま、きょうわ、いっしょにいられうの?」
「ああ。一緒に居られるよ。何して遊ぼうか」
「おとうさん。ぼくとっ。もりにいって!」
「分かった。何処へ連れて行ってくれるんだ?」

 夢を見つめながら、例え夢でも、また姿を見れた事に感動して、私は手を口元で合わせて見つめていました。

 お父様は私たちに笑いかけて、逞しい両腕で抱き上げる。
 お母様も笑顔で、とても幸せだった。

 とても幸せだった。家族が一緒に居られた頃…。


 お母様の唇が動き、愛する夫の名前を呼ぶ。
「ねえ、オル   







「ああああああああああああああああっっ!!」

「え……?」

 幸せな過去の夢に、誰かの悲鳴が亀裂を奔らせるのに耳を疑った。
 同じように、過去の家族を見ていた人が私の横に存在していた。

 叫びにも驚いたけれど、「彼」を見て私は再度打ちのめされる。

「見たくない!こんなもの見たくないんだ!」
 彼の叫びは尋常ではなく、頭で考える前に、私は体で理解していた。
 彼の…、ほとばしる様な、憎しみを。


「あのね、あのね、おとうさまだいすき!」
「私も大好きだよ。シーヴァス」

「消えろっ!!」

「!待って下さい………!」
 彼は腰の剣を抜き、ためらいなく黒髪の男に斬りかかって行く。
 両手を広げて、私は彼と父親との間に躍り出る。剣を振りかざし、見下ろす彼の瞳に私は死を覚悟した。

 銀の切っ先は弧を描き、躊躇なく私は引導を渡される。
    はずでした。


 しかし、鮮血は上がらなかった。
 私とお父様をすり抜け、彼は勢い余って木の根元に倒れ込む。あちこちを打って、切り傷を負い、それでも悔しそうに歯を食いしばって震える…。

 血は流れませんでした。
 けれど、どうしようもない悲しみに、私の心は確実に切り潰された…。
 私の姿は見えていなかったのかも知れない。
 けれど、彼はお父様を斬る事を躊躇わなかった。瞳には明らかに殺意が見られてしまった。彼はお父様を憎んでいるの?こらえ切れずに、瞳に涙が溜まります。

「ぼくもー。おとうさんすき。おかあさんもすき。みんなすき」
「愛しているよ。二人とも。大事な私の子供たち」
 幸せな家族の夢は何事もないように進んでゆく。
 温かくて、笑顔が絶えなくて。

 それを蔑む彼の視線は、時間をかけずに嘆きの色に歪んでいった。


「二人…。二人なんだ…」
 彼の右手から、剣はするりと抜けて落ち、がくりと膝は折れ、両手を土につく。


 場面は、森から、見慣れない町の外れへと変化を告げる。
 ここは…?彼の記憶の風景…?

 彼は高い杉の木に登り、ずっと誰かを待っていた。

 ずっと待っていた。一番高い所から、父親が帰って来るのを待っていた。
 すぐに見つけられるように。
 すぐに駆けつけられるように。
 誰よりも一番に見つけるために。

「お前なんて死んでしまえ。死んで良かったんだ」

 私は彼に何を言えば良いのでしょうか。
 無邪気に笑う幼き日の私、彼はそれさえも許さない。

「嫌いだよ。君なんて。顔も見たくない    



 愕然として、   立ち尽くした。
 過去の家族の夢も、彼も消えても、この慟哭は晴れてくれそうにない。
「お兄様。もう一人の、ニーズお兄様…」

わああああああっ

 悲しくて。声を上げて私は泣き叫び。がくりと座り込んで、『自分』について懺悔を初めて繰り返していた。

「アイツも、きっとシーヴァスのこと大事に思ってくれる。会えたら、きっと優しくしてくれるから」

 一緒にいる同じ名前のお兄様。同じ顔のお兄様の言葉に、不安を覚えつつも、きっとそうだと甘く信じていた。
 きっと三人、兄妹として、仲良くできるはずだと……。


 私が笑う間、あの人はずっと待っていたのですか。
 お父様は、裏切ってしまったのですか?聞きたくても、聞くことのできない、すでにこの世に居ない父親。
 それならば、ずっと、この苦しみに終止符が打たれることはないのですか…?

 二人の兄の顔が繰り返し、私に優しい言葉をかけ、私を憎む。

私はどうしたらあの人に許してもらえるのですか…?





    女の笑い声が聴こえます。


「クスクス…」

「もっと憎み合いなさい。私のために…」

「もっと絶望しなさい。彼のために…」



++


 涸れる程に泣いて、動き出す事に、疑問を感じていました。
 私は、このまま、どう生きてゆけばいいのか、と…。

 くだけた心に、死した竜の意思たちは沈黙していた。
 いいえ、いつの間にか、道を開けていたのです。来るべき、裁く者の訪れを。

 床が崩れ、落とされた死骸の積もる部屋は、更に闇が濃かったはず…。しかし今一度、自分に深い闇が覆いかぶさる。それは『ある生き物の濃い影』だった。

 私はここで、踏み潰されて死ぬべきなのでしょうかと、神に聞けるなら、問いかけたい。それで彼の心が晴れるなら、私はそれでも…。

 影が現れ、見上げてしまった先には、紫がかった二つの瞳が、高みから小さな私を見下ろしていました。
 気高き、金に輝く鱗に覆われた、生きたドラゴンが私を裁きに現れた。
 建物で言うなら三階にも届くような巨体の竜。
 死したはずの生きた竜が現れるのも神がかって見え、私は逃げることなく黄金の竜の爪に捕まれ、高く持ち上げられる。

「…………」
 金の竜は、酷くその体に熱を帯びて、掴まれているだけで私は焼け焦げそうでした。
「……。コエガキコエナイカ。リュウタチノ、オマエヲモトメルコエガ」

 何を…。聞けと言うのでしょうか。
「ア…!ウウウ…!熱い…!!」
 爪が身体に食い込み、熱によって服が焦げていく。体中の血が沸騰して、そのまま破裂してしまいそうな私は身体をよじってそれどころではない。

「ズットマッテイタ、ネガイヲ…!ワレラノオウノチスジガヨミガエル…」
「アカシヲ…!オウノチカラノアカシヲ…!」
「オウノチカラヲ…!」


「ソレトモ、オマエハココデクチハテルカ。ココロヨワキモノナラ、コノサキ、オマエヲホウチスルワケニハイカナイ。オマエハココカライッショウダサナイ」

「一生…!出さない…!」
 いいえ。ここで命を失えば、一生外に出ない所の話ではありませんでした。

熱い…!

 もう二度と、誰にも会えない。
 誰にも、お兄様にも、私を憎むお兄様にも。仲間たちにも。共に帰ってこようと約束したサリサにも。
    そして、別れ際に何も約束をしなかった。あの人にも…。


「へえ〜…。おたくが地球のへそにね…。…。行ってらっしゃい」
「…止めは、しないですか…」
 航路を別つ彼に話して、一言も止めないことに、私は少し俯いた。

「あのさぁ?お前が融通利かない女だってこと、俺はもう身に染みてんの。止めたって行くだろうがお前は」
「……。そう…、かも知れません」
 逆に文句を言われてしまい、私はますます俯く。

「おいおい。そんな事で傷ついてるようじゃ、とても帰って来れないんじゃねぇの?あそこは…。闇が生きてるからな」
「待っててくれると、言って貰えれば…。頑張れます」
「嫌だね。誰が言うか。俺は縛るのも縛られるのも御免なんだ」
「………」
 困らせたくはなかったのですが、思わず、しくしくと涙は零れていました。

 船上をかもめが数羽横切り、暫く対応を決めあぐねていた彼は、肩をすぼめて私の帽子の唾を引っ張った。
 甲板の上、とんがり帽子で隠して、涙を拭うような口付けをくれる。

「おみやげ持って帰って来いよ。そうしたら褒めてやるから。大丈夫だって。ブーメランだって巧くなっただろ?」
「はい。ルシヴァンのおかげで…」
「また押しかけて来いよ。得意だろ?」
 悪戯小僧のような、彼の笑顔が眩しい。

 私は、帰りたい。帰りたい…!


ドクン…!


 無謀でも、この金の竜に勝たなければ。闘志は甦り、私の開かれた瞳は強さを帯びる。竜の爪に掴み上げられた時に杖は手放してしまっていた。魔法もここはかき消されてしまう…!
 何か方法はない?何か    

 私の中に眠る力。その脈動にハッとする。
 沸騰したように、金の竜の体温に呼応された私の『血脈』は激しく叫んでいた。

熱い力が爆発する…!!


 体が膨らみ、形を変え、私は別の生き物に変化しようとしていた。
 身体の表面に鱗が敷き詰め、鋭い爪が伸び、顎が変形し無数の牙が並ぶ。背中が痛み、羽根が突き出すと、後を追って伸びた尾も地面を叩いて地響きを立てた。

 食い込んでいた爪から抜け出し、首を降って直立した私と金の竜との目線は等しく重なった。
 背も伸び、体重も増え、ひどく全身に力の漲りを感じる。
 金色の竜と対峙している銀色の竜が一匹。

    それは『私』でした。


ザワワワワワワワワッ
 竜の死骸たちがざわめきを波のように広げてゆく。それは『歓迎』の歌。
 金の竜の言葉が、同族になったせいか鮮明に理解できるように変わっていた。

「やはり…。お前は森の娘…ではなかったようだ」
 この声は、確かに何処かで聞いたことがある。
 威厳ある金の竜の声は、私に確かに伝えたのです。

「お前は、オルテガ様より、王たる竜の力を引き継いでいる。竜の女王にも匹敵するかも知れない……。お前は『竜の娘』だ、シーヴァス」



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