「聖を背にし者 2」
|
聖女ラディナードから一晩の猶予時間を与えられ、ランシール神殿の訓練場から、仲間たちはそれぞれ自由行動に散って行った。
突然『地球のへそ』に挑むといい出したシーヴァスに対しては、他の仲間同様俺だって驚いた。
けれど、戦士である俺にしたって、集団攻撃はできないし、魔法は使えない。
回復も薬草を持って行くしかないなど、不利な条件は多い。
「誰だから安心だ」とも、言えないのが『地球のへそ』なんだと思った。
俺は仲間と一緒に宿には帰らずに、シャルディナに声をかけ、聖女ラディナードに許可を貰って二人で話す時間を持つ。
ジパングで別れてから、シャルディナに会うのは数ヶ月ぶりにもなっていた。
合わせてテドンで記憶を取り戻した、故ネクロゴンドの王子、リュドラルにも再会し、三人でオープンテラスで談笑している。
そこは聖女のプライベートテラスで、白いテーブルクロスの上にお茶とお菓子が数点並び、慣れない場所に俺はきょろきょろとして落ち着きがなかった。
「いいのか?こんな所使っちゃって…」
「うん。大丈夫。ここは聖女様の私用テラスなの。良く皆でお茶にしたりするんだよ。お菓子、どうかな。変な味しない…?」
「ん?美味いよ?なんで?」
クッキーとマドレーヌ、フルーツゼリー、アイスティーとがテーブルに並んでいたけど、どれももぐもぐと貰っていた。
「アイザックが来るのは賢者様によって予告されていたからね。シャルディナちゃんが用意していたんだよ」
「………」
俺の隣の友達が、にこにこと教えるとシャルディナは赤くなって俯く。
「そうか……。ありがとな、シャルディナ。美味いよ」
「アイザック…。地球のへそでは、くれぐれも無理しないでね。心配だから…」
「心配するなよ。大丈夫」
心配そうに顔を覗き込む、か細い印象の吟遊詩人。
その顔を認めれば、ジパングで味わった苦い記憶が甦ってくる。
俺がここに来た理由。隼の剣を欲しいと思った理由。
それは親しいものに信用されない、情けない自分を知ったためだった。
シャルディナが嘘をつかなくていいような。
誰もが夢だけ見ていればいいような。そんな世界にしたいから。
まずは 目の前の少女の夢を叶える。
「…うん。待ってるね。私、信じて待ってる」
シャルディナにとって、『信じる』という事には、少なからずとも勇気が要ることを知っている。それでもそう微笑むことに、俺は笑顔を返すのだった。
「シャルディナから貰ったお守りもあるしな。大丈夫だ。きっと守ってくれる」
今でも持ち続けている小さな巾着を右手でつかみ、確認させるとシャルディナは頷く。イシスのピラミッドでもこのお守りが俺を守ってくれた。
その守護によって、俺はおそらく「隼の剣」を借りる事態に納まっているのだろう。
「気をつけてね。アイザックの事だから心配はしていないけど。やっぱり一人だから、油断したら危ないからね」
横ではリュドラルもお菓子とお茶にあやかっていて、遺跡内での注意事項などを教えてくれる。
「そうか…。もうお前は何度も入ってるんだなぁ。活躍してるんだな。俺も頑張らないと」
「アイザックなら剣に選ばれるよ。僕は信じてる。そうしたら晴れて僕達相棒だよね…。 隼の剣と月の弓の。不思議な縁だよね。対の神の武器」
「そうだなー…」
暫くの談笑のあと、俺は思い出して、シャルディナに対して提案を一つ持ちかける。
「そうだ。まだ時間あるかな?良かったら外に出ないか?イヤリング失くしてただろ?買いに行こうと思うんだけど」
「えっ…!」
イシスで再会した時に渡したイヤリングを、ジパングで失くしていた事を思い出し、俺はシャルディナを買い物に誘ってみる。
なかなかそんな機会もないし、思い立ったが吉日だ。
「えっ、あ…。う、嬉しいけど…」
「行って来なよ。アイザックが一緒なら大丈夫だよ。僕が聖女様に伝えておいてあげるよ。その代わり、アイザックちゃんと守ってね」
「分かってるよ」
シャルディナがランシール神殿から出ずに、神殿内のみで生活していた事を俺は知らなかった。
実は彼女は、ランシールの町に買い物に歩いたことも無かったんだ。
|
++ |
「え?じゃあシャルディナ。町に買い物もした事ないのかよ」
「うん…。危ないかも知れないから…って」
「参ったな。俺だって初めてなのに。えっと、雑貨屋?アクセサリー店?いい店あるかな?」
観光客や地元民で賑わう町並みを二人で歩き、数店を回り、小さな白い花の形のイヤリングをシャルディナにプレゼントする。
「お守りのお礼に買ったんだよな…。確か前のやつは。赤いやつ」
「ありがとうアイザック。今度は失くさないようにするね」
あまりにシャルディナが嬉しそうに笑うので、少しばかり照れくさかった。
「しかし…。こうして見るとでかいよな、ランシール神殿。さすが、世界最大の神殿だけはあるよ」
俺は羨望も込めて、町並みから望める白い神殿の姿を見上げる。
港から商業区、居住区と連なり、神殿は島の中心の輪状山脈の麓にて、平地を見下ろすように身構えている。
深い森の中、長い階段を昇り、人々は神の御許を目指すのだ。
「どうかな?おかしくない…?」
振り返ると、すでに買ったばかりのイヤリングを耳に付けて、金髪の女の子はもじもじと俺に尋ねる。
「似合う似合う。…可愛いよ」
「えっ。か…!っ…!」
…言った後で、激しく後悔した。
ぼっと火が付いたように赤くなって、シャルディナが顔を背けるから、「しまった」と思いながら俺も顔を背ける。
おかしいよ。こんなの別に、シーヴァスとかサリサにだって普通に言えるのにさ。
なんだか思うように、後に続く言葉も見つからないで、気まずい沈黙が訪れる。
「………」
「………」
「えっと…。そ、そろそろ戻ろうか。夕方前には帰れるから」
「う、うん…」
帰り道も、ずっと顔が合わせられないままだった。
日が傾き始めた頃、高台の神殿に戻り、シャルディナが生活している別館の方へと送っていく。
この特別な別館には、許された者しか出入りができなくなっているのだが、その別館に到着するなり激しい靴音に俺たちは立ち止まっていた。
バタバタバタバタ!
「シャルディナ〜〜〜〜!!無事だったんだね〜!」
一人の若い騎士が白いマントをなびかせ、廊下を駆け込んで来るのが、かなり遠くから確認できた。
どうやらシャルディナの姿に反応して奔って来るようだ。
俺より少し年上ぐらいの若い騎士で、眩ゆい金髪に額には十字架のサークレットがキラリと光っていた。
装いからして、新米騎士と言ったところか。
着ているものが新品のようにキラキラと輝き、貴族のように装飾された衣服に、飾り物のような細身の剣。
展示品がそのまま、動き出して来たかのような印象の騎士だった。
「シャルディナ !はあっ、はあっ!」
息を切らして彼女の元に駆けつけ、若い騎士はいきなり 。
いきなり、目の前でシャルディナをしっかりと抱きしめたじゃないか。
それは随分と俺の度肝をぶち抜いてくれた。
「何処に行っていたんだいシャルディナ!僕は本当に…!心配で心配で心配で…!何かあったらどうしようかと…!町に買い物なんて、酷いよ!行ってくれれば僕が一緒に行ってあげたのに!好きなものは何でも買ってあげたのに!」
「きゃあっ!クロード…。は、離して…」
「……………」
戸惑うシャルディナを抱きしめて離さないそいつと、俺はバチリと目が合った。
「お前か。シャルディナを連れ出したアイザックとか言う戦士は」
「………。そうだけど」
新米騎士はシャルディナをやっと離して、離したかと思うと、今度は自分の傍に引き寄せたままジロリと俺を値踏みする。
すると奴は鼻を高くして、声高く嘲笑してくれた。
「ははは。あっはははははははっ!回りがもてはやすからどんな奴かと思えば、やっぱりみすぼらしい田舎者風情じゃないか。心配して損したよ」
「クロード!」
俺を馬鹿にし始めた騎士に驚き、シャルディナは慌てて止めようとする。が、金髪に碧眼の騎士は、水を得た魚のように饒舌だった。
「なんだね君、そんな格好で僕のシャルディナとデートだなんて。恥ずかしいよ。僕なら新しく服を新調するね。そして勿論彼女にも新しい服を買ってあげるよ。美しい彼女に対して、汗や泥にまみれた、はした着で一緒に歩くなんて失礼だからね。一体どんな神経してるんだい」
「………」
確かに、コイツの言うとおり使い古した服装ではあったが、なんでそこまで馬鹿にされなければならないんだ?
当然の如く、俺はムッとして奴を睨みすえていた。
「さっきから、だいたいお前はなんなんだよ」
ケンカ口調で文句を言えば、それこそ、奴を調子に乗らせてしまったようだ。
「ふん。僕はクロード・フィルス。この国で知らない者はいないよ。お父様はこのランシールの宝石商の元締めなんだ。そして聖女ラディナードの弟でもある」
髪をかき上げ、決めポーズを取り、誇らしそうに白いマントを翻す。見てくれだけはやたらと絢爛として眩しい。
俺より背も高いし、黙っていれば…、いい男と言ってもいいだろう。
「そして過去最年少にして、聖女親衛騎士団に入団し、将来は騎士団長だとも噂されている。頭脳明晰にして容姿端麗。聖騎士の中の聖騎士。だけど、僕はシャルディナだけの騎士になるんだ」
「……。な、に…?」
声にならない感情に眉は跳ね上がり、奴が何かを言う度に湧き上がるムカムカに、わなわなと震える。
さっきからシャルディナ、シャルディナって…。
そして絵に描いたような金持ちのボンボンだった。
「クロード、だから、それは…」
横から困って止めようとするシャルディナの、白い両手をそっと取ると、雰囲気を作って騎士は愛を囁いた。
甘い声色で囁く、奴の告白劇を見ているかのような錯覚に、頭がクラクラする。
「シャルディナ、分かっているよ。でも、僕は君がやっぱり好きだよ。大好きなんだ。せめて君を守る場所ぐらいは、誰にも譲りたくないんだ…。だから僕は、必ず『隼の剣』を手に入れて見せるよ」
「隼の剣…」
それは今も、俺の腰に下げられていた。併用している、鋼の剣と共に。
騎士は憎憎しそうにゆらりと身体を俺に向けると、偉そうに腰に手を当て諭し始める。
「ようやっと返しに来てくれたね。待ちくたびれる所だったよ。僕が正式に所持者として、ミトラ神に認められるんだからね。汚したりしてないだろうね?」
「………」
「なんだよ?その顔は。…まぁいいよ。特別に今回は貸してあげたって事で許してあげるよ。君もミトラの信者のようだし、本当に運が良かったよね。シャルディナ、待っててね。必ず隼の剣で君を守ってあげるから」
再びくるりと回転して、奴はシャルディナの手を取る。
俺はその奴の手を弾き飛ばした。
「何をするんだ!無礼者!」
「うるさい。俺は隼の剣は誰にも渡さない!」
「なんだって!」
ぶつかり合う俺たちの視線。
火花が散る間で、シャルディナがおろおろと困惑しているのが視界の端に見えた。
「は、ははは。何を言っているのか、分からないな。君ね、世の中には選ばれし者と選ばれない者がいるんだよ。君は後者だ。どうして分からないのかな?どうみたって君に、美しいその剣は似合わないよ」
「誰が選ぶって?選ぶのは俺だ。俺が選んでここに来たんだ」
「だいたい、アリアハンの何の役職も無い戦士が何を言っているの?君、しかも農家の出らしいじゃない?笑っちゃうよ。シャルディナにも隼の剣にもそぐわないよ。神の戦士にはそれ相当の教養と風格と、知性と品性が必要だよ。君の何処にそれがあるって言うんだい?」
俺は奴の襟首を掴んで持ち上げる。
「お前こそ、何処にそれがあるんだ。見せてみろよ」
「……。野蛮人がっ。…いいよ。見せてあげるよ。剣でもなんでも相手になるよ。言っておくけど、僕は騎士団入団筆記試験、満点合格者だよ。馬術、剣技の型、礼儀作法も首席合格だ。君なんかに負けない」
「……。隼の剣は死んでも渡さない!欲しかったら力づくで持って行け!」
「ああ!じゃあそうさせてもらうよ!!」
かくして、火蓋は切って落とされてしまった。
俺としては、この野郎をこのままボコボコに叩きのめしてやりたい所だった。それはもう、殴り合いのケンカで。
しかし、騎士である奴は正式なる勝負として決闘を申し込み、俺はそれに応じて移動する。
この別館にも修練用の場所はあるといい、決闘はそこで。
審判はシャルディナ。
「見ていてよシャルディナ。君のために僕は勝つよ」
「さわるなよっ!」
またいちいち、シャルディナにさわろうとするのを、俺は怒鳴ってその手を叩き落とす。何から何までムカついた。
「………!………。君、もしかして、………」
「なんだよ!俺に負けたら二度とさわるな!」
「……分かったよ。その言葉、そっくりそのまま返すよ。君こそ、僕に負けたら隼の剣を置いて、シャルディナとも、もう二度と会わず、アリアハンに泣いて帰りなよ」
修練場の土の上でお互い構え合い、決闘に対して条件を言い交わす。
「お前も、俺に負けたら騎士を辞めろ。お前が「騎士」ってだけで、腹が立つ」
「了解だ」
少し離れて見ているシャルディナの後ろに、そっと現れた人影に、彼女は助けを求めて振り向いていた。
「あ、あの。二人を止めて下さい!ラディナードさん!」
そこに立っていたのは、白い神官衣の聖女。
けれど、彼女は止めはせずに、興味深く、その決闘を見つめることに決めたようだ。
「いい機会だと思うわ。シャルディナ様、あなたも…。見ていて下さい」
|
++ |
「行くぞ!」
「いつでも来い!」
いわゆるエリート騎士の腕前を、見せて貰おうじゃないか。
奴は白いマントを脱ぎ、柵にかけ、訓練用の刃の無い鉄の剣で挑んでくる。俺の武器も同じく刃の無い鉄の剣だった。しかしこれでも、撃ち込まれれば当然怪我もありえるだろう。
日は沈みかけていたが、まだ視界は明るく問題は発生しなかった。
やや茜色の空に、長い影が地面に伸びて、緩やかな風が髪を揺らす。
速い踏み込みで、クロードはランシールの方式なのか、突くタイプの攻撃を主体に攻めてくる。
技を見極めるつもりも、牽制する気も毛頭なく、俺はただ一点、奴をもう二度と立ち上がれない位に叩きのめす事を目的としていた。
第一撃、奴にとってもそれは牽制のようだった。
瞳は鋭く俺を捕らえ 。
捉えてしまったからだろう、ランシールの聖騎士は一瞬怯んで、身体がおそらく無意識のうちにわずかに引いていた。
後にして思えば、実戦経験の無いクロードには、俺のように敵意のある視線に出遭うことは無かったんだろう。
鉄の剣を両手に構え、俺は逃げた奴の腹に勢い良く振りかざし、腰を低く体重を乗せ、力の限りに斬りつける。
奴の身体はくの字に折れ曲がり、骨の砕ける音がして、そのまま激しく吹き飛ばされる。
バキバキバキッ!
建物との境界柵に激突し、崩壊させて苦しそうに倒れ落ちた。
「うっ…。ううっ、うっ…!ぐはっ!」
腹の中の物を吐き出して、半泣きになりながらクロードは痛みに呻き声を上げる。まだ、一体何が起こったのかも把握できずに、彼の頭は混乱していた。
「な、なんだ…?うっ、あうう…!」
「クロード…!大丈夫…!」
「シャルディナ様」
弾かれたように駆け出した、吟遊詩人の腕は、倒れた弟の姉によって掴み止められていた。
「これは正式な勝負ごと、決闘なのです。弟が自分で始めた事です。まだ試合は終わっていませんよ」
「そ、そんな…!でも…!もうクロードは動けません…!」
「それは弟が決めます」
「く、くそ…っ!」
動けないながらも、悔しそうに身体をねじり、睨み上げるクロードの姿に、シャルディナは躊躇った。
彼のこんな痛々しい姿を見るのは初めてだった。全身を土で汚し、嘔吐で口元を汚して、青い顔で歯噛みするような彼を。
いつもの彼なら汚れに過敏で、もうこのまま着替えに帰っていた所だ。
「ホイミ…」
倒れたまま、クロードは回復呪文をかけて、自分が叩き壊した柵から木片を落として、よろよろと立ち上がる。
俺は傍にまで行ってやり、冷たく言い放つ。
「もう観念して、負けを認めろよ。騎士の勲章をここで捨ててな」
「そんなこと、で、きる、か…!油断、しただけ、だ…!」
クロードが負けを認めるまで、決闘は続けられた。
日は沈み、空は闇色に染まり、月と星が夜空を支配していた。
俺は無傷で、クロードは何度も倒れ、その度に回復呪文をかけて、ふらふらと立ち上がって来るのだが、それでも全回復しているわけでもない。
剣を杖にしてなんとか立ち上がり、意地だけで俺に対峙しようとする。
正直、同情はできなかった。
「ごほっ。げほっげほっ。く、くそう…」
「もう魔法力も尽きたんじゃないのか?あちこち打撲してるだろう?」
「う、るさい…。僕は、負けるわけには行かないんだ…」
「右足、動かないんじゃないのか」
「だから、うるさいと…。この位、ハンデが必要なんだ…」
傷だらけの聖騎士は、騎士見本のようだった華麗さはもう失い、髪もボサボサになり土に汚れ、身体のあちこちに痛々しい痣と、切り傷を負いながら俺を睨んでいた。
「僕は、お前なんかに、負けない…!」
力無く突き出された刀身に、俺は上から叩きつけるように鉄の剣を振り下ろす。それはうるさいハエを叩き落すぐらいに楽な仕事だった。
「いっ…痛……!!」
剣を取り落とし、衝撃に痺れた両手におののき、叩きつけられた勢いのままに、またしてもクロードは冷え始めた土の上に転がる。
「………。馬鹿力…。畜生…」
「アイザック!もうやめて…!もう充分でしょう…!」
耐えられなくなったシャルディナが間に入り、倒れたままのクロードの傍らに座り込む。今にも泣き出しそうな少女を見ると、まるで俺が「悪い事」をしているような気分に、何故か落とされるんだ。
どうして、そいつを庇うんだ…。
「クロードも失礼な事を言ったけど…。もういいでしょう?クロードも謝って」
「……。俺はそいつが、騎士の勲章を投げ捨てるなら許してやるけど?」
「 !どうしてそんな事言うのっ!?酷い…!」
「シャルディナ、どいて…。僕なら、まだ大丈夫だから…」
「そんなクロード!もう無理よ…!」
シャルディナが止めるのを遮って、なおも戦おうとする、けれどクロードは立ち上がりかけて、もう一度地面に逆戻りしていた。
もはや、戦えるような状態ではなかったのだ。
剣を杖にして立ち上がろうとしても、全身に踏ん張れるほどの力が入ってはくれない。奴の身体は全身打撲と、数箇所は骨折しているはず。
シャルディナは両手で顔を覆って嘆き始める。
「こんなこと……。しても無意味なのに。隼の剣の持ち主を選ぶのは、隼の剣でしかないのに…」
「シャルディナは…。どっちを選ぶの…?」
地面に仰向けになりながら、尋ねたのはランシールの騎士の方だった。
「僕なら…。嬉しいな。僕は…、騎士に選ばれたんだ。自分で掴み取ったんだ。それをこんな田舎戦士に、奪われるわけには行かないんだ…!」
「お前の騎士の誇りなんか、知るか」
倒れたままのクロードに、水を被せるような冷徹な言葉を、俺は叩きつける。
「俺は、騎士と言う職業に憧れていたんだ。国のために戦い、忠節を重んじる。けれど中には貴族階級にかぶれた下衆もたくさんいるんだ。俺はお前みたいな、金に溺れたような騎士がランシールに居るなんて認めたくないね」
シャルディナの瞳が、「信じられない」と言いたそうに俺を見つめている。
そんな冷たい言葉、信じられないと。
「何が『選ばれし者』だ。何が『好きなものは何でも買ってあげるよ』だ。何が『君だけの騎士』だ。…笑わせるなよ。お前なんかに、隼の剣は死んでも渡すもんか」
「……。引き際を知る事も、必要ね。クロード…」
「姉様…」
仰向けに倒れた弟の眼前に、ようやく姉は静かに歩み寄っていた。
弟を抱き起こすと、最大威力の回復呪文を施し、ハンカチで汚れた顔を拭いてやる。しかし、聖女は酷く冷たい言葉を弟に浴びせた…。
「クロード、この騎士勲章は私に返して貰うわね」
弟の胸元からバッチを剥奪し、まだ事態を飲み込めない弟に更に通告する。
「あなたは、もう騎士ではないわ。私が許すまで、騎士を名乗る事を禁じます。予定されていた任務は別の者に頼むから、心配しなくていいわ」
「そ、そんなっ!姉様っ!そんな!そんな…!」
「ラディナード様!本気ですか!……やめて下さい!クロードが可哀相です!」
「クロード…、あなたは負けたのよ。あなたは条件を飲んだのでしょう?その覚悟があって試合を受けたのでしょう?違いますか」
「…………」
去り際の聖女は、愕然として地面に両手を付く、弟の頭を冷静に見下ろすばかりだった。
「姉様…!そんなっ!そんな!あんまりだ!僕は姉様のためにっ!ランシールのためにっ!この世界のために騎士になったのに!死に物狂いで勉強もしたのに…!姉様に見捨てられたら僕は…!」
地面に両手を付いたまま、がくがくと震えたクロードは男泣きして嗚咽する。
「後で…、あなたと、お父様とで話したい事があります。私が帰るまで、家で待っていなさい」
聖女の真意は分からないが、弟に甘えさせる手は伸ばしはしなかった。
「ち…!畜生!お前のせいだ!お前なんかが出てくるからいけないんだ!よくも僕をこんな目に合わせてくれたなっ!許さないぞ!許さない!お前なんて地球のへそで魔物に喰われてしまえばいいんだ…!!」
我を忘れたクロードは、顔を上げると口汚く罵り、壊れたように泣き叫ぶ。
「なんで僕がこんな奴に…!見てろよ!思い知らせてやる…!アリアハンの農家なんて、もう商売できないようにしてやる!僕に逆らったこと後悔させてやる…!」
パン!
身を屈め、乾いた音を立てて、姉は弟の頬を叩いた。
「いい加減にしなさい。見苦しいわよ」
本格的に、外は暗くなり、泣きむせぶ奴の顔も良く見えなくなっていた。
姉も去り、けれど、いつまでもクロードはその場から動けないでいた。体は聖女の回復呪文で癒されはしたが、ショックが大きすぎて立てないのだろう。
「行くぞ。シャルディナ。そんな奴放っておけよ」
「………」
珍しく、いや、もしかして初めて、彼女は俺に対して怒っていたのかも知れない。騎士の称号を剥奪され、泣くクロードの傍からずっと離れようとはしない。
俺に対して、無言で責めるような態度に不満が募る。
「クロード、泣かないで。私ラディナード様にお願いする。ごめんなさい。私のせいでこんなことに…。ごめんなさい…」
「俺は、反対だな」
「アイザック…。どうしてそんな冷たいこと言うの?クロードは今まで私を助けてくれたのに。頑張っていてくれたのに…。酷いよ。酷い…」
イライラする…。
俺は自分でも呆れるぐらい、何故か気が立ってしまっていたんだ。
「じゃあ、そいつと居ればいいだろ!俺は絶対に隼の剣は渡さないからな!そいつに騎士の称号を戻すのもごめんだ!」
吐き捨てて、シャルディナの反応も見ないままに、俺は背中を向けて乱暴に歩き出した。
|
■ |
聖女ラディナード様より、一晩の時間を与えられて、地球のへそに向う皆さんは、それぞれ複雑な夜を過ごしたようでした。
早めの朝食を終え、宿から神殿へと向う、その間中空気は張り詰め、皆さんは楽しく話す…と言った雰囲気ではありませんでした。
僕は皆さんを気遣いつつ、最後尾を歩きながらワグナスさんに不安を囁きます。
「いよいよですね…。皆さん、大丈夫でしょうか…」
「大丈夫ですよ。確かに皆さん、緊張しているようですが…。ジャルディーノさんもお祈りしていたじゃないですか」
不安がる僕とは対照的に、ワグナスさんは皆さんを信じているのか、いつも通り飄々とした笑顔でした。
「……。そうですね。僕は…、信じて待つしかないですよね」
後ろから仲間たちの背中を確認すると、『待つ』という僕の、決心も固まります。
待つ、という行為も、戦いなのです。
シーヴァスさんの挑戦の方は、ニーズさんが折れて、認めたそうでした。
聖女様が許可を下さるかは解らないですが、僕たちは許可を貰えるものとして、準備万全で神殿へと向かっています。
サリサさんは昨日遅くまで礼拝堂でお祈りしていたそうです。
そのせいなのでしょうか、今朝の彼女は何処か吹っ切れた感じがありました。
実は、一番心配なのはアイザックさんなのです…。
アイザックさんは昨日帰って来てから、ずっと不機嫌で、誰とも殆ど話をしませんでした。何かものすごく、イライラしていた様子なのです。
夜も眠れなかったようで、宿の外で素振りをしていた、自分で自分を持て余しているように見えました。
彼に限って…。とは思うのですが、冷静さを欠いた状態で「地球のへそ」に挑むのには、やはり少し不安がよぎります。
この日、午前中、礼拝堂は人払いをされていました。
僕たちを出迎えたのは白い神官衣の聖女ラディナード様。
そして初めて姿を見せる、黒い服に黒い布を被ったもう一人の聖女、ジード様が左側に杖を手に立っています。
顔は布に隠されて良くは見えませんでしたが、金髪の美しい方のようでした。
ニーズさんを先頭に、地球のへそに挑むシーヴァスさん、サリサさん、そしてアイザックさんが横に並び、この国の頂点二人に対して跪き、聖女からの返答を待つ。
竜の形の杖を振りかざし、ジード様はもう一度四人に問いた。
「汝ら、この世界の中心。地球のへそに挑みし者。相違はないか」
「ありません」
抑揚はなく、勇者は答えます。
「ありません」
エルフの魔法使いはしずかに答えました。
「ありません」
ランシールの僧侶は、何処か緊張して答えます。
「ありません」
戦士は声に気迫がこもっていました。
四人は即答し、黒の聖女は答えます。
「地球のへそは聖地であり、この世界の闇の吹き溜まり。二つの世界の狭間です。闇の意志に惑わされずに、光の眼を持って進みなさい。闇と神との、声を聞き分け進みなさい。汝らの求めるものに、神は応えるでしょう」
右に立つ、白の聖女が右手を翳し、礼拝堂奥を指し示す。
「四人の挑戦を許可致します。道はこの奥へ」
広い礼拝堂には、中心にミトラ神の大きな白亜の像が飾られていました。
その台座の右側、白の聖女の壁画が飾られていたのですが、その壁画が光に包まれ姿を消し、更に奥へと続く道が開かれる。
左右からはステンドグラス越しの朝日が射しこみ、それは幻想的な美しさで、誰もが息を飲み込んでいました。
左側には左右対称の黒の聖女の壁画が描かれていました。
帰り道はこちらからなのだと、耳元でワグナスさんが教えてくれます。
「それでは、勇者様からどうぞ」
道の入り口で白の聖女が導き、ニーズさんは立ち上がり、颯爽と光の入り口へと床を鳴らして行く。
「お前ら…。誰一人しくじるなよ。俺も必ず戻るから」
振り返り、ひと言仲間に確認をすると、躊躇いもなくニーズさんは光の中に消えて行った。
「次、シーヴァスさん、どうぞ」
「では、行って来ますね」
次に呼ばれたエルフの魔法使いは、横の僧侶とそっと寄り添い合い、お互いの無事を祈って入り口へと向かってゆく。
「それでは…。また会いましょう。行ってきます」
また一人、黒い帽子の魔法使いは光の中に消えて行く。
「サリサ。…こちらへ」
彼女は隣のアイザックさんに向き合い、彼の腕をそっと掴みます。
「アイザック、私が帰って来たら、聞いて欲しい事があるの?覚えてるかな?…聞いてくれるよね?」
とても大事なことのようで、アイザックさんは躊躇ったものの、仲間の僧侶に対して優しく激励するのでした。
「ああ。なんでも聞いてやるから。ちゃんと帰って来いよ?待ってるからな。無茶はするなよ?」
「……うん!待っててね!行ってくるね!」
軽く駆け出し、彼女は白の聖女の前で一礼をする。
「……。サリサ。…貴女の往く道に、神の加護がありますように」
聖女の言葉には、深い優しさが溢れていた。
彼女には最高の祝福だったことでしょう。サリサさんは深く感謝し、再度頭を下げると光へと向かって行った。
ポニーテールを揺らし、快活な僧侶はまっすぐに前を見つめて、光の中へと消えて行く。
そして、最後の一人。
隼の剣を握りしめた、黒髪の戦士も光に臨もうとしていました。
「戦士アイザック。昨日は弟が失礼致しました」
「………。いいえ…」
「あなたが良ければなのですが、弟は再度あなたと試合をしたいと申しておりました。次で最後にすると」
アイザックさんは暫し考えこみ、前を向いたまま、伝言を残して消えて行く。
「何度やっても同じです。何度やっても、返り討ちにしてやります」
彼が光に消えようとする瞬間…。
彼も、他の人々もそれに気づき、振り向いていました。
「歌ですね…」
何処からか、聴こえてくるのは女性の歌声。
勿論、誰もがその竪琴の音色も澄んだ声の主も分かっていたのです。
「…………」
アイザックさんは光へと向かいました。
「ラディナードさん」
もう一度、今度は聖女の瞳を見つめて返事を伝える。
「クロードに伝えて下さい。その試合必ず受けると」
四人は、全員、光の中へと姿を消して行きました。
|
■ |
「行ってしまいましたね…」
僕はぽつりと隣の賢者様に呟く。これから、一体何日後に、彼らが戻ってくるのかも分からないのです。今日、明日かも知れないし、一ヵ月後かも知れない。
それまで僕はここでお留守番。
「さてと。じゃあ、俺たちも行くか」
吟遊詩人の歌は、まだ何処からか響いてくるままでした。
礼拝堂には新たに二名、扉を開いて男性が姿を見せる。
一人は夕焼けのような色の髪をした少年。同じ色のコートを身につけ、首にはチョーカーを巻いていました。そしてもう一人が、白い服の少年。
それは、 もう、先ほど消えたばかりのニーズさんにそっくりな方だったのです。僕は驚いて、あわあわと、うろたえてしまっていました。
「わっ、わっ、わっ。え、えっと、ニーズ、さん…。いえ、元ニーズさん!…と呼んで良いのでしょうか…」
「こんにちわ。ジャルディーノくん…。数年ぶりだね」
にっこりと微笑んでもらい、僕は嬉しさに感動していました。
そして、思わず涙が溢れて来てしまったのです。
「あっ…。………!生きていて下さって、本当に嬉しいです。本当に嬉しいです。助ける事ができず、すみませんでした…」
「泣かないで。君のおかげでアリアハンは助かった。ありがとう。それから…。その後の事も。弟を助けてくれてありがとう…」
「元ニ、見失うと困る。話は帰って来てからにして、行こうぜ」
元ニーズさんは一緒に来た彼に呼ばれ、どうやら追って地球のへそに入るようなのでした。
「え?と言う事はニーズさんを追うんですか?」
「うん。…僕はね」
二人と共に、黒の聖女も光への入り口に立っていました。
聖女二人は何かを小声でやり取りし、白の聖女のみが残り、三人は追いかけて光の中へと消えて行く。
その後で、壁画は姿を元に戻し、歌もいつしか止んでいた。
「ジャルディーノ様、私について来て下さいますか」
僕は、聖女ラディナード様に案内され、別館の〔もう一つの入り口〕を通っていました。それは小さな水たまりを踏み越えて辿り着く。
これは、以前通ったことのある、旅の扉とおなじ仕組みなのでしょう。
何回か小さな旅の扉を過ぎ、一点の染みも見えない、白い世界に僕は迷い込む。
この部屋には自分たちの影すらも無く、
何故でしょう。
懐かしい『誰か』がそこに待っていてくれた気がした。
「ジャルディーノ様…。あなたに、会いたいとの神からの神託が御座いました。これより我が身を通して、神からあなた様にお言葉が御座います」
「僕に…。会いたい?ですか?」
驚きの言葉に僕は躊躇したけれど、聖女が瞳を閉じ、数刻後、何処からか神の風が訪れる。
主神ミトラが吹き抜けた。
神聖で穏やかな風が通り過ぎた後、僕は 僕でなくなっていました。
「お久しぶりです。ミトラ様」
僕ではない誰か、赤毛の若者は、神に対して懐かしい友へのように挨拶を交わしている。
「…解りました。僕が全てを浄化します」
僕が自分を取り戻した時には、
背中には、黒の聖女の壁画が光を失おうとしていました。
僕の手には、知らない杖が握られている。シーヴァスさんに貸しているので今は手元にない、理力の杖、…に形の良く似ている杖です。
「真の理力の杖ですよ。ジャルディーノさん」
待っていたのか、教えてくれるのは賢者ワグナスさんでした。
「市販されてるものは、それを模倣して作られ量産されたものなんですね。当然、そちらの方が威力が強いです」
「そ、そうなのですか…。でも、どうして持っているんでしょう…?」
疑問には、更に疑問を呼ぶ返事が返って来たのみ。
「それは、その杖がジャルディーノさんのものだからですよ」
気が付けば、まだ朝方だったはずなのに、日はすっかり傾き、僕は間の記憶が全くない。 僕は振り返り、仲間が同じく戻ってくるはずの、黒の聖女の壁画に思いを馳せた。
光の向こうに消えた仲間たちは、今頃どうしているのでしょうか…。
|
少しして、黒の聖女の壁画からラディナードさんも姿を現し、それと時を同じくして、礼拝堂の扉が激しく開かれる。息を切らせて駆け込んで来た一人の男性は、聖女様の姿を確認し、青ざめた顔で叫ぶのでした。
「聖女様…!サリサは!うちのサリサは戻ったのですか?!町で見かけたと教えてくれた者が…っ!」
それは、一足遅く訪れた、サリサさんのお父さんだったのです。
|