本当に…。
胸を貫こうと思ったんです。でも、止められた。

カツリ    と、剣先に当たった硬い音。
預かり物のペンダント。



「泥娘 3」

 神殿を窓から抜け出した、私の姿は雨風に煙る港に移動していた。
 傘も、雨具も持たず、ひたひたと一人素足で港に辿り着く。

 嵐が近いために街通りから人は消え、港も強風に煽られて、停泊する船に人影は見つからない。
 すでに全身は雨に濡れ、頭の先まで冷え切って歯が音を鳴らしていた。

 海を目指した私の足は、港の倉庫の影でじっと、来るはずのない人を待っていた。
「馬鹿だな、私…。会えるわけないのにね」
 もしかしたらと期待した、その人には手渡しでペンダントを返したいと思った。
 
 その人に会える場所といえば   海しか思いつかない。
 海に来たはいいけれど、期待は大はずれ。



 夜が近付き、人気のない港には雲に隠され、月も姿を見せない。
 寒くて、雨が冷たくて、乱雑に切った髪から雫がとめどなく落ちてゆく。

 ペンダントに邪魔されて、私は長い髪を切るだけに終わった。
 首の後ろからバッサリと…、慣れなくて、まだ違和感が消えない。


     これから、どうしようか。何処へ行こう。
 考えなしに飛び出した、私はまた独りになった。船が出るなら行く先も構わずに飛び乗った所だけれど…、生憎今夜出航する船はない。

 私はいつも、こうだ。こうやって逃げ出す。
 数ヶ月前に家出した時から何も成長していない。



 倉庫の影、しゃがんで途方に暮れていた。
 私の視界に誰かの足が映った。

「サリサ…。もしかしたらと…、思い海に来ました。帰りましょう。みんな待っています」
 足を覆う革のブーツ、そして品のある落ち着いた声、顔を上げるまでもなく、それが誰なのかすぐに判る。

「帰らない。…書いてあったでしょう?私、戦う気力がなくなったの…。だからもう一緒に行けない。さよなら…」
 顔も上げない、立ち上がる事もしない、失礼な態度で私は彼女を突き放す。
 イシスから共に旅をしてきた仲間の魔法使い、シーヴァスの迎えに、全面拒否して「さよなら」まで口にした。

「………」
 綺麗で優しい、大好きなエルフの少女。
 傘を手に、それでも呆れて帰ったりはしなかった。霧がかる夜の海を背景に、彼女は私を気遣う。

「話は神殿で聞きます。帰りましょう、サリサ。   ルー…」
 濡れた冷たい肩に手を乗せ、呪文の詠唱に入る、私は慌ててその手を払った。
「やめてよっ!帰らないって言ってるでしょっ!!」

     バシンッ!
 強烈な反発に、エルフは目を見開いて硬直する。
 薄紫の長い髪は湿気で濡れ、長く私を探して彷徨っていたことを思わせた。
 でも今は誰の優しさも欲しくなかった。

「もう放っておいてよ!帰りたくないの!もう、仲間じゃないんだから…、私が何処に行こうと勝手でしょ!」
 せっかく出てきたのに、移動呪文なんて使われても困る。

 私に睨まれて、さすがに彼女も異常事態に怯んだ。
 傘を差し出し、正面の私にそっとかぶせる。
「そんなに、失恋が悲しかったのですか…。帰りましょう。サリサには、もっと良い方がきっと現れます…」

 自分が濡れても構わないくらい、彼女は私を大事に思ってくれてる。そんなことずっと知ってる。でもだからこそ嫌なんだ    
 後退して、傘の保護から私は抜け出した。

「いい人なんて、何処にもいないよ。私もう、分かったんだ」
 雨に打たれる私は、泣いてなんかはいない。
 笑っていたんだ。自分で自分を心の底から嘲笑っていた。
「世の中なんて不公平なの。どんなに努力しても無駄なの。アハハハハ!」

「そんなこと、ありません」
「シーヴァスには分からないよ。シーヴァスは美人だもの。優しくて強い人だもの。力もあるもの。何もしなくても欲しい物が手に入る、得な部類の人だもの」

「何も、しなくても……」
 侮辱の言葉に彼女は口ごもり、私の真意を疑って、頑なに瞳を見つめる。
「いいよね。羨ましいな。恋人もいるし…。やっぱりそれはシーヴァスが美人だから…。いいよね。そんなに努力しなくても、簡単に幸せになれる」

 出会ってからの数ヶ月、親しかった友達が瞳の色を失ってゆく。
「本気で…。言っているのですか…」
 傘を自分に戻したエルフ娘は、声色から哀しみが伝わってくる。


 本当は    解っていたんだよ。
 シーヴァスだってたくさん悩みを抱えていた。恋人となる彼の事も、すぐに気持ちが届いていたわけじゃない。
 それでも……。



「もう、嫌になったんだ…。疲れたの。シーヴァスと一緒にいるのももう嫌なの。努力することに疲れた…。だって報われないから。何を頑張ったって、得な人には敵わないんだもの…!」

パシン    
 傘の下の紫の瞳が、真剣な怒りに揺れていた。私の頬を打ち、苦渋に唇を噛みしめる。淀みない声が真摯に私を貫こうとする。
「…私は…。私は、サリサが羨ましかったのです」

 彼女の傘から、バラバラと水が落ちていた。
 こんな時だって、エルフの魔法使いは美しいと思う。

    私と違って、彼女は澄んでいるから。


「私は…、得でしたか…。何もしないで恋を掴んだのでしょうか…。サリサにそんなこと言われるなんて…、心外です」

バシン    !!
 彼女よりも強い力で頬を打った。打ち返した。
 突然のことに、彼女の手から傘が吹き飛んだ。強風に巻き込まれて、落ちた傘は防波堤までカラカラと転がる。

「ほっといてよ!もうほうっておいてよ!シーヴァスと一緒に居て、比べてみじめな気持ちになりたくないの!」

 頬を叩かれたまま、彼女の横顔は凍り付いて動きを見せない。それをいいことに私の暴言は炸裂する。

「…いいじゃない。私のことなんて笑っていれば…。どうせ笑っていたでしょう?笑えばいいんだ。羨ましいよ。綺麗で、強くて、勇者の妹で、みんなに可愛がられてて。幸せで…。恋人もいて…。私とは全然違う」

「サリサ…!」

ザアアアアアア。
 雨が強くなり、吼えるように私を呼んだエルフに鬼気が迫る。

「…私は…。私は、サリサが羨ましかったのです!」
 ユラユラと、雨に滲む彼女はきっと泣いていた。同じ言葉をもう一度言い、私を始めて攻撃する。

「へそから帰ってから…、尚の事、そう思うようになりました。エルフの私はそれだけで疎外感を感じてきました。後方で魔法を撃つしかできない私は、劣等感を覚えていました。私はあなたが羨ましいです!普通の人の子であるサリサが…!」

「サリサは馬鹿です。愚か者です!自分がどれだけ恵まれてるかも気づかずに、他人の良さばかり羨ましがって。自分がどんなに幸せなのか分からないのです!」

 涙を拭い、彼女は   

「もう、知りません。サリサなんて知りません!何処へでも行ってしまえばいいんです!」

 踵を返すと、雨の中に消えた。



     どっと…。
 力が抜けて、雨打つ大地に私はぺたりと座り込んだ。

「ごめん…。ごめんね、シーヴァス、ごめん…」
 もう探さないで。そのために、友達を傷つけました。


==


 港の倉庫から移動して、人の寄り付かない岩場へと移った。
 夜の海は荒れ始め、波は高く、岩場に座る私は波ばかり見つめていた。

 寒くて手足の先が痛み、体の震えが治まらない。
 海に飛び込もうと思っていた。いっそこのまま。
 返しそびれたペンダントが、海に飛び込んだ私から離れて、あの人の元に帰るかも知れない…。

「シーヴァスに預ければ良かったな。ううん。それ以前に、神殿に置いて来れば良かったのに…」
 自分の迂闊さに呆れる。



 不意に、暗闇にチラチラと明かりが動くのに気がついた。
 こんな嵐の中、誰かが散歩に来るとも思えない。また誰かが探しに来たのかも知れないと思い、隠れながら様子を伺った。

 異常に気がつき、私は濡れる岩場を進んで近付く。
 すると隠れるように停泊していた船に出遭う。
 明かりは船に向かって進んでいる。
 嵐の中視界ははっきりしなかったけれど、確かにそれは中型の帆船。帆はたたんでいるが、甲板で人影も動いている。

 どうやら天候に構わずに出航するつもりらしい…。

 近くまで…来てしまった私の傍に人の気配が近付いていた。
 複数の人間がやって来る。気づくのが遅く、振り向くと合羽姿の男性数名に私は取り囲まれていた。

 ずぶ濡れで、髪も乱雑で揃っていない、素足の娘はどう認識されたのだろうか。男たちは何かを相談すると、一斉に私に襲いかかる。

 両腕を押さえ、口を押さえられ、足を持ち上げられて担ぎ運ばれる。
 その動作は手馴れていた。男たちは急いで船に乗り込む。
 抵抗は、する気も起きなかった。

「モノは悪くない。急いで運べ!」
「これでまた一人…。大量ですね」
「急げ!出航するぞ〜!」


 人攫い    
 私は女性ばかりの船室に乱暴に放り込まれた。さるぐつわと両手両足のロープが軋み、肌に食い込む。
 同じような姿にされた女性が十数名、恐怖にガタガタと震えていた。

「そう怯えるな。聞けー女ども〜!」

 船室入り口に頭領のような大男が現れ、怯える女たちに下卑た笑顔で行き先を勧告する。

「お前らはこれから、なんとサマンオサの国王に買われるのだ!上手く行けば一生遊んで暮らせるぞ!喜べ…!」


人攫いの船は、高波にグラグラと揺れていた。
「船を出せ!嵐を抜けるぞ〜!ガッハハハハハ!」

(サマンオサ…)
 塞がれた口は動かないけれど、行き先はランシール東の大陸。
 先日別れた海賊船が帰って行った、彼らの故郷。
 木の床に頬を当てながら、私は成り行きに身を任せる事にした。


==

 嵐の夜が明け、一人先に神殿に戻っていた私は、兄のベットで仲間たちの帰りを待っていた。男性の寝室にはジャルディーノさんだけが就寝していて、他の者は外へサリサを探しに奔放している。

 ジャルディーノさんは影から私達を補佐してくれていたために、今は休息を必要としていた。彼はまだサリサの状況すら聞いていない。


 嵐は去り、今朝は明るい日差しが窓から射し込んで来る…。
 けれど私の心中は風荒れていた。
 廊下に慌しい靴音が鳴り響き、仲間たちが帰って来たことを告げる。


「家にも帰ってないし…。家族も探してくれてたみたいだけど…。生憎の天気で目撃者もいない。参ったな…、どうする?」
 廊下から聞こえたアイザックの声には、さすがに疲労と焦りの色が見えた。
 応える賢者様の言葉は、仲間たちの不安に更に稲妻を落とす。

「実はですね…。ここ数日間、人攫い事件が起きていたそうなのですよ。私何人か怪しい男を見ていたのですが…。巻き込まれた可能性もあります」
「人攫い…!?」

「……。人攫い…?本当ですか…」
 不安に駆られ、廊下に顔を出し、私は昨日のやり取りに激しい後悔をもたらす。唇が震えて、急に咎が外れたように涙が零れた。
「私…、私のせいです…!サリサに酷い事を言いました…。何処へでも行けばいいなんて言ってしまったから…!」

「何の話だ…?昨日サリサに会ったのか?」
 兄が私を慰めるように寄り添う、私は覚束ない言葉で昨夜のやり取りを説明した。自分を責める私に、同じように後悔を呟く者がもう一人。

「俺の、せいだ…。港辺りを探してくる!」

 着替えもせずに、再び外へと奔り出した戦士の前に、廊下の角から遮るように現れた者がいた。
「海にはいないぜ。もう探した」
 同じように全身ずぶ濡れた、朱色の髪の少年。
 タオルを頭に被りながら、傍らにはシャルディナさんを控えさせていた。

「…ごめんなさい…!私の、せいです。本当にごめんなさい…!」
 彼女もまた、両手で顔を覆って後悔に泣く。
「私がサリサさんを傷つけたから…。ごめんなさい…!」

「何処にいるかは分からないが、とにかくサリサは無事だ。それは間違いない。海側でアイツの匂いを見つけた。おそらく東の海だ」

「あ、あなたは…」
 記憶の中から彼の姿を思い起こす   彼とは、確かにアリアハンのパーティで遭っていた。じっと見つめると、不思議と「近い」ものを感じる。

「ほう…。さすがアドレスさんですね。東の海、サマンオサ方向ですか」
「ワグナスお前、知り合いがいるんだろ?ちょっと見て来いよ」
「私も一晩中探していたのですが…。アドレスさんも賢者使いが荒いですね…」(しくしく)

「俺ももうひとっ飛びしてくるさ。近海しか探せないけどな」

 ワグナスさんがルーラの呪文で移動し、アイザックがどうしようかと躊躇していた。不思議な雰囲気を持つ彼、アドレスは私達には休息を促した。

「エルフは休んでいた方がいい。お前らも休め。サリサは俺が必ず見つける」
 断言してしまう、強気の彼に私達は圧倒されていた。

「シャルディナも…。泣いてたって仕方ねーだろ?全くピーピー、泣き虫なんだからな」
「……」
 彼女も戻るように背中を押される。ぐっと泣くのを堪えて、部屋に戻るために背中を向けた。

 そのまま帰るのかと思うと…、
 涙を拭いて振り返り、彼女は小走りに戻って来た。

「あ…。アイザック…」
 戻って来たのは、黒髪の戦士と話をするため。
 神妙な重い空気に、お兄様と私は寝室に入り、二人を廊下に残した。

「また…、今もアドレス君に言われちゃったけど…。もう、泣かないよ。泣かないようにする。私は、泣けば誰かが助けてくれるなんて思ってないから…!思ってない!思ってないよ…!思ってない…!」
 胸の内を吐露する細い少女に、相手は数回瞬きをして驚いていた。

 言葉を選んで、かけるのは温かい言葉。
「思ってないよ。俺だって、そんなこと」

「………。ありがとう…」
 ふっと、胸は軽くなり、吟遊詩人の少女は一生懸命微笑む。

「大丈夫だよね。サリサさん…。きっと帰って来るよね…」
「当然だ。帰ってくるよ。帰って来るに決まってる。だから心配するな。シャルディナのせいじゃないから」
「うん…。ありがとう…」

「ごめんね…」



 扉の向こうで、同じように私も訊いていました。
「お兄様、サリサを置いてなんて、行かないですよね…?」
 勿論それには願いが込められていた。

「……。ふう。仕方ないな…」
 思い切り、大きなため息をついて兄は愚痴る。
「アイツも問題児なのな…。いいよ。待ってやるよ」



あなたは、何処にいますか。
お兄様に諭されながら、自分を見失った僧侶のことを想う。
大事なものを自ら捨てて、そんなに他人のものが欲しいのですか   

あなたはきっと、自分を大事にするべきだったのです。

あなた一人居ないだけで、穴開く私の心、当然気づくこともない。



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