「銀の死神」




 鬱蒼とした森は昼なお暗く、その中を俺たち三人は洞窟を目指して歩いていた。
 ワグナスのアテを一応信用して、(いいんだろうか?)そこで待てば必ず会えると豪語する女を一人待っている。

 真相を知る者と、言っていたか。一体どんな奴にワグナスは会わせようと言うのか。
「おい、ワグナス。信用していいんだろうな。そいつに会ったら本当に呪いは解けるんだな」
「ええ。そうだと思います」
 …………不安だ。

「この、洞窟に来るのですか?ワグナスさん、もしかしてその人は女の人ではありませんか」
「おや?ご存知なのですか」
 シーヴァスはすっかり奴を信用しているらしく、話し込む。
……あの人が何か知っているのですか。確かに理由有りには見えたのですが」
「そうですね。知っていると思いますよ」


 ノアニールの村から東。森の中に洞窟は口を開けて待っている。一番奥まで入り、そこで女を待つという。最下層には小さな泉があったのか、窪みになっていた。
 しかし、今は一滴の水も無い、涸れた泉。
 その中央、泉が沸いていたと思われる岩の集まりが見える。そこで小さな窪みに水は溜まり、そこから周りを囲む泉に流れていたようであった。
 岩の窪みにも、今は水は無い。
 手のひらにやっと溜められるほどには、雫も見えたけれど……。

「ここで、待ちましょう」
「ここで?」
 灯りを消し、言われるままに岩壁に隠れて息を潜める。
 堂々と待てない女なんだろうか。



 何時間か経ったか…………。
 もう、いいかげん待ちくたびれていた頃。洞窟をうっすらと魔法の灯りが照らした。
 誰か来た。
 横目で見た、ワグナスの顔が心なしか緊張していた。シーヴァスも、静かにそいつが見えて来るのを待つ。

 コツン。コツン。

 響く足音。来たのは女だった。魔法で辺りを照らし、ゆっくりと歩いてくる。
 俺は自分の目を疑った。
 忘れるはずも無い、死神の女。銀髪を三つ編みにした鎌を持つその姿。

あの日ニーズを刺した女がゆっくりとこちらに向かっていた。

     俺は思わず唾を飲みこんだ。

 じわじわと緊張が押し寄せ、やたらとその数秒を長く感じる。音を立てないように、俺は剣を手元にたぐり寄せていた。
 忘れもしないニーズの仇。消えない憎しみと恨みと、体が火を噴く様に熱くなっていく。

 女は岩の窪みから水を綿に含ませていたようだが……。

 不意をついて俺は女の後ろに立っていた。
 直ぐに気配に気づき女は振り返る。今まで表情の無かった顔が激しい驚きを表す。
「ニーズさんっ!?どうしてここに!」
「俺の名前も知っているんだ。やっぱりあの時の女だな」
 女の目がそれを聞いて鋭くなった。それは後に現れたワグナスに向けられたもの、激しい敵意に炎が灯る。

「こんにちわ。フラウスさん。やはり来てくれましたね」
…………嵌めましたね」
 女は鎌を持って後じさる。ワグナスを恐れているのが明らかに感じられた。
「そんなことはないですよ。ただ、貴方に話して欲しいことがあっただけです」

「……。お久しぶりです。またここへ来ていたのですね」
 シーヴァスはやはり女を知っていたらしく、控えめに挨拶をする。一度この森で、更にこの洞窟でも、会ったことがあったらしい。
 それには女は答えない。ただワグナスだけを警戒し睨み、低く、くぐもった声が洞窟の中静かに反響を残すのだった。
……私に、何を話せというのですか」

「この泉が涸れたことや、ノアニールに掛けられた呪いの事です。今は誰も真相を知らない。貴女は知っているのではありませんか」
 ワグナスは俺の前に立ち、俺の剣を下げさせ、親しい友人への挨拶のように朗らかに笑いかけて一歩近づく。
 ……何だよ。こいつはニーズの仇なのに。俺は不愉快で不本意さに歯噛みする。


「知りません。何も」
「取引をしませんか」
 俺はワグナスの後姿に眉根を寄せた。口調はいつもと同じなくせに、妙に寒気がするんだ。
 この得体の知れない自称賢者が、その背中がやけに恐ろしいと底冷えしてくる。
「取引……?貴方は、何をしてくれると言うのですか」
 ワグナスと銀髪の女の会話は、女の方が一方的に追い詰められているように見えた。
「そうですね。ニーズさんを立派な勇者として導きましょう」

「おい。勝手に何言ってんだよ」
「まぁ、聞いてて下さい」
 振り返って、無駄ににこにこと笑う。その顔は怖くはなかったが……。
「いい条件だと思いますが」
「………………」
 女は固く唇を噛み、鎌を握り締めていた。二人の話の真意が俺には全く読み込めない。
「…………解りました。どうかそこにいるニーズさんを、勇者として導いて下さい」


 ……どういうことだ?俺はますます眉間に皺を寄せた。
 こいつは勇者が邪魔なんじゃないのか。だからニーズを殺したんだろう。
 それを何故、そんな事を言うんだ。
「では、お聞かせ願いましょうか。ノアニールの呪いの真相を」

++

 賢者ワグナス。恐ろしい人です。
 私はまんまと嵌められ、今窮地に立たされています。勇者ニーズまで引き連れて来るなんて…………。
 私は、今彼を拒めません。彼の言うなりになるしかないのでした。
 今、目の前のニーズさんに告げられたくは無い、「秘密」を私が抱いている為に。
 彼が知れば、私はもしかすれば、彼を斬らねばならないかも知れない。

 果たして彼が「取引」と言う、約束を守るとも限らないのに     


「まず、ここで殺されたエルフの娘、アンですが、彼女を殺害したのは恋人の男性ではありませんね。違いますか」
「………………。はい。二人とも。殺したのは、ユリウスです」
「ユリウス……?」
 勇者の横にいる、エルフの娘。シーヴァスさんと言いましたか。彼女がその名を繰り返す。

「その名前、覚えがあります。お父様が村で倒れていた時に、うわ言で叫んでいた名前だと、聞いたことがあります」
「やはりユリウスさんですか。恋人の死体は消し、エルフの娘だけを残し、人とエルフとの画策を謀った…………そういうことですか」
「はい……」
 私は素直に答えていく。


「そんな……。それではただの誤解だったのですね」
「……そうです。二人は、ユリウスに使われたのです。彼女の目的のために」
「それはどんな目的でしょうか」
 有無を言わさない、賢者の言葉が私を襲う。私も、もう後には引けなかった。
 ノアニールに石化の魔法をかけた、彼女を裏切ることは「死」を意味しますが、それも覚悟のこと。
「全てを話します。それでいいですね……」
 賢者に確認し、私は語り始めた。

「ユリウスは、あなた方二人の父親……、オルテガとここノアニールで戦ったのです」
 勇者オルテガの娘、エルフの魔法使いは刎ねるような驚きを示した。

「オルテガは深く傷つき……、ここで、貴女の母と出会ったようです。オルテガは、二人がユリウスに殺された事を知っていましたから、エルフの女王に何度か立会い、誤解を解こうとしたようです。けれど、説得はできなかったのです。人間の方も、泉が涸れ、眠った人々が石化し始め、心の底からエルフを恐れました。ニ種族の溝は埋まらないものになったのです」
「ユリウスさんの目的は、そんな事ではないですよね」

「そうです……。元々、勇者オルテガとユリウスが戦った理由……。それはここに残っていた世界樹の根だったのです」
「世界樹!?」
 エルフなら知っているその樹の存在。その葉一枚でさえ、死者をも甦らせると言う。
「なるほど。ここの世界樹の根は………穢されたのですね」

 過去に、世界樹は枯れ、樹を守っていたエルフ達は樹と共に絶えつつありました。
 残った根の一つを持ち、ノアニールへ移り住んだエルフ族。その根から生まれる出る聖気。それがこの洞窟の聖なる泉の元でした。


「それを、血と憎しみと争いで穢す、ユリウスの目的でした。二人の命と、村の人々の時間。それが呪いに使われたのです」
「お兄様。この話をすれば、女王もきっと解ってくれる筈です」
「…………。そうだな」
 目の前の勇者は、私を更に強く睨み続けていた。
「ユリウスってのもアンタも、つまりは魔物か何かって事かよ。お前は何が目的なんだ」
「何も知りません」
「……てめぇ…………」
 彼には、私は一切の視線を向けずに話をします。
 一目見れば、どうしても、「どきり」と反応してしまう私がいるのだから。


 最初は「彼」が私を追って、ここまでついて来てしまったのだと勘違いをして、大きく動揺してしまった。
 けれど口調と、決して「彼」がするはずのない額冠、    目の前の勇者が残された「彼」の半身と知る。
 けれど、彼も彼で私には恐ろしい。
 きっとこの彼だけが、あの人の記憶をこじ開ける。


「ニーズさん。先にエルフの里へ行っていてくれませんか。妹さんと二人で」
 私に食ってかかろうとする勇者を、賢者は遮る。
「なんでだよ!ふざけんじゃねぇ!コイツはニーズを殺した奴なんだ!このまま帰せるか!」
「まぁまぁ、彼女じゃありませんよ。人違いです」
 賢者ワグナスは、勇者をなんとか言い聞かせようとしている。私には逆にそれが恐ろしかったのですが……。
「さあ早く、お願いしますね。先に行ってて下さいね」
 笑顔で、勇者と、彼の妹の二人をリレミトで外へ帰してしまいました。

 賢者と二人きりになり……。私は自分が震えていることに遅れて気が付いていた。
……怖いです。怖くて仕方がありません。

++

「さて、勇者もいなくなりましたし。追加して聞いてもいいでしょうか」
 薄暗い闇の中、私のかけた魔法の灯りだけがお互いを照らして揺れている。

 ……許して下さい。これ以上は、何も聞かないで下さい。
 賢者は腕組みして口元に手を当てながら、悪戯っぽく質問を投げてくる。
「ユリウスさんは、何処にいるんでしょうか」
「……知りません。知らないのです」

 彼が静かに近づいてきて、その分、私は後ろへ下がって行った。
「嘘はつかない方がいいですよ」
 私の後ろに岩壁がぶつかり、もう逃げられなる。

「本当に知りません。ユリウスは私とは行動していないのです」
「私は、ずっと彼女を探しているんですよ。なかなか捕まってくれなくてですね……。何処にいるのですか。私の主を石にした人は」
……………知りません。私でさえ、解らないのです」
…………そうですか。解りました。では次に、お願いです。ノアニールの村の石化を解いてくれませんか」
 私は蒼くなります。そんなことをすればユリウスに直ぐに知れます。

「無理です!」
 強く拒絶し、きっぱりと断った。
「では、取引しましょう。私はその代わりに、あなたに『世界樹の雫』を運びましょう。ここに眠る世界樹の根も、ユリウスさんの力が消えればまた復活してきます。数百年の話ですが、まだ完全に消えた訳ではないですから。悪い話ではないと思いますが」
「それは……」
 私は、……返事に困り、俯き唇を噛む。


「フラウスさん。貴女はすでに裏切っているんですよ。違いますか。それを今まで通り、一人でニーズさんを守っていくつもりですか」

 まさか、協力してくれると言うのですか……?私は顔を上げて彼の真意を探した。
「私にも彼が大事なのは一緒です」
「……………………」
「貴女にとって、一番大事なのは彼だと思っていたのですが。そうでしょう?」
…………そうです」
 さっき手に入れたばかりの少量の世界樹の雫、早く彼の元に持って行きたい。
 今日、つい少し前に別れた彼の姿が思い出されて、私は切なさに目を伏せていました。早く帰りたい……。今すぐ帰りたいです。

「解りました。石化の呪いを解きます……」
 決意をし、私は銀の鎌を持ち直していました。
「けれど、ワグナスさん。私にできるのはここまでです。ノアニールの呪い程度は私でも解けますが、ルビス神は私には何もできません」
 賢者ワグナスはこれには声を上げて笑います。

「そうでしょうね。いいえ。それは仕方ないでしょう。ここの呪いだけ解いて下さい」
「はい。そうします」
 呪いの発信地はこの泉。私はその呪いを解除します。
 呪いから、人とエルフ、二人の魂を解放し、この森に掛けられた闇の力を闇に返す。




 呪文を唱え終わった後、さすがに眩暈がし、足元がふらついた。

 ユリウスの魔力を返すのは並ではない…………。
 力の多くを失った私には、倒れるほどに負担のかかる作業でした。
 呪文が終わると同時に、私は膝を折り、鎌の柄で自分の体を支える事になっている。
「ありがとうございます。ご苦労様です」

 掛けられた声は優しいものでした。けれど、私は背中に衝撃を受け、背を反らせて声にならない叫びを上げる。
「あ……!……っく!」
 背中に、賢者の杖が当てられている。破邪の魔法、私の動きを封じる程度に抑えられた絶妙な力加減に血の気を失った。

「フラウスさん。私も、こんな事はしたくないのですが、けれど貴女には聞かなくてはなりません」
「うぅ……っ!卑怯……者…………!」
 また、私は嵌められたのでしょう。彼は私を利用します。私の弱みを知っているからです。


「アレは何処に隠したのですか」
「し、知りません……っ!」
「一人で隠し通せる物でもありませんよ。魔物も、我々も探しています。貴女一人でそれに対抗する気ですか」
「ああっ!!」
 苦しみに、私は岩の床に倒れ、土を舐めた。
「し、知りません…………」
 落とした鎌に必死で手を伸ばす。私は、帰らなくては…………!帰りたい……!!

 目が、霞む…………
 体が、痺れて、言うことを聞きません…………
     もう、もう、ここで終わりですか。もう帰れないのですか。
 動かなくなった体。私を見て賢者はわざとらしく溜息をつく。

…………フラウスさんも、頑固ですね。貴女に、決して悪いようにはしませんよ……?」
 魔法を止め、私の様子を覗き込む。


    鎌を手にして、一閃。
 機会を窺っていたのに気づかず、賢者は不覚を取り、鎌に捕まり裂かれた。

「誰にも邪魔はさせません!!」

 何処にそんな力が残っていたのか、私は鎌で風を斬り、賢者に体制を立て直す隙を与えない。これはもはや執念。私の執念の力でした。
 賢者は私の鎌には捕まらず、ひらりひらりと逃げてゆく。
 一太刀浴びせられたのは不意打ちの一撃だけ。
 ここまで衰弱していなければ、勝てるかも知れないのに……!

 きっとこの人はそれも計算済み。けれど私も知っています。貴方も完全な状態ではないことを!
「賢者ワグナス!いつまでここにいるつもりですか!」
 彼を追いかけ、私も素早く飛び、壁を蹴る。
「……確かに時間が少ないですね。この後エルフの里にも行かなくてはならないのに」

 ドサッ……。
 賢者を追えず、途中で私の身体は崩れ落ちた。
………………
 立ち止まり、憐れむように見下ろされる小さな私。
 私は息をすることさえ苦痛で、もう意識は途切れかけていました。

「今日はもう引き上げます。どうやら上に送った勇者さん達が怒ってここへ来ているようですから、貴女も帰った方がいい。帰れますか?上まで送りましょうか」
「いりません……」
 息も絶え絶えに告げると、私は洞窟の外へと逃亡。


 場面は移り、生い茂るノアニールの森が視界に開き、私は悲しくて自分の体をぎゅっと抱き寄せて震えた。
 帰りたい。今すぐ帰りたいです。
 でも、こんな姿じゃ帰れない。何処かで休んでいかなければ…………。
 
でも、その前に一目でいいから会いたかった。

 私はルーラの呪文で家に戻っていました。
 気づかれないように彼の姿を見て、それから、何処かで休もうと考えて。
 
 辿りついた自分の家から、窓を覗いて見ても彼は居ません。鎌を消し、必死に、息を整えようとします。けれど、追いつかない。
 留守なのかも分からなかった。
 私は窓の外に倒れ、短い草を握りしめるも、立ち上がれずに果てしない後悔の念に襲われた。
 彼の薬欲しさに、まんまと罠に嵌められた自分。
 辛さに悔しさに何度も涙が土に還る。


「フラウス!どうしたの!」
 憔悴しきった私の元に、求めた彼が駆けつけて来るのが見えた。
「……ニーズ、さん……」
 嬉しさに我慢できない感情が押し寄せてきて、私は堰の切れたように泣いていました。
 洞窟で出逢ったあなたの「半身」、確かに姿は一緒でも、私は自分の心の反応の違いを知っています。あなたのその優しい双眸にだけ胸が熱くなってくる。

「大丈夫?一体どうしたの」
 許されるなら、その首に抱きつきたい。けれどそれは思うだけです。彼は私の様子を見て取って、ゆっくり体を起こし、額の汗を手で拭いました。
「すみません……。途中、魔物に、襲われて……」
「……いいよ。待って、今休ませてあげるから」
 私を運んで、部屋へ寝かせてくれる。でもその途中、抱き上げられた私は、そこで死んでもいいとさえ思っていたのです。

「怪我はない……かな。あ、待って。ちょっと、この辺とか擦り剥いてるね。痛い?」
 私の手や顔に、その手が触れるだけで、そこから体は熱を生む。そして同時に、胸が痛むのでした。
 貴方なら、何もしなくても、きっと私の呼吸を止めてしまえる。

「薬持って来るね。すぐ来るから」
 忙しく彼は動き、その声、その優しさ、髪の動きさえも、見つめて私は離せない。いくつか擦り剥いていたところを、消毒し、彼は手当てを施してくれた。

「足りるかな。ホイミ、した方がいい……?」
「それは……、やめて下さい。大丈夫ですから」
 魔法は使って欲しくなかった。どんな、小さな魔法でも。ニーズさんは魔法を使うことに障害を与えられている。

「……無理したの?こんなこと、今までなかったのに」
「ごめんなさい。こんなところ、見せたくなかったのですけれど……」
 手当てを終えて、ベットに座りながら、私は俯いて困惑を見せるのを避けた。会えたのは嬉しかったけれど、こんな姿は見せるべきじゃなかった。彼に余計な心配をさせたくない。

「そう言う意味じゃないよ。……ごめんね。本当はいつも無理してくれてるんだよね。僕のために。ありがとう」
「そんな……」
勿体無い言葉です。

「…………顔色悪いね。休んだ方がいいよ。僕ここにいるから」
 そっと私の肩を押して、私を寝かせる。横になれば、今にも意識は消えてしまいそうでした。でも、でもそれまでの間、少しでも長くこの人を見つめていたかった。
「………………」
 私のそんな様子に気づいたのか……
 ニーズさんは私の髪を撫でてそっと囁いた。

「ちゃんと、いるよ。……泣いてたけど、そんなに怖い思いしたの?珍しいよね。あんなに泣くなんて」
「はい…………。とても、とても、怖かったです……」
 思い出して、また涙が溢れてくる。あんなに、怖いものはありません。
 私にとって、貴方を無くすこと以外に怖いものなんてなかった。
 もう会えないかも知れない。そう思った時にそれ以上の怖さなんてない。

「フラウス……
 また瞳の潤む私の手を、彼の両手が握り締めると、もう私の涙は止まらなくなってしまった。
「大丈夫だから。安心して。僕も居るから」
「はい……」

 いてください。ずっとここに居て下さい。
 賢者が来ても、もう一人の貴方が来ても。誰が来ても。
 口に出来ない願いです。

++

 洞窟の外に追いやられた俺たちは、暫くはそこに動かずにいたのだが……。
 どうにも納得できずにまた洞窟に引き返していった。

 何かはぐらかされている気もすれば、エルフの眠りはこれから説得しに行くからいいとしても、石化の方はまだどうすればいいのか解っていない。
 それに、絶対にあの女なんだ。ニーズを殺したのは。
 あの賢者も何処か肝心な事は言わない。自分で問い詰めなければ何も解らないと思ったんだ。

 急いでまた洞窟の最下層、涸れた泉の元に戻ってくれば、もうそこには奴一人しかいなかった。
…………ワグナスさん。大丈夫ですか?まさか、あの人が……」
 負傷の後が見えて、シーヴァスは不安そうに寄り添った。
「大丈夫ですよ。かすり傷です」
「あの女は」
 思い切り殺気だった俺に、ワグナスは諭すように笑った。
「ニーズさん。彼女は、ニーズさんを殺した人なんかじゃありませんよ。人違いです」
「信じるか。間違いない、あの女だ」

「では、ユリウスさんも、同じ姿をしていたとしたら?」
「なに……?」
「彼女も、銀の髪。そして死神のような鎌を持っています」
「………………」
 俺は黙った。しかし…………。

「私、あの人は、悪い人には思えません……」
「私も、そう思いますよ」
「…………」
納得しない。納得しないけれど…………

「それに、仇討ちなんて、流行りませんよ」
「別に、流行りとかで言ってるわけじゃない」
「すみません。実は時間が無いのです。早く里に行きませんか」
「時間がない……?」
「ええ。猫に餌をあげないといけないんです」
 …………どうでもいい嘘だな…………
「そうですか。お兄様、急ぎましょう」
 ……もしかして信じたか……?


 呪文で洞窟から抜け、俺たちは里へ直行した。また門前払いかと思ったが。
 女王はワグナスを見た途端血相を変え、里は別な喧騒に包まれる。
「あ、貴方様は、もしや…………!」
 俺の時とはまた違う恐れ方だった。

「お久しぶりですね。この方達の話を聞いて頂きたいのですが。よろしいでしょうか」
「は……はい。こちらへどうぞ」
 あらかたはワグナスが報告したが、おもしろくない程に女王は奴の話を素直に聞き入れた。奴の話では、もう、石化の呪いは消えたと言う。

 あの女に消させたらしいが……、一体何者なんだ。
 そうだ、そしてお前もな、ワグナス。


「そうだったのですか……。失礼致しました……。どうか、これをお持ち下さい。これを村に振りまけば、眠りの呪いも解けましょう。今後は、このようなことの無いように致します」
「そうですね。少しずつ、理解していただければ、幸いです」

 女王は、シーヴァスに遠慮がちに声をかけた。
「シーヴァス。貴女も、里に戻ってきて構いませんよ」
「私は……」
俺を見つめ、女王を見つめる。
「ありがとうございます。けれど、私はお兄様といたいと思います。人の世界にも暮らしてみたいのです」
「……そうですか」

「さて。では、私は失礼しますね。後はよろしくお願いします」
 エルフの里の外で、慌しく奴は去っていく。
「ありがとうございました。ワグナスさん」
「いいえ」
 相変わらず、にこにこと手を振ってルーラで消えた。


 シーヴァスと二人ノアニールの村に着くと、確かに人は石像ではなくなっていた。
 立ったまま寝ている姿も妙だったけれど。
 
 女王に貰った「目覚めの粉」を撒く。

 シーヴァスが緊張した様子で、そっと粉を撒く俺の後ろに隠れた。今まで動かなかった人々が、どんな風に動き出すのか。きっと景色は見た事の無いものに変わる。
「…………あれ?なんで俺、こんなとこで寝てたんだろう……?」
「…………私、何してたのかしら?」
「そうだわ!早く買い物に行かなくちゃ。卵が売り切れちゃう」
 

ざわざわ。ざわざわ。

    しん、としていた村が、目を覚まし息をし始めた。石像だった人々が、その時間を今取り戻す。
「……お兄様」
 俺の背中に隠れて、シーヴァスが俺を呼ぶ。
 動き始めた村人は、今までのことなど何も知らない。少し混乱しながらも、それぞれの生活に戻り始める。シーヴァスは、帽子の唾を引っ張って、耳を隠しながら震えているようだった。

「…………今までの事が、今までの事の方が。全て嘘のようですね。……急に、寂しくなってしまって……」
「……おい……」
 建物の影に隠れ、泣き出しそうな妹を宥めようとする自分。
「何言ってるんだ。でも、いいだろ?どうせもう、お前はここにいなくたっていいんだからさ。忘れろよ。こんな村」
「………………。お兄様……、私、寂しかったのです。今……、確かに時間が止まっていたことを思い知らされたのです。そんな中に、私、居たのですね…………」

「シーヴァス。あのな」
 ………………困る。どう慰めたものか。
「もう……。寂しくないから。な……」
 早く行こう。こんな村。
 道具屋でキメラの翼を買って、俺はカザーブへとシーヴァスを連れてゆく。

++

「………………。あれ?…………。何処だ。ここ…………」
 まず、起きたのはナルセス。寝ぼけまなこで体を起こす。
「あ、あれ?!アニーちゃん!?いや、なんでいるの?!」
「………………。ここ、カザーブだもん」
 心配してたくせに、奴の彼女は膨れ顔で感動の再会には至らなかった。

 がばっと起き上がって、状況を飲み込もうとするのはアイザック。
「しまった!!寝てただろ!俺!」
「寝てたよ」
 さすがに俺が書いた落書きは(多分アニーが)消されていたが、起きた瞬間からいつも通り元気だった。
「…………悪い。面倒かけたりした?」
 暫く寝ていてもいいものを、ベットから足を出し、手で顔を擦る。
「もう、めいっぱい」
「………………う、申し訳ない」
 おおいに反省してくれ。

 で、ジャルは…………?半身だけ起こした状態で、ぼーっと放心していたりする。
「おい。起きたか」
「ニーズさん…………
 何故かじわっと涙を浮かべるジャル。
「コラコラ。何泣いてんだ」
「だって、だって、僕……。すみません。こんなことになるなんて」
「あー、はいはい。いいから」
 ひとしきり、起きた連中が落ち着いた頃。アニーも含めて、シーヴァスを紹介しなくてはならなかった。



………………妹?」
 皆が皆そろって沈黙する。
「そうなんですか。よろしくお願いします」
 ジャル、物分かりのいい、いい奴だ。素直さに感謝する。

「…………全然似てないですよ?なんか、礼儀正しいですよ?」
「ってゆーか、エルフじゃないか」
「そうよ。なんでエルフが妹なのよ」
 アイザックとアニーは不服そうに、俺に問い正す視線を向けてくる。
「いや、俺的にはいいですよ。いいじゃないですか。いいなぁ、綺麗な妹。俺も欲しいなぁ〜。パーティに花が咲くし♪」
「………………」
 恋人に睨まれてるぞ、ナルセス。

「オルテガの娘です。お兄様のことはこれまで知らなかったのです。人と、余り話した事はないのですが、仲間に加えて下されば嬉しいです」
 俺の横でシーヴァスは深く礼儀正しく頭を下げた。

「そ、そんなの、大歓迎!!」

 両手離しで歓迎してくれる人約一名。
「え〜!マジで!?マジで来てくれるの?やったぁ。いいなぁー。エルフの美人妹、いいなぁ!」
「そんな、こちらこそ、よろしくです」
 ジャルも反対するはずもなく、ぺこりと笑顔で頭を下げた。

 最も頭の固い奴が、納得いかない顔で押し黙って呻いた。
「ニーズ。オルテガさんの娘って、なんだよ。知らないぞ、そんな話」
「俺だって知らなかったよ」
「エマーダさんは知ってるのかよ」
「知ってるよ。なぁ、アイザック……」
 奴に耳打ちする。

「気持ちは解るけど、ここは納得してくれないか。妹なのは本当だし、うちにはうちの事情があったんだよ」
「あのなぁ。だって、エマーダさんの子じゃないだろう?隠し子かよ。納得できるわけないだろう?なんだよ、オルテガさんに限ってそんな」

…………この馬鹿。
 そういうこと言うなよ。話しながらどんどん仲間の輪から距離を取っていく。
 こんな会話は聞かせられない。
「俺には言ってもいいけど、本人には言うなよ。泣くぞ」
「……泣くって言われても」
「死んだ奴の話なんか、もういいじゃないか。仲良くしろとまでは言わないけど……。まぁ、本人は悪くないから、何も。それはわかるだろ?」
「う、うん……、まぁ……」
 難しい顔で、アイザックは戻っていく。
「よろしく」

 多少の不安は残しつつ、仲間との再会は果たしたのだった。
 その日はカザーブで過ごしたが、おかげでアニーから始まり、ノアニールの呪いが解けたことや、エルフへの誤解や、そんな確執が少し和らいだ気がした。

++

 ようやっと寝付いたフラウス。
 あそこまで、泣き取り乱した姿は見た事がなかった。
 ……余程のことがあった、そんな気がしていた。

 彼女の寝ている横で、僕は新しく買ってきて貰った魔法書を読んでいる。以前持っていた本は失くしてしまったから、今勉強しているのはそれよりも上級のもの。

 やがて日も沈みかけて来た頃、窓を閉めようと窓際に立つと、少し離れた林の入り口、そこに人影が見え、直ぐに消えた。
 …………なんとなく、遠くに見えた姿がフラウスに似ていた。


 窓を閉めて、また座ると、玄関を叩く音が控えめに聴こえてきた。
「はい」
「こんにちわ」
 出ると、…………やはり似ている。銀の髪の娘がそこに立っていた。
 顔つきや瞳の色など、微妙に雰囲気が違うのだけれど、確かに彼女に似ている娘が穏やかに訪ねて来る。

「私、ユリウスと申します。フラウスさん、御容態の方はいかがですか」
 品のある人で、手には花とパンを持っていた。
「フラウスのお知り合いの方ですか」
「ええ。先ほど魔物に襲われまして……。彼女、私を庇って魔法に当たったのです。どうしてもお礼をしたくて……。突然押しかけて来て、迷惑でしょうか」

「いいえ。そんなことはないですよ。ただ、フラウスは今横になってます。なかなか寝付けなかったので、できれば起こしたくないんです」
「そうですか。では、お見舞いだけ……。後程、私の事をお伝えください」
 口調も、きびきびとした人で、年は僕と同じくらいか。

 じっと、僕の事を見つめているのに気づいて、少し戸惑った。
「……何か…………?」
 彼女はゆっくりと、微笑みを浮かべ、
「いいえ。ニーズさん」と自分の名前を呼んだ。

「貴方のこと、よく聞かされていたのです。上がっても良いでしょうか。花を飾りたいのです」
 なんとなく勢いに押され、フラウスの部屋に通す。
 持ってきた花を花瓶に飾りながら、彼女は絵画のように微笑んでいた。

「一緒に暮らしているのですか。ニーズさん」
「え……」
 どきりとする様な事を、いきなり聞いてくる。
「……僕が、世話になっているんです。情けない事に」
 彼女は花を飾り、振り向き、近づいてくる。

 ……何故?
 戸惑いも無く、初対面の自分に彼女は寄り添うのだろう。
「フラウスさんは、貴方をお好きなようですよ……
「……………………」
 何故か、心は危険信号を発している。心臓が早鐘を打ち、冷たい汗が浮かんでくるのを感じた。
「……やめて下さい」
 相手を気遣って、静かに離れた。

「恋人同士なのですか」
 切なそうに、炎にも似た瞳は僕を見上げる。
「……違います。僕は…………唯の、居候です」
「そうですか。……それは、良かったです」

 ……良かったって…
 恥ずかしそうに、彼女は少し体を僕から背け、不思議な程に饒舌に話し始めた。
「私、以前から知っていたんです。貴方の事。ずっと会いたかったのですけれど……。なかなか勇気が出せずに、遠くから見つめるだけだったのです。でも、今日初めて会って、話をして……。私、益々、貴方に惹かれてしまいそう……」

 振り返ると、酔う様に僕を瞳に映す。
「私のような女は、お嫌いですか……」

 嫌いとか、そんな事じゃなくて…………。

 一歩。

 一歩。

 彼女が近づいてくる事が、恐怖で堪らない!



「ユリウスさん!……冗談はやめて下さい!」
 思いのほか大きな声になってしまって、僕はハッとして彼女を見た。ショックを受けた様子も無くて、一安心したのも束の間、僕はこの流れから逃れたかった。
「フラウスとはどういう知り合いなんですか。お茶でも入れますよ」
 部屋から出て、居間へ逃げ出す。額の汗を拭って台所へ行こうと思った。
 その背中に前振りもなく彼女が抱きついてくる。

    全身が総毛立った。

 怖い。背中から押し寄せる言いようの無い寒さ。誰が見ても気付くほどに、僕はガタガタと震えている。
「冗談だなんて。酷い人」
 胸に回された白い指が、僕の体をなぞる。

 …………不快感が、激しい悪寒に僕は気を失いそうになる。
 何故だ。普通に女の子に抱きつかれたぐらいで、こんな恐怖に囚われたりしない。何がどうしてこんなに彼女は恐ろしいのだろう。

「私、貴方が好きですわ……。何よりも、誰よりも……。解ります?この気持ち……」
 自分の手足は、もはや自分の物ではないかのように言う事を聞かない。壊れたおもちゃのようにガタガタといびつな音を鳴らし震える。
 背中に抱きついたまま、彼女の指は僕の喉の辺りを探る。そのまま絞め殺されそうだった。彼女は僕を抱いたまま、前に移動してくる。
 その動きはするすると、まるで蛇が絡みつく姿にも模倣していた。
「こんなに震えて。可愛い人……」

 首筋を擦り、反対側の首にキスをする。
 堪えられなくなって、僕は倒れるようにして逃げた。そのまま、這うようにして彼女から距離を取る。全身が嫌な汗で凍りつき、喋る事も出来ず、ただ目だけで彼女を睨む。
 見上げた彼女は、まるで悪魔のように妖艶に微笑み、唇を舐めた。

「追いかけっこ、始めましょうか。ニーズさん」
 言葉だけなら、子供のように無邪気だった。

「私が貴方を捕まえたら、もう貴方は私のもの……。いくつ数えればいいでしょう」

 床に後ろ手付いた、僕の元に彼女もしゃがみ込み、そのまま、覆いかぶさって来る。
「誰の物にもならないで下さいね……。私、その人のこと……、殺してしまうかも知れません……
 クスクスと、彼女は笑いを零す。
「簡単には、殺しません。ですから、気をつけて下さいね……。貴方が誰かに触れる度、私嫉妬してしまいますから……」
「脅迫しようって、言うのか……!」
 視線だけなら、自分の怒りのままにぶつけられた。
「…………そんな貴方の瞳も、私酔いそうです」
 両手を合わし押さえられ、唇が押さえ込まれる。

 ……違う。
 本当に、僕の事など好きなものか。


「…………どうして、僕なの」
 すぐ目の前にある美しい顔に、掠れた声で問う。こんな風に陵辱される理由が解らない。
「貴方を取り込むために、私が在るからです」
 また、彼女はクスリと笑い、何事も無かったかのように立ち上がった。

「また、次に会う時が楽しみです」
 もう、二度と会いたくない、そう思いながら彼女が消えるのを見送った。僕は暫く床に手を付いたまま、立ち上がることが出来なかった。
 
 急に、吐き気に襲われて、仕方なく這うように台所へ駆け込む。途中、椅子等を倒してしまうが、それどころではなかった。

「…………がはっ……、ごふっ、ごふっ…………!」
 胃の中の物を全て吐き出して、そのまま床に倒れ伏した。奥の部屋からフラウスの声がする。
「ニーズさん。大丈夫ですかっ!ニーズさん!」
 すぐに彼女は倒れる僕の元へやって来た。
「……ごめん。せっかく、休んでいたのに……」
「いいんです。大丈夫ですか。…………真っ青です。発作ですか」
「ユリウスって人が来たよ……
 フラウスは、抱き起こし、僕の汗を拭くその手を止めた。

「…………ニーズ、さん…………」
 今までの比ではない程に、フラウスは血の気が冷めた。
「…………何を聞きましたか。何を、何をされましたか」
「彼女は、何者なの」

 そして、君は…………?


「………ユリウスは、………姉です。でも、何も、何も知らないんです。ごめんなさい。何も教えられません。あの…………」
 真剣な瞳で、僕と視線を重ねて頼む。
「お願いです。また、また彼女が来たら、すぐに私を呼んで下さい。どんな時でも。私の居ない時に何も話さないで下さい。お願いします」
「そうするよ……」
 僕は自力で自分の部屋に戻り、横になった。フラウスにも負担は掛けられない。


 誰なんだ?僕は。
 どうして僕を好きだと言う…………。

 フラウスに助けられてから、この村での記憶しかない自分。
 覚えていたのは、「ニーズ」という自分の名前。
 でも、本当にこれは自分の名前なんだろうか。誰か大事な人の「名前」だったような気もする。


 …………早く自分に還りたい。今の僕は、本当の自分じゃない。
 早く「僕」に帰りたい。
 フラウスの不安も知らず、僕は意識を失っていた。

 恐ろしいユリウスの残した見舞いの品が、彼女の目の前で腐って毒になった事も知らない。一人、フラウスが、これから泣く事も僕は知らない。



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