「造られた勇者」 |
+SIEVAS+ |
姿を消したニーズさん。 ・・・・何故?何故彼はあんな悲しいことを言うのでしょう。解りません……。 住み慣れたノアニールの森は、私を取り残して静かにざわめく。 エルフの里にきっといまだに波紋を残す、彼へのざわめきのように。 父と重なる黒い髪の勇者。 そして、私にはもう一人「兄」がいたのだと彼は教えてくれました。 父オルテガには、他にも子がいたのでしょうか。 彼は、何かを知っていたのでしょう。困惑を隠せない私に、もう一人、残された人が私の隣に並びます。 エルフ族のような緑の髪に、額冠をした人間の男性。 木製の杖を手にする、魔法使い風の装いで、森で音も立てない静かな身のこなしの持ち主でした。 「初めましてですね。私はワグナスと申します」 「はい……」 私は遠慮がちに接しています。 ニーズさんは彼に「後は任せる」意志を見せていました。信頼している人なのでしょうか。彼も、この森で呪われることのない不思議な性質の人。 エルフ以外は眠りに落とされるこの森で、最近は次から次へと、不思議な人ばかり訪れる……。 「ニーズさんのこと、気になりますか。少しなら、お話してもいいですよ」 「本当ですか。お願いします」 「ええ。彼は勇者オルテガの息子なのです」 魔法使いの男性はゆるやかな風の様に、けれど衝撃の言葉を私にもたらした。 今まで知り得なかったお父様のもう一つの姿。 お父様には、もう一つ家族があった・・・・? そこにはどんな妻がいて。どんな子供がいたのでしょう。 私の兄弟にあたる子供達は・・・? 「お兄、様・・・・?」 魔法使いの言葉は真実なのでしょうか。けれど、何故でしょう。魔法使いの瞳は優しく、全てを見透かすように見えて。私などの不安も知った上で彼は微笑むようでした。 私は信じていました。 ニーズさんは、お父様の印象に重なる部分があるのです。 自分の動揺は、衝撃の事実を確かに肯定している。 けれど、「自分が兄だったら良かったのにな」と。 ニーズさんはそう言ったのを思い出す。 「正確に言えば、彼は貴女の異母兄『ニーズ』の分身。そして貴女の兄シーナの幻なのです」 「……。意味が、解りません…………」 「貴女も知るべきでしょう。彼はおそらくアリアハンに帰ります。アリアハンにはオルテガの妻がいます。貴方の母親以前に結ばれていた人が。彼女が全てを知っています」 「アリアハン。それは何処にあるのですか」 「お連れしましょう」 魔法使いはルーラの呪文を唱え、私は見知らぬ土地へと瞬く間に飛んでいく。 私はノアニールとカザーブ以外の人の村を知りませんでした。 そこには大きな建物、おそらく城というのでしょう、が見え、人が大勢生活していた。 大きな人の里に眩暈を覚えるも、私は直ぐに目的を思い出し、ワグナスさんに彼の住まいを聞きます。あまりに悲しい彼の物言い。 「自分は異形」なのだと 「では、少しの間。こうしていましょうか」 彼は再び呪文を唱えます。知らない呪文、私と彼の姿が薄れていき・・・。 「……何をしたんですか?これは……」 「静かに。これは姿隠しの呪文です。他の人には私たちの姿は見えません。声は聞えてしまいますから、喋らないようにしてくださいね」 口元に指を一本立て、魔法使いは軽い悪戯のように微笑むのです。 「人にぶつかったら、わかってしまいますから、ぶつからないようにも、お願いしますね。では行きましょう」 私には何故姿を隠すのかわからなかったのですが、もしかしたら、私がエルフであったためなのかも知れません。またきっと騒ぎになってしまいますから。 そうして、案内されたのは二階建ての民家。 町外れに何処か寂しげに、小さな彼の生家は建っていたのです。 言われるままに、外で少し様子を見ていることにします。 初めて訪れたアリアハン。ニーズさんの暮らした家。 お父様のもう一つの家庭…………。 ・・・・すると、ニーズさんが帰って来るのが遠巻きに見えました。 姿を消して待っていた私達の前に、地面を昏い瞳で見据えながら近付いてくる黒髪の勇者。会えた喜びは、けれど一瞬で消えてしまった。 彼の表情はとても凍りついていて、声をかけることも拒むように見えたため。 胸が痛くなるのを覚えた、私をワグナスさんは静かに誘導し始める。 彼の後を気づかれぬように付いて行き、住まいの中にまでそのまま上がってしまいます。正直躊躇っていましたが、ワグナスさんは笑顔で手招き、私の腕を引っ張っていく。 やはりニーズさんの行動は気になります。 隠れて入り込んでしまった動揺も忘れ、彼の行動に瞳を奪われてしまっていた。 昼間なのに、なにか暗さを感じる小さな家の中。 外の音は全て遮断されているかのように、家の中はしんと静まり返る。 自分の息を飲む音すらもが漏れそうで、呼吸すらも勿体ぶった。 ニーズさんは沈痛な面持ちで一室の扉を叩き、母親を意を決したような背中で呼ぶ。 部屋から女の人が姿を見せます。 ニーズさんと同じく、黒い髪、青い瞳の女性でした。 痩せた、弱い印象を受ける彼の母親。 休んでいたのか、簡単な服装に上着をかけただけで、部屋からその顔を覗かせると、突然戻った息子の姿に戸惑いを表す。 扉口に立ち止まって、冷ややかな瞳で彼を確認するのでした。 しかし、その後のニーズさんの台詞に、彼女は目の色を変える。 「もう・・・俺は・・・・・・・・」 ニーズさんは、首を下げ、母親に謝罪をする罪人のように 「ニーズでいることが、できません」 心を押しつぶすように、彼の苦しみが絞り吐かれた。 それは果てしない、深い嘆きの叫びにも似ていた。 私に涙が転移されてくるのを感じました。何故なら、彼の背中は今、哀しみに泣いていたに違いないからです。 わかりません。彼の言葉の意味は私にはわかりません。 「ニーズ」ではないと言うのですか・・・。 では、彼は一体誰なのですか。 緊張の奔ったニーズさんと母親との姿に、私の小さな心は慟哭の衝撃を覚えていた。 |
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彼の母親は、扉を半開きにしたまま、長いこと凍りついていました。 表情のない彼を見つめ、そのまま・・・。 寂しい、暗い空気の漂うこの親子の、暮らしてきたこの場所。いるだけで、空気に押し潰されてしまいそうに苦しいのです。 これが人の家庭ですか? 私の家庭は、家は、もっと温かかった。幸せがいつも溢れていたはずなのに。 「あなたは、始めから、ニーズではなかったでしょう・・・?」 沈黙を裂いたのは母親の方でした。 言葉には、皮肉が込められ、母親は自分の部屋に引き返そうとしながら、彼に背を向ける。 「・・・そうですね・・・」 消え入りそうな彼の返事は、幻聴にも間違うほどに。 母親は背中を向けた状態で足を止めて、ニーズさんの言葉を耳にかすめる。 隠れて様子を伺う、私からは彼の表情は見えないのですが、でも、酷く彼の声は冷淡として抑揚に欠けた。 「代わりにも、なれず、すみませんでした」 頭を下げ、深く母親に謝罪し、そのまま彼は動かない。 母親は振り返り、そんな彼を見つめていましたが、 「どうして、「あなた」が生きているの・・・!」 「すみません・・・」 未だに頭を下げたまま、謝る彼が更にまた悲しみを濃くさせる。 なんですか。 なんなのですか。その冷たい言葉は。 「生きて」いてはいけなかったような言い草は。 「私は、あなたに言ったはずね。いつも、言ってきたはず。あなたは、ニーズの「代わり」なのだと。あなたは外に出てはいけないと。あなたのことを、人に知られてはいけないと………」 「すみません……」 「どうして、ニーズは死ななければならなかったの。そのために、あなたを「造り出した」のに。あなたが生きていてどうするの」 「すみません……」 母親の辛辣な言葉に、ただ微動だにせず、彼は謝り続ける。 「どうして、あなたは動き出したの。おかしいわよ……。あなたには、感情も、命も私は入れられなかったはずなのに。おかしいのよ……。あなたの存在は、おかしいのよ……」 「すみません……」 私の方が耐えられません。 母親に自分を否定されるなんて、耐えられるはずがないのです。 「ニーズだなんて・・・。あの子の代わりなんて、あなたがなれるはずが無かったのよ!なれるはずがないでしょう!?・・・・今まで、正直、何度も気味が悪いと思ったわ……!どうしてあの子の代わりにあなたがいるの・・・!」 母親は感情が爆発し、頭を抱えて叫び始めていました。 私はもう、黙って見ていることに限界を感じていました。この母子のやりとりは、普通ではありません。息苦しさで胸が張り裂けそうになるのです。 「あなたは、「シーナ」なのではないの。そうなのでしょう!?私に復讐するために、動き出し、そして、私を欺きニーズを魔物に差し出した。あなたを殺した私への復讐のために!あなたはあのエルフの子の亡霊なのでしょう?!」 「シーナ・・・!お兄様!?」 兄の名前に反応し、ついに私は声を零してしまいました。 有得ない場所から聞こえた声に母子はハッとし、会話は中断される。 「仕方ありませんね」 レムオルの呪文を解き、姿を現す私とワグナスさん。私達が隠れて話を聞いていたことに、もちろん二人は驚きと怒りを覚えたでしょう。 「話を聞いてしまい、すみません・・・。私はシーナの妹です。兄を、・・・!」 彼の母親と向かい合い、私は戦慄します。 思い出したのです。兄シーナを攫った者が、黒髪の魔法使いであったことを。 目の前の女性はニーズさんと同じ黒髪。私の中で確信が芽生えた。 「兄を攫ったのは、貴女なのですか」 ワグナスさんが語った、この母親が全てを知っていると、その言葉も確信に辿り着く。 突然姿を現した私たちに驚き、そして私の宣言に驚いた彼の母親は、すぐには返事をくれません。 ニーズさんも、私の出現に驚き、少し後ろに怯んだのでした。 「・・・そう。まだ、子供がいたのね」 諦めたように、彼の母親は自虐的な響きを聞かせた。 質問の答えを待つ、私と彼女はじっと対峙をして、彼女は諦めたのです。 自分の部屋の椅子に座り、入って来た私に、彼女はぽつりぽつりと真実を語りだす。 「そう。貴女の兄、シーナを攫い、殺したのは私よ」 余りの事に、私は彼女の部屋の床に腰を落とす。 とても、立ってはいられなかったのです。考えたこともあった。兄も、母も、父すらも、もう誰も生きてはいないのではと。兄は殺された・・・。 黒い髪の魔法使いに。目の前の女性に。 ニーズさんの母親に! 「始めから、殺すつもりじゃなかったのよ。ただ、余りに、妬ましくて、・・・貴女の母親から奪い取った。そしてそれから・・・、その子が余りに、幸せに、両親に愛されていたのかを見て知り・・・」 今でも、彼女の瞳は憎しみに燃える。兄を攫った黒い髪の魔法使いは、まさかの父の以前の妻。思考は驚きと疑惑に混乱し、くらくらと視界が揺らぐのを感じる。 「憎くて仕方がなかったのよ………」 お母様は、この人からお父様を奪ったのだろうか。 そんなはずはない。ただ、森に傷つき倒れていたところを母が救い、そして解りあうようになったのだと・・・。 思い合い、幸せそうだった両親。母親はそんな人ではない。 ではお父様がこの人、そして今は亡きニーズお兄様を捨てたのか。 そんな人ではない………。 「貴女の兄、シーナならそこにいるわ」 黙ったままのニーズさんを彼女は指し示す。 「その頃、魔物に呪いをかけられ、私の息子ニーズは命の制限を受けた。私は、ニーズを、あの子だけは失いたくなかった・・・」 ようやっと、私はその言葉の意味を知る。 ニーズさんが苦しみながらも、母親に謝った言葉。 「ニーズでいることが、できません」 「私は、魔物に、代わりにその子を差し出そうと考えたわ・・・。ニーズのために、私は身代わりを用意してしまった。いずれ命を奪いに来る魔族に、あけ渡す身替わりにしようと思った……。貴女の兄の魔力の高い、エルフの体を使って」 「なんてことを・・・・」 「モシャスと言う、今はなき失われた魔法。その呪文に没頭した私は・・・。私は禁忌に踏み込んだのよ…………」 モシャスの呪文。それは物の姿を別なものと「同じ」にしてしまう魔法。 私の兄の死体を、モシャスで息子そっくりに変えた。それが今いるニーズさん。 なんて、恐ろしいの・・・?人を、造り出す、それは命の冒涜。 兄の体を使って・・・・? ・・・・今ならわかる。 なぜ彼がエルフの里へ行けたのか。彼はエルフの属性を持っていたのだと。 彼は自然ではない。確かに女王様の言葉に間違いはないのかも知れない。 彼は造られた者なのですか。 「けれど、姿は造れても、そこに魂は宿らなかったのよ・・・・。それが不思議ね、いつの間にかニーズと遊んでいたのよ。恐ろしかったわ・・・・。驚いたわ……。エルフの子の魂が舞い宿り、私を殺しに、復讐しに来たのだと、いつも思っていたわ……」 今まで抱えていた疑問は、ようやく外に出れたのを喜ぶように、私の耳元でもグルグル音を立てた。 ニーズさんは、モシャスによって、彼女の息子ニーズと同じ姿に変えられ生み出された存在。 彼女の息子などではない。オルテガの息子でもない。 私の兄でもない・・・? 「・・・・それは、しない」 唐突に、彼は自分への疑いを否定する言葉を口にする。 忘れていた、言葉を思い出したかのように。 「俺は、その、エルフの亡霊なんかじゃない・・・」 彼は母親に背中を向け、「さようなら」と、ただ悲しく家を出て行く。 「そんなっ!そんな!ニーズさん!」 私は体が怒りで震える思いがしました。 ここまで、我を忘れるほど激しく、心揺らすことなどなかったのです。 「許せません!」 初めて誰かを叩きました。「怒り」と言える感情を初めて実感したのです。 彼の母親を強く叩き、椅子から床に転げさせます。 「貴女には子でなくても、彼には母親は貴女しか居なかったはずです。それを、余りに酷い……!今生きている彼が、可哀相です!今生きている彼を何故愛さないのですか!!」 床に倒れたこの人に、届かなくてもいい。 あの、私のお兄様の悲しみを! 「お兄様です!私のお兄様なのに!どうしてわからないのですか!自分の存在をただ謝らせるような残酷なことを、貴女は子供にさせるのですか!」 子供でないと言うのだろうか。 そんな無責任なことは言わせない。 私はすぐさま、兄を追い外に出ました。 この家の前で待っていたのか、ワグナスさんが居て、兄の居場所を教えてくれます。 余り目立たないように私の帽子を被せてくれ、「お願いしますね」と、私の背中を押しました。 「はい。さようならなんて、私は嫌です」 「そうですね」 「さようなら」?どうして。あんな母親にただ一言の「さよなら」 どれだけの思いがそこに消されているのか。彼の胸にはどれだけ消されてきた思いがあったのか。それだけで終わっていいはずがない。 終わらせたくない。 使命のように、私は彼を追いかけていました。 |
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お兄様は、町から少し離れ、近くの森の中に座り込んでいました。 背中からは表情が見れず、どうしてか恐ろしく緊張している私がいる。 木々の落とす影に安息を求めていたのか、しかし、葉ずれの音さえも彼に届いているのか、疑問を覚える無反応なその姿。 じっと動かない瞳で、お兄様は空を見つめていました。 「……お兄様……」 呼びかけても、体は動かず、ただ瞳が一度私を見ただけで、その顔は無表情でした。 「俺はお前の兄じゃないよ」 寂しいことを言います。涙がこみ上げて来るのです・・・。 「そんなことありません。お兄様です」 横に私も座りました。 横顔を真っ直ぐに見つめて、こちらを見ないその視線に胸が絞まり、私は言葉を飲み込む。 けれど、両手を握り締め、強く言葉を外に形にするのです。 「貴方は歪んでなんかいません。きちんとこうして、今を生きているのです」 手を取って、必死に伝えようと願う。 「私、嬉しいです。貴方は、貴方もお兄様なのです。もう一人のニーズお兄様は会ったこともなく、けれど貴方にはこうして会えたのです」 「・・・・・ニーズは、もっと優しいよ」 「そうなのですか。・・・・でも、・・・・目の前の、ニーズお兄様も優しいです」 「何を根拠にそんな」 呆れたように、お兄様は言いました。 「私のこと、気にかけてくれました。兄がいたのだと、教えてくれましたね。でも……そんなことがなくても、私、わかります。貴方は仲間のために怒れる人です。それに……、そうです。母親も、あそこまで言われても、責めないのですね。お母様が大事なのですね」 「ニーズにとって、大事だったんだよ」 一つ一つの言葉には、濃い自虐がこもっています。そしてあきらめと…………。 「とても、好きだったのですね。お兄様のこと……」 「・・・・・・・・・・・。まぁね」 大きな絶望を匂わせ、お兄様は空を仰いだ。 「知っていたのですか。自分のことを……。自分が造られた者だと言うことを……」 「・・・・お前の兄をどうこうのってのは、知らなかったけどね。・・・・。ごめんね。また、謝ることが増えたよ」 「謝る必要はありません。お兄様は悪くないです」 私は首を振り、悲しい言葉をかき消す。 「貴方も大事な、お兄様なのです。・・・・お兄様、私は会えてとても嬉しいです……。幸せです」 お兄様に泣きつき、その首に腕を回す。 ・・・・・哀しい、お兄様。 けれど、優しい、こうして、温かい命なのに。 過去も何も知らず、知ったばかりの貴方を、とても愛しいと思うことを、私は嬉しく思います。 「・・・・・シーヴァス・・・・。俺はお前の兄貴じゃないって、言ってるだろ」 「どうして否定するのですか」 お兄様の青い瞳を見つめます。わかって欲しくて、きちんと、まっすぐに青い瞳を見つめて私は離しません。 「俺はニーズじゃない。お前の兄貴でもないんだよ」 「わかっています。もう一人のニーズお兄様です」 「・・・・・・・・・・」 「私には、三人の兄がいたのです。貴方もお兄様なのです。どうか、兄と呼ばせてください」 すぐには、お兄様は私の気持ちを受け入れられない。 無言で、次の言葉に困っている。 「私・・・お兄様がとても好きです。愛しています」 お兄様は、驚いたように視線を上げた。お兄様には、きっと、必要な言葉。 母親に愛されなかった悲しみを、言われなかった言葉を、永遠に繰り返してあげたいと思う。 「何言ってるんだ。こないだ会ったばっかりで」 「だからこそ言います。会えなかった時間も、知らない時間のお兄様も、私は尊いと思います。とても大事なのです」 私は、もう一度兄に抱きつき、目を閉じて心を委ねてみた。 ここの森は明るく、日差しがとても暖かい。 こうして兄といることが、どんなに心満たされることなのか、兄にどうしたら伝わるでしょうか。 この温かさを。 「私は・・・お兄様と、離れたくありません・・・」 「シーヴァス、だから・・・」 「私を、妹とは、思ってくれませんか・・・」 兄の温もりに甘えたまま、私はお願い繰り返す。人にこうして触れるのは、お母様以来、数年ぶりのこと。 その幸せに、笑顔が止まりません。誰かに出会うこと、ふれ合うこと、こんな喜びは久しく味わっていなかった。 「貴方の知る、ニーズお兄様も優しかったのでしょう。私もお兄様のこと大切にしたいです。一緒にいたいです。妹として、見てくれたら、とても幸せです」 「・・・・・・・・・・・」 「愛しています。お兄様」 「・・・・・・・・・・・。わかったよ」 嬉しい言葉に、私は心の底からこみ上げてくる微笑みを浮かべます。 「妹だよ。・・・ありがとう」 私を、抱きしめてくれた、ぎこちなく、添える程度の腕にすら深い感動に打ち震える。 私はまた、涙が溢れ、強く強く、兄を抱きしめては泣いた。 お兄様も、私も、一人ではないのです。もう一人ではないのですね。 私も、寂しかったです。お兄様に会えて良かった。 幸せです。 |
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私の涙が落ち着く頃、ワグナスさんが様子を見に来てくれました。 お兄様とはどういう関係なのかわからないのですが、親しい人のようでした。 「お前、知っていたんだろ。俺のこと」 「・・・・はい」 ワグナスさんは、常に笑顔を浮かべています。お兄様は少し怒った様子でしたが、ため息一つついていました。 「ああやって、姿隠してこっそり見てたワケかい」 「他にも、いろいろです」 あ・・・・・。お兄様、ワグナスさんを蹴りました。少し驚いてしまいます。 「もう、母親の元には戻らないのですか。さよならと言っていましたが」 全く気にした風もなく、同じ笑顔で話し出すワグナスさん。おもしろい方です。 「戻れるわけないだろ。俺は、あの人にとっては、亡霊なんだよ」 「お兄様・・・・。今すぐとは言いませんけれど、きっと、お母様も、お兄様のこと、わかってくれる日が来ると思います。そう、信じます」 気休めではなく、そう信じたかった私。 「・・・・どうかな」 「エマーダさんも、自分を取り戻して欲しいですね。早く」 お兄様は、あまり気乗りしないようでした。 「貴方も、勇者であることを知れば、また、考えも変わると思いますけどね」 「・・・・俺も勇者だって言うのか。何処をどうして、そんなことが言えるんだよ」 二人の会話に口論の兆しが見えて、私は心配になりました。 「それはそうと、仲間の呪いのことですが」 「はぐらかすなよ」 また、お兄様は今度は頬を平手打ちしています。 ・・・・仲が悪いのでしょうか・・・・。 「真相を知っていそうな人を、私一人知っているのですよ」 「話聞けよ」 「呪いは消せるでしょうから、安心してください。今日は、こちらで休んでいかれてはどうですか。明日また迎えに来ますね」 ワグナスさんはとてもマイペースな方でした。 「では。また明日。どうぞ兄妹仲良く」 笑顔で手を振り、魔法で消えていくワグナスさん。お兄様はいくつか悪態をついていました。 「ここでって、どうするんだよ。家には帰れないのに。町の奴らに会いたくもないのに」 「・・・・この町、お兄様は嫌いなのですか」 「・・・・そうじゃないけど」 言いかけて、お兄様は私を見て何か思いついたようでした。 「そうだ。ここ、オルテガの故郷でもあるんだよ。どうせなら見たいよな?」 「……はい!お父様の故郷なのですか?それは見たいです」 「ここは・・・カザーブとか程、エルフに悪いイメージはないし、多分平気だとは思うんだ。たいしたもんないけど、どうせ時間あるし、案内してあげるよ」 「はい!」 やはり、お兄様は優しいです。 アリアハンの町はとても大きく、私にも人は怯えることもなく・・・。 初めて触れる人の生活に、私は心踊っていました。人は、私にも声をかけてくれるのです。とても陽気な笑顔で。 「なんだい。勇者は女連れで戻ってきたのかい。いいねぇ」 「・・・妹だよ」 町を歩けば、お兄様はやはり勇者として慕われ、声をかける人も多い。 屋台という小さなお店に立ち寄り、陽気な女性店員が笑顔で声をかけてくる。 「初めまして。こんにちわ」 「妹・・・???オルテガさんに女の子もいたのかい」 「ちょっと所事情で」 「それは・・・まぁ、びっくり。べっぴんさんだねぇ……」 「べっぴん……?」 「美人ってことだよ」 「まぁ、そうですか。初めて言われました。ありがとうございます」 「オルテガさんの娘さんなら、サービスするよ!」 楽しい町でした。街の人々がとても暖かいのですね。 「お兄様」 買って戴いたお菓子を、ベンチに座って口に含む。クレープと言う、甘い、温かい、初めて食べる人のお菓子。 「お兄様はやはり勇者なのですね。皆さんそう呼びます」 「・・・・みんな何も知らないからだよ」 お兄様もクレープを片手に隣に座った。お兄様はバナナ。私はイチゴ。 「勇者でいることも、辞めるつもりなのですか。もう、旅は続けないつもりなのですか?仲間の人たちにも、さよならなのですか……」 「・・・・俺は、さ……」 食べるのを止め、兄は本心を語り始めた。 「別にバラモスを倒すとか、世界を救いたいとか。そんなことがしたくて旅に出た訳じゃないんだ。ただ・・・・俺は残された者として、ニーズの意志を引き継ぎたかっただけ。あいつの目的も、母親のためだった」 「・・・つまりは、お母様のためだったのですか」 自分を愛さない母親のために、そんな決意までしていたなんて。 この世界のことは、私は知りません。しかし、父が、戦っていたことは知っています。子供ながらに、父が世界のために戦っていたことは知っていたのです。 それが、バラモスという魔王のせいであること。 今、お兄様も、魔王を倒す勇者なのだということ。 「だいたい・・・魔王なんか、俺が倒せるもんか。魔王だよ?俺なんか偽者な上に弱いのに。勝てるわけがないじゃないか」 「今は、ではないですか?でも、帰る場所もないのです。私も世界を見てみたい。一緒に世界を見せてくれませんか。お兄様一人で魔王を倒すのではないでしょう?私もお手伝いします」 「……本気か」 けげんな顔でお兄様は私を見つめた。 「本気です」 私は迷いもなく微笑む。お兄様は、望まれて勇者なのです。勇者とは、人に慕われている証。私は兄に勇者で居て欲しいと思う。 「・・・・・・・・・・・」 お兄様は黙り込み、無言になってしまいました。 「今すぐ、決めなくてもいいことではないですか?お兄様。今は、眠った人たちを起こすことを考えましょう」 「・・・・そうだな」 明日、ワグナスさんが迎えに来てくれます。 お兄様の仲間の方々とも、私は話してみたかったのでした。 |
+NEEZ+ |
その日は、仕方なくアリアハンで宿を取った。 宿の主人に「家に帰らないのかい」と突っ込まれたが、無視しておいた。 シーヴァスと別で部屋を申し込み、一人、見慣れない景色を見せる窓に俺は手を当てて黄昏ていた。 いつも行く杉の木が見える。 母親への言葉に、後悔にも似た思いに打ちひしがれる自分がここにいる。 随分誤解されていたもんだと、思い知らされた。 俺は亡霊ではないし、母さんを恨んでも憎んでもいない。 ニーズを、失くしたかった訳じゃない。 「気味が悪い」ね・・・・・・・・。 「そうかもな」 俺は一人、ぼそりと肯定する。 魂のない人形が感情を持って動き出せば、気味が悪いに決まっている。 自分が動き出したのは、多分ニーズに会ったからだと思っていた。 ニーズは、知っていたんだろうか、俺のことを。 シーヴァスの兄のことや、親父のことや、母さんのしたことを。 お前は・・・・、俺のことそんな風に見てなかったよな……。それは信じるよ。 俺は外に出てはいけないから、いつもこっそり外へ夜中連れ出してくれた。俺は夜の町しか知らなかったけど、いつも話を聞かせてくれた。 俺が母さんと話さない事を知っているから、俺が寂しくないように、いつも気にかけてくれていた。 俺は、でも、あいつの居ない場所にはいたくなかった。 居ないときは随分不安だったもんだ。 その夜。また、あいつの夢を見る。 「……行くんだな。とうとう……。大丈夫なのか」 「行くよ。大丈夫って……。何が?」 俺の心配に、何事もないように返事をする。 「……僕のこと?ニーズ、嫌だな……やめてよ。大丈夫だよ。無理はしない」 「頼むよ」 「君も来てくれるんだから、心配してないよ」 荷造りするあいつを見ながら、不安でたまらない俺。あいつが笑えば笑うほど、俺は不安になっていった。 体が心配だったんだ。魔物に呪いをかけられたと言って、無理のできなかったニーズ。それを何故、親父が死んだからってお前が出て行かないといけないのか。 「・・・死んだからだよ。だから行くんだ」 夢の中、表情が良く見えない。言うあいつの顔は、多分笑顔ではない。 そして、問題の夜。 アリアハンを襲う魔物の襲撃の中、俺は狂気にかられる母さんと共にニーズを守っていた。あいつだけを連れ、俺を置いて行こうとした母さんに、激しく怒り、ニーズは俺の元に戻ってきた。 「母さんと逃げろよ!」 「行くわけないだろ!」 あいつは真剣に怒っていた。 あれほど怒っていたのは、初めて見た気もした。 そこへ、現れたのは銀の髪の死神。まさに、死神としか言いようのない姿だった。 俺と、年の近い女。 長い髪を後ろで三つ編みにして、黒い服に大きな鎌を持つ。 「勇者ニーズ、死んでもらいます」 言ったかと思うと、ニーズは目の前で鎌に喰われ 目の前が真っ赤になった。 音もなく崩れたニーズ。そのニーズを炎が包み、姿は跡形もなく消える。 「さようなら。もう一人のニーズさん」 女の最後の言葉。あの女がニーズを殺した・・・・。 夢はそこで終わる。そこからは俺の悪夢。 例え目が覚めても、永遠に続く生きた悪夢。 |
+WAGUNAS+ |
アリアハンの深夜。再び、私はここへ戻ってきます。 勇者ニーズさんのお宅ですね。 私は目的地の前で足を止めました。予想外な人が外へ出ていたからです。 玄関のドアの前で、疲れたように立ち尽くしている女性。それは勇者ニーズの母親、エマーダさんでした。 「冷えますよ。このような所でどうされました」 不意に声をかけられ気が抜けたのか、彼女はよろめき、意識を失いそうになります。咄嗟に私は彼女を支えました。 「・・・こんなになるまで外に一人で。もう休んだ方がいいですよ」 「貴方は……今日エルフの子と一緒にいた……」 「はい。ワグナスと申します」 「もう……あの子は、帰って来ないのですか。もう、誰も帰って来ないのですか……」 「ニーズさんを待っていたんですか」 家の中に戻るように、促しながら。 彼女を休ませるために、お宅にお邪魔させて頂くことにする。 横になる前に、エマーダさんは激しく咳き込み、その手は赤く吐血で汚れた。 「……邪法に手を出した代償ですか……痛々しいですね」 「貴方は……あの子の友人なのですか」 顔も蒼く、冷たい汗を掻きながら、それでも彼を気にしますか。 「多分、まだ、ただの顔見知りですよ。それでも、貴女より二人のニーズさんのことは知っています」 「・・・・どう言う意味でしょうか」 「まぁ、横になって下さい。貴女に何かあったらニーズさん達が悲しみますから」 勇者の母親は、戸惑いながらベットに横になりました。ショックや病からか、意識が朦朧としている様子です。 「あの子は今、何処にいるのですか」 「アリアハンに居ますよ。宿に泊まっています」 「そうですか・・・」 悲しみに暮れたように、目は伏し目がちに変わった。 「後悔していますか。あの様な事を言ったことを」 「・・・いいえ。本心だったのです。私はあの子が恐ろしかったのです」 「恐ろしかったのは、自分の罪ではないですか」 彼女を見下ろし、私はやんわりと厳しい。 「彼を見るたび、自分の罪が恐ろしくなるのでしょう。責められる気がしたのではありませんか。息子のニーズさんに、真相を知られることも貴女は恐れましたね。そして、彼と自分の息子が親しいことに嫌悪も感じた。彼は自分を断罪する存在だったのです」 彼女は目を見開き、微かに震えた。 「彼を恐れたからこそ、彼に不信は続いた。彼が居なくなれば貴女は楽になれる。そう思っていたのですね。しかし、彼は残った」 「そうです・・・」 「貴女は絶望し、彼を疑ったのですね。正体を見せて、自分の息子を貴女に復讐するために見殺しにしたのだと」 「そうです・・・」 「貴女の手が汚れていることを、他人も汚れていると思うことで、誤魔化すつもりですか。彼は、ニーズさんのために、貴女のために生きてきたのです。きちんと自分を見つめ、償い、貴女も生きなくてはなりません。・・・貴女に、あとどれだけの時間が残されているのですか。解っているのでしょう。貴女が、生きられる時間は残り少ない。その間に、貴女は何をするべきなのでしょうか」 「兄を殺害された事も、シーヴァスさんはもう責めません。もう、それを責める人はいないのです。貴方の息子さんがここに居たのなら、シーヴァスさんと同じ事を言うのではありませんか。何故彼を愛してくれないのかと」 「貴方の、言うとおりです・・・」 二人の『勇者ニーズ』の母親の、横顔に涙のすじがいくつも生まれる。 「二人は、とても、仲が良かったのです・・・・。ニーズは、・・・・あの日、信じられない顔で、私を睨んだものでした……。あの子を置いて、あの子が代わりに死ぬからいいのよなんて、言い出した私に、初めて、ニーズは私に噛み付いたのです」 「今まで、一度も、私に逆らったことなどない子が、私の腕を跳ね除けて……。ショックでした。それもあの子のせいとさえ思いました。今、……私は、恐ろしいのです。また、ここにニーズが居たとしても、もう、私には笑ってくれないのではないかと。そんな気がするのです…・・・。ニーズは、私の命です……。あの子にも責められそうで、私は残ったあの子を見ることができなかったのです」 「貴女に見てもらえない事を知りながら、このニ年。彼は貴女の息子として貴女に尽くしてきましたね……。健気ではないですか。私は好きですよ」 「はい……。良くしてくれました……」 「論より証拠と言います。彼はしっかり見せていましたよ。貴女を慕っていることを。ニーズさんを慕っていることを。違いますか」 母親は、言葉にはせず、目を伏せて涙を零します。 「確かな血の繋がりもいいですが、それがなくても家族でいられるものです。それよりも大事なことがありませんか。あのニーズさんにはそれがないでしょうか」 「・・・・はい。解ります。ありがとうございます……。おかげで目が覚めました……」 泣きむせぶ母親の姿。 それで彼と解り合えるなら、今は泣いてもらいたい。 「そうですか。・・・・それは、良かったです」 私はにっこり微笑み、長居する気もないので、そろそろ立ち去ることにしましょう。 「一つ話しておきましょう。ニーズさんに命を与えたのは、他でもないニーズさんです。双子のような関係ですよ。魂が二つに分かれたのです」 エマーダさんは、驚いて聞き返してきました。 「ニーズ、あの子がですか」 「ええ」 彼女は心底不思議そうに、疑問を瞳に映す。 「・・・そんなことができるのですか。・・・いいえ、ワグナスさん、貴方は一体どうしてそんな事を知っているのですか」 おや。私に質問してきますか。 「彼は、寂しかったんじゃないでしょうか。それに、彼の無意識での行動ですよ」 敢えて、私への疑問には答えず、別のことを話します。 「貴女は、彼が魔物に目を付けられた理由を知りませんか」 「・・・・・・。オルテガの子供だったからではないですか」 「……そうなんですけどね。では、オルテガさんが目を付けられた理由は」 「あの人が勇者だったからでは。魔物にとって邪魔な存在だったのです」 「・・・・それも正解ですね。では、何故彼は勇者だったのでしょうか」 「・・・・・・・・・・・・」 オルテガ氏は、妻にも話していなかったようですね。それも「らしい」話です。 彼女が何か口にする前に、私は話を変えていました。 「エマーダさん。もう休まれた方がいいですね。この辺で失礼します」 「あの・・・」 「お大事にして下さいね。それでは」 「ありがとう、ございます」 慎ましく、体を起こし、彼女は頭を下げました。 「いいえ。ご家族どうぞ仲良く」 |
+NEEZ+ |
久しぶりのアリアハンの朝。 俺は夢から覚めて、信じられない光景に出会った。 「おはよう。ニーズ……」 俺はまだ寝ているらしい。絶対に夢だ。目を擦って、もう一度その声を聞く。 「ごめんなさいね。押しかけて来てしまって。怒っているかしら・・・」 肩に布をかけ、少し顔色の悪い母さん。 ・・・・母さん……? 母さんが、俺を起こしに来たことなんてない。ないんだ。あるわけがない。 どうかしてる。 「お兄様、お母様が探しに来ていたのです。宿屋を回って探してくれたようです。勝手に通してすみません」 シーヴァスがいる。それはいい。それはある話だ。 俺は起きたはいいものの、全く身動きが取れない状況に困惑していた。 「ニーズ、酷い事を言いました。酷な事を言わせました。全ては私の間違い。弱さから。ごめんなさいね・・・」 俺のベットの横に座り、泣くこの人は誰なんだよ。 「もう、アリアハンへ来たのなら、うちに泊まって。こんな他所へ泊まらないで・・・。私と貴方の家よ。帰ってきて欲しいの」 今、何て言ったんだ。 衝撃に、俺は珍しく一気に眠気も抜け落ちた。 本当にこれ母さんと思うか?!と言う顔でシーヴァスを見つめる。 「・・・・お兄様。嬉しくないのですか」 ・・・・・母さんだと思うのかよ。 恐る恐るその人を見つめ返した。偽者じゃないのか。あの賢者の策略じゃないのか。 幻覚じゃないのか、これは。 俺は疑っていた。心の底から疑っていた。 「私、部屋に戻りますね」 待て!二人きりにするな!!!頼む!!! 心の叫びも空しく、シーヴァスはドアを閉めて居なくなってしまう。 「・・・・・・・・・・・・」 俺は、ひたすら無言。無言…………。 「貴方は、何も悪くなかったのに。ごめんなさいね」 体が、がくがくと揺れてくる。ここから逃げ出したい衝動に駆られる。 どんな手段でもいい。逃げ出したい。 「貴方は、私の息子で居てくれたのに・・・・」 俺はベットから抜け出し、部屋から逃げ出そうとした。この際、軽装だろうが構わない。 ここに居たくない。 「ニーズ!」 誰がニーズだよ。冗談じゃない。 俺は荷物を適当に手にすると、部屋を出て行こうとドアノブを掴む。 「・・・・・・・・・。許せないのも仕方ないわよね。私はずっと貴方を疑っていたのだもの。でも、もう、終わりにしたいの。貴方を信じたいのよ」 ドアの前で、俺の動きは止まってしまった。 何処の誰だか解らないどこかの母親が、俺の前に回って来て、何だか必死に訴えかけてくるんだ。 「貴方を造り出した事、エルフの子を害した事、そこから目を背けたいだけだったのよ。自分が嫌だったわ。自分を見つめることができなかったのよ。貴方を苦しませたこと、とても許せることではないわ。けれど、聞いて」 「・・・・このニ年。貴方は優しかったわ。感謝していたのよ。私なんて放っておけばいいものを、貴方は私を守ってくれたの。そうね。でも、それにさえ、心開けなかった自分が嫌で仕方がなかったわ・・・・。私が目を背けていただけ、貴方も私の息子でいてくれたのに」 その母親を、俺は片手で横にどかす。 「ニーズ・・・!」 だから誰なんだよ。それ。 「待って!」 今度は、俺の両腕を掴んだ。・・・・本当に誰だ?この人は。 「何度でも謝るわ。貴方が許してくれるまで。貴方まで失いたくないのよ!」 「始めから、アンタのものなんかでも何でもない」 言い捨てて、乱暴にそいつを転がした。 落とした荷物を持ち直しながら、後ろから辛そうな泣き声が響いてくるのに、また呼吸を止められる。 ・・・・・・。なんで泣いてんだよ。 ドアを開けられない。 泣きたいのはこっちの方だ。 ・・・・・・・・・っっ!!! 「何で泣いてんだよ!」 荷物を放り投げて、力の限りに絶叫した。 「誰なんだよアンタ!知らねーよ!アンタみたいな人!会ったこともねーよ!」 怒声が止まらない。 「俺の母親なんていない。俺はニーズじゃない! 俺はもうニーズの代わりじゃないんだ。俺に母親なんかいない!泣くなんてうんざりだ。いらないんだよ!」 「・・・・・・・・・。ニーズ……」 だから、違うって言ってるのに。 どうして、俺は黙るんだ。 「そうよ。他人だったわね、私達……。知らなくて当然よね。私も、貴方のこと知らなかったわ………」 また、俺にさわる。 進んで、俺に触ることもなかっただろう。知らないよ、こんな人。 顔に触れられて、解るよ。 アンタが泣くから俺まで移っているじゃないか。 どうしてくれるんだよ。 「もう一人のニーズに、会いたいのよ。双子の弟のこと、愛したいの・・・。もう、遅いかしら。もう、帰ってきてはくれないかしら。もう、許してくれない・・・」 信じられない言葉。 これは夢の続きじゃないのか、やっぱり。 「・・・・許さないなんて、言ってないよ」 多分すぐに覚めるから、少しくらい素直になってもいい。 「ニーズ……」 「……その前に、俺・・・・」 ・・・・こんな時、なんて言っていいのか、解らない。 でも、口から、 出していいんだろうか。 「ニーズも、・・・・・母さんも、嫌いになったことないよ。俺は……」 また、母さんは泣いて。俺を抱きしめて何回も謝った。 母親を恨んだ事なんて無かった。どんな冷たい視線を浴びても。 人として扱われなくても。 ニーズの母親だった。ニーズの守るべき者は、俺の守るべき人だ。 ニーズには優しかった。だからいいんだ。それでよかったんだ。 愛し合う親子の姿が見えていたから。 俺は部外者でも。 いつか俺も加われるとは、夢にも思わなかったままに。 「もういいよ……。体に悪いよ。もう泣かなくていいから………」 それでも、母さんはいつまでも泣いて俺から離れなかった。 昨日は妹がこうだったし、今日は母さんかよ。 女って、こうなのかな、とぼんやりと思う。 「うん・・・。ルーラ覚えたら、ちょくちょく帰ってくるよ。他の仲間もたまには帰りたいだろうし・・・」 こんな光景、見たことがある。 アイザックなんか無茶して怪我した時、こんな風に母親に泣きつかれていたっけな。 よその母親ってそうなんだと思った。俺には縁のない光景だと思った。 「うん。大丈夫。必ず帰ってくるよ。心配しないで」 この人が、自分のために泣くことがあるなんて、思ってなかったよ。 その内、あのえせ賢者が迎えに来るまで、ずっと俺は母親に抱きつかれていた。 別れ際、いつも聞かされていた言葉が、 何故かとても新しいものに変わっていた。 「いってらっしゃい。気をつけてね」 「・・・・・行ってきます」 新しい旅立ちなのか? 見送った母さんの笑顔は、見たことがない温かいものだった。 こんな穏やかな笑顔は初めて見たと思った。 「良かったですね。お兄様」 シーヴァスが自分も嬉しそうに言う。 「エマーダさん、私にも謝ってくれたのです」 「そうか……」 「では、ノアニールに行きましょうか。今度はお仲間と感動の再会といきましょう」 ・・・それはしないと思いつつ、俺は奴の呪文で呪われた村に飛び立った。 何故だろう。遠くなる見慣れた町が、全く見たこともない新しい町に見えた。 今度帰る時、どんな風に会うんだろう。何を話せばいいんだろう。 夢が覚めたように、以前の母さんがいるのかも知れない。 けれど、もう覚えてしまったぬくもりは、そう簡単に醒めそうにはなかった。 俺はこの日、「母親」をようやく知ったんだと思った。 何も考えず、無心で、今は涙が流せる気がしていた。 ニーズ、お前がもしいたら、きっと喜んでくれたのに。 でも、大丈夫だ。 また俺は母さんと、お前のために、生きていくことができる。 眼下に小さくなったアリアハン。 俺の故郷。 |