「反転」


 精霊神ルビス、それは僕の信仰する女神。
 宗派を選ぼうとした時に、何故精霊神を選んだのかは曖昧にしか覚えていない。
 僕に波長が合った…、教えにも惹かれた。崇高なる女神の従者として名高い賢者、偉大なる魔法使いの祖、ワグナスが僕に跪く。

「これまでの無礼をお許し下さい、勇者ニーズ。私はルビス神より、貴方を導くように仰せつかったワグナスと申します。この世界では、賢者とも呼ばれております」
 僕は、ルビスに導かれるような「勇者」なのか…?
 偉大なる賢者が頭を下げるような。

「ルビス神…!精霊神ルビスが、まさか、どうして僕に…」
「お伝えしましょう。それは、貴方が……」


 数百年も昔に、枯れ果てたと伝承された世界樹の跡に僕は立ち尽くし、襲い来る夜の冷気も忘れて賢者の話に耳を疑う。
 裸同然な周りの木々たちも、静かに賢者の言葉にざわざわと異論をあげていた。

「貴方が、ルビス神より勅命を賜った、勇者オルテガの力を引き継ぐ者だからです。子供を持った事により、ルビス神より預けられたものは、予期していなかった事に貴方に引き継がれてしまいました。勇者としての使命は、幼き貴方の元に移動してしまったのです」
「勅命……」

 疑っていたオルテガに、真実の勇者の証が垣間見れ、僕は動揺を隠せなかった。神に使命を受ける程の、父親が『真の勇者』だったなんて…。
 オルテガは、ルビスに命を受けた勇者だったのだ。

「それは、とあるものを死守することにありました。魔王を倒す最たるその力を。貴方こそ、今やルビスのもたらした「勇者」自身。貴方にその意志がなくとも、世界は貴方を求めるでしょう」

 賢者の語りに、僕の鼓動が波打ち始める。
 かしずいたままの賢者を見下ろし、僕は自分が微かに震えていることを知る。
 賢者の話はまだ終わらない。
「貴方が力を取り戻す、この日を待っておりました。私は勇者を我が主の元に導かなければなりません。主ルビスは魔王に石とされ、封印されております。勇者ニーズ、貴方に女神を救って頂きたいのです」
「僕が……」
「ええ。貴方にしかできません。ルビス様は貴方を待っております」

    重い…。
 重い使命が、僕の全身を飲み込んで行こうとする。


「あなたは、選びますか?過酷な、辛い、戦いの日々を。
記憶を取り戻せば…、また、あなたは苦しみます。
誰もあなたを逃がさない」



 僕は、うっすらとフラウスの言葉を思い出していた。
「はは……」
 俯き、僕は嘲笑うように微かに笑う。
 望むところじゃないか?僕は「勇者」になるつもりでいた。女神や、世界を救うためではなかったけれど。
 「僕」にしかできないなんて、これ以上の復讐はない。
 更に、その力を、使命を奪ったのが僕であるのなら尚更。僕は両手を握り締め、震える自分を戒める。
 怖いことなんて何もない。恐れなくてもいいんだ。
 自分自身に言い聞かせながら。

「賢者ワグナス…。理解りました。僕は勇者になります。女神も、きっと助け出すでしょう。僕をお導き下さい」
 伝えると、僕は賢者を促し彼を立たせた。

「ありがとうございます。元(もと)ニーズさん」
 人懐っこい笑顔で、賢者は軽く土を払っていた。
「元ニーズ…?」
「はい。お二方共にニーズさんですからね、ややこしいでしょう?元ニーズさん、後ニーズさん、なんて愛称のように思って頂けると良いのですけれど」
「…………」
 僕は少しまばたきを繰り返し、暫く考えて、少し可笑しくなって吹き出した。

「愛称なんて、今までなかったから…。面白いですね、それも」
「そうでしょう?」
 賢者ワグナスは、不必要なくらいに笑顔の人物だった。深刻な顔をしている僕の方が場違いに思ってしまう。

「でも…。「元」ですか…。ニーズが、「後」…。ワグナスさんは、知っているんですね。僕たちのことを。ああ、そう言えば、最初に会った時も、言ってましたよね。生まれた時から知ってると…」
 視線を逸らし、大きなため息をつく僕に、賢者は意外そうに尋ねる。

「元ニーズさん、ご存知だったのですか?ニーズさんが造られし者だったことを…」
「…………」
 マントを引き上げ、僕は顔を隠した。表情を読まれないように。

「直接母に、訊いたわけじゃありません。子供の頃は疑いもしなかったけれど…。段々疑問は深くなっていって。僕は母の部屋を、行動を調べてしまったんですよ…」

 真実を確かめる前に、恐ろしさに僕は調べることをやめた。
 ニーズを弟と思っていたし、母を疑いたくなかった。母が犯した過ちを、そして悲しいニーズの生まれを。

「…可哀相に、ニーズ…。母さんも、なんてことを…」
 口にして、けれど、母親が彼を造らなければ僕はずっと孤独だった、そう思うと、複雑な心境になる。

「ワグナスさん。ニーズはまだムオルにいますか?あれから一体どうなったのか…。ニーズは無事なんでしょうか」
 早く彼に会いたい。逸った僕は、確認次第ムオルに戻るつもりでいた。弟に会い、それと、離れた場所で待っているフラウスにも会わなければ。
 これまでのことやこれからのこと、話したい事はたくさんあり過ぎる。

「ニーズさんは無事ですよ。フラウスさんに吹っ飛ばされただけですから。今頃気がついて、ムオルで貴方を探していると思います」
「そうですか」
 おもむろに僕はルーラの呪文を唱えだす。
 魔法を使うと後で胸が痛むのだけれど、簡単な魔法なら耐えることができる。何より早くニーズに会いたかった。

「マホトーン」
「えっ……?」
 何故か賢者に魔法を遮られ、けげんな顔で振り返る。
 妙に真顔な賢者が、じっと強く僕を見つめていた。
「元ニーズさん、すみませんが、ニーズさんに会うのはもう少し待って欲しいのです」

++

「…何を…。言っているんですか?」
 賢者の導きに従うと口にした僕は、その真意を問いただす。
「会いたいですよね…。会いたいでしょう。でも、そこをどうか耐えて欲しいのです」
「そんなっ。…無理です!あんなに泣いたニーズのこと!あんなに喜んでたニーズに!どうして会ってはいけないのですかっ!!」
 僕は取り乱し、声も高く訴えた。

「…ニーズさんには、強くなっていただきたいのです」
 賢者ワグナスの瞳は、深い、冷酷さにも似た強さを映し、僕の戸惑いを凍らせようとする。
「貴方が、亡くなったと思ってから…、もう、二年半が経っています。ニーズさんは、貴方の意志を継ぎ、「勇者」として旅立ちました」
「まさか…」
 にわかには、僕は信じられなかった。

 …そう言えば、再会したニーズはオルテガの額冠を身につけていなかったか…?
 勇者の証、青い石の嵌められた額冠を…。
 その同じ額冠を、この賢者も身につけている。
 何故二人が同じものを持っているのか。
 それは簡単だと思った。二人の共通点は一つ、精霊神ルビスの存在。不思議な青い宝石はルビスからの「護り」なのだ。

「ニーズが、まさか。一人で…?ありえません」
 疑いもせず、僕は言い切っていた。一人で何処にも行けなかった弟が、僕無しでは何もできなかった弟が、そんな大それた事できるはずがない。

「一人ではないのですよ。ご存知でしょう。アイザックさんと、ジャルディーノさんを」
「アイザック…?ジャルディーノ…」
 アイザックは良く知っていた。アリアハンで暮らす町の名物農家の末息子。オルテガの大ファンで、しょっちゅう僕に近付いてきた年下の少年。

 僧侶ジャルディーノは、僕がいなくなる少し前にアリアハンにやって来た。アリアハン王から紹介された子供の僧侶で、高名な司祭の息子だといい、旅の仲間に指定されていた。
「その二人と…?なんでまた…。王様にそう命じられたのですか」
 弟が、他人と一緒に行動するという事が信じられない僕には、「彼ら」を仲間と思う認識は浮かんでこなかった。

「何からお話しましょうか…。アリアハンの襲撃、それはジャルディーノさんによって救われました…。彼こそは、太陽神ラーの使わせし化身。彼のメガンテによってユリウスさんは立ち去り、アリアハンは窮地を脱したのです」

 賢者は、すっかり夜に沈んだ空を見上げた。
 世界樹があった部分の空が覗く、広大な樹海の穴を見上げて、ゆっくりと僕の知らない空白の時間を教えてくれる。

「それから…、アリアハンは救われたものの、ニーズさんもエマーダさんも失意の底に沈み、二人は生きる屍でした。家からも一歩も出ず、食事も取らず」
「…………」
 容易に想像ができた。僕はいなくなってはいけなかったんだ…。

「しかし、家を熱心に訪ねた者がいたんですよ。それが、アイザックさんとジャルディーノさんでした。アイザックさんは生きる気力を失ったニーズさんを叱咤し、ジャルディーノさんはひたすら優しく見守ってきました。毎日、家に通い詰めて。アイザックさんとは、友人のリュドラルさんとも合わせて、剣の訓練をしたり。もうすっかり良き友人となっていますよ」
「…………」
 弟に友人が    。あの、アイザックと、リュドラルと…。

 僕には、想像することもできない。そんなの僕の知らないニーズだ。
 一体どんな顔で、どんなことを話して、どんな関係を育てたというのか。


「ジャルディーノさんには、深い感謝もあるようですね。お二人とも、きっと大事な仲間なのだと思いますよ。見ていてとても楽しそうですから」
「楽しそう…」
「それから、商人のナルセスさん。うるさいうるさい言いながらも、仲良く旅していましたしね。勇者として皆に慕われて、仲間は向こうから皆さん志願してきたのですよ」
「…………」

 僕の時にも同行する仲間が決まっていた。全ては国王が決めた腕に自信ある者達。
はっきり言って親しい知り合いなどではなかった。
 そんな楽しそうな仲間たちじゃなかった。

「ノアニールでは、妹さんにも会ったのですよ。妹さんも仲間になり、共に旅をしています」
「…い、もうと……」
 内心の動揺は、極力出さないように僕は叫びを抑えた。
 妹。父親の別の家庭の妹。別の……。


「妹さんのおかげで、ニーズさん、エマーダさんと理解し合うことになったのですよ。自らの生まれを知り、それでも、妹さんやお母さまと家族として、一緒にいてもいいのだと分かり合えたのです」
「…………」
 妹、その存在への複雑な想いも、僕は吹き飛ばされて目を見開いていた。

「…本当ですか……」
「ええ。母子、感動的に抱き合って、泣いていましたよ。エマーダさんも、泣いて謝りまして。その後も、たまに帰って仲良くしているようですよ」
「ワグナスさん…。本当なら、そんなに、嬉しい事はありません…」

 ずっと、いつかそうなればいいと願っていた。余りにニーズが不憫で、その分僕はニーズを大事にした。例え彼が造られた者でも、それでもやはり母さんに少しでも想って欲しいと…。
 思わず、胸が熱くなり、僕は再び泣き落ちそうになる。
 自分の記憶に泣き落ちたように。
    良かった。ニーズ。本当に良かった。

「イシスでは…、自分を「勇者」だと認め、事件も解決し、世界にも認められるようになってきました」
 感動に胸を熱くする僕の耳に、賢者の優しい言葉は途切れない。熱くなる身体は、北の地の冷気さえも忘れさせていく。僕の知らない弟の成長が嬉しくて。

「女の子の仲間も一人増えて…。その子にも慕われていますよ。ニーズさんは恥ずかしがっていましたけれど。私も、こないだ正式に同行を申し込みましたし、仲間も多くとても賑やかに楽しい旅ができています」
「そうですか…」
 いつも二人だった僕達から外れ、人に囲まれる弟の姿が涙に滲んでくる。

「アイザックにも、ジャルディーノ君にも…。リューにも、感謝します…」
 僕は、鼻を擦って賢者へと視線を上げた。
「そうですね。良い事だと、私も思いますよ…」

 けれど賢者は、次の言葉で僕の呼吸を止めさせる。
 それこそ、含まれた意味には「死の言葉」にも近い痛烈さが潜んでいた。

「けれど、元ニーズさん。これらのことは、貴方がいなくて始めて成し得た事だと思いませんか」

     僕が、いなくて、始めて。

++

 どのくらい、沈黙していたのだろう。
 絶句し、身動きもできないままに、冷たい北風がヒュルヒュルと音を立ててマントを揺らしていた。
「…何が、言いたいのですか…」
 違う。賢者の真意はわかっていた。わかりたくなかったんだ。

「思うのです。貴方が居なくて、初めて、ニーズさんは外の世界を知りました。貴方以外の他人と触れ合うことを覚えました。狭すぎた世界からようやく解放され、貴方の影武者から初めて外の世界に出たのです。ニーズさんはようやく、光の世界へ出れたのですよ」
 言いたい事はわかる。でも、それを認めたのなら、僕は…。
 ざわざわと、僕の胸が警告をよこす。これ以上、賢者の話を聞いちゃいけない。
 耳を塞ぎたくて、僕の両腕はわなわなと震えた。

「また貴方が戻ってくれば、ニーズさんはどうするでしょうか。貴方に勇者の座を譲り、また貴方の影に消えるでしょう。消えようとするでしょう。貴方より前に出ようなんて彼はしません。横に並ぶ事もしない。貴方がニーズさんを潰すのです」

「違います!!」
 遮って僕は叫んでいた。卑怯な僕は耳を覆って。

「僕はニーズを隠したりしない…!二人並んで歩いて行きます!そうできる!」
「貴方がそう思っても、ニーズさんはまだ『対等』なんて思えないのですよ。彼には貴方と並ぶ自信がない。更に真の勇者である貴方を知って、彼が自分に自信を見出せる訳がないでしょう。彼には自信となる糧が必要なのです」
 首を振って、何度も振って、僕は賢者の言葉を拒絶した。

 知ってる…。
 嬉しいと思いながら、弟の成長を、遠くへ行こうとしている弟を離したくない自分がいることを。寂しいよ。
 ずっと二人だった僕たちが、もう二人だけでいられないなんて。

「私は、ニーズさんには、『この世界の勇者』になって欲しいと思っています」
「…………!」
 見つめあげた賢者に、初めて僕は恐れを感じた。
 神々の使者、偉大なる賢者は、僕自身の弱さなど一瞬でひねり潰す。

 いまだに首を振り続ける情けない僕は、後じさり、森の木々にぶつかりドサリと腰を落とした。青いマントを翻す賢者は、大いなる神の意志の象徴。
 屈強な姿勢のままに、眼前に誇らしく立っていた。

「一つの世界を救った、その位にして初めて、ようやく彼は貴方と並べるでしょう」
 すでに、賢者の笑顔にはふてぶてしさしか見つけられなくなっていた。
 笑顔を向けられても、もう僕には自虐的に笑う事しかできないというのに。

「…できませんか。もう少し、待って欲しいのです。ニーズさんが、強くなるその時まで。貴方なくして、彼は生きていく強さを持たなければならないのです」
「…………」
 僕は無言で、言葉もなく涙していた。
 自分で、口にする事に。口にしなければならない事に涙が落ちる。


 ニーズに、仲間ができて、心から嬉しいと思う。
 勇者として成功したのなら、どんなに誇らしいだろうか。でも、もう僕は君の傍にいられない…?

 涙がこぼれるのは、寂しいからか。情けないからなのか…。


「ニーズ…!ごめん……!!」
 再会したニーズを思い出して、僕は想いが溢れて両手で顔を覆って叫んでいた。どうして、あの時、君を抱き返さなかったんだろう。こんなに大切な君の事を。

 僕が、君の道を塞ぐ。せっかく僕の死から歩き出し、仲間とふれ合い、母とふれ合い、勇者となろうとしている君の事を。僕は潰してしまうのか。
「ごめん…!」
 謝り続けるのは、自らが卑怯者だと知っているからだ。

 世界は、あの家だけでいいと思っていたんだよ。
 君と、母さんさえいればいいと思っていた。
 君が、僕「しか」知らないことに安心していたんだよ。君を縛り付けて、僕はずっと孤独を凌いでいたんだ。君だけは僕から離れていかないと。

「元ニーズさん。貴方には、できませんか。彼に、光を与える事を。彼に、勇者としての名声を譲る事を。貴方と共に行くはずだった仲間をも全て渡して。貴方が歩くべきだった道の全てを彼に明け渡して。貴方には、見えない場所で。今度は貴方が影になり、ニーズさんの手助けをして欲しいと思うのです

 このまま、彼に会わず。
 生死不明のままに。彼を支える影になる。
 今までの、光と影が反転する。
 僕は、いつの間にか歩み寄っていた賢者の足先を細く見下ろしていた。


「…できますよ。ニーズになら、全てを明け渡しても構いません」
 抱えた膝に頭を埋め、僕は観念して、今一度の別れを決意する。

「きっと、僕も、一緒にいたならまたニーズを縛ってしまうから。仲間たちを嫉妬して、羨んで、疎んでしまうかも知れない。…浅ましいんです、僕は…。何もかも、本当は自分のものにしたいから…」
「ありがとうございます。エマーダさんとも会わないでいて欲しいと思います。よろしいですか……?」

 泣き濡れる僕の頭上からは、また辛い制約が通告される。
「母さんとも…。会うことは許されないのですか…」
「私は、先の事を考えます。短い時間、ニーズさんは、お母様を独り占めしても良いのではないかと思うのです。今まで、受けてこなかったのですから」
「…………」
 僕は、諦めて、小さなため息をこぼした。今言ったばかりだ。
 ニーズになら全てを明け渡してもいいと。

 賢者は、一度躊躇い、しかし続けて口を開いた。
「エマーダさん、おそらくあと二年も生きられないでしょう。そして、……。貴方も」
「……え……」
「ご存知ですね、貴方には幼い頃にかけられた、死の呪いが今も在ることを」
「…………」
 幼い頃に出会ってしまった「恐怖」。それが残した死の恐怖。

「……。ユリウスさんの呪いは、絶えず貴方の魂に根付いています。それは少しずつ命を喰らっていくもの。ですから、魔法など、強い力を扱う時、貴方の命はひずみを起こすのです。何もしなくても死は訪れますが、魔法などを頻繁に扱えば、更に死期は早まるでしょう」

 今更ながら。本当に今更ながら。僕は死神への恐怖を思い出す。
 死にたくない。死にたくはない。
 でも、常に「死」は僕の傍に潜んでいたんだ。

「この旅の中で、貴方がどれだけ保つのか、私にもわかりません。ニーズさんは、遅かれ早かれ、貴方と母親を失うのです。そのために、彼は外の世界を知るべきなのです。彼も一人では生きられないのですから」

 賢者の言いたい事は、泣けるほどに痛く理解できた。
 ニーズは、他人を愛する事を学ばなければいけない時なんだと。
 そこに、僕がいてはニーズは他人を見つめはしない。いずれ消えゆく僕ばかり見ていては、先に続く関係が作れない。

 このまま、僕は帰らないでいるべきなのだと…。


「ワグナスさん。二人は…。もう、大丈夫、なのですよね…」
「ええ。二人とも、大丈夫です。支えてくれる人たちがきちんといますよ。多くの者達に、囲まれて幸せでしょう」

     その代わり、僕は一人。
 僕は、一人になって、それでも旅立てただろうか。
 ニーズのように、人の手を取る事ができただろうか。
 今気がつけば、きっとニーズは僕より強くなったんだとわかった。

「……。わかりました。ニーズにも、母にも、会いません。僕はその道を選びます。全ては、ニーズのために…」
「ありがとうございます。安心してください。永遠に会わせない訳ではないですから」
「はい…」
 小さく、夜空からは粉雪がちらつき始めた。
 何処かで僕を探す君の事、僕は君のために無視しなければならない。

 辛いよ。寂しすぎる。
 孤独感で息が苦しくなるほどに。
 …でも、いいよ。光の道は君が歩けばいい。僕は君の影で構わないよ。名声も仲間も、母親の愛情も、名前さえも君に渡そう。

「さよなら。まだ、暫く、ね…」
 心の中で僕はニーズに呟いた。構わない。君の幸せを願おう。

 僕は何をすればいい?一人残る君のために。
 泣いてばかりもいられないと思った僕は、決意を固めて立ち上がった。
 もう、僕も強くならなければ。

 記憶を取り戻した、今は無き世界樹の跡の大地の上に僕の足は戻り、強く自分を抱き締める。この場所は、精霊神ルビスの波動を感じるから、僕を導くという、僕を待つという女神に告げる様に渇いた唇は動いた。

「遅くなりましたが、僕もこれから旅立ちます。女神の御心のままに。精霊の御心のままに。必ず、女神の前に馳せ参じることを、ここに誓います」
 音も無くちらちらと降っていた雪に紛れ、空がうっすらと光るのを僕は見上げた。

 今は根元すらもない、ただの空いた空間だったその樹海の穴に光る幻。光る大樹がひらひらと、雪に混じって小さな光を僕に降り落としてよこした。

「これはこれは…。女神からの祝福ですね。驚きました」
 賢者は降り落ちた、二枚の葉を覗き込み、感嘆の声をあげる。
「世界樹の葉は、それはそれは強力な癒しの能力がありますよ。死者も甦らせると言います」
 一瞬姿を浮かばせた世界樹はすぐにも光を失い、僕の両手に二枚の葉だけが残される。
 世界樹の葉のことは僕も聞き及んでいた。
 僕はすぐに振り返り、その二枚の葉を賢者に手渡す。
「ワグナスさん。これ、ニーズにあげて下さい」
 久し振りに、僕は懐かしささえ感じて微笑む。

「二枚ともですか?こちらは、二人分だと思うのですが」
「いいんです。僕よりも、きっとニーズの方が必要になる。人に囲まれるニーズの方が、使う機会があるでしょう」
 二枚共をあげることになんの躊躇いもなく、僕は晴れ晴れとして森を去ろうとしていた。



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