「夢だけを見て」


 薄れ往く私の意識の中で、繰り返し、名前を呼んでいた。
 金の髪のミトラ神の僧侶は、私をずっと腕に抱えて、激励の言葉と回復呪文を繰り返す。
「…シャルディナさんっ!しっかりして!もうすぐだから!」
 もうすぐ…。
 オロチの猛毒に侵されて、痺れて動けない指先に、懐かしい力を感じる。
 うっすらと開けた、細い視界いっぱいに紫の光…。
「ああっ…!」
 指先から全身に力が満たされる、帰ってきたの、私の元へ…!

「聞こえますか、シャルディナさん。パープルオーブです。これで毒も消せるでしょう」
 オーブを痺れる指に強く握らせ、賢者ワグナスの声が私に囁いた。
「シャルディナ、大丈夫か?あと、世界樹の葉もあるからな」
「あ…」
 アイザックは、小さくちぎって、数回に分けて世界樹の葉を私に噛ませた。みるみる自分の体が軽くなり、意識もはっきりと鮮明に蘇る。

「良かった…」
 安堵する、サリサさんの声が頭の上からもたらされる。
 
 けれど、私の視線は遠くを見つめていた。

 私を逃がそうとして犠牲になってしまった、サイカさんがニーズさんに抱かれている。
 世界樹の聖なる力に体を白く光らせて……。
「良かった…」
 きっと、周りは私の無事を喜んでいた。
 私は一人で、『たった一人でも生きていてくれた』、その事実に壊れたように泣いていました。
   きっとそうでなければ、私は自分を許す事はできなかった。


++

 オロチの洞窟から抜け出し、疲れた体を休めるために、私達はサイカさんの屋敷に戻り、休息を取っていました。
 しかしそれはジパングの民によって、中断されてしまったのですが…。
 なんて事でしょうか。
 サイカさんは、疑われ、国を追い出される事になってしまいました。家族を失い、国をも失って……。

 それでも、ニーズさんの家にお世話になるのだと、笑顔で話すサイカさん。
 私は、作り笑いの裏で、零れ落ちそうな涙と戦い続けていました。


「シャルディナ、訊いておくれ!なんと、私アリアハンへ、ニーズ殿のご自宅にお世話になるのですよ〜。もう気分は嫁入りですv」
「サイカさん…。おめでとうございます。ありがとう御座いました。いろいろ…」
 どうして、そんなに明るく笑えるのですか…?
 私には、わかりません…。

「シャルディナもまた逢いましょう。時には大胆に、しっかり想いを伝えるのだぞ!女は度胸なのです!」
「……。はい…」
 大胆に?まさか、アイザックに想いを伝え…。
 そんなの、無理です。返事は曖昧に、私は諦めていました。
 どんな顔で、私は彼に「好き」だなんて…。言えません。
 きっと。ずっとです。

「シャルディナ、なんか元気ないな。まだ調子悪いのか?サイカは元気だったけど…。辛いなら、もう少し休めよ」
不意に考え事の相手に声をかけられ、異様な程に私の体は飛び上がる。
「…………」
「………?え?何そんなにびびってんだよ。本当に顔色悪いな。ジャルに回復呪文でもかけて貰って…」
   っ!さわらないでっ!」

 額に彼の手が触れようとして、私は弾けて両手で遮っていました。
「……なっ。…なんで」
「…あっ…。……」
 彼を拒絶してしまった。
 青ざめる、けれど、今の私には彼に触れられる事の方が怖かった。動揺も、怯える心も、隠せそうにない私はぱっと背を見せて逃げ出そうとする。
「……。ごめんね。…私、皆の所に挨拶に行って来る」
「………」
 同じように祠の宿屋に集まっている、旅芸人の仲間の元に私は逃げるように走り去った。後に残された、アイザックの不服そうな表情も確かめもせずに。


 仲間達に出会ったのは、陽気なアッサラームの町だった。
 優しい人達に出会えたのは、アイザックのおかげ。
 吟遊詩人として高くかって貰い、ここまでの旅も本当に楽しかった。皆家族のように接してくれた。優しい団長さんや、良いお友達の踊り子さん達や、同じように楽器を奏でる演奏者たち。
 ジパング海域で嵐に飲み込まれ、船が崩壊した事、彼らは自然の災害のせいだと思っている。
 …でも、違うの。嵐は、その船に私が居たから起こってしまった意図的なもの。
 偶然にも、オロチはパープルオーブを所持し、近くの海域を通る私の存在に気が付いてしまった。

「逃がさぬぞ」
 ヤマタノオロチの恐ろしい声が船上の私にまで届いた。

「ジパングへやって来い。でなければ、この船を沈めてくれよう」
「…そんな!?」
「ここで一人一人喰らっても良いのだぞ。ホホホ…」
 自分は、なんて、呪われた存在なのだろうと、この時程自覚した事はありませんでした。オロチの要望を受け入れ、私はジパングへ流れ着き、まんまとオロチに捧げられる生贄として卑弥呼に捕まえられる。
 その代わりに仲間達を逃がして。

「邪魔な耳飾りをしておるの。これは外せ」
「これだけは、お願いします…。最期まで、…」
 せめて身につけて逝きたいと願った、彼から貰ったイヤリング。
 私は意識を半ば縛られながら生贄の日を待っていた。
 私のせいで、大事な人達を危険な目に会わせてしまった…。
 私の目の前で、殺されてしまった生贄達。


「ごめんなさい。私、もう、皆と旅をする事が、できなくなってしまったんです…」
 我慢する事ができず、私はわぁと泣いて、引きとめようとする仲間たちの胸に飛び込む。
「何を言うんだ。せっかくこうして無事に戻って来れたのに。また一緒に旅をしようじゃないかシャルディナ」
「そうだよ?どうしたの?シャルディナの歌はうちの看板だよ?」
「そうだぜシャルディナ。寂しいじゃないか!」
「ごめ、んなさい…。私、帰らなくちゃいけないんです。ランシールに。きっと、皆とは、もう、会えないと思いますが。皆の事は、決して忘れないですから…」

「なんだよそれ!シャルディナ!」
「理由は聞かせてもらえないのかい……?」
 突然のさよならに、納得しない仲間たちは引き止め、別れを惜しむ。
 嬉しいけれど、一言一言がとても哀しくて胸に痛みを奔らせた。
「ごめんなさい。それしか、言えないです。ありがとう御座いました。ありがとう御座いました。とても楽しかったです。さようなら、です…!」

 団員達の泊まる部屋を抜け出し、涙を乱暴に拭きながら、視界は夕闇に染まる宿の外、何処までも広がる草原に移り変わる。

 泣き腫らした瞳を、海辺の風で乾かせたらいい。
 夕焼けを消えるまで見つめていた、私の背中は心の寒さに震えて、きっと今にも消えそうに儚かったのでしょう。
 誰かの足音が、気配が私にそっと近付く。

 心配したように歩み寄る人影、賢者ワグナスは遠慮がちに、私の後方に寄り添い立つ。声を聞くまでもなく、その人が賢者であると私には感じられていました。

「ワグナス様…。私、ランシールへ帰ろうと思います。もう、これ以上。誰にも迷惑はかけられません…」
 振り返らず、視線の先は夕闇のまま。寂しさも隠さずに、けれどこんな時にどうして、私は微笑んでしまうのだろう。

「…そうですか。…仕方ありませんね。これで、貴女の事は魔物にも伝わったでしょうし、守護の「羽根」も失くして、世界を旅されるのは危険すぎます。お送り致しますよ」
「今回、多くの人が…。目の前で亡くなってしまいました。もう…。耐えられません…。そして、アイザックの事も……」
「貴女のせいではありませんよ。そんなにご自身を責めないよう。アイザックさんの事はどうされるのですか?」

 宿の庭先、海からの潮の香りに細い金髪は揺れている。
 両手には美しい紫色の宝玉が握り締められていた。
「さよならします。「剣」も「羽根」も、返して貰います…」

 私は、「間違い」ました。私は、「外」に出るべきでは無かったのです。
「オーブを集めようとする者は他にもいますよ。希望は失わずに。こうして、一つが、貴女の手に戻ったのですから」
「……。そう、ですね」
 希望は…。訊いてもいいですか?
 「希望」って、何処に生まれ、いつ届くのか…と   

++

 祠の宿屋での夕食には、不在のニーズさん以外が皆笑顔で集まっていました。
 ジパングの事件から離れ、ようやく何の不安要素もなく落ち着いて食事ができると、誰もが少しの愚痴をこぼすのが聞こえます。
 私も誘われたのですが、食欲がないと断っていました。

「シャルディナさん、本当に、あの、大丈夫ですか?具合が悪いなら、隠さずにちゃんと言って下さいね」
 一緒に使う部屋に一人戻ろうとする、私を気遣い、サリサさんが呼び止め、私は思わず足を止める。
「……。ありがとう御座います。色々と…」
 深く頭を下げる、私の心中は複雑でした。

「あ、あの、アイザック。後で、話があるの。食事が終わったら、呼びに来て…」
 一階の食堂、仲間たちとテーブルに腰掛けている戦士におどおど声をかける。顔色は白いのに、私の鼓動は爆発しそうに激しい。
「……。わかった。すぐ行くよ」

 パタパタと階段と駆け上り、逸る鼓動を抑えて、借りている寝室に駆け込むと、私は静かに座り込んで震えた…。
「言えるかな。ちゃんと、笑って、言わないと…」
 両頬を叩いて、何度も何度も言い聞かせるの。きっと、これがアイザックのためになるから。


 多分食事を早く済ませて、慎重な足取りで彼は部屋の戸を叩いた。
 部屋を出て、私は宿の二階、西に広がる山脈と樹海が望める、広いバルコニーにアイザックを誘う。
 仲間達はまだ一階で食事中の様子で、誰も二階には上がって来ていなかった。

 夜風の冷たさに備えて、私は毛布を肩に被り、バルコニーの手すりにそっと手を添える。ひんやりと、手すりの樹木は冷たく、息も白く闇に浮かび上がる。
 これがきっと、最後の夜だから   、言い聞かせ、私は自分を奮い立たせる。
 笑ってさよならを言うために。

「話、聞かせて貰おうか…。一体何を思いつめているんだ?」
「……。あのね、私、ランシールに、帰ることにしたの」
 隣に並び、手すりに右手をかけた彼の言葉は真剣だった。敢えて私は声を弾ませ、馬鹿な女を演じ始める。
「もう、嫌になっちゃって…。芸団も辞めてきちゃったの」
「なに…?辞めた…!?なんでだよ!」

「怒らないで。もう、歌う事も…。つまらなくなったの。歌のおかげで、こんな怖い目にもあったし、もう、辞めたくて…。だからもういいの」
「………」
 アイザックの返事が無くなり、微かに風の音だけが夜空に響く。
「それでね、あの、ほら…。約束したじゃない?オーブを見つけて、一緒に空を飛ぼうって、あれも、あれもね…」

 声は明るく、心の内側だけが震える。
 自分が吐き出す言葉に、自分が一番恐怖していた、のに……。

「忘れて欲しいの。もう、空も、飛べなくてもいいの。忘れて……?」
 言葉は、彼の前に音を成してしまったから。精一杯の偽りの笑顔で、私は彼と「さよなら」するはずだった。

「今までありがとう。もう、会う事はないかも知れないけど、楽しかった。ありがとう。
さよなら」、と…。

 笑顔で、振り返った…、の…?私は……。

 …わからない。わからなかった。
 そこに居たのは、ただ黒い瞳に映された麻痺した自分だけ。
 時間の流れすら、何処かで止まっていたように、記憶が消し飛んでいた。
 
 どこからが錯覚なの?
 私は考えていた言葉も忘れ、アイザックの視線に凍り付いていたんだ。瞳に撃たれただけで、私は演じた芝居も見失う。
 驚いた表情から、ゆっくりと、少年の顔はスローモーションで変化してゆく。
 身体は震えるけれど、それは寒さのせいではなかった。初めて彼が、自分に本気で怒っているという事実に震える。

「シャルディナ、まさか、そんな事を言うために、あんなに考え込んでた訳じゃないよな」
「……。やだ、そ、んな、怒らないで、よ…」
 冗談として流すために、私はおどけてくすくす作り笑う。
「……。冗談にも、程がある。訂正しろよ。今なら許してやるから」
「…ち、違うよ。冗談じゃない…。もう、いいの。空は飛べなくていいの。忘れて?約束も何もかも。お守りも、隼の剣も返して。お願い…」

「…呆れたな」
 私が笑う時、いつも彼も笑っていたはず、でもぴくりとも表情は緩まずに、彼は私を強く強く視線で咎める。
「…呆れた…?ふふ、ごめんね。もう、どうでも良くなっちゃったの。あはは、ごめんね。だから忘れて。オーブも集めなくていいから…」

 大丈夫、このまま、彼を騙して、別れられると確信していた。
 手すりに捕まり腕を伸ばして、私は別れの言葉を唇に準備してゆく。
「…ふざけんなよ!」
 彼は許さずに、私の両肩を掴み、強引に自分と瞳を合わさせる。

「なんでそんな嘘つくんだよ。馬鹿にしてるのか?俺は嘘は嫌いだ!
「…………」
「そんな嘘、つかせるために、お前を助けたんじゃない!」
 やめて欲しい。さわらないで欲しい。嘘がばれてしまうから。
 喉の奥で言葉が詰まって、息が苦しい。

「…なんで、そんな嘘、つくんだ?つけるんだ?本当にそれでいいのか?バレバレの嘘つくなよ。なんのつもりなんだよ!」
「…なんで、嘘なの?嘘じゃないよ。私が忘れたいって言ってるの。…ね、返して。剣も、お守りも…」
「隼の剣か?なんでお前に返さなきゃならないんだ」
「……。私、ランシールに行くでしょ?だから、ついでに、返して来てあげるから。ね…?その方がいいと思うの」
「お守りは返すよ。大事なモノなんだろう?」
 まだアイザックは怒ったまま。
 私の渡した「お守り袋」をどんと突き返し、受け取った私が俯くのを、黙って見つめていた。

「……。剣は、断るよ。ランシールには俺が行く」
「……。来なくて、いいのに…」
「本当にシャルディナは、俺の事なんて信用してないんだな。ほんの、これっぽっちも。ようく分かった」
「…………」
 どうして、そうなるの?
 返されたお守り袋を両手に、指先は夜風に冷たく凍えてゆく。自分の足元を凝視しながら、私は怯えていた。
 誰よりも、向かい合う少年が怖いの…。
 真剣に、真摯にまっすぐな怒りを向ける彼が世界で一番怖い。

「信用されないどころか、そんな下らない嘘までつかれるなんて。…情けないよ。俺は自分が情けない。隼の剣は、返すつもりはない」
「どうして…」
「借りたものだ、返しに行くつもりだった。でも、もう返しには行かない。俺は本気でこの剣が欲しくなったから。自分の物にするためにランシールに行く」

++

 語調が荒くなってしまう事を、自分でも嫌だと思っていた。
 けれど、自分の中に生まれた怒りは簡単には冷めてはくれない。

「…やめてよ。どうして?「神の戦士」になりたいの…?どういう事か分かって言ってるの…?」
 俯いたまま、今にも泣きそうな声色でシャルディナは首を振る。
「当たり前だ。「神の戦士」?望むところだ。言っただろう、魔王バラモスを倒しに行くんだって。それも信じてないんだな」
「信じるわけないよ!アイザックは何も知らないから!魔王の恐ろしさも何も知らないから、そんな事が言えるんだよ!自分を過信して、自滅してしまうよ。「力」を手に入れて、優越感に浸りたいだけなんでしょう!?だから……!」

バキィッ!!
「きゃ…っ!!」
 シャルディナの横の手すりが砕ける、激昂の余りに、叩き付けた自分の右手が破片に裂かれて血を滲ませる。それ以上に全身が怒りで熱く頭が沸騰していた。

「言ったな。わかったよ。本当にそこまで侮辱するんだな。お前には何の実績もない、田舎の小僧が夢見た、たんなる暴言だったんだ。俺の真剣な覚悟も。夢も。決意も。勇者への思いも!」

 言ったよな。過信じゃない。自惚れじゃない。
ただ俺は「意志」をつなげたかっただけなんだと

 親しい人間に、信用されない憤りを初めて覚えた。
「俺はお前みたいに嘘はつかない。何の覚悟も無しに吐き出す言葉もない。いつだって俺の全身全霊込めて誓っているんだ。必ず魔王を倒すと!

    信じるわけがない……?
 哀しかった。分かっているつもりでも、本気で自分を情けないと思う。

信用されるに値しない、
何の勲章も持たない自分が。



「過信でも馬鹿でもなんでも思えばいいさ。結果だけ見て信じるならそれも有りだろう。心外だけど、好きなように思えばいい」
 シャルディナは何も言えずに、じっとバルコニーの床とだけ見つめ合う。

「隼の剣は、誰にも渡したくない。ランシールで、どんな試練でも受けて、神にでも何にでも認めて貰うさ。…そうしたら、その時は少しは俺の事を信用してくれ」
「……。アイザックは馬鹿だよ。神の戦士になる事が、どんな事か分かっていないのだもの。力があれば、周りの人々は、その力にすがるか、恐れるかの二種類しかいないの。勇者として無責任に崇めたり、失敗をすれば感謝も忘れて平気で叩き潰すの。ジパングでもそうだったでしょう?「力」で人は歪むし、神にも縛られる事になるの。だから、止めてるのに…」

 泣いてはいなかった。
 けれど、シャルディナの声が震えて、俺は不意に心が水を打つ。
「…そんな事は…。平気だよ。勇者ってもんがそんなにいい事ばかりじゃないのは俺だって知ってる。ニーズにしても、ジャルディーノにしても、そうだからな。でもいいじゃないか。ちゃんと、自分を知っていてくれる人間が少しでもいれば」

「……。本気なの…?どうして、怖くないの」
「本気だ。怖くはない。仲間がいるからな。死ぬよりも怖い事はあるけれど」
 手すりを叩き壊し、裂いた傷口を少し舐めて、俺は手すりに背中を預け、星を見上げるに落ち着こうとした。
「…死なれるよりも辛いな。夢を見ないで、生きていこうとされる事は」

 例えばニーズが言った。
「馬鹿みたいに、夢叶えて笑ってればいいじゃないか」、と   
 全く同感に思う。シャルディナも、誰でも、夢だけ見ていればいいんだ。

それが叶う世界であって欲しいんだ。



「シャルディナ、何も言えないなら言わなくていいから、嘘をつくのはやめてくれないか。哀しくなるんだ。ランシールに帰るのは、ちゃんとした理由があるんだろ?オロチにも狙われた理由がちゃんとあるんだ。ランシールが安全な場所なら帰るのもいいと思う。でもな」
 ようやく、金髪の少女は顔を上げて、俺の願い事に涙する。

「夢だけは忘れないでくれないか。歌う事も好きなんだろ?安心して歌えるような、夢だけを見て過ごせるような、世界に必ずするから。俺一人でもするから。ラーミアも復活させて、必ず空も飛べるから」
「アイザック…」
 ボロボロとシャルディナの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
 分かっていたのに、本当は泣いていた事なんて。

 拭う指も追いつかなくて、諦めてそのまま感情の大洪水を引き起こす。
「いいの…?信じても、いいの…?だって、私はずっと、信じて、でも、届かなくて、ずっと諦めてきたんだもの。私のせいで災いが起こって。私のせいで、皆が危険な目に会うの。もう、嫌なの…。私なんて、いない方がいいんじゃないかって、ずっと…」

 泣き崩れる、シャルディナの、更にか弱い嘆きに俺は一歩踏み出し、あやすようにしてぎゅっと抱き寄せた。
「今更だけど…。久し振りだよな。イシス以来だ。ジパングで再会して自然に抱き合って喜べた事、なんか嬉しかったな」

「え…。え……?」
 毛布も掛けているくせに、まだ震えるシャルディナは、聞き取れないような小声で戸惑いを訴える。
「ランシールでまた会えたら、また喜ぶから。仲間たちだって、皆お前の事心配して助けたんだぞ。旅芸人の皆だって心配してたんだ。誰もお前がいない方がいいなんて言わない。大丈夫だから」

「本当に…。アイザックも?アイザックも、私の事…。私に会えて良かったと、思ってくれる?」
「思うに決まってるだろ?会えて良かったよ」
感動に打ち震えた…ように見えたシャルディナは、かすれた吐息のように何事かを呟く。
「え?なに?聞こえなかった」
 訊き返すと、恥ずかしそうに、甘えた声が聞こえる。
「抱きしめても、いい……?」
「……。いいよ」

「会いたかった。とても、怖かった…」
 小さな細い腕で俺に絡みついて、ようやっと本心が聞けたと安堵していた。
「遅くなってごめん。これからはちゃんと守るから」
「……。うん……」


「バラモスの所行く前に、一緒に飛ぼうな」
「一緒に…」
何気なく交わした約束も、今じゃとても大事な約束。


「アイザック、あの、ごめんね…。やっぱり、このお守り、持っていて。きっと守ってくれるから」
「……いいのか?」
「うん…。ごめんなさい。もう、言わない。ごめんね。信じられなくて…。私、もう少し、勇気を出すから。ランシールで、待ってるね」
 暫く甘えた後で、見上げて微笑む、それは偽りではなくて、俺も自然と笑顔を返していた。
「それと…。ごめんなさい。貰ったイヤリング、落としてしまったの…」
「?うん。いいよ、あれくらい。あの状況じゃな。…代わりの欲しい?」
「…うん。あ、でも、できれば、だけど…」
「わかった。安物だけどな」
 談笑している、二人の元に、宿からバルコニーへ出るドアが開いて、仲間の一人が声をかけて来るのに気が付いた。

「いつまで話してるの?シャルディナさん大丈夫なの?今度は風邪引いちゃうよ?」
「あっと、ごめん。戻ろうシャルディナ。風邪引かないようにな」

 迎えに来たサリサの横を通り過ぎ、シャルディナを部屋に送ると、背中に刺さる冷たい視線に俺はぎこちなく振り返る。
「…なんだよ」
「……。別に」
「じゃあ、おやすみ」
「待って!」
 腕を掴み、引き止める、今度はサリサが俺を必要としていた。

++

「ここで、いいかな。もう誰もいないし」
 一階の食堂までアイザックを連れ戻して、私はもう誰も残っていない事をきょろきょろと確認してから座る。
 宿泊客の夕食も終わって、一階の食堂には灯りも灯っていなかった。月明かりの窓辺の席に座り、向かいにアイザックも腰をかける。
「あのね、…ごめん。少し、声が聞こえちゃったんだけど…」
「何の?あ、シャルディナとの…?」
 一部怒鳴っていた事も思い出したのか、仲間の戦士はバツが悪そうに鼻を擦る。

「……。あのね、…私も、…夢があるの」
「へぇ。どんな。聞いてなかったな」
 半ば、こちらは緊張してドキドキしているのも気づかずに、嬉しそうに問いかけるアイザックを正直少し睨みつける。
「それは、まだね、言えないの。それで…」
 椅子の背もたれに寄りかかり、指先で遊びながら、思い切って私は彼に訊く事に決める。このままじゃ、もやもやして仕方ないもの。

「ねぇ、私も…。夢だけ見てれば、って思う?私のためにも、そんな世界にしようとかって、思ったりする?」
 返事はとても聞くのが恐ろしかった。
 もうここで、決定的に振られてしまうかも知れないから……。

 盗み見た先のアイザックは、あははと笑い始めて、意外な反応に私はきょとんと瞬きを繰り返してしまった。
「それは、誰にでも、もちろん。驚いたな」
「な、何が」
「サリサは、ちゃんと自分で行動できる奴じゃないか。心配してないよ」
「………」
「俺なんかが何かしなくても…。ちゃんと夢に向って歩いていけるだろうサリサは。そーゆー所は尊敬するよ」
「……っっ」
 褒められた事にのんびりと気が付いて、心なしか頬が熱くなってくる。

「で、で、でも、時々は挫けたりもするじゃない」
「うーん。そんな時はもちろん、助けるよ。お互い様だろ」
「う、うん…」
 あ、どうしよう。なんか嬉しい。顔が笑ってしまうよ。

「私がオロチに喰われそうになっても…、ちゃんと助けてくれた?」
「もちろん。心配するなよ。言っただろ?何度でも助けるって」
「そ、そうだね。うん」
「なんか嬉しそうだな、サリサ」
「うっ。えっと、あの…」

 図星を差されて焦るのをごまかそうと、無駄に手をじたばたさせて、別の話題を探す。シャルディナさんとの会話を盗み聞きしても、まだ彼の一挙一動に左右される自分は馬鹿だなぁとは、心の何処かで思いつつ。
 もう、叶わないんじゃないかって、嫌な予感も消えたわけでもないのに。

「サリサは…、俺の事信用してくれてるよな」
「えっ?…うん」
 頬杖ついたアイザックは、しんみりと唐突に、優しい表情で語り始める。
「ありがとう。嬉しいよ」
「……。そんなっ」
 胸が落ち着かないよ。そんな顔されてしまうと…。恋心が、もう顔から火を噴いて爆発しそうになる。

「ランシール神殿…。「地球のへそ」って、どんな試練が待ってるんだろうな。サリサは知ってるか?俺、どうしても行かないとならない」
「具体的には…。ただたった一人で受ける試練だとしか…。二度と帰って来れない人もいるって……」
「そうか」

    私は…、私の夢はね……。
 あなたの横にずっと居られるような、強い人になる事だよ。あなたにそう認めて欲しいこと。
 今でも、自分を許したのなら、想いはすぐにも口に出せる。
 「地球のへそ」にずっと憧れていた。もう、遠い夢の世界の場所じゃなくなろうとしている。目の前の少年は現実に「地球のへそ」の試練に挑もうとしていた。
 そして、必ず彼は勝って戻ってくるだろう。その時、自分も横に並べたなら…。

「アイザック…。私も、「地球のへそ」に、入るわ…」
「まじか……?!」
「私はね、ずっと、挑戦したいと思っていたの。乗り越えられたら、何でもできるような気がして。何も怖くなくなるような気がして」
 憧れていた、でも、挑戦する覚悟はどこかずっと不透明なままで、今ようやくその全貌を形作る。
「手にしたい、武器があるの。伝説の武器。それを手にして帰ってくる事ができたなら。その時は……」
 まっすぐに、黒い瞳に向かい合う。私は何処にも逃げたくはないから。

「アイザックに、話したい事があるの」
 勇気を下さい。私は自分の力で、あなたの隣を手に入れる。

「凄いよな、ほんと、サリサは…」
 感嘆しきったアイザックは、私に右手を差し出し、気持ちよい笑顔で囁く。
「一緒に「地球のへそ」から帰ってこような!お前の夢でもなんでも聞いてやるから。サリサならきっと伝説の武器を持って帰るって、信じてるよ」
「ありがとう!」
 テーブルの上で、固く握手を交わす。
 嬉しくて私はもう一方の手まで重ねて神に祈りを捧げた。
 何より私の勇気になります。ありがとう。

 その日まで、大事に隠しておきます。今にもこぼれそうな、あなたへの想いは。

++

「ニーズさん、おはよう御座います。昨夜はお楽しみでしたねv」
「…な、に…?まさか、またお前覗きに来て…」
「おやおや?「楽しくねーよ」、と返って来ると読んでいたのですが、もしかして、本当にお楽しみでしたか……?」(にやり)
 大きなお弁当箱を持って、アリアハンから戻った勇者の返事に、私はわざとらしく手で口を覆う。
「………っ!!」

ぼごががっ!!

「うっぷ。鼻血がっ」
 即座に顔面パンチを喰らって、私は後ろにバタリとひっくり返って嘆いていました。
「うわー。これお弁当ですか?すごい大きいですね!サイカさんが作ってくれたのですか?愛妻弁当ですよね!」
「ジャル、とりあえず死にたくなければまだ喰うな。まずはワグナスで一つずつ試してからな」
「あの、それって私は毒味と言う事でしょうか?…と言いますか、私は死んでもいいと…」
「もしくは、魔物にでも喰わせてみてから…」
「サイカさんって、そんなに料理下手なんですか…?」
 私は敢え無く無視されて、お弁当の話で皆さん盛り上がっています。
 悲しいです。(助けて下さい元ニーズさん)

「こほん。皆さん、お揃いの所で、大事なお話があります。よろしいでしょうか」
 勇者が戻ると共に、男部屋その1に全員が集まり、私の言葉に続々と視線が集中してゆく。
「ジパングの事件も解決しまして、お疲れ様です。そろそろ、ポルトガで建造中の船も完成する頃でしょう。後は向こうに渡って、今後の進路などをお決めなさると良いと思います」
「そうだな。ワグナス、俺はランシールに行きたいんだけど…。あと、サリサも」

 狭い部屋に仲間たち、そしてシャルディナさんが同席していました。
 ベットに腰掛けている者、床に座っている者、そして私と同様直立して話を聞いている者。希望を挙手して告げるアイザックさんは、床に座って荷物整理を誰より早く終わらせていました。

「ランシールですか。よくぞ仰って下さいました。ニーズさん、私も、次の目的地にはランシールをお勧め致します」
「また、何かが待ってたりするのか?」

「…そうですね…。そうかも知れません」(にっこり)
 おそらく、私の意味深な笑みも、意図をニーズさんは理解したのでしょう。
「じゃあ、次はランシールで。ちょっと遠いけどな」
「そうですね。途中、何度か補給が必要だと思います。陸沿いに進んで、ネクロゴンド辺りで、補給できれば良いと思うのですけど」
 地図を広げ、ランシール出身である、サリサさんがさすがに賢い補足をして下さいます。

「ネクロゴンド、ですか…。バラモスに滅ぼされた国ですね。国土の町は全滅したと訊いていますが…。その後で、興った町や村はあるのでしょうか」
 イシスとは、険しい山脈を隔てて隣国に当たる、ネクロゴンドを憂いて、赤毛の僧侶は瞳を翳らせて不安に呟く。

「ネクロゴンドには…。二つのオーブがあります。それを探して頂きたいのです」
 周囲の予想外な所で、この先の旅を左右する目的は啓示された。
 賢者の隣で、パープルオーブをしっかりと握り締め、願いを強く申し出たのは美しい金髪の吟遊詩人。
「シャルディナ…」
 一度、シャルディナさんは驚くアイザックににこりと笑い、不死鳥ラーミア、その復活の術を勇者たちに指し示す。

「これは、パープルオーブ。神の鳥、ラーミアの封印の一つです。ラーミアは数百年前に、魔王によって封印されてしまいました。その時、ラーミアの力は六つに分かれたのです。オーブが揃う時、ラーミアは復活し、勇者を導くでしょう。バラモスの城へは、おそらくラーミア以外に届く手段はないと思います」
「…………」
 説明を受ける仲間達は、一様に疑問と驚きの表情を浮かべていました。
 語るのが何故彼女なのか、理由はそこにあるのでしょう。

「分かりました。ネクロゴンドに二つあるのですね?」
 冷静に、まず始めに微笑んだのはシーヴァスさんでした。
「はい。ネクロゴンド王国は、代々二つのオーブを守護していました。グリーンと、シルバーオーブです」
「まさか、ネクロゴンドが滅びたのは…」
 ジャルディーノさんは顔色を変え、悲しそうに口元で右手を握り締めます。

「…そうです。おそらくは。オーブがあったからこそ、ネクロゴンドは根絶やしにされたのだと思います。今も、オーブは行方不明です。オーブを探すために、魔物たちは全ての町村を…」
「ひとまず、途中ネクロゴンドに降りてみましょう。手がかりが見つかるかも知れません。どうしても見つからない場合は、山彦の笛で探す手段もありますから」
「……。山彦の笛…。ルシヴァンが持っていた、笛の事ですか?」
 私は一人にこやかに語り、笛の所持者に関係のあるエルフの少女が質問を口に浮かべる。

「ええ。あの笛は、オーブが近くにありますと、山彦が返ってくるのですよ。ルシヴァンしか吹けないのですけれどね」
「では…。ルシヴァンが探していたのは、このオーブだったのですね…」
「そうですね」
「シャルディナさんは、どうしてそこまでご存知なのですか?ワグナスさんなら分かるのですが…。今回のジパングの事件の事も、気にはなっていました。何か関係のある事なのでしょうか」
 躊躇いもなくシーヴァスさんは訊いてしまい、質問を受けた当人は暫く言葉に詰まる。私がフォローしようと伺っていると、必要ないと口元で微笑みます。
「私は…。私がいなければ、ラーミアの復活は成されないからです」

 彼女が優しい表情で自分の事を他人に話す。
 その強さを与えたのはアイザックさんである事は明白でした。
「私と、聖女と…。ラーミアの卵を、ずっと護っていました…」
「聖女様と…」
 応えたのは、聖女を最も知る、ランシールの僧侶。
「私の元に、オーブを集めて下さい。きっと、皆さんの、力になれると思います…」

「……。そうか。分かった。六つな、あと五つ。ネクロゴンドに二つもあるなら、あと三つだ。シャルディナは、全部のオーブの在り処を知ってるんだろ?」
 こう言った使命があると、真っ先に燃え出す戦士が、わくわくとした様子で瞳を輝かせる。
「ランシール、「地球のへそ」最深部にブルーオーブ。レッドオーブは、世界各地を動いているようです。おそらく今は、サマンオサ地方に…。最後のイエローオーブは…。私にも、所在が感じられません」
「イエローオーブに関しては、情報を集めるしかないですね」

「そっか…。ま、まずはネクロゴンドだな。待ってろ、必ず見つけてやるからな!」
「ありがとう…」
 アイザックさんは、シャルディナさんと談笑。
 それを見つめるサリサさんの想いも知らずに。
 そして、シーヴァスさんはオーブを探している盗賊に思いを馳せているように考え込んでいました。
 ジャルディーノさんは、地図の、ネクロゴンド地方を凝視しています。

 勇者ニーズさんは、ランシールで『待つもの』にすでに心が動き、青い瞳は鋭く先を見据えているようでした。

 シャルディナさんはランシール神殿へ。
 勇者達は、遥か西の王国、ポルトガへと向かう。

++

 そして、ジパングの夜が明けた。
 一つの屋敷が炎上する様を、多くの民が周りを囲い見つめていた。遠巻きから燃え盛る炎を眺めている僕は、ふっと、背後の大きな峰に遺恨を示す。
「オロチめ、だから巫女一族には注意しろと警告しておいたのに…」

「ファラサマ。クサナギノケンモ、レイノユウシャガモッテイッタ、ラシイ、デス」
 口を汚い音に鳴らしながら、魔物が一匹、鬼面道士が遅い報告に戻ってくる。
 黒いフードの奥から、ひと睨みで、続きの報告を急がせる。
「ソレカラ、ドウヤラ、イキノコリノムスメハ、アリアハンヘムカッタヨウデス」
「アリアハン。それはまた…」

 森の影に隠れ、僕はこの先の展開を思い、薄く唇で笑っていた。
「あの偽勇者、あの女に心酔激しいのかな。あはははは。ともかく、姉上に報告に行くとしよう。翡翠の娘、きっといい手駒にできる」
 勇者オルテガと共に葬った、はずのジパングの霊能力者、翡翠。
 アレフガルドに落ち、記憶や力を失ったがために捨て置いてあるけれど、娘の使い方次第でどうにでもできる。

     そう。
 あの娘は、
他人に強力な霊力を生み出させる異端の霊能力者のようだから。
 それ故に、近付いた偽勇者に草薙の剣を扱う力を与え、シャルディナにはかけられたオロチの術を破る力を与えた。
「翡翠の力と合わせれば…。面白い物ができるかも知れないな…」
 鬼面道士に指示を残し、僕は姉上の元へと帰還する。

 僕も充分ではないが、同じように勇者の雷に撃たれて、姉上達のほうがダメージが大きく身動きが取れずにいる。
 せいぜい、それまで、束の間の平和にでも酔っているといい。

 娘の屋敷の炎上。今ここで灰にならなかった事を、可哀相にと、魔法使いはクスクスと哀れんで哂い続ける。
 逆に、歓迎していた。利用できる『力』は、多いにこした事はない。




ジパング エピローグ

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